60~70年代の喪失感

2011.07.03.05:03

昔、岸洋子に『希望』という歌がありました。作詞・藤田敏雄、作曲・いずみたく。発売は1970年4月。

1 希望という名の あなたをたずねて
  遠い国へと また汽車に乗る
  あなたは昔の わたしの思い出
  ふるさとの夢 はじめての恋
  けれど わたしが 大人になった日に
  黙ってどこかへ 立ち去ったあなた
  いつかあなたに また逢うまでは
  わたしの旅は 終わりのない旅

2 希望という名の あなたをたずねて
  今日もあてなく また汽車に乗る
  あれからわたしは ただ一人きり
  あしたはどんな 町に着くやら
  あなたのうわさも 時折聞くけど
  見知らぬ誰かに すれ違うだけ
  いつもあなたの 名を呼びながら
  わたしの旅は 返事のない旅

3 希望という名の あなたをたずねて
  寒い夜更けに また汽車に乗る
  悲しみだけが わたしの道連れ
  となりの席に あなたがいれば
  涙ぐむとき そのとき聞こえる
  希望という名の あなたのあの歌
  そうよ あなたに また逢うために
  わたしの旅は いままたはじまる

 (フォー・セインツ版の3番)
3 希望という名の あなたをたずねて
  涙ぐみつつ また汽車に乗る
  なぜ今わたしは 生きているのか
  そのとき歌が 低く聞える
  なつかしい歌が あなたのあの歌
  希望という名の マーチがひびく
  そうよあなたに また逢うために
  わたしの旅は いままたはじまる

 「Youtube音楽三昧」というサイトからコピーさせてもらいましたが、じっさいに歌を聴くと、この「わたし」は「あたし」と発音されています。最後に「フォー・セインツ版」というのが入っていますが、実は前年にフォー・セインツというグループが歌ってそちらもヒットさせていて、こちらは三番の歌詞が違うらしいのです。僕は両方聴いた憶えがあります。高校入学時に寮に入って、そこでこのフォー・セインツの「小さな日記」とこれが入ったレコードを毎日かけている先輩がいたからです(当時は名前の意味なんてまるで考えたこともありませんでしたが、これはたぶんFour Saintsなのでしょう。日本語にすると「四聖人」になるのだからスゴい!)。
 ここで当時の音楽に関する思い出話に入ってしまうと、それだけでゆうに本一冊分ぐらいの分量になってしまうので、それは泣く泣く(?)諦めて、この歌詞をあらためて見ると、昔ながらの擬人化表現が巧みに使われているのにかえって新鮮な印象を受けます。
 ヨーロッパ中世の吟遊詩人(トルバドゥール)は、恋の歌の中にしばしば深い宗教的意味合いをもたせていました。あれと同じテクニックです。
 
 この「希望」というのは、どんな希望なのでしょう?「わたしが大人になった日に」消えてしまったというのだから、それは世俗的な成功願望の類でないことだけはたしかで、高邁な社会理想、または純朴な深い人間感情や、人生の意味感を指すのでしょうか?
 当時の日本はいわゆる「高度経済成長」の真っ只中にありました。1970年という年は大阪で万博が開かれた年でもあって、僕も高校入学早々、バスで一泊か二泊の万博ツアーに連れて行かれた(学校がそのような配慮をした)のを記憶しているのですが、最近、その会場でマリー・ホプキンのコンサートが行われていたことを知りました。わが国でも大ヒットしたThose were the days(そのまま訳せば「そんな時代もあったわね」ですが、訳題は「悲しみの天使」)が披露されたのです。ホプキンはこのときまだ二十歳かそこいらだったのですが、これは加藤登紀子・長谷川清のあの『灰色の瞳』と同じく元がロシア民謡で、中年になって容色衰えた一女性が酒場で歌い踊り明かした、若かりし頃の恋人との力と活気に満ちた華やかな日々を偲ぶという、哀愁感漂うものです。メロディーとホプキンの美しい歌声に魅せられて、僕は何度この歌を聴いたか知れませんが、何年か前その歌詞の意味を知って、「そんな内容の歌だったのか…」と驚いたものです。
 「アメリカンニューシネマの傑作」と呼ばれる映画『イージー・ライダー』も1969年公開で、日本の若者はハーレー・ダヴィドソンのカッコよさにしびれたものですが(僕も十六歳になるとすぐ自動二輪の免許を取りに友達と教習所に通いました)、あの映画の幕切れは悲劇的であっけないもので、当時のアメリカの殺伐とした世相とそこにあった何とも言いようのない無常感をよく表わしています。自由はつかのまの幻影で終わって、物悲しさだけがぽつりと残る。これは同じピーター・フォンダ主演の『ダーティメリー クレイジーラリー』や、有名な『俺たちに明日はない』なども同じです。
 アメリカのそれの背後にはベトナム戦争があった、ということになるのでしょうが、それだけではなかったのでしょう。げんに日本は戦争しておらず、経済発展の大きな上げ潮ムードの中にあったにもかかわらず、何とも言いようのない寂寥感、喪失感のようなものが漂っていたのです。一家の大黒柱が突然原因不明の失踪をする「蒸発」現象も相次いだ。
 歌をもう一つ挙げると、鶴田浩二の『傷だらけの人生』というのがありました。1970年12月25日にリリースされた曲だそうで、翌71年にかけてヒットしました。まず、冒頭の語りにこんなセリフがある。
 「…〔前略〕…どこに新しいものがございましょう。生まれた土地は荒れ放題、今の世の中、右も左も真っ暗闇じゃあございませんか…」
 それから歌ですが、歌詞の一番はこうなっています。

  何から何まで 真暗闇よ
  筋の通らぬことばかり
  右を向いても 左を見ても
  ばかと阿呆の からみあい
  どこに男の夢がある

 男一匹、任侠道を行く…みたいな感じですが、そうした臭みを取って見るなら、経済成長の陰で自然と道徳の荒廃が急速に進む世相の索漠さを歌ったものだったとも言えます。一般に、高度経済成長の時代は1955年、自民党のいわゆる「55年体制」が始まった頃から、73年のオイルショックまで続いたとされますが、この後、80年代に哀愁も情緒もないあの金ピカ「バブル経済」の騒がしい時代が来て、それがはじけて「失われた二十年」が始まり、こんにちにいたる、という図式です。
 60年代後半から、70年代始めにかけて顕著だった、あの郷愁とも喪失感ともつかぬ奇妙な悲哀の情は、その後の展開の先取りのようなものだったのかも知れません。バブルの頃からはポエジーも何もなくなってしまった。ファミコンが流行して子供たちが自然の中で遊ぶのが稀になり、全般に人間関係から直接的・肉感的なものが消え始めたのも、この時代からでしょう。さらにホリエモンの時代となると、哀愁のようなものはカケラもなくなってしまって、生活全体がひどく無機的なものになってしまったように感じられるのです。ホリエモンは「カネで買えないものは何もない」と豪語したそうですが、ある意味でそれは正しい。金銭に換算できないようなものの持ち合わせが、日本人にはなくなってしまったのです。哀切さの情そのものがなくなって、妙に万事がカンタンになってしまった。だから、単純にカネがないと不幸なのです。あっても、索漠とした味気なさは変わりませんが、そうした自覚、病識のようなものが失われてしまって、感じることがもうできない。それは人間にとっては最もみじめな状態です。
 福島の原発事故は、そうした流れの中である種の必然性をもって起きた。その代償の大きさに、僕らはこれから本格的に苦しまねばならなくなるのでしょう。

 喪失感すら忘れて、探すこともなくなってしまった時代、「なぜ今わたしは 生きているのか」と問うことすら忘れた果てに、経済的にも“絶不調”のときに、それにとどめをさすかのように、この大震災と原発事故は起きたのです。
 問題は、だから、経済復興だけではない。今後の経済の先行きだの、老後の不安だの、そんなものが解消されても、だから何なのだというところがあって、生きていることの自然な意味感、切実感が回復されなければ、経済的・物質的不安の解消など、ほとんど意味はないということになるのではありませんか。
 それとはっきり言い留めることが難しいあの「何かが失われつつある」という感覚、その喪失の感覚そのものの中に、人を本当に生き返らせる何かがあったはずなのに、それを忘れてしまったことが最大の問題だったのではないか…。
 それは思想でも、哲学でも、ましてや古びた政治的イデオロギーでもありません。感傷的な気分でもない。心の深い部分にかつては「低く聞え」ていたはずのあの歌が、今は聞えなくなっているのです。
 それは何だったのか? 僕には僕なりに「あれだな」という感じはあるのですが、それはこれをお読みになった皆さん各自でお考えになっていただくといいかと思います。

 最後に、Youtubeに出ている上記の歌のURLです。クリックすれば視聴できます。今の若い人たちでも、これはいいなと感じる曲があるのではないでしょうか。

 岸洋子:希望
 フォー・セインツ:希望・小さな日記
 Mary Hopkin:Those were the days
 加藤登紀子&長谷川清:灰色の瞳
 鶴田浩二:傷だらけの人生
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