これはいくらか重すぎる話なので迷いましたが、考えた末、書かせてもらうことにします。
コロナ感染拡大は止まらず、本来入院が必要なレベルでも自宅療養になってそのまま亡くなったり、救急車を呼んでも搬送先の病院が見つからず、やはり治療が間に合わなくなって亡くなる人が増えているようですが、そんな暗い世相の中、僕自身は別の病気で余命数ヵ月と診断され、そのときはいたって冷静だったものの、文字どおり「青天の霹靂」だったので、それから数日のうちに、自分の心の中に様々な感情が沸き起こってくるのを体験しました。明確な診断を告げられたのは先週土曜(8/21)のことです。
この前ここに胃カメラを飲んだという話を書きましたが、そちらには異常がないということで安心したものの、処方された消化剤の類を飲んでいても何ら変わり映えせず、食欲も改善しないので体力が落ち始め、何より夜眠れなくて、浅い夢の中で悪夢に悩まされるといったことが続いた(たぶん微熱も出ていた)ので、それから十日ほどして近くの総合病院を受診しました。すぐにCT検査を受けさせられましたが、医師はその画像を示しながら、顔をしかめて「大変な状態」だと言いました。膵臓癌の疑いがあって、すでに転移している可能性が高い、腹水もある、と言われたのです。翌々日、造影剤を入れた上でCTを撮り(そうするとより鮮明な画像が得られる由)、胃カメラをまた飲み直したら、予想どおりで、肝臓の点々はその転移だろうし、リンパにもすでに浸透して、癌細胞が腹腔に飛び散っていると考えられる。患部(僕の場合は、膵尾部にある)の細胞を採取していないから断定はできないが、ほぼ間違いなかろうという話でした。十二指腸にも軽い炎症があって、そこの細胞は採ったから、そこにも転移が認められれば確定診断がつくかもしれないというような話でしたが、その時点で僕も「これはもう否定できそうもないな」と観念しました。身近な人のコロナ感染を心配するどころではない、こちらはほぼ確実な自分の死の宣告、しかもごく近未来のそれなのです(血液の腫瘍マーカーは肝臓など「異常なし」となっていた由)。
時間は一体あとどれくらい残されているのか? 一ヶ月なのか、二ヶ月なのか、半年なのか? それは誰にもわからない。それは僕が予想もしていなかった病名でした。身体全体の経験したことのない違和感(前にはあった、底の方から力が出てくる感覚がない)から、これは単純な病気ではないなと思い始めていたものの、ステージ4(末期)の膵臓癌であると言われて、正直それは「やりすぎ」ではないかと思いました。ネットで調べてわかったのは、この癌の特徴は、膵臓は肝臓などと同じ「沈黙の臓器」なので、自覚症状が初期段階で現われることはめったになく、わかったときは手遅れになっていることが多いということと、進行のスピードが他の癌に較べてずっと速いということです。だから「最悪の癌」と呼ばれ、ステージ4ともなると、手術不能で、抗癌剤や放射線治療を受けたとしても五年生存率は2%にも満たない。いや、五年も生かしてくれとは言わないが、せめて一年ぐらいの猶予はもらいたいものの、僕のような状態で発見されるとそれも「ぜいたくな望み」ということになるのです。
治療に関して病院側に選択を求められ、妻や息子とも相談して、僕が選択したのは緩和ケアです。抗癌剤など癌に対する治療は一切せず、痛み止めや催眠剤など、出てきた症状を緩和する薬だけもらって、もうどうしようもなくなったら入院させてもらう、というものです。抗癌剤治療をやっても今さら遅く、副作用で苦しみ、QOL(生活の質)を低下させるだけなら意味がない。医師がすんなり了承してくれたのも、そのあたり治療の見込みに乏しいことがよくわかっているからでしょう。
とにかく、これが目下僕が置かれた現実です。こうなってあらためて思うのは、健康な状態で死について思いを致すのと、わが身に直接降りかかってきたものとしてそれを見るのとでは全然違うな、ということです。在原業平の辞世の歌は、「つひに行く道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを」で、「誰でもいずれ死ぬとわかってはいたが、こんなに急に自分にその日がやってくるとは思いもよらなかった」というほどの意味ですが、ほんとにそうなのです。八十、九十のお年寄りならともかく、それより若いとそれはほとんど不意打ちと感じられるでしょう。「まさか…」という驚きは避けられないのです。
それで色々なことを整理しなければならなくなりましたが、僕の場合、調子が悪いのは病状(相変わらず食欲はないものの、今は受診前よりはからだが楽で、夜も眠れている)とはまた別に、タバコが吸えない、コーヒーが飲めない、といったことも大きく関係します。それは軽いことではないので、タバコとコーヒーはこれまで僕には不可欠のもので、それを楽しみにして生きてきたみたいなところがあるからです。何か不快なことや落ち込むことがあるとコーヒーを沸かし、それを何倍も飲みながらタバコを吸う。そうするとよーしという気になるのです。楽しいとき、嬉しいときも同じで、コーヒーとタバコをつねに友としてきたのです。これまでの僕にしてみれば、今の危機はまさにそうやって元気回復すべきときです。ところが、それが一番やってはいけないことなので、それは余命を急速に縮めることになるでしょう(コーヒーもタバコも、最近は味に乏しく、ただの習慣みたいになっていたので、それはシグナルだったのでしょうが、減らすことすらしなかった)。何にせよ、禁煙には周知のメンタル面の副作用があるし、どちらもやめてしまうと何とも言えない心細さというか、不安が出てくるのです。心のバランスを生活の中でそれをベースに取っていた、その土台がなくなってしまうようなものです(逆に言うと、度の過ぎた酒やたばこといった悪癖がなかなかやめられないのもそれがその人の心に対して果たしていたそういう機能が関係するでしょう)。これは病気とは直接関係ないが、メンタル的には非常にきつい状況です。そうしたことにも一緒に対処しなければならないので、あれやこれや、心の中に一通りの整理がつくには今しばらくかかりそうです。
このブログも、書ける範囲で、また書けるときまで、ぼちぼち書きます。読者をびっくりさせてしまって申し訳ない気がしますが、お会いしたことのない読者の中にも、親しい友のように思って読んで下さっている人たちが一定数いるのをよく承知しているので、正直に書いておくしかないなと思ったのです。
コロナ感染拡大は止まらず、本来入院が必要なレベルでも自宅療養になってそのまま亡くなったり、救急車を呼んでも搬送先の病院が見つからず、やはり治療が間に合わなくなって亡くなる人が増えているようですが、そんな暗い世相の中、僕自身は別の病気で余命数ヵ月と診断され、そのときはいたって冷静だったものの、文字どおり「青天の霹靂」だったので、それから数日のうちに、自分の心の中に様々な感情が沸き起こってくるのを体験しました。明確な診断を告げられたのは先週土曜(8/21)のことです。
この前ここに胃カメラを飲んだという話を書きましたが、そちらには異常がないということで安心したものの、処方された消化剤の類を飲んでいても何ら変わり映えせず、食欲も改善しないので体力が落ち始め、何より夜眠れなくて、浅い夢の中で悪夢に悩まされるといったことが続いた(たぶん微熱も出ていた)ので、それから十日ほどして近くの総合病院を受診しました。すぐにCT検査を受けさせられましたが、医師はその画像を示しながら、顔をしかめて「大変な状態」だと言いました。膵臓癌の疑いがあって、すでに転移している可能性が高い、腹水もある、と言われたのです。翌々日、造影剤を入れた上でCTを撮り(そうするとより鮮明な画像が得られる由)、胃カメラをまた飲み直したら、予想どおりで、肝臓の点々はその転移だろうし、リンパにもすでに浸透して、癌細胞が腹腔に飛び散っていると考えられる。患部(僕の場合は、膵尾部にある)の細胞を採取していないから断定はできないが、ほぼ間違いなかろうという話でした。十二指腸にも軽い炎症があって、そこの細胞は採ったから、そこにも転移が認められれば確定診断がつくかもしれないというような話でしたが、その時点で僕も「これはもう否定できそうもないな」と観念しました。身近な人のコロナ感染を心配するどころではない、こちらはほぼ確実な自分の死の宣告、しかもごく近未来のそれなのです(血液の腫瘍マーカーは肝臓など「異常なし」となっていた由)。
時間は一体あとどれくらい残されているのか? 一ヶ月なのか、二ヶ月なのか、半年なのか? それは誰にもわからない。それは僕が予想もしていなかった病名でした。身体全体の経験したことのない違和感(前にはあった、底の方から力が出てくる感覚がない)から、これは単純な病気ではないなと思い始めていたものの、ステージ4(末期)の膵臓癌であると言われて、正直それは「やりすぎ」ではないかと思いました。ネットで調べてわかったのは、この癌の特徴は、膵臓は肝臓などと同じ「沈黙の臓器」なので、自覚症状が初期段階で現われることはめったになく、わかったときは手遅れになっていることが多いということと、進行のスピードが他の癌に較べてずっと速いということです。だから「最悪の癌」と呼ばれ、ステージ4ともなると、手術不能で、抗癌剤や放射線治療を受けたとしても五年生存率は2%にも満たない。いや、五年も生かしてくれとは言わないが、せめて一年ぐらいの猶予はもらいたいものの、僕のような状態で発見されるとそれも「ぜいたくな望み」ということになるのです。
治療に関して病院側に選択を求められ、妻や息子とも相談して、僕が選択したのは緩和ケアです。抗癌剤など癌に対する治療は一切せず、痛み止めや催眠剤など、出てきた症状を緩和する薬だけもらって、もうどうしようもなくなったら入院させてもらう、というものです。抗癌剤治療をやっても今さら遅く、副作用で苦しみ、QOL(生活の質)を低下させるだけなら意味がない。医師がすんなり了承してくれたのも、そのあたり治療の見込みに乏しいことがよくわかっているからでしょう。
とにかく、これが目下僕が置かれた現実です。こうなってあらためて思うのは、健康な状態で死について思いを致すのと、わが身に直接降りかかってきたものとしてそれを見るのとでは全然違うな、ということです。在原業平の辞世の歌は、「つひに行く道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを」で、「誰でもいずれ死ぬとわかってはいたが、こんなに急に自分にその日がやってくるとは思いもよらなかった」というほどの意味ですが、ほんとにそうなのです。八十、九十のお年寄りならともかく、それより若いとそれはほとんど不意打ちと感じられるでしょう。「まさか…」という驚きは避けられないのです。
それで色々なことを整理しなければならなくなりましたが、僕の場合、調子が悪いのは病状(相変わらず食欲はないものの、今は受診前よりはからだが楽で、夜も眠れている)とはまた別に、タバコが吸えない、コーヒーが飲めない、といったことも大きく関係します。それは軽いことではないので、タバコとコーヒーはこれまで僕には不可欠のもので、それを楽しみにして生きてきたみたいなところがあるからです。何か不快なことや落ち込むことがあるとコーヒーを沸かし、それを何倍も飲みながらタバコを吸う。そうするとよーしという気になるのです。楽しいとき、嬉しいときも同じで、コーヒーとタバコをつねに友としてきたのです。これまでの僕にしてみれば、今の危機はまさにそうやって元気回復すべきときです。ところが、それが一番やってはいけないことなので、それは余命を急速に縮めることになるでしょう(コーヒーもタバコも、最近は味に乏しく、ただの習慣みたいになっていたので、それはシグナルだったのでしょうが、減らすことすらしなかった)。何にせよ、禁煙には周知のメンタル面の副作用があるし、どちらもやめてしまうと何とも言えない心細さというか、不安が出てくるのです。心のバランスを生活の中でそれをベースに取っていた、その土台がなくなってしまうようなものです(逆に言うと、度の過ぎた酒やたばこといった悪癖がなかなかやめられないのもそれがその人の心に対して果たしていたそういう機能が関係するでしょう)。これは病気とは直接関係ないが、メンタル的には非常にきつい状況です。そうしたことにも一緒に対処しなければならないので、あれやこれや、心の中に一通りの整理がつくには今しばらくかかりそうです。
このブログも、書ける範囲で、また書けるときまで、ぼちぼち書きます。読者をびっくりさせてしまって申し訳ない気がしますが、お会いしたことのない読者の中にも、親しい友のように思って読んで下さっている人たちが一定数いるのをよく承知しているので、正直に書いておくしかないなと思ったのです。
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