人間は、あまりに非常識なことを言われると「え…?」と驚いて何も言えなくなってしまうものです。健康な感性と道徳観念をもった人ほどそうで、どこからどう反論すればいいのか、わからなくなってしまうのです。
ガースーのこれなんか、その典型です。
・菅首相「五輪やめるのは簡単、楽なこと。挑戦するのが役割」
菅義偉首相は21日掲載の米紙ウォール・ストリート・ジャーナル日本版のインタビューで、東京オリンピックの開催を中止するよう自身に近い関係者から何度も助言されたと明かし、「やめることは一番簡単なこと、楽なことだ。挑戦するのが政府の役割だ」と強調した。
してみれば、彼の周囲にも客観的に事態を把握し、まともなことを言う人間はいたわけです。そして現実問題として、「やめることは一番簡単なこと、楽なこと」では決してなかった。むしろ大きなエネルギーと能動性を有したのです。なぜなら、その場合、東京都と協議し、IOCとも話し合わねばならない。賠償金問題にも有利な決着がつくよう、国際世論を味方につけながら、交渉しなければならなかったからです。また、安倍が二年延期論の方を退けて、自分の手柄にしたいがために(そのときはまだ総理を続けるつもりでいたので)一年延期にしたのがそもそもまずかったのですが、中止にするとその安倍の顔を潰したことにもなるから、狭い自民ムラの中でその件にも対処しなければならなくなる。何しろガースーは派閥がなくて弱い立場なのです。
しかし、当然ながら、国民はこのコロナ下、オリンピック気分などでは到底なくて、早く有効な対処法を見つけて、できるだけ経済が早く回復することを望んでいた。それに答えることこそ国を預かる総理大臣としての責務だと、現実的、実際的なまともな政治家なら考えたはずです。だから、中止であれこれ上記のような面倒が起きてもここは思い切ってそれに踏み切る決断をし、早くそこから離れてコロナ対策、経済対策に集中できるようにしなければならないと考える。それは全然、「簡単なこと」でも「楽なこと」でもなかったはずです。
「一番簡単なこと、楽なこと」――それは実はガースーのやった「五輪の予定通りの開催」だったのです。なぜかといえば、それはすでに決まっていたことだからで、それだと安倍の顔も潰さずに済むし、IOCとも面倒な交渉をしなくてすむ。犬猿の仲の小池都知事と話し合う必要もないからです。要するに、何も面倒なことはしなくても済む。言っては悪いが、それはどんなボンクラにでもできることでしょう。ガースーはそれをやろうとしたのですが、それは主体的・積極的に動くこととは全く違うので、「初めに五輪ありき」で行き当たりばったり緊急事態宣言を解除したり、また発令してみたり、ヒスを起こして「早くワクチンを打て!」とわめき散らしたりすること――それが彼がやったことですが、こういうのは全部どうしようもなくなったガースーが追い詰められてしたことにすぎません。
要は面倒なことを全部回避しようとしただけですが、自己欺瞞の化け物のような菅義偉は話を逆にしてしまった。実際は何も「挑戦」などはしていないのに、「弱腰の世論」に抗して五輪を強行開催することは自分が「男らしい」からだという話にすり替えてしまったのです。勇気のいるのは厳しい現実に即して予定の既成事実化を阻むことの方なのですが、彼はそれを変えることができなかったにすぎないのに、「世論の反対をものともせず、困難に挑む私」という自画像を作って、勝手にそれに自己陶酔する。正常な感覚の持主なら、そういう妄想世界に安住することはとうてい不可能です(「五輪開催による経済効果」なるものも今やゼロで、むしろ検疫その他の面倒なあれこれでマイナスがどんどん積み上がるだけになっているのです)。
五輪開催の判断について、首相は「感染者数なども海外と比べると1桁以上と言ってもいいぐらい少ない。ワクチン(接種)も進んで、感染対策を厳しくやっているので、環境はそろっている」と説明。国際オリンピック委員会(IOC)に開催を押しつけられたとの見方が出ていることについて「日本は手を挙げて招致してきた。押しつけられるようなことだったらはね返す」と否定した。
ここでは例の「さざ波」論を出しているわけです。しかし、実際問題として、感染者と重症者が増えれば、今の日本の医療体制では対応できなくなることが判明したわけで、それが対応できるように、彼が新たな医療体制を再整備したというわけでは全くない。要するに、そのあたり、何も抜本的な改善策は講じていないのです(彼には医師会を従わせる力などない)。空港検疫がザルだったこともよく知られている。おとなしい日本人は協力的なので、一時は自粛要請もよく守られ、拡大が抑えられたということはありますが、政府が「感染対策を厳しくやった」と自慢できるようなことはほとんどない。海外からの渡航禁止措置も、全部後手後手だったのです。ゴーツーなんて感染拡大に手を貸すような愚策までやってのけた。それは国民のためではなく、後見人の二階と自分たちのスポンサーのためにすぎなかったのです。よけいなクーポンなど出すより、直接補償した方が窮地に陥った現場の観光業の人たちや飲食店の取り分は多くなったはずだと僕は思いましたが、今も飲食店に先の見えない自粛を求めており、言うことを聞かない奴には銀行から圧力をかけさせるなんて言って脅して(それは西村の独断ではなく、ガースーも承知していたことだとわかっている)、総スカンを食ったのですが、それに対する「補償」なるものもいい加減そのもので、そのあたりきちんと詰めることさえしていないのです(コロナ失業の人たちへの救済策なんて、最近は話題にも出ませんが、そういう人たちの「安全・安心」の方はどうなっているのでしょうか?)。
「国際オリンピック委員会(IOC)に開催を押しつけられたとの見方」には、彼はムッとしたのでしょう。こういうのが「男らしい私」の幻想に酔う彼には一番腹立たしいことで、「『押しつけられるようなことだったらはね返す』と否定」して見せるのです。しかし、事実としては完全な言いなりだったので、日本人を怒らせた会長のバッハや古参委員の暴言に彼が苦言を呈したというような話は聞いたことがない。完全に舐められているのですが、にもかかわらず、「それは私が望んだからだ」ということにして、話をここでもすり替えるのです。
国内では開催に懐疑的な声が多いことについては、競技が始まって国民がテレビで観戦すれば考えも変わる、と自信を示した。首相自身は大学生時代にやっていた空手のテレビ観戦を楽しみにしていると語ったという。インタビューは20日、首相官邸で行われた。
これが記事の最後の段落ですが、「競技が始まって国民がテレビで観戦すれば考えも変わる、と自信を示した」というのは、愚かな国民はマスコミや野党に煽られて反対しただけなので、実際にオリンピックの競技を見せてやりさえすれば、連中はすぐそれに夢中になって、前のことはすっかり忘れ、「やっぱりやってもらってよかった!」と感涙にむせぶと、ガースーは考えているということです。私たちが間違っていました、感動をありがとう! そうすれば支持率もすぐ戻すと。すぐれた政治家というのはつねに最悪の事態も想定して事にとりかかるものですが、ガースーには五輪がコロナ変異株の国際展覧会、スーパースプレッダーになりうるというような“ネガティブ”な予想は決して思い浮かばず、競技はつつがなく進行して、感染者はほとんど出ず、今ワクチンを打ちまくっているから、東京の感染者も減る一方になるだろうと楽観するのです(最近の東京の感染者の激増ぶりは、あれは何なのかと思いますが、なに、あんなものはすぐに減るから、心配いらないのです。これまでその種の希望的観測に基づく「政府予想」は外れまくったとは言え)。パラリンピックの方はぜひ「有観客」で開催したいというのが、今の「総理の意向」なのだという。
最後のガースーの空手云々は、何かにつけ彼はよくこの話を持ち出すようですが、これまた「強い男」の間接アピールです。そんな話、聞いたこともありませんが、当時のホーセーではさぞや有名だったのでしょうね。どうせなら、五輪の競技会に黒帯締めて特別出演して、演武でも披露してみたらどうですかね。拳や足を突き出すたびにカーッ!なんてやったら、その男らしい姿にしびれて、支持率が一気に上がるかもしれませんよ。ぜひそうなさってはいかがでしょう。愚かな日本人は、そういうことでコロッと評価が変わるかもしれないので、ものは試しですよ。
以上です。われわれは素晴らしい総理大臣をもった。どんなことでも自分に都合よく解釈できるというのは稀有の才能で、国民の大多数はあまりのことに唖然として、反論する気力さえ失ってしまうのです。総理は五輪の大成功と、次の総選挙での自民の大勝を確信しておられる! それだけは確かなことです。愚かな国民は必ずやこのマッチョな総理と自民に熱い拍手を送るようになるのです。
彼はギャンブラーだと失礼なことを言う向きもあります。ギャンブラーもプロなら、リスクヘッジをちゃんとやって、トータルでは勝てるよう計算しているのですが、素人ギャンブラーの場合、十回に一回しか勝てず、にもかかわらず、そのたった一回の勝ちのことだけ憶えていて他は忘れ、そのうち破産してしまうのですが、一国の総理がこの後者だった場合、負債は全部国民が支払わせられるのです(彼自身は豊かな議員歳費と、引退後も潤沢な議員年金に守られる)。人の言うことを全く聞かず、独善的な妄想に衝き動かされて、冷静な現実判断能力もまるでないというのが彼らの特徴ですが、これまでの彼の行動を見ているかぎり、共通点がありすぎるように思えるのですが、こういうのはたんなる僕の偏見にすぎないのでしょうね。まさか落ち目とはいえ、かつて経済大国と呼ばれた国の総理がそこまでお粗末な人間だなんて、あり得ませんから…。
ガースーのこれなんか、その典型です。
・菅首相「五輪やめるのは簡単、楽なこと。挑戦するのが役割」
菅義偉首相は21日掲載の米紙ウォール・ストリート・ジャーナル日本版のインタビューで、東京オリンピックの開催を中止するよう自身に近い関係者から何度も助言されたと明かし、「やめることは一番簡単なこと、楽なことだ。挑戦するのが政府の役割だ」と強調した。
してみれば、彼の周囲にも客観的に事態を把握し、まともなことを言う人間はいたわけです。そして現実問題として、「やめることは一番簡単なこと、楽なこと」では決してなかった。むしろ大きなエネルギーと能動性を有したのです。なぜなら、その場合、東京都と協議し、IOCとも話し合わねばならない。賠償金問題にも有利な決着がつくよう、国際世論を味方につけながら、交渉しなければならなかったからです。また、安倍が二年延期論の方を退けて、自分の手柄にしたいがために(そのときはまだ総理を続けるつもりでいたので)一年延期にしたのがそもそもまずかったのですが、中止にするとその安倍の顔を潰したことにもなるから、狭い自民ムラの中でその件にも対処しなければならなくなる。何しろガースーは派閥がなくて弱い立場なのです。
しかし、当然ながら、国民はこのコロナ下、オリンピック気分などでは到底なくて、早く有効な対処法を見つけて、できるだけ経済が早く回復することを望んでいた。それに答えることこそ国を預かる総理大臣としての責務だと、現実的、実際的なまともな政治家なら考えたはずです。だから、中止であれこれ上記のような面倒が起きてもここは思い切ってそれに踏み切る決断をし、早くそこから離れてコロナ対策、経済対策に集中できるようにしなければならないと考える。それは全然、「簡単なこと」でも「楽なこと」でもなかったはずです。
「一番簡単なこと、楽なこと」――それは実はガースーのやった「五輪の予定通りの開催」だったのです。なぜかといえば、それはすでに決まっていたことだからで、それだと安倍の顔も潰さずに済むし、IOCとも面倒な交渉をしなくてすむ。犬猿の仲の小池都知事と話し合う必要もないからです。要するに、何も面倒なことはしなくても済む。言っては悪いが、それはどんなボンクラにでもできることでしょう。ガースーはそれをやろうとしたのですが、それは主体的・積極的に動くこととは全く違うので、「初めに五輪ありき」で行き当たりばったり緊急事態宣言を解除したり、また発令してみたり、ヒスを起こして「早くワクチンを打て!」とわめき散らしたりすること――それが彼がやったことですが、こういうのは全部どうしようもなくなったガースーが追い詰められてしたことにすぎません。
要は面倒なことを全部回避しようとしただけですが、自己欺瞞の化け物のような菅義偉は話を逆にしてしまった。実際は何も「挑戦」などはしていないのに、「弱腰の世論」に抗して五輪を強行開催することは自分が「男らしい」からだという話にすり替えてしまったのです。勇気のいるのは厳しい現実に即して予定の既成事実化を阻むことの方なのですが、彼はそれを変えることができなかったにすぎないのに、「世論の反対をものともせず、困難に挑む私」という自画像を作って、勝手にそれに自己陶酔する。正常な感覚の持主なら、そういう妄想世界に安住することはとうてい不可能です(「五輪開催による経済効果」なるものも今やゼロで、むしろ検疫その他の面倒なあれこれでマイナスがどんどん積み上がるだけになっているのです)。
五輪開催の判断について、首相は「感染者数なども海外と比べると1桁以上と言ってもいいぐらい少ない。ワクチン(接種)も進んで、感染対策を厳しくやっているので、環境はそろっている」と説明。国際オリンピック委員会(IOC)に開催を押しつけられたとの見方が出ていることについて「日本は手を挙げて招致してきた。押しつけられるようなことだったらはね返す」と否定した。
ここでは例の「さざ波」論を出しているわけです。しかし、実際問題として、感染者と重症者が増えれば、今の日本の医療体制では対応できなくなることが判明したわけで、それが対応できるように、彼が新たな医療体制を再整備したというわけでは全くない。要するに、そのあたり、何も抜本的な改善策は講じていないのです(彼には医師会を従わせる力などない)。空港検疫がザルだったこともよく知られている。おとなしい日本人は協力的なので、一時は自粛要請もよく守られ、拡大が抑えられたということはありますが、政府が「感染対策を厳しくやった」と自慢できるようなことはほとんどない。海外からの渡航禁止措置も、全部後手後手だったのです。ゴーツーなんて感染拡大に手を貸すような愚策までやってのけた。それは国民のためではなく、後見人の二階と自分たちのスポンサーのためにすぎなかったのです。よけいなクーポンなど出すより、直接補償した方が窮地に陥った現場の観光業の人たちや飲食店の取り分は多くなったはずだと僕は思いましたが、今も飲食店に先の見えない自粛を求めており、言うことを聞かない奴には銀行から圧力をかけさせるなんて言って脅して(それは西村の独断ではなく、ガースーも承知していたことだとわかっている)、総スカンを食ったのですが、それに対する「補償」なるものもいい加減そのもので、そのあたりきちんと詰めることさえしていないのです(コロナ失業の人たちへの救済策なんて、最近は話題にも出ませんが、そういう人たちの「安全・安心」の方はどうなっているのでしょうか?)。
「国際オリンピック委員会(IOC)に開催を押しつけられたとの見方」には、彼はムッとしたのでしょう。こういうのが「男らしい私」の幻想に酔う彼には一番腹立たしいことで、「『押しつけられるようなことだったらはね返す』と否定」して見せるのです。しかし、事実としては完全な言いなりだったので、日本人を怒らせた会長のバッハや古参委員の暴言に彼が苦言を呈したというような話は聞いたことがない。完全に舐められているのですが、にもかかわらず、「それは私が望んだからだ」ということにして、話をここでもすり替えるのです。
国内では開催に懐疑的な声が多いことについては、競技が始まって国民がテレビで観戦すれば考えも変わる、と自信を示した。首相自身は大学生時代にやっていた空手のテレビ観戦を楽しみにしていると語ったという。インタビューは20日、首相官邸で行われた。
これが記事の最後の段落ですが、「競技が始まって国民がテレビで観戦すれば考えも変わる、と自信を示した」というのは、愚かな国民はマスコミや野党に煽られて反対しただけなので、実際にオリンピックの競技を見せてやりさえすれば、連中はすぐそれに夢中になって、前のことはすっかり忘れ、「やっぱりやってもらってよかった!」と感涙にむせぶと、ガースーは考えているということです。私たちが間違っていました、感動をありがとう! そうすれば支持率もすぐ戻すと。すぐれた政治家というのはつねに最悪の事態も想定して事にとりかかるものですが、ガースーには五輪がコロナ変異株の国際展覧会、スーパースプレッダーになりうるというような“ネガティブ”な予想は決して思い浮かばず、競技はつつがなく進行して、感染者はほとんど出ず、今ワクチンを打ちまくっているから、東京の感染者も減る一方になるだろうと楽観するのです(最近の東京の感染者の激増ぶりは、あれは何なのかと思いますが、なに、あんなものはすぐに減るから、心配いらないのです。これまでその種の希望的観測に基づく「政府予想」は外れまくったとは言え)。パラリンピックの方はぜひ「有観客」で開催したいというのが、今の「総理の意向」なのだという。
最後のガースーの空手云々は、何かにつけ彼はよくこの話を持ち出すようですが、これまた「強い男」の間接アピールです。そんな話、聞いたこともありませんが、当時のホーセーではさぞや有名だったのでしょうね。どうせなら、五輪の競技会に黒帯締めて特別出演して、演武でも披露してみたらどうですかね。拳や足を突き出すたびにカーッ!なんてやったら、その男らしい姿にしびれて、支持率が一気に上がるかもしれませんよ。ぜひそうなさってはいかがでしょう。愚かな日本人は、そういうことでコロッと評価が変わるかもしれないので、ものは試しですよ。
以上です。われわれは素晴らしい総理大臣をもった。どんなことでも自分に都合よく解釈できるというのは稀有の才能で、国民の大多数はあまりのことに唖然として、反論する気力さえ失ってしまうのです。総理は五輪の大成功と、次の総選挙での自民の大勝を確信しておられる! それだけは確かなことです。愚かな国民は必ずやこのマッチョな総理と自民に熱い拍手を送るようになるのです。
彼はギャンブラーだと失礼なことを言う向きもあります。ギャンブラーもプロなら、リスクヘッジをちゃんとやって、トータルでは勝てるよう計算しているのですが、素人ギャンブラーの場合、十回に一回しか勝てず、にもかかわらず、そのたった一回の勝ちのことだけ憶えていて他は忘れ、そのうち破産してしまうのですが、一国の総理がこの後者だった場合、負債は全部国民が支払わせられるのです(彼自身は豊かな議員歳費と、引退後も潤沢な議員年金に守られる)。人の言うことを全く聞かず、独善的な妄想に衝き動かされて、冷静な現実判断能力もまるでないというのが彼らの特徴ですが、これまでの彼の行動を見ているかぎり、共通点がありすぎるように思えるのですが、こういうのはたんなる僕の偏見にすぎないのでしょうね。まさか落ち目とはいえ、かつて経済大国と呼ばれた国の総理がそこまでお粗末な人間だなんて、あり得ませんから…。
スポンサーサイト