日本人はこれに懲りて、今後二度と五輪を誘致しようなどとは思わなくなるでしょう。一部の政治家が人気取りにそれを企てても、トラウマになった一般国民は頑として反対する。健忘症でまた浮かれるようなことになったら、そちらの方が問題です。
今夏の東京五輪では、金メダルの獲得数は過去最多になったそうですが、メダル一枚の値段はいくらに相当するのでしょう? 高くつきすぎた国際運動会だったことは確かなようです。
・東京五輪の総費用は4兆円に 莫大な赤字のツケは国民や都民が払うことに
記事の最後はこう結ばれています。
国と都のどちらが赤字を補填することになっても、政治家が自腹を切るのではない。一般会計から拠出するなら税金や公債発行が財源となり、国民や都民がツケを払う。
組織委の赤字の他に、国や都の五輪感染対策費も膨れあがっている。赤字補填や追加負担を含めると五輪の総費用は「4兆円」に迫ることになりそうだ。
テレビ観戦しかできない五輪に、それだけの価値があったと思う国民はどのくらいいるだろうか。
文教予算や科研費、福祉予算は必死に削りながら、何やってるのだろうという感じですが、アスリートに罪はないとしても、彼らもこの桁外れの五輪出費にはびっくりでしょう。五輪開催には元々カネがかかるもので、ホスト国は多大な財政負担を強いられますが、それでも国威発揚や将来的な観光客増加につながるからという理由でそうするものの、今回はそうした点でもマイナスしかありませんでした。予定外の莫大な出費を強いられた上に、経済効果も海外への宣伝効果もゼロなので、これまでこんな引き合わない五輪開催になったことは、五輪史上も稀(初?)なことでしょう。その名目も、東北大震災からの復興を記念する五輪から、「コロナに打ち勝った証」にいつのまにかすり変わり、ところが打ち勝つどころか連日感染者数過去最高を記録する感染爆発となって、もはやどうこじつけたものか、わからなくなったのです。菅政権による開催強行は国民世論(これに関するそれは理性的なものだった)を完全に無視したものだったので、日本が民主主義国家ではないことを世界に喧伝する皮肉な結果にもなった。文化的にも超がつくほどレベルが低くなっていることは、開会式をめぐる数々のゴタゴタでもよくわかったことで、恥を世界にさらすだけになったのです。
今の日本の政治レベルの異常なまでの低さは、次のような“事件”にもよく表われています。
・河村市長「重てゃ~な~」と突然メダルに噛みつく ガンの音→拭かずに返す その時後藤投手は
これに非難が殺到すると、「河村市長は『最大の愛情表現だった。金メダル獲得はあこがれだった。迷惑を掛けているのであれば、ごめんなさい』とコメントした」(毎日新聞)そうですが、釈明にも何にもなっていないので、選手にとっては一生の宝物となるであろう大事なメダルが汚れてきたなくなった(噛み跡の傷までついた!)上に、それが顔つきからしてキモい下品オヤジの「最大の愛情表現」だったということになると、なおさら寒気がするので、若い女性にはトラウマになるだけだということが、このクソにはどうしてわからないのか、同じオヤジとして、僕には全く理解できません。
大体、ガースーもそうですが、家族でもコーチでもないおまえらとオリンピック選手のメダル獲得に、一体何の関係がある? 表敬訪問というのはあくまで儀礼であって、いい年こいたオヤジ(無理して若作りしているが、河村もガースーと同じ72歳!)がいちいちオーバーアクションしてベタベタするのは醜悪なだけです。穏やかに微笑んでおめでとうとひとこと言い、軽く歓談した後は、お引き取り願って本来の自分の職務に励む。それが税金で食っているおまえらの務めだろうがと言いたくなります。
昔は年齢相応の分別というものが、しかるべき社会的地位にある人間にはとくにあるはずのものと思われていたのですが、今は逆のようです。大体、「金メダル獲得はあこがれだった」なんて、大嘘でしょう。僕も彼らは立派だとは思いますが、そんなものに憧れたためしはいっぺんもないので、人間によってするべきことや憧れは全く違うのです。大方の人間はメダルの類とは無関係なことをやっていて、ときには大変な苦労もある。その苦労の中に喜びもあるので、それはメダリストの苦労に必ずしも劣るものではない。そういうことを重々承知して世の中の人を見ているのが成熟した人間というものなので、スポーツ選手自身、彼又は彼女がよほどの馬鹿でなければ、そのへんのことはよくわかっているでしょう。河村やガースーのはしゃぎぶりは気持ちが悪いだけです。選挙目当てのパフォーマンスにしても頭が悪すぎるので、少しは恥を知るがいいのです。
こういうのは青少年の教育上もすこぶる有害です。子供や若者がオトナに対して侮蔑心や諦めしかもたなくなってしまうからで、あまり言う人がいないようですが、その悪影響は測り知れない。税金でこんな穀潰しどもを飼っているなんて笑う気にもなれません。日本人はいい加減組織票や利害票で動くのではなく、社会全体の利益や品格というものを考えて、良心に則ったまともな投票行動に立ち戻るべきです。ガースーも河村も、国会議員、市長として、投票で選出されているのですから、情けないかぎりです。
ところで、「五輪のメダルラッシュで一気に支持率回復」の浅ましい思惑がすっかり外れてしまったガースーは、またこんな頓珍漢なことを言っているようです。次は「首相『国民の命と健康守るため』 自宅療養方針に理解求める」という見出しの毎日新聞の記事。
菅義偉首相は4日、首相官邸で記者団に対し、新型コロナウイルスの入院対象者を重症者らに絞り込む政府方針について、「デルタ株による急速な感染拡大の中で、国民の皆さんの命と健康を守る。そのために、(国民が)必要な医療を受けられるようにするために方針を決めた」と述べ、理解を求めた。
周知のように、コロナの「重症者」というのは、東京都はその基準がとくに厳しいが(何で統一しないのか、よくわかりませんが)、「生きるか死ぬかの瀬戸際」にある人たちで、中等や軽症者というのも、ふつうのそれとは全然違います。ふつうなら重症とされるものが、コロナでは中等・軽症に分類されたりするのです。命は助かっても重い後遺症に悩まされている人も少なくない。
なのにガースーは、「医療崩壊」の顕在化を回避したい一心で、「重症にあらずんば自宅療養」に切り替えてごまかし、それは要するに必要な医療が受けられないということですが、事態の深刻さをごまかすために、それが「国民の皆さんの命と健康を守る」ことになると強弁しているのです。ヤフコメには「ボイジャー2号もどき」というハンドルネームの人の次のような投稿があります。文章もしっかりしていて、一読、並の人ではないことがわかるのですが、
私は理解を求められても理解できない。これから自宅待機する人は実質的に医療専門家から遠い位置になる。パルスオキシメーターは数が足りず配布されない。フォローアップセンターは相手が多すぎて追いきれない。本人が悪化しても電話がつながらない。自宅療養の人はどうすれば良いのだ。理解を求める前に病床を確保するべきではないか。準備期間はたくさんあった。想定もされていた。いつでも病床を展開できるホテルや体育館を確保しておくべきではなかったのか。30兆円も繰り越しているのだ。なにもしていなくて、対応ができないからといって、国民にリスクを丸投げするのは国家のすることではない。全く「国民の命と健康を」守っていない。
とあって、昨日僕が見た段階では1580の「いいね」が押され、ネガティブなそれは大方ガースーの支持者あたりでしょうが、たったの35しかありませんでした。「準備期間はたくさんあった。想定もされていた」というのも指摘通りで、ガースーは初の金メダリストに直接電話したり、その後、金メダル獲得者が出るたびにツイッターに「お祝いメッセージ」を投稿するヒマはあっても、彼の希望的観測には感染爆発は入っていなかったので、そのへんの手当は何もしていなかったのです。ワクチン、ワクチンと連呼するだけで何とかなると思っていた。馬鹿の5乗ぐらいにはなるので、そもそもの話、PCR検査それ自体、「発症者が出たらその周辺の人も検査」というやり方なので、無症状者がたくさんいることを考えると、つねに後手後手になる。東京だけで4000人を超えたと大騒ぎしているが、現段階でも実数はもっと多いでしょう。ついこの前、「パラリンピックは有観客で」なんて言っていた彼は、直前までこういう事態は全く想定していなかったわけです。8割の人が想定していたことを想定しない政権担当者なんて、どこの世界にいますか? それでパニクって、「重症者以外は自宅療養を…」なんて言い出したのです。
素晴らしいのは同じ認知症仲間の二階が、この期に及んでも「「むしろ『(ガースーに)続投してほしい』という声の方が国民の間にも党内にも強いのではないかと判断している」などとトンデモ発言をして、「どこにそんな声がある?」「幻聴か?」と突っ込まれていることです。これに、今回の大失敗五輪の元凶である安倍(批判を恐れて開会式を欠席した)や、「(憲法改正は)ナチスのやり方が参考になる」と言った麻生のどアホなんかが加わるわけで、そういう連中が今の日本の国政を支配しているわけです。道徳指数だけでなく、知能指数そのものが並外れて低い。
日本でなければ、暴動がいつ起きても不思議ではないほどのひどさです。コロナは誰にも忖度しないので、ごまかしようもなくボロが出た。その意味では今回のコロナ禍は重要なことに気づかせてくれたので、今度の総選挙ではこれまでよりはよく考えた有権者の投票行動が期待できるでしょう。これら老害議員どもを全員落選させることができれば、未来見通しは明るくなるが、自民は組織票固めに必死になるでしょう。そういう組織の関係者の中でも、「ああ、もちろんおたくに投票しますよ」と明るく答えて、「バカ言ってるんじゃない」と自分の良心に則って別の候補に入れる有権者が激増すれば、あっと驚く結果になって未来は明るくなると思うのですが、そういう人がどれくらいいるかですね。自民と連立を組んでいる公明党は、宗教団体の創価学会が母体で、いっときは選挙が近づくと創価学会員の知り合いや親戚からよく電話がかかってきて、「ああ、もうじき選挙か」とわかったものですが、愛想のいい僕などは「わかった、わかった。公明党に入れとくから」と春風のような明るい声で応えたものです。ただの一度も公明党なんかに入れたことはありませんが、それがバレたのか、そのうち誰も電話してこなくなった。こういうのは人間関係もこわさず、自分を偽る必要もないいい手なので、組織票対策としてはお薦めです。
今夏の東京五輪では、金メダルの獲得数は過去最多になったそうですが、メダル一枚の値段はいくらに相当するのでしょう? 高くつきすぎた国際運動会だったことは確かなようです。
・東京五輪の総費用は4兆円に 莫大な赤字のツケは国民や都民が払うことに
記事の最後はこう結ばれています。
国と都のどちらが赤字を補填することになっても、政治家が自腹を切るのではない。一般会計から拠出するなら税金や公債発行が財源となり、国民や都民がツケを払う。
組織委の赤字の他に、国や都の五輪感染対策費も膨れあがっている。赤字補填や追加負担を含めると五輪の総費用は「4兆円」に迫ることになりそうだ。
テレビ観戦しかできない五輪に、それだけの価値があったと思う国民はどのくらいいるだろうか。
文教予算や科研費、福祉予算は必死に削りながら、何やってるのだろうという感じですが、アスリートに罪はないとしても、彼らもこの桁外れの五輪出費にはびっくりでしょう。五輪開催には元々カネがかかるもので、ホスト国は多大な財政負担を強いられますが、それでも国威発揚や将来的な観光客増加につながるからという理由でそうするものの、今回はそうした点でもマイナスしかありませんでした。予定外の莫大な出費を強いられた上に、経済効果も海外への宣伝効果もゼロなので、これまでこんな引き合わない五輪開催になったことは、五輪史上も稀(初?)なことでしょう。その名目も、東北大震災からの復興を記念する五輪から、「コロナに打ち勝った証」にいつのまにかすり変わり、ところが打ち勝つどころか連日感染者数過去最高を記録する感染爆発となって、もはやどうこじつけたものか、わからなくなったのです。菅政権による開催強行は国民世論(これに関するそれは理性的なものだった)を完全に無視したものだったので、日本が民主主義国家ではないことを世界に喧伝する皮肉な結果にもなった。文化的にも超がつくほどレベルが低くなっていることは、開会式をめぐる数々のゴタゴタでもよくわかったことで、恥を世界にさらすだけになったのです。
今の日本の政治レベルの異常なまでの低さは、次のような“事件”にもよく表われています。
・河村市長「重てゃ~な~」と突然メダルに噛みつく ガンの音→拭かずに返す その時後藤投手は
これに非難が殺到すると、「河村市長は『最大の愛情表現だった。金メダル獲得はあこがれだった。迷惑を掛けているのであれば、ごめんなさい』とコメントした」(毎日新聞)そうですが、釈明にも何にもなっていないので、選手にとっては一生の宝物となるであろう大事なメダルが汚れてきたなくなった(噛み跡の傷までついた!)上に、それが顔つきからしてキモい下品オヤジの「最大の愛情表現」だったということになると、なおさら寒気がするので、若い女性にはトラウマになるだけだということが、このクソにはどうしてわからないのか、同じオヤジとして、僕には全く理解できません。
大体、ガースーもそうですが、家族でもコーチでもないおまえらとオリンピック選手のメダル獲得に、一体何の関係がある? 表敬訪問というのはあくまで儀礼であって、いい年こいたオヤジ(無理して若作りしているが、河村もガースーと同じ72歳!)がいちいちオーバーアクションしてベタベタするのは醜悪なだけです。穏やかに微笑んでおめでとうとひとこと言い、軽く歓談した後は、お引き取り願って本来の自分の職務に励む。それが税金で食っているおまえらの務めだろうがと言いたくなります。
昔は年齢相応の分別というものが、しかるべき社会的地位にある人間にはとくにあるはずのものと思われていたのですが、今は逆のようです。大体、「金メダル獲得はあこがれだった」なんて、大嘘でしょう。僕も彼らは立派だとは思いますが、そんなものに憧れたためしはいっぺんもないので、人間によってするべきことや憧れは全く違うのです。大方の人間はメダルの類とは無関係なことをやっていて、ときには大変な苦労もある。その苦労の中に喜びもあるので、それはメダリストの苦労に必ずしも劣るものではない。そういうことを重々承知して世の中の人を見ているのが成熟した人間というものなので、スポーツ選手自身、彼又は彼女がよほどの馬鹿でなければ、そのへんのことはよくわかっているでしょう。河村やガースーのはしゃぎぶりは気持ちが悪いだけです。選挙目当てのパフォーマンスにしても頭が悪すぎるので、少しは恥を知るがいいのです。
こういうのは青少年の教育上もすこぶる有害です。子供や若者がオトナに対して侮蔑心や諦めしかもたなくなってしまうからで、あまり言う人がいないようですが、その悪影響は測り知れない。税金でこんな穀潰しどもを飼っているなんて笑う気にもなれません。日本人はいい加減組織票や利害票で動くのではなく、社会全体の利益や品格というものを考えて、良心に則ったまともな投票行動に立ち戻るべきです。ガースーも河村も、国会議員、市長として、投票で選出されているのですから、情けないかぎりです。
ところで、「五輪のメダルラッシュで一気に支持率回復」の浅ましい思惑がすっかり外れてしまったガースーは、またこんな頓珍漢なことを言っているようです。次は「首相『国民の命と健康守るため』 自宅療養方針に理解求める」という見出しの毎日新聞の記事。
菅義偉首相は4日、首相官邸で記者団に対し、新型コロナウイルスの入院対象者を重症者らに絞り込む政府方針について、「デルタ株による急速な感染拡大の中で、国民の皆さんの命と健康を守る。そのために、(国民が)必要な医療を受けられるようにするために方針を決めた」と述べ、理解を求めた。
周知のように、コロナの「重症者」というのは、東京都はその基準がとくに厳しいが(何で統一しないのか、よくわかりませんが)、「生きるか死ぬかの瀬戸際」にある人たちで、中等や軽症者というのも、ふつうのそれとは全然違います。ふつうなら重症とされるものが、コロナでは中等・軽症に分類されたりするのです。命は助かっても重い後遺症に悩まされている人も少なくない。
なのにガースーは、「医療崩壊」の顕在化を回避したい一心で、「重症にあらずんば自宅療養」に切り替えてごまかし、それは要するに必要な医療が受けられないということですが、事態の深刻さをごまかすために、それが「国民の皆さんの命と健康を守る」ことになると強弁しているのです。ヤフコメには「ボイジャー2号もどき」というハンドルネームの人の次のような投稿があります。文章もしっかりしていて、一読、並の人ではないことがわかるのですが、
私は理解を求められても理解できない。これから自宅待機する人は実質的に医療専門家から遠い位置になる。パルスオキシメーターは数が足りず配布されない。フォローアップセンターは相手が多すぎて追いきれない。本人が悪化しても電話がつながらない。自宅療養の人はどうすれば良いのだ。理解を求める前に病床を確保するべきではないか。準備期間はたくさんあった。想定もされていた。いつでも病床を展開できるホテルや体育館を確保しておくべきではなかったのか。30兆円も繰り越しているのだ。なにもしていなくて、対応ができないからといって、国民にリスクを丸投げするのは国家のすることではない。全く「国民の命と健康を」守っていない。
とあって、昨日僕が見た段階では1580の「いいね」が押され、ネガティブなそれは大方ガースーの支持者あたりでしょうが、たったの35しかありませんでした。「準備期間はたくさんあった。想定もされていた」というのも指摘通りで、ガースーは初の金メダリストに直接電話したり、その後、金メダル獲得者が出るたびにツイッターに「お祝いメッセージ」を投稿するヒマはあっても、彼の希望的観測には感染爆発は入っていなかったので、そのへんの手当は何もしていなかったのです。ワクチン、ワクチンと連呼するだけで何とかなると思っていた。馬鹿の5乗ぐらいにはなるので、そもそもの話、PCR検査それ自体、「発症者が出たらその周辺の人も検査」というやり方なので、無症状者がたくさんいることを考えると、つねに後手後手になる。東京だけで4000人を超えたと大騒ぎしているが、現段階でも実数はもっと多いでしょう。ついこの前、「パラリンピックは有観客で」なんて言っていた彼は、直前までこういう事態は全く想定していなかったわけです。8割の人が想定していたことを想定しない政権担当者なんて、どこの世界にいますか? それでパニクって、「重症者以外は自宅療養を…」なんて言い出したのです。
素晴らしいのは同じ認知症仲間の二階が、この期に及んでも「「むしろ『(ガースーに)続投してほしい』という声の方が国民の間にも党内にも強いのではないかと判断している」などとトンデモ発言をして、「どこにそんな声がある?」「幻聴か?」と突っ込まれていることです。これに、今回の大失敗五輪の元凶である安倍(批判を恐れて開会式を欠席した)や、「(憲法改正は)ナチスのやり方が参考になる」と言った麻生のどアホなんかが加わるわけで、そういう連中が今の日本の国政を支配しているわけです。道徳指数だけでなく、知能指数そのものが並外れて低い。
日本でなければ、暴動がいつ起きても不思議ではないほどのひどさです。コロナは誰にも忖度しないので、ごまかしようもなくボロが出た。その意味では今回のコロナ禍は重要なことに気づかせてくれたので、今度の総選挙ではこれまでよりはよく考えた有権者の投票行動が期待できるでしょう。これら老害議員どもを全員落選させることができれば、未来見通しは明るくなるが、自民は組織票固めに必死になるでしょう。そういう組織の関係者の中でも、「ああ、もちろんおたくに投票しますよ」と明るく答えて、「バカ言ってるんじゃない」と自分の良心に則って別の候補に入れる有権者が激増すれば、あっと驚く結果になって未来は明るくなると思うのですが、そういう人がどれくらいいるかですね。自民と連立を組んでいる公明党は、宗教団体の創価学会が母体で、いっときは選挙が近づくと創価学会員の知り合いや親戚からよく電話がかかってきて、「ああ、もうじき選挙か」とわかったものですが、愛想のいい僕などは「わかった、わかった。公明党に入れとくから」と春風のような明るい声で応えたものです。ただの一度も公明党なんかに入れたことはありませんが、それがバレたのか、そのうち誰も電話してこなくなった。こういうのは人間関係もこわさず、自分を偽る必要もないいい手なので、組織票対策としてはお薦めです。
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