2018年度センター英語は…

2018.01.14.02:40

 去年平均点予想を大きく外して、わがカンピューターも当てにならないことを暴露してしまったので、今年はやめとこうかと思いましたが、あえて立てると、たぶん120点ぐらいでしょう。僕の得点は大体いつもと同じです。発音の③と、映画を作るという話のところの㉜を落としました(4をえらんでいた)。㉚も、最初は3にしていたが、流れからしてこれは違うかなと思って直したので、かろうじて失点を免れたのです。「話がさっぱり面白くないな…」と思ってやってると、決まってこういうことになる。うちの塾生の過去最高点は196点で、発音アクセントの失点が一つで済めばそれを上回れると思うのですが、毎年必ず他で失点するのでそれが果たせないままなのです。

 今年は、しかし、大問の5がセンターには珍しく、ひねりの利いたユーモアが入っているもので、非常に面白かった。「イカは墨を吐くけど、タコも吐いたっけ?」と、ヘンなところがちょっと気になりましたが、後で調べるとちゃんと吐くのだそうで、僕はこの年になるまで、「墨はイカが吐くもの」と思い込んでいたのです。いずれにせよ、あそこに来てやっとタコみたいな宇宙人が海中を探索してとやかく言ってるらしいのがわかるので、あれは昔のタコ型火星人のもじりでしょうが、真面目すぎる人は???となったかもしれません。「宇宙人と言えば、今はグレイが主流のはず! 許せません!」と怒っている人がいるかもしれません。

 ちなみに、あそこの reservation の意味は、大方の受験生が間違えたでしょう。うちの塾の生徒たちも、「人に会う約束はappointment、座席の予約がreservation」と、そればかり教えていたので、裏を掻かれて失敗したなと、申し訳なく思いました。文脈からすればconcern と判断がつくかなと思いますが、選択肢に expectation も入っているので、「懸念・心配」の意味もあるのだと承知していないと、あれは無理でしょう(単語集にはちゃんとそちらの意味も載っている?)。

 しかし、他はやりやすかったと思われるので、「父熊料理教室」のところも素直な設問だし、余分な文を削除する問題は、今年のは文脈に外れているのがすぐわかるので、続きを読まずに「これだ」と確定して、後は読まずに済ませて時間を節約できる。文法は、相変わらずかんたんなものばかりです。

 そういうわけで、僕の予想平均点は120点。平均点は低かった方が助かるので、115~120あたりに収まってくれればオンの字です。

阪大入試ミス問題に寄せて

2018.01.09.13:43

「犬ではないのだから、妻の腕には噛みつかないように…」

 これはDVで逮捕された元“アベ友”のネトウヨ経済評論家への助言ですが、そちらはこれだけで終わらせといて、阪大の入試採点ミスの話です。

大阪大入試ミス 外部指摘を学内で共有せず、対応半年遅れに

「弘法も筆の誤り」で、阪大の先生をしているくらいなのだから、すこぶる頭のいい人たちなのでしょうが、誰でもミスはします。僕も塾で英文法のプリントを作るとき、巧妙な引っかけ問題を作ってやろうと腐心するあまり、この前それで失敗して、あの三年前からセンターに出るようになったⓐ-ⓑ-ⓐというふうに組み合わせをえらぶ形式のものですが、正解が二つある問題になってしまって、生徒に謝罪する羽目になりました。辞書を調べた生徒に、「先生、このイディオムにはこれに合う意味もあるんじゃないですか?」と言われて、自分でも確認して、「たしかに…」と認めざるを得なかったのです。イディオムを二つ組み合わせて、こちらを使うと次が不自然になるという仕掛けにしたつもりだったのですが、入試にはその用法ではあまり出ないが、しかしその意味もちゃんとある、というもので、これは明らかな「出題ミス」です。阪大のそのミスは物理の問題で生じて、正解は三通りあったということですが、すでに6月に最初の指摘があったのに、なぜそのままにしてしまったのかといえば、作った先生のプライドもあるのでしょうが、人間は最初にこうだと思ってしまうと、その考えに縛られてしまって、異見を容れにくくなってしまうということがあるからでしょう。正解にしていたその答そのものは正しいのだから、なおさらそれに固執して、別解はできれば認めたくないという心理になったのかも知れません。次の問題はそこで得られた数値を基にして解を求めるというもので、配点はそれぞれ3点と4点の計7点だが、2問目は別の2つの解にすると答は出せないものだったというから、7点差がつくことになってしまう。「これはおおごとになる」という自己防衛心理が働くから、なおさら認めがたかったのでしょう。

 それで追加合格者を今頃になって発表する羽目になったのは遺憾ですが、ロイター記事によれば、それで採点し直すと、今度は不合格になっていたであろう受験生が同じくらいの数いるという話です。その30人が7点加点されると、逆転が起きるわけです。むろん、今さらそちらを不合格にするわけにはいかないから、追加合格だけ出すということになったようです。

 最低点近辺にいる受験生たちの場合には、こういう問題が起きてしまうわけです。入試は1点、センターが圧縮換算される場合には0コンマ何点で合否が分かれることもあるから、ボーダー近辺の受験生の場合、ほとんど学力差はないことになる。しかし、どこかで明確に線引きしないといけないので、それで天国と地獄が分かれるというのは、運以外の何ものでもありません。二次の場合は記述だから、極端なことを言えば、たとえば英語長文の下線部訳で10点満点中8点になったか7点を付けられたかで、合否が分かれてしまうこともあるわけです。そう考えると恐ろしい。

 むろん、最低点より50点上で受かったのと、50点下で落ちたのとでは、100点の開きがあって、学力差は歴然ということになるわけですが、ボーダースレスレの受験生は受かっても落ちても、実質的な差はないということです。僕は推薦入試のよくわからない基準より、当日のペーパー一本で決まる試験の方が客観性はあり、潔くていいのではないかと思っていますが、そのあたりになるとほんとに「時の運」なのです。

 今は情報公開の時代で、多くの大学が申請していれば自分の入試時の得点を教えてくれるので、僕も塾の難関大の合格者には後でそれを連絡してもらっていますが、余裕の成績で受かっているケースが多い。過去二人いた阪大合格者もそうで、彼らは優秀だったということですが、僕がそれを聞くのは、「これぐらいの出来具合だと、この大学の二次では大体これくらいの点は期待できるな」という感触を得ておきたいからで、それは今後の指導に役立つだろうと思うからです。元々はああいうのを始めたのは早稲田あたりで、それは不合格者だけに教えるというもので、その意図は、見込みのない受験生が多浪して人生を棒に振るようなことにならないようにという老婆心によるものだった、というような話を聞いたことがあります。スレスレで落ちたのなら見込みはあるから、もう一度頑張って下さい、みたいなものだったのでしょう。

 尤も、その早稲田の国語の入試問題なんか、マーク方式ですが、予備校によって正解が全部違っている問題が実際にあったりして、大学側は「正解」を発表していないから、何がそこは正解なのか、「永遠の謎」だったりすることもあるのです。まあ、8割方は予備校の解答も一致しているから、ボーダー近辺の受験生の場合、その謎の箇所で大学側が正解としているものを選んでいたら運がよかったということになるわけでしょう。

 全体、僕の印象では入試は8割は実力、残りが運です。私立は実力の部分が7割に低下するかもしれませんが、ということは、やはり予測可能な部分が多いということで、メンタルが弱くて、実力が出せなかったという場合は別として、そんなに大きな番狂わせは起こらないものです。センター判定は、センター段階だけのものでしかないから、二次の比重が高い大学の場合は「参考程度」でしかありません。A判定で落ちて、D判定で受かっても、それは二次力の差が逆転を生んだので、別にそんなに不思議ではなく、運だけによるものではないのです。やはりかなりの程度予測は立つ。

 しかし、ボーダー近辺の受験生は「運次第」を免れないので、それが試験というものです。阪大の出題ミスは、その辺に位置する受験生を直撃した。それで7点差がついてしまうというのは実際の入試ではかなり大きいので、「運が悪かったと諦めて下さい」ではすまない。やはり大学は念には念を入れた問題作成が求められるわけです。

 受験生としては、しかし、この時期ともなればそんなことは気にせずに、思い切って行くだけです。結果はあまり気にせず、とにかく持てる力を出し切れさえすればいいという気持ちで臨むのが、一番いい結果を生むように思います。誰も「完璧な準備」ができている人はいないのだから、焦らず自分を信頼して、「運の部分は神様にお任せ」というスタンスで臨むといいのです。4日後はセンターですが、そういう心持ちで、受験生諸君は頑張って下さい。

大学の今後

2018.01.06.17:03

 今年、2018年のセンター試験は「史上最速」の1月13・14日です。受験生の中には「こんなのありですか!」と怒っている人もいますが、「あり」なので、それは「1月13日以後の最初の土日に行う」というセンター試験の実施規定があって、今年は元旦が月曜日に当たったためこうなってしまったのです。「何日分も損した!」と言う人には、国立二次の日程が2月25日からなのは変わらないので、その分二次試験までのゆとりはいつもより多めにあるのだ、と言っておきましょう。「ええい、間に合わんわ!」と焦っている人は、「その分二次で挽回できる可能性がアップした」と前向きに考えましょう。

 何事もものは考えようです。たとえば、頭がハゲたお父さんは、「これで寝癖を直すとか、ヘアースタイルに悩む必要がなくなった」と考えることができるし、僕のような年齢になると、「このうっとうしい世の中からも、あと10年から20年ぐらいの間に解放されるのだ!」と思って幸福感を覚えることができるのです。認知症による物忘れなどでも、よけいな思いに煩わされなくてすむようになったのだと考えれば、大きなメリットと受け止めることができるでしょう。

 たとえがあまり適切でなかったかもしれませんが、このセンター試験も寿命はあと僅かで、2021年度からは新試験が始まります。「紛らわしいことはやめて、あの大学入試センターごと全部廃止しろ。大学別の個別試験だけで足りる!」と僕は前から主張しているのですが、全然聞き入れられないのは、「安倍は駄目だから、さっさと交代させろ!」という正しい主張が無視されてしまうのと同じです。既成事実のみ優先されて、良い意見は聞かれないというのが、今のこの「残念な日本社会」の特徴なのです。原発なんかでも、福島のあんな恐ろしい事故があって、どこからどう見てもよろしくないということが証明されたので、いくらなんでもこれでもうやめるだろうと思ったら、いつのまにか再稼働に戻っているのだから、理性や論理というものが全く働いていない。センターに代わる新試験は「論理的思考力重視」なのだそうですが、「そんなもの、この世界に出番はないんじゃありませんか?」と皮肉の一つも言いたくなってしまうのです。げんに見てみなさい。日本は安倍とアッキー夫妻で、アメリカはトランプ、北朝鮮は金正恩、韓国は文在寅なんてのが大統領なのです。近場を見ても「論理的思考力」がとくになさそうなのばかりが政治リーダーを務めているので、なまじそんなものがある人は現実世界の理不尽に憤死しそうになるのです。

 というふうに書いていると、いつまでたっても本題に入れず、「論理的思考力の欠如」を指摘されそうなので、強引にそちらに話を移すと、「安倍御用新聞」ぶりが露骨すぎて部数を減らしているという読売に、次のような記事(12/31)が出ていました。

私立大112法人が経営難、21法人は破綻恐れ

 これは塾業界などの人間には周知のことで、今さら驚くようなことではないのですが、印象深いのは記事に添えられたグラフで、18歳人口は見事な「右肩下がり」です。むろん、こういうグラフの作り方には問題があるので、早とちりしやすい人は一番下の目盛りが95万人になっているのを見落として、「日本人が消滅する!」なんて思ってしまいかねませんが、とにかく子供の数はこれからどんどん減って、2032年にはついに100万人を割り込んでしまうのがわかるのです。かつては下限が150万で、第二次ベビーブーマーの頃は200万を超えていたことを思えば、すさまじい減り方です。

 だから、大学はこれからどんどん潰れる。とうに潰れていて不思議でないところまでまだ残っているのがむしろ不思議なので、僕はこの仕事を長くやってきて、年々入試のハードルが下がってきているのを感じます。東大や京大のような大学でさえ、上の方は変わらないでしょうが、下はレベルが下がってきているのはたしかだと思われるので、他は推して知るべしです。僕の体感では、今の中堅国立は、昔の下位国立と同じレベルです(現にそう言って嘆いている教授がいるという)。私立となるとなおさらで、今は有名難関大でもAOやら推薦やらの乱発で、一般入試の定員を昔の半分以下、甚だしい場合には三分の一にまで絞って、なのに偏差値は昔より低くなっているのです。万年定員割れの地方私立と来た日には、目も当てられない。

 僕は第二次ベビーブーマーが大学受験に差しかかった1990年前後、現場にいたので、そのときの入試の大変さもよく知っています。かつては「誰でも入れる」と思われていた東京の某下位私大の偏差値が55~60になるなんて怪現象まで起きていたので、差し障りがあるので大学名は挙げませんが、あそこは今はどうなっているのだろうと調べたら45前後です。少なくとも今より10ポイントは高くなっていたわけで、「今の受験生は大変だな」と当時は同情したものです。

 そういうのは「今は昔の物語」で、18歳人口の激減に伴って受験生数も減ったのに、大学の総定員をそれに合わせて減らすことはしなかった。ぴったりそれに合わせるのではなく、緩やかに減らして無理のない数に誘導すればよかったのですが、それすらしなかったから受験者より入学定員の方が多くなってしまい、私大の4割が定員割れを起こすような事態になったのです。今は国立ですら公立高校入試並の低倍率になっているところは珍しくないので、「選考の多様化」と称して推薦枠を増やし、一般入試の枠を減らして、何とか一定の競争倍率を保とうとしているのですが、ネームバリューのないところはやはりしんどいので、国立でも今後は存続が危ぶまれるところが出てくるでしょう。いわんや私立においてをや、です。

 上の読売記事によれば、「2019年度末までに破綻の恐れ」が21校、「2020年以降に破綻の恐れ」は91校、「経営悪化の兆候が見られる」が175校です。合計287大学が「潰れる心配がある」で、「経営状態に問題がない」は373大学。例の加計学園が経営する大学などは全部この「潰れる恐れがある大学」に含まれているわけですが、そういうのは国の補助金(原資は国民の税金)と、新興私立には立地自治体が安易に「町おこし」のつもりで誘致したものが多い関係から、自治体の援助でもたせているにすぎないものなので、それがなければ大半がすでに潰れている計算です。

 そんなことをして残す必要があるのかといえば、「ない」が正解でしょう。卒業生たちにとっては「母校がなくなる」というのは悲しいことかも知れませんが、すでに小中学校や高校など、少子化や過疎化によって統廃合されて母校が消えたという経験をした人はたくさんいるので、田舎の出身である僕なども、小学校から高校まで、昔の形で残っているものは一つもないのです。大学だけは今のところ潰れる心配はなさそうですが、それも話を聞くと、昔とは学風も中身も相当変わってしまったようだなと感じられるので、いつか消えても「諸行無常がこの世の習い」と心得ているので、さほどショックは受けないでしょう。

 新しい大学でも、コンセプトが明確で、それに見合った中身をもたせ、成功した大学はあります。公立では秋田県の国際教養大、私立では大分県の立命館アジア太平洋大学がその代表です。東北と九州のかなりの僻地で、どちらも立地はよくないが、グローバリズムも追い風にして、ちゃんと成功している。魅力があれば学生は集められるということで、なければ慢性定員割れになってやがて消滅、というのは、健全な競争原理に基づく道理にかなったことではないかと思われるのです。民間の場合には、税金による支援など当て込めません。大学は教育機関だから例外だというのは、どこまで通る話なのか、疑わしいところです。多すぎるのだから、自然淘汰の原理が働くに任せ、魅力に乏しくて学生が集まらないところは潰れるようにした方が、大学全体の質の向上にも役立つでしょう。

 今は手取り足取り、面倒見がいいという大学が人気のようです。これも大学側の危機感の表われの一つということなのかも知れませんが、僕のような昔人間は話を聞いていて馬鹿馬鹿しくなることがあるので、過剰管理の中で育って、大学に行ってもそれというのでは、若者はいつ自立するのかと思います。昔はほったらかしにしてくれるのが大学の一番の魅力で、ことに文系学生は、下らん大学の授業なんか聞いているより勝手に本を読んだ方が早いし、仲間と遠慮のない議論を戦わせる方が身になると感じていたものです。自分は世界的な大思想家たちを直接相手にしているのだから、大学の教員なんぞよりエラいのだと思い込んでいる始末に負えない自信過剰学生も一定数いて、「就職対策セミナー」なんてものが開かれると聞くと、人を馬鹿にするのかと怒り出すのです。むろん、「将来の生活設計」なんてものは、考慮に値しない些事として、何も考えていないので、後でしなくてもいい苦労する羽目になるわけですが。

 今はそういう放任主義、放し飼いで学生を遇する大学は激減したようで、そんなポリシーを表明すると、よほどの有名大学は別として、「お客さん」が集まらないのです。受験生も親たちも、先ず大学のホームページで就職先をチェックする。次に、「きめの細かい指導」が行われているかどうかを確認する、というわけで、「うちのカリキュラムは一応こうなっていますが、学生たちはあまり出席しないので、それはあまり気にしないでください。勝手にやれる若者を歓迎します。就職先も一覧を掲げていますが、留年したり、卒業後も就職せず、行方不明になる学生が毎年2割ぐらいいます」なんて書くと、なんて恐ろしい大学なんだと、受験生とその親たちを戦慄させるに十分なのです。

 僕のような人間から見ると、それも大学の魅力のうちなのですが、時代の趨勢として、そういうのは今は受けないので、セールスポイントにはならず、「指導のきめの細かさ」や「少人数授業」「手厚い就職支援」をアピールする大学が増えたのです。「国家試験合格率№1」は売りになっても、「アウトサイダー輩出率№1」なんてのは自慢にならない。

 またもや「論理的思考力」に疑いがもたれそうな脱線に及んだので、話を戻して、要するに、大学は受験生の数に照らして多すぎるのだから、潰れる大学が続出するのは避けられないことで、そしてそれは別に悪いことではないということです。その大学の関係者にとっては職場を失うのだから大問題でしょうが、それは必然的な理由でそうなるのだから、仕方がないと観念して、新しい職場を探すしかないでしょう。それは親方日の丸の公務員は別として、世間の人が誰でもする苦労なのです。

 残るのは結局、老舗の私大と、新興でも勢いがあって人気のある個性的な大学だけでしょう。不人気大学より評判のいい専門学校もあることから、上の記事の調べに基づけば、私大は373校と、そういう特色ある専門学校だけが受け皿として残ることになる。それで足りるならそうなるしかないので、見込みもないのに無理に存続させて、在学生がいる状態で倒産というのでは学生に二重に迷惑なので、そのあたりの見切りは早くつけるのがかえって親切というものでしょう。

 諸行無常の鐘の音。諦めがかんじん、ということも世の中にはあるということです。むろん、受験生はまだ今頃諦めてはいけませんよ。こういうのはそれとは別の話なのです。

犬の話

2018.01.01.22:41

 まずは、あけましておめでとうございます。今年は「戌年(いぬどし)」で、犬は概して忠実で善良な動物であることからして、よい一年になることが期待されます(安倍首相も「もり・かけ問題」に関して、犬を見習った誠実な答弁を心がけましょうね。あんたが正直に答えないからあれはいつまでたっても終わらないわけで、野党やマスコミのせいにしなさんなよ)。

 犬に関して、かねて僕が不思議に思っていることの一つは、軽快にタッタッとステップを踏んで歩いている時、前から見ると体の線がまっすぐではなく、進行方向に向かって少し斜めになっていることです。これはどの犬でもたぶん同じで、その方が歩きやすいのでしょうが、何度見てもユーモラスで笑ってしまいます。僕の観察によれば、それも前から見て、右ではなく、左に傾いている。どういうわけでそういう歩き方になるのだと、犬にきいてもむろん答えてくれないわけで、彼は「何をヘンなこと言ってるのだ…」と当惑の表情を浮かべるのみです。ライオンとかトラ、ヒョウなんかでも同じなのでしょうか? それともあれはイヌ科の特徴で、ネコ科はまた違うのか?

 僕にとって犬に関する思い出が一番たくさんあるのは、十代末から二十代初めにかけて、浪人・大学生の頃(その後も出稼ぎみたいにしてやったことがありますが)、新聞配達をしていた頃のものです。配達人にとって、犬は重要な存在です。たいていの犬は顔なじみになると吠えなくなって、対応もフレンドリーになるものですが、中には性格の悪い犬がいて、いつまでもしつこく、卑怯にも安全な距離を保ちつつ吠え続ける者がいる。中には飼主がそばいるとよけいにカサにかかって吠えたてる犬がいるので、今「者」と書きましたが、僕は基本的に犬と人を区別しない、「犬人同視」の人間なので、そのようなサイテーな犬には腹を立てたものです。

 最初僕は東京新橋でそのアルバイトを始めました。仕事の真面目さが評価されて、試用期間三カ月が一ヶ月に短縮されたのですが、最初にやらかした失敗が犬にまつわるもので、配達区域の大半はビル街でしたが、中には民家も混じっていて、そのうち一軒にたいそう性格の悪い座敷犬がいたのです。朝刊は表のポストに入れるので問題ないが、夕刊は玄関の戸を開けて、「夕刊でーす」と呼ばわって中に廊下を滑らせるようにして投げ込む。するとその邪悪な犬が爪音も荒々しく飛び出してきて、目の前でキャンキャン吠えたてるのです。それだけではない、向かいの家に新聞を入れていると、今度は二階に上って、ごていねいにその窓からまた激しく吠えたてる。それが毎度で、最初に区域を案内して順路を教えてもらっている時からずっとそうでした。「うるさい犬ですね」と専業員の人に言うと、「あの犬は馬鹿なんだよ」と苦々しく言っていたので、相手かまわず、郵便屋さんにでも誰にでも、しつこく吠えたてるのです。

 あるとき、二階の窓から顔を出して吠えたてているその犬に、ついに僕は堪忍袋の緒を切らし、石をぶつけてやろうと思いましたが、あたり一帯がきれいに舗装されているので、悲しいかな、小石一つないのです。やっと見つけたのがタバコの吸い殻で、これでもないよりはましだと二階に向かって投げつけたところが、その窓がガラリと大きく開き、「何をしている!」とそこの主人が呼ばわるのです。面倒なことになったと思いながらも、「おたくのクソ犬に石をぶつけてやろうと思ったのだが、残念なことにそれがないので、代わりにたばこの吸い殻を投げつけたのだ」と正直に答えました。何という非礼だ!とその主人は激昂しました。うちは戦後三十年近くにわたって、他の新聞屋の勧誘には耳を貸さず、ずっとおたくから新聞を取り続けている。そういう上客に向かって、あるまじき態度で、これからすぐ店に電話をして、このことを言いつける、というのです。それまでは「まずいことになったな」と内心困惑していたものの、その言葉を聞いてカチンと来た僕は、「それなら勝手にそうしろ。自分のしつけの悪いクソ犬が無礼を働いていることは棚に上げて、よくもそんなことが言えるな。明日から他の新聞を取れ。誰がこんな家に配達してやるか!」と捨てゼリフを吐いたのです。

 果たして配達を終えて店に帰ると、中年の担当の専業員の人がひきつり笑いを浮かべて、「あのう、大野クン、今日は途中で何かなかったかね?」と言いました。「ありましたよ」と僕は憤然として答えました。やはり電話は入っていたのです。「あそこの新聞代は僕の給料から引いてもらって構いません。全くあの家の主人とクソ犬は許しがたい」と。すると、実はそのことなんだが、先方が言うには、よく考えると自分の方も悪かったので、明日以降もそのまま新聞を入れてほしいという話だったのだというのです。何? それで翌日配達に行くと、奥の方で犬が吠えているものの、押えられているらしく出てこないし、二階にのぼってほえることもない。ずっとそのままだったので、わが怒りは消えたのです。

 もう一匹、僕を怒らせた犬は、これは別の場所での話ですが、学生向けの安下宿が何棟も立ち並ぶ区画の、管理人か誰かが飼っている中型犬で、放し飼いにされていて、配達人が来ると、誰彼なくワンワン吠えたてながら後を追い回すという卑劣な犬でした。そのしつこさが半端ではない。ある日の夕刊配達時、僕は一計を案じて、その周辺にはうまい具合に石がいくらもあったので、手頃な大きさの小石を一つかみ、ジャンパーのポケットに入れておきました。果たして配達の間中、四、五メートルほどの距離を保ちながらずっとしつこく吠えながらついてくる。全部配り終わって、帰ると見せかけていきなり振り向くと、僕は猛ダッシュでその犬を追いかけました。予期せぬ行動にあわてた犬は、必死に逃げましたが、逃げ場を失ってある下宿屋の中に飛び込みました。そこは玄関が広くなっていて、両側に下駄箱が並んでいる、昔はよくあった造りです。犬は廊下に逃げ込みました。部屋は一階にも五つほどあるようでしたが、各部屋のドアは閉まっていて、逃げ道はもはやないのです(二階への階段はかなり急だった)。僕はポケットからゆっくり小石を取り出し、玄関に仁王立ちになったまま、狙いを定めて犬に投げつけました。そういうときはコントロールがよくなるので、五回のうち三発は動く標的に命中しました。キャインという悲鳴が上がる。ざまあみろ。これでお仕置きは十分だと思った僕は満足して帰りましたが、翌日行くとその犬は犬小屋にきちんとつながれていて、僕の姿を見ると、驚くべき早さで犬小屋に飛び込み、出てきませんでした。家の中に平気で石を投げ込んでいたわけだから、住人たちにとっては戦慄すべきことで、苦情が来てもよさそうなものでしたが、それは全くなかったのが不思議でした。あんなアンタッチャブルな配達人にはそんなことをしても効き目はないと思ったのかもしれませんが、ともかくわが心の平安は(おそらく他の配達人のそれも)回復されたのです。人の場合は話せば(脅せば?)わかるが、聞き分けのない犬相手にはこういうのしか手がなかったのです。

 こう書くと犬たちと僕の関係は悪かったように見えるかもしれませんが、大部分は非常に良好でした。僕は基本的に動物好きなので、犬に嫌われるタイプではないのです。中でも思い出深いのは、ある三階建てのアパートの管理人のおばさんが飼っていた雑種の大型犬です。そのときはバイクで配達していたのですが、その犬はバイクの音を聞き分けていて、僕のバイクの音がすると、犬小屋から飛び出して、長い鎖をジャラジャラいわせながらウォーミングアップを始めるのです。全部配り終わった後、僕は必ずその犬を相手に10分ぐらい遊んでいたからです。その犬は正面から体重を乗せて飛びかかるのが得意技でした。それで僕は意地悪をして、後ろへパッと下がって、鎖が伸び切って前足が空を切るように仕向けたのですが、敵もさるもので、彼はあるとき知らんぷりを装いました。そして、ちらりと横目で見ると、次の瞬間ワッと襲いかかってきたので、フェイント攻撃を仕掛けたのです。奇襲攻撃が成功して僕が尻もちをつくと、その犬は満足そうでした。雨の日にぬかるんだ土の上でやられたのではたまりませんが、晴れた日には時々そうやって花をもたせてあげないと犬の方も面白くない。

 同じ頃、柴犬を飼い出した家がありました。あの犬は可愛いものですが、子犬だとえくぼがあってことにそうです。それは庭の小さな柵で囲まれた犬小屋にいましたが、見る見る大きくなっていくのを見るのが楽しみで、おまえは足が太いからもっと大きくなるよ、などと言っていたのですが、あるとき、バイクを走らせていて、何者かが追ってくる気配に気づきました。見ると、その柴犬がこちらに向かって疾走しているのです。バイクを止めて犬を抱き上げながら不思議に思いましたが、大きくなって柵を飛び越えられるようになったから、追いかけてきたのでしょう。そのまま連れて帰りたい誘惑を覚えましたが、そうはいかない。配達はほとんど終わりかけていて、バイクの前かごは空だったので、そこに載せて僕は道を戻り、家まで送り届けました。幸いあたりの家々はまだ起きていない時間で、「誘拐犯」扱いされずに済みました。ちゃんと家にいないと駄目だよと言って下ろすと、こちらを見ていたが、今度は追ってこなかった。あれは賢い犬です。

 よく「犬は飼い主に似る」と言われます。たしかに、ブルドック系の犬を見て飼主を見ると、そちらも心なしかブルドック系だったりして笑えることがあるのですが、これは主に性格面のことを言ったものでしょう。飼主が偏狭傲慢で排他的な人間だと、犬もそうなりやすく、温厚な人が飼うと、犬も自然にフレンドリーになることが多いのです。むろん、フレンドリーだからといって番犬として無能だとはかぎらず、いざというときはたいへん頼りになったりするのです。僕がお仕置きしたような卑劣なクソ犬は、かんじんなときには物の役には立たない。犬を飼う人は、自分の隠れた面がその犬に反映され、それによって自分の本性が見抜かれてしまうこともあるのだと知っておいた方がいいでしょう。犬が立派なら、たいていは飼主もすぐれた人柄の持主なのです。vice versa(逆もまた真なり)。これは血統証なんかとは関係がない。

 子供が親をえらんで生まれてくるのと同じで、犬も飼主をえらぶのだと言ったのは、英国の精神科医、アーサー・ガーダムです。ペットショップで犬をえらぶときでも、その微妙な意思決定のプロセスには、犬からのアピールが働いていて、人は無意識に犬にえらばれているという側面もあるのです。だから飼主は、自分に見合った犬をえらんでしまう。その時点で、すでに犬柄と人柄はかなり一致しているのです。

 また、ガーダムによれば、犬は“昇格”して、人間に生まれ変わってくる可能性が最も高い動物の一つだということです。進化論的にヒトに近い猿は、人間に生まれ変わることはめったにない。それは彼らが「低級な動物の攻撃衝動を最大限に保持している」からで、これに対して「犬や猫に人間として生まれ変わる資格を与えるものは、彼らの人と平和に暮らし、受容的な態度のもてるその資質である」(『偉大なる異端』「第15章 魂の輪廻」)というのです。

 僕が若い頃、ある柴犬が隣家の赤ん坊を放し飼いにされた凶悪な犬どもの襲撃から守って、激闘の末死んだ、というニュースがありました。家族が短時間留守にした隙に、その赤ちゃんは襲われたのですが、危険を察知した隣の柴犬が命がけでそれを防ぎ、畳の上には多くの犬の足跡や血痕が残っていて、その柴犬は傷だらけでそこに倒れていた。それで調べた結果、そうしたことがわかったというのですが、ベビーベッドの赤ちゃんはおかげで傷一つなかったのです。凶暴な犬どもを放し飼いにしていたクソ男は警察から厳重注意を受けたという話でしたが、赤ちゃん殺人未遂、柴犬殺害の「間接正犯」として、刑務所送りにすべきだと、僕は憤ったものでした。

人間より百倍はエラい犬(名前は「太郎」だったと記憶しています)ですが、ガーダム説によれば、こういう立派な犬はほぼ間違いなく人間として生まれ変わってくるのです。おそらくそれは人間としても立派な部類の人として生まれ変わるのでしょう。昨今は猿の生まれ変わりとしか思えないような低級な人が増えているとしても、こういう犬はその魂の気高さゆえに、よき人として生まれ変わるのです。

 そんなことはありえない、と言う人たちと議論する気は僕にはありませんが、何にしても、犬というのはかなり個性の鮮明な動物で、高度なコミュニケーション能力をもつことは、いくらかでも犬と親しく接したことのある人たちにはおわかりでしょう。そして人間には犬の美質に学ぶことが少なくないので、今年はそれを反映したよい年になってもらいたいものです。

文大統領、韓流論理の「意味わからん」

2017.12.30.15:22

 ようやく正月休みとなったので、書きかけのブログを完成させておくことにしますが、この「意味わからん」という言葉は、小学生ぐらいの子供がよく使う言葉です。たとえば、母親に何かで叱られたとき、「おかあさんは意味わからん!」と言って、反論するのです。前回はこう言った、さらに前々回はこうで、今回はまた別のことを言っている。それらは相互に矛盾していて、一貫性というものがまるでないと、ロジカルに指摘するのです。

 痛いところを衝かれた母親は逆上して、「まあ、この子はなんて恐ろしい、性格の悪い子なんでしょう! そんな大昔のことまで覚えているなんて!」と言うのですが、それはそんなに「大昔」のことではない、前々回のことでさえ、僅か三ヵ月前にすぎなかったりするのです。しかし、子育てに奮闘中の母親としては、だんだん知恵がついてきて、言うことを素直に聞かなくなったわが子をもて余して、とにかくけしからんというので叱るうちに、前に言ったこととは矛盾したこともつい言ってしまうわけです。

 父親はそのやりとりを笑いながら聞いていて、「まあまあお二人さん…」と、そろそろ仲裁に入ろうかと思っていた矢先、突然火の粉がわが身に降りかかってきたのに驚きます。子供とのやりとりがヒートアップする中で、母親がこう叫ぶのです。「どうしてこの子は親の言うことが素直に聞けないのかしらね。そうよ、そういう素直でない邪悪なところは、おとうさんに似たのよ!」絵が上手だとか、人に親切だとかいったよいところは全部自分からの遺伝によるものだが、悪いところはすべて父親の劣等遺伝子のしわざなのです。だから早めに争いを収束させないと、いつもとばっちりを食うことになる。

 こういうのはどこの家庭にもある、笑い話で済むことですが、国家間の合意といったレベルの話になると、もはや笑いごとでは済まされない。「ゴールポストが動く」というのは韓国との交渉事では少しも珍しい話ではなく、今回も「またか…」という感じで受け止められているのですが、例の「最終的かつ不可逆的」と明文で謳われた例の慰安婦問題をめぐる合意が、実は少しも「最終的かつ不可逆的」ではなかったことが、韓国側によって高らかに宣言されたのです。あれは刑務所に収監された前大統領(そういう展開も韓国ではありふれたことですが)が「民意を無視して勝手にやったこと」なので、「正しい現政権」からすればそれは容認しがたく、従って「破棄、再交渉」するのが当然の権利であるという話になってしまうのです。国家間の合意であっても、内輪の論理がつねに優先する。だから韓国という国を相手にする場合には、骨を折って合意や契約に達し、正式に文書を取り交わしても、トップが変わればそれはいつ破棄されるかわからないので、少しも安心はできないのです。

 どういうわけでそうなるのか、今回の経過を新聞記事で少し見てみましょう。以下は日経新聞電子版12/27のものです。

【ソウル=鈴木壮太郎】韓国の康京和(カン・ギョンファ)外相直属の作業部会は27日、従軍慰安婦問題をめぐる2015年の日韓合意の検証結果の報告書を発表した。「被害者の意見を十分聴かないまま合意した」と指摘。「被害者が受け入れないかぎり、政府間で慰安婦問題の最終的・不可逆的解決を宣言しても、問題は再燃されるほかない」と結論づけた。
 国家間で取り交わした合意の交渉経緯を一方的に検証、暴露するのは国際的にも異例。韓国政府が合意を見直せば、日韓関係への悪影響は避けられない。康氏は同日の記者会見で検証結果を「真摯かつ謙虚に受け止める」と言明。「韓日関係に及ぼす影響も考慮しながら、政府の立場を慎重に決めたい」とも語った。
 一方、河野太郎外相は同日「日韓両政府の正当な交渉を経ており、合意に至る過程に問題があったとは考えられない」とする談話を発表した。「報告書に基づいて合意を変更しようとするのであれば日韓関係がマネージ不能となり、断じて受け入れられない」と合意の履行を求めた。
 報告書は朴槿恵(パク・クネ)前大統領が当初「慰安婦問題が進展しなければ首脳会談はしない」と慰安婦問題と日韓関係全般を連携づけたことが「韓日関係を悪化させた」と強調。その後、一転して15年内の交渉終結をめざしたことで「政策の混乱を招いた」と批判した。
 日本との交渉は元駐日大使の李丙琪(イ・ビョンギ)大統領秘書室長(当時)が主導したが「高官級協議は終始一貫して秘密交渉で進んだ」と指摘。在韓日本大使館前に設置された慰安婦を象徴する少女像の移転問題など「韓国に負担となる内容が公開されなかった」と問題視した。外務省は交渉の過程で「脇役にとどまり、核心争点について意見を十分に反映できなかった」とも指摘した。
 報告書は合意の経緯の分析に力点が置かれ、政府への合意見直しの勧告はなかった。韓国政府は報告書を踏まえ、元慰安婦らへの聞き取りもする予定。政府としての対処方針の決定は18年2月の平昌五輪後まで先送りされる見通しだ。


 うーん。「在韓日本大使館前に設置された慰安婦を象徴する少女像の移転問題など『韓国に負担となる内容が公開されなかった』と問題視した」とありますが、「外国公館前での侮辱行為を禁じたウィーン条約に違反している」として日本側が切に求めるあの「少女像の移転」は、たしか今も果たされていないはずで、「民間のやったこと(挺対協が2011年に設置)だから、政府がとやかくは言えません」ということで、そのままのはずです。十億円は受け取って、それを元慰安婦の女性たちに配布し始めた(過半数はすでに受け取った)が、挺対協などの愛国左翼団体(ベクトルは反対だが、そのご都合主義的な歴史歪曲において、日本の極右団体やネトウヨと同レベルの悪質なものと僕は理解しています)は、あれを反日政治運動のシンボルとして利用していて、文政権はそういう連中の「熱い支持」のもと誕生し、世論もそれに引っ張られているので、それをおもんぱかって「合意に沿った努力」は何もしていないのです。

 しかし、そもそもそういう「韓国に負担になる」話は“不正”に秘密裏に行われたものだから、無効なのだと、その作業部会なるものは言っているのです。「外務省は交渉の過程で『脇役にとどまり、核心争点について意見を十分に反映できなかった』」とあるのは、国家間の交渉だったはずなのに、外務省はつんぼ桟敷に置かれて、対等な交渉にならなかった、それは不当なことなので、その意味でも合意は無効とみなされるべきだ、そんな含みで言われていることなのでしょう。そういうのはこちらのあずかり知らないことで、たんなる韓国の国内事情によるものではないのかと言いたくなりますが、そうは全然思わないらしいところがいかにも“韓流”なのです。

 ともかくこれであの合意が「不正」なものだったのがわかった。日本人よ、わかったかということで、文大統領はそれを受けて次のように語ったとのこと。こちらは朝鮮日報日本版の記事(12/29 9:53配信)です。

 文在寅(ムン・ジェイン)大統領は28日、外交部(省に相当)長官直属の「韓日従軍慰安婦被害者問題合意検討タスクフォース(TF=作業部会)」が前日発表した報告書と関連して、2015年12月の韓日慰安婦合意を認めることはできないという見解を正式発表した。文大統領が発表した声明文は、事実上、合意を白紙化するという内容だ。しかし、外交消息筋は「韓日慰安婦合意がもたらす外交的影響を考慮し、合意破棄や再交渉要求は正式にはしないだろう」として、政府が「第3の案」を模索していることを示唆した。
 文大統領は同日、大統領府の朴洙賢(パク・スヒョン)報道官を通じて発表した声明文で、「この合意は両国首脳の追認を経た政府間の公式の約束だという負担にもかかわらず、私は大統領として、国民と共にこの合意で慰安婦問題は解決できないことをあらためてはっきりと述べる」と言った。韓日慰安婦合意文には「この問題(慰安婦問題)が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する」とある。文大統領の声明文は、これを認められないということになるため、「合意無効化宣言」という見方も出ている。大統領府関係者は記者らに「破棄や再交渉といった用語は適切ではない。後続措置を来月初めまでに用意する」と言ったが、隣にいた別の関係者は「白紙化」と言った。


「意味わからん」とはまさにこのことです。「文大統領が発表した声明文は、事実上、合意を白紙化するという内容」であるにもかかわらず、「外交消息筋は『韓日慰安婦合意がもたらす外交的影響を考慮し、合意破棄や再交渉要求は正式にはしないだろう』として、政府が『第3の案』を模索していることを示唆した」というのですから。

 要するに、それはこういうことなのでしょう。あの「合意」に基づく日本側の「十億円拠出」などは是とするが、大使館前やあちこちの慰安婦少女像の撤去などは「もってのほかの不当な要求」なので、それはそのまま放置し、その無限増殖(アメリカはもとより、世界中に拡散中)も許す。そして「謝罪」もこれまでのものではとうてい十分とは言えないので、「より深い、徹底した謝罪」を日本側から引き出す。それは実質的には「合意破棄・再交渉要求」ですが、そんなことをすると日本が怒るにきまっているから、表向きはそうせず、「後続措置」なるものを検討する、というのです。

 でも、どうやって? そんな名案はないので、日本側は合意は一方的に破棄されたとして、十億円の返還を要求し、最悪の場合は、「おまえらみたいな奴に誰が謝罪するか!」となって、そちらも撤回することになるでしょう。一昔前なら、間違いなく戦争になる。

 別の毎日電子版12/28 20:24記事によれば、

 文氏は声明で「被害者中心の解決と、国民とともにある外交という原則に基づき、早期に後続措置を検討」することを指示した。同時に対日関係を悪化させる意図はないと強調。歴史問題と他の協力案件は切り離す「2トラック外交」を推進していく考えを示した。

 というのですが、この慰安婦合意はたんなる「歴史問題」ではない。国家間で交わした正式な合意なのです。そちらを一方的に反故にしておいて、「あの件とは別に、友好的な日韓関係を構築しましょう」なんて屁理屈は韓国以外では絶対に通らないでしょう。

 要するに、英語ではお月様(Moon)になる文大統領は、相手国は無視した自分にだけ好都合なやり方を「2トラック外交」と称しているだけなのです。lunar(月の)から派生した名詞(形容詞の用法もある)に lunatic というのがあって、これは「愚か者・少々頭のいかれた人」の意味ですが、ルナティック大統領と呼ばれても仕方がない。僕は今後そう呼ぶつもりです。

 文大統領は先頃中国を訪問し、習近平のご機嫌を取り結ぼうとして失敗し、けんもほろろの扱いを受けて、韓国メディアは「中国の傲慢」を揃って非難したそうですが、何の効果もなかったとはいえ、文大統領がその際迎合手段に用いたのは「反日共感のアピール」でした。北朝鮮のミサイル危機のさなか、トランプが訪韓した際は、「独島エビ」なるものをメニューに入れ、元慰安婦のおばあちゃんをトランプに抱きつかせる演出までした(トランプは相手が何者なのか、知らなかったようですが)。THAAD配備をめぐって韓国はアメリカと中国の板挟みになり、どちらにも逆らえないのが辛いところですが、前任者の朴槿恵大統領の「言いつけ外交」と同じで、日本の悪口を言ってさえいれば立場がよくなるかのごとく錯覚しているのです。国内向けにはそれが有効だというのなら、韓国人というのはつける薬のない馬鹿の集まりだということになるでしょう。

 実際、こうした韓国政府の無思慮な対応はかつてないほど日本人の嫌韓感情を高め、右翼の世論浸透力を増大させた。根は嫌韓の安倍政権のサポートにもしっかりなっている。アメリカ政府も内心アホではないかと思っているのはたしかで、中国は日韓が不仲の方がいいから「もっとやれ」と煽るでしょうが、腹の中には侮蔑心しかない。それで韓国に何か得をすることがあるのか? 李氏朝鮮の昔から、かの国は「事大主義」外交にこれ努め、それは要するに日和見外交でしかなかったわけですが、中国に日和ったり、日本に日和ったり、ロシアに日和ったり、とにかく節操も何もなかった。無駄にプライドだけ高いのは今と同じですが、それで信用が得られることはなく、その事大先も冷徹な現実認識に基づくものではなかったため、かえって自国の安全を害する結果になったのです。公の観念はどこへやらの、両班たちの私利私欲に基づくいじましい権力闘争と民衆搾取もひどかった。昔両班、今政治家・国家官僚と財閥で、基本的にそのあたり何も変わっていないように思われます。今はそのお粗末を糊塗するために反日感情を煽っているだけなのではありませんか。

 個人間でも、企業間でも、国家間でも、交渉事というものは相互の譲り合いなくしてはまとまりません。一方的な自己主張を双方が続けたのでは子供の喧嘩にしかならない。韓国の場合には、「こちらの言い分を全部呑め」と言っているのと同じで、それが客観的に正しいのならまだしも、札付きの愛国左翼団体が主張する史実無視の嘘まで受け入れろと言うのだから、それはどだい無理な話なのです。

 僕が「あの国はもう駄目だな…」と思ったのは、『帝国の慰安婦』の著者、朴裕河教授に対する執拗な訴訟です。民事だけでは飽き足らず、刑事告訴までした。その内容が百%正しいかどうかは知りませんが、あれは僕に判断できるかぎりでは実に良心的な本です。どこに慰安婦の心を深く傷つけるような内容があるのかさっぱりわからない。あれは慰安婦の女性たちの人間性に対する敬意に満ちていると、僕には感じられました。その言葉尻を文脈抜きに捉えての論難は、いちじるしくイデオロギー的なもので、文学的な感受性がまるで欠けているからああいう難癖になるのではないかとしか思えないものです。

 朴裕河さんのようなアプローチですら許されないという国と国民相手に、どうやって和解しろと言うのでしょうか? 天皇陛下を元慰安婦女性たちの前で土下座させるまでしないと、彼らは許さないかもしれません。いや、それでもまだ日本にかつての植民地支配を正当化するような主張をする人間がいるかぎり許さないと言うでしょう。他でもない、挺対協のような異常な団体の執拗な反日プロパガンダのおかげで、日本ではそういう人が増えてしまったのですが。

 文政権は平昌五輪に合わせて安倍首相の訪韓を要請しているようですが、今回の件でそれに応じない決心をしたことは確実でしょう。首相が誰でも、これでは行くはずがない。再交渉に日本政府が応じるはずもない。これまた、誰が首相でも同じです。

 韓国政府は今後、どうするつもりなのか? 先ほどの朝鮮日報記事はこう続けています。

 しかし、合意破棄を要求する関連団体の考えと「対日外交」のはざまで代案を見いだすのは容易でない。作業部会が検討結果報告書で「非公開部分」として記述した事項に対する見解をどう整理するかで、ジレンマに陥っているという。
 作業部会の発表によると、朴槿恵(パク・クネ)政権は韓日慰安婦合意時、「第三国における慰安婦関連の像・碑設置」について「このような動きを支援しない」と言ったという。また、「韓国政府は今後、『性奴隷』という言葉を使用しないでほしい」という日本の要請にも「韓国政府の公式名称は『日本軍慰安婦被害者問題』だけ」と答えていたとされる。慰安婦関連団体などはこれを「裏合意」と規定し、政府もこれを積極的には否定していない。そうならば、文在寅政権としては海外での少女像設置を支援し、「性奴隷」という表現も使わなければならないことになる。しかし、それでは国際社会に対して「合意破棄」という負担を抱えることになる。
 政府が「『非公開内容』は両国間の『合意』ではなく、前政権が発表した『政府見解』に過ぎない」という論理を持ち出してくる可能性もある。これなら「見解変更」をしても合意破棄ではないと主張することができる。だが、そうすれば、「朴槿恵政権が裏合意をした」と批判する余地がなくなる。「政府は今後『性奴隷』という言葉を使い、国際社会において第三国での慰安婦関連像・碑の設置を支援するのか」という質問に、魯圭悳(ノ・ギュドク)外交部報道官ははっきりとは答えず、「政府措置内容にこうした内容も含まれると思う」とだけ言った。
 大統領府は「作業部会の報告書発表後に文大統領と安倍晋三首相の電話会談は行われておらず、今後も予定はない」と明らかにした。しかし、政府は韓日関係の悪化が韓米関係に及ぼす影響を考慮し、報告書の内容と今後の政府方針について米国とは意見を交わしたとのことだ。


 全くもって面妖な「意味わからん」議論ですが、要するに、近代国家にはあるまじき整合性のない対応を、どう正当化するかに文政権はこれから腐心することになるということです。どんな理屈をこじつけたところで、それは所詮屁理屈でしかない。わが国としてはそうした「本末転倒の李氏朝鮮的形式論理」にお付き合いする必要は毛頭ないわけで、韓国は自らを窮地に陥れるだけになるでしょう。

 そうすると、韓国はまた自らを被害者として日本を悪しざまに言うかもしれませんが、そういうのはもうほっとけばいい。ただ、またぞろ嘘を言い散らかされては困るので、外国に向けては辛抱強く、どうしてこうなったかという経緯をきちんと説明し続けなければならないでしょう。

 これで北朝鮮問題に対する協力関係の構築も一段と難しくなるでしょうが、それは致し方のないことなので、独自の情報網の確立など、韓国を当てにしなくてもすむように、そこらへんはできるかぎりの対応を取ってもらいたいものです。日韓が不仲では困ると、あの慰安婦合意もアメリカのプッシュがあって成ったもののようでしたが、文政権でまたそれは白紙化したのです。アメリカも「またか…」と顔をしかめているでしょうが、「これが韓国なのだ」という認識を新たに、先に進むしかありません。文大統領は親北朝鮮で有名ですが、北朝鮮と韓国のどちらが日本にとっては面倒な国なのか、わからないと言う他はありません。僕にはこれは「彼我の歴史認識の差」というより、精神病理学的な問題の側面の方が強いように思われます。「恨(ハン)の文化」と言いますが、この種の他罰主義の権化みたいな一方的な執拗さは「文化」というより「病理」の範疇に入るでしょう。

 尚、挺対協その他の団体は、あの一方的な誇張された主張と共に、今後も世界中に「従軍慰安婦像」をばらまく「運動」を続けるでしょう。それに対しては、慰安婦問題に関するできるだけ公正・客観的な英文資料(それはネトウヨ的な好都合な主張を並べただけのものであってはなりません。それでは彼らと同じレベルになる)を作成し、日本人に対してもその和訳を公開した上で、世界中の政治家、文化人、歴史研究者たちに国費で無料配布するなど、それに応じた措置を取るべきだと思います。ヒステリックにではなく、あくまで冷静にそうするのです。聡明で行動力もある河野外相に期待します。

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