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だんだん聖書のアポカリプスみたいになってきた?

2020.02.04(00:22) 687

 今年は異常な暖冬ですが、お天気関係のニュースによれば、「5日(水)から6日(木)にかけて」数年に一度という強烈な寒波が日本を襲うそうです。自然も今は極端になって、バランスというものを失っている。

 個人的なことですが、めったなことでは風邪を引かない僕が、今年は年明けにしつこい扁桃炎にかかり、一週間ほど微熱が続いて、市販の風邪薬が効かないので、仕方なく医者に行って抗生物質を出してもらったらやっと治り、やれやれと思っていたら、先日土曜夜に再び発熱し、一晩で熱は下がりましたが、まだふらつきは残っています。前回ここに書いたロクでもない人物が不吉なものを運んできたのかと、オカルト的になってそちらのせいにしたくなるほどですが、あのコロナウイルスのニュースばかり読んだり、聞かされたりしたせいかも知れません(気分がいつのまにか肺炎患者になってしまった?)。とにかく、冬場にこんなに体調を続けて崩すのは珍しいので、何なのかなと思います(そのうち、不治の病にかかっていたと判明するのかもしれませんが、僕ぐらいの年になれば、長引くのは嫌だとして、死ぬことそれ自体は何ら問題ではない)。生徒たちの受験が無事終わって行き先が確定するまで、それなりにプレッシャーはかかるのですが、それは毎年のことなので、今年はどうもおかしいなという感じです。

 それで、ついでにというわけではありませんが、恐ろしい記事を二つ。

南北極の融解で進行する海の「腐海化」~海中の酸素が失われる「海洋無酸素事変」の恐怖
 
 これ、ものすごくこわい話です。溶け出した大量の氷の流入で、海流の流れに異変が生じて、それが遅くなっている(それが地球規模で異常気象をひき起こす)という記事を前に何かで読みましたが、事態がここまで進んでしまうと、人類も完全にアウトです。

 もし南北両極の氷がなくなると、海水の沈み込みが起きなくなる。すると海流が止まり、海をかき混ぜる力が失われる。酸素が送り届けられなくなった海底は無酸素となり、やがて深海に生きていた生き物(好気性生物)は窒息死する。

 その死体は、酸素がない状態では腐敗する。腐敗すると硫化水素などの毒ガスが発生し、海底の生物だけでなく、海面の魚も死に、海底へと沈む。海底の死骸が腐敗してさらに硫化水素を発生させ、それがさらに大量の魚を死に至らしめ・・・の悪循環が始まり、海洋生物の大量絶滅が起きる。これを海洋無酸素事変という。


 淡々と書かれていますが、これも地球温暖化がもたらす終局的な結果であるわけです。しかし、これは人類以前の、大昔にも起きていたことなのだと言う。

 実は、海洋無酸素事変こそ、石油を作った現象なのだと言われている。折り重なるように降り積もった海底の死骸が、やがて石油へと変質したのだという。

 もしそうだとしたら、人類は石油を燃やすことで地球を温め、南北両極の氷を融かし、海流を止め、海洋無酸素事変を招き、自らの屍と地球上の生物の死骸によって、石油を再生産しようとしていることになる。


「使った分は返しますからね」ということで、人類は人為的に同じ事態をひき起こそうとしているというわけで、なかなか律儀で感心(?)なことだと言えるかもしれませんが、その場合、その石油の一部は僕ら「人類の死骸」だということになるわけです。77億人分だから、一部とはいえ、それだけでも結構な量になるでしょう。

 もう一つは、僕はこれを読んで、昔見た映画『エクソシスト2』を思い出したのですが、飢饉が続くアフリカ(温暖化の進展で砂漠化が加速化し、それでなくても農地が減っている)に、それにとどめを刺すかのようなバッタの異常繁殖が起きているという話です。

ソマリア、バッタの大群襲来で国家非常事態を宣言

 中の「関連記事」を見てもわかるように、このバッタの大群自体、温暖化絡みと考えられているようですが、「過去25年間で最悪の蝗害(こうがい)」だそうで、当地の人たちの目には文字どおりの「世界の終わり」みたいに映っているでしょう。食糧支援を急がなければ、大量の餓死者が出るのは確実です。オーストラリアの山火事はやっと下火になったそうですが、衛星の地球画像を見るたびそこに大きな茶色のかたまりが映っていて、それだけ見ても深刻さがわかるので、憂鬱な気分になります。

 こういうニュースを集めるだけ集めたら、一体どういうことになるのか? 今大騒ぎになっている中国・武漢発の新型コロナウイルスについては、あれは実は海鮮市場ではなく、市内に二つあるウイルス研究所のどちらかから出たものかもしれないという疑いが新たに浮上しているそうで、何でも中国はそこに色々なウイルスを集めて(ときにはスパイが違法に他国から盗んで)、生物兵器を開発しているのだという。勘弁してくれよと言いたくなるような話ですが、共産党一党独裁の秘密主義国家のことゆえ、真相はたぶん永遠に闇の中でしょう。あの程度の殺傷力で「生物兵器」というのはありえないでしょうが、管理は恐ろしく杜撰らしいので、そこに集めていたコロナウイルスの一つが「うっかり」外に流出してしまった、というのはありそうな話に思えます。にしても、ロクでもない生物兵器なんぞ「開発」する必要はどこにもないので、そんなことのために研究所なんか作るな、とは言いたくなる。そういう連中だけ「選択的に」絶滅させることはできないものなのか、神様におたずねしたくなるほどです。

 何にせよ、「地球多難(イコール人類多難)」のニュースは今後も続きそうです。



祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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人類は「ゆでガエル」状態のまま破滅に向かうのか?

2020.01.25(02:32) 684

 大学入試戦線の真っただ中ですが、金曜の昼間見たら、グーグルのニュースサイトに次のような記事が仲良く(?)並んでいました。

新型コロナウイルス肺炎、習近平の指示はなぜ遅れたのか?

「終末時計」残り100秒 地球最後まで、過去最短

 上のコロナウイルスの件は、宿主がコウモリだったというのと、ヘビだったという二説があるようですが、新型インフルエンザなどでは渡り鳥のそれにニワトリやブタが感染して、それが人間に移る(これもなぜだか中国発が多い)というケースがふつうで、コウモリはまだしも、何でヘビなんかが出てくるのかと不思議でしたが、上の記事を見て「なるほど、それでなのか…」と妙に納得したので、「ウイルスの発生源が野生動物なども売っていた海鮮市場」で、そこでは「タケネズミや蛇だけでなく、アナグマ、ハクビシン、キツネ、コアラ、野ウサギ、クジャク、雁、サソリ、ワニ…など、野生の動物が『食品』として日常的に売られて」おり、「それも調理して売るとは限らず、生のまま売ったり、目の前で殺したり、中には冷凍して宅配するというサービスもある」というのだから、思わずのけぞるのです。

 野ウサギはまだしも、タケネズミやヘビ、アナグマ、ハクビシン、キツネ、コアラに、サソリ、ワニまで食べているとなると、GDP世界第二位の経済大国で、アメリカに代わって世界の覇権を握ろうと目論んでいる国としては、いくら何でも外聞が悪すぎるでしょう。「そんなもの、中国の人はフツーに食べているんですか?」と立ち入った質問もしたくなるのです。

 かく言う僕も山奥の出身で、子供の頃は肉類はニワトリの他は、牛やブタではなく、イノシシとシカをよく食べていて、ウサギ肉も、何度かは食べたことがあると思います。高校生の頃は、休みに帰省した(というのも、山奥すぎて通える範囲に高校がなかったので、下宿せざるを得なかったからですが)とき、父にだまされてサルの肉を食べさせられたこともありました。たまたま母が留守で、きこりの父親がフライパンで調理して、僕に食べさせたのですが、彼は悪戯好きの側面があったので、何の肉なんだろうと思って訊いたら、「まあまあいいから食ってみろ」と言って、後でサルの肉だと聞かされたのです。驚いた息子の顔を見て、彼は満足げでした。あれはふつう狩猟禁止ですが、害獣として一定数の「処分」が認められ、尻尾か何かを役所にもって行くと、報酬がもらえるシステムになっていたようで、彼は知り合いの猟師にその肉をもらったのです。

 それでも、アナグマだのハクビシンだのまで食べるという発想はなかったので、ああいうのは見た目にも食欲がわく動物ではありません。ヘビも、昔の田舎にはそこらじゅうに色々な種類がたくさんいましたが、精がつくというので、マムシの乾燥肉は食べさせられたことがある(あれは香ばしくておいしい)が、他は食べるものだとは思っていなかった。かつては山男が面白半分タヌキ汁を作ったなんて話もあったそうですが、あれは猛烈な臭気がするそうで、鍋から臭いがどうしても抜けなかったという話を聞いたことがあります。その「海鮮市場」とやらでは、たぶんタヌキなども売られていたのでしょう。しかし、コアラなんて、あれは中国にはいないはずなので、わざわざオーストラリアから輸入して食べていたのでしょうか?

 問題は、このような野生動物を食べ物として売ることが許可されているのか否かということだ。
 実は野生動物の捕獲や摂取を取締る法律はいくつもあり、特に2003年のSARS(サーズ)発生以来、さまざまな規制が試みられてきた。
 たとえば「野生動物保護法」(第二十九条、第三十条)や「陸生野生動物保護実施条例」という観点や「食品安全法」あるいは刑法(第三百四十一条)においてさえ、さまざまな規制を設けている。
 この野生動物メニューの中に、合法的なものもあるかもしれないが、100種類も供されていれば違法性のあるものも含まれているだろう。その入手方法となると、「養殖が許されている野生動物」もあれば「捕獲自身が禁止されている野生動物」もあり、ましていわんや「食べていい野生動物」となると数が限られる。
 このような野生動物を食していること自体に違法性もしくは犯罪性がある。


 ご説ご尤もです。たんに外聞が悪いだけでなく、その市場には「違法食材」が多く出回っていた可能性があるのです。それが中央政府にバレては困ると、「武漢政府の当局は、今回の新型コロナウイルスによる肺炎の発症を、できるだけ外部に漏らさないようにしたことが考えられる」わけで、その新型ウイルスが突然変異を繰り返しつつ、より強力化して広がれば、パンデミックになり、「世界の迷惑」は測り知れないが、科学的に無知で、自分たちの目先の保身しか考えていないものだから、姑息な隠蔽工作に走って、事態を悪化させたのです。

 これは中国ではありがちなことで、前にも高速鉄道の脱線事故の際、証拠隠滅のために車両を丸ごと土の中に埋めてしまったなんてこともありました。「国民情緒法」の韓国も困るが、韓国が師匠と仰ぐ中国は「本家」らしく、輪をかけてこわいところがあるのです(いっときスーパーなどにたくさん出回っていた「中国製食品」が激減したのも、かの国の業者は危険で違法な化学物質も平気で使っていると知り、それを恐れて買う人がいなくなったからでしょう。僕も「殻付き落花生」だけは中国産のものを買っていますが、この程度のものなら大丈夫だろうと思っているからで、いくら安くても製造過程が闇に包まれているものはこわいのです)。

 習近平の中国が他国の研究者の力も借りて(見栄を張って協力を拒まれたのでは困る)、この新型コロナウイルスの拡大にストップをかけられるかどうか、アメリカと覇権を争うなどと言いながら、放置して凶悪化したウイルスの「輸出」で世界を震撼させたなんてことになると、洒落にもならないので、頑張って食い止めていただきたいものです。

 下の「『終末時計』残り100秒」の記事は日経のものですが、同じ問題を朝日はこう伝えています。

 危機が高まった理由の一つは核問題で、米国によるイラン核合意からの離脱、北朝鮮非核化交渉の停滞、米ロの中距離核戦力(INF)全廃条約の失効などを挙げた。
また、温暖化問題では、若者たちの世界的なデモにより意識は高まった一方、各国政府が具体的な対策を打ち出せていないとした。サイバー空間を使った偽情報が出回り、核や温暖化の問題に対応する取り組みを弱めているとも指摘した。


 温暖化に関しては、例のオーストラリアの山火事は途中大雨が降ったにもかかわらず、まだ続いていて、これは温暖化とは無関係だというようなフェイクニュースも出回っているそうです。次のニューズウイークの記事はそれと関係したものです。

 偽情報はすぐに出回った。森林火災防止のために政府が計画した伐採や野焼きを、環境保護論者が阻止していると、保守派の政治家と評論家が非難したのだ(「議論をそらす」ための「政治的レトリック」であり「陰謀論」だと専門家は一蹴したが)。
 オーストラリア出身のアメリカ人メディア王、ルパート・マードックが所有するメディアは偽情報攻勢を開始。山火事の主な原因は「放火」だというデマを広めようとした。これに対し、マードック所有のニューズ・コーポレーション内部から、同社が「無責任」かつ「危険」な報道をする「誤報キャンペーン」を展開していると告発する声が上がった。
 偽りの主張を一握りの影響力のある人々がSNS上でシェア。それを右翼のウェブサイトとプロのトロールやボットが大掛かりな偽情報に仕立て上げている。
気候変動否定派の嘘は少なくとも2つある。そもそも山火事の主な原因は実は落雷だ。たばこの投げ捨てなどで逮捕者が出たのは事実だが、それが主な原因だというマードック系メディアの主張は全くのでたらめだ。英ガーディアン紙によれば「地元警察の話では放火が原因という証拠はない」。
 だが2つ目のより大きい嘘は、「火元」が問題だと暗に主張している点だ。実際には、山火事がここまで悪化したのは記録的な猛暑と干ばつでオーストラリア全土が燃えやすくなっているせいで、それは人為的な地球温暖化でしか説明がつかない。
 マードック系メディアと化石燃料産業にとっては不都合な真実だ。世間が化石燃料による汚染と気候変動をめぐる偽情報と差し迫った危機の因果関係に気付けば、彼らを真の「放火犯」と見なすに違いない。


 これは、「オーストラリアの山火事をあおる、フェイクニュースの大嘘」という、日本語版のタイトルが反対の意味に取られかねない――これだと山火事を環境保護派が大げさに騒ぎ立てているだけ、みたいに読める――ので問題がありすぎる、マイケル・マン(米ペンシルベニア州立大学地球システム科学センター所長)による記事(22日付)の引用です(原題は、MURDOCH IS AN ARSONISTで、直訳すれば「マードックが放火犯」ですが、文面からもわかるように、これは「マードックこそがフェイクニュースの焚き付け役であり、事の真相を隠蔽しようとしている卑劣漢なのだ」という趣旨のタイトルなのです)。

 日本でも、今年は異常な暖冬で、寒いのが苦手な僕は喜んでいますが、これがときたまの異変ではなく、恒常化すると大変なことになってしまうわけです。

 もう一つの、「核戦争の危機」の方は、「危機が高まった理由の一つは核問題で、米国によるイラン核合意からの離脱、北朝鮮非核化交渉の停滞、米ロの中距離核戦力(INF)全廃条約の失効などを挙げた」と上の朝日の記事にはありますが、この前のアメリカによるイランの司令官暗殺で生じた衝突危機は、イランの方にいくらかの分別があったおかげで何とか回避された(あの民間航空機誤射はまずすぎたが)ようですが、北朝鮮は「危なさ全開」で、今はお隣の韓国が完全におかしくなっているので、何よりそれが心配です。文在寅の場合、表向きはともかく、うまく北朝鮮を宥めて、核廃棄の方向にもって行こうなんてつもりで、融和策を取っているわけではさらさらないので、「ゆくゆくは核兵器をもつ北朝鮮と合体して、経済統合もうまくやれば、強力な朝鮮半島統一国家が実現する」という傍迷惑そのものの「ありえない妄想」にとりつかれているのです(その暁にはあの日帝めに思い知らせてやる!)。韓国の実体経済自体ガタガタなのに、北朝鮮のインフラ構築や経済のバックアップなんてできる道理もありません(過去の植民地支配の「慰謝料」として日本から搾り取ればいい?)が、それだけでなく、自分の軽はずみな行動が周辺諸国にどういう影響を与えて極東情勢を不安定化させるかという読みも全くできていないようなので、ある意味で金正恩の方がまだしも大人びているくらいです。従って、文政権こそが「極東軍事危機最大の不安要因」なのだと言える。幸い、スキャンダル続きで「チョ・グク後継」の野望は潰えたようですが、野党・保守派の不人気が響いて、次期大統領も同じ左派政権になって、文と似たような手合いが大統領に就任するというようなことになると、よい見通しは全く立たないことになる。「反日教育」も熾烈の度をさらに高めて、というのは嘘がさらに増えるということですが、かの「反日種族主義」はいよいよ強化され、それに応じて日本人の「嫌韓」度も100%近いものになるのです。そこまで韓国の人たちがアホだとは思いたくありませんが、これまでの経緯からしてもかなり心配なのです。

 グレタさんがいくら頑張っても、オトナには「環境オタク少女」とみなされて、本当には相手にしてもらえていないようだし、地球温暖化の流れは変わらず、事態は深刻化する一方で、それに付随して世界経済も悪化すると、紛争が増え、「核の使用」への誘惑は高まる。最近はあまり聞きませんが、それはニュースがないだけの話で、あのインドとパキスタン間の全面核戦争の危険も、減っているわけではないのでしょう? 言うまでもないことですが、印パ戦争が起きれば、「核の使用」はほぼ確実なので、全地球的大惨事になるのです。

 致命的な新型ウイルス出現の可能性は今後もあり、それが世界的にも近視眼的ジコチュー人間が多くなっている今、今回の中国地方役人の愚かな隠蔽のような対応のせいで初動が遅れて、封じ込めに失敗する危険は増えそうだし、全くなあ…という感じですが、こういうのは「煽りすぎ」ですか?


【追記】新たに末永恵氏のこんな記事も出ています。

「これは全人類への“テロ”だ」

 そこには絶滅危惧種のセンザンコウまで含まれていた(シチューにして食うアホな連中より、地球的見地からすればずっと貴重な存在なのですが)というのだから呆れますが、最後は以下のように結ばれています。思えば、温暖化防止のための新エネルギー開発が進まないのも権力と結託した既得権益層の頑固な現実否認と妨害のためだし、根は全部人間の卑小なエゴなのです。

 密猟を調査する専門家らは、「密猟者たちは、金のなる木の野生動物を求め、常に新たな生息地を漁っている」と糾弾する。今、中国を中心にアジアや米国に感染拡大する新型肺炎は、SARSと同様、野生動物の売買が根源で発症したものだ。
 SARS発生の際、中国政府と早期診断検査法を開発した米国のコロンビア大感染症免疫所のリプキン所長は「このような野生動物の売買を厳しく取り締まり、市場を閉鎖できれば、今回のような大流行は起こらないだろう」と話す。
 劣悪な状況下に置かれた野生動物間では、さまざまなウイルスが介在するといわれている。
 その脅威は、中国だけでなく、中国と同じように密漁された動物市場が存在する東南アジア、さらには、新しい希少動物の密猟の“聖地”になりつつあるインドでも、こうした新型ウイルス性の疾病が起きないとはいえない。
 人間のエゴこそが、「人類崩壊の序章」を招く最大のリスクといえるのかもしれない。




祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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オーストラリア火災が意味するもの

2020.01.13(00:37) 680

 最近はニュースサイトでも見かける頻度が減りましたが、去年九月に始まったとされるあの森林火災は規模を拡大しつつ、ずっと続いているようです。あの品性下劣が顔にまで出ている密出国逃亡犯の腐れゴーンの記事などより、こちらの方がずっと重要です。

・オーストラリア森林火災で「種の絶滅」は必至、生物学者が指摘

 これがどれほどすさまじい規模のものであるかは、次の記事の画像からもはっきりわかります。とくに下の画像(動画)です。

気象衛星「ひまわり8号」が捉えたオーストラリアの大規模火災…すでに2019年アマゾン火災の2倍に

 今年は日本も異常な暖冬になっていますが、夏場に当たるオーストラリアの大地は高熱で乾燥しきっているため、火勢が衰えないのです(アメリカも大規模な山火事が増えている)。昔から自然発火による森林火災というものはあって、それは森林の新陳代謝の上で重要な役割を果たしていたと言われていますが、それは規模も小さく、長期にわたるものではなかったので、ここまでひどくなるともはや「世界の終わり」みたいなものです。罪もないコアラたちが…というような感傷レベルの問題ではない。オーストラリアの哺乳類は元々有袋類(ゆうたいるい)で、パンゲア(超大陸)が分離し始めたのと、哺乳類の爆発的進化の時期が重なって、他では胎盤を発達させる方向に進化したものが優勢になったのが、ここでは外付けの袋で育てる方式が支配的になって、胎盤類の動物が周りを海に囲まれているおかげで侵入できなかったので生き延びられた(胎盤内で成長する方が安全で有利なのは少し考えればわかります)のだというような話を、学生の頃本で読んだことがありますが、その「有袋類の聖地」が火炎に包まれ、彼らは絶滅に追い込まれかねない事態になっているのです。冒頭の記事の最後、

「今のレベルの地球温暖化で、これほどの被害が起こるのであれば、仮に地球の平均気温が摂氏2度から3度上昇した場合、一体どのような事態になるだろう。今こそ人類は一致団結して行動を起こすべきだ」

 という、ベン・ギャロッド教授の言葉はたんなる脅しではない。アマゾンやオーストラリアだけではなく、世界各地の森林が高温と乾燥のせいで火災を起こしやすくなり、それが手に負えない規模のものとなって長期間続くと、CO2の吸収源はさらに減って温暖化のテンポは上がり、火炎と熱波の中で人類もジ・エンドとなる可能性は高い(他に海温上昇がサンゴを白化させるなどということもよく知られている)。極地の氷が解けて海面は上昇、沿岸から高い方に逃れようとすると、今度は背後の森から火の手が迫るというわけです。台風やハリケーンは大型化し、頻度も増す。生物資源は森のものも海のものも急減して歯止めが利かなくなる。拝金主義、経済至上主義の現人類は、自然が無償で提供していてくれた安定と恩恵の喪失が経済換算してどれほど巨大なものになるか、一度計算してみるといいのです。細かい因果関係の連鎖は複雑で、書き出すと長くなるので省略しますが、いいとこなしになって、生物大量絶滅の“主犯”である人類も、ついに年貢の納め時を迎えるのです。この様子では、AIに仕事を奪われるというようなことより、先にそちらの心配をした方がよさそうです。



祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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凛と蓮~子供の名付け方

2019.12.02(17:25) 674

 今回は“平和な”お題です。

ことしの子どもの名前1位 男の子は「蓮」 女の子は「凛」

 ことし生まれた子どもの名前で最も多かったのは、男の子が植物の「はす」を表す「蓮」(れん)、女の子は、りりしくきりっとした様子を表す「凛」(りん)だったという調査がまとまりました。

 という話なのですが、しばらく前に塾の生徒たちが「リン君が」とか「リンさんは」とか、学校の友達の話を楽しげにしているのを聞いていて、「一体、君らの学年にはリンって名前の子が何人いるわけ?」と不思議に思って訊いたことがあります。どうも四、五人いたようで、文字は全部「凛」だという。それで、うちの塾にも前にそういう名前の女の子が一人いて、可愛くて頭がよくて、読書家で、歌までプロ並にうまいというので男の子のファンがたくさんいたらしい(ストレートで国立の医学部に行ったので、そろそろ医師になった頃です)という話をしたのですが、そのうち二代目の凛さんが入塾して、この子がそのうちの一人なのかと可笑しかったのですが、上のニュースによれば、それはさらに増えて、リンリンと日本中にその名が鈴虫の声のように鳴り響くことになるわけです。

 男の子の「蓮」というのはどういう理由によるのか知りませんが、レンというのはリン同様、音の響きがいいので、なるほどという気がしないでもありません。蓮(ハス)というと、僕などは仏教を連想しますが、親御さんが将来悟りを開くのをわが子に期待してそう名付けたというわけでは、たぶんないのでしょうね。「名は体を表す」という言葉があるくらいなので、将来悟りを開いて人々を救済する子供がたくさん出てくれればいいのですが(但し、オウムみたいなカルトを作らないように)。

 名前というのはあれこれ悲喜劇を生む原因になることもあります。昔、政治家の田中角栄が「今太閤」と呼ばれ、総理大臣になった(1972年)頃(その前の幹事長時代だったという説もありますが)、ある田中さんちに男の子が生まれ、両親は勇躍、その子に「角栄」と名付けました。ところが具合の悪いことに、その後ロッキード事件が起き(1976年)、それから裁判になって、1983年に第一審判決が下り、懲役4年、追徴金5億円の実刑判決を受けるなど、彼の運命は暗転しました。あれは田中を邪魔に思ったアメリカが仕掛けた陰謀だったという説もあるぐらいで、今は角栄評価は回復しているようですが、マスコミ報道が連日続く中、少年・角栄君の運命も暗転して、「おい、ロッキード!」とか「やーい、ピーナッツ!【】」などとからかわれて、学校でいじめられるようになったのです。それで両親は家裁に改名を申請(戸籍名は勝手に変えられないので)、「角栄という名が与える精神的苦痛には忍び難いものがある」として、それが認められたのです。

【註】今の若い子にはわからないと思うので一応説明しておくと、これはロッキード事件で「賄賂を受領する際の領収書に金銭を意味する隠語として書かれていたもの」で、「100万円を1ピーナツと数えていた」(ウィキペディア)ところから、当時面白がって使われた言葉です。

 だから、いくら人気があってもうかつに政治家の名前など拝借してはいけないので、たとえば小泉さんちに男の子が生まれて、「進次郎」と名付けたとして、今はいいが、彼が将来首相になって、政治スキャンダルの主人公になるおそれなしとは言えないので、それがその子の小中学時代に重なったりすると、たいへん困ったことになるわけです。

 別に有名人とは無関係でも、名前が災いをもたらすことはある。たとえば、僕の名前は「龍一」で、子供のときから「リュウ」と呼ばれていました。その後この名前は漫画の主人公の名前に使われるなど、結構ポピュラーになりましたが、昔は、ことに田舎では珍しい部類だったので、「名前が生意気だ」という理由で、“迫害”の対象になることさえあったのです。

 今でもまだ憶えているのですが、中学に入学したての頃、休み時間に三年生のワルたちが数人、教室に「リュウって奴はどいつだ!」とドカドカ乱入してきたことがありました。名前が生意気なので、ヤキを入れてやる必要があると、彼らは考えたのです。そんな無茶苦茶な、と今の時代なら思うでしょうが、当時は思わなかったので、名前が無駄にエラそうだというのは鉄拳制裁に十分値したのです。怯えたクラスメートたちは、そっと僕の方を指さしました。彼らは机の前に座っている僕の周りを取り囲みましたが、そこにいたのはおそろしくチビで、色の青白い、やせこけたいかにもおとなしそうな一人の少年でした。じっさい、早生まれでオクテの僕は、身長はつねに前から一、二番目で、体重は、たぶん学年で一番軽かったのです。「リュウ」というエラそうな名前と、目の前にいるこの貧弱なチビとの落差は何なんだ! 彼らはあっけにとられたようにしばらく僕を見ていましたが、拍子抜けしたらしく、何もせずに帰ってゆきました。強度の赤面恐怖症の、授業のとき当てられて立って教科書を読むだけで、天井がグルグル回って倒れそうになる頼りない少年には、これは荷の重い名前だったのです(子供の頃の僕はガンジーも顔負けの非暴力主義者で、人を傷つけることを極度に恐れていたので、年下の子ですらいじめたことはありませんでした)。

 家族の間でも不評で、名前を付けたのは妙見様(古くからある北斗星信仰の一つ)を信仰している祖母でしたが、彼女はわが両親に「御大層な名前を付けるから、名前負けしてこんなアカンタレになってしまったのだ!」とつねに非難されていました。祖母はトランス状態に入った妙見様の巫女さんから、家に白龍を祀れ、というお告げを受け、この白龍さんというのがやたら気難しい神様で、注文が多く、気に入る祠が作れるまで苦労したらしいのですが、やっと納得してそこに入ってもらえて、まもなく初孫の僕が生まれたので、「これは白龍さんの申し子に違いない!」と思って、そう名付けたのです。しかし、全然そんなふうには見えなかった。孫を溺愛する祖母は固くそう信じていましたが、「これのどこが…」というふうに傍目には思われたのです。

 そのときは笑いごとではなかったのですが、今思えば滑稽なのは、その中一の頃、生徒会の役員選挙があって、各クラスで会長、書記、会計の三役の候補をそれぞれ選出してそれに臨むのですが、クラス内の投票の結果、僕は会計の候補としてそれに出なければならなくなりました。クラスの係も会計にされていたので、のちに経済観念ゼロであることが判明した少年が何で会計だったのかといえば、リーダーシップとか雄弁とか、そういうのはまるでないが、「馬鹿正直なので、あいつは絶対ズルはしない」と周囲に思い込まれていたからです。しかし、そうなると講堂兼体育館の壇上で、全校生徒を前に演説をしなければならないのです! これが当時の僕にとってどんなに恐ろしいことであったか、神のみぞ知るで、気が弱くてイヤだと言うこともできず、その日が近づくにつれてほとんど生きた心地がしなくなりました。応援演説というのもあって、それは他の子がやってくれることになっていたのですが、かんじんの候補者がほとんど死にかけているのです(当時は本物の選挙に似せて、手作りのポスター作りまで行われ、学校の廊下の壁がそれで埋まっていた)。それで立候補者演説会当日の朝になって、母親が様子がおかしいのに気づいて、おまえは原稿ぐらいは作っているのだろうなときくので、そんなものは何もないと答えると、何という情けない馬鹿だと、その場で「これを読めばいい」と原稿を書き飛ばして、僕に渡しました。僕はそれをもって行って、自分の番が来たとき、幽霊のような足取りで壇上のマイクの前に向かいましたが、そのとき初めて母が書いた原稿を見たのです。

 天井がグルグル回る中、僕は文字どおり蚊の鳴くような声でそれを機械的に読み始めましたが、恐ろしい事態が出来(しゅったい)しました。その原稿の中に読めない漢字があったのです! それは「因襲」という言葉で、どういう文脈でそんなのが出てきたのか、前後は全く記憶していませんが、とにかくそう書かれていたので、「いん…」と言ったきり、そこで立ち往生してしまって、後の記憶が全くないのです。ムニャムニャとごまかして先に進む知恵もない。たぶん、見かねた誰かが走ってきて、固まった僕をそこから連れ去ってくれたのだと思いますが、そのときですら極度の緊張で何も憶えていませんでした。僕は完全な泡沫候補で、二年生の活発な、お勉強もスポーツもよくできる女子生徒が最有力候補で、当選が確実視されていました。だからテキトーにやっとけばよかったので、そんなに緊張する必要は何もなかったのですが、子供にはそんなこともわからず、とんだ恥の上塗りをしてしまったのです。

 僕は顔面蒼白のまま帰宅すると、あんな難しい漢字、中一の子供に読めるわけがない、どうしてあんな言葉を入れたのか(後で考えても、会長候補なら「因襲の打破」を口にしても不自然ではないが、会計係との関連は不明です)、と母に抗議しましたが、アホなおまえが準備もなくオロオロしているから仕方なく書いてやったのに、文句を言うとは何事かと逆襲されてしまいました。ところが、その翌日か、何日後だったのか忘れましたが、投・開票が行われると、奇怪なことに、その最有力候補を押さえて、泡沫の一年坊主の僕が当選してしまったのです。理由は、そのあまりにも弱々しく頼りない姿が、二、三年の女子たちの母性本能を刺激して、同情票が集まってしまったためでした。それ以外の理由は考えられないので、一難去ってまた一難、人前に出るのを極度に恐れる子供が、生徒会にまで関与しなければならなくなったのです。

 その後、名前がエラそうなだけでなく、見た目も生意気そうだというので、上級生に目をつけられるようになったのは高校生になってからで、そのときは、初め寮に入っていたおかげで先輩とのつながりができて、その先輩たちが「あいつは見かけほど悪い奴じゃない」ととりなしてくれたおかげで難を免れたのですが、これが「信一」とか「良夫」だったなら、初めからそんなリスクは負わなくて済んだような気がするので、やはり虎とか竜とか、その手の名前は、喧嘩自慢の不良がウヨウヨいるところでは彼らを悪く刺激してしまうことになるので、よろしくないわけです。僕の従兄の一人は、息子に「竜次」と名付けようとして、いや、こういう名前を付けると不良化してヤクザになってしまうかもしれないと思い直して、もっと「穏やかな」名前にしたといつぞや笑いながら話していました。僕もヤクザにはならずに済みましたが、長じるにつれだんだん性格が悪くなって、「文句あるか!」みたいに居直るようになってしまい、ガンジー的な美徳も失われてしまいました。

 凛や蓮なら、そんな心配はなさそうですが、ダラーッとしていたのでは凛烈の風とは違いすぎて皮肉を言われるかもしれず、蓮も、ぼんやりしていると、おまえはハスの葉の上で昼寝しているカエルか、と言われてしまうかもしれません。「正直(まさなお)」と名付けたものの、それが汚職役人になって、偽証罪で逮捕されてしまった、なんてのも洒落にはなりませんが。

 これは昔、母から聞いた話ですが、「ホラ吹きさん」と呼ばれている人がいて、いくら何でも人をそんなふうに呼ぶのは失礼ではないかと周囲の人に言うと、いや、名前がそうなのだから仕方がないと言われてしまったそうで、その人は姓が「洞(ほら)」、名前が「吹三郎」だったというのです。たしかに、縮めると「ホラ吹き」になってしまう。ブラックジョークのつもりでそう名付けたのか、何にせよ無責任な親がいたものだと、呆れたそうです。

 前にわが子に「悪魔」と名付けた親がいるというので、それがニュースになって「ひどい親だ!」と非難される(今のようなネット社会なら、それはすさまじいものになっていたでしょう)ということがありましたが、大方の親はわが子にはよい名前を付けようと、それなりに苦心するものです。由緒のある家では昔は男の子なら父親から一字を、女の子なら母親から一字を取る、なんてことも行われた(安倍晋三は、晋太郎の息子だから晋三なのです)。

 中には「夢のお告げ」で名前が決まることもある。うちの子供の場合には、妊娠中に母親が夢で、草原かお花畑で三、四歳の可愛い女の子が遊んでいるのを見つけ、すっかり魅せられたので、近づいて名前をきくと〇〇と名乗ったというので、いくらか迷信深い彼女は「あの子がうちの子として生まれてくるのだ!」と確信し、音(オン)だけ聞くと禅語のような、少々謎めいた名前でしたが、本人がそう言ったのだから、名前はそれにしなければならないと主張しました。

 あまりにも自信たっぷりなので、僕もそうなのかもしれないと思い、二人とも生まれてくるのは女の子なのだろうと思い込みました。それでどういう漢字を当てるかを僕は考え始めましたが、途中で医者がエコーを見せながら、「ほら、オチンチンが見えるでしょ。男の子です」と言ったというので、「君の夢のお告げもあんまり当てにならないね」ということになったのですが、いや、あの子に違いない、今度は男の子になって生まれてくるのだと譲らず、幸いその名前は「凛」などと同じく男女共用で使えそうなので、そのままにして、字画の吉凶を占う本も買って吉になるよう計算しながら、漢字の組み合わせを考えたのです(律儀にもその子は、出産予定日かっきりに生まれた)。

 親子二代で変わった由来の名前をもつことになってしまったわけですが、あまり一般的でない名前の場合、由来を聞くと、本人が知らない場合もありますが、それなりにそこにはストーリーがあって面白いので、僕は時々それを失礼にならない程度にたずねることがあります。いわゆるキラキラネームの場合は、たんなる親の自己満足のように見えますが、名前はいわばその子の看板なので、子供が一生それとつきあって行くことを前提に考えなければならない。それは親たるものの務めの一つかもしれません。

 冒頭の記事の、多い名前の一覧を見てもそうですが、最近は読みがわからないものが多くなっていて、僕も生徒に入塾の際、カタカナで名前の読みも書いてもらうようになりました。たとえば、「大翔」なんてのがあったとしたら、僕はそのままダイショウと読んでしまって、「関取みたいな名前だね」と言ってしまいかねないからです。〔ヒロト、ハルト、ヤマト、ダイト、タイガ〕という読みがついていますが、そのどれも僕の頭には思い浮かばない。昔は健太とか由美子、敦とか聡美とか、無理なく読めるものが多かったのが、いつのまにそうなってしまったのかわかりませんが、逆にそういう名前の方が今は新鮮で個性的に感じられるかも知れないので、逆張りもいいかもしれない。

 但し、これも「古すぎる」とよろしくないので、最後にもう一つ笑い話をしておくと、僕の田舎に、二学年下ぐらいに名前に「松」が付く子供がいました。有名な幕末の侠客、清水次郎長の子分の「森の石松」みたいに、後ろが「松」だったのです。これはその子のおばあちゃんが命名したそうで、両親は「いくら何でも古すぎるのではないか…」と懸念を表明しました。何を言うか、とおばあちゃんは反論しました。ズボンの太さでも、スカートの丈でも、革靴の先でも、流行は循環する。今は古いと思えるかもしれないが、そのうちまた流行るようになって、いずれは最先端を行くファッショナブルな名前だとうらやましがられるようになる。自信たっぷりそう言うので、そういうものかと思ってそうしたら、全然リバイバルすることはなくて(江戸か明治で途絶えた名前なのだから、それは当然と思われますが)、その子は名前のことでからかわれるようになりました。僕の記憶の中ではそれは内気でたいへんおとなしい子だったのですが、中二の頃、それでいつものようにからかわれていて、屈辱に耐えかねたその子は相手を突き飛ばしました。彼はその頃、からだが急に大きくなっていたようですが、そしたら予期せず相手が吹っ飛んだのです。「ひょっとしたら自分は強いのかも…」と彼は思ったようで、以後、それまでの鬱憤もあってとんでもない乱暴者に変身してしまったという話で、ガラの悪い高校に入ると、そこでも暴れ回り、最後には地元のヤクザと喧嘩をして、相手を病院送りにしてしまい、退学処分を受ける羽目になった。田舎というのはテキトーというか、寛大なところがあるので、それでも農協に雇ってもらえたのですが、僕が思うに、おばあちゃんがそういう名前をつけていなければ、たぶんそういう展開にはならなかったことでしょう。

 名前を軽視するなかれ、という教訓です。



祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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「関係性」というヘンな日本語、誰が作った?

2019.11.11(16:37) 669

 昨夜、珍しくNHK午後7時のニュースを見ました。そのニュースのメインはむろん「即位祝賀パレード」で、僕自身は皇室にはニュートラルな立場ですが、沿道の熱狂ぶりを見ながら、象徴天皇制というのはなかなかいいアイディアだなとあらためて思いました。政治的な欲にまみれた独裁者が国民に崇拝を要求するというのは、北朝鮮の例を見てもわかるように、たんなるグロテスクでしかありませんが、政治的には中立で、時の権力におもねることもなく(これは法律的に地位と生活が保障されていることが大きい)、「日本国民統合の象徴」として凛然としたたたずまいを示す人がいてくれるというのは、国民にとって精神衛生上もかなり大きなプラスの意味をもつように思われたからです。幸いにして、先代・今上天皇皇后両陛下とも、心映えすぐれたその地位にふさわしいお人柄で、軽薄のそしりを受けるような心配はない。問題は、「象徴」たるに相応しい各種制限を生活上受けることで、下々の者はさぞや窮屈なことだろうと、その点に同情するのです。

 それはともかく、そのニュースで、「何?」と思われることが一つあって、それは次のNHKのニュースサイトに出ているシーンです。

御厨貴さん「国民と両陛下の関係性縮まった」

 僕はかねてこの「関係性」という言葉を好みません。昔はこんなヘンな言葉は使わなかったので、僕はふつうの人よりは本をたくさん読んでいると思いますが、見たことがなかった。ところが最近、やたらこれが多いので、どこの馬鹿(失礼!)がこんなおかしな言葉を使い始めたのだろうと不思議に思っていました。日本語のセンスのない、高級ぶってやたら「的」だの「性」だのを付けたがる若手の社会学者あたりが使い始めて、それが広がってしまったのだろうと思っていたのですが、何のことはない、こんなじさまが使っていたのです!

「お二人の自然体の姿に国民が共感して、スマートフォンなどで撮影する様子をみて、国民と両陛下の関係性が縮まってきたと強く感じた」

 確かに、ニュースの映像でもそう言っていました。「関係性が縮まってきた」なんて、およそ日本語ではありませんが、「関係がより親密になって、距離が縮まってきた」という意味なのでしょう。それならそう言えよ。何にせよ、いい齢した東大の名誉教授がこんないい加減な言葉の使い方をしているのだから、端正な日本語が失われるのは当然です。

 ついでに、どういうふうにこれが乱用されているかというと、今日のニュースサイトに出ている記事ですが、「勝間和代さん、パートナーの増原裕子さんと関係解消を報告『好きな人が他にできたと…涙が出てきて止まりません』」という見出しのそれ(スポーツ報知)があって、何でも「同性愛婚」が破綻したそうなのですが、勝間氏のその「悲しいおしらせ」を載せたブログにも「時間がたてば関係性は良好な状態に戻ると期待をしていましたが」といった表現が出ているのです。悲しみに追い討ちをかけるようで相済まないが、何で「関係」ではなく、わざわざ「関係性」にしなければならないのか、さっぱりわからない。

 僕が想像するに、これは英語のrelation と relationship の違いを無理に作ろうとして、二流の翻訳家が「関係」と「関係性」に訳し分けたのがきっかけかもしれません。まともな英和辞典ならどちらにも「関係」という訳語が当てられているはずで、またそれでいいのですが、悪疫のようにそれが広がって「関係性が悪化した」なんて珍妙な日本語があちこちに氾濫するようになったのです。

 昔は福田恆存(英文学者・批評家)や、高橋義孝(独文学者)のような日本語にうるさい御意見番がいて、彼らがいてくれればこういう「洒落たつもりで無意味かつ下品な」日本語には鉄槌を下してくれたでしょうが、今はそういう人が誰もいないのです。

 僕が「関係性」という言葉を容認するとすれば、それは「関係の性質」と後ろの「性質」を強調したいときだけで、「その複雑な関係性を描き出す」(これは息子が書いた文章に出てきた表現)ぐらいならそう違和感はないが、これだって本当は「関係」で足りるわけです。「関係」は「関わり方(関係の性質)」の意味を含むからです。

 こういうのはひところはやったらしい、「私的(ワタシテキ)には~」なんかと似たような不細工さで、必然性のないところにやたらと「性」とか「的」とかを付けるべきではないのです。かえって意味が不明確になり、何を書いているのか、読んでいるのか、わからなくなってしまう。御厨貴・東大名誉教授の「国民と両陛下の関係性が縮まった」なんて、頭が悪いとしか思えない。雰囲気で言葉を使って、ロジックが成立していないのが自覚できていないのです。

 これは前にも書いたことがあるかどうか、僕は学生時代、刑法の教授が書いた教科書を読んでいて、「占有とは支配意志の客観化した状態である」というくだりを読んで、何じゃ、それはと笑ったことがあります。それで、こういう日本語も満足に使えないセンセの本を読むのは時間の無駄だと考えて、古本屋にそれを叩き売り、もっと頭のいい人が書いた本を買うことにしたのですが、この「支配意志の客観化」教授は学界では結構な有名人で、その後母校の総長にもなったのだから、アホだとは思われていなかったのです。

「意志(意思)」というのはもとより「主観的」なものです。それが「客観化」するというのはどういうことなのか? 何か普通人には理解不能な高度な概念のように見えるかもしれませんが、何のことはない、「第三者から見て、その人が支配の意志をもって占有していると認められる状態」のことなのです。それなら素直にそう書けよと言いたくなるので、かんたんなことを西洋語(この先生の場合はドイツ語)のど直訳調の抽象表現でもって高尚ぶりたがるのは二流学者の特徴です。

 だから、そういうのを真似てもまともな思考展開ができなくなるだけで、一向賢くはならないので、やめた方がいいのです。「関係」の何が気に食わなくてわざわざそれに「性」を付けるのか? 御厨教授のような、「関係性が縮まった」がまともな日本語だと思うような言語センスのない人が増えたからだとしか僕には思えないのですが。



祝子川通信 Hourigawa Tsushin


雑談
  1. だんだん聖書のアポカリプスみたいになってきた?(02/04)
  2. 人類は「ゆでガエル」状態のまま破滅に向かうのか?(01/25)
  3. オーストラリア火災が意味するもの(01/13)
  4. 凛と蓮~子供の名付け方(12/02)
  5. 「関係性」というヘンな日本語、誰が作った?(11/11)
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