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文政権「愛の不時着」から「愛の遭難」へ

2020.06.17(18:04) 731

 6・15南北共同宣言20周年から一夜明けたばかりの16日、北朝鮮が開城の南北共同連絡事務所ビルを爆破した。韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領は前日、6・15宣言20周年に合わせて「南北が共に突破口を見いだしていく時期になった」として、北朝鮮に対話を求めた。しかし文大統領の「ラブコール」のすぐ翌日、北朝鮮は2018年に南北首脳間でまとまった「4・27板門店宣言」の象徴である連絡事務所を爆破するという形で答えた。(6/17 朝鮮日報「文大統領が「突破口を見いだそう」と言った翌日…北はこれ見よがしに爆破」より)

 韓流ドラマにはハラハラドキドキの「先の読めない展開」が不可欠なので、その伝で行くとまだわからないことになりますが、この現実の南北政治ドラマは見たところ、ハッピーエンドには向かっていないようです。というのも、北の脱北者団体散布のビラに激しい非難を浴びせかけた北朝鮮に対して、韓国文政権は「禁止します」とすばやく応じたものの、かつての自民のあの豊田議員みたいに「ち・が・う・だ・ろ!」と罵倒を返して、韓国側が17億円かけて建設したという南北連絡事務所の建物の爆破をもって応じたからです。

 これに先立って、文政権関係者は「北朝鮮への思いやり」を様々に示していました。その周到な配慮たるや、日本にもその十分の一ぐらいは示していただきたいものだと思われるほどのもので、朝鮮日報(6/16「北に侮辱された韓国与党勢力『米国のせい』『北朝鮮も首を押さえ付けられ息ができない』」)にはこうあります。

 韓国与党・共に民主党の執行部と議員らは15日、最近になって立て続けに軍事挑発を予告した北朝鮮について「その立場を理解する」という趣旨の主張を始めた。文在寅(ムン・ジェイン)大統領を何度も冒とくし、韓半島を緊張状態に追いやろうとする北朝鮮に対して厳しい姿勢で警告するのではなく、韓国と米国の責任論を提起し、北朝鮮向けビラ散布の禁止に加え、「韓米合同軍事演習の中断」まで主張し始めたのだ。「米国に言うべきことは言わねばならない」との主張まで出た。(中略)

 北朝鮮は今月4日の金与正(キム・ヨジョン)労働党第1副部長の談話以降、10日以上にわたり韓国政府と文大統領を激しく誹謗(ひぼう)してきた。しかし与党・共に民主党は北朝鮮によるこれら一連の行動について「脱北民団体による北朝鮮向けビラ散布が原因」と主張している。同党の金太年(キム・テニョン)院内代表はこの日開催された党の会議で北朝鮮へのビラ散布問題を取り上げ「南北間の武力衝突をも起こしかねない心理戦であり、境界地域住民の安全を危険にさらす平和犯罪行為だ」と指摘した。青瓦台(韓国大統領府)国政企画状況室長を務めた尹建永(ユン・ゴンヨン)議員はあるラジオ番組で「(北朝鮮向けビラ散布を阻止しなかったことは、政府の)職務遺棄だ」と主張した。

 共に民主党6・15南北共同宣言特別委員会の委員長を務める金漢正(キム・ハンジョン)議員もラジオ番組で、北朝鮮が最近になって連日のように挑発のレベルを高めていることについて「根本的には経済制裁が解除されないことが原因だ」と主張した。金議員は「今、北朝鮮は非常に困難な状況にある。今も継続する制裁によって経済が大変で、コロナまで重なった。南北関係においても大きな期待はできないし、対米交渉は中断あるいはほぼ無効化した」「北朝鮮はその挫折感と失望を極端な形で表現している」との見方を示した。この日、国会外交統一委員長に選出された宋永吉(ソン・ヨンギル)議員も「2年前に文大統領が平壌を訪問した際に北朝鮮は平壌宣言を行い、白頭山にまで案内し、5・1競技場では文大統領にマイクを提供するなど彼らなりに配慮したが、何も返ってくるものがなかったため、耐えられない状況になった」と主張した。宋議員は北朝鮮における経済の現状について「(米国で警察官に首を押さえ付けられ死亡した)ジョージ・フロイド氏は息ができないと言った。それと同じような状況ではないかと思う」との見方も示した。

 与党議員らはこれらの問題に対する解決策として「米国が北朝鮮に対する制裁を解除すべきだ」と主張した。金太年・院内代表は「制裁と圧迫一辺倒の対北強硬政策は、北朝鮮の非核化も達成できないし、東北アジアで新冷戦秩序を強化するだけだ」「開城工業団地と金剛山観光が早期に再開できるよう、米国には制裁の例外を認めるよう求める」と述べた。洪翼杓(ホン・イクピョ)議員はラジオで「韓米合同軍事演習などさまざまな形の軍事訓練は、実際のところ北朝鮮の立場に配慮していない」として「強い覚悟でこの問題を再検討すべきときになった」と指摘した。韓米合同軍事演習を事実上やめようという主張だ。

 南北関係発展と北朝鮮非核化を並行して進展させるため立ち上げられた韓米ワーキンググループについて、与党では「南北関係改善を妨害する『大きなくぎ』」とする見方も浮上している。洪翼杓・議員は「北朝鮮との実質的な経済協力、南北首脳間の合意事項、さらには当局間の合意内容を実行に移そうとする際にはいつも韓米ワーキンググループが全て妨害してきた」「屋上屋(無駄なもの)となっているワーキンググループの構造を今後は整理すべきときになった」と主張した。丁世鉉(チョン・セヒョン)民主平和統一諮問会議首席副議長はこの日ラジオで「わが国政府が北朝鮮からこれほどの侮辱とあざけりを受けるようにしたのは、実際は米国だった」「米国に対して言うべきことは言わねばならない」と指摘した。


 あえて長々と引用したのは、「これは“北朝鮮寄り”というより、“北朝鮮そのもの”ではないか?」とあらためて驚いたからです。金正恩の部下がそこにいるので、韓国はもはや独立した国家ではない。ところがそこに、連絡事務所爆破をもって応じられたので、文政権は周章狼狽、ホンネではけしからんと思わなくても、そういうポーズは取らないと韓国民を怒らせてしまうので、次のようなコメントを発したというのです。冒頭の朝鮮日報記事の続き。

 文大統領は前日、青瓦台(韓国大統領府)の会議で「これ以上条件の好転を待つばかりでいることはできない時まできた」として「韓半島の運命の主人にふさわしく、南と北が自ら決定して推進できる事業を積極的に探し出して実践していくことを望む」と語った。6・15宣言20周年記念式典の祝辞でも「南北が自主的にできる事業も明らかにある」としつつ「北朝鮮にも、対話の窓を閉ざさないことを要請する」と発言した。

 南北協力事業の意志まで表明していた青瓦台は、16日の連絡事務所爆破のニュースに当惑を隠せなかった。青瓦台内部からも「文在寅政権の任期中ずっと推進してきた『韓半島平和プロセス』が最大の危機的局面を迎えた」という懸念が示された。与党関係者も「北側が事実上、板門店宣言を破棄したものとみられる」とし「9・19軍事合意(2018年)破棄など後続の軍事措置までついてきた場合、最悪の南北関係が予想される」と指摘した。

 青瓦台と韓国政府は16日午後、対北強硬メッセージを打ち出した。青瓦台は16日、北朝鮮が連絡事務所ビルを爆破してから2時間16分後の午後5時5分、鄭義溶(チョン・ウィヨン)国家安保室長主催で国家安全保障会議(NSC)を招集した。さらに午後6時40分、「2018年の『板門店宣言』によって開設した南北共同連絡事務所ビルを北側が一方的に爆破したことに対し、強い遺憾を表明する」と発表した。

 NSC事務処長の金有根(キム・ユグン)安保室第1次長はブリーフィングで「北の南北共同連絡事務所破壊は南北関係の発展と韓半島の平和定着を望む全ての人の期待に背いてしまう行為」だとしつつ「これにより発生するあらゆる事態の責任は全て北側にあるということをはっきりさせておく」と発言した。その上で金次長は「北側が引き続き状況を悪化させる措置を取る場合、われわれはそれに強く対応するであろうことを厳重に警告する」と語った。これまで北朝鮮の反発を意識して、南北合意を強調しつつ北朝鮮に対し批判は行わなかった青瓦台が、異例のメッセージを発信したのだ。この日北朝鮮を批判した金有根・第1次長は、11日の時点では対北ビラについて「今後対北ビラおよび物品の散布行為を徹底して取り締まり、違反時には法に基づいて厳正に対応する」と発言していた。青瓦台の中心的関係者は「北朝鮮がしばらく状況を悪化させないことを望んでいたが、そういう期待を正面から破られたようで残念」と語った。それほどに開城連絡事務所爆破を深刻な事案として受け止めたという意味だ。国防部(省に相当)も青瓦台の発表後、「わが軍は現在の安保状況に関連し、北朝鮮軍の動向を24時間綿密に監視しつつ確固たる軍事的備えの態勢を維持している」とし「北朝鮮が軍事的挑発行為を敢行したら、わが軍はこれに強く対応する」とコメントした。

 統一部も、青瓦台のNSC会議後に「きょう午後3時40分ごろ、連絡事務所に対する電気の供給を中断した」と発表した。徐虎(ソ・ホ)統一部次官は「南北関係において前例を見いだし得ない非常識的な、あってはならない行為であって、これに深い遺憾を表し、強く抗議する」とし「北側は今回の行動について応分の責任を負わなければならない」と発言した。

 さらに徐次官は「2018年板門店宣言に違反し、南北共同連絡事務所の構成・運営に関する合意書の一方的な破棄」だとして「これまでの北側の荒っぽい発言や一方的な通信遮断に続く南北共同連絡事務所破壊は、わが国民だけでなく世界を驚愕(きょうがく)させた」「6・15共同宣言20周年の翌日に繰り広げられたこうした行為は、韓半島の平和を望む全ての人の念願に背くもの」と主張した。


 やっと「ノーマル」な対応に変わりかけたわけですが、爆破は予告されていたのであり、「これは脅しではない」と北朝鮮は言っていたのだから、読みが恐ろしく甘いわけです。そして先の与党議員の数々の迎合発言からも、一貫した対応が文政権にとれるのかどうかは疑わしい。北朝鮮側は相手が弱腰の文政権だから連絡事務所爆破ぐらいでは軍事衝突につながることはないと安心して、それを強行したので、多くの論説が主張しているように、「四の五の言わずに、アメリカの制裁に加担せず、気前のいい経済援助を寄越せ」というのが最大のメッセージでしょう。このままでは確実に餓死者が出る。金正恩としてはそれはかまわないが、平壌ですら配給が滞り、体制を支えるクラスの不満も大きくなっているので、早く手を打たないと何より大事な金王朝が崩壊する。それは何としても避けねばならず、南朝鮮の“子分”ども(その筆頭が文在寅)に最大限の支援をさせる必要がある、ということで、こうなったのでしょう。

 文政権が見誤っていたのは、「北朝鮮の困窮の度合い」で、「経済制裁の上にあのコロナで、悠長に『今後の協力』がどうのと言っている場合ではないのだ。早くカネと援助物資を寄越せ!」ということなのだろうと思われるのです。ビラの件はきっかけにすぎない。この前の選挙で文政権は大勝したので、政権基盤も安定してすぐにも援助に向かうだろうと思っていたら、一向その動きがないので、ブチ切れたのです。韓国も「西側の基準」では経済的に逼迫しているのですが、それは北朝鮮とは全くレベルが違う。なのに、そのあたり鈍感だから、「口だけでなく、カネとモノで“愛の証”を示せ!」と言っているのです。パラグライダーで南の財閥令嬢が飛んでくるのならまだしも、「北は悪い国、金正恩は悪い奴です」という悪口を書いた風船もどきが大量に飛んでくるのだから、折も折、「我慢も限界に達した」ということだったのでしょう。カネもないのに無理してミサイルを飛ばしまくっても、アメリカは無反応で、それをなだめるために経済制裁の緩和を考える気配もないし、いつもの瀬戸際外交が機能していないので、こうなったら“属国”的性格を強める南朝鮮を責め立てるしかない。そういうことなのだろうと僕は解釈します。

 気になるのは中国の動向で、報道官は「(爆破の件は)把握していない」というそっけないコメントをしたそうですが、戦争になっては困るものの、「北主導の朝鮮半島統一」は共産党一党独裁の中国の国益にかなうので、韓国が北朝鮮に譲歩し続けて、アメリカとの距離を広げることも、むしろ歓迎すべきことと考えているのでしょう。

 次の記事は中国事情に詳しい近藤大介氏のものです。

中国の北朝鮮ウォッチャーが読み解く金正恩体制の今

 いまからちょうど2年前、6月12日にシンガポールで、ドナルド・トランプ大統領と金正恩委員長の歴史的な米朝首脳会談が実現したが、その最大の立役者は文在寅大統領だった。その後も文大統領は金委員長に、「トランプは、『(朝鮮)半島の問題は全部あなたに任せる』と言ってくれているので、何も心配はいらない」「トランプが考えているのは自分の再選だけだから、そのためには何でも妥協する」などと説き続けたという。

 文在寅大統領はその一方で、トランプ大統領に対しても、「金正恩委員長は私の言うことは何でも聞くから、私に任せてほしい」「北朝鮮は、国連の経済制裁解除を目の前にぶら下げてやりさえすれば、何でもやる」などと、やはり調子のいいことを進言してきたと、北朝鮮の幹部たちは言う。

 ところが、文大統領の強い後押しを受けて昨年2月、ハノイでの2度目の米朝首脳会談に臨んだら、トランプ大統領は金委員長に対して、文大統領が言っていたこととは全然違うことを要求した。すなわち、古い寧辺(ニョンビョン)の核施設さえ破棄すれば、国連の経済制裁を解くということだったのに、他のあらゆる関連施設もすべて破棄するよう求めてきたというのだ。

 金正恩委員長はハノイで、「文在寅に騙された」と、怒り心頭になった。それで帰国後、文在寅政権に「責任を取って何とか収拾しろ」と迫ったが、文政権は1年以上経っても何も手を打てないでいる。アメリカを説得できないどころか、韓国から北朝鮮を非難するビラを撒いたりして、自国の統制すらもできない。それで北朝鮮は、堪忍袋の緒が切れて爆破行為に及んだのだ。

――今回、金正恩委員長の妹である金与正(キム・ヨジョン)第一副部長が、爆破の3日前に声明を出し、「(韓国と)決別する時が来たようだ。遠からず無用となった北南共同連絡事務所が跡形もなく崩壊する悲惨な光景を目にすることになるだろう」と予告していた。こうした点をどう見ているか?

 昨年2月のハノイ会談の前、「文在寅大統領は信じられる人間だ」と言って、2度目の米朝首脳会談に消極的な兄(金委員長)を強く説得したのが、金与正副部長だった。ところが結果は、ノーディール。それで与正副部長の国内での立場が悪化し、政治局員候補を辞任。昨年末まで謹慎状態を余儀なくされた。こうしたことから、与正副部長の文在寅大統領に対する怒りも、兄に劣らず強烈だと聞いている。


 この説によれば、根は文大統領がその仲介役を自慢しまくった「歴史的な米朝首脳会談」のお粗末な結果にあったという話です。それで北の「最高尊厳」と「第二尊厳」の金兄妹は、「文は無責任で、役に立たない」と怒りを募らせた。「恥をかかされただけだ」と思ったのです。哀れな文大統領は、西側先進諸国の首脳にも「制裁解除」を説いて回って、「金正恩の使い走り」扱いされ、全く相手にされなかったのですが、そうした「愛の献身」も北朝鮮には何ら評価されなかったのです。

 ふうむ…。あの韓流ドラマ『愛の不時着』ではすぐに愛が目覚め、実はその愛はすでにその何年か前のスイスでの出会いに遡る“運命的”なものであったことが判明するのですが、文大統領版『愛の不時着』では逆に、2年前の「不実な対応」が今回の「ビラでブチ切れ」反応の伏線になっていたというのです。あれから北朝鮮の事態はさらに深刻になっているのに、あのときと同様、リップサービスばかりで助けるようなことは何もしない。「愛を囁きながら、あいつは一体何をやっているのだ!」と、文側の募る愛とは裏腹に、金兄妹は怒りを爆発させたのです。それが公正に見て妥当なものかどうかとは関係がない。

 これだと「愛の遭難」ではないのか、ということで、タイトルにその言葉を使ったのですが、こういうのは片思いではありがちなことで、そういえば自分も若い頃一度…と昔のことを思い出したのですが、文さんにはお気の毒ながら、決してうまく行かない定めなのです。そういうのは片務的なものになってしまうからで、相手はこちらの好意に気づいているから、いくら悪態ついても、約束を破っても怒らないと思って、じっさい情けないことにそうなってしまうのですが、何かしてもらっても、それは当然だと思っているから、感謝されることはなく、逆に期待したものが得られないと、それには腹を立てる。そもそもの話、そういう言いなりの対応をする相手に、人は恋情なんか抱かないものなのです。

 だから韓国文政権は、もういい加減目を覚ました方がいい。でないと北朝鮮は今後も際限もなく降り回しを続けて、朝鮮半島情勢は混迷を極め、不安定きわまりなかった李氏朝鮮の昔と同じで、周辺諸国には大きな迷惑になる。個人の恋愛と違って、影響が広範囲に及ぶのです。そもそもの話、彼には相手の正体がわかっていない。文政権は日本にはいくらひどいことを言っても許されると思い込んでいるが、それは甘えで、日本を“性悪女”扱いしつつ、実はそうでないことを無意識に知っているからでしょう。しかし、「恋は盲目」だからわかっていないのでしょうが、北朝鮮は正真正銘の“性悪女”なのです。歴史に学べば、それは歴然としている。それが見抜けないというのは哀れと言う他ありません。金王朝は崩壊の危機に立たされているわけですが、あんな時代錯誤の恐怖政治の源泉、倒れるのが正解なので、いっとき混乱はあるでしょうが、長い目で見れば、それは北朝鮮・韓国人民双方にとってプラスになるので、統一を可能にする最大の条件も実はそれなのです(中国は喜ばないでしょうが、あの独裁国家自体がもう一つの問題です)。賢くそちらに誘導していくのが先見の明ある政治家というもので、三手先も読めないヘボ将棋をいつまで続けるのか、無能な文政権ではそれは打開できないので、次か次の次の政権に期待するしかありませんが、結末が見えた「愛の遭難」ドラマをいつまでも続けるのは愚かすぎるというものです。


祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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生命の悠久の旅

2020.06.16(16:30) 730

 おととい日曜の、とても6月半ばとは思えない猛烈な蒸し暑さには参りました。僕は寒いのは苦手ですが、暑さは割と平気なので、自室は「生涯クーラーなし」を貫こうと思っているものの、地球温暖化で「クーラーか、死か」という選択をそのうち迫られそうです。

 以上は無関係な前置きで、地球上の生命の起源について、東北大の研究者が新説を発表したそうです。河北新報オンラインの記事。

生命の起源は隕石衝突にあり? 東北大院、アミノ酸生成の仕組み解明

 地方新聞の記事などは短期間で消えてしまうことがあるので、念のため全文をコピペしておくと、

 生命誕生前の太古の地球で、隕石(いんせき)や小惑星の海洋への衝突がきっかけとなり、生命の材料分子となるアミノ酸が生成されたことが東北大大学院理学研究科の古川善博准教授(地球化学)らのグループの研究で明らかになった。生命の起源解明の手掛かりになる可能性がある。8日、英科学誌に発表した。
 隕石に含まれる鉄などの鉱物と、当時の大気中の主成分だった二酸化炭素や窒素が反応してアミノ酸が生じる仕組みを、模擬実験で解明した。古川准教授は「地球に普遍的に存在した大気成分から、生命を構成する分子が生成された可能性がある」と話している。
 研究グループは実験で、鉄などの鉱物と水、二酸化炭素や窒素を入れた金属容器に、秒速約1キロで金属を衝突させて化学反応を調べた。グリシン、アラニンの2種類のアミノ酸の生成を確認できたという。
 約46億年前に誕生した地球には無機物しかなかったと考えられており、生命の起源につながるアミノ酸など有機物の生成過程は詳しく分かっていなかった。宇宙空間から飛来した隕石などに、有機物が含まれていたとの学説もある。
 古川准教授らのグループは同じ研究論文で、約40億年前の火星の状態にも言及。地球と同様に二酸化炭素や窒素を含む大気で覆われ、海も存在し、隕石が衝突した時期もあったと考えられるため、「アミノ酸が生成していた可能性を示している」と指摘した。


 この記事には生命の誕生がいつだったかは書かれていませんが、一般には、「地球が誕生したのが約46億年前、生命の誕生は約 38億年前」とされています。その生命の素材となるものがアミノ酸なので、その生成のきっかけが「隕石や小惑星の海洋への衝突」だったのではないかという仮説です。その際生じた化学反応がアミノ酸を生み出したわけです。

 火星に生命が生まれていた可能性の指摘も興味深い。そこで先に生命が誕生、進化し、荒唐無稽と科学者たちには笑われそうですが、高度な進化を遂げた「火星人」が住めなくなる前にそこを脱出していて、今地球を訪れているエイリアンにはその子孫も含まれているかもしれないと想像してみると面白いでしょう(公式にはUFOもエイリアンも存在しないことになっていますが、エイリアン関係の研究書の訳本を出す準備をしている僕自身は、むろんそんな公式見解には同意していないわけです)。

 この生命誕生のミステリーについては、他に「パンスペルミア説」というのがあります。これにも様々な説があるのですが、一般的なのは、隕石とか彗星に「生命の胚芽」となるものが付着するとか、中に含まれるとかしていて、それが地球に飛来して生命進化が始まった、というものです。ウィキペディアでその項目を見ると、中には次のような説まであるという。

 1981年にはフランシス・クリックとレスリー・オーゲルが、高度に進化した宇宙生物が生命の種子を地球に送り込んだ、とする仮説を提唱した。「地球が誕生する以前の知的生命体が、意図的に『種まき』をした」とする説は「意図的パンスペルミア」と呼ばれている。これは、一般的なセンスではまるでサイエンス・フィクションのようにも聞こえる説ではあるが、クリックはこの説の生物学的な根拠を提示した。現在の地球上の生物ではモリブデンが必須微量元素と重要な役割を果たしているが、クロムとニッケルは重要な役割を果たしていない。しかし、地球の組成はクロムとニッケルが多く、モリブデンはわずかしか存在しない。これは、モリブデンが豊富な星で生命が誕生した名残だと考えることができる、としたのである。もうひとつの論拠として、地球上の生物の遺伝暗号がおどろくほどに共通したしくみになっているのは、そもそも「たったひとつの種」がまかれて、その種から地球上の全ての生物に変化していったのだ、と考えられる、としたのである。

 こういうのは「状況証拠」だけで犯人を特定しようとする警察みたいな感じで、論拠としてはちょっと弱いな、という感じですが、可能性としてはあり得ないことではない。何にしても、それから38億年もかけて生命はここまで進化したのです。その途中には何度も生物の大部分が死滅する危機が訪れた。一番新しいのは6600万年前のそれで、最近ではその原因は小惑星の衝突と、連鎖反応的に起きた一連の出来事によるということで大方の意見の一致を見ているようですが、恐竜たちはそれで絶滅し、そのとき地球上に存在していた生物の約75%が姿を消したとされているのです。

 あのまま「恐竜の天下」が続いていたら、現在の人類はありえなかったわけで、その頃恐竜たちにおびえながら暮らしていたネズミみたいな哺乳類(原猿類)が人類の先祖だと言われていますが、恐竜がいなくなったおかげで、彼らは勢力を拡大し、多様な進化を遂げることができるようになったのです。ここにも何度も書いているように、今はそれ以来の生物大量絶滅の時代です。今回のは人為的な要素が強いから、僕らはそれに対して全面的な責任があるのですが、このままそれが進んで人類も絶滅したとすれば、ポスト人類はどんな生物になるのでしょう? ゴキブリあたりは丈夫で、3億年も前からいると言われているので、彼らは今回も生き延びそうです。それで、人類絶滅後に特殊な進化を遂げて、ゴキブリ型知的生物が誕生することになる可能性も十分ある。彼らは何百万年後には高度な文明を発達させ、今の人類が恐竜を懐かしがるのと同じで「ヒト博物館」なんかを作って、「あんまり賢くなくて、自業自得で絶滅したけど、昔はこういう変わった生物が地球を支配している時代もあったのだ」とその新型ゴキブリのオトナは子供たちに教えるのです。子供たちの間では、「ヘンだけどカッコいい!」ということでヒトが大人気になるかも知れない。人間の子供に恐竜ファンが多いのと同じです。

 そんな、ゴキブリ型知的生物なんて、あるはずがないでしょうと笑う(女性の場合は強い嫌悪感を示す)人が多いでしょうが、それは想像力の貧困というものです。僕は今回エイリアン関係本を訳すにあたって、その方面の情報もあらためていくらか仕込んだのですが、エイリアンには、あのおなじみの目の大きなグレイや金髪のヒューマノイドだけでなく、爬虫類型とか、ゴキブリやカマキリみたいな昆虫型もいるらしいのです。それらは「知的生物」であるわけでしょう? はるか昔、文明以前の人類の前に、水陸両性の半魚人みたいな宇宙人が現われて、それが天文学や各種の技術・知識を教えた、なんて伝説をもつ民族までいる。「知的」と言えば哺乳類にかぎると決め込んで、イルカは知能が高いから、ポスト人類はイルカになるだろうなんてのは単純すぎるのです。大体、人類が絶滅する頃には、海も深刻に汚染されていて、デリケートなイルカたちの方が先に死滅してしまっている可能性の方が高い。その点、ゴキブリあたりだと…と僕は想像するのです。ゴキブリの美人とかイケメンとかはどういう基準になるのかわかりませんが、彼らの世界ではたぶんそういうのもちゃんとあるのです。それでゴキブリ型知的生物版『愛の不時着』が何百万年後には製作されて大人気を博すかもしれない。彼らの場合、パラグライダーなんか使わなくても飛べるので、別の凝った設定がまた必要になってくるとは思いますが…。

 話を少し戻して、いわゆる「真核生物」が出現したのが15億年前、多細胞生物の誕生が9~10億年前だったと言われています。哺乳類は2億2000万年前、霊長類は1億~7000万年ほど前。定義にもよりますが、ヒトに近い動物は600~500万年前に出現した。それから猿人、原人、旧人類(ネアンデルタール人はこれに分類される)と続いて、直接の祖先と言える新人類、ホモ・サピエンスが誕生したのが25~20万年前。学校の教科書などに出てくる世界最古のシュメール文明とか、エーゲ文明が生まれたのが紀元前3000年頃、今から5000年ほど前とされていて、こう見てくると、ものすごい時間がかかっているわけです。

 この最後の「文明発祥」については、その後の文明発達のスピードからして、それ以前に「何もなかった」とする期間が長すぎてむしろ不自然なので、プラトンの対話篇にも出てくるアトランティス伝説のようなものがあるし、実はそれ以前に人類は高度な文明に達したことが何度かあって、それが何らかの理由で破局的な崩壊を迎え、またゼロから始めるなんてことをやっていたのではないかとする説もあります。いわゆる「超古代文明」が実はあったのではないかという見方です。

 それはあっても不思議ではない(アトランティスの場合、あれは大きな島国家で、海中深く沈んだから証拠も見つけられないのだとされる)と僕も思うので、エジプトのピラミッドなんかにしても、大型トラックも重機も何もない時代に、人海戦術だけで、あんなもの作れるはずがない。子供の頃、隣が庄屋だった母方の先祖の屋敷があったところで、そこの入口の石段横の石垣の角石に大きな石が使われていて、そこに使われている石は全部、かなりの距離がある下の河原から運んだもので、昔の人には怪力が多かったから、その大きな石も一人で持ち上げたのだという話でした。山男の大人たちが集まって、こんな頑丈な石垣、組み上げるだけでも大変で、今ならとうてい作れないなという話をしているのを小学生のとき聞いたことがあるのですが、ピラミッドの石となると、そんなものの比ではないわけです。オカルト学説には、重力を操作して巨大な石を浮き上がらせる今は失われた特殊な高度技術があったのだという説がありますが、そうとでも解釈しないと、説明ができない。しかし、仮にそうだったとして、その高度技術はどこから来たのか? プラトンのアトランティス話も元はエジプトの神官が語ったものとして紹介されているので、先行する高度文明からそれは伝えられたものだったかもしれないわけです。

 こういうことをあれこれ想像するのは楽しい。ゴキブリに取って代わられるなんてのは少しも楽しくないと叱られるかもしれませんが、僕は「人類至上主義者」ではなく、そういう誤った思い込みが今見るような深刻な自然破壊をもたらして、人類存続の危機も招いたと考えているので、そんなことにはこだわらないのです。人類絶滅も悲劇ではない。最近は人の言うことなど何も聞かず、仲良くしようと思えばほいほいおだてるしか手がない「超」がつくほどジコチューの「自己愛人間」が激増しており、しかし、そういう人間のふるまいは(ご本人にはまるでその自覚がないが)申し分なく身勝手なので、まともな感覚をもつ人たちがそれに悩まされてうつ状態になるなんてことが多くなっていますが、こういうのは「人類至上主義」からさらに「自分至上主義」へと退化し、自分のこと以外は何も考えられないお粗末な手合いが増えているからで、38億年もの歳月をかけて出来上がったのがそういうグロテスクきわまりない生物だったというのは、自然に対してまことに相済まないことです。そういう人ばかりになれば、他者や自然との自然な心の通じ合いなんてものはこの世界から跡形もなくなってしまうでしょう。そうなると「人類絶滅」も理にかなっていると思わないではいられないのです。

 僕ら個人の人生は、悠久の進化の歴史からすれば、0.000000000000…1秒ぐらいのものにすぎません。この前、盤珪さんの話をご紹介しましたが、あれの公開しなかった第一部に、僕はこういうことを書きました。

 意識が遍在するように、生命(力)も遍在する。それがあなたや僕という有機体に浸透して、それに生命力を付与しているのです。肉体という生物機械が完全に壊れると、生命はそれを離れる。離れるだけで、それはなくなりはしないのです。
 主導権は自然もしくは宇宙の側にあって、僕の側にはない。僕が生命を所有しているのではなくて、生命の方が僕を一時的に所有しているのです。なのに、僕が「生きる主体」だと言えるのか? 僕は生命現象、自然現象の一部で、生きているのは生命であり、自然なのです。今生きている僕はその個別・具体的な表現の一つに過ぎない。


 ここで言う「生命」とは、生物学でいう「生命」、アミノ酸を基盤とするそれのことではないので、それを素材として生命現象を生み出す見えざる“ある力”のことです。これだけでは何を言わんとしているのか十分おわかりいただけないかもしれませんが、それが本質的な存在で、本気になって「自分とは何か?」をずっと辿って行けば、通常の自己は否定されて、そこに行き着くはずだ、というのが僕の立論です。意識や知性もその“ある力”に由来するので、それは個人の所有物ではない。教育や社会のおかしな条件づけのせいでそこをカン違いしてしまうから、何もかもが狂ってしまうのだというのが僕の基本的な考えです。

「日の下に新しきものなし」で、これは別に新奇な考えでも何でもないのですが、古代の人たちが洞察し、感じ取っていたそれを、現代人はすっかり忘れてしまった。これが個性の否定や全体主義につながるとすれば、それは完全な誤解によるので、そのあたりも心配だから、そうではないということをその後かなり詳しく説明しておいたのですが、ジコチューな人というのは例外なく浅薄で、機械的な反応パターンに落ち込んでいるので、かえって本来の豊かな個性を失ってしまうのです。当然、言葉の真の意味での自由なんてものももたない。そして自分も含めた、すべてのものを破壊するモンスターになってしまうのです。

 まだ間に合うかどうかは知りませんが、ここらへんでいい加減そのことに気づいて、いわゆる「意識のシフト」を起こさないと、種としてのヒトの存続自体が困難なものになってしまうでしょう。滅びた「超古代文明」が本当にあったのかどうかは知りませんが、今はグローバル文明の時代で、事実上単一の文明が地球全体を覆っています。だからローカルだったかつての文明の滅亡と違って、それは全的なものになってしまうわけです。

 少なくとも知能の観点からすれば、今の時点では、ヒトが地球上で最も進化した生物であることはたしかでしょう。38億年にわたって続いてきた生物進化の「汗と涙の結晶」として、今僕らはここにいるのです。しかし、それがやっていることは何なのか? 今、大量繁殖してアフリカやインドの農地を襲っているサバクトビバッタは、これも温暖化の影響の一つとして起きやすくなっているそうですが、深刻な問題として世界的なニュースになっています。あれは数が少ないときは「孤独相」と呼ばれ、おとなしく“節度”を弁えていて、行動半径も狭いが、異常繁殖すると「群生相」というのに変わって“凶暴化”し、筋肉が増え、体色も茶色っぽい緑からどぎつい黄色と黒に変わって、大集団を形成し、1日に100キロ以上も移動して、そこらじゅうの作物を食いつくしてしまうのだと言われています。

 これ、今の人類と似ていませんか? バイオマス(生物量)として巨大化したヒトという種は、どこかで性格的に狂ってきて、節度も配慮もヘチマもない凶悪な存在と化したのです。自然を徹底的に痛めつけた後は、利己性丸出しで同種族まで平気で食い物にするようになった。お上品ぶっても駄目で、実態はそうなのです。してみれば、僕ら人間にはバッタ並の知能しかないということになる。「万物の霊長」と己惚れるのはおこがましい。

 不安は悪いもののように言われていますが、それは間違いなので、神経症的なそれは別として、不安になるべきときに不安を感じないのはただの馬鹿です。古代ギリシャの哲人ソクラテスには「ダイモン(悪魔ではなくて神霊の意味)の声」が聞えたと言われていますが、それは彼に積極的に何かをしろと言うことは決してなかった。それはつねに「禁止」のかたちで彼に示されたのです。その真意を探ろうと、彼は一昼夜街路に突っ立ったままということも珍しくなかった。ときにはもっと長いこともあったようですが、周りの人はそれを知っていたので、ほうっておいた。これは、現代風に言えば、健康な不安の働きと言えるので、心の深い声が彼を立ち止まらせ、「何がいけないのか?」考えるよう仕向けたのです。

 最近は新型コロナのせいで、通常の活動ができず、僕らも立ち止まらざるを得なかったのですが、それがきっかけで自分の生き方を見直すようになったと言う人は結構いるようで、それは明らかにプラスの効用です。38億年の生物進化の歴史がなければ、僕らは今ここにいなかった。そこにいかなる意味があるのかとあらためて思いを致すのも無駄ではないかもしれません。絶滅してゴキブリ型知的生物に取って代わられる前に、地球生物進化のトップランナーとして、僕らヒトにはもっと他に考えるべきこと、為すべきことがあるのではないでしょうか?


祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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日韓破断と「愛の不時着」のノーテンキぶり

2020.06.10(16:41) 729

 読売新聞電子版に、次のような短い記事(2020/06/08 22:24)が出ていました。

・日韓関係「悪い」、韓国91%で過去最悪…読売・韓国日報世論調査

 読売新聞社と韓国日報社が5月22~24日に実施した共同世論調査で、現在の日韓関係が「悪い」との回答は日本で84%(前回2019年調査83%)となり、調査を始めた1995年以降計16回の調査で、2014年の87%、15年の85%に次いで3番目に高かった。韓国では「悪い」が91%(同82%)に上昇し、15年の89%を上回って過去最悪となった。


 現状に照らして、「悪い」が圧倒的なのはあたりまえと思われますが、それでも日本の方が低いのはどうしてなのでしょう? むしろ日本の方が「悪い」の回答が多くなるだろうと思っていた僕には不思議だったのですが、こういうのは韓流ドラマのファンが日本には結構いて、その人たちの“好韓”が一定数あるからなのかもしれません。最近はとくに韓国の財閥令嬢がパラグライダーで北朝鮮に飛ばされてしまい、そこのイケメン長身の若い軍人と恋に落ちるという、いかにも韓国ドラマらしい荒唐無稽さが光る、Netflixの『愛の不時着』(このタイトルを見たときは思わず笑ってしまいました)が大人気で、そういうのも関係しているのかもしれません。このドラマについては、次のような記事が出ています。これは「後編」の方ですが。

都合よく歴史を忘れる韓国のプロパガンダ恋愛ドラマ

 筆者の「在米ジャーナリスト」の岩田太郎氏は別にネトウヨではありません。その証拠に、大規模デモの発端になったこの前のアメリカの白人警官による黒人男性圧殺事件についても、すぐれた記事を書いていて、読んで僕は感心したのですが、人権感覚の鋭い人です。

 北朝鮮が韓国に対してどんなことを行なってきたかは直接本文をお読みいただくとして、文在寅大統領の「歴史修正主義」丸出しの「反日強化」と、その逆ベクトルの「北への親和」は理性的な人間には到底理解しえないもので、筆者の結論には同感せざるを得ません。

 韓国は、北朝鮮の核王朝体制の枠組みの中に「愛の不時着」を敢行しているが、大変に危険な賭けである。その背景には、南北朝鮮の統一機運を覇権的な「中国夢」で後押しする中国共産党の影がちらつく。

 統一後の朝鮮半島における国内情勢は、分派好きで事大の国民性によってかえって不安定化し、同族同士で殺し合う歴史が繰り返されるような気がしてならない。その時に、ロマコメ「愛の不時着」の罪深さが改めて認識されるであろう。


「ロマコメ」というのは、言わずと知れた「ロマンティック・コメディ」のことで、僕もちょっと見てみましたが、たしかにコメディ仕立てです。とくにイケメン中隊長の部下たちの弛緩ぶりが凄い。監視部屋の部下などは勤務中、かなり昔の韓国恋愛ドラマ『天国の階段』に夢中になっていて、ヒロインが北朝鮮領土内に侵入するのを許してしまったのですが、バレるとまずいとは言うものの、緊張感はゼロで、ヒロインに主演女優のサインをもらってやると言われて大喜びしたりするのです。折しも、こういう記事が出ています。

「韓国のビラ見た国民を処刑」金正恩妹の“対敵活動”が始動か

「今月初め、清津(チョンジン)市をはじめとする道内の社会安全部(警察)幹部らを対象に、南朝鮮(韓国)からの敵宣物の危険性に関する講演が行われた。講演では敵宣物によって思想が変質し、南朝鮮への憧れを露骨に表現し、国家を非難したある男性を処刑したとの言及があった」という。

 つまり、ああいうのだと北朝鮮では即銃殺されて終わり、となるわけです。気になったのでちょっと調べてみたのですが、最初の出会いの撮影地はスイス、平壌駅はモンゴルのウランバートル駅なのだそうで、ドラマに出てくる北朝鮮風景で、実際の北朝鮮はゼロなのです。北朝鮮にとっては「敵宣物」以外の何ものでもない、韓流恋愛ドラマのロケなど許されるわけがない。そのこと自体がこうした展開の「ありえなさ」をよく物語っているのですが、あのドラマに登場する北朝鮮人はすべて韓国人が演じているのは当然として、メンタリティそのものが「韓国人」なのです。悪役も韓流ドラマ特有のそれです。

 韓流ドラマというのは、歴史上の人物が出てくる王朝ドラマなどでもほとんどが根も葉もない作り話(その巧みな作話能力には感心させられますが)で、ファンタジーを楽しんでいるだけなのだから野暮なこと言いなさんな、と叱られるかもしれませんが、「南北融和」一辺倒の文政権下の韓国で進む何とも言いようのない精神の弛緩があのドラマにはよく表われているような気がして、そこが僕にはいくらか不気味だったのです。韓国自身が受けた被害だけではない、金王朝がこれまでどれほど多くの自国民を殺してきたのか、知らないのでしょうか? 公然の秘密ながら、あそこにはいまだに強制収容所(複数)があるのです。お気楽なラブコメの舞台にはなりえない。

 主人公がセレブの財閥令嬢というのも、異常に自殺者が多い「ヘル朝鮮」の悲惨な韓国格差社会の現実から目を背けるもので、その意味でも虚偽は二重三重になっていると言えば、野暮の三乗になるかも知れませんが、裏でそれを非難しながら、見栄張りの韓国人は強い憧れを抱いているようなので、ドラマの舞台装置にはよくそれが使われるのです。

 これがたとえば相手がイケメンの日本男子で、韓国言うところの「戦犯企業」の社長の息子だったという設定なら、どうなるでしょう? そういうことは日本に留学している女子学生の場合ならありえないことではありませんが、その恋をきっかけに、双方が日韓の過去の不幸な交渉史について学び、より客観的で公正な歴史の真実に目覚め、恋の成就と「歴史的な和解」が同時に成立するというようなドラマだと、大いに啓発的・建設的でよいと僕には思われますが、「許しがたい親日だ!」というので、韓国では大バッシングに遭ってしまうでしょう。それだと韓国が学校で教えている歴史も否定することになってしまうので、なおさら具合が悪いのです。しかし、相手が北朝鮮人だと、過去において北朝鮮という国家が韓国にどんな悪辣非道なことをしていても、そこで現在も同じ民族がひどい圧政に喘いでいても、あっさりそのようなことは忘れることができるわけで、その意味で文政権時代ぴったりの「お幸せなドラマ」と言えます。

 韓国では最近、挺対協(正義連)前代表、尹美香のかなり醜悪な「元慰安婦団体悪用スキャンダル」が話題になっていて、彼女はこの前の選挙で国会議員に当選したのですが、世論調査では韓国民の70%が「国会議員をやめるべきだ」と思っているという話です。僕もしばらく前に彼女はソシオパス(社会に深刻な害を及ぼす精神病質人格)だとここに書きましたが、その攻撃的で執拗な「反日」言動、汚い手も平気で使う「親日派」攻撃(朴裕河さんの『帝国の慰安婦』訴訟の黒幕も彼女)にはかねて目に余るものがありました。しかし、慰安婦問題は韓国では「聖域」になっていたため、挺対協もアンタッチャブル(不可侵)な存在で、元慰安婦の中心人物が批判の声を上げるまでわがもの顔でふるまい、誰も手が出せなかったわけです(日韓でベストセラーになった『反日種族主義』の著者たちは正面から批判していましたが)。亭主と義妹が北朝鮮スパイ事件で有罪判決を受けていた(その後、一部は無罪判決を受けた)ことからも、彼女の思想偏向は明らかでしたが、彼女とこの団体が日韓関係悪化にどれほど“貢献”してきたかははかり知れないほどです。彼女たちの目的は慰安婦問題の解決ではなく、それを利用した日韓対立の激化にあったと見るのはうがちすぎではない。「ハルモニ(元慰安婦のおばあさん)」はその政治運動のダシでしかなかったわけで、今頃韓国人がそれに気づくのはむしろおめでたいほどだと言ってよいくらいです。

 しかし、その「政治的悪意」の他に、彼女やその取り巻きが露骨な私腹肥しのためにこれほどえげつないことを重ねていたとは、告発した李容洙さん同様、僕も思わなかったので、ネトウヨならずとも「さすがは何でも金儲けの種にする韓国!」と皮肉の一つも言いたくなります。何かというと儒教的「名分」を振りかざして敵対する派閥を攻撃し、権力を握るとかんじんの国事はどこへやら、立場を悪用した私利私欲の蓄財に励むしか能のなかった李氏朝鮮時代の両班たちと同じです。当時はそのせいで民衆は疲弊し、経済は不振を極めて国は傾き、王とその取り巻きは事大先をコロコロ変えて、変事が起きるとすぐ逃亡を図って中国に保護を求めたり、ロシアに救援を求めたり(自分たちの政治的無能とあくどい搾取が原因で生じた自国の民衆暴動の鎮圧まで外国の軍隊に頼った)、無節操きわまりなく、それが東アジアの政治的不安定を招いた(日本に「併合」される羽目になったのも元々はそれが原因)のですが、学校でそのあたり、本当のことを教えていないからなおさらなのかも知れませんが、全く過去の歴史に学んでいない。

 慰安婦支援施設「ナヌムの家」を管理する坊さん理事たちが「累計10億円以上の寄付金を集めながら、被害者支援にはその5%以下しか使っていないことが分かった」件は前に紹介しましたが、例の「慰安婦少女像」制作の“芸術家”夫婦まで、いかんなく銭ゲバぶりを発揮していたらしいのは、次のような記事を見てもわかります。

校庭に少女像設置しようとしたら…正義連理事が著作権を盾に阻止

 もともとはこの少女像もおかっぱ頭でいすに座り、正面を向いていた。だが、除幕式まであと1週間だった2013年8月、金運成氏側が学校に電話をかけてきた。「著作権侵害なので設置してはならない」という話だった。当時瑞草高校の校長だったイ・デヨンさんは「教育目的で使うのに著作権を主張するケースはほとんどないので当惑した」と話す。学校側は圧力に耐えられず、600万ウォン(現在のレートで約54万円、以下同じ)かけて作った最初の少女像を廃棄した。金運成氏は少女像1体につき3300万ウォン(約300万円)を受け取る。イ・デヨンさんは「金運成氏の少女像はあまりにも高価で、学校の財政的には無理だった。生徒15人が歴史専門家の助けを借りて新たな図案を書き、1カ月で今の少女像を完成させた。費用は600万ウォンだった」と言った。この図案はその後、ソウル・舞鶴女子高校、釜山ハンオル高校(当時はプソン高校)などがそのまま使用した。もちろん著作権料はない。

 学校にまでこの「慰安婦少女像」は設置されているのかと、その「反日」教育の徹底ぶりにはあらためて驚かされますが、それはともかく、この「金運成氏」というのは、言わずと知れたあの彫刻家夫妻の夫の方で、挺対協が世界中に“普及”させようと目論んでいるあの像は何と一体が300万円もするのです! 上の記事を参考に、素材費が60万と多めに見積もっても、一体につき240万の製作料を受け取っていることになる。寄付金や国の補助金なども、かんじんの元慰安婦支援にはほとんど回らず、そういうことに気前良く使われていたのでしょう。そして、直接製作には携わらない場合でも、それとよく似た物は「著作権侵害」に当たるので、著作権料を支払わせるか、さもなければ破棄させなければならない。それが学校など、営利とは無関係なものではおかまいなし。実に素晴らしいではありませんか。日本の左派マスコミの中にはこの夫婦が「気高い理想」のために献身しているような記事を載せているのもありましたが、実態はこれなのです。

 この像は「現在国内外の95カ所以上に建てられている」そうなので、一体240万の製作費として単純計算すると、2億2千800万円をこのゲージュツカ夫婦は稼いだことになるわけです。他にも「金運成夫妻は高さ1.3メートルの標準タイプの少女像よりも小さい、高さ10‐50センチメートルの少女像も1万体近く売った」というのです。これもむろん有料なので、インターネットのクラウドファウンディングを利用して販売され、「クラウドファンディング販売と学校販売の少女像だけで少なくとも3億8000万ウォン(約3400万円)の売上げがあったという」計算になるとのこと。「だが、似たような大きさの少女像をこれよりもはるかに高い値段で学校に渡していた事例も確認されており、関連売上高はさらに多い可能性もある」として、記事はまだ続くのですが、最後はこう締めくくられています。

 金運成氏は2016年から「慰安婦被害者支援」などを掲げて活動している「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯」(正義連)=旧「韓国挺身隊問題対策協議会」(挺対協)=の理事を務めている。

 要するに、完全な「慰安婦ビジネス」と化していたわけで、「正義」の看板の下、そこに群がって甘い汁を吸っている連中がたくさんいるということなのです。村山政権のときのアジア女性基金も、この前の「最終的かつ不可逆的に解決」することを目指した慰安婦合意の10億円も、挺対協は「受け取るな!」と妨害したのですが、この問題が「解決」しては困るわけで、引き延ばしていれば、日韓の対立を深められるだけでなく、国内の寄付金も政府の補助金もずっと得られ、それを私物化して儲け続けることができる仕掛けです。日本からの汚いカネは受け取るなと言い、それでも実際は受け取る人が多くいたのですが、それには極力触れないことにして、挺対協の言いなりに「受け取らなかった」元慰安婦を先頭に押し立て、「日本はまともな謝罪も賠償も何一つしない!」と盛んに宣伝して、マスコミはそれをそのまま流すから、多くの韓国人は本当のところを知らない。洗脳的な反日歴史教育を受けているから、若い世代はそれがおかしいとは気づかないのでしょう。気の毒なのは、挺対協にいいように操られてきた元慰安婦たちで、日本からのカネも受け取ることができず、彼女たちをダシに集められた寄付金や政府の補助金は大部分が、反日活動と関係団体の幹部たちが私腹を肥やすのに使われる。尹美香を告発した李容洙さんが「騙された!」と怒るのはあたりまえだということになるでしょう。

 元駐韓大使の武藤正敏氏の記事によれば、「正義連や挺対協出身者は、政権与党の枢要部に入り込んでいる。例えば、池銀姫(チ・ウンヒ)元女性部長官、李美卿(イ・ミギョン)元議員、シン・ミスク元青瓦台秘書官などだ。また、正義連事務総長は青瓦台広報企画秘書官の妻だ。朝鮮日報によれば、現政権の青瓦台首席秘書官や長官クラス経験者の中で、市民団体出身者は既に20人近くいるという。こうした政権の正義連、市民団体とのしがらみが、元慰安婦の中心的活動家よりも正義連を重視する姿勢となって来るのである」(JBpress「金与正の恫喝に屈服の韓国、いずれ南北で対日攻勢に」より)とあって、こういうズブズブのなれ合い関係が成立しているので、文政権がこの問題に消極的対応しかしないだろうことは明らかですが、これが今の韓国なのです。

 武藤氏のこの記事自体、先の高英起氏の記事もそれと関連したものですが、北朝鮮が脱北者のビラ散布にブチ切れ、韓国政府を激しく罵倒したのに対して、「対北ビラ散布禁止法案」を出しますと卑屈なまでにすばやく応じた件について書かれたものです。北朝鮮にどんなに口汚く罵られても文政権は決して怒らない。日本に対してすぐに食ってかかる態度とは180度違うわけですが、これも北朝鮮に対する盲目的な「愛ゆえに」なのです。先の岩田氏の秀逸な表現を借りれば、相手に何と言われようと、「北朝鮮の核王朝体制の枠組みの中に『愛の不時着』を敢行し」続けるのです。

 今後も政権交代が起きないかぎり、韓国の反日攻勢は続くでしょう。慰安婦問題も、徴用工問題も、「最終的解決」を謳ったはずの協定、合意を文政権は一方的に反故にしてしまった。先の日本によるホワイト国待遇外しの輸出管理強化の問題でも、韓国は「不当な敵対行為だ!」と自分たちのやっていることはきれいに棚上げして怒り狂ったのですが、一方的に通告した期限までに日本政府の動きがなかったということで、WTOに提訴すると息巻いている。韓国大法院の徴用工裁判に基づく日本企業資産差し押さえも、「行政府としては条約を破棄することになって、それは国際法違反だから、認められない」とは言わず、都合よく「三権分立」を理由に挙げて何もせず、いつ換金が実行されても不思議はないのです。他方、上に見たように、北朝鮮に対しては卑屈なまでの徹底した迎合政策を取っている。そこに働いているのは盲目的な憎悪と愛だけなので、通常の分別や理性は参加していない。国家レベルでこれだというのは、真に驚くべきことです。

 先の岩田氏の文にも「分派好きで事大の国民性」という言葉がありましたが、李氏朝鮮の昔から、両班たちは絶え間ない派閥抗争を繰り返してきました。今も「積弊清算」と称して、保守派には「親日」のレッテルを張り、これを徹底的に排除して、そのためには冤罪も辞さない。一方、チョ・グクでも尹美香の事件でも同じですが、身内の不正には極力目をつぶろうとする。そして今の事大先は北朝鮮であり、その背後にいる中国なのですが、その本質は「反米」(但し、わが子はアメリカに留学させたりする)ながら、それを露わにするとアメリカを怒らせ、政権転覆につながりかねないので、そこらへんはコウモリ的にならざるを得ないわけです。これが政権交代して権力が保守派に移れば、今度は逆の左派への復讐が行われる。事大先もアメリカに代わるが、中国を本気で怒らせてはまずいので、そのあたりは中途半端な対応を取る。いずれにしても、敵対する勢力に対する憎悪にはすさまじいものがあり、そのあたりは左右同じなのです。許すということを知らず、同胞同士でこれほど憎み合う民族も珍しい。それが「恨(ハン)の文化」なるものの実際の姿です。前にも書きましたが、そこには言葉の真の意味での「公」の観念は欠けている。

 国家間の合意でも協定でも平気で破棄するのを見て、日本人は「国家の体を成していない」と呆れますが、韓国人のウリ(我ら)というのは派閥であり、仲間集団なので、そのときどきに権力を握った側が「国家」を僭称しているだけなのです。だから、政権が変われば、国家も変わるということになって、そこに連続性がないことが深刻な問題だとは思わない。皮肉なことに、「反日」でだけは仲の悪い彼らも協調できる。もしもそれがなければ韓国人は最低限の統一感ももてなくなるだろうと指摘する人がいますが、それは正しいでしょう。

 だから「困ったときの反日頼み」で、代表的なのがあの大阪生まれの李明博大統領でした。彼は保守派でしたが、汚職で告発されることを恐れて、大統領退任の前年、人気取りのために竹島上陸を敢行し、講演で天皇の謝罪を要求するなどした。反日アピールによって韓国人の好感度を上げ、訴追を免れようとしたのですが、安心するのはまだ早かったので、大統領退任から5年後、文在寅が大統領になってから、師匠の廬武鉉(李明博政権下で逮捕されるのを恐れて自殺)の敵討ちで逮捕され、結局、懲役計17年、罰金130億ウォンなどの有罪判決を受ける羽目になった。前大統領朴槿恵と一緒に「積弊清算」の対象になったのです。文在寅一派の「恨」の執念はすさまじい。日韓併合時代にまで遡って「親日派リスト」を作り、親しまれている伝統ある校歌も、あれは親日派文化人が作ったものだから歌うな、と言い、「親日の木」と疑われたものは伐り倒されなければならないのです。

 話を少し戻して、そういうふうに「反日」は免罪符として、保守派にも利用されてきたので、そのあたりいい加減きわまりないのですが、それが免罪符として使えるというのも、韓国の反日教育のおかげなので、80年代の終わり以降の「民主化」のプロセスで、一貫してそれは強化され、日本人の側からすると、不都合な方向に歴史は歪曲され続けてきたのです。それは今の文政権下でほぼ完全な「反日歴史ファンタジー」に近づきつつある(あまり言う人がいませんが、こういう「自民族の歴史の自分の思い込みに合わせた過剰な改変と美化」は、自然な自己肯定感や愛に乏しい人間の心理的補償の一つとして行われるもので、それ自体が病理学的な現象なのです)。

 こういうの、一体どうすればいいのでしょう? 目下のところはどうしようもないので、文政権の北朝鮮への没理性的な「愛の不時着」がどういう結果をもたらし、日本やアメリカとの関係悪化がそこに重なるとどういうことになるか、しばらくは静観しているしか手はありません。ふつう、「民主派」というのなら、北朝鮮の独裁政権になびくのではなく、それに弾圧され、殺されたり、強制収容所送りにされた人々(正確なデータがないので推測ですが、それはおそらく累計で数百万に達する)の方に同情してよさそうなものですが、そういう普遍的な「民主」の政治理念は今の韓国の文政権にはないのです。香港の民主派運動家たちとは違う。おそらく「民主派」と呼ぶこと自体が間違いなので、げんに彼は言論や思想の自由を封殺するような動きばかり見せています。すでに一部の識者が指摘しているように、文在寅は体質的にも北朝鮮に近い、民族主義的全体主義者なのでしょう。彼の取り巻きの、挺対協改め正義連を含む市民団体の幹部たちも同じメンタリティをもっているのです。

 問題は、韓国の人たちがどの程度全体主義的なその体質の危険性に気づいているかということです。韓国の相次ぐ夜郎自大な横紙破りに大方の日本人は腹を立てていて、それは安倍政権支持か不支持かといったこととはほとんど無関係なのですが、今の韓国の人たちはそのあたりもよく理解していないようで、日本人のリベラル派は文政権に好意的だと思い込んでいるフシがある。だから政権が変われば日本人はまた折れてくると思っているようですが、それは明らかな間違いなので、それは僕のような人間を見てもわかるのです。日本政府はもう譲歩はしない。独善的な人間のつねとして、韓国はまたそれを見て憎悪を募らせるということになりかねませんが、それは自らまいた種なのです。

 そのとき、日本はどうすればいいのか? 同じ次元で憎み合うのは愚かなことですが、むやみな譲歩も攻撃もせず、証拠を挙げて嘘は嘘と指摘し、通らないものは通らないと明確に言い、相手を立ち止まらせて自問するよう仕向けるのが一番でしょう。挺対協が慰安婦問題でやってきたようなおかしなプロパガンダを海外に向かってするようなら、面倒がらずにその虚偽性を明らかにする説明を行なうなど、そういうことは努めてマメにやる。そうしていれば、韓国の良識派の意見が韓国内で力を得るということも今より容易になってくるはずです。そうすると、学校で教えている歴史教科書の虚偽に気づく若者も増え、従来の洗脳歴史教育も是正される可能性が出てくる。挺対協はすでに墓穴を掘った。文政権も、日本が冷静で明確な対応を取り続けていれば、いずれ同じことになるでしょう。そういうやり方でうまく行くようならどうぞおやり下さい、という精神的なゆとりをもつことが必要でしょう。

 こういうのは実は一番エネルギーを使うことなのですが、未熟で利己的な人間やモンスター・クレイマーなどの相手をするときは一番効果的なやり方です。こう言えば、韓国の人たちは怒るでしょうが、すでに見てきたように今の韓国はそうと評するしかないほど幼稚で身勝手なのです(他の国の人たちは事情をよく知らないからで、知れば同じことを言うでしょう)。こちらとしては同じレベルの幼稚な感情的対応ではなく、大人の醒めた対応をして、相手が成長するよう促すしかない。でないと日本は永遠に幼稚な隣国に悩まされ続けることになる。韓国の人たちにとっても、それは不幸な未来を作り出すことにしかつながらないでしょう。「愛の不時着」的ノーテンキはドラマの中だけにしていただきたいものです。



祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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盤珪禅師の「不生の仏心」について

2020.05.30(12:58) 728

 二年ほど前ですが、拙訳『偉大なる異端』(アーサー・ガーダム著 ナチュラルスピリット刊)を読んで感銘を受けたという北九州市に本部を置くさる団体の会長さんに、「翻訳よりも、自分で本を書くべきだ」と言われて、僕はそんなにおだてに乗りやすい方ではありませんが、一つ、自分自身の体験から学んだものとして、これだけは書き残しておきたいと思うことがあったので、『〈私〉からの自由』と題したものを書いたことがあります。全部で6万4千字ほどの文章で、薄手の本一冊分にはなる。論文調で書くと読む人が難しく感じるだろうと思い、ちょうどその頃月に一度、これもその人の勧めで地域のコミュニティセンターを借りて、オトナ相手の講座をやっていたので、そのときの口調を真似て第一部は講話形式、第二部はそれに対するQ&A、第三部は盤珪禅師についての話という三部構成にしたのですが、その人はそんなことを言うからには出版社と話がついているのだろうと思ったら、そうではなかったらしく、たぶんそのとき書いたものはその人が予期したようなものとはかなり違っていたのでしょう、反応も今一つで、元々僕の側に自分の本を出したいという積極的な思いがあったわけではないので、そのままになりました。

 それでそのまま忘れていたのですが、先日、新型コロナウイルスによる緊急事態宣言の最中、久しぶりに大学院生の息子とスカイプで話をしていて、それに関係する議論になりました。何がきっかけでそうなったのか、彼が僕には不案内なフーコーの話をしたあたりから哲学談議に入ってしまったのだと思いますが、カントのいわゆる「形而上学の不可能」に関する話になって、そこから「現象と実在」「体験そのものとその解釈や言語化の際に生じる厄介な問題」、さらには「そもそも意識とは何か?」という話に進んで、後で考えてみると、そこに書いたことと重なり合う部分が多かったので、そのときの議論の補いとして、彼に読ませてみることにしたのです(ちなみに、彼自身の専門は哲学ではなく、古代ギリシャ・ローマ史学です)。僕はわが子に自分の「思想」を吹き込んだり、特定の考え方を押しつけたりといったことは一度もしたことがありません。むしろそうならないよう用心してきたので、今後もそんなことをするつもりは全くないのですが、小さい頃は遊びの相手(この前書いた、失敗に終わったウシガエル捕獲作戦もその一つ)、高校生ぐらいになってからは議論の相手をして、だんだんそのレベルが上がってくるのを楽しんでいたのですが、たまたま議論がその方面に流れて、父親の思想のいわば「原点」的なものに触れることになって、彼はそれに大きな関心を示したのです。

 幸い、コピーが手元に一部あったので、それを送ったら、着いて数日後、メールで返事があって、面白かったので一晩で一気に読んだという話で、その感想がたんに字面を追ったのではない、観念的な理解では済まない厄介な部分を含むこともよく押さえた上での行き届いたコメントだったので、嬉しく思いました。最後に、「以上が僕の感想ですが、これを読み終えた後に、少し気分が楽になって自由に考えられるような気がしてきました。これはそれ自体が普段〈自分〉というものに囚われて生きていることの証みたいなものなので、あまり喜ばしいことではないかもしれませんが(笑)」とあって、僕はそれを人を悩ませるためではなく(途中でいくらか話がややこしくなるのは避けられないとしても)、「気分が楽になって自由に考えられる」助けにするために書いたので、大いに意を強くしたのです。これはひょっとしたら、頭の柔軟な若者には理解されるのではないか?

 それで、彼には第一・二部の方が面白かったようですが、そちらはこういうところに載せるには長すぎるので、最後の盤珪さんについての章だけ、少し手を入れてここで公開しておこうかという気になりました。これはそれだけ独立させても、理解に大きな支障はなく、伝記的な紹介も入っているし、盤珪禅師入門の役目ぐらいは果たせそうだからです。僕が面白いなと思うのは、今年に入ってから「拍手ボタン」というのをこのブログにつけたのですが、最初の「主客二元思考の克服」という文だけ、拍手が多くなっていて、政治的な与太話には僅かな拍手しか与えられていないことです。データからして、その拍手数はアクセスの数とは比例しないので、これは読者が何を期待してこのブログを見ているかを示すものかもしれません。つまり、「よけいなことばかり書くな」と言われているということです(涙)。人間には多様な側面があるので、「政治嫌いの政治的人間」というのも僕の一面なのですが。

 前置きが長くなりましたが、とにかくそういう由来の文章なので、読まれる方はそのつもりでお読み下さい。ちょうど前に書いたジョン・マックの翻訳の件で、無事版権が取得できたというしらせが入って、近々編集者とのやりとりに入れそうなので、ここに与太話を書く頻度もしばらくは減るでしょう。長文なのは、それを補う意味も含めてと、好意的にご解釈下さい。(尚、お読みになって疑問・ご質問等ありましたら、それには可能な範囲で誠実にお答えします。但し、それは真面目な、その方にとって切実な問いであることが要件です。「悟りごっこ」――ガーダムはそういうものに耽りたがる人をスピリチュアル・アスリートと呼びました――には僕は何の興味もないからです。)




 今回は「異端の禅僧」と呼ばれる、江戸時代の禅師、盤珪(ばんけい)さんについてお話しさせていただきます。この人を僕は「途方もなく偉い人」と尊敬しているのですが、それは別に僕が「異端」好きだからではありません(笑)。盤珪さんはお坊さん特有の「専門用語」を使わず、庶民にもわかる日常の平俗な言葉で教えを説き、その核となるものが「不生の仏心」なのですが、僕が「途方もなく偉い」と思う理由は、その教えを自ら生きた徹底ぶりと、人格的な高邁(こうまい)さにあります。

「とてもではないが、こういう人にはかなわないな」という人格の立派さがこの人にはあるので、僕など対抗する気がないからただ「偉い人」ですんでしまうのですが、もしもお坊さんでそれに張り合おうという人がいれば、絶望的な気分になってしまうかもしれません。いわゆる「悟った」人は今の世の中にもいるでしょうが、ここまで「身を持するに厳」な人はほとんどいない。外側だけそれを真似ようとすれば、窮屈になり、妙に底意地の悪い人になってしまうだけでしょう。現代人とは何か「人間の格」が違うという感じがするのです。

 それなら、僕ら現代の凡人には真似できないのだから、参考にもならないのではないかと思われるかもしれませんが、盤珪さんの教えそれ自体は「凡人にもわかる」ものだし、それを生かすことも分に応じてできる、と僕は考えています。盤珪さん自身がそう言っていたので、それを疑う理由はないのです。

 それで、その盤珪さんの教えについて今回はお話ししたいのですが、その前に、伝記的な事実についても少しご紹介しておきたいと思います。


 伝記的素描

 盤珪さんは元和八年、西暦で言うと一六二二年の三月八日に、この三月八日は旧暦なので、今なら四月一八日に当たると、ウィキペディアには出ていますが、播磨国揖西郡網干郷濱田村(現在の兵庫県姫路市網干区浜田)というところに生まれています。「父の姓は菅原氏、母は野口氏」と、『大法正眼国師盤珪琢大和尚行業曲記』にはある。幼名は母遅(もち)でした。ご本人は「もと四国浪人」という言い方をしていますが、生家は代々儒医の家柄だったらしく、盤珪さんはその五男四女の三男坊でしたが、十歳で父をなくしました。昔は数えで言うので関連文献では「十一歳」となっていますが、満で言うと十歳でしょう。それで今で言う母子家庭になったのですが、家督は長兄が継いだものと見られます。

 ご本人の回顧談によれば、盤珪さんは幼少の頃、かなりの利かん坊、腕白坊主だったようです。同時に死というものに強い恐怖心を抱いていたので、死に真似をしたり、誰かが死んだという話をすると、ぴたりと泣きやんだり、悪さをやめるということがあったようですが、『正眼国師逸事状』というエピソード集にもこういう話が出ています。昔は五月五日(今は「子供の日」ですが、当時は「端午の節句」と言った)に、男の子たちが川を挟んで二手に分かれて石つぶてを投げ合い、勝敗を競うという、今なら危険だし、野蛮すぎるというので禁止されること疑いなしの風習があったようですが、こういうとき、向こうに盤珪少年(こういう言い方をあえてさせてもらうと)の姿が見えると、相手の子供たちはその場所を避けたというのです。「蓋(けだ)し師勝たざれば則ち未だ敢て退かざるなり」と回りくどい漢文体で書かれているのがかえって可笑しいのですが、要するに、自分が勝つまでは決してやめない、そういう強情きわまりない子供であったことがわかるのです。極道の道に進めば、無敵のボスになる、そういうキャラです(笑)。『逸事状』の筆者があえてこの話を載せているのは、その「果敢勇烈」の気性が後年の仏道修行における峻烈さにそのままつながっていると言いたいがためのようです。

 さて、これは有名な話なのですが、盤珪さんがどうして出家して禅坊主になったのか、そのきっかけが面白いのです。十一歳の時、「師匠どり」をして、儒学の先生(そういう塾が当時はあって、庶民向けには寺子屋がありました)に漢文の素読を習うようになった。盤珪さんは腕白坊主だっただけではなく、神童の誉れも高かったと言われますが、ある意味これが「運の尽き」だったのです。ああいうのは初級が『小学』、上級が『大学』で、「具体から抽象へ」というふうにテキストの内容が仕組まれていたようですが、盤珪さんはこの『大学』の「大学の道は明徳を明らかにするにあり」という箇所に引っかかってしまった。この「明徳」とは何なのか? それで先生に聞くと、それは「性善」、人の本性が善であることだとか、「天の理」のことだとかあれこれ説明してくれるのですが、その「性善」だの「天の理」だのは実際のところどういうものなのですかと突っ込むと、あちこち聞き回っても、どの儒学者も明確な答えができない。ある先生が言うには、自分たちも口では文字の道理を説いているものの、本当のところは「明徳」が何であるかを知らないのだと。正直な先生です(笑)。それで、そういう難しいことは禅僧などの方がよく知っているだろうから、そちらに行って問え。

 それで盤珪さんはあちこち説法や講釈があると出かけて聞いて回ったのですが、一向埒(らち)が明かない。盤珪さんは親孝行な息子でもあったので、母親にもそれを教えて、納得して死ねるようにしてあげたいと願望していたのですが、聞きかじった話はできても、自分で得心した話ではないので、それも叶わない。

 とにかく、この「明徳」が盤珪少年にとっては最大の躓きとなって、先の『行業曲記』によれば、「此より疑情鬱結して、亡羊として切りに事業を排し、伶俜(れいへい)として方所なし、家兄その学業の就(な)らざるを喜ばずして師を放逐す」ということになってしまったのです。言葉がやけに難しいが、「亡羊」は「どうしていいかわからなくなって途方に暮れること」、「伶俜」は「落ち込んで一人ぼっち」ぐらいの意味です。そればかり気になって、お勉強も何も、全く手につかなくなってしまった。父親代わりの長兄は、そんな内面のことはわからないので、怒って盤珪さんを追い出してしまった、というのです。

 僕の場合は、前にお話したように、中学生の頃、1+1=2がなぜ正しいのか理由がわからないというので、それをきっかけに自分の頭に浮かぶ考えがすべて疑わしくなり、ひどい不安に陥りました。ことに頭を使おうとすると不安が倍加するので、その年齢ではどうしていいかわからず、相談できる人もいないので、元々学校の教科書勉強は面白くないので好きではありませんでしたが、勉強嫌いにいっそう拍車がかかって、高校進学さえ怪しくなってしまいました。川や山に逃避して遊んでばかりいたので、ただの怠け者にしか見えない。あまりにひどいと業を煮やした母親に「おまえには努力という一番大事な才能が欠けている」と言われてしまい、「やかましい!」と癇癪玉を破裂させるというようなことになったりしたのですが、盤珪さんの場合は対象が「明徳」なので、そのあたり僕よりずっと高級です(笑)。しかし、その強迫的なこだわり方には似たところがある。そこに引っかかって、他のことはロクに手がつかなくなり、それをずっと引きずってしまうのです。

 その間、色々なエピソードがあったようですが、長くなるのでそれは省くとして、盤珪さんは結局はこの「明徳」への疑問のせいで出家することになったのです。ここはウィキペディアをそのまま引用(但し、二箇所文字を修正)させてもらうと、「十七歳のとき、臨済宗妙心寺派随鷗寺(赤穂にあった)の雲甫和尚に参禅。ここで出家し、永琢という法名を与えられ、激しい修行に取り組む」という展開になるのです。

 それで修行に専念し、十九歳になると「諸方に歴参し、大方の知識を叩く」、つまり、あちこちに師と呼ばれる人を訪ね歩いて教えを乞い、厳しい修行(期間が誇張されていると思われますが、「五条の橋の下にも乞食四年」という記事まである)を重ねたのですが、自得するところがない。二十三歳になって、随鷗寺に戻り、雲甫和尚に泣いて窮状を訴え、どうすればいいですかと訊ねるのですが、和尚の方も「頭で考えただけではどうにもならない(擬せんとすれば即ち差〔たが〕う)」と教える他なく、それでいっそう座禅に打ち込むことになった。しかし、異常なほど烈しい修行を続けたために、病気になり、血痰まで出るようになって、ご本人が言うには、「おやゆびのかしら(頭)程なる血の痰がかたまって、ころりころりとまん丸に成りて出ました」というほどになるのですが、それでもまだ悟れない。あの「明徳」がどうしてもわからないのです。

 その時点では見る影もなく憔悴して、やせこけている。おまけに明らかな肺病です。それで見かねた周囲が庵室で養生しろと言うので、それに従ったが、このまま死んでも思い残すことはあまりないが、かんじんなあのことがわからずに死ぬのだけは情けないと、「明徳」にとりつかれて一途にそれを追い求めてきた永琢青年は思ったわけです。

 ところが、そうして死にかけたときに奇蹟が起きた。ある朝、うがいをしようとして外に出たとき、梅の香りがふと鼻を打った。その瞬間、「恍然として大悟す」ということになったのです。二十六歳の春です。疑念は消滅して、後年の禅師・盤珪がここに誕生した。病気も急速に快方に向かったのです。

 むろん、大事だったのはそこから先なので、禅の世界では一般に悟後の修行を「聖胎長養」と言って重視しますが、それからの修行の徹底ぶりがまた半端ではないのです。通常の座禅工夫、諸方歴参はもとより、再度「花子(こじき)隊に混入」し、「修心錬行」したことさえあったという記事が先の『逸事状』には見られます。他の文書と照らし合わせると、これは三十代半ばの頃と思われますが、三十歳頃、長崎在住の唐からの渡来僧・道者超元にその真価を認められ、すでにその方面では名が知られ始めているのに、功を誇るとか、自分を甘やかすということが全くない。そこらへんがふつうのお坊さんとは違うところなので、ご本人もこう述懐しています。これは『佛智弘済禅師法語』にある言葉で、大意を現代語訳しますが、「自分が二十六歳の時に体得した道理それ自体は、その頃と今とで、寸分の違いもない。しかし、ものを見る眼が透徹して、大法に通達し、大自在(自由)を得たことに関しては、当時と今とでは天地の隔たりがある」と。だからおまえたちも一片の悟りを得たことに満足せず、法眼成就の日を期して修行に努め励め、と弟子たちを激励したのですが、盤珪さんは明徳=不生の仏心をじかに洞察しただけでなく、長時間をかけてその「人格化」をはかり、いわば「生きた不生の仏心」になったのです。そこが並外れている。

 盤珪さんが日常生活上もどれほど厳格に身を持したかについては多くのエピソードがありますが、たとえばトイレに行ったとき、小の場合でもしぶきを散らして汚さないように大便所にしゃがんで用を済ませたとか、たいていは歩きだったが、やむなく駕籠に乗るときは駕籠かきの負担を減らすために蹲踞(そんきょ)の姿勢を取ったとか、女性が相談に訪れたときは、必ず弟子の誰かを隣室に控えさせ、あらぬ疑いが起きないようにしたとか、一番有名なのは、盤珪さんは若い頃の苛烈な修行がたたって病気がちだったので、それは大勢の人が集まる大結制のときのことだったようですが、味噌が悪くなった時があって、一番弟子の大梁という人が、皆はこれでも大丈夫だが、師の盤珪先生は病者ゆえ味噌があたっては大変なことになると、新しい味噌をつかせて盤珪さんにだけそれを食べさせたことがあった。盤珪さんはすぐその味の違いに気づいて、これは味がよいが、前の悪くなった味噌はもうなくなったから、皆にこれを出すようになったのかと給仕の僧に聞いたところ、いや、違います、こういうわけで禅師のだけ別にしろと言われたのですと答えたところ、盤珪さんは怒り、大梁を呼んで確認すると、「それならわしに何も食うなと言うのだな」と言って、そのまま部屋に閉じこもってしまった。いくら謝っても許してもらえず、師弟二人とも絶食したまま、七日もたってしまったので、ある信士が一同を代表してわびを入れることになり、禅師だけでなく大梁も何も食べていないのですと言うと、「自分はともかく、大梁が食べないのはよくない」とやっと顔を出して、許しが下り、その際、このすぐれた高弟に向かって、「よいか大梁、人の鑑となる師家がわずかでも私意をさしはさむようなことがあってはならぬ。おまえは私の身を思いやってそのようなことをしたのだろうが、それは私にとっては仇(あだ)になるだけだ。よく合点したか」と厳しく諭したというのです。差別を嫌う類似の話は他にもたくさんあるのですが、およそ徹底している。ふつうなら、師匠思いの弟子の心遣いとして、ほめられてもいいはずが、全然そうはならなかったのです。そこらのなまぐさ師匠だと、逆に特別扱いしてくれないことに怒る(笑)。

 盤珪というお坊さんはそういう人だったのですが、それでも最初「不生の仏心」の教えを説き始めた頃は、「外道かキリシタン」のように思われ、気味悪がって誰も人が寄りつかなかったそうです。そのシンプルな教えはふつうの坊さんが説くそれとは違う感じがしたからでしょう。それが晩年になると、宗派を問わず、僧俗多数の人々が群れをなして押し寄せ、対処に困るほどになった。「物には時節があるものでござる」と言っていますが、それは「時節」だけでなく、盤珪さんの成熟と人間的感化力の増大も関係していたでしょう。師弟の礼を取った人が計五万人いた、というのは誇張ではないようです。盤珪さんの没年は元禄六年九月三日(一六九三年一〇月二日)で、満七十一歳で亡くなったのですが、最後まで病をおして慈愛に満ちた応接を続けたのです。

「少し」のはずが長くなってしまいましたが、この他にも色々なエピソードがあって、僕は岩波文庫の『盤珪禅師語録』(鈴木大拙編校)を基にお話ししているのですが、そこにはいわゆる超能力を思わせる話や、不思議な話もたくさん含まれています。ご本人はきっぱりその手の能力は否定していますが、にもかかわらず、それ(未来予知の話が一番多い)はあったようです。また、これは超能力ではありませんが、中には西洋の聖フランチェスコを思わせるような逸話もあって、盤珪さんはあるとき、旅の途中で、大きな狼が近づいてくるのに出くわした。当時の日本にはまだオオカミがいたのです。その狼は盤珪さんの前に来ると大きく口を開けました。そのとき、盤珪さんはその口の中を覗き込むと、無造作に中に手を突っ込んだ。喉の奥に大きな骨が刺さっていたので、それを取ってあげたのです。狼は大いに喜んで、耳を垂れ、尻尾を振って感謝の意を表すると、姿を消した。以後、盤珪さんがその周辺を通りかかると、目的地まで必ず護衛したと言われています。狼の弟子までいたわけです(笑)。他にも、「讃海」とあるのは瀬戸内海だろうと思うのですが、盤珪さんが乗った船がそこを渡っているとき、朝日を受けて金色に輝く巨大な海亀が海面に姿を見せて、数里(一里は約四キロ)にわたって並走したとか、子供の頃の水難事故で視力を失ったが、その際龍が乗り移って驚くべき聡明さと才能を得た青年が、涙を流しながら熱心に盤珪さんの説法に耳を傾けていた話なども出てくるので、こういうのはたんなる荒唐無稽な伝説の類だと思われるかもしれませんが、この龍の話など、他でもない盤珪さん自身が、「渠(かれ)は龍なり。仮に体を溺子にかりて以て聴法す」とその正体を霊視で見抜いていたのだから、信憑性はあるのです(これは、盤珪さんがその熱心な青年に「汝いまだ畜生道を脱せず」と厳しい言い方をしたのを不審に思った人が後で理由を聞いたときの返事です)。ただ、そういうことを詳しくお話ししていると、キリがなくなります。

 さて、前置きが長くなったので、少し早いですが、一度ここでトイレ休憩を取ります。ここのコミュニティセンターの男子トイレの小用の便器の上には、「一歩前へ!」と書かれているので、男性の方は盤珪さんみたいに大の方へ行かなくてもいいが、その指示を守って、こぼさないようにして下さい(笑)。


「不生の仏心」とは何か

 ここでやっと本題に入りますが、盤珪さんの「不生の仏心」とは何なのか? よく「不生不滅」と言いますが、それは生まれることも滅することもない、永遠の存在を指すのに用いられます。盤珪さんが言うのもこれで、「不生」といえば「不滅」はそれに含まれるから、後ろは略したというのです。その永遠不滅の「仏心」がすべての人には生まれつき備わっている。それに目覚め、それに従って生きよ、というのが盤珪さんの教えです。他のことは何もいらないのだと。

 では、その「仏心」とはどういうものなのか? それは知恵と慈悲(愛)の結晶またはエネルギー体みたいなもので、それ自体で完璧です。それは絶対的に信頼しうるものです。ところが人間はそれがわからなくなっている。というのも、後天的に生じた自我というものに頭も心もやられてしまって、自分がそれだと思い、意識の置き所を間違えてしまったからです。現代風に説明すれば、そういうことになります。

 だから、無用な「我のはからい」を捨てさえすればいいのだということになる。そうすると「霊明な仏心」の働きが自然に輝き出るようになる、というのです。そうなると、たとえ周りの人全員が黒を白だと言い張るようなことがあっても、そういうことには騙されなくなって、正しい判断ができるようになる。それが徹底すれば「人を見る眼(まなこ)が開ける」のだとも言っています。

 シンプルそのものです。僕らは日常、自分で殊更そうしようと意識しなくても、各種の音や声を聴き分け、物を見分け、様々な臭いをかぎ分けることができる。これは霊妙な「不生の仏心」が生まれつき備わっている証拠で、事の是非善悪もそれに備わった叡知の働きで弁別することができる。そこにおかしな我というものを持ち込むからその働きが狂うのだと。

 これに対して、江戸のある儒者がこう訊ねたとのこと。なるほどご尤もなお話ですが、人間は死ぬと、いくら話しかけても返事はせず、目はものを見ず、耳も聞こえなければ、香りもわからなくなる。不生不滅ならなぜそうなってしまうのですかと。

 これに対して盤珪さんは、次のように答えたということです。以下、『盤珪佛智弘済禅師御示聞書』に出てくる、そのときの返事の意訳です。

「これは一見したところ、尤もな批判のようであるが、実はそうではない。むしろそれによっていっそう不生の教えの道理が通るので、それはこうである。
 人間のこの体というものは、地水火風(物質的諸元素)を一時的に借り集めてできたものなので、生滅の法則に従って、やがては消えてなくなる。これに対して心は不生なものなので、肉体は朽ちて灰や土となっても、一緒に消えてなくなることはない。ただ、生じた肉体を一時の家として宿り、体が生きている間はそれを道具として様々な働きを見せるが、それが滅すると、住家がなくなるので、その働きも消える。ただそれだけの話であって、一心は元より一心なのであり、そうした物質現象を超えた次元に存在する。だからこそ不生不滅と言えるのだと」

 この「一心は元より一心」のところは盤珪さんの言葉そのままで、「一心は元よりの一心でござるによつて、不生滅」と原文にあります。この「一心」は「個別の魂」のようなものを指して言っているのではなくて、絶対的な、僕らが共通してもつ「一心」のことです。それは「不生滅」であると、盤珪さんは確信していたのです。

 こういうのは僕が先にお話しした話と似た話ではないかと思われる人もいらっしゃるでしょう。人だけではない、「蚊や草木にも意識の保護がある」というような話をしましたが、それもこの「一心」の働きと見ることができるからです。そういうものとして自覚されているかどうかは別として、それはこの宇宙に沁み渡った途方もないエネルギーで、働きを通じてその存在がわかるのです。実際、用語に違いがあるだけで前にお話したのと内容はほぼ同じです。僕と盤珪さんの決定的な違いは、僕と違って盤珪さんはそれを生き、深く体得した偉人だったということです。それが人間としての大きな違いを生んだので、「理」のレベルではそんなに違わないのです。

 これは別に盤珪さんを侮辱したことにはなりません。盤珪さん自身がよく、「この中には一人も凡夫はござらぬ」と言って、誰でもそれに気づくことができる、と言っていたからです。僕にわかったということは、当然皆さんにもわかる。盤珪さんも言うように、こういうことはむしろ無駄に知識が多い人ほどわからなくなるのです。それは知識が自尊心のつっかえ棒みたいになっているからで、その犬も食わない卑小な自尊心をまず叩き潰すことが先決なのですが、それには必死に抵抗して、新たな「知のアクセサリー」を増やすことだけに熱心になる。これでまた人に能書きを垂れるときの材料が増えた、というようなものです(笑)。それは誤解にきまっているから、聞かされる方は迷惑なのですが、余計なことをするなと言っても聞かない。盤珪さんはそういうのを「脇かせぎ」と呼んでいますが、そういう人に欠けているのは言葉の真の意味での正直さです。じかにわが心を見ようとしないから発見がなく、真実に辿り着かない。


 短気の直し方

 話を戻して、ここからは盤珪さんの応接の仕方を少し具体的に見てみたいと思います。そうすると「不生の仏心」という言葉の含みがもっとよくわかり、それをただの知解からもっと深いレベルに浸透させるのにも役立つでしょう。なまくらな僕にとっても、それは勉強になるのです。

 この岩波文庫本の最初に出てくる話は、「短気」についてのものです。ある僧が、自分は生まれつき短気で、師匠にはよくそれで叱られ、自分でもこれは悪いことだと思うので直したいと思うのですが、何しろ生まれつきなので直りません。どうすれば直るでしょうかと盤珪さんに相談するのです。

 これに対して盤珪さんは、そなたは面白いものをもって生まれついたものだな。直してやるから、今ここにその「短気」とやらを出してみなさいと言います。いや、今はないので、何かの時にひょっとそれが出てしまうのです、と僧は答える。

 それならそれは生まれつきではない、と盤珪さん。それはそなたが何かの縁に遭遇して自分から仕出かしているもので、わが身の贔屓ゆえに、向こうのものに取り合って、我意を立てようとして、勝手に仕出かすもので、それを「生まれつきの性格」というのは、親に責任を転嫁する大不孝者と言うべきだ。親が産みつけたのは「不生の仏心」だけで、他のものは何も産みつけていない。迷いというものはすべてわが身の贔屓から出るもので、自分から仕出かしておいて、それを生まれつきというのは愚かなことである。仕出かさなければいいだけの話で、そうすれば短気なんてものはなくなるのだ。そなたの短気が出るのは、誰か相手の者がそなたの気に逆らうようなことを言ったりしたりしたとき、用もないのに自分の思惑を立てようとして、それに取り合い、自分から短気を出すからで、わが身の贔屓をせず、相手に取り合わず、我意を立てさえしなければ、そんなものが出る幕はない。そなたはおそらく、小さい頃から周囲の人が短気を出すのを見習い、聞き習いして、無意識に自分の中にそれを取り込んでしまったのだろう。そしてそれが気癖となってしまい、生まれつきだと思うようになった。それは愚かなことなので、このことの非をよく理解して、今後長く短気を出さないようにさえすればよい。短気を出してから直そうとするのはよけいなことで、初めから出さなければ直す短気というものはなくなってしまう。短気だけではない、およそ迷いというのはすべてそういうもので、親が産みつけたものはただ「不生の仏心」一つで、他には何もないのだということをよく信得して、まず三十日間その状態でいれば、自然とそれができるようになる。不生の仏心一つですべては整うということをよく納得し、その状態でいれば、そのまま活き仏になるというものではないのか。

 そういうことを、原文はもっと繰り返しが多いのですが、諄々と説くのです。どういう相談を持ち込まれても、大体言ってることは皆同じだと言ってよい。だから「知的」な人には物足りなく思えるかも知れず、実際このときも、ある「出雲の俗人」が居合わせて、「お示しが少し軽すぎるのではありませんか?」と言うのですが、「お手前が仏心を何でもないものと思って、腹を立ててはそれを修羅道に仕替え、我欲を出しては餓鬼に仕替え、愚痴を出かしては畜生に仕替え、いとも安易につまらない種々のものに仕替えてしまうのが軽すぎるのだ」と逆襲されてしまうのです。軽いどころか、それは重いのだ。だからこそ皆の衆は仏心でいられずに、迷いに明け暮れることになる。しかし、重いといっても、この仏心の道理をしっかり腹に入れて迷いに引きずり回されなくなれば、骨も折らず、軽く、心やすく、活き仏でいられるようになるのだと。


 修行のポイント

「不生の仏心」が何かをよく理解するためには、この点も重要です。それがわかりそうなものをいくつか見てみましょう。

 ある人(僧侶とは書かれていない)がこうたずねました。修行に励もうとしますが、どうしても進むより退く方が強くなってしまって、悩んでいます。どうすれば退かないようになるでしょうか?

 盤珪さんの答。不生の仏心でいなさい。そうすれば、進むこともしりぞくことも不要になる。不生の人は進退にはあずからないので、常に進退を超えているのだと。

 この場合、質問した人は、自分という実体が別にあると思っていて、それが進歩したり、退歩したりしていると思っているのです。まずそこが間違っていて、その地平に終始していたのでは、盤珪さんの言う「不生の仏心」には永遠に行き着かない。それを手放せ、と言えば、また〈誰が〉それを手放すのかという話になってしまいそうですが、それは前にお話ししたことを思い出していただければ、おわかりかと思います。個別の自分が「不生の仏心」を取り込んで豊かになるとか、そういう話ではないのです。それがあると思っている間は、「進退にはあずからぬ」不生の心はわからない。盤珪さんの言葉で言えば、そのとき人は本来の心を離れ、「一心を二心にしてしまう」過誤に陥っているのです。

 この話の後、有名な禅の公案の一つ、「百丈野狐」の話(「因果をくらまさず」というあれですが、ここは直接関係がないので説明はカットします)で悩んでいるという僧侶が登場します。長年それで骨を折っているが、いまだによくわからない、どうすればいいかご教示ください、というのです。

 盤珪さんはこれに対して、「自分のところではそのような古法具(ふるほうぐ)の詮索はしない」と答えます。他のところでも公案を無用の長物視するような発言はいくつも出てくるのですが、公案を重視する臨済宗のお坊さんがそんなことを平気で言うというのは面白い。盤珪さんによれば、しかし、そういう疑念をわざわざでっち上げて、それに頭を悩ませるというのはよけいなことなのです。それは盤珪さんがかつて苦しんだ「明徳とは何か?」のような本物の疑問ではない。作為的な、あてがわれたニセの疑問にすぎない。となると、それは「仏心を疑団に仕替えさせ」ることで、「人に毒を食わせる」ことでしかない。公案の狙いというのは、僕の理解するところでは、頭でいくら考えても解決のつかないような問題を修行者に吹っ掛けて、行き詰まらせ、その「考える自分」そのものを崩壊させるところにあるのでしょう。そのとき洞察が生じるというものですが、盤珪さんに言わせれば、そういう回りくどいことをするより、じかにそこにあるものを指し示してあげる方がいいのです。

 公案擁護派のお坊さんたちは、いや、それでは大事なことはわからない、長年の思考習慣の罠を破って心の深い自覚に至らせるにはそういうテクニックも必要なので、指し示すだけでかんたんに悟れるなら、誰も苦労はしないのだと。

 僕も四十前後の頃、「百尺竿頭進一歩」(ヒャクシャクカントウに一歩を進む、と読む)という、昔何かで読んだ言葉を突然思い出して、それが頭に貼りついて困ったことがあります。禅坊主でもないのに全く余計なことですが(笑)、「オレに死ねと言うのか?」といくらか被害的になって、というのも、竿の先っぽに立っていて、そこからさらに踏み出せば、物理学の法則によって、転落して死んでしまうからです。むろん、それでビルの屋上にのぼって、そこから足を踏み出すなんて自殺行為はしなかったのですが、それとは違うが、心理的には何か似たようなことが必要なのだとはわかっていた。それまではよく自覚していなかった無意識の隠れた恐れや抵抗が残っていて、それを突破しないと先には進めないなと感じていたのです。そこを脱け出るのに数年かかった。地獄のような鬱の数年で、ずいぶんと人にも迷惑をかけてしまいました。むろん、これは禅の坊さんたちが言っているのとは違う意味での解釈でしょうが、そういうことは僕にはどうでもよかったので、妙なものを思い出してしまったものですが、それはたしかに公案の用は果たしてくれたのです。

 話を戻して、だから公案も役に立つことはあるが、下手をするとそれは際限もない観念の遊戯に落ち込んでしまうことがある。盤珪さんの言う「脇かせぎ」になってしまうことはあるでしょう。ああいうのは師匠がよほど偉くないと駄目です。

 次に、「戒律」の問題です。これは子供たちの学校で言えば「校則」のようなものです(笑)。最近はそのようなものが多すぎるようで、僕も塾で生徒たちから「容儀検査」なるものの話を聞いて、やれ前髪が眉にかかっているだの何だの、よくもそんなアホらしいことやってるなと、自分は一度も経験したことがないものだから呆れるのですが、律僧の比丘(びく=お坊さん)がこういう質問をしたという記録があります。

 私どもはつねに二百五十戒を保つようにしていて、これで成仏を遂げようとしているのですが、これはよいことでしょうか、それとも悪いことでしょうか?

 盤珪さん。「それは悪いことではなく、よいことでしょう。しかし、最上とは言いかねる。元々律というのは悪比丘のために作られたもので、まともな僧侶は初めからそんなことはしない。酒を飲まない者には飲酒(おんじゅ)戒はいらず、盗みをしない者には偸盗(ちゅうとう)戒はいらず、嘘をつかない者には妄語戒はいらない。だから戒をたくさん立てて、それを守っていると触れ回るのは、自分たちが悪比丘の集団だと宣伝しているようなもので、自慢にはならない。不生の仏心のままでいれば、初めから戒を守るの、破るのといった沙汰はなくなる。不生の見地からすれば、枝葉末節の事柄で、論じるに足りないことである」と。

 一般世間のことでも、ごく一部の不心得者のおかげで、法律だの規則だのが増え、規制がどんどん強化されます。まともな人間を基準にしていない(笑)。それで、あれこれ不自由、不便なことが増えるが、それで社会がよくなるなんてことはまずないのです。かえって主体性のない人間が増えて、規制しないと何をしでかすかわからないというので、さらに規則や法律が増え、いっそう窮屈になる。「不生の仏心」を信頼していない(笑)。

 これはずっと前に読んだもので、記憶が定かではないのですが、たしかダライ・ラマの自伝だったかと思います。中国に侵略される以前のチベットのお話です。あるとき、どこかの村で夫婦喧嘩の果て、夫が妻を包丁で刺し殺すという事件が起きた。それは一大ニュースとなって、国中が震撼したというのですが、その程度のことで「震撼」するというのは、いかに当時の仏教国チベットが平和であったかということです。日本を含めたいわゆる先進国では、そのようなことはニュースにもならない。少なくともその程度のことで「震撼」する人は誰もいないのです(笑)。当時のチベットのことを僕はよく知りませんが、あそこはおっとりした国で、社会の法律・規則の類もそんなに厳しくはなかったはずです。だから外部的な規制に頼りすぎるというのは、何かが根本的に間違っているのです。

 だいぶ詰め込んだ話をしてしまったので、皆さんお疲れでしょうから、ここでまた一息入れます。盤珪さんというのは割と心理学関係で注目する人が多いような気がするのですが、最後に「心理学的な見地から見たその教え」ということで、僕が気づいたことをお話ししたいと思います。


 雑念の払い方

 これに関して取り上げたいのは、「雑念の払い方」に関する、こういう話です。これは先の『御示聞書』の番号11の付いた箇所で、岩波文庫本の21~22ページ、「師示衆曰」(「師、衆に示して曰く」と読みます)で始める段落の意訳です。盤珪さんがすぐれた心理学者でもあったことがよくわかる一文です。

「人は身びいきから迷いを起こす。たとえば隣の人同士が喧嘩をしたとして、それが自分に無関係なら、どちらの言い分に理があるということを正しく分別して、腹を立てるということはない。自分のことならそうはいかず、すぐに頭に血をのぼらせてしまう」

 これは皆さんどなたにも覚えがありますよね? 自分のことを言われると心がザワザワっとしてきて、次の瞬間、もう「不生の仏心」どころではなくなっているのです(笑)。それはともかく、ここからが盤珪さんの説明の素晴らしいところです。

「仏心は霊明なものなので、自分のこれまでの思考や感情の痕跡をすべて影としてとどめている。その影に引っかかり、それに執着するからまた迷いを起こしてしまう。しかし、それは影にすぎない。念(思い)は底にあって起こるものではない、つまり、霊妙な仏心それ自体に所属するものではなくて、それに映る影であり、その影に対する自我の反応にすぎない。従って、念に実体はない。だからその種の反応は起これば起こるまま、消えれば消えるままにして、いちいちそれに取り合わなければいいだけである。そうすれば迷いは生じない。それに執着して引きずられさえしなければ、たとえ念が群がり起こっても、ないのと同じになる。少しも妨げにはならないので、努力して抑圧したり、排除したりしなければならない念というものは一つもなくなるのである」

 盤珪さんの言う「仏心」は完全なものなので、逆にそのことが災いして、あらゆるものを影として映し出してしまう。無知な僕らはそれに引っかかってしまうというわけです。影だけ見て悩み、葛藤して、かんじんなそれを映す明鏡の存在には思い至らない。鏡それ自体は見えないからです。そこに気づけ、と教えてくれているので、こんな適切なアドバイスはめったにないと、僕は感心します。尚、おまえはかなり恣意的に訳しているのではないかと言われるかもしれませんが、そんなことはないので、僕は翻訳屋のはしくれとして、ふだんできるだけ意味が明確な、わかりやすい文にする努力はしていますが、その際、内容を歪めるようなことがあってはならないと戒めているので、「念に実体はない」というあたりも、原文は「もとより念に実体はありはしませぬよつて」となっているので、何ら恣意的ではないのです。

 もう一つ、こちらは『法語』の番号12、文庫本の100ページのところです。今のところと直接内容的につながっています。

「世俗のある人がたずねた。『念が底にあって起こるものではないというのはわかりましたが、次から次へとそれが起こってやむことがなく、不生になれません』
 盤珪さんがこれに答えて言うには、『生まれたときは不生の仏心だけだが、成長するにつれて周りの人の誤った心の使い方を見習って無意識に条件づけられてしまい、いつのまにか本来なかった迷いの心を身につけてしまって、迷いが達者になってしまうのだ。しかし、迷いは心本来のものではないがゆえに、〈本体は迷いのない不生の心である〉という自覚を強くもつなら、無用な念は消滅するものである。たとえば酒好きの人がいたとする。病気になって酒が飲めなくなると、自然に禁酒になる。その後酒を飲む機会があれば、また飲みたい気持ちは起こるが、そう思うだけで飲まなければ、何の問題も起きなくなる。迷いの念もこれと同じである。思いが起これば、起こるまま、やむままにして、それに動かされて行動に移らず、またそれを嫌って無理に抑圧したりしなければ、妄念はいつのまにか不生の心の中に消え去ってしまうものである』」

 さらにもう一つ、同じテーマです。やはり『法語』の7、文庫98ページ。

「ある人がたずねた。『起こる念を振り払おうとすると、またその後から別の念が生じて、果てしのないことになってしまいます。これはどのようにすれば防げるでしょうか』
 盤珪さんが答えて言うに、『起こる念を払おうとするのは、血で血を洗うようなものである。初めの血は落ちても、また別の血がついて、汚れがなくなることはない。こういうことをしてしまうのは、心が本来迷いのない不生不滅のものであることを知らないからである。念を実体視して、それにいちいち取り合うから、それにからめとられて念の相続が起き、果てしなく輪廻することになる。念は仮に生じた現象にすぎないということを知って、それに自己同一化したり、逆にそれを嫌って排除したりすることなく、起こるまま、やむままにするがよい。不生の心と念との関係は、鏡とそれに映る映像の関係と同じである。鏡はその映る影によって汚染されることはない。それをよく自覚するがいい。そうすれば鏡より何万倍も精妙で明るい仏心は、その光の中に影を消し去ってくれるだろう。この道理をよく納得すれば、念はいくら起きても妨げにはならないのである』」

 現代語訳だけで、もう説明の要はないと思えるのですが、「盤珪心理学」がふつうの心理学や精神分析と大きく異なるところは、意識と無意識、分析する主体と分析される対象といった二元的な対比がそこにはないことです。意識的な自己が無意識を探求して、そこから何かを取り込むとか、分析によって自己のあり方を修正するとか、そういったものではないのです。そうしたことはむしろ事態を複雑化、悪化させるだけだと見る。


 自己理解の要諦

 次のものは、今ご紹介した『法語』12の次の13の訳です。それに続けて同19と、二つ並べてみます。

「ある僧がたずねた。「煩悩や妄想を鎮めることができません。どのようにすればそれができるでしょうか」
 盤珪さんが答えて言う。『妄想を鎮めようと思うのもまた妄想である。妄想は本来存在しないものだが、自分があれこれ分別するところから生まれるのである』」

「ある俗人がたずねた。『先年、雑念が起きるのをどうすれば止められるかとおたずねしましたところ、念は起こるまま、やむままにせよとの仰せでした。その後そのお教えに従いましたが、起こるまま、やむままになりません」
 盤珪さんが答えた。『そなたは起こるまま、やむままにする方法が何かあると思っているから、それができないのだ』」

 どちらも同じことの指摘ですが、僕らは内面の問題でも、無意識に「自分」と「問題」とを分けて、前者が後者を解決するという図式で考えます。そこらへんは江戸時代も今も変わりがないわけです。しかし、「問題を解決する自分」という観念それ自体が問題なのだと、盤珪さんは教えるのです。それ自体が「妄想」の一部なのだと。「方法」が出てくるのも同じ理由によります。「私」が「念」を消そうとすると、「どうやって?」という問題が必ず出てくるからです。心の中で「私」という妄想と、取り除くべき「念」とが戦っている。妄想と妄想との間の熾烈な戦いです。

 ある意味、ここが最重要ポイントです。真面目な人は自分の心の中を眺めてこう言います。「私の中にこのような醜い思いがあってはならない」と。それで取り除こうとするのですが、それはその人の自己イメージを傷つけるからです。私の心の中は高貴なもの、美しいもので溢れていなければならないのです。皆さん苦笑しておられますが、ここにおられる方は正直な人たちなので、僕らの心の中は実際はその逆であることの方が多いということをよくご存じなのでしょう。

 さて、どうしてそういうことになってしまうのか? 理由はかんたんで、それは他でもないその「私」、自己イメージそのものが利己的で醜いものだからです。「美しい私」などというものは存在しません。あると思ったとすれば、それはたんなる自己欺瞞です。美や愛というものは個人の所有物ではなく、所有しようという意識が働くときには消えてしまう、あるいは変質して歪んでしまうものだからです。しかし、「私」という観念には必ずこの所有欲と排他性が伴います。ゆえに「美しい私」は存在しえないのです。

 そうした自己観念それ自体が、心に醜いものをつくり出す元凶なのです。さらに言えば、その醜いものが、それを消そうとして葛藤する思いが、その矛盾した感情が、「私」というものの実際の中身なのです。「私」がそれを消し去れるわけがない。そうしようとすればするほど、事態は複雑化するのです。「血で血を洗う」結果になってしまう。

 盤珪さんは、そういうことをやめろと教えてくれているのです。盤珪さんは今述べた「私」と、それがつくり出す各種の妄想・煩悩を鏡に映る影にたとえました。そして、それを映し出す、その背後にある鏡こそが「心の本体」であると言うのですが、どうして僕らにそれが認識できないのかといえば、「私」という観念に基づいてそれを捉えようとするからです。その場合、捉えられるのはそこに映った影のみで、それを相手に悪戦苦闘するだけになってしまう。「念と念とで相撲とる」(盤珪さんの和歌より)という不毛な事態に落ち込んでしまう。第一部でもお話ししたように、「私」という限定されたものに無限定なもの、絶対的なものは理解できません。その錯誤に気づいて、そこから意識を解放することが必要なのです。

 それが盤珪さんの言う「気づき」なので、僕は別のところで「主語のない意識」という表現を使ったこともあるのですが、「私」以前に存在するその意識でもって、誰がと問うことなく、ただ眺めるのです。それは可能だと、僕は最初のお話で申し上げました。理由も説明しました。「私」自体がたんなる観念、妄想なのです。一個の生命体として機能できるように、僕ら各人の脳には「統合ソフト」のようなものが備わっています。それは「機能」であって「実体」ではないと、そのとき申し上げました。しかし、思考が肉体の見かけ上の独立性をモデルとして、その「機能」にすぎないものを「実体」に祭り上げてしまい、その架空の自己に感情的に自己同一化して、意識がそこに張りついてしまうところから種々の混乱が始まるのです。けれども、幸いなことに僕らはそれが倒錯であることに気づくことができる。盤珪さんの言う「不生の仏心の霊明な働き」ゆえにそれが可能なのです。そのとき「実体」視されていたもの(=自己)は感情の重しを取り除かれて、元のたんなる「機能」に戻る。それはもはや「妄想の発生源」であることをやめる。そのとき影も消え始める。浮かんでも、それらが深く根づくことはなくなるのです。

 盤珪さんのこうした教えは、僕らが盤珪さんのようなすぐれた人格者にならなくても、役に立ちます。それによって僕らは無用の苦悩・葛藤から解放され、心はその分軽くなり、頭もよく働くようになって、以前より知恵も出るようになるでしょう。この根本的な真実をつかんでいるかどうかは大きな違いです。盤珪さんはくだけた調子の和歌もいくつか詠んでいるのですが、「死んで世界によるひるくらせ〔夜昼暮らせ〕、それで世界が手に入るぞ」という自在の境地までは行かなくても、「いつか五欲を身にならはして、それに習うて日をくらす」苦しさからは、理解の度合いに応じて解放されるでしょう。僕が盤珪さんの話を持ち出したのは、何よりこのあたりのことをお伝えしたかったからです。ご清聴、ありがとうございました。


祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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コロナウイルスと自然

2020.05.28(15:06) 727

 本題に入る前に、まずはこの「文春砲第二弾」予告記事です。こちらでは週末にならないと本屋に入荷しませんが、関東・関西ではもう出ていることでしょう。

元雀荘店員が証言「多い時は週3回」 黒川前検事長は10年以上前から「賭博常習犯」だった

 安倍はあの「訓告」処分も、「内閣ではなく、検事総長が決めたものを了承しただけ」と例によって大嘘こいていました。都合のいいことは何でも自分の手柄にするのに、都合が悪くなると必ず責任を他になすりつける。法的にもそれはありえないので、何でこの男はこの期に及んでまだこんなみっともないことをやっているのでしょう? 「私が決めたこと」と言えば猛批判にさらされると恐れるからでしょうが、それでいっそう「男を下げる」結果になるということがわかっていないのです。これが会社の社長や上司なら、部下は誰もついていかないでしょう。日本株式会社は倒産必至です。それはともかく、この記事は、

 今回、黒川氏は国家公務員法上の懲戒処分とならず、法務省内規に基づく訓告処分とされたことが「甘すぎる」と批判を浴びている。だがそもそも、人事院が示す国家公務員の懲戒処分の指針では、賭博をした職員は「減給または戒告」、常習的に賭博をした職員はさらに重い「停職」とされており、「常習性」の有無は一つの焦点だ。5月22日の衆院法務委員会で、黒川氏の賭けマージャンの常習性を追及された森雅子法相が「常習とは一般に賭博を反復累行する習癖が存在すること。そのような事実は認定できなかった」と「常習性なし」と答弁。安倍内閣は、この「常習性なし」を根拠に、黒川氏を訓告処分にとどめたのだ。

 と前置きした上で、「常習性なし」どころではなかったという「雀荘元店員」の次のような“決定的”証言を引き出しているのです。

 黒川氏は10年以上前から、新橋や虎ノ門、時には渋谷にまで足を延ばして、雀荘に足しげく通っていたことが分かった。黒川氏がよく訪れていた雀荘の元店員は、一切報じられていない産経の賭けマージャン仲間、A、B両記者の実名も知っており、こう証言した。

「黒川さんは、週に1~2回、多い時には週3回もいらっしゃいました。いつもBさんが予約を入れるのですが、Bさんが急な取材でドタキャンになることもあった。Aさんが一緒のことも多かった。休日に、ゴルフ帰りの黒川さんたちがマージャンをやりたがって、特別にお店を開けたことも何度もありました。風営法上、午前0時を過ぎての営業は出来ないのが建前ですが、照明を落として午前2時頃まで暗がりの中で続けることもありました。点数を取りまとめていたのはBさんでした」


「やっぱり…」という感じで、一連の報道を見て彼に「常習性」がなかったと信じる人は世間にはいなかったと思いますが、安倍官邸のみはそう信じて、「訓告」にとどめたのでした。辞表を提出したので、「自己都合退職」となって、退職金はいくらか減った(安倍は「減額」と言いましたが、これもそう見せかけたいための嘘で、規定が違うだけなのです)ということでしたが、「訓告」の優しい対応のおかげで5900万は確保できたということで、黒川氏は恩に着て、今後も安倍政権の「不都合な真実」をバラしたりはしないでしょう。安倍政権は子供たちの「道徳教育」にもとりわけ熱心で、道徳を学校の正科にまで昇格させたのですが、素晴らしい題材を提供して下さったもので、僕が学校の先生なら、これを使って、「安倍政権が広めようとしている道徳は、通常の道徳とは正反対である」ことを子供たちに説明するでしょう。マルクスをもじって言えば、それは「逆立ちした道徳」であり、ニーチェ流に言えば、「道徳は死んだ」という宣言に他ならないのです。

 むろん、下々の者は手厳しく罰せられるのですが、権力に親近する者はそれを免除されるのであり、「君たちは出世すれば、悪事を働いても処罰を受けることがなくなる。それは不道徳ではなく、“道徳の超越”と理解されるべきだ」と苦し紛れ説明されるでしょう。お勉強まるで駄目の安倍晋三は杜撰なネトウヨ本しか読んだことがなくて、マルクスやニーチェを読んだことは一度もない(読んでも理解できない)と思いますが、これはある意味で安倍版「超人」思想であり、安倍流「アウフヘーベン」(これも安倍は知らないだろうが、ヘーゲル哲学の用語)なのです。伝統的な日本語ではこれを何というかと言えば、「身勝手」とか、「ただの出鱈目」と呼ばれるのですが…。ほんま、ええ加減にさらせよ。

 この件は以上として、ここからが本題で、次の記事は非常に興味深いものでした。

・コロナ危機は「自然界の逆襲」人類がグローバル依存から脱却すべき理由

 見た目がこわそうなので、どっかのやーさんか、アングラ劇の主宰者、またはヘビメタのミュージシャンか何かだと思うかもしれませんが、この五箇公一(ごか・こういち)氏はれっきとした「生物多様性の専門家であり、国立環境研究所の生物学者」なのです。

〔ウイルス〕流行の背景にあるのは、人間による野生動物の世界の撹乱です。アフリカ、中南米、中国の奥地など未開の地において、土地開発や農耕地の拡大による自然破壊、動物の乱獲、密猟、売買などが繰り返されることによって、自然界に埋もれていたウイルスと人間が接触するチャンスが必然的に増えてしまいました。

今回の新型コロナウイルスの場合は、コウモリか絶滅危惧種のセンザンコウ(中国ではその肉が珍味とされ、汚職役人の接待に使われたりする他、ウロコが漢方薬の原料として高値で売買される)を媒介としてヒトに移り、その後突然変異によって数種のタイプに分かれたと見られています。

 しかもこのグローバル社会では、人間が東西南北をあっという間に移動できる。都市部では人が密集していて、ウイルスが一旦侵入すれば爆発的に広がりやすい環境が整っています。新型コロナウイルスはまさに、そうした時代の流れに乗って瞬く間に世界中に広がりました。
 人間社会にとってみれば、ウイルスは恐ろしい病原体であり、疎ましい存在です。それゆえに今までは「排除するべきもの」としてしか捉えられてきませんでした。
 しかし冷静に考えてみれば、彼らは人間が地球上に登場する何億年も前から生態系のなかで生き続けており、野生動物とともに進化を繰り返してきました。それは彼らにも自然界における存在意義がちゃんとあるからなんですね。


 ふむふむ。元はと言えば、ウイルスの方が生物としては「先輩」なわけです。つまり、相応なリスペクトが必要だということになる。しかし、今の人間にそういうものは全くない。それで「新型コロナウイルスを含む新興感染症は、まさに人間に対する『自然界の逆襲』と捉えるべき事態です」と述べ、これは多くの人が漠然と感じていることだと思いますが、

 これからは「自然共生社会」の本質を見つめ直し、人はこれ以上野生生物の世界に立ち入ってはいけないことを改めて認識すべきです。かつての共生関係を保ってきた人間社会と自然界の間のゾーニングを取り戻すことが必要なのです。世界全体が独占主義的な考え方を捨て、自然共生を図り、持続的な社会構造へとパラダイムシフトをすることが求められます。

 と結論づけるのです。異議なし! かつての日本はどうであったか?

 日本は現在、資源の大半を海外から輸入している資源依存大国です。しかしかつてはそうではなく、この狭い島国で約1万年もの間、自立して生活してきた国だったのです。
 歴史上特に注目すべき循環型社会を維持していたのが江戸時代です。地方ごとに独自の経済構造を持ち、江戸を中心に緩やかにつながる地方分散型社会では、隔離された環境の中で資源を回す知恵があった。それでいて完全に外部を遮断するわけではなく、大陸とも適度に交流していたため、文化も隆盛を極めました。
 生物の世界には、それぞれの環境に適応した集団が分散して生息することで、どこか1つの集団が潰れたとしても他の集団からの供給が働き、種全体としては生き残れるという個体群構造があります。
 江戸時代もまた、地域ごとに最も適応度の高い社会を作り、経済を分散させることによって全体の適応度を上げていました。ところが、いま世界中で進行しているのは、地方分散型社会とは真逆の、画一化としてのグローバル化社会です。
 これは生き物の世界に置き換えて考えると非常にまずい状況です。全ての遺伝子がミックスされると変異(個体ごとの形質の違い)がなくなり、突発的な環境の変化とともに種が絶滅する恐れがあります。リーマンショックで世界中が一気に混乱に陥ったのと同じ構図です。
 グローバリゼーションの弊害は、何か問題が起きると全体が潰れかねない経済の脆さです。社会全体の持続性を高めるためには、グローバル化とは異なる方角に舵を切らなくてはなりません。


 これも、その通りだと思われます。少し脱線させてもらうと、この前も塾の生徒にたまたまそういう話をしたのですが、今は自然界の多様性が失われているだけでなく、人間の個としての多様性も乏しくなっています。昔は、今ほどサラリーマンが多くなかったので、親の職業も様々でした。商店などでも個人の自営が多かったし、農業、漁業、林業と、親が従事する仕事も様々だった。これは公務員やサラリーマンが悪いと言っているのではありません。ただ、今はそれが多くなりすぎ、子供の感性や考え、発想の仕方は親の職業、仕事の形態からもかなり大きな影響を受けますが、親がみんなサラリーマンになると、それだけ子供たちの個としての多様性も貧弱化するのです。

 三十代の頃、僕は関東である塾の個別指導部門の総管理者(肩書は「主任カウンセラー」というよくわからないものだった)をしていて、最盛期には二つの教室で、七、八十人の学生(院生も含む)講師がいました。見ていて面白いなと思ったのは、その考え方や発想、感性から大体の親の職業がわかる気がしたことで、「君の実家は自営だろう」ときくと、そういうのはほぼ100%当たっていた。何でわかるんですかときかれても、説明は難しいが、父親がきこりで、家がいわゆる第二種兼業農家だった僕が気づかないままその影響を受けていたのと同じで、発想や意識の働き方からして、何となく推測がついたのです。中には親が公立学校の先生なのに、それらしくないのもいましたが、その父親に昔教わったことがあるという別の講師や事務の子に聞くと、それは自由な雰囲気の先生で、権威主義的な型にはまった感じがなかったという話で、なるほどと納得したこともありました(にもかかわらず、その人はのちに市の教育長にまで出世して、ある中学で暴力のもみ消し事件が起きたとき、保護者たちの通報に対して迅速な対応をとり、隠蔽を企てた校長に厳しい懲戒処分を行なった)。

 これに、何番目の子かなんてことも絡んできて、もって生まれた素質はもちろんですが、複雑な個性が織りなされるので、長子と末っ子は違うなんて俗信も、根拠はかなりあるなとその頃観察しながら思ったのですが、何にせよ、親が事務公務員やサラリーマンばかりになれば、子供たちの個性の多様性もそれだけ乏しくなるのは確かだと思われたのです。自営でも、フランチャイズの店長と完全な独立自営とでは大いに異なるでしょう。

 今回のコロナでは、その乏しくなった自営が大打撃を受けているので、さらに減ってしまうのではないかと、僕はそれを危惧しているのですが、これが自然となると、その地域の多様性はすでに深刻に損なわれている。前に何度も書きましたが、それはあの農水省の愚かしい全国植林奨励政策で、やめどきを知らなかったために、各地の豊かな原生林の大部分が消滅したのです。もしもそれが残っていれば、沿岸漁業がこれほどまでに深刻な打撃(漁師さんに聞けばそれはわかります)を受けなかっただけでなく、観光資源としても、種の多様性の宝庫としても、はかり知れない価値をもちえたでしょう。しかし、そうはならずに、崖崩れの多発と、花粉症患者の激増を招くだけになったのです。コンクリによる無残な護岸工事や、河川の無用な砂防ダム建設も目に余るもので、僕の田舎の川なんて、元は素晴らしい渓流だったのに、面影を全くとどめていません。山も川も死んでしまった。見渡す限りのスギ山で、年中景色は同じ、川に行っても昔の十分の一も魚はいないという惨状です(十分の一は控えめな数値です)。しばらく前には台風による集中豪雨でその杉山が巨大な地滑りを起こし、川がせき止められて、大惨事が起きそうになった。その後始末の工事がまた、生態系への配慮もクソもない、無考えにカネだけかけたものと来ているから、言葉を失うのです。国破れて山河ありと言いますが、戦争に負けても豊かな山河は残っていた(それが子供たちを育ててくれた)のが、経済がゼロ成長になった今、かつてはあったその豊かな山河そのものが死にかけているのです。こういうの、何と言えばいいのか。地方消滅は人口に関して言われたものですが、生きた自然に着目するなら、それに劣らぬ惨事がすでに起きているのです。

 暗い話をしてごめんなさい、という感じですが、十年ほど前に高千穂のさる山林主が杉山を伐採して、そこに元々はあった各種の広葉樹の苗を植え直すという試みに、ボランティアで参加したことがあります。こういうのは原生林復興の企てで、それはその人が全部自腹で苗を買って行なったものですが、農水省あたりは罪ほろぼしにそういうことを全国規模で実施することを検討すべきでしょう。「浦島太郎の経済学」と揶揄されるアベノミクスは従来路線の経済発展(もう終わっている)を継続しようと腐心するもので、お話にならないので、彼ではなく今後の政権に期待するしかありませんが、日本の自然復興のプロジェクトを真剣に考え始めるべき時です。これからの地方振興というのは、そこにミニ都会を作り出すことではない。自然の復興を含めたその地域独自の産業、文化を取り戻すことです。

 コロナでテレワークがあらためて注目されていますが、地方に居住して子育てをしながら、東京の会社の仕事をするということも今は可能になっているわけです。文化的なことではそれはさらに容易になっているので、パソコン一台あればできることが今は多い。僕のような兼業翻訳屋でも、メールに添付して原稿を東京の出版社に送って、編集者とパソコンで、たまには電話でやりとりして、僕は古くさい人間なので、最後に紙に印刷されたもので最終チェックするから、一度や二度は宅配便の世話にもなりますが、大方は距離に関係なく秒速でやりとりできるので、どこにいようと違いはないのです。編集者が北海道で、こちらは九州、会社は東京と分かれていても、業務に支障はない。その意味ではほんとに便利になっているので、塾なんかでも、僕はそんなこと今さらやるつもりはありませんが、各地に散らばった生徒とパソコンで授業をすることができるでしょう。同じやり方でカウンセリングや講演もできるわけです。これは、都会に住んでいなくてもできることがたくさんあるということで、地場産業従事者にそういうやり方で仕事をする人を加えれば、地方人口を維持して、活気をもたらすことはできる。そういうことが、今回のコロナ騒動であらためてわかったわけです。黒川氏と記者たちみたいに、“3密”で賭け麻雀をやらないと人間関係が保てないというものでもないでしょう。どうしてもそうしたければ、地元の人間とすればいいわけです。

 上の記事に「資源の大半を海外から輸入している資源依存大国」とありますが、これには食料自給率の低さも含まれるので、かろうじてコメだけは自給できているが、僕が子供の頃よく見かけた小麦畑なんて、今はほとんどありません(調べてみると、その自給率は僅か14%にまで低下している)。茶畑は今もちゃんとあって、これはほぼ自給できているのでしょうが、昔はたくさんあった桑畑なんかも、今はないでしょう(子供たちはあの桑の実を夢中になって食べ、口の周りを紫色にして、お互いの顔を見て笑い合った)。なんで桑畑がかつてはたくさんあったかと言うと、その葉でカイコを飼っていたからです。僕の家でもシーズンには一間をカイコにあてて、そこでカイコたちがバリバリ、バリバリ音をたてながら葉を食べていたことをよく憶えているので、それはなかなかの壮観だったのですが、日本は当時、世界一の繭生産国だったのです。しかし、1969 年(昭和44 年)に中国にその座を奪われ、「輸入は1972年(昭和47 年)に10 万俵を越し,日本はいまや生糸輸入国になった」(大日本蚕糸会の資料による)のです。シルクの需要は今もあるのだから、無用の産業になったわけではない。綿花も、昔は日本でも栽培されていたので、僕は小学校に上がったばかりの頃、隣の伯母の家で、伯母が手回しの木でできた器具で綿の部分だけ分離させる作業をしているのを見物していたことがあります。こういうのも、今は輸入頼みになっているわけです。

 こう見てくると、昔の日本の農家では四季折々、実に色々なものが栽培され、作られていたことがわかるのですが、経済合理性には合わないということで、国際分業の流れの中で、どんどんモノカルチャー化していき、気づいてみたら、食糧自給率ですら37%という惨状に陥ったのです。子供たちの自然との付き合いもどんどん減っていった。イタドリやワラビ、ゼンマイなどの山菜も、延岡あたりにはまだいくらもあるのですが、子供たちはそれが食べられるものであることすらロクに知らないのです。今はビワが実をつけていて、スーパーの地産地消コーナーには出ていますが、近くにあるビワの実はなりっぱなし、落ちっぱなしです。もう少しするとヤマモモのシーズンですが、あれは学校の校庭や公園など、たくさん植わっていて、おいしい実をつけるにもかかわらず、誰も見向きもしない。僕はあれを食べないと夏を迎える気分になれないので、今でも毎年木に登ってあれを取って食べている(学校の中に入ると不審者扱いされるので、おいしそうなのがあってもそれができないのは残念)のですが、「今どき、そんなことをするのはあんたぐらいだ」と笑われてしまうのです。近くの公園の下にグミの木が一本あって、僕はあの渋みのある実が好きなので、それもこっそりとって食べたりしているのですが、枝が伸びるとすぐ切られてしまうのは、周囲にあれを取って食べる人が誰もいないからでしょう。昔からあった色々な魚の捕り方もほとんど知らないし、こういうのでは万が一のときのサバイバル能力はゼロではないかと思われるのですが、誰もそんな心配はしないのです(僕はわが子には、遊びを通じてひととおりのことは教えましたが)。これでは、田舎にいてもいる意味があるのか疑わしいので、「心は都会人」なのです。上の記事にある「画一化」は、こういうところにもはっきり出ている。昔の田舎の子供は、たしかに勉強面では大いに遅れていたが、他に都会の子供にはない色々な強みがあった。今は、ただ勉強が遅れているだけで、他に大した取柄はないのだと言えば、叱られるでしょうか。

 話を戻して、今は家畜の飼料も大部分は輸入なので、国家の独立性、自律性を維持したいと思えば、そこらへんも考える必要がある。先進国で日本ほど自給率が低い国は他にありません。かつては自給率が低かったあのイギリスですらほぼ70%にまで回復しているのです。これは緊急事態で貿易が止まれば、まっ先に潰れるのが日本だということを意味します。

 今は農学部人気が高くなっていて(上の記事の五箇公一氏も京大農学部の出身である由)、これは子供たちが無意識に忍び寄る危機を感じ取っているということなのかも知れませんが、グローバリズムはほどほどにして、上記の文にもある江戸時代の循環型経済・生産システムや、国内拠点の分散化、多様化を真剣に考えるべきときが来ていて、経済の活性化も、そうした方向を考えるとき初めて可能になるのかもしれません。同時に、ウイルス対策はもとより、アマゾン密林の急激な消失や、世界のサンゴ礁の絶滅(前にも書きましたが、このまま温暖化が進めばあと30年で完全に消える)など、国際協力が必要な問題は増えているのだから、利己的な自己防衛心理から「自立」を考えるだけでは失敗する。トランプみたいなのはまるっきり駄目だということです(覇権主義的な習近平の中国も困りものですが)。

 僕が環境問題で気になるのは、生活感覚、いわば肌レベルで、この問題を感じることが減っているのではないかということです。何度も言いますが、今は地球史上第6番目の生物大量絶滅のさなかにあります。科学者たちは繰り返し警告を発していますが、これまでとの違いは、それが人間の活動によってひき起こされたものであるということです。日本はそれとは関係ないみたいに思っている人が多いでしょうが、先にも書いたように、これはげんに国内でも進行していることなので、僕は科学者ではないので、データはもちませんが、原生林が消えて山は破壊され、川も、きれいな水が流れているので昔と変わらないと思うかもしれませんが、そこに潜ってみると、魚を初めとする水中生物が、数も種類も激減していることが感じ取れるのです。数年前、僕は故郷の川で魚を捕ってみました。昔はウジャウジャいたのが、これほどひどい状態になったのかと驚きましたが、そのとき注目したのはハゼの種類で、昔は何種類もいたのに、一時間以上もかけて、たった一種類しか見つからなかった。山も同じで、植生が貧弱になっただけでなく、生きものそのものが少ない。クワガタなんかも激減しているのです。あれほどたくさんいたヘビも少ない。谷なんかは面白いもので、そこに特有のタイプのエビとか貝がいたのですが、そこまでは調べませんでしたが、人工林による山の荒れ具合からして、おそらくそれらも消えているでしょう。何もかもが変わってしまったので、僕はただひたすら悲しかったのですが、こういうのはおそらく全国的な現象で、よく行く延岡の河川などでも、昔のことは知らないのですが、明らかに魚の個体数が少ない。ニホンウナギなどは久しい以前に絶滅に近いレベルにまで減っていますが、昔は放流なんかしなくても、ものすごい数がいたのです。

 こういったことに僕は恐怖を感じるので、だから生物大量絶滅の話もリアルなものとして受け止められるのですが、子供の頃生活の中で自然と接触することが少なければ、そうした変化が実感されることもないわけです。自然がもつ神秘に畏敬を感じることもない。そうした神秘は子供には最も強く感じ取られるもので、見えざる神々がそこにはいるのです。そうした感受性が消えてしまえば、それはもうたんなる経済的な資源、搾取の対象でしかなくなって、結果として今全世界で起きているような度の過ぎた自然破壊が起きるのです。

 そこらへんの感受性の問題があると思われるのですが、こういうのはアウトドア・レジャーの類とは性質が違います。「自然を愛する」と称してどこかに出かけて大音量で下品な音楽をかけ、バーベキューパーティを開いて、むやみと周囲を踏み荒らし、ゴミはそこらに平気でまき散らしてくるといった、それ自体が自然破壊の一つに他ならないことをしても害になるだけで益はない。野生動物をペットとして飼い、持て余すとそこらに捨てに行って、おかげでアライグマだのカミツキガメだのが勝手に繁殖して、生態系にもそこに住む人たちにも大迷惑をかけるといったことも同様です(大体、そんなものを売るな)。しかし、そういう馬鹿が今は掃いて捨てるほどいるわけです。

 僕は親御さんたちに、子供に自然と接する機会をできるだけ多く与えてもらいたいと思うのですが、もっと違うやり方があるので、やたらお上品になる必要はないが、子供を連れて行って遊ばせていれば、自然にそれがどういうものかはわかるようになるものです。根本のその感受性が狂ったり、やせ細ったりすれば、真に健全な共生思想はもてなくなってしまうでしょう。まずはそこから始めるのが一番効果的かなと思ったりします。ものを考える際、土台となるのはその人のもつ感受性だからです。


祝子川通信 Hourigawa Tsushin


  1. 文政権「愛の不時着」から「愛の遭難」へ(06/17)
  2. 生命の悠久の旅(06/16)
  3. 日韓破断と「愛の不時着」のノーテンキぶり(06/10)
  4. 盤珪禅師の「不生の仏心」について(05/30)
  5. コロナウイルスと自然(05/28)
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