東京都は27日、新型コロナウイルスの感染者が新たに2848人報告されたと発表した。1月7日の2520人を超えて過去最多となり、1月15日以来の2千人台。前週火曜日の今月20日から1461人増加した。今月12日からの4回目の緊急事態宣言期間では効果が見られず、2週間を経過しても感染状況の悪化が顕著。今後の医療提供体制次第ではワクチン接種要員の確保や開催中の東京五輪に影響する可能性がある。(共同通信)
これ、疑わしいものだけ検査した結果にすぎないのだろうから、実際はもっとずっと多いはずですよね? 緊急事態宣言に協力的な人間が減っているから、とくに若者中心に感染が拡大しているのだ、別に五輪のせいではない、なんて言う人もいるようですが、連日テレビはオリンピック特番で「さあ、皆さん、応援しましょう、盛り上がりましょう!」なんて大騒ぎしているのだから、それにつきあいつつ、わが身は自粛なんて、とくに若者はできるわけがないでしょう。飲食店に対する締め付けも、銀行に金を貸すなと言うと脅しながら、あんたらが潰れても票としては大したことがないから、政府の関知するところではないというのがホンネなのだから、勝手に五輪はやりやがって、誰がおまえらのいうことなんか聞くか、となるのはあたりまえの話です。
五輪の強行開催は、だから、警戒心を完全に崩してしまったという意味で明らかに影響しているのですが、五輪関係者によって直接コロナが持ち込まれているということも、次のような記事からは明確に読み取れます。
・医師が証言「羽田空港関係者の感染が増加」の悲鳴
この空港近くの総合病院で、空港関係者のコロナ患者が増え始めたのは、ちょうど海外からメディアや選手団、大会関係者らが羽田空港に既に本格的に到着していた時期と重なる。
菅首相は7月26日に発売された月刊誌『Hanada』のインタビューの中で、東京五輪開催によって新型コロナの感染が拡大するとの批判について、「ワクチン接種者数が極めて順調に増えているため、その懸念はあたらないと思う」と述べた。
これに対し、この医師は「時期的に東京五輪に伴う人流増加で、羽田空港関係者の感染が増えていると考えられます」と指摘する。
「コロナは感染者の数ではなく、重症者、死者の数が問題なのだ」と言うのも最近のトレンドのようで、だからワクチンが普及しさえすれば問題は解決するみたいな言い方をする人が多くなっていますが(政府筋の御用学者は大方その口なので)、無症状者でも後であれこれ未知の深刻な後遺症が出てくるという話があって、そちらの研究はまだ蓄積がないので、後で「まさかこんなことになるとは…」と思う人が増えそうです(ウイルスとしては宿主を生かしておきさえすればいいので、少しぐらいおかしくなってもそれにはおかまいなし?)。変異株に対するワクチンの有効性も、イスラエルの否定的な研究が出ると、すぐ「信憑性に乏しい」なんて反論が出ていましたが、政治的なバイアスで実際よりかなり高く見積もられていそうな感じです(そもそも、打っても一年もたてば抗体はなくなるのだというから、ファイザーあたりはボロ儲けできそうです)。また、従来株より比較的若い年齢層にも中等・重篤な症状が出やすく、そういう人たちはいずれも入院が必要になるでしょう(つまり、今の医療体制では対応できなくなる可能性大)。コロナは明らかに「ただの風邪」ではなさそうなので、甘く見ると痛い目に遭いそうですが、総じて言うなら、「五輪がきっかけで感染爆発」というのは絵空事ではなかったことが証明されつつあるということです。
ついでに言うと、人によっては副反応(それについての情報はなぜか公的なものとしてはほとんど出ない)が深刻なワクチンそのものよりも、コロナに感染したとき出る症状を緩和する治療薬の方が大事なのではないかという人が僕の周りには結構いて、僕自身もそう思うのですが、ガースーのワクチン信仰と同じような信仰をもっている人は多いようで、今は「早くワクチンを打て!」の一点張りです。それで問題が解決するほど甘くはないと、僕には思えるのですが。
今回のオリンピックも、これは何なのでしょうね? まるでヴァーチャル空間で行われている世界版総合体育大会みたいです。実質的に、日本国内で行われているという感覚が全くしない。1964年の東京五輪(ガースーは高校生だったそうですが、僕は小学生で、飯島選手が出た百メートル決勝などは、学校の家庭科室のテレビで見せてもらえた)とは、全く性質の違うものです。体を張っているアスリートたちにとってはむろん、それはヴァーチャルではなくリアルなものでしょうが、一般国民にとっては外国で開催された時と同じか、観客の熱気が欠けているから、それ以下なのです。これほどの犠牲を払って、かつ民意を完全無視して行なうほど価値のあるものではない。途方もない金額の日本人の税金がIOCと一部の政治家のためだけに浪費されたのですが、明らかにそんな価値はない(彼らのせいではないが、その金額をアスリートたちが知れば、かなり申し訳なく思うでしょう)。今はそれぞれの競技に立派な世界大会があるのだし、何をそんなにこだわらねばならなかったのか、さっぱりわからない。僕は夏の高校野球の方を楽しみにしているのですが、そちらの方がずっと素直に楽しめるのです。
いつもの「感動をありがとう」で、他のことは全部忘れてしまうのか? コロナと経済的疲弊がそれを忘れられなくしてくれるのでしょうが、こんな馬鹿な世界に生きていることになるとは、十年前ですら、僕は全く予想しませんでした。多くの人が同じ感想をもっているのではないかと思いますが、違いますか?
これ、疑わしいものだけ検査した結果にすぎないのだろうから、実際はもっとずっと多いはずですよね? 緊急事態宣言に協力的な人間が減っているから、とくに若者中心に感染が拡大しているのだ、別に五輪のせいではない、なんて言う人もいるようですが、連日テレビはオリンピック特番で「さあ、皆さん、応援しましょう、盛り上がりましょう!」なんて大騒ぎしているのだから、それにつきあいつつ、わが身は自粛なんて、とくに若者はできるわけがないでしょう。飲食店に対する締め付けも、銀行に金を貸すなと言うと脅しながら、あんたらが潰れても票としては大したことがないから、政府の関知するところではないというのがホンネなのだから、勝手に五輪はやりやがって、誰がおまえらのいうことなんか聞くか、となるのはあたりまえの話です。
五輪の強行開催は、だから、警戒心を完全に崩してしまったという意味で明らかに影響しているのですが、五輪関係者によって直接コロナが持ち込まれているということも、次のような記事からは明確に読み取れます。
・医師が証言「羽田空港関係者の感染が増加」の悲鳴
この空港近くの総合病院で、空港関係者のコロナ患者が増え始めたのは、ちょうど海外からメディアや選手団、大会関係者らが羽田空港に既に本格的に到着していた時期と重なる。
菅首相は7月26日に発売された月刊誌『Hanada』のインタビューの中で、東京五輪開催によって新型コロナの感染が拡大するとの批判について、「ワクチン接種者数が極めて順調に増えているため、その懸念はあたらないと思う」と述べた。
これに対し、この医師は「時期的に東京五輪に伴う人流増加で、羽田空港関係者の感染が増えていると考えられます」と指摘する。
「コロナは感染者の数ではなく、重症者、死者の数が問題なのだ」と言うのも最近のトレンドのようで、だからワクチンが普及しさえすれば問題は解決するみたいな言い方をする人が多くなっていますが(政府筋の御用学者は大方その口なので)、無症状者でも後であれこれ未知の深刻な後遺症が出てくるという話があって、そちらの研究はまだ蓄積がないので、後で「まさかこんなことになるとは…」と思う人が増えそうです(ウイルスとしては宿主を生かしておきさえすればいいので、少しぐらいおかしくなってもそれにはおかまいなし?)。変異株に対するワクチンの有効性も、イスラエルの否定的な研究が出ると、すぐ「信憑性に乏しい」なんて反論が出ていましたが、政治的なバイアスで実際よりかなり高く見積もられていそうな感じです(そもそも、打っても一年もたてば抗体はなくなるのだというから、ファイザーあたりはボロ儲けできそうです)。また、従来株より比較的若い年齢層にも中等・重篤な症状が出やすく、そういう人たちはいずれも入院が必要になるでしょう(つまり、今の医療体制では対応できなくなる可能性大)。コロナは明らかに「ただの風邪」ではなさそうなので、甘く見ると痛い目に遭いそうですが、総じて言うなら、「五輪がきっかけで感染爆発」というのは絵空事ではなかったことが証明されつつあるということです。
ついでに言うと、人によっては副反応(それについての情報はなぜか公的なものとしてはほとんど出ない)が深刻なワクチンそのものよりも、コロナに感染したとき出る症状を緩和する治療薬の方が大事なのではないかという人が僕の周りには結構いて、僕自身もそう思うのですが、ガースーのワクチン信仰と同じような信仰をもっている人は多いようで、今は「早くワクチンを打て!」の一点張りです。それで問題が解決するほど甘くはないと、僕には思えるのですが。
今回のオリンピックも、これは何なのでしょうね? まるでヴァーチャル空間で行われている世界版総合体育大会みたいです。実質的に、日本国内で行われているという感覚が全くしない。1964年の東京五輪(ガースーは高校生だったそうですが、僕は小学生で、飯島選手が出た百メートル決勝などは、学校の家庭科室のテレビで見せてもらえた)とは、全く性質の違うものです。体を張っているアスリートたちにとってはむろん、それはヴァーチャルではなくリアルなものでしょうが、一般国民にとっては外国で開催された時と同じか、観客の熱気が欠けているから、それ以下なのです。これほどの犠牲を払って、かつ民意を完全無視して行なうほど価値のあるものではない。途方もない金額の日本人の税金がIOCと一部の政治家のためだけに浪費されたのですが、明らかにそんな価値はない(彼らのせいではないが、その金額をアスリートたちが知れば、かなり申し訳なく思うでしょう)。今はそれぞれの競技に立派な世界大会があるのだし、何をそんなにこだわらねばならなかったのか、さっぱりわからない。僕は夏の高校野球の方を楽しみにしているのですが、そちらの方がずっと素直に楽しめるのです。
いつもの「感動をありがとう」で、他のことは全部忘れてしまうのか? コロナと経済的疲弊がそれを忘れられなくしてくれるのでしょうが、こんな馬鹿な世界に生きていることになるとは、十年前ですら、僕は全く予想しませんでした。多くの人が同じ感想をもっているのではないかと思いますが、違いますか?
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