FC2ブログ

ふなっしーは「非公認」だった!

2013.10.31.16:10

 シリアスな後期オヤジ(後期高齢者に準じてこう称している)である僕は、ふだんこの手の話題には見向きもしないのですが、殺伐たる世相を和らげるものとして、いわゆる「ゆるキャラ」なるものには一定の理解を示しています。

 先頃は、お隣り熊本県の「くまモン」が天皇皇后両陛下にお目通りし、あまつさえ皇后様から「くまモンはお一人なの?」という慈愛に満ちた有難いお言葉まで賜ったとか。昔、初めてパンダが上野動物園にお目見えして大騒ぎになったとき、VIPというのはVery Important Pandaの略なのではないかと言われましたが、今や「ゆるキャラ」といえども、くまモンほどの人気者ともなれば、そこらのオヤジなんかとは比べものにならないほどの社会的重要性をもつのです。

 去年、うちの塾にも熱烈な「くまモン」ファンの女子生徒がいました。下敷きやファイル、筆箱まで全部「くまモン」で統一されているのです。カバンにはもちろん「くまモン人形」が吊り下げられている。「くまモンって、可愛い!」と、くまモンにプロポーズされたら一発でお嫁に行きそうな感じでした。あるとき僕はスーパーで「くまモン」包装の塩飴を見つけたので買ってきて、中味は皆で食べたのですが、その袋はもちろん彼女が大事そうに持って帰りました。
 どうせ今どきのお馬鹿な女子高生だろうって? それがまた、お勉強の方もよくできる子だったので、余裕で九州大学に合格したのです。想像するに、彼女の部屋は「くまモン」グッズに埋め尽くされていたのではないかと思いますが、愛するくまモンに囲まれて、幸福な気分でお勉強にも励むことができたのでしょう。

 そのとき僕は一つ不審に思ったので、「宮崎県にはそういうご当地キャラはいないの?」とたずねました。すると彼女のみならず、女の子たちの表情が一斉に曇りました。
 「いるんですけどね、一応…」
 「みやざき犬とかいって、何と言うか…その、センスが…」
 「あんなのじゃねえ…」
 「要するに、わざとらしいというのか、ちっとも可愛くないんですよ!」

 酷評に次ぐ酷評! やはり「ゆるキャラ」にももって生まれたスター性というか、“花”があるものとないものとがあって、ないものはいくら宣伝しても流行らないのです。その代表の一つが「みやざきけん」。「くまモン」なんかは一気に全国区の人気者になりましたが、「みやざきけん」は県内の女子中高生たちにすら無視されているのです。とほほ…。

 ところで、おなじゆるキャラのあの「ふなっしー」というのは何なのでしょう? 僕はテレビはふだんニュース番組とドキュメンタリーの他には、「ダーウィンが来た!」ぐらいしか見ない(訂正:「トンイ」も見ています)のですが、何度かたまたま民放であれが映るのを見たことがあって、そのたび「何なんだ、これは?」とチャンネルを変えずにそのまま見てしまったのですが、あれは人をそうさせてしまうようなインパクトをもった不思議な存在です。あまりにも安易で馬鹿げていて、一挙手一投足が全部可笑しい。

 そういうわけで、僕でさえ「ふなっしー」は知っていたのですが、しばらく前にある女子生徒に「先生、私って、ふなっしーに似てますか?」と急に聞かれたときは、途方に暮れてしまいました。

 「ふなっしーって、何でまた…?」
 「この前学校で○○先生が、私のことをまじまじと見て、『君はふなっしーそのものじゃない?』って、いきなり言ったんです。帰るときも『バイバイ、ふなっしー』って。女の子にそんなこと言うなんて、失礼だと思いませんか!」

 彼女の話によれば、その先生はふだん教わっている先生ではないのですが、学年集会か何かがあって、そこにやってきた先生が、不意に自分の前で立ち止まって「ふなっしー」呼ばわりしたというのです。その先生のことは、先方は知らないでしょうが、僕の方は生徒を通じてよく知っていて、優秀だと僕が買っている先生の一人です。真面目だが、言われてみれば、そういうヘンなことを面白がるところはありそうな人物に思える。

 「たしかに、それは失礼な話だよね。君がふなっしーに似てるなんて、そんなことは…」

 言いながら、僕は笑いをこらえることができませんでした。その子は可愛い子なのですが、何かそのたたずまいに、ふなっしーを髣髴させるような“天然”的なところがないではない。本人にもそれを真面目に気にしているふうはなくて、一緒に釣られて笑い出してしまったのですが、以来、僕は彼女の顔を見るたびにふなっしーを思い出してしまうという病気にかかったのです。前は「くまモン」ファンがいたと思ったら、今度は「ふなっしー」が生徒の中に出現したのです。他にも想像力が豊かすぎて、英文を読んでいるうちにとんでもない空想物語の中に入り込んでしまって、毎度「珍答」で笑わせてくれる生徒が何人もいるのに、この上「ふなっしー」まで新戦力として加わったとなると、塾としての“厳粛さ”を維持するのに苦労する羽目になるのです(幸い学年は別ですが)。

 さて、そのふなっしー(本物の方)ですが、それが「くまモン」などと違って「公認キャラ」でないことを、次の記事で僕は初めて知りました。

【千葉県船橋市は30日、非公認のご当地キャラとして同市をPRしている、「ふなっしー」に感謝状を贈った。“梨の妖精”として一昨年に誕生したふなっしーは、型破りな言動で全国区の人気者になっている。
 地元の保育園児が声援を送る中、市役所で松戸徹市長から感謝状を受け取ったふなっしーは体をくねらせ、「感謝感激なっしー、ありがとなっしー」。市公認キャラの「船えもん」とともに上機嫌で撮影に応じた。
 今年最後の目標は紅白出場とのことだが、「オファーはまだないなっしー」。市長は新たに公認キャラとしないとし、ふなっしーも「やめとくなっしー」と非公認キャラのプライドを見せた。】(産経新聞)

 船橋市の「公認キャラ」は「ふなっしー」ではなくて、「船えもん」だったのです。
 考えてみれば、「公認」のキャラならあんなに無茶苦茶(この記事では好意的に「型破りな言動」となっていますが)やってるはずもないのですが、それにしても、あれが「梨の妖精」だったとは! あんなドタバタした(運動能力は極めて高い)妖精がいるとは、妖精の定義それ自体に反するようにも思われますが、本人がそう言っているのだから仕方がありません。妖精にもノー天気な特殊なタイプが稀に存在するのでしょう。

 ともあれ、僕はこの「ふなっしー」の栄誉を、わが塾の「ふなっしー」にも伝えることでしょう。そのふなっしーの勇姿の写真はこちらです。

 それでついでに思ったのですが、わが延岡市もそういうキャラを作りませんかね。名前は「のべりん」とかして、ぼーっと突っ立って何もしないのです。やたらと動き回るキャラ全盛の折柄、かえって注目を引くかもしれません。何もしないのは僕の最も得意とするところ(ほとんど天賦の才能と言える!)なので、あと何年かして塾教師を引退した暁には、僕がその着ぐるみの中に入ってもよい(もちろん、日当はいただきますが)。素晴らしいアイディアではありませんか?

愛すべきカエルの話

2013.06.02.07:40

 遠くに近くに、カエルの大合唱が聞えるこの季節になると、ああ、梅雨に入ったんだなと実感します。人間にとっては梅雨はじめじめうっとうしいものですが、田んぼは梅雨がなければ困るし、元気に鳴きかわすカエルたちはほんとに嬉しそうです。聴いているこちらにまでその楽しそうな気分が伝染してくる。

 そこで、カエルの話を少々。子供の頃はよくカエルをつかまえて遊んだものですが、今でも子供たちに最も人気のあるカエルはトノサマガエルでしょう。あれはつかんでもイヤなにおいがしないし、すべすべのおなかをさわると気持ちがいいし、見た目も立派で、ジャンプ力がすごい。小学生の頃はあれの胴体に糸を巻きつけて、犬を散歩させるみたいにして、ピョンピョン飛ばせて喜んでいたものです。

 トノサマガエルよりもっとすごいのは、ウシガエルです。僕の田舎にはあれはいなくて、外来種だからむしろそれは当然ですが、高校のときにそれに初めてお目にかかった。下宿のそばでヴォ、ヴォ、と大きな声で鳴いているのを聞いて、初めは一体あれは何の声だと不気味に思ったものですが、その声の主がウシガエルだったのです。あるとき、巨大オタマジャクシに遭遇、ふつうのオタマジャクシは(あれも可愛いものですが)少し力を入れれば潰れてしまうのに、おそろしく頑丈で肉厚です。それがウシガエルのオタマジャクシなのだという話で、オタマジャクシの段階でこれでは、成体がデカいのも道理です。

 ウシガエルは、しかし、ガマガエルなんかと違って見た目のグロテスクさはなく、トノサマガエルをデカくしたようなかなりスマートな体型で、非常に魅力的です(別名「食用ガエル」で、食用にされるのはかわいそうな気がしますが)。

 延岡にもウシガエルはいて、息子が小学校低学年のとき、祝子川の河川敷でよく二人野球をしていたのですが、川の淀みにカメや鯉に混じって大きなウシガエルが何匹もいることに気づき、夏になったらあれをつかまえようということで、準備万端整え、「ウシガエル捕獲大作戦」、別名「オペレーション・ウシガエル」を決行したことがあります。網まで用意して、かんたんにつかまえられそうに見えたのですが、彼らはえらく俊敏で、ジャンプしたり、泥の中に潜ったりで、父子は一時間も悪戦苦闘したにもかかわらず、一匹もつかまえられずに終わりました。今度こそはと思っても、いつも最後のところで裏をかいて巧みに逃げられてしまうのです。彼らは頭もいい。その様子を他人然とした冷たいまなざしで眺めていた母親は、カエル相手に泥だらけになってそんな大騒ぎをして、しかも一匹もつかまえられないなんて、そこらで見ている人たちに恥ずかしいとは思わないのかと、軽蔑しきったような顔つきで言いました。一番運動神経が鈍いくせに、そんなら自分がつかまえてみろ、と言うと、まともな人間はそもそもそんなつまらないことに興味はもたないと、ひとり文化的な人間ぶりたがるのです。悪うござんしたね、原始的で。

 話は僕の高校時代に遡りますが、学校の図書館のそばに、一つ池があって、その池は周りが埋め込まれた岩に囲まれるようなかたちになっていて、上から見下ろすようなかっこうになっていたのですが、そこに黒々とした立派なウシガエルが二匹いました。誰が最初に気づいたのか、とにかくそのウシガエルたちは3年生のうちのクラスのヒマな連中の人気者になりました。糸の先にトンボなどをつけて上から垂らすとジャンプしてそれに食いつこうとするので、その姿が愛嬌たっぷりに見えて可笑しく、毎日、昼休みにそうやってエサをあげていたのです。すると、昼休みになると彼らは催促して鳴くようになった(ホントですよ)。それで、昼食をすませるとウシガエルのエサをとってくるのが日課みたいになってしまい、僕も何でこんなことしなきゃいけないんだと思いながら、毎日校庭でトンボを追いかけ回す羽目になったのです。

 ところが、ある日の昼休み、いつものようにそこに行ってみると、親愛なるウシガエルの姿が見当たらない。一体何事があったのかと皆騒然としたのですが、そうしているところにとんでもない情報がもたらされました。何と、二年生の生物部の男子が解剖実験用にそれを捕ってしまったというのです! 続報によれば、その生徒は汽車通学だったのですが、一匹は駅のホームで隙をついて脱出、そばの沼地に無事逃れ去ったということでした。それはよかったが、もう一匹はどうなったのか? あわれ彼はオタクじみたその生物部生に自宅で解剖され、文化祭用の生物部の展示の一つに加えられるべきものとして、変わり果てた姿で生物室に保管されているというのです。何たること! そのオタク後輩は、そのウシガエルたちが「恐怖の3D(中には僕のような品行方正な者もいましたが、個性豊かな問題児の巣窟だった)」の異名を取る先輩たちの大事なペットになっているということも知らず、かかる暴挙に及んだのです。

 許しがたい、ということで、その後輩はわがクラスの悪ガキ数人に呼び出されて鉄拳制裁を加えられる羽目になったようですが、良心に満ちた僕も、あえてそれを止めなかったということは告白しなければなりません。「よくもあの可愛いウシガエルを…」という憤りはいかんともしがたかったからで、ウシガエルの無念を晴らすためにも、二、三発パンチを食らわしてやるのは正当なことのように感じられたのです。

「おまえ、オレたちが可愛がってたウシガエルをどうしたって?」
「い、いや、ボクはただ生物の勉強のために…」
「やかましい! そんな言い訳が通用すると思っているのか!」

 てなわけで、ポカポカやられてしまったのかと思うと、気の毒な気もしますが、カエルが原因で先輩に殴られるなんて、前代未聞というか、ほとんどありえない話です。

 塾でこの話を生徒たちにすると、彼ら、とくに女の子たちは、その次元の低さとヒマさ加減、そして乱暴さに呆れてしまうようですが、彼らだって日々ウシガエルとの心温まる交流をもっていれば、気持ちはわかるのではありませんかね。

 ついでにその頃、その池には小型のトノサマガエルみたいなのもいたのですが、ある奴がカエルはおなかを撫でてやると寝るのだと言って、それをつかまえて実演してみせたことがあります。たしかに、白いおなかを軽くこすっているとウトウトしたようにカエルは目を閉じて、それをそっと水の上にのせると、しばらく仰向けになってそのまま寝て浮いているのです。それから、はっとしたように起き出して、通常の体勢に戻って泳ぎだす。その様子がユーモラスで可笑しい。僕も真似してやってみたら、同じ結果になる。おなかをそうやって軽くこすることには催眠作用があるのかも知れません。こういうのも見方によっては一種の生物虐待かも知れませんが、撫でられているときほんとにカエルは気持ちよさそうなのです。あれは一体どういうわけなのでしょう?

 最後に一句。

 つゆぞらや 四方(よも)を領する かわず声

 盗作と言わずに、「本歌取り」と呼んで下さい(元はむろん、「しずけさや 岩にしみいる 蝉の声」という芭蕉の有名な句です)。

イノシシ談義

2013.02.12.02:51

 僕はつねひごろ人間よりも野生動物に親近感を抱いている者ですが、このニュースには思わず笑ってしまいました。追いかけられた子供たちにとっては恐怖の体験だったかも知れませんが…。

【11日午後0時半ごろ、(埼玉県)ふじみ野市苗間の駐車場で、富士見市の小学5年生の男児(11)がイノシシに襲われ、両足の太ももをかまれて軽いけが。イノシシは約10分後、近くを警戒中の警察官に捕獲された。この際、警察官が手をかまれて軽傷を負った。
 東入間署の調べによると、男児は友達と計3人で近くの公園に遊びに行く途中で、突然、イノシシに追いかけられたという。友達にけがはなかった。現場周辺ではイノシシの目撃情報が寄せられており、同署が警戒していた。
 イノシシは体長約1メートル30センチ。現場は、東武東上線のふじみ野駅の東方約500メートルの住宅地。】(朝日新聞デジタル)

 最近はイノシシもよく街中に出てくるようで、前にテレビで長崎の市街地だったか、アスファルトの道路をイノシシ親子が夜間に仲良く並んで走っているのを見たことがあります。イノシシの子供のウリ坊は大人気ですが、親イノシシとなると、可愛いよりこわい。

 それにしても、イノシシって噛むの、という人がいるかも知れませんが、噛むのです。僕が子供の頃、小学校の裏手の山をイノシシが下りてきて、遊んでいる子供たちを尻目にグラウンドを猛烈な勢いで横切った後、町なかに入り、逃げ惑う小学生の女の子の一人が噛まれ、商店街を縦走してひっくり返るような大騒ぎをひき起し、新聞販売店のサッシ戸を壊した後、近くの鉄工場に突っ込み、そこの人の太ももに噛みついて、たまらず鋼鉄のハンマーか何かで必死に叩いたら死んだ、という事件がありました。

 翌日の新聞の地方版にはその記事がでかでかと出て、その見出しは「イノシシ、町を暴走 住民ら殴り殺す」となっていて、僕はそれを小学校の職員室で見たように記憶しているのですが、恐ろしく野蛮な人間が住んでいるところだと誤解されかねないので、他にもう少しマシな見出しがつけられなかったのかなと、可笑しくてなりませんでした。そのイノシシにかまれたのは僕の同級生の妹で、幸い軽い怪我ですんだようでしたが、足に大きな包帯が巻かれていました。同級生にも学校の裏山でそのイノシシと鉢合わせしたのがいて、彼はトリモチでメジロを取りに行っていたらしいのですが、ガサガサという音がしたので、茂った萱を掻き分けるようにして見ると、目の前に面長のイノシシの顔があって、悲鳴を発して転げるようにして無我夢中、山を下ったのだそうで、顔じゅう切り傷擦り傷だらけでした。彼は学年一の俊足だったので、逃げ足も速かったはずで、でなければ噛みつかれていたかも知れません。

 しかし、そのイノシシには大いに同情の余地があった。猟師に追われていたのです。昔はそういうことでもなければ、イノシシが昼間里に下りてくることは決してなかったので、僕みたいにオク(奥)と呼ばれるとりわけ辺鄙なところに住んでいて、年中野山を駆け回っている子供でも、日中イノシシと出会うなどということは一度もありませんでした(あれは本来夜行性の動物です)。サルだって、よほどの奥山に行かないと見かけることがなかった。松茸を取りに行って遅くなり、暮れかけた山道を慌ててかけ下っていたら、ムササビが突然目の前を横切って肝を冷やしたことはありますが。危険な生き物といえば、よくマムシには出くわしたもので、「見つけたら殺せ」と教えられていましたが、おじけづいているので、狙って石を投げても「頭を潰せ」と言われたその頭にはなかなか当たらない。失敗して、マムシがサッと身構え、するするっとこちらに向かってくると、必死に逃げるのみでした。あれに噛まれると命取りになりかねないということはわかっていたので、心底こわかったのです。稲刈りのときなど、さして広くもない一つの田んぼに悪くすると三匹もマムシがいることがあって、大人はそれを残さず退治してしまうのだから、大人というのは偉いものだと、畏怖の感情を抱いたものです(今どきの大人が子供に尊敬されない理由の一つは、この種のことで「えらさ」を示す機会がなくなってしまったからでしょう。子供は株で儲けたといったようなことでは尊敬してくれないので、このような「わかりやすいえらさ」が必要なのです)。

 話を戻して、今はイノシシでも熊(これは北の地域に限られるようですが)でも、平気で人家近くに出没する。僕の実家の周辺には、昔は奥山の崖っぷちにしかいなかったカモシカまで住み着いてしまい、悪くすると石段で鉢合わせしたりすることもあるという。舗装した道路に澄ました顔で立っていて、ケータイで写真を撮ろうとすると、ポーズまで決めてくれるという慣れ具合だそうで、ほとんど「自然動物園」状態です。むろん、ふつうのシカもそこらじゅうにたくさんいるので、サルと来た日には、傍若無人も甚だしく、庭の柿の実まで全部食べてしまうのはむろん、下手すると家にも上がりかねない。他に、タヌキ、アナグマ、キツネ、ウサギ、そしてイノシシと、勢ぞろいしていて、それが競うようにして畑と田んぼを荒らすので、僕の母親は、「あれたちのために作物をつくっているようなものだ」と嘆いています。野生動物のためのボランティアの食事係みたいなものだなと、聞いていつも笑ってしまうのですが、こうなったについては農水省の責任が大きいので、むやみやたらと植林を進めすぎて、原生林を激減させてしまったので、彼らは里にやってきて、来てみたら畑や田んぼで効率よく食料が調達できることがわかって、皆近くに住み着いてしまったのです(カモシカまで現れるようになったのは、増えすぎた鹿に縄張りを奪われてしまったということが原因の一つにあるようで、元々は、あれはそれほど珍しい動物なのです。こ存じのように、名前はシカでも実はウシ科の動物なのですが)。

 延岡近辺でも、イノシシはたくさんいるようで、僕はよく夏に鮎とりに行って、川岸にイノシシの「ぬた場」を見かけます。この「ぬた場」というのは僕の田舎の方言なので、正式には何というのか知りませんが、イノシシがからだをこすりあわせた跡で、泥っぽいぬかるみみたいなのがあちこちにあるのです。地元の人に聞くと、やはりイノシシだそうで、稲がやられて困るのだという。夜間、川に沿ってイノシシは移動し、田んぼにかけあがって荒らすのでしょう。ちなみに、イノシシはものすごいジャンプ力があって、助走なしでもかなりの高さを越えられます。動物のオリンピックがあれば、イノシシはカモシカと並ぶ、ハイジャンプの優勝候補かもしれません。

 それにしても、その埼玉のイノシシは、何だって日中町を走ったりしていたのでしょう? よほどの事情がなければそんなことはしないはずで、僕にはそれが謎です。人家近くに住むうちに、人間の世界に毒されて、「昼夜逆転」してしまい、夜活動するはずが、昼に動き回るようになってしまったのでしょうか? できるものなら、イノシシ本人にじかにその理由を聞いてみたいところです。僕の田舎では、「イノシシには山の神がついている」という言い伝えがあって、あれはたいそう賢い動物だと言われていました。きっと何か「やむを得ざる事情」があって、昼間そんなところにいたのでしょう。

 今はおまわりさんたちも大変です。人間の指名手配犯を「特別警戒」していたというのならわかるが、イノシシまで「警戒パトロール」しなければならないとは…。

「警戒中のイノシシ発見。ただちにタイホに向かいます!」
「おお! 動物愛護精神に則り、むやみと発砲しないようにな。しかし、噛まれないように十分注意すること!」

 そんな警察無線が交わされていたのでしょうか? どんなふうにして首尾よく「捕獲」したのかも知りたいところですが、この記事にはあいにくそこまでの情報はありません。

無駄に鋭い

2013.01.06.15:13

 少々遅れましたが、あけましておめでとうございます。
 本年もよろしくお願いします。

 笑う角には福来たる。去年の正月は「女子高生お言葉集」から始めたので、「今年も…」と思ったのですが、日々真面目な受験指導に励むあまり、すっかりそのネタ収集を忘れていました。
 実のところ、女子生徒たちに年末に聞く予定でいたのですが、「センターを目前にして、私らが必死に勉強に励んでいるのに、先生はそんな下らんことを考えてるんですか!」と非難されるのを恐れて、聞けなかったというのがほんとのところです。

「誰も読まないブログにそんなつまらないこと書いてるヒマがあったら、どうしてもっとちゃんとした英語プリントを作らないんですか!」
「そうですよ。先生がいつも作るあれは、選択肢が無駄に紛らわしすぎて、無駄に難しすぎるんですよ。『やっぱりあれは、作る人の性格の悪さがよく出てるよねー』って、みんなに言われているのがわからないんですか! 合格点の人には鉛筆プレゼントなんて言って、ケチだから誰もゲットできないように、故意に間違えやすくしてるわけでしょ?」
「そうそう。よい先生というのは、この時期、易しい問題を解かせて生徒に自信をつけさせるのがフツーでしょ? 何でそんなこともわからないんですか!」

 等々、とんだヤブヘビになって非難の集中砲火を浴びそうなので、聞けなかったのです。彼らはうちの息子と同じで、僕の偉大さを知らないので、学校では「よい子」のふりをしていても、塾では容赦がないので、現実にそのおそれは十分あるのです。

 この「無駄に鋭い」というのも、2年の女子生徒に言われたものなので、教師に対する尊敬心がいくらかでもあれば、このような言葉は決して出てこないはずです。
 それはどういうときだったか? あるとき、僕は一人の生徒の顔を見て、何かいつもと違うなという感じを覚えて、こうたずねたのです。

「君は何か、今日はヘンだね。目が大きくなってない?」
「え? そんなことありませんよ、いつもと全く同じです」
「そうかなあ…。何となく目が大きくなって、宇宙人っぽくなってるような気がするんだけど…」

 絶対にヘンだよ、と僕は言いました。するとその生徒は「へへへ」と笑って、種明かしをしてくれました。コンタクトレンズに仕掛けがあって、あれは瞳の部分にかぶせるようになっているわけですが、それは透明ではなく初めから黒い色がついていて、かつ瞳より少し大きめになっている。それで、目そのものが大きく見えたのです。

 へえー、今はそんなのまであるの、と僕は感心して、じゃあ、外人みたいな茶色や青のも売ってるわけ、ときくと、そうだという。
 そういう話をしていると、その子の隣の席の子が、「センセーって、そういうところ、いつも無駄に鋭いですよね」と“失言”したのです。

「無駄に…って、実は宇宙人が彼女に化けてるってことだってあるかもしれないだろ? 宇宙人ってのは、あのグレイの画像なんか見ても、全部が黒目みたいなんだから」
「ありえませんよ。大体、何で宇宙人が○○ちゃんに化けるわけですか?」
「それは、宇宙人に聞いてみないとわからないけどね。地球人をからかうためだとか…」
「宇宙人って、そんなにヒマなんですか?」
「そうじゃないの? だから地球に来たりするんだよ」
「(ここで別の子がイライラした口調で割り込む)どうしてそういう話になるんですか! 宇宙人は人類に警告しに来てるんですよ。高度なテクノロジーを誇る彼らが、そんなつまらないことするわけないでしょ!」
「でも、高度なテクノロジーが高度でないことに使われることはままあるので、君らがもってるあのケータイだって、結構高度なテクノロジーだと思うけど、つまらないものを見るのに使われてたりするだろ? あれはしかし、夜は外で使うもんじゃないからね。この前も塾の帰りに、そこの角を曲がったら、幽霊みたいに顔が青白く光っている若い子に出くわして、びっくりした。ニヤニヤしてるからよけい不気味だったんだけど、ケータイで何か見ながら歩いてたんだね。その画面の光が顔に反射してああなる。本物の幽霊かと思ったよ」
「だから、宇宙人はそういうノーテンキな人類に警告しに来てるんですって!『ケータイを持ったサル』って本が面白かったって、前に先生も言ってたじゃないですか。宇宙人の場合はそのあたりも人類よりずっと進化してるんですよ」
「しかし、あのUFOってやつは、無駄に飛び回ってるとしか、僕には思えないんだけど。それで騒いでる地球人の姿なんかを生中継して、何光年だか離れた本国の宇宙人はそれをケータイで見て喜んでるだけじゃないの?」
「(ここでまた別の生徒が割り込む)あのう…先生、宇宙人の話はまだ続くんでしょうか? 私、宿題ちゃんとやってきてるんですけど…」

 そういうわけで、せっかくこれから高尚な話に移ろうと思っていた矢先、中断を余儀なくされたのですが、いつもこういうところで終わってしまうから、彼らは僕を誤解するのです。元はといえば突然「宇宙人顔」をしてきた生徒が悪いわけで、僕には何ら責任はないのですが、彼らはそうは思わないわけです。

 それにしても、「無駄に鋭い」とはどういうことでしょう? それではかんじんなことには鈍いみたいに聞えます。かんじんなことには鈍くて、どうでもいいことにだけ鋭いというのでは、まるで馬鹿みたいです。なぜ素直に「観察力にすぐれている」と言わないのでしょう?

 それが気になったので、翌週、僕はその子に質問しました。どうして「無駄に」という無駄な形容語がついているのか、に関してです。

「だって先生は、よく忘れ物をするじゃないですか。『また忘れた!』って言葉を何度も聞きましたよ。プリントなんかでも、どこに置いたかわからなくなって、長いこと探し回って、結局見つからなかったりするじゃないですか? それから、あそこの時計なんか、この前は電池を買ってくるのを忘れて、一週間たっても止まったままだったでしょ?“全般的に”観察力にすぐれた人が、そんなことしますか?」
「いや、それは、高度な集中力をもつ人間にはありがちなことで、些細なことはつい忘れがちになるんだよ」
「でも、これは塾の先輩から後輩に、ずっと語り継がれてる話なんですけど、後ろにも授業が入っているのに、忘れて帰ってしまったことがあったんでしょ? 来たら塾は真っ暗で、『何かあったに違いない』って大騒ぎになったけれども、先生がただ忘れて帰ってしまっただけだってわかったって話ですよ。こういうのって、些細な話なんですか?」
「そういえば、大昔、たった一度だけそういうことがあったような気はするけど、そういうのは『弘法も筆の誤り』みたいなもんでね、僕のような注意力のかたまりみたいな周到な人間でもごく稀にそのようなことは起こるということで、そろそろあれだね、無駄話は切り上げて勉強に入ろうか…」

 後でよく考えてみると、「観察力」と「記銘力」というのは全く別のmental facultyであって、彼女はそれを混同していることに思い当たりましたが、思いやり深い塾教師である僕は、誤りを指摘して無用に生徒を傷つけることを恐れて、話を蒸し返すことは避けたのです。決して自分に不都合な事実が出てくることを恐れたためではないのですが、おかげで「無駄に鋭い」という言葉の意味を解明することはできずに終わったのです。

 そこで、あらためて考えてみましょう。「無駄に鋭い」というのはどういうことか? たとえば人が深刻な苦悩を抱えて深刻な顔をしているのに、かんじんなそのことには気づかず、鼻毛が数本僅かに出ているのに目を止めて、「たまには切った方がいいですよ。今は鼻毛用の小型のいいハサミがありますから」と言って、どこで買えるかを説明し始め、相手を怒らせてしまうような人です。あるいは会社で、皆が忙しくしているときに、喫煙所のタバコの吸殻を細かくチェックしていて、「部長、禁煙したんじゃないんですか? いっときなくなっていたショート・ホープの吸殻がまた出だしたのは、あれ部長のでしょ? しかも最近は本数が増えているので、このままではガンで早死にしますよ」などと、わざわざ部長のところまで親切ぶって忠告しに行くような人です(部下である自分の無能のせいでなおさらストレスが募っているのだということには気づかない)。子供の世界で言えば、友達に、その友達の片想いのA子が冬休みに映画館で誰それとデートしていたという目撃情報を微細にわたって語ったりする少年です。その映画はラブストーリーで、自分はそれを一人で観に行ったのですが、「あいつら、あんなクサい映画をお手々つないでいちゃいちゃしながら、見に行ったりしてよ。ジュースなんか買って手渡したりしてるんだぜ。見てられるかよ」と、誰も見てくれと頼んでもいないのに細かく観察して、その友達の苦しげな表情などにはおかまいなしに話を続けるのです(相手は「こんな口の軽い奴に話したら、一日で学校中に広まってしまう」と恐れるからその秘めた恋の話をしていなかったのです)。そしてついでのように、その友達の第一志望の大学について触れ、「おまえが受ける大学、予備校の最新調査によれば、今年は倍率が上がって、思い切り難化しそうなんだって。頑張れよな!」と言って、激励したつもりでいるのです。

 こういうふうに見てくると、「無駄に鋭い」という言葉は、やはり僕には該当しないものであることがわかります。最近の子供は国語力が低下しているので、自覚なくそのような不適切な使用をしてしまうのでしょう。

 僕がどんなに無駄のない、つねに本質的なことに焦点を合わせた人間であるかはこの一文を見てもよくわかると思うので、今度会ったらこの記事を読ませて、再考を促したいと思います

70年代替え歌・選挙ヴァージョン

2012.11.18.14:30

 久々の「ナンセンス・コーナー」です(「女子高生お言葉集」の続きはまた今度)。

 まずはペドロ&カプリシャスの『別れの朝』(1971)から。これは70年代前半を代表する名曲の一つであり、僕らの世代にはなつかしい歌の一つです。僕もときおり飲み屋のカラオケで熱唱し、「酒がまずくなった」とか、「恥を知れ。前野曜子や高橋真梨子に失礼だとは思わないのか!」「殺してやる!」「お客さん、もう帰ってください」(これは店のママさん)などと、美声に対する嫉妬としか思えない非難を受けることがあるのですが、とにかくいまだに根強い支持を誇る名曲です。
 それが、ゆうべ夢の中で「替え歌を作れ」というお告げを受け、目覚めるとそれが出来上がっていたので、皆さんに美声で歌ってあげられないのは残念(そういうことも今のパソコンではできるようですが、IT音痴の僕にそんな芸は無理)ですが、歌詞だけ忘れないうちに書き残しておくことにしました。
 後ろに元歌のURLも付けておくので、それも参考に各自で熱唱なさって下さい。

♪(民主党執行部から離党議員へ)
別れの朝 ふたりは
ぬるい汁粉 飲み干し
さようならのくちづけ
(気持ち悪いと言わない。歌なのだから)
わらいながら 交わした

別れの朝 ふたりは
白いドアを開いて
選挙区につづく 赤じゅうたんを
何も言わず歩いた

出さないで 離党届は
票が逃げるから
触れないで マニフェストに
心が乱れるから

やがて汽車は出てゆき
一人残る私は
そ知らぬ顔を装う
あなたの背中を 見ていた
あなたの背中を 見ていた

(落選を願いつつ…)

 お次は作詞作曲:井上陽水、歌は僕らの世代にはおなじみ石川セリの『ダンスはうまく踊れない』(77年)です。これも元歌は素晴らしい曲です。歌ってくださるのは、石原・橋下の「太陽維新」コンビです。

♪♪(最初は二人のデュエットで)
ダンスは うまく踊れない
解散が あまり急すぎて
タコは 足もとで踊り
私 それをながめてる
冬の夜は すでに暗く蒼く
こんなタマばかりで 一体どう戦う
誰も言わないし 誰も知らない


(石原パート)
ひとりきりでは ダンスはうまく踊れない
遠い なつかしいあの歌
私 戦前のドレス
あなた 限りない野心で
足を前に 右に 後 左


(再び二人で)
風のように 水のようにふたり
時を 忘れて 時の間を
La la la ……


(橋下パート)
今夜ひとりで ダンスをうまく踊りたい(ホントはネ)
丸いテーブルのまわりを
私 ナイトガウンのドレス
(コスプレも好きよ!)
歌は なつかしい君が代
部屋の中で 白い靴をはいて
ゆれる ゆれる 心 夢にゆれる
大阪は忘れて 総理の椅子に向かって
La la la ……


 最後は73年、朝倉理恵『あの場所から』(作詞:山上路夫/作曲:筒美京平)です。調べてみると、この歌は70年、Kとブルンネンが歌ったのが最初となっており、その後、柏原芳恵もカバーしたそうですが、僕にはやはり朝倉理恵の歌が一番ぴったりするし、記憶に残っているのも理恵チャンの声です。
 自民の石破幹事長にお好きなキャンディーズの『微笑返し』あたりを歌っていただくという手もありますが、ここは「美しい国」の安倍総裁にこの歌を熱唱していただくことにします。たぶん、ご存じでしょう。

♪♪♪(安倍式の微妙に鼻にかかった声で)
総理の椅子に 腰かけながら
騒ぐ野党を ふたりで見てた
できるならば 帰りたいけど
今は遠い あの日

こわれた政権を ふたり
取り返したいの あなたと
あそこから あの場所から
美しい国を 始めたいの

総理の椅子に 別れを告げて
ふたりどこに あれから行った
おなかをこわして 下野し
整腸剤で 復活を期した

忘れたものを ふたり
探してみたいの あなたと
あそこから あの場所から
愛国主義を 広めたいの

失くした政権を ふたり
見つめていたいの あなたと
あそこから あの場所から
何でもいいから始めたいの


 やや字余りの箇所もありますが、歌い手の心情をよく伝えるものとして、選挙期間中に愛唱していただけるものと自負しています。個人演説会場にカラオケセットを備え、熱唱すれば、票もたくさん得られるのではないでしょうか。師走の忙しい中、選挙カーで流すと、「この不景気でクソ忙しいのに、何をあいつらやっとるんだ!」ということで、裏目に出るおそれなしとしませんが、演説会場にAKB48など招き、その“前座”として歌うのであれば、許されるのではないかと思います。僕もお呼びがかかれば、おやじバンドを引き連れて応援に駆けつけ、お気に入りのカルメン・マキ『私は風』なんかを熱唱するでしょう。あれは長い曲で、僕は全部歌わないと気がすまない(バンドも下手なのにヘンなプライドがあって、前奏・間奏を全部やりたがる)ので、十五分は時間を取っておいていただきたいと思うのですが。落選の恐怖におそれおののく候補者は、ぜひご相談ください。格安料金にてご奉仕させていただきます。

 それでは、最後に元歌でお口直しをなさって下さい。これらの歌を知らない若い世代も、本物には聴き惚れるのではないでしょうか。とくに石川セリのこれは最高です。

別れの朝(歌 前野曜子)
ダンスはうまく踊れない(歌 石川セリ)
あの場所から(歌 朝倉理恵)
プロフィール

大野龍一

Author:大野龍一

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR