10月25日(月)に父大野龍一が療養中の病院で息を引き取りました。本人の遺志に従い葬儀は家族のみで執り行いました。ご心配をおかけしていた皆様には、ご報告が遅れましたこと、また略儀ながらブログでのご報告となりましたことをお詫び申し上げます。
膵臓がんの宣告を受けてから約2カ月、父自身が当ブログに「余命宣告」と題する記事を書いたこともあり、多くの方々から日々温かいお見舞いのメッセージをいただておりました。皆様のお陰で父が最後まで生きる希望と喜びに満ちた人生を送ることができましたことを、本人に代わって厚く御礼申し上げます。今まで本当にありがとうございました。
当ブログは父にとって皆様と対話するための大切な場でありましたので、今後もそのままの形で公開を続けることにいたします。新たな記事が追加されることはありませんが、過去の記事は今までと変わらずご覧いただけます。お暇な折にでも、古い記事を繙いて思索の材料をくみ取っていただければ、それが何よりの供養になるかと存じます。
末筆ながら、現在、出版に向けて調整を行っている父の遺稿について簡単に述べさせていただきます。これは亡くなる直前まで父が加筆修正を続けたもので、出版が適えば最初で最後の自著ということになります。内容としては、これまでの父自身の思想の歩みを振り返りつつ、現代社会の根本問題を追究したものとなっておりますので、当ブログの読者の皆様には面白くお読みいただけるのでないかと期待しております。本人がその出版に立ち会えなかったことは残念ではありますが、息子の私が遺稿を引き継いで作業を進めて参ります。出版の目途が立てば、当ブログにてご報告いたしますので、気長にお待ちいただけますと幸いです。
膵臓がんの宣告を受けてから約2カ月、父自身が当ブログに「余命宣告」と題する記事を書いたこともあり、多くの方々から日々温かいお見舞いのメッセージをいただておりました。皆様のお陰で父が最後まで生きる希望と喜びに満ちた人生を送ることができましたことを、本人に代わって厚く御礼申し上げます。今まで本当にありがとうございました。
当ブログは父にとって皆様と対話するための大切な場でありましたので、今後もそのままの形で公開を続けることにいたします。新たな記事が追加されることはありませんが、過去の記事は今までと変わらずご覧いただけます。お暇な折にでも、古い記事を繙いて思索の材料をくみ取っていただければ、それが何よりの供養になるかと存じます。
末筆ながら、現在、出版に向けて調整を行っている父の遺稿について簡単に述べさせていただきます。これは亡くなる直前まで父が加筆修正を続けたもので、出版が適えば最初で最後の自著ということになります。内容としては、これまでの父自身の思想の歩みを振り返りつつ、現代社会の根本問題を追究したものとなっておりますので、当ブログの読者の皆様には面白くお読みいただけるのでないかと期待しております。本人がその出版に立ち会えなかったことは残念ではありますが、息子の私が遺稿を引き継いで作業を進めて参ります。出版の目途が立てば、当ブログにてご報告いたしますので、気長にお待ちいただけますと幸いです。
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