この件はネットで大騒ぎになったようで、大手の新聞まで記事にしていたくらいだから、社会的にも大問題とみなされているようです。例の五輪開会式の小山田某のあれと同じくらい程度の低い話だと思いますが、何でこの青年はそんな頭の悪いことを言ったのだろうと不思議に思ったので、書いておきます。
発端になったYoutube動画の内容は次の記事に出ています。
・DaiGoの生活保護者、ホームレスの命軽視発言はどう生まれた?【核心ほぼ全文】
僕は生活保護の人たちにお金払うために税金納めてるわけじゃないからね。生活保護の人達を食わせる金あるんだったら、ネコを救ってほしいと思うんで。
生活保護の人、生きてても僕、得しないけどさ、ネコはさ、生きてれば得なんだよね。ネコが道端でのびてたら、かわいいんだけど、ホームレスのおっさんがのびてると、なんでコイツが我が物顔で段ボール着て寝てんだろうな、と思うもんね。
今日は僕、辛口、ダークなんで。人間の命とネコの命、人間の命の方が重いとは全く思わない。自分にとって必要じゃない命は軽いんで。ホームレスの命はどうでもいい。どちらかっていうとホームレスはいない方が良くない?言っちゃ悪いけど。ジャマだし、プラスになんないし、くさいし、治安悪くなるしさ。もともと人間は群れにそぐわない、社会にそぐわない人間を処刑して生きていけるんですよ。同じですよ。
これは「『【超激辛】科学的にバッサリ斬られたい人のための質疑応答』と題して、視聴者からの質問に「超激辛」で答えたライブ配信」の中で出た発言だったという話ですが、こういうのは【超激辛】ではなくて、たんなる【超幼稚】と言うべきでしょう。こういうお馬鹿さんの動画を有難がって見る視聴者がたくさんいるということ自体、僕には不気味ですが、こういうのは「言ってはいけないことを言った」のが悪いのではなくて、そういうホンネしかもちえないということが問題であるわけです。それで、ひょっとしたら馬鹿なのを元から売りにしていたのかもしれないとネットで検索したら、ウィキペディアに、
私立高輪高校を経て、慶應義塾大学理工学部物理情報工学科を卒業。なお、慶應義塾大学大学院理工学研究科修士課程は、後に中退。
高校在校時は東京大学しか願書を提出しなかったため、不合格の結果を受け浪人生活を送る。一浪時はセンター試験において、自己採点では95%の得点であったにもかかわらず、試験教科目を記入する際にミスをしてしまい、東京大学に必要な教科目を満たさず、二次試験を受けることができなくなった。大きなショックを受けたものの、母が密かに慶應義塾大学に出願していたため、慶大の過去問も見たこともない状態で万年筆を一本だけ持って受験してきたところ、合格した。このように、東京大学に入れなかったことで、かなりのコンプレックスを抱いたまま大学生活に突入するが、「このコンプレックスに打ち勝つために、大学時代に何かを成し遂げなければならない」と強い使命感のようなものを感じ、その後メンタリストになるきっかけを得ることとなった。その結果、明らかに変わって、「今の僕、東大落ちてほんと良かったー!と思ってます。だからね、うちの弟はね、兄貴は東大入れなくて自分は東大に入ったみたいなことを言ってるんですけど、僕は今本当に思いますよ、東大落ちて良かったー!行かなくて良かったー!」「今振り返ってみて東大に入ることができなくてよかったと心から思います」と、コンプレックスがない旨を強調している。弟の松丸亮吾が東大に合格した際は「東大合格おめでとう。ただ、お前が勝っているのは学歴だけだからな」とメッセージを送るなど、対抗心を見せている。自身のIQについては、「嫌みになるので言わない」と謙遜しつつ、亮吾から「IQ132だった。すごいでしょ」とメッセージが来た際「俺より10以上低いな」と返信したと述べて、自身は142以上あることを示唆している。
とあって、この記事がどこまで正しいのかわかりませんが、これがほんとだとすれば、自分は素晴らしく頭がいいと思っているということなのでしょう。「一浪時はセンター試験において、自己採点では95%の得点であったにもかかわらず、試験教科目を記入する際にミスをしてしまい、東京大学に必要な教科目を満たさず、二次試験を受けることができなくなった」というあたり、そんなミスをする受験生は95%以上の確率で存在しないので、かなり眉唾ですが、とにかく元が東大信仰のかたまりみたいな青年で、その「コンプレックス克服」に半端でない苦労をしてきたということはわかります。ご苦労様としか言えませんが、一部にはこういう病的な人間もたしかにいるのです。
さて、そのDaiGo青年は、上の暴言批判に対する反論として、こう答えたという話です。
DaiGoは12日深夜に再度動画を公開し発言について「個人の感想に間違いもクソもない。謝ることでもない」と説明。批判には「ホームレスとか生活保護の人たちに炊き出しとか定期的にやったりしてるんですか?(批判している人より)はるかに税金を払っているので僕の方が助けている」と反論した。(スポニチ「メンタリストDaiGo ホームレス、生活保護への発言が大炎上 反論で火に油…謝罪」より)
これも、「オレの方がおまえらより高い税金を払っている」ということで、暗に高額所得者であることの自慢になっているのですが、彼がどうしてその所得を得ているのかと言えば、程度の低い著書や下らないネット動画の売り上げによってでしょう? 最近はそのあたりカン違いしている人が多いようですが、成功崇拝の今の時代には、手段や仕事の質はおかまいなしに、とにかく稼ぎがよければ善であり、立派であるということになっています。今は農業や漁業などの第一次産業従事者はその労力からすれば割に合わない収入しか得られず、製造業で生活必需品を作っている人たちなどもそうでしょう。その人たちは税金は多く収めていないかもしれないが、そういうことだけでは測りえない貢献を社会に対して行なっているわけです。学問・文化方面でも、レベルの高い本やジャンルが一般的でないもの、専門的なものは経済合理性の観点からすれば出しても儲けはほとんど出ないが、その著者たちは他で生活費は稼いでそれを実現しているわけで、そういう人たちや出版社がいなくなれば、社会はやせ細って、やがて衰退する他なくなってしまうのです。良質なルポルタージュ作家なども、今は絶滅危惧種だと言われていますが、ギリギリの生活の中で活動を続けているわけです。そういう人たちはDaigoより収める税金は少ないでしょうが、価値の観点から言えばDaiGoの「仕事」などとは比較にならない上質な仕事をしているわけです。企業経営者でも、海外逃亡中の日産の元会長ゴーンがその典型ですが、リストラで社員の大量首切りを行ないながら、法外な報酬を得ているCEOが偉いとは誰も思わない。DaiGoのような連中はそれに憧れ、崇拝するかもしれませんが。政商のあのパソナ会長、竹中平蔵が人々に嫌われ、侮蔑されるのも同じ理由によるので、彼の納税額はDaiGoなどとはおそらく比較にならないでしょう。片方で社会的弱者を食い物にしているわけですが。
要するに、DaiGoのような連中は、「オレは人より多くの税金を納めている」と自慢するが、社会に対して与えるよりもはるかに多くを受け取っているわけです。挙句の果てに、こういう暴言を吐いて炎上して、今は「炎上商法」なんてものまであるそうですが、それで「けしからん!」と動画へのアクセスが増えれば、それがまた儲けになるわけです。そういう馬鹿げたシステムになっているのが今の世の中で、DaiGoなんかはその狂った世界のあだ花でしかないのです。メンタリストというのが何なのか知りませんが、彼はろくすっぽ心理学知識もないでしょう? 浅薄と無責任で売ってきたから、こういうことになるのです。僕は人相だけでかなりの判断がつくと思っていますが、彼の顔つきは軽薄そのものです。
以前、「ホームレス狩り」と称して、常習的にホームレスの人たちに暴行を加えていた非行少年の一団がつかまったことがありましたが、DaiGoの考えと感性はそれとほとんど変わらない。また2016年、神奈川県立の知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」を襲撃して、入所者19人を刺殺し、入所者・職員計26人に重軽傷を負わせたひどい事件がありましたが、あれの犯人の植松聖は、「重度の障害者たちを生かすために莫大な費用がかかっている」「重度の障害者は安楽死させるべきだ」などと主張していたので、それは冒頭引用したDaiGoの言い草をもう一度よく読んでいただきたいのですが、発想・感性共に非常によく似ているのです。もしかしたら、あの事件にDaiGoは快哉を叫んでいたのかもしれません。
DaiGo と同じ伝で言うなら、つまらない虚栄心と成功崇拝心理に支配された彼のような手合いは「人間のカス」で、社会に害悪しか垂れ流さないのだから、撲滅した方が社会のためだということになってしまうでしょう。彼らはこの社会に不和と分断、憎しみしか作り出さないのだから。しかし、大方の人は困ったものだと思いながらも、おまえら死ねとは言わない。怒るのは当然で、激しく非難はしても、その生存を否定しようとまではしないのです。
DaiGoの頭の悪さは並外れていると思いますが、どうしてそこまで頭が悪くなったかと言えば、彼にとってはコンプレックスにまみれた自分のエゴイスティックで狭い自我人格が神になっているからです。だからそれ自体型にはまりすぎた差別観念しか持てなくなる。自己理解がそこまで浅くてメンタリストと称するとはこれいかに、という感じですが、僕はいずれそうした自己観念の虚偽性と病理について書いた本を出すつもりなので、そのときは読んでもらいたいものです。自分を「頭が悪い」と評した奴のいうことなんか絶対聞いてやるものかと、その自我支配の強さゆえに頑なに拒むでしょうが、愚かな自我崇拝に縛られているかぎり、まずくなったから「謝罪」のポーズはしてみても、そのままでは永遠に賢くなることはないでしょう。
ユーチューバ―が彼のような馬鹿ばかりだということはないでしょう。先日僕は元塾生の大学生からメールをもらって、彼はふつうに就職するのは嫌だというのであれこれ考えていて、最近はYoutubeでもかなりの収入を上げられるようになって、見通しが立ってきたというので喜んだのですが、その動画がDaiGoのそれほど程度が低くないだろうことは十分想像がつくので、帰省したらまた会って話をすることになっているので、そのときはこの件についても話し合うつもりです。DaiGoは活動を休止して、何年か山寺で修行でもしたらどうでしょうね。そのとき「メンタリストDaiGoの滝打たれ動画」なんてものを配信してまた稼ごうとするようなら、もうどうしようもありませんが…。
発端になったYoutube動画の内容は次の記事に出ています。
・DaiGoの生活保護者、ホームレスの命軽視発言はどう生まれた?【核心ほぼ全文】
僕は生活保護の人たちにお金払うために税金納めてるわけじゃないからね。生活保護の人達を食わせる金あるんだったら、ネコを救ってほしいと思うんで。
生活保護の人、生きてても僕、得しないけどさ、ネコはさ、生きてれば得なんだよね。ネコが道端でのびてたら、かわいいんだけど、ホームレスのおっさんがのびてると、なんでコイツが我が物顔で段ボール着て寝てんだろうな、と思うもんね。
今日は僕、辛口、ダークなんで。人間の命とネコの命、人間の命の方が重いとは全く思わない。自分にとって必要じゃない命は軽いんで。ホームレスの命はどうでもいい。どちらかっていうとホームレスはいない方が良くない?言っちゃ悪いけど。ジャマだし、プラスになんないし、くさいし、治安悪くなるしさ。もともと人間は群れにそぐわない、社会にそぐわない人間を処刑して生きていけるんですよ。同じですよ。
これは「『【超激辛】科学的にバッサリ斬られたい人のための質疑応答』と題して、視聴者からの質問に「超激辛」で答えたライブ配信」の中で出た発言だったという話ですが、こういうのは【超激辛】ではなくて、たんなる【超幼稚】と言うべきでしょう。こういうお馬鹿さんの動画を有難がって見る視聴者がたくさんいるということ自体、僕には不気味ですが、こういうのは「言ってはいけないことを言った」のが悪いのではなくて、そういうホンネしかもちえないということが問題であるわけです。それで、ひょっとしたら馬鹿なのを元から売りにしていたのかもしれないとネットで検索したら、ウィキペディアに、
私立高輪高校を経て、慶應義塾大学理工学部物理情報工学科を卒業。なお、慶應義塾大学大学院理工学研究科修士課程は、後に中退。
高校在校時は東京大学しか願書を提出しなかったため、不合格の結果を受け浪人生活を送る。一浪時はセンター試験において、自己採点では95%の得点であったにもかかわらず、試験教科目を記入する際にミスをしてしまい、東京大学に必要な教科目を満たさず、二次試験を受けることができなくなった。大きなショックを受けたものの、母が密かに慶應義塾大学に出願していたため、慶大の過去問も見たこともない状態で万年筆を一本だけ持って受験してきたところ、合格した。このように、東京大学に入れなかったことで、かなりのコンプレックスを抱いたまま大学生活に突入するが、「このコンプレックスに打ち勝つために、大学時代に何かを成し遂げなければならない」と強い使命感のようなものを感じ、その後メンタリストになるきっかけを得ることとなった。その結果、明らかに変わって、「今の僕、東大落ちてほんと良かったー!と思ってます。だからね、うちの弟はね、兄貴は東大入れなくて自分は東大に入ったみたいなことを言ってるんですけど、僕は今本当に思いますよ、東大落ちて良かったー!行かなくて良かったー!」「今振り返ってみて東大に入ることができなくてよかったと心から思います」と、コンプレックスがない旨を強調している。弟の松丸亮吾が東大に合格した際は「東大合格おめでとう。ただ、お前が勝っているのは学歴だけだからな」とメッセージを送るなど、対抗心を見せている。自身のIQについては、「嫌みになるので言わない」と謙遜しつつ、亮吾から「IQ132だった。すごいでしょ」とメッセージが来た際「俺より10以上低いな」と返信したと述べて、自身は142以上あることを示唆している。
とあって、この記事がどこまで正しいのかわかりませんが、これがほんとだとすれば、自分は素晴らしく頭がいいと思っているということなのでしょう。「一浪時はセンター試験において、自己採点では95%の得点であったにもかかわらず、試験教科目を記入する際にミスをしてしまい、東京大学に必要な教科目を満たさず、二次試験を受けることができなくなった」というあたり、そんなミスをする受験生は95%以上の確率で存在しないので、かなり眉唾ですが、とにかく元が東大信仰のかたまりみたいな青年で、その「コンプレックス克服」に半端でない苦労をしてきたということはわかります。ご苦労様としか言えませんが、一部にはこういう病的な人間もたしかにいるのです。
さて、そのDaiGo青年は、上の暴言批判に対する反論として、こう答えたという話です。
DaiGoは12日深夜に再度動画を公開し発言について「個人の感想に間違いもクソもない。謝ることでもない」と説明。批判には「ホームレスとか生活保護の人たちに炊き出しとか定期的にやったりしてるんですか?(批判している人より)はるかに税金を払っているので僕の方が助けている」と反論した。(スポニチ「メンタリストDaiGo ホームレス、生活保護への発言が大炎上 反論で火に油…謝罪」より)
これも、「オレの方がおまえらより高い税金を払っている」ということで、暗に高額所得者であることの自慢になっているのですが、彼がどうしてその所得を得ているのかと言えば、程度の低い著書や下らないネット動画の売り上げによってでしょう? 最近はそのあたりカン違いしている人が多いようですが、成功崇拝の今の時代には、手段や仕事の質はおかまいなしに、とにかく稼ぎがよければ善であり、立派であるということになっています。今は農業や漁業などの第一次産業従事者はその労力からすれば割に合わない収入しか得られず、製造業で生活必需品を作っている人たちなどもそうでしょう。その人たちは税金は多く収めていないかもしれないが、そういうことだけでは測りえない貢献を社会に対して行なっているわけです。学問・文化方面でも、レベルの高い本やジャンルが一般的でないもの、専門的なものは経済合理性の観点からすれば出しても儲けはほとんど出ないが、その著者たちは他で生活費は稼いでそれを実現しているわけで、そういう人たちや出版社がいなくなれば、社会はやせ細って、やがて衰退する他なくなってしまうのです。良質なルポルタージュ作家なども、今は絶滅危惧種だと言われていますが、ギリギリの生活の中で活動を続けているわけです。そういう人たちはDaigoより収める税金は少ないでしょうが、価値の観点から言えばDaiGoの「仕事」などとは比較にならない上質な仕事をしているわけです。企業経営者でも、海外逃亡中の日産の元会長ゴーンがその典型ですが、リストラで社員の大量首切りを行ないながら、法外な報酬を得ているCEOが偉いとは誰も思わない。DaiGoのような連中はそれに憧れ、崇拝するかもしれませんが。政商のあのパソナ会長、竹中平蔵が人々に嫌われ、侮蔑されるのも同じ理由によるので、彼の納税額はDaiGoなどとはおそらく比較にならないでしょう。片方で社会的弱者を食い物にしているわけですが。
要するに、DaiGoのような連中は、「オレは人より多くの税金を納めている」と自慢するが、社会に対して与えるよりもはるかに多くを受け取っているわけです。挙句の果てに、こういう暴言を吐いて炎上して、今は「炎上商法」なんてものまであるそうですが、それで「けしからん!」と動画へのアクセスが増えれば、それがまた儲けになるわけです。そういう馬鹿げたシステムになっているのが今の世の中で、DaiGoなんかはその狂った世界のあだ花でしかないのです。メンタリストというのが何なのか知りませんが、彼はろくすっぽ心理学知識もないでしょう? 浅薄と無責任で売ってきたから、こういうことになるのです。僕は人相だけでかなりの判断がつくと思っていますが、彼の顔つきは軽薄そのものです。
以前、「ホームレス狩り」と称して、常習的にホームレスの人たちに暴行を加えていた非行少年の一団がつかまったことがありましたが、DaiGoの考えと感性はそれとほとんど変わらない。また2016年、神奈川県立の知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」を襲撃して、入所者19人を刺殺し、入所者・職員計26人に重軽傷を負わせたひどい事件がありましたが、あれの犯人の植松聖は、「重度の障害者たちを生かすために莫大な費用がかかっている」「重度の障害者は安楽死させるべきだ」などと主張していたので、それは冒頭引用したDaiGoの言い草をもう一度よく読んでいただきたいのですが、発想・感性共に非常によく似ているのです。もしかしたら、あの事件にDaiGoは快哉を叫んでいたのかもしれません。
DaiGo と同じ伝で言うなら、つまらない虚栄心と成功崇拝心理に支配された彼のような手合いは「人間のカス」で、社会に害悪しか垂れ流さないのだから、撲滅した方が社会のためだということになってしまうでしょう。彼らはこの社会に不和と分断、憎しみしか作り出さないのだから。しかし、大方の人は困ったものだと思いながらも、おまえら死ねとは言わない。怒るのは当然で、激しく非難はしても、その生存を否定しようとまではしないのです。
DaiGoの頭の悪さは並外れていると思いますが、どうしてそこまで頭が悪くなったかと言えば、彼にとってはコンプレックスにまみれた自分のエゴイスティックで狭い自我人格が神になっているからです。だからそれ自体型にはまりすぎた差別観念しか持てなくなる。自己理解がそこまで浅くてメンタリストと称するとはこれいかに、という感じですが、僕はいずれそうした自己観念の虚偽性と病理について書いた本を出すつもりなので、そのときは読んでもらいたいものです。自分を「頭が悪い」と評した奴のいうことなんか絶対聞いてやるものかと、その自我支配の強さゆえに頑なに拒むでしょうが、愚かな自我崇拝に縛られているかぎり、まずくなったから「謝罪」のポーズはしてみても、そのままでは永遠に賢くなることはないでしょう。
ユーチューバ―が彼のような馬鹿ばかりだということはないでしょう。先日僕は元塾生の大学生からメールをもらって、彼はふつうに就職するのは嫌だというのであれこれ考えていて、最近はYoutubeでもかなりの収入を上げられるようになって、見通しが立ってきたというので喜んだのですが、その動画がDaiGoのそれほど程度が低くないだろうことは十分想像がつくので、帰省したらまた会って話をすることになっているので、そのときはこの件についても話し合うつもりです。DaiGoは活動を休止して、何年か山寺で修行でもしたらどうでしょうね。そのとき「メンタリストDaiGoの滝打たれ動画」なんてものを配信してまた稼ごうとするようなら、もうどうしようもありませんが…。
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