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今や国民病となった「うつ」の治し方

2021.06.02(19:12) 836

 今の日本で明るい話題と言えば、大谷翔平選手のアメリカ大リーグでの破格の大活躍と、大坂なおみ選手の快進撃ぐらいでしたが、大坂選手は最近様子がおかしいなと思っていたら、実はうつに苦しめられていた、という話です。

大坂選手、全仏から棄権表明 2018年からうつ病に

 今は「コロナうつ」という言葉があるくらいで、いつまで続くともしれない緊急事態宣言による規制+自粛要請と、菅政権の順序が逆の「五輪開催強行のためのコロナ対策」の迷走に対するイライラなど、ストレスの材料ばかりで、今や日本人の大半がうつ傾向にあると思われます。この他にも、明瞭に意識化されないまでも、いずれ確実に起こるとされる大地震や、地球温暖化に伴う異常気象の頻発や予想される不測の事態、コロナでさらに悪化した慢性不況の先行きに対する不安などもある。集合的無意識レベルでも不安や葛藤の圧は強まるばかりなので、うつ要因には事欠かないのです。

 それに加えて、前回ここに書いた、無用な課外や大量の宿題で疲労困憊状態に追い込まれる高校生たちの話のような、個別事案があちこちに転がっているのです。何だか知らないが、緊張や不安、疲労、イライラの材料が増えるばかりになっている。

 大坂なおみ選手について言えば、トップアスリート特有の高いパフォーマンスを期待される重圧がつねにあった上に、元々内向的かつ繊細で、おかしな質問までされる記者会見の類は苦手だった。うつが募るにつれなおさらそれが苦痛になっていたわけですが、そうした個人的事情は知られていなかったので、会見拒否をして批判され、規則で罰金を課され、今後出場停止の処分が下される可能性もあるという脅しまで受ける羽目になった。彼女にかぎらず、この社会では個人の内面とは無関係に外部から要求されることがつねにたくさんあって、それに従わないとたちまちバッシングの嵐にさらされ、今の時代はとくにそれが甚だしい感じですが、それがまたうつに苦しむ人に追い打ちをかける結果になるのです。

 今回彼女はそれをはっきり口に出して言い、しばらくコートを離れて休養を取ると宣言したわけですが、こういうのはよほど勇気がなければできないことです。たいていは倒れてしまうところまで無理をし続けて、そのときは事態は深刻になりすぎているから、最悪の場合、自殺に追い込まれる。そうでなくても再起するのは大変になってしまうのです。

 僕もうつに苦しめられた経験がありますが、あれはかなり恐ろしいもので、何より恐ろしいのはどこからも力が出てこなくなるということです。また、うつ的な傾向が高まっているときにかぎって精神的な打撃になるようなことがいくつも起きるもので、何か自分を叩き潰そうとしている見えない巨大な悪意が作用しているようにさえ感じられる。その場合、元気なときのように跳ね返す力も失っているから、殴られっぱなしのボクサーみたいになってしまうのです。

 当然そうなると、生活上要求されるあれこれの要請にも応えられなくなって、他の人たちにはそんなことはわからないものだから、「何をやってる!」とか、あれこれ非難されるもので、見た目にも鼻っ柱が強く、「あいつだけは殺しても死なない」なんて言われていた人間の場合、なおさらそうなりやすい(このタイプの人は同情されるより非難される方がマシだと思って黙っていることが多い)。そうしてたいていの場合、仕事にも支障が出たり、やめざるを得なくなったりする(そういうときはそれが直接の原因でなくてもそれまであった仕事の契約が解除されたりといったことも起きやすい)から、経済的にも事態はどんどん悪化して、二進も三進も行かないところまで追い込まれてしまうのです。

 だから、経済的理由の自殺などにもうつが大きく関与していることが多いはずで、経済的困難がうつを発症させるということはむろんありますが、うつで現実にうまく対処できないようになっているから、ずるずると経済的にも追い込まれてしまう、ということになりやすいのです。悪化のきっかけになった最初の対応にうつがすでに関与していて、その後も下手な対応を重ねて事態を悪化させるのです。そういうときは、自分に鞭打って転職活動に励んだりしても、うまく行かないことが多いでしょう。条件もぴったりのいいところがやっと見つかったと思って喜んだら、そこが最悪の人間関係の職場だったとか、うつの人はなぜだかそういうところをえらんでしまうのです。

「下手の考え休むに似たり」と言いますが、うつ状態の頭でいくら考えてもいいアイディアは出てこないものなので、そういうときは開き直りが一番大事です。周りの人に事情を説明して、「ちょっと待ってくれ。今自分はこれこれこういう状態にあって、ウルトラマンの胸のランプがピコピコ点滅しているような状態だから、使い物にならないのでしばらく休ませてくれ」と言って、気分転換に全く違ったことをしたりなどする。そうすれば、周りも事情が分からないままとやかく言ったりはしなくなるでしょう。

 しかし、うつの人にはそれもうっとうしく、大きな負担に感じられて、そのまま一人で問題を抱え込んでしまうので、事態を一層悪化させてしまうことが多いのです(僕もそうでしたが)。結局、それでは傷口を広げて後々よけい人に迷惑をかけてしまうことになるので、大坂なおみ選手のあれはいいお手本になるでしょう。だから「なおみ方式」は推しです。

 しかし、うつが治らなかったらどうしようという不安はそのときもあるでしょう。これも「なるようになるさ」と開き直ってしまうのがいいので、うつが根付いてしまうのは悶々として、葛藤がずっと続くからです。でなければいずれ元気は回復する。真面目な人ほど治りにくいのは、「いつまでこんなことはしていられない」という焦りや罪悪感が強く働くからで、怪我をしたとき、傷口を気にして何度も見たりしていると治りが遅くなるのと同じで、取り越し苦労がかえって回復を遅らせるのです。

 むろん、何か特定できる理由がある場合は、その問題を意識化して、それに伴う感情的もつれを解消しておく必要はあるでしょう。その理由は人によって様々で、それまで自分では意識していなかったが無理を重ねすぎたとか、何か深刻なトラウマになるような事件があったとか、いわゆるミッドライフ・クライシス(中年危機)などの場合、意識ではその自覚がないが、それまでの生き方が本当は行き詰まっていて、それを大きく転換しろという深い内面からの促しが関係しているとか、子供や若者の場合、それまでは親や教師の言うことを聞く「よい子」で、その期待に沿うよう一生懸命頑張ってきたが、自分の正直な思いは犠牲になっていて、それが限界に達していることのシグナルだとか、色々ありえます。

 僕自身はある程度心理学や精神病理学方面の知識はあったので、精神科医やセラピストのところに行っても言われることは大体わかっていると思って、自己治療をあれこれ試みたのですが、それで軽減した面はかなりあったとしても、これという決め手になるような原因は発見できませんでした。たぶん一番大きかったのは、それを僕は「内なる世間」と呼んでいるのですが、周りからは好き勝手やってきたように見えても、それがまだ頑固に自分の中に居座っていて、それが妨害になって思い切ったことが十分にできていなかったということの発見でした。

 それで、極限まで行った末に破れかぶれになり、関大徹というお坊さんの書いた『食えなんだら食うな』という面白い本がありましたが、あの伝で、やりたいことをやって飢えて死ぬならそれは結構なことなので、今後は結果を思い煩うことなく、したいことをしてやろうと思ったら、外部環境は最悪でしたが、心境に変化が生じたのです。

 人にはそれぞれ置かれた立場というものがあります。学生でも、サラリーマンでも、自営業者でも、子育て奮闘中の主婦でも、やらなければならないこと、責務と感じられることがあって、最低限の義務も果たせないようでは生きている価値はないと感じて、その自責の念がよけい苦しさを募らせるのです。

 文明というのは便利なものですが、反面、それは人を十重二十重(とえはたえ)の拘束の中に置くものでもあって、辺境に住む、昔ながらの狩猟採集民的な生活を送っている少数民族などを調査すると、皆明るくて、精神病やうつなどは皆無であることが知られています。統合失調症のような深刻な精神疾患ですら、文明病であることがわかるのです。

 さっき、うつで「何より恐ろしいのはどこからも力が出てこなくなるということ」だと書きましたが、これは「生命力の枯渇」現象だと言ってよいので、なぜそんなことが起きるのでしょう? ヒトは生物であり、生物はこの世界に遍満する生命エネルギーの表現です。個々の生物には当然、旺盛な生命力が備わっているはずですが、うつというのは、本来自分に備わっているはずのそれが感じられなくなってしまうという異常な事態です。

 この宇宙が無機的な物質の寄せ集めの世界ではなく、生命エネルギーに浸されたダイナミックな有機的宇宙だとすれば(僕はそう思っていますが)、それが入ってこなくなるよう内側からブロックしてしまっているから活力が枯渇してしまうわけで、要はそのブロック、障壁がはがれ落ちてしまえばいいのです。

 そのブロックはどうして形成されるのか? 生命力旺盛な小さな子供の場合、まだ自我の鎧をまとっておらず、だから彼らは傷つきやすいのですが、それゆえに天真爛漫で、元気でもあるのです。文明の条件づけによって自我人格が成長し、成長するにつれてその鎧はどんどん厚くなっていって、型にはまりすぎた面白みのないオトナになり、それに伴って生気の乏しいロボットみたいになってしまう。それがこの文明世界では実際に起きていて、うつになるとその生気の欠如は本人にも深刻なものとして自覚されるのですが、それは急に始まったものではなく、臨界点に達したから顕在化しただけなのだとも言えるでしょう。

 おそらくうつ解消の最大のヒントはこのあたりにあるので、手前味噌になるのを承知で言わせてもらうと、この前出したジョン・マックの訳書『エイリアン・アブダクションの深層』の重要なメッセージの一つはそのことで、そこに出てくる北米のシャーマン、セコイア・トゥルーブラッドの言葉に代表されるように、現代人には「自分に再び傷つきやすくなることを許す」ことが必要になっているのです。多くのアブダクション体験者は、エイリアンとの遭遇という異常な事件をきっかけに、自我人格の崩壊というある意味最も恐ろしいことを経験し、そこから全く違った世界観、自己観に到達する。彼らの自我の鎧はそれで剥ぎとられてしまって、ヒリヒリするような「傷つきやすい状態」に置かれ、同時に失われかけていた強い生命感覚が蘇るのです。甲冑をまとったままで生命を感じることはできず、自然と触れ合うこともできない。人との深い心の通じ合いもそれでは不可能なのです。

 そうしたことがエイリアンに遭遇でもしないと可能にならないということは、いかに今の文明社会が病んでいるかの裏返しです。そういう読み方をしてくれた読者がどれくらいいるかは知りませんが、びっくり仰天のエイリアンとの遭遇それ自体より、そちらの方が本質的なものだと著者は感じたわけで、焦点はそうした意識の変容、感受性の変化の方に合わされているのです。

 犬や猫などのペット愛好家たちは、彼ら相手だと自我障壁なしに安心して接することができ、それによって癒される感じがするから、世話などあれこれ面倒なことはあってもペットを飼うのでしょう。心身症の子供たち相手のアニマル・セラピーというのもありますが、あれも原理は同じで、よけいな自意識の妨害なく、心(プシュケ)、生命レベルでの交流がそこでは無理なく行われるから、彼らは元気を取り戻すのです。

 これは、ふだん意識化されていないが、自我意識というものがどれほど今の文明人にとって大きな妨害、桎梏になってるかを物語るものです。それがマックの本に出てくるアブダクティたちが言う「生命は一つ」という感覚の感受を妨げている。いや、そんなことはわかっていると言っても、それは頭の先で考えた観念レベルのものでしかないのです。

 その実感は失われている。それは今の文明社会が総がかりで行なっている「人は個別の実体で、独立した意識主体である」という条件づけの産物です。今はやりの「自己責任論」なども狭小な自我意識を前提としたもので、そんなもので人は道徳的になどなるはずはないのですが、それがわからないのはこの前提をいっぺんも疑ってみたことがないからです。

 うつに悩む人も、無意識にこの「自己責任」観念の中でもがいているのです。そして、何とかして自分を立て直さなければならないという思いが、先に言ったブロックを強化して、いっそう生命の枯渇感を募らせるという悪循環に陥るのです。だからその外に出なければならないが、“自分が”そうしなければならないと思ったとたん、それは不可能になるのです。それは禅の公案みたいなものなのです。

 こう書くと、「何だかそれができない自分を責められているような気がする」と言う人がいるかもしれません。今は何を言ってもやたらその種の反応が多いのですが、これはそれ自体がうつメンタリティの特徴なので、だから今はうつが国民病になっていると言ったのです。しかし、それは僕の本意ではない。うつで衰弱しているときに高度な哲学的思考なんかできるはずもないので、ここで言いたいのは、「自分で何とかしなければならない」という思いをいったん捨てなさい、ということです。それは自責感情を強化してしまうだけなので、自分というものを忘れることが大切なのです。

「人の世の中は助け合いだ」と言いますが、それは別の言い方をすれば「迷惑のかけ合いだ」ということです。個々の人が孤立化し、非寛容になってあれこれ非難し合うようになり、非難されまいとして過剰に防衛的になっているのが今の世の中ですが、これは間違いなので、今は親子、家族の間ですら妙に水くさくなって心配させまい、迷惑をかけてはならないと頑張ったりするのです。しかし、家族や友人というのは本来、迷惑をかけるために存在するようなものです。自我意識の垣根が今ほど高くなかった昔は、もっと気楽に迷惑をかけることができた(それで無遠慮にボロクソ言われることはあっても)。うつになって迷惑をかけざるを得なくなったということは、その自我の垣根を越えて人に助けてもらわざるを得なくなったということで、自尊感情は傷つくかもしれませんが、その自尊心は個我意識に基づくもので、もっと広い意識の地平に出るためには、それは乗り越えられねばならないものなのです。エイリアンに誘拐されるのも、うつになるのも、そのきっかけを提供する試練のようなものです。

 だからうつになったときは緊張を解いて、人に助けを求めてよい。何もかも自分で処理し、解決しなければならないと思うことは一種の傲慢です。小さな子供のように、苦しいときは苦しいと正直に言ってよいのです。そうすると、それに応じて助けてくれる人は必ず現れる。その人のことを気にかけ、何としても助けようとする人の愛情が、心の中に流れ込んでくるのです。そのとき、枯渇しかけていた生命力が自分の中に再び蘇ってくることが経験されるでしょう。ブロックが崩れかけているのです。僕もうつで追い込まれてもう駄目かと思ったとき、何人かの人に助けられ、その中には助ける義務など全くないのに惜しみない援助をしてくれた、世間的には赤の他人と言える人もいたのですが、その人は「あなたは自分の力を社会のために使わねばならない」と言いました。そのとき僕はわが身の始末すらできないのに、社会のために使う力など自分のどこにあるのかと奇怪に思いましたが、その人は頑として「ある」と言いました。よくうつの人にうかつに励ましの言葉などかけてはならないと言いますが、事情を知った上で自分が信じてもいない自分の力を信じてくれる人がいるということは、立ち直る際の大きな支えになったのです。

 大坂なおみ選手の場合はスタープレイヤーで、しばらくコートを離れても経済的な心配などはないものの、だからといって楽なわけではないでしょう。18年頃からということは、相当長く続いているので、軽度のものではないはずだからです。しかし、彼女には家族や恋人、理解のある選手仲間、そして多くのファンがいる。引退説もあるようですが、テニスは彼女の天職だろうから、充電すればまた元気になって情熱も蘇り、カムバックできるのではないかと思います。

 僕らふつうの無名人の場合には、無遠慮な好奇の目にはさらされない代わり、うつによる生活面の打撃などはいっそう深刻なものにならざるを得ない。しかし、理解し支えてくれる人が周囲にいてくれたおかげでうつの長いトンネルを抜けて再び活躍できるようになったという人はたくさんいる。それがリセットのいい機会となって、仕事を変えたり、同じ仕事を続ける場合でも、心の持ち方が変化したので、取り組み方がそれ以前とはガラリと変わったということもよく聞く話です。ほとんどの場合、そこにはいい方向への変化がみられる。

 まとまりが今一つで、うつに悩む人の助けになったかどうかはわかりませんが、思うことを書いてみました。
 

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祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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