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酒井嘉和氏からのUFO問題に関するメール

2021.07.05(14:58) 844

 前にここでも一度ご紹介したことのある、『聖中心伝-肥田春充の生涯と強健術』の著者、酒井嘉和さんから次のような長文の懇切なメールを頂戴しました。一読、僕なんかよりこの人の方がはるかに年季が入っていて詳しいなと舌を巻いたのですが、これは僕が読むだけでは勿体ないなと思える周到で内容のある議論なので、ご本人の許可を得て、ここに転載させてもらうことにしました(段落分けだけ、少しいじらせてもらい、一部文意が少しわかりにくいかなというところだけカッコで補いました。ご本人は不十分なものだと謙遜しておられますが、この現象は未知であり、一筋縄ではいかないものなので、謎が残るのはあたりまえの話です。この問題に関心のある人には示唆に富む見解であろうと、僕は思います)。

 僕の方からひとこと付け加えさせてもらうと、中に「アブダクションを引き起こしている存在は、必ずしも異星から来たエイリアンであるとする必要はないのではないか」として、「アブダクション事件そのものは体験者の証言以外の物的証拠が弱く、むしろ世界各地に伝わる『異界探訪伝説』、『異類婚姻譚』に酷似しています」というあたり、ほとんど同じようなことを言っている人たちがいて、僕が知るかぎりでは、それはパトリック・ハーパーと、バーナード・カストロプですが(だからそこはマックに対して批判的なスタンスになる)、どちらも日本の読書界には全く紹介されていない人たちなので、酒井さんは独立して考えて類似の結論にいたったのだろうと思います。カストロプはコンピューター科学と哲学の二つの博士号をもっている人ですが、後半の議論なども、彼と目の付け所がよく似ているなと思ったので、そのあたりも非常に興味深く思われました(僕は依然として、その具体性とやたらメカニックな外観などからして、「UFOは宇宙人の乗り物」説――その宇宙人が別宇宙から来たものだとする可能性も含めて――が一番合理的だろうと考えますが、マック本のアブダクション話には、上記の説明の方がぴったりくる事例がたしかに多いように思われます)。


拝啓 様々な意味で人災とも言えるコロナ禍が続く中、大野先生におかれましてはご健勝のことと存じます。

 遅くなりましたが、『エイリアンアブダクションの深層 意識の変容と霊性の進化に向けて』の出版おめでとうございます。訳も的確でわかりやすく、注なども丁寧に入り、大変読みやすく神経の行き届いた本であると感じました。ここまでの大作を仕上げるのには、多くのご苦労があったものと拝察致します。

 アマゾンで予約して、早速拝読させていただいたのですが、感想が遅くなり申し訳ございません。

 実は、UFO問題に関しては私も長きにわたり考察してきました。肥田式のようなものなどを追求して行く上では避けて通ることの出来ない問題だからです。しかし、肥田春充の本の出版のため、しばらくこの問題とも離れていたので、大野先生の出版を機にUFO問題を今一度洗い直そうと思い、本棚からUFO関連の本を引っ張り出し(その中には、マック教授の『アブダクション 宇宙に連れ去られた13人』も、批判されているスーザン・A・クランシーの本もありました)、UFO関連の肯定本、否定本などに目を通して情報をアップデートし、考えをまとめていましたので時間がかかりメールをお送りするのが今頃になってしまいました。申し訳ありません。

 以下ざっくりと、私の考えを述べさせていただきます。

 UFO問題は、物質的なものと非物質的なものが混雑してある意味カオス的な様相を呈しているのが特徴だと思います。特に、アブダクション問題ではその点が最も濃く現れています。大野先生の訳された『エイリアンアブダクションの深層 意識の変容と霊性の進化に向けて』においても物質的なものと非物質的なものの境界は非常に曖昧模糊としたものになります。

 しかし、マック博士はアブダクティの証言を慎重に精査し、出来るだけ虚偽記憶などのノイズを取り除いた状態で体験談を引き出しています。その調査の方法が客観的であり、証言者の報告が偽証、夢想でないとすれば、確かにそこには何かが起こっていたことは間違いないと思われます。

 ただし、物的証拠が非常に弱いのがこの手の報告の最も弱い所だと思います。壁を通り抜けるなどの異常現象が起こっているにもかかわらず、それらを証明し裏付ける物的証拠、第三者の目撃が非常に少ないかあいまいで、それらが懐疑論者に虚偽記憶、夢、想像上の体験であると反論される大きな要因となっています。

 その点「生まれ変わり」は、前世の記憶と過去の記録との照合、一致という客観的証拠があるのが強みであり、そこがUFOアブダクション事件との大きな相違だと考えます。

 さて、マック教授はこのアブダクション事件を、宇宙のいずれかの星よりUFOに乗って飛来した、いわゆる異星人(エイリアン)によって行われ、そのエイリアンもUFOも物質と非物質的境界があいまいな存在であるとしています。

 この問題は一旦、起きている事件そのものと、事件を起こしている人類とは明らかに異質な異類、その乗り物とされているUFO、の三つに分けて考えてみると本質が見えてくるのではないかと思います。

 まず、アブダクション事件そのものについて考察してみます。

 私は、この現象は昔から語り伝えられている「神隠し」、「天狗隠し」、「妖精誘拐譚」などのいわゆる「異界探訪伝説」、「神」「天女」や「妖怪」「幽霊」などと結婚する「異類婚姻譚」に驚くほど似ていると考えます。どの話も、主に小さな異類が物質と空間の障害をものともせず、人を誘拐して様々な場所や景色を見せたり、竜宮城や隠れ里、天界などにつれて行きもてなしたり、悪戯をしたり結婚したりし、誘拐された人物が現実界に戻ると、異界で過ごした時間以上に時が経過しているというもので、UFOアブダクション事件の要素とほとんど一致します。

 次に、アブダクションを起こしている異類について考えてみます。

 彼等は、この世界とは異質な別の世界から来ていることは確かですが、いくつかの例を除いて異星から来たかどうかも定かではないという点も注目する必要があると考えます。つまり、アブダクションを引き起こしている存在は、必ずしも異星から来たエイリアンであるとする必要はないのではないかと思うのです。

 そう考える一つの理由は、この異類の非物質的なありようです。それを、異星人のテクノロジーは人類よりはるかに進んでいるからそう見えると説明することもできるのですが、そうしますと、反証不能の何でもありになってしまうので一旦この考えは置いておきたいと思います。

 また、アメリカの天文学者フランク・ドレイク(1930~)の提唱した「ドレイクの方程式」や、最近の天体観測で明らかにされた文明を持つ可能性のある天体は非常に多い(太陽系外惑星のうちハビタブルゾーン内に存在する地球型惑星は、銀河系内だけでも数百億個程度存在)にもかかわらず、SETIや太陽系の惑星、小惑星探査などにおいて、現在にいたるまでUFOとエイリアン目撃譚以外の物質的な「知的生命」の痕跡が一つも発見されていない、いわゆる「フェルミのパラドックス」問題もあわせて考えると、アブダクション事件において人類が接触している異類は果たして物質的な星から来訪した知的生命体と考えてよいものなのか疑問が残ります。

 それでは、この異類をどのように考えたらよいのかは、次のUFOそのものを考察してから見ていきたいと思います。続いてUFOそのものについて考えてみます。

 いわゆるUFO目撃は、エイリアンとセットで目撃されることもありますが、それ単独だけの場合も多数あり、特にUFO単独の目撃例は写真、ビデオ、レーダーなどの客観的な記録が残るという点からもそれが明らかに物質的存在であるという点が注目されます。

 最近アメリカ国防総省が、アメリカ海軍パイロット撮影のUFO(最近ではUAP:Unidentified Aerial Phenomenaと表記されますが)ビデオを3本公表しましたが、そこに写っているのはまぎれもなく物質的な飛行物体であり、それは肉眼、赤外線カメラ、航空母艦プリンストンのレーダーによって同時に確認、記録されているという点でも客観的証拠能力の高い非常に興味深いものです。

 目撃したパイロット達は、アメリカの報道番組『60ミニッツ』において、この時防衛手段が何も無い無力感に襲われたと語っていますが、そこには圧倒的な飛行性能の差と、物質的で知的な何かにコントロールされた飛行体が存在していたことを裏付けています。

 帰投した彼等パイロットを航空母艦の同僚達は、頭ごなしに否定したり、パニックに陥ったりすることなく、逆に非常に気の毒がり、『メン・イン・ブラック』や『インデペンデンスデイ』を艦内放送したりしてネタにしたそうですが、このような反応はいかにも『未知との遭遇』や『スター・ウォーズ』シリーズで育ってきた現代アメリカのX世代、Y世代を思わせるものです。

 このUFO(UAP)目撃記録が今考察している、アブダクション問題の突破口になるのではないかと考えます。

 これまで見てきましたように、アブダクション事件そのものは体験者の証言以外の物的証拠が弱く、むしろ世界各地に伝わる「異界探訪伝説」、「異類婚姻譚」に酷似しています。

 そして、アブダクションを行う異類についてもそれを行っている写真やビデオなどの物的証拠はなく、体験者の体験談以外には身体に残ったインプラントの傷跡などしかないという物的証拠が弱過ぎるのが難点です。しかも、その存在が壁を通り抜ける、動物などに変身するなどの物質的、非物質的な境界があいまいな異常現象を起こしていながら、それを裏付ける客観的証拠がないのも懐疑論者から突っ込まれる弱みです。

 また、異星からやって来たという証拠も、一部のエイリアンが星からやって来たと証言している〔だけなの〕か、異星からやって来たという伝説がある〔のをそのまま受け入れているにすぎないのか〕など、地球外生命体である積極的証拠が少ないのも残念な点です。むしろ、マック博士も指摘しているように霊的存在と境界があいまいになっているなど、ここに現れているエイリアン達は、異星からやって来た生命体なのかそれとも別の何者かよくわからなくなってきています。

 しかし、UFO(UAP)のビデオのような目撃記録そのものは、客観的証拠として充分に通用する説得力のあるものです。

 こうした点が、6月25日に発表されたアメリカ国防総省の「UAPは物理的に存在する」としながらも、「宇宙人の乗り物」だという証拠は「見つかっていない」という、一見矛盾したように見える報告になったものと思われます。

 このUFO(UAP)目撃には、興味深い側面があります。

 それは、実用に耐える飛行船の試験飛行が行われる1901年より前の1896年11月~97年4月にかけて、カリフォルニアからアメリカ中西部上空に「謎の飛行船」が多数目撃され、その後1903年から翌年、1909年および1912年~13年にはイギリス上空でやはり「謎の飛行船」が目撃されドイツの飛行船ではないかと一大パニックを起こした事例です。その他にも、ヨーロッパ、カナダ、日本、ニュージーランド、南アフリカでも同様の「謎の飛行船」が目撃されています。

 また、1933年~37年にかけてはスカンジナビア半島では「幽霊飛行機」や「幽霊飛行士」が目撃され、1940年代には「謎のロケット」がスウェーデンをはじめとしてヨーロッパ各地で目撃されています。そして第二次世界大戦中には、「フーファイター」と呼ばれる光り輝く球体が連合軍、ドイツ軍両軍の戦闘機乗務員に多数目撃されています。

 これらの目撃談に共通しているのは、人類のテクノロジーが飛行船からロケットに発達するにつれ、それに少し先んじて飛行船やロケットをかたどった謎の物体が空に目撃される〔ようになっている〕ということです。

 先ほど、アブダクション事件が「異界訪問譚」、「異類婚姻譚」に酷似しているということを話しましたが、それら古今東西の伝承、神話でも光や空飛ぶ物体を目撃した話は多数あります。たとえば、天狗はもともと空を飛ぶ火の玉のことであることはご存じだと思いますが、このように人類は古来より空に何かを目撃し異質な存在の訪問を体験して、それらを歴史的、社会的、文化的背景によって解釈したものが、妖怪、妖精、飛行船からロケットを経て空飛ぶ円盤へと変遷していったものと考えられます。

 これではユングのUFO無意識投影説になってしまいますが、無意識の投影ではレーダーに写ったり、ビデオに撮られたり、アブダクションを起こすなどの客観的で物理的なことは不可能です。

 そこには物理的で客観性を備えた、“あるモノ”が実在するのではないかと私は考えます。そしてその“あるモノ”がUFOやエイリアンの正体であり、それらを認識するカラクリは、「人間の現実認識の限界」にあるのではないかと考えます。

 基本的に人間の認識する現実は、五感を通して認識出来る世界から脳内で再構成された一種のイリュージョンです。しかも、五感は地球において生き残り、子孫を残すという目的に特化しチューニングされているので、幅広い周波数帯を備える太陽光線のごく一部、幅広い振動数を持つ音波のごく一部のみを受信するように出来ています。同様の限定性は、他の感覚についても同様です。

 つまり、五感でごく限定的に受信された情報を、さらに脳内で取捨選択した上で再構成されたイリュージョンが私達が認識し、現実だと思い込んでいる世界であり、私達は現実そのものをありのままに認識している訳ではなく、我々の認識している世界は、おそらく現実そのものの世界のものすごく限定されたほんのごく一部に過ぎないと考えられます。

 そこには、広大な世界が広がっているにもかかわらず、生き残り、子孫を残すと言う目的には不要なためそのほとんどの情報を切り捨てた上に、脳内で再構成された世界に我々は住んでいるのでしょう。

 喩えれば、パソコン本体のハードと、プログラムコードを一から理解していなくても、画面に表示されるアイコンを選択するだけでワープロも、映像鑑賞も出来るようなものに近いと思います。我々は、パソコンの本来の言語である0と1が並ぶマシン語を理解しなくても、アプリケーションソフトが自動的にそれを再構成してくれるので、文字を読み書きし、画像を加工することができます。しかし、そのアイコンや文字、映像などの背景には、膨大な計算を行っている半導体素子が複雑な回路を構成し、その中でプログラムコードが高速で走っている文字や映像とは似ても似つかない現実があるのですが、それらについて我々は意識することすらありません。

 同様に、我々の認識は自動的かつ反射的に、ありのままの現実世界を取捨選択し、脳内で世界を再構築するのでしょう。恐らく、ありのままの現実世界には空間も時間もないと考えられます。時空間はあくまで、我々が世界を認識するためにあるがままの現実から再構成したイリュージョンに過ぎないことは、相対性理論と量子力学から現在では明らかです。

 そしてこの2つの理論が明らかにしたありのままの現実は(それでも一部です)、我々が認識する世界と大きく異なっています。それは、コンピュータープログラムと良く似た、数学的記述によって著され、時間と空間は一体となり、時間にも空間にも方向性はなく、粒子性と波動性の区別もありません。

 恐らくこのあるがままの現実を五感の取捨選択、脳内の再構成を通さず直接認識したとしても、アクセスした瞬間情報量の多さに認識作用がフリーズしてしまうと思います。

 そして、この広大なあるがままの現実世界の一部が、我々の認識作用にアクセスしたのが、UFO(UAP)とエイリアンとして認識される異類、“あるモノ”なのではないかと私は考えます。

 彼等は、現実として存在はするのでしょう。しかし、我々の認識自体が非常に限定されたものなのでその存在すら認識していない。そして、それらが私達にアクセスしてきた時、ちょうどアプリケーションソフトがプログラムコードを認識できない時に、文字化けするようにそれは、我々の既存の認識コードでは認識できないので、歴史的、社会的、文化的コンテクストを利用して、飛行船やロケット、UFO、妖怪、妖精、エイリアンなどの文字化けした情報として認識、解釈するのではないかと考えます。

 同様に我々は、世界を三次元の空間と一方向に流れる時間という限定された状態でしか認識できないため、そこからはみ出る情報は、非物質的に壁を通過する、瞬間移動するなどの認識を持つものと考えます。

 しかし、我々の認識できる空間にそれらの“あるモノ”が侵入してきた場合には、その“あるモノ”の情報の一部は、空間的にも時間的にも物理的にも存在はする訳で、それが物質的にレーダーにも反応し、ビデオにも撮影されることになるのではないのでしょうか。

 このような、広大で複雑な現実世界を認識出来ない「人間の現実認識の限界」が、人間の認識外にある存在にアクセスした時、バグを起こして認識可能な形に文字化けさせた存在がUFO(UPA)でありエイリアンなのだと考えます。

 以上、非常にざっくりと、UFO(UPA)とエイリアンアブダクションについて考察してきましたが、あまりにも乱雑な考察であり、まだまだ考えが足りない部分、根拠薄弱な空想のような部分が多々あるかとは存じますが、どうかご笑覧、御判読いただけましたら幸いです。

 これらの考察には主に以下の文献を参考にしました。私の説明の足りない部分、理解の至らない部分はこれらの文献で補って頂けましたら助かります。

・『アブダクション 宇宙に連れ去られた13人』ジョン・E・マック ココロ

・『エイリアンの夜明け』コリン・ウィルソン著 南山宏訳 角川春樹事務所
肯定派の重鎮、コリン・ウィルソンが『アブダクション 宇宙に連れ去られた13人』について様々な考察をしている点は参考になりました。

・『悪霊にさいなまれる世界』上、下 カール・セーガン著 青木薫訳 早川書房
マック博士の友人でもあるセーガン博士が、懐疑派としてこの本の第六章から第十章にかけてUFOとアブダクションについて論じている箇所を主に参照しました。

・『人はなぜ異星人を追い求めるのか』ジョエル・アカンバーグ著 皆神龍太郎監修 村上和久訳 太田出版
ワシントン・ポスト記者が、カール・セーガンの足跡をたどりながら、肯定派、否定派それぞれの人々にインタビューし、UFOカルトにまで潜入して両論を公平に客観的に取材しているので大変参考になりました。

・『定本 何かが空を飛んでいる』稲生平太郎著 国書刊行会刊
UFOアブダクション事件と「妖精譚」の類似、ポップカルチャー、スピリチュアリズムなどとの関係、20年前に書かれた本で少々品のない文章ですが、以上の斬新な視点は参考になりました。

・『世界はありのまま見ることができない』ドナルド・ホフマン著 高橋洋訳 青土社
人間の認知が生存のために特化して、決して世界をありのまま認識しているのではないことを様々な視点から論じ、時空そのものの認識も人間の一種の錯覚であるとしている点は非常に興味深く感じました。

・『数学的な宇宙』マックス・テグマーク 谷本真幸訳 講談社
実在とは何かを相対性理論、量子力学の多世界解釈を中心に、そこから引き出されるレベルⅠからレベルⅣまでの凄まじいまでの広大な多宇宙と、最大スケールの世界と最小スケールの世界は究極的には数学的構造で成り立っているという実在について深く考えさせられた本です。

 まだまだ、参考文献も書きたいことも多々ございますが、あまりにも雑然と長くなってしまいましたので、この辺で終わりにしたいと存じます。

 コロナだけでなく、先日の熱海の大規模土石流(どうやらメガソーラーの乱開発が原因のようですが)のようにいよいよ世の中が明らかに人為的におかしくなりつつありますが、大野先生におかれましてはどうかご自愛下さいますよう願います。

 次回の、『祝子川通信』、楽しみにしております。
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