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私立医大の入試不正、募集要項に明記したら?

2018.10.18.16:09

 東京医科大の不正に端を発したこの問題は、他にも飛び火し、新たに昭和大、順天堂大などでも常習的に受験生の得点操作が行われていたことが明らかとなって、世間の注目を集めています。大体は20点内の幅で、男子受験生には加点、女子と多浪生は減点、というようなもので、他は自校OBの子弟を補欠合格の際には優先する、といった情実主義的なものです。昔は願書を提出すると、ただちに「寄付のお願い」という文書が送られてきて、一口ン百万のそれを何口かしておけば、合格は保証されたようなものだという、露骨というか「わかりやすい」金権医大もあって、名前は言いませんが、「あそこ出身の医者がやっている病院には行かない方がいいよ」なんて話が囁かれたりもしたのですが、近年は医学部人気のおかげで、国家試験の合格率も低かったそうした「ヤブ医者製造工場」と見なされていた元三流医大でも、軒並み偏差値60を超えているのだから驚きます。

 地方の医学部受験生の場合、私学を受けるのは親が病院経営など金持ちの場合にかぎられていて、親がふつうのサラリーマン、公務員だと、学費の関係で初めから国公立オンリーです。わが零細塾でも、これまで医学部に進んだ生徒は何人かいますが、一人を除いて他は全員国立で、私大の選択肢はなかった。だからあまり関係はないのですが、一般論として書いておきます。

 それは、初めから入試要項に、受験生の属性に応じた加点、減点のその対応方針を具体的かつ詳細に明示しておけ、ということです。医学部には国から多額の補助金が出ていて、私立でも比率は違うとはいえ、出ているのは確かなのだから、その不公平さの度合いに応じて補助金の減額または全面カット等の措置は当然行うとしても、それが正直、明朗なかたちのものなら、ある程度認めてやってもいいのではないかと思うのです。

 わが国では不自然なまでに女性医師の比率が低くて、それは「医者は男の方がいい」という古くさい思い込み(女性の方が概してコミュニケーション能力が高いというのは心理学では常識なのですが)によるところが大きく、医師の労働環境が女性には適さないというのなら、そちらを変えればいいのですが、そういう取り組みはせずに、うちは旧態依然たる思い込みに基づいてやってる大学です、ということを天下にPRするのです。多浪の受験生にも、そこを受ける場合には20点は現役より多く取ることが必要だとわかって親切です。「そんな差別をする大学になんか行くか!」と思う正義派の受験生は初めから受けないので、加計のあの獣医学部だって、僕が親なら、あんな設立経緯にいくつもの疑惑があるところはわが子が獣医志望でも絶対に受けさせませんが、それでもかまわないと思う受験生だけ受けることになって、他に害は及ばなくなるのです。内々でこっそりやるから悪い。

 こんなことを言うと叱られるかもしれませんが、元々私立には裏口がつきものです。僕自身、新聞配達しながら浪人していたとき、店主から裏口の話をもちかけられたことがあります。その人はなかなかのやり手で、販売店をいくつももっていました。本社に対してかなりの発言力をもっていただけでなく、都内二つの私大に裏口ルートをもっていた。そのうちの一つは東京六大学の一つだったと言えば驚くかも知れませんが、僕が聞いたところではそれは事実なのです。もう一つも誰でも名前は知っている中堅大学でした。後者の方は、店で扱っているスポーツ新聞の営業部長がその大学のOBで、母校に顔が利き、毎年数人の個人枠があるということでした。げんにそのおかげでそこに入ったという先輩が僕が勤務する店にも一人いたくらいです。よく顔を見せるその恩着せがましい営業部長氏(内ポケットから手帳を出して「君の点数は…」なんて言ったりする)を、当然ながらその先輩は嫌っていましたが、販売店としては、あの業界は当時から人手不足に悩まされていたので、その代わり大学卒業までそこで働くという条件なら、利益になるのです。

 そのやり方は、どちらも実際の入試得点に10点か20点の下駄をはかせるというもので、東京医大や昭和大のそれと同じだったのです(300点満点でそれならかなり大きい)。むろん、それでも全然足りないという場合は落ちてしまうので、それで足りる程度には得点できなければならない。「君の場合には…」と店長は僕を呼んで言いました。その東京六大学の方が大丈夫だろうと。他の人が利用するのは気にならないとして、自分がそういうものに頼るのは好まなかった僕は即座に断りましたが、ではどこに行きたいのだと訊くから大学名を言うと、「うーん。あそこになるとちょっと無理だね。ルートがない」と真面目な顔で言ったので思わず笑ってしまったのですが、実はそこにもちゃんと(?)裏口が存在したことがその後何年も経ってから判明したのです。それは商学部の不正入試事件でした。

 真偽は不明ながら、その後大学生になってから、アルバイト先で麻雀の負けが込んでバイトを余儀なくされたという慶応医学部の大学院生と会って、その人は名古屋大を出てからそこに入ったという話でしたが、慶応の医学部にも裏口はあるという話を聞かされたことがあります。慶応医学部は当時から私大医学部のトップでした。ほんとかなと思いましたが、それはあるので、多額の寄付金の見返りに金満医者の馬鹿息子などを入れるのだという話で、しかし、そういうのは大方落第していずれ中退することになるから、大学としても傷はつかず、慶応らしいたいへんスマートな集金方法なのだとその院生は説明しました。なるほどねえ。1980年に発覚して大騒ぎになった早稲田の商学部のあの事件にしても、一人1千万なら、一学部あたり10人ずつそれを入れれば、学部単位1億の増収になって、貧乏大学(当時、金持ちの日大に借金していて、大隈講堂がその抵当に入っているという噂が学生間でまことしやかに囁かれていた)としては大いに潤う。公然とそういう枠を設けていいのではないかと、僕は事件当時悪友どもと話した記憶があるので、そういうのがあると、あまりにもアホな学生は、「あいつは例の裏口組だな」と言われてしまうので、少しはまともになるかもしれない。そういう内部の引き締め効果も期待できるので、メリット満載ではないかと思われたのです。それはせずに、ヒロスエだの東国原だのを、何の実益もないのに、不透明な何とか入試で入れるから「あんなのと一緒にされたくない」心理が働いて、逆効果になる。「裏口定員枠各学部10名。必要な寄付金は、そのときの倍率、または学部の偏差値等によって多少変動する場合がありますので、専用窓口にお電話にてお問い合わせ下さい。☎ 03-○○○○-9696」と募集要項に明記すればいいのです。

 アメリカの有名な、いわゆるアイビーリーグの大学は全部私立ですが、有力者やOBの子弟が優遇されていることは明らかで、たとえば、あの非道なイラク戦争の元凶、元大統領のブッシュ・ジュニアなどにしても、彼は名門イェール大学の出身ですが、彼の知能・学力からして実力で入れたわけがない。大学OBのパパ・ブッシュの口利きで入ったことは明らかで、日本式に言えば完全な「裏口」なのです。その後、ハーバードのロースクールに入ったのも、父が裏から手を回したからで、アメリカでそれが糾弾されたという話は聞いたことがありません。ああいうのは皆が初めから奴は裏口だと承知していて、一般のイェールやハーバードの基準で見ることがないから、実害もないわけです。

 そこらへん、「わかりやすい」わけで、アメリカの猿真似ばかりしたがる日本は、そのあたり、もっと正直にわかりやすくしたらどうかと思います。権力者なので、あるいは寄付をたくさんしたので入れました、ということが世間にわかりやすくなればいいのです。それが全体の数パーセントにとどまり、それが守られ、外部にも周知されているかぎり、その大学の一般学生の評価が下がることはない。

 そうしたことを明らかにせず、公平無比であるかのように装って、裏でこっそり加点したり、減点したりするから悪いのです。そういうのは詐欺なので、昔は短大などで、推薦で大部分の入学者を確保しておいて、それを告知せず入試をやって僅かな合格者しか出さず、偏差値を釣り上げ、文科省に「改善」を命じられたけしからんところがありましたが、正直明朗にデータ提示をしないのは卑怯というものです。そういうことをやっているから医療費の不正請求を平気でするような医者が続出するので、こういうのは大学がそのお手本を医者の卵に示しているのと同じです。

 ということで、正直にそれを明示しなさいね。たとえそれで受験者が減っても、それは仕方のないことで、加計の獣医学部と同じで、今の医学部人気からして、その減り具合は大したものではないでしょう。また、そういう不正が行われているのを承知で受験し、合格した女子学生や多浪生は、とくに優秀だった、少なくとも余裕で合格したことが明らかになって、入学後も鼻が高いわけです。世間からも立派だとほめてもらえる。それでいいではありませんか。英語の諺にもあるように、Honesty is the best policy です。

英語「民間試験導入」をめぐるこの喧嘩、明らかに東大が正しい

2018.09.21.15:54

 次の記事を読んで、東大を見直しました。同時に、KO元塾長の「見識」のお粗末さに慄然としました。

東大vs慶應 偉い教授たちが罵り合いの大ゲンカ勃発

 2020年度、つまり今の高1が大学入試に臨むときから、現行センター試験は「廃止」されて、英語は「民間試験」を代わりに使う、ということになっているのですが、これは安倍政権下で進行しつつある「教育破壊」(学歴コンプレックスが裏目に出て、とにかく彼はいらんことをしたがる)の代表例のようなもので、入試現場は大混乱に陥るだろうと、かねて僕は予言しています。そういうアホな答申をした連中の顔が見たいと思っていたのですが、この「元慶應義塾塾長・安西祐一郎氏」は、「2014~2015年に中央教育審議会(中教審)の会長を務め、『民間試験導入』の制度設計責任者だった」そうで、そのアホ答申のいわば「元締め」だったわけです。

 僕は今年の三月、進学大学が決まった生徒たち用にTOEICやTOEFL向け教材を使った授業をしたのですが、あらためて「こんなもの、大学入試に使えるわけない」と思いました。前者はビジネス英語、後者は留学の際必要になる試験です。用途が違う上に、要求される語彙量も多すぎる(とくにTOEFLは)。これに英検(これは「実用英語」検定試験)など加えて、そのどれかから選べと言っても、そこに統一的基準を設けるのはほぼ不可能です。

 だから、「現在、提案されているやり方だと、英語の試験を複数の民間業者に丸投げするようなかたちにもなりかねないが、それぞれビジネスや教養など目的も違い、設問の仕方も違う。それなのに無理にセンター試験のように共通の基準に換算しようとしている。それでは受験生のスコアを正確に比較することは簡単ではありません。走り幅跳びと棒高跳びを比べるようなものです」という阿部公彦・東大教授の指摘は正しい。

 安西氏によれば、「英語力というのは、しっかりした構文規則と豊富な語彙を使いこなし、相手の立場や文脈を考慮して、論旨明快に英語で表現する力のことだ」そうで、それには僕も賛成しますが、勉強には順序というものがあって、今の高校生にいきなりTOEICやTOEFLなんて、そもそも無理なのです。無理にそれをやろうとすれば、基礎がおろそかになって、かえって学力がつかなくなる。

 僕は高校レベル、大学入試レベルの土台ができた生徒相手にTOEICやTOEFL用の授業をしたのであって、その前段階を飛ばすことはできない。それはむろん、大学のレベルにもよりますが、そこをちゃんとクリアしたうえで、大学生になってから、その種の試験は受ければいいのです。「いや、今の大学入試用の勉強はその役にも立たないのだ」なんて安西氏は言うかもしれませんが、それは嘘なので、げんにうちの息子は初めから留学を考えていたので、大学に入ってからTOEFL用の勉強を始めて、受験しましたが、ibtで100点をクリアした。120点満点だから悪くはないわけで、「今の大学入試用の勉強は役に立たない」なんて大嘘なわけです。

 もう一つ、ああいう試験は半分は要領で、それがいいから申し分のない英語力があるという保証にもならない。「表面的」なのはセンター英語と同じなので、今の国立二次で問われるような抽象度の高い英文の精確な読解能力や、日本語に移し替える能力は、学問には不可欠なのです。

 同じ東大生と言ってもピンからキリまであるでしょうから、「東大生がすべてこの力をもっているとはとても言えない」とは言えるでしょうが、無責任な「民間試験導入」でそれが果たされるだろうとは「とても言えない」わけで、「何をとち狂ったこと言ってるんだ、このオッサンは…」ということにならざるを得ないのです。大体、こんなこと言っては叱られるでしょうが、中教審のセンセ方の語学力それ自体が大したことないのではありませんか? 緻密な思考能力が欠落していることは言うに及ばず。率直に言えば、頭が悪すぎるから、あんな無責任な答申を出すのです。

 僕は現行のセンター試験に関しては、単純に全廃して、各大学の個別試験に委ねるべしという考えですが、民間試験導入よりは今のシステムの方がまだマシだと考えています。東大はおそらく独自の一次試験を、英語に関しては課すつもりなのでしょう。元々東大は、共通一次導入以前にも、独自の一次試験をやっていました。そちらに戻せばいいのです。

 共通一次(センター試験の前身)導入の際は、僕の記憶が正しければ、東大の法学部と医学部が「参加しない」と表明して、文部省(当時)を激怒させ、仕方なくそれにおつきあいすることになりました。ついでにいえば、京大は「全面協力」を表明して、当初は「共通一次重視」の配点をしたのですが、しばらくするとキャンパスの雰囲気が変わってしまい、「何じゃ、これは?」という感じの薄っぺらな学生が増えてしまって、危機感を抱いた大学当局は一転、「二次重視」に配点を変えた。それでやっと「元通り」になったというような話を、僕は当時の文学部長だった藤沢令夫氏のエッセイで読んだ記憶があります。学問というのはヘンにものわかりのいい、表面的な理解しかもたない人間には不向きなので、大方の人が「あたりまえ」だと思うことがどうして「あたりまえ」なのかわからないと、そういうところにひっかかりをもつある意味馬鹿な人間が必要なのだと、このプラトンの研究者は言っていたので、そのままセンター重視でやっていれば、深みのない平面ガエル的秀才(そういうのはAIの発達でもう用済みになっている)に侵略されて、京大の良き伝統は失われる羽目になっていたでしょう。

 共通一次の時みたいに圧力に屈することなく、東大は「誤った政策に対する『最後の防波堤』」になれるかどうか、真価が試されていると言えそうです。「官の圧力に弱い」のは東大の宿痾(しゅくあ)のようなものなので、土壇場で腰砕けになって「やっぱり…」と言われないようにしていただきたいものです。

学力テストの地域間格差について思ったこと

2018.08.02.13:39

 小6と中3を対象とした平成30年度の「全国学力・学習状況調査(通称「学力テスト」)」の結果が7月31日公表されたそうですが、「例年、調査結果は8月末に公開していたところ、教育現場が夏期休業を利用して結果分析や学習改善を計画できるよう、2018年度から7月末の公開に前倒しした。各都道府県は今後、調査結果をもとに授業の見直しを図る見込み」(リセマム)なのだそうです。文科省の老婆心、というか余計なお世話のおかげで、平均点が低かった自治体の関係職員や学校の先生たちは、夏休みもおちおち休めなくなるわけです。

 こういう試験は元々、教育現場にはかなりの負担になっているでしょう。実施の手間だけではなく、「全国平均を下回るのは恥だ!」ということで、いわゆる過去問をやらせたりして、その「対策」に時間が取られているだろうからです。

 今どきの学校はすぐそういうことをする。高校などでも、今は業者模試を受ける際、事前に過去問をやらせて「対策」することがあたりまえになっているようです。実力テストは実力で受けるからこそ実力テストなので、何でそんな余計なことしているのかなと、昔人間の僕などは思いますが、学校の先生たちは思わないのです。中には、自分が担当する教科の問題を事前にこっそり見ていて、「問題演習」にかこつけて、授業でそれとほとんど同じ問題を解かせたりするのまでいる。当然、平均点は上がります。そうやって自分の教科指導能力を学校の同僚や管理者に向けてアピールしたいのでしょうが、仮に本番の入試でそれをやったら明白な不正行為です。まともな生徒も「よけいなことしやがって」と腹を立てる。

 およそ日本人ぐらい横並び競争が好きな民族もいないので、「世間並」が学テの場合、「全国平均」になる。それを下回っては大変と各学校、自治体は必死になるのです。

 しかし、実際問題としていい県はどこで、駄目な県はどこなのかと、こういうニュースを見るとつい気にかかってしまうものです。それでニュースを検索していると、次のような記事に出くわしました。

学力テスト 過去2度最下位の和歌山  小学校国語Aで10位

 おお、これは! わが郷里の和歌山県は不名誉な最下位争いを演じていたのです。

 和歌山県内の公立小中学校の平均正答率は、小学校では過去2回(平成26、28年度)全国最下位だった小学校の国語Aで10位となるなど改善がみられた。中学校では数学A以外全てで全国平均を下回った。

 よくなったと言っても劇的な〈改善〉でないのはこうした文面からもわかりますが、よくよく考えてみれば、僕がかねて「和歌山の恥!」と呼んでいるあのセコい経済屋(あんな奴、学者のうちには入りません)のマック竹中こと、竹中平蔵や、今の自民党のドンの一人で、亡国の安倍3選の立役者、「本来は表に出てはいけない男」と言われている二階俊博などは和歌山県の出身で、自慢になるような有名人はあまり思い浮かばないのです。他に思いついたのは例の「毒入りカレー事件」の林眞須美と、この前の不審死の「紀州のドンファン(本家のドンファンに失礼です)」のドケチで色情狂のじさまぐらい。“ネガティブな有名人”揃いで、気が滅入るのです。

 僕が今住んでいる宮崎県はどうかと思って検索すると、次のような毎日新聞の記事が出てきました。

 文部科学省が28日に公表した全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)の結果で、県内の小、中学校いずれも基礎知識を問うA問題で全国平均を上回った一方、応用力をみるB問題は全てで平均を下回った。

 要するに、「応用力はまるでなし」というご託宣が下されているのです。こちらも有名人と言うと、あの存在自体が「公然わいせつ罪」に該当しそうな元宮崎県知事でお笑い芸人の東国原ぐらいしか思いつかないので、元気が出ないのですが、その中でも延岡市となると、これは毎日の別の記事ですが、

 学力テストで全国平均を下回る宮崎県の中で、延岡市はさらに県平均よりも低い深刻な状況が報告され、教育委員からは教員のサポート人員の増加などを求める意見が相次いだ。

 となっているのです。市長も出席する会議で「県平均よりもさらに低い深刻な状況」が話し合われたというと悲壮感が漂いますが、宮崎県は元々、大学入試センター試験でも全国四十七都道府県中最下位になる(2011年度)など、〈その後〉がよろしくないのです(ちなみに和歌山県はこの年7位に入っているから、学テの頃よりはマシになっているように見えますが、受験者が少ないので、下位層が受けていないおかげでしょう。関西にはもともと、九州地区のような「国公立崇拝」はないので、それも関係するのだと思いますが)。

 話を学テに戻して、こうした試験の地域間格差については、二つの要因があるでしょう。一つは教員の指導能力、もう一つは子供自身の資質です。今はそんなことはないでしょうが、昔の僻地の中学などでは、体育の教師が数学を教えていたりして、当然「無免許」でそれをやっていたのです。僕も中3のとき、そういう先生(大変な酒好きで、論理的思考力があるようには見えなかった)に教わりましたが、事前にお勉強好きで数学が一番よくできる女子生徒をこっそり職員室に呼んで教わったりしていたもので、自分がろくすっぽわかっていないことを教えるのだから、生徒がわかるようになる道理はないのです。それでも通用したのは、生徒たちが勉学意欲に乏しく、親の方もそんなことには無関心だったからです。当然、模試などになると悲惨な結果になるのですが、英語もこれに劣らずひどかったので、中1時点で大部分の生徒が落ちこぼれてしまったほどでした(言うまでもなく僕もその一人で、おかげで高校入試では英語がほぼ零点だったのです)。

 生徒側の資質としては、例外はいくらかあるとしても、大都市圏の方が田舎より概して成績がよいようですが、これには次のような事情が関係していそうです。人口が分散していた昔は田舎にも優秀な子供がいた。その大部分が都会に出てしまって、そこに住みつき、その子供や孫の世代が大都市住民になって、都市部に優秀層が偏在するという現象が生じたのです。学力は半分は遺伝です。だからそうなっても不思議はないのです。

 僕は延岡で英語塾をやっていますが、あるときこういうことに気づきました。成績優秀な子供たちには親が旭化成勤務が多いなと。旭化成は言わずと知れた全国的知名度をもつ有名企業で、だから親も当然「全国区」の高学歴エリートが多い。他は医者の子供、学校の優秀な先生の子供などです。トンビがタカを生む場合もあれば、タカがトンビを生む場合も当然あるわけですが、家庭環境の影響もさることながら、遺伝の影響は歴然としてあるのです。

 遺伝学者の話によれば、遺伝の影響は一般に思われているのとは反対に、後になるほど強く出てくるそうです。だから、学テが行われる小中学段階ではまだ大きな差は出ていないと言えるかもしれません。今は高校も学力でかなりきれいに輪切りされているので、入学段階では同じ学校の生徒たちにはそれほど大きな学力差はないと言えるかと思いますが、高校3年間でかなり極端な開きが出てくる。それはどれだけ勉強を真面目にやるかとは必ずしもイコールではないので、やはり最近よく言われるところの「地頭」の違いが関係するのです。ひとくちに言えば、それは遺伝です。

 だから学力の地域間格差には、遺伝の地域間格差も含まれると言えば、「けしからん差別発言だ!」と怒り出す人もいるでしょうが、事実としてそれはあるように思われるのです。都市部の方が教育環境、とくに受験教育環境が整っているということもある。僕はこちらで高校の指導の仕方を見ていて、モチベーションが上がらない、ああいう下手なやり方をしていたのでは生徒の学力は伸びないだろうなとよく思うのですが、難関大に進学した元塾生たちも、「あんなヘンテコなことをしていなければ、もっとうちの高校の難関大合格者は増えるはず」と口を揃えて言います。半分は学校の指導のせいだというわけで、遺伝的要因にプラスして、そういう教育環境上のハンデも今の田舎にはあるのです。だからなおさら差がつくということになってしまう。

 報道によれば、「読書時間」も学テの成績には大いに関係するという話です。これはある意味わかりきったことで、スマホやゲームの類でだらだら時間を潰している子供が優秀になるわけはない。集中力がなく、基本的な文章さえ読めなければ、小学校で出てくる算数の文章題なども解けないでしょう。英語の場合でも、内容的にかなり複雑な、抽象度も高い長文が出る大学受験レベルになると、国語力が必須になるので、それがないと絶望的なことになってしまうのです(眠たいセンターの英文程度なら何とかなるでしょうが)。

 そこらへんは対応次第で何とかなるが、遺伝となると「仕方がない」という話になってしまうので、誰もそれには触れないのです。そういう要因がかなりの程度あるとすれば、それは国の中枢機能や大企業の首都圏への集中を緩和して、地方に分散させるという手しかない。そうすれば、大人の優秀層の分散が進んで、遺伝の法則により、子供たちの学力の地域間格差も解消の方向に向かうようになるのです。それは人材が増えたということで、地方の活性化にもつながるでしょう。どうやってそれを進めるかは難題ですが。

 ここで一つ、ミもフタもない遺伝話を緩和する話をすると、親が勉強好きな場合には、子供も勉強好きになって、成績がよくなる傾向があるということです(子供に「勉強しろ!」と言うのではなく、自分が勉強している親です)。僕の見るところ、それは環境だけでなく、遺伝子レベルにまで影響を及ぼしているように思われるので、遺伝それ自体が固定的なものではないかもしれないのです。「考える親」の元では「考える子供」が育つ。そういうことは確実に言えそうです。逆に言えば、親がいくら高学歴でも、それが過去の栄光にすがるしか能のない親の場合には、前向きの、賢い子供は育たないのです。

 もう十年以上も前の話ですが、こちらでこういう奇妙なニュースがありました。宮崎県には椎葉村というところがあって、それはかなりの山奥ですが、そこのダム湖で、体長が60センチにも達する謎の魚が捕獲されたのです。何匹もそういうのがとれたというので、一体これは何なのだと地元の人たちは首を傾げ、専門家に依頼して調べてもらうと、実はそれはヤマメだったということが判明した。ヤマメは通常そんなに大きくなりません。しかし、あれは元々サクラマスの陸封型で、サケのように、かつては川と海を行き来していた。その椎葉ダムの巨大ヤマメは、おそらく上流のものが大水で流されてきたものだったのでしょう。彼らはそれで広いダム湖を泳ぎ回っているうちに、遺伝子に刻まれたかつての遠い昔の記憶がよみがえり、そこを海と勘違いして、休眠状態になっていた遺伝子のスイッチが入ったのです。それで巨大なサクラマスに変身した。

 そういうことだったのだろうと僕は思うのですが、人間の脳は大部分が使われないままになっているというのは有名な話です。それは原始時代は使われていたが、その後文明が進んで休眠状態になったものから、まだ人類が使っていない未知の部分まである。あっても使われていないそれらは、スイッチが入ると機能し始めるのです。

 いわゆる天才と呼ばれる人たちの場合、元々の素質の問題だけでなく、あれこれ研究や修練を積んでゆくうちに、ふつうの人が使わない脳の領域を使わざるを得なくなり、それが活性化したケースとみなすこともできるでしょう。彼らはふつうの人とは似ていないが、それはヤマメとサクラマスの違いみたいなもので、眠れる遺伝子へのアクセスのあるなしが結果として大きな差異をつくり出したのです。

 僕は時々塾で生徒たちにこの話をして、君らは今は体長15センチ前後のヤマメだが、心がけ次第では60~70センチのサクラマスに変身することもありうるのだと言います。「ほんまかいな」という顔を彼らはしますが、それはありうることなのです。それは東大に入れるかどうかというレベルのつまらない話ではなく、もっとスケールの大きい話なのです。大研究者、大企業家、大政治家、大芸術家になることもありうる。

 僕は別に気休めでこういう話をしているわけではないので、実際、成績の如何にかかわらず「将来の大物」を予感させる子供はいるのです。そういうことを含めて考えるなら、別に小中学時代の学力テストの結果に一喜一憂する必要はないわけで、それは高校になればまた大きく変わるし、大学に入ってから、さらには社会に出てからも変わるでしょう。

 それは先ほどの「遺伝の影響はむしろ後で出てくる」という話に基づけば、やっぱり遺伝のせいだということになってしまいますが、今の「ヤマメ→サクラマス」の話に従えば、別の解釈も成り立つのです。

 日本の場合、国民レベルで言うと、アメリカなどと較べて学力の凸凹がずっと少ないが、全体に小粒で、大物が少ないという弱点があります。これはモチベーションの低さも関係することなので、チマチマつまらない小中生の学力テスト(それは子供にとって解くのが面白い問題ではない)の結果にこだわるより、もっと遠くを見据えた対応が必要だろうと思うのですが、いかがなものでしょう。今のわが国が置かれた危機的な状況を見ると、小ぶりなヤマメの粒が揃うかどうかより、サクラマス級の“大化け”人材がどれだけ出てくるかの方がずっと重要だと思うのですが。

大谷翔平に見る「今どきの日本の若者」の底力

2018.04.09.12:58

 エンゼルスの大谷が、三戦連続本塁打に加えて、投手としても「7回無失点・12奪三振の好投で今季2勝目」(朝日見出し)という驚異の大活躍を見せているようです。それでSHO Time なんて造語までできた。今後は警戒され、研究されていつまでも快進撃とはいかないでしょうが、現実離れのした凄さです。

 彼だけではない。平昌五輪男子シングル金銀メダルの羽生・宇野や、将棋の藤井聡太六段など、度胸も能力も満点の若者が今の日本にはたくさんいるので、今後日本は社会全体が大きな危機に見舞われるだろうと予測されますが、各分野で頼もしい若者が次々出てきて、その危機を救う大活躍を見せてくれるだろうと期待されます(ここに挙げたのは男子ばかりですが、それはたまたまで、女子にもいるはず)。ノーベル賞なども、愚かな科研費の大幅削減(安倍のアホに、海外歴訪のたびに無考えなバラマキをさせる余裕があるなら、もっと税金をマシなことに使え!)のために今後日本の受賞者はゼロになってしまうのではないかと言われていますが、科学や、人文社会科学を含めた各種の学問分野でも、大学者の卵はすでに出現しているでしょう。

 僕はながく子供相手の仕事をしてきましたが、飽きっぽい性格なのに予想に反してそれが長続きしたのは、「オトナは駄目でも、子供はまだ大丈夫」という感触がつねにあったからで、そういう思いを抱かせてくれたのは当の子供たちです。言葉で説明しろと言われれば難しいが、僕が接してきた子供や若者の多くは、ハートがあって、性格的にも感性的にも、頭脳の点でも、自分たちが子供の頃より「進化」してるなという感じがあって、育て方を間違えさえしなければ、将来が楽しみな子が多いなと自然に思えたのです。ちょっと見ただけではわからない「宝」を秘めている子が多い。少子化で過保護に育っているから駄目だというのは表面的な見方で、彼らはそんなにヤワではないのです。

 人間が生きるのに必要なのは、何より「希望」です。カネも最低限は必要だが、それは大した問題ではない。今の子供や若者に、従来の規矩では括れない豊かな資質をもっている子が増えているとするなら、僕らオトナのやるべきことは、少しでもそんな彼らへの妨害を減らし、環境整備を心がけることです。幸いなことに、あの超低次元の、戦前返り安倍政権もそろそろ終わりそうだし、「社会の無限後退」には歯止めがかかりそうです。

 今のような「かりそめの平和」が続くのは後せいぜい十年かな、と僕は見ていますが、「若者よ、大志を抱け!」で、将来活躍できるように、今のうちにしっかり勉強して能力を伸ばし、必要な教養も身につけておいてもらいたいと思います。

スポーツでも勉強でも、結局は「やっている本人次第」

2018.04.07.15:53

 この件はやっと決着がついたようです。

・パワハラ認定、衝撃大きく=意見できなかった周囲―レスリング(時事通信4/7)

 第三者機関の調査で栄氏のパワハラ行為が明確に認定された。五輪4連覇達成で国民栄誉賞にも輝いた伊調選手に対しての、長期間にわたる嫌がらせ。レスリング界にとどまらず、スポーツ界に与えた衝撃は大きい。
 栄氏は強化本部長を辞し、代表強化の現場から身を引くことになった。長く女子の指導に情熱を注ぎ、日本に五輪金メダルを計11個もたらした名伯楽であることは間違いないが、選手への思い入れが強過ぎた。イメージダウンとともに協会にとっては大きな損失だが、福田会長は「本人が辞表を出していなければ、解任していたと思う」。スポーツ団体の不祥事に厳しい目が注がれる中、処分は避けられなかった。
 嫌がらせが始まったのは、2008年北京五輪後に伊調選手が東京に練習拠点を置き、愛知に拠点を置く栄氏の下を離れてから。関係者は「伊調に裏切られたと感じたようだ。離れると一気に冷たくなる人」と明かす。
 栄氏のパワハラ行為に感づいている関係者も多かったが、絶対的な実績を残している指導者に意見できる雰囲気ではなかった。「成果だけを見て、指導の中身については精査していなかった」。福田会長は管理が至らなかったことを認めた。
 今回の問題は、指導者の個人的資質だけに原因を求めてはならない。第三者機関の調査前、日本協会は「パワハラはなかった」とする見解を一度は文書で発表した。こうした不祥事への危機感が薄かったのは明らかだ。もはや暴力や権威で選手を縛ることは許されない。東京五輪まで2年。再発防止に取り組むとした協会と、レスリング界全体の姿勢が問われる。


「全く、心の狭い、クソみたいなオヤジだな…」と事件報道当初、僕は思いましたが、同時に、「こういう奴、よくいるよな」とも感じたので、いわゆる「熱血スポーツ指導者」にはありがちなことです。何かご本人がカン違いしている。そして「周りが何も言えない」というのも、中高レベルの部活あたりでも、いわゆる強豪校の監督・コーチなどに関して、よく耳にする話です。「絶対的な実績を残している指導者に意見できる雰囲気ではなかった」ということになるのです。

 こういうのは、しかし、「選手本人の資質と努力あればこそ」なので、優秀な選手が多く集まれば、指導者がよほどのボンクラでないかぎり、結果は出ます。コーチや監督の能力、指導方法のよしあしはむろん関係するが、結局は選手次第なのです。

 勉強なんかでもそのあたりは同じなので、僕は大学受験用の零細英語塾をやっていますが、「一を聞いて十を知る」タイプの自己修正能力の高い生徒は、最初は「どうもこれは無理っぽいな。志望校を下げさせないと…」なんて思ってたのが、「案外いけるかも」となって、最後には「大いに見込みあり」という判断に変わることもあるのです。そうなると大方は成功する。

 むろん、「十を聞いて一を知る」反対のタイプの生徒もいるわけで、嬉しくないことに、こちらも大方は予感(悪い予感の方)が的中したりするのです。僕は割と良心的な塾教師なので、生徒によって扱いが違うということはないよう心掛けているのですが、こういうところはいかんともしがたいので、「そのあたり、頭の使い方(と勉強方法)を変えた方がいいよ」と言っても、その意味がパッと分かる生徒とわからない生徒がいるのです。そこらへんがいわゆる「地頭の差」ということになるのでしょうが、そういうところまで教える側が変えることはできないので、結局は生徒次第なのです。

 地方の場合だと、学校の「指導」なるものにしばしば無茶苦茶なものがあって、そんなものにまともに付き合っていた日には、疲労困憊させられるだけで、その生徒の資質よりずっと低い大学にしか受からなくなってしまうので、「学校とは距離を取って付き合えよ」とアドバイスせざるを得ないのですが、こういうのは論外です。助けるのではなく、生徒の足を引っ張っているのですから。

 そういう「迷指導」は論外として、まともな指導でも、結局は生徒次第だということなので、わが零細塾は規模に比して難関大合格率はたぶん地域で一番のはずですが、僕がそういうことを宣伝しないのは、そのあたり「生徒次第」だということがよくわかっているからです。月謝を取って商売しているのだから、それなりの成果が出るのはあたりまえで、受かりそうな資質の持主が来ているから受かっているだけの話なのです。

 スポーツ指導者たちもそのへんはよく認識しておいた方がいい。あんた方の手柄ではなくて、選手たちの手柄なのだということを。端的に言えば、栄氏の場合、「頭が悪すぎた」のです。それが卑劣なパワハラにもつながった。

 ついでに、勉強のノウハウの話にも少し触れておくと、そういうものはたしかにあって、僕も適宜それは教えていますが、それがうまく活用できるかどうかは、これまた生徒次第なのです。機械的に真似てうまく行く方法なんて一つもない。そう思っていた方がいいのです。

 僕自身は非科学的な根性論が昔から嫌いなので、そういうものに頼らない勉強法が大事だと思いますが、よく生徒たちに言うのは、一人一人性格が違うように、頭にも皆個性があるということです。自分のそれがどういう性質のものであるかを発見して、その長所を伸ばし、短所を補うような勉強法を編み出すのが大切なことで、大学受験の際にそういうものの雛型となるようなものをつかんでおけば、大学入学後の勉強に役立つのはもとより、社会に出てからの仕事にも役立つ。それは「一生モノ」の宝になるのです。

 たとえば、僕は子供の頃から丸暗記が苦手でした。不思議だったのは、山や川で遊んでいて、そういうところの複雑な地形などは一瞬で記憶してしまうのに、教科書に書いてあることはまるで頭に入ってこないのです。中学生ぐらいになるとそれが顕著になってきた。ずっと後になってから、こういうのは「原始心性」の特徴の一つだとわかったのですが、それではこの文明社会に適応するには大いに不利です。もう一つわかったのは、自分に興味がないことはまるで頭に入ってこないということです。興味があれば、憶える気はなくても自然に憶えてしまうが、そうでなければ、いくら試験の必要に迫られても憶えられないのです。生まれる時代を間違えてしまったと言っても、後の祭りです。

 一方、あれこれ想像しながら考えるのは好きで、その意味では勉強に向いていないというわけではなかったが、ここまで暗記が苦手ではどうしようもないなという感じで、一夜漬け能力は人並にあったが、それは「超短期」で失われるのです。英語なんかは英単語を知らないとどうにもなりませんが、それが憶えられないのです。そして、フィーリングのレベルでも納得がいかないと頭に入らないという性質から、「納得がいかない」ことだらけの英文法なども、皆目頭に入らないわけです。それがいつのまにか英語教師になったなんてのは悪い冗談みたいなものですが、それを何とかするのに人知れず苦労したのです。

 たとえば、October という単語があります。これが「10月」の意味だと、僕の頭にしっかり入ったのは、octopus が「タコ」なのは、足が八本あるからで、oct-は8の意味だと、何かで読んで、なのにOctober が八月でなくて十月なのは、ローマ時代に月が二つ追加されて、元は八月だったのが十月になったのだと知ったときで、その瞬間に「なるほど!」と合点がいったのです。めんどくさいことこの上ないが、そういう頭の構造になっているのだから仕方がない。むろん、全部をこういうやり方で憶えたわけではないので、たとえばNovember などは、Nが数字の11に似ているというので憶えたのです。涙ぐましいでしょ?(他に、語呂合わせの単語集も最大限活用しました)。

 いわゆる「論理的思考力」なるものは、別に不足しているとは感じませんでした。だから根が文系頭ですが、数学は苦手ではなかった。あれは暗記に頼らなくて済むのも有難かったのです。じっと集中して、直観的に「わかった!」と閃いたときは快感です。

 こういうふうに、人の頭には固有の癖というものがあるのです。その癖を把握して自分なりの勉強法というものを編み出さないといけない。それができるかどうかが学力を伸ばせるかどうかの大きな鍵です。僕にとってはそこに「意味」を見出せるかどうかが鍵でした。

 各種の勉強法も、それを踏まえて活用するのです。でないと振り回されるだけになってしまうでしょう。その「頭の個性」を誤解して、人の助言を受け入れず、頑固に自己流をふりかざすのは愚かですが、何事も自分の頭に適合するようにアレンジする工夫が必要だということです。

 もう一つアドバイスすると、僕の場合はそういうわけで、面白いと感じられないと頭が働かない(だから今でもセンターの長文など読んでいると眠くなってくることが多い)ので、気になったことは道草を食って詳しい、余計な本まであれこれ読んだりしたのですが、そういうのも頭の幅を広げたり、思考力を期せずして鍛えることになるので、長い目で見ればプラスになるということです。何をするにも結局、大事なのは有機的な知識のつながりなので、「よけいなことをすると損だ」などとは考えない方がいいということです。塾の生徒たちを見ていても、そういう「余計な話」を面白がって聞いているような生徒ほど伸び幅が大きいので、「頭の遊び」は大切だということです。

 多少は参考になることもありましたかどうか…。

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