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ウイルスと人間

2010.05.22.22:17

 宮崎県は例の家畜の「口蹄疫」問題で揺れ続けています。すぐに終息するだろうと思っていたら、今度のは感染力が強いタイプらしく拡大が止まらず、空気感染もするウイルスの恐ろしさをあらためて実感させられました(まだ被害の出ていない延岡市でも、イベントなどは自粛の動きがあって、次々中止されています)。
 あの病気は幸い人間には影響しませんが、仮にヒトにも健康被害をもたらすようなものだったなら、この前の豚インフルエンザだけでもあれだけの騒ぎになったのだから、パニックに近い事態に発展してしまうことでしょう。被害は家畜だけだから、その「経済的側面」ばかりがクローズアップされることになるわけですが。

 こう書いたからといって、むろん、手塩にかけた動物たちが目の前で殺処分されるのを見る畜産農家の人たちの悲哀や、関係者の苦労を軽んじているつもりはありません。僕自身、実家は兼業農家で、当時の農家には農耕用の黒牛が飼われていたし、副業で養鶏もやっていて、子供の頃は毎日のように帰宅後、騒がしい鶏たちの相手をさせられました(鳥インフルエンザでそれが「一括処分」されなどしたら、ふだん面倒がっていても、どんな気持ちがしただろうかと思います)。子供の僕にとって牛は大きな、神秘に満ちた魅力的な動物で、顔を近づけると、そのぶ厚い大きな舌でベロリとなめられましたが、そのときの奇妙な感触と、顔じゅうネバネバになってしまうあの感じは、今も忘れられません。大きな舌なので、髪にまでべっとり唾液がついてしまうのです。家族で見守った彼女の出産風景や、その子牛が成長して柵を飛び越えて脱出してしまい、すばしこくてどうしてもつかまえることができず、困った大人たちが母牛を田んぼにつないで、彼を呼び寄せようとしたことなども、懐かしく思い出されます。ツノが少しはえたばかりの子牛はこの上なく可愛らしかったが、ある日学校から帰ると姿が消えていました。売られていったのです。やがてはその一頭の牛も耕運機に取って代わられました。日本中どこでも、田んぼにあの黒牛の姿を見かけることはもうなくなったのです。

 ウイルスは地上最強の生物だと言われます。医学が新たな薬品の開発で勝利を収めたように見えても、ウイルスはやがて交雑と突然変異によってそれを上回る力を獲得し、時間を置いて再び三たび帰ってくるので、人間の側の完全な勝利はありえない、というのは、名著『疫病と世界史』(上下巻 佐々木昭夫訳 中公文庫 2007)を書いた歴史家ウイリアム・H・マクニールの言葉です。科学の進歩によって、人類は巨大な機械力をもち、それによって自然を大規模に収奪・破壊するようになったが、それは新たなウイルスの反攻機会を呼び込むことにもなった。航空機に代表される交通機関の長足の進歩で「世界が狭くなった」ことも、ウイルスの急激な拡大には好都合に働くわけで、私たちは別に「自然の支配者」ではなく、「地球のエコ・システムの一部である」ことを、いやでも思い知らされるのです。
 マクニールのこの本は、古代文明の昔からウイルスによる疫病が人間にとっての隠れた最大の脅威であった(それは戦争の趨勢にも大きな影響を及ぼした)ことを詳しく教えてくれますが、西洋中世にペスト(黒死病)が猛威をふるったことなどは、いまさら言うまでもないほど有名な話です。それは人口を激減させ、当時の人々を恐怖のどん底に陥れました。そこからの人口回復に「新しい社会」の創出が随伴していたことは、ふつうの歴史書にも見られる記述ではないかと思います。また、この本でもそれは冒頭で触れられていますが、十六世紀初頭の「スペイン人によるメキシコ征服」が、実はインカ帝国に対する西洋文明の圧倒的優位によるものなどでは全然なくて、彼らが持ち込んだ天然痘によって、免疫のないインディオたちが壊滅的にやられてしまって、心理的にも「自分たちだけが死んで、相手は無事だというのは、神の意思が向こうにあるということだ」と考えてしまって、意気阻喪してしまったことが理由として最も大きかったのだというような話は、「ウイルスが人類の歴史を変えた」その威力の大きさを如実に物語るものです。

 科学が進んだ今は、疫病はウイルスのしわざだということがわかるようになって、昔の人たちのように、そこに「神の祟り・怒り」などというものを仮託することはなくなりましたが、仮に空気感染する致死率の高い強力なウイルスが発生すれば、その拡大速度は昔の比ではありません。エイズや、いっとき騒がれたエボラ出血熱は、幸い空気感染することはなかったので、依然大きな脅威であるとはいえ、パニックをひき起こすようなことにはならずにすみました。しかし、あれが空気感染するウイルスだったとしたら、どんなことになっていたでしょう。人間は今も新たなウイルスの発生を事前に予知することはできないし、発生した場合にも、ワクチンの開発はつねに後手に回り、ウイルスの方でもそれに対抗してまた変種が現れます。

 人間の生存はつねに自然の危うい均衡の上に成り立っています。それはヒトが自然の一部である以上、あたりまえの話ですが、後先考えない過度の自然破壊と、そこからの収奪は、そうしたウイルスの予期せぬ出現や“凶悪化”(人間の立場から見れば、ですが)の機会を増やすことにもなりかねないわけで、陳腐なようですが、今少し人間は自然に対して謙虚になった方がよいのではないかと、そんなことをあらためて考えさせられます。
 今回の家畜の口蹄疫は、どこが発生源で、どういう経路を辿ってやってきたのか、それは僕にはわかりませんが、最近の鳥・豚インフルエンザでも、今回のこの病気でも、人間の自然とのいびつな関係全体が、どういうふうにか深く関わっているのではないかという気がしてなりません。今回は気の毒な家畜たちだけが犠牲になったが、人だけは無事でいられるというのは何の根拠もない楽観にすぎないでしょう。

 いくら文明と科学が進んでも、微細なウイルス一つに人間は運命を作用されかねない。その弱さ・脆さの自覚に立って、もう少し自然に対して遠慮するということも、人間には必要なのではないかと、そんなことを思ってしまいます。自然はその気になれば、いつでも人類を滅ぼすことができる。そうしないでいてくれるのは並外れて自然が寛大であるからなのだと、自分たちの貪欲なふるまいを見て、今の人は思わないでしょうか?
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2010.10.29.18:31

同感です

2011.05.30.23:17

私は4月に延岡高校のメディカル・サイエンス科に入学しました。

課題や授業数も多く、課題は中学校の時の内容等を繰り返し行いました。

本当に力がつくのかとも思いました、今でも思っています。

しかし、私は今のやり方に不満はありません。

先生方は皆さん熱心に教えてくださいます。先生のおっしゃることはわかりやすく、一つ一つの忠告や教えは身に染みるものばかりです。

私はそれが間違っているとはどうしても思えません。

今はやりはじめたばかりでわからないことばかりですが、先生方を信じて、期待に応えられるように頑張りたいと思います。


長文失礼しました。
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