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学校が変わらない理由

2021.05.31(16:55) 835

 延岡高校は一時、それは段校長の時代ですが、いい方向に改革がかなり進みました。内部に「抵抗勢力」(以前の古いやり方に固執する教員は多い)を抱えている関係で、いきなりは変えられないから、徐々にという考えだったようですが、生徒にゆとりを与える方向に進んで、前と較べて無茶な宿題も減り、生徒たちの表情も明るくなっていたのですが、その退任後は「旧勢力」が盛り返したらしく、今では明確に後退に転じたように見えます。

 だからこれを書かざるを得なくなったわけで、一通り書いて出そうとした矢先(日曜深夜)、11年前に書いた「教育という名の児童虐待:延岡の県立普通科高校の場合」に対する次のような非公開メールが入っていました。非公開だから公開はしてくれるなということでしょうが、これは僕が塾の2年生たちから聞いている話と全く同じで、生徒が特定されるおそれはないと思うので、紹介させてもらいます。

 延岡高校に通っている者です。宿題の量は今も変わりません、多すぎます。また、提出したプリントを提出してもなにがダメなのか分からないまま再提出を要求されます。生徒に何を求めているのか分かりません。
 本当に辞めたい。


 これはかなり深刻ですが、多くの生徒の声を代表しているような文面です。塾の生徒にも体調をすっかり崩してしまった生徒が複数出ているので、だんだんクレイジーになってきているのです。朝課外で早起きを強いられる上に、宿題が半端でなく多く、部活を終えて帰ってからそれをやっていると、平気で深夜の2時とかになってしまう。睡眠時間が3時間とか4時間、長くても5時間というような非人間的な状態になっているのです(おまけに、この文面にあるような「意味不明の再提出要請」なんてものまである)。学校の教師はそれぞれ自分の指導科目のことしか考えていなくて、全体としてそれがどれほどの分量になるか、把握していないのです。それで殺人的な量になってしまうのですが、そういうことが頭に思い浮かばないというのは、それ自体が無責任かつ非人間的なことです。

 先日僕は塾の生徒たち(こちらは3年)から驚くべき話を聞きました。「学校に文句があるのなら、やめればいいんだ」と放言する教師までいて、その教師は顧問をしている部活でも生徒に平気で暴力をふるっているというのです。前者は学校にどんな問題があっても生徒はそれに抗議することは許されず、問答無用で「それなら学校をやめてしまえ」と言う権利が学校と教師の側にあると思っているということであり、後者の生徒に対する常習的な暴力は、表沙汰になれば懲戒免職ものですが、学校はそれを放置しているということです。

 北朝鮮やナチスではあるまいし、どこの国にそんな馬鹿な話があるのかと思いますが、げんにあるのです。県教委にそういう通報があれば、彼らはあわてて学校に確認の電話を入れ、「あのブログに書かれていることは事実ですか?」とたずね、校長や教頭は狼狽して、「聞き取り調査をしてみましたが、そんな事実は確認できませんでした」と答えて一件落着というわけで、こちらが嘘を書いたことにされてしまうのでしょう。こういうのは今までいじめ自殺事件などでも数えきれないくらい繰り返されてきたことで、最後には第三者委員会というものが設けられて調査し、学校の姑息な隠蔽が発覚するのです。時すでに遅し…ですが。

 今、毎日新聞の一宮俊介記者(延岡高校OB)が取材を始めていて、宮崎県の県立普通科高校の問題、とくにあの悪名高い朝課外について詳しい記事を書いてくれるだろうと僕は期待しているのですが、その参考に供するため、僕が知っている延岡高校の課外の現状についてまとめておきます(延岡星雲高校はすでに朝課外を廃止した)。

①課外については「受講する・しない」を生徒が選択できるようになった。初めは「不受講届」なるものを出すかたちにして、あえてそれを出すのは勇気がいるので、「姑息なやり方だ」と批判されると、「受講・不受講いずれかに○」の形式に変えたのですが、最初の不受講届のときは二人だけ、それを出した生徒(どちらも女子)が3年生にいた。学校はすると、彼らを呼び出して翻意するよう「説得」という圧力をかけた。これは僕が直接その生徒の一人から聞いたことでたしかな話です(学校側は県教委の聴き取りに対してそれを否定したという話を聞いたことがありますが、それは嘘だということです)。

②3年生は部活引退後、夕課外が始まるので、課外は朝夕二つになるが、大多数の生徒が「夕課外はいいが、朝課外はいらない」と考えている。しかし、その選択肢はない。前にその選択も可能にするべきだと書いたことがありますが、これを可能にすると、朝課外の受講者が激減し、先生に出す課外手当(学校によっても違うようですが時給1600~2000円の範囲)が出せなくなったり、何より朝課外が不成立になることを恐れているからなのでしょう。課外費の徴収が複雑になるなどというのは言い訳にすぎない。その場合は半額か三分の二にするなど、あらかじめ決めておけば足りるからです。

③尚、1・2年は季節課外の類は除き、朝課外だけですが、クラスで差はあるものの、不受講は各クラス二、三人にとどまっている(今はそれに対して受講を強要することは行われていない)ようで、それが多すぎる宿題とも相まって上に見たような深刻な慢性睡眠不足の原因になっている。嫌がっているにもかかわらず、受講を選択する生徒が多いのは、課外の時間に平常授業の続きをやる教師もいるからだそうです(言うまでもなく、これは違法です)。

④現生徒会長は全生徒にアンケートをとるつもりで校長と交渉しているが、校長はそれを渋っている。来年から再検討の予定だから見合わせてくれと言うだけで、明確な反対の理由は示されていない。それで朝課外を支持しない生徒が大多数になると、学校側が窮地に陥るからだとしか思えない。そもそもの話、学校が生徒会のこの種のアンケートまで制止できる権限をもっているということ自体、著しく非民主的なことで、理解しかねる話です。


 以上が課外についての現状ですが、こういう学校はブラックなので、公教育の名においてこのようなことが行われているのは嘆くべきことで、「知性、心身の健全な発達」を妨害しているとしか思えず、「自治・信愛」を学校のモットーに掲げながら、生徒を信頼し、その自主性を尊重しているとも思えない。健康に深刻な害(その悪影響が成人後表われることも少なくないというのが医学的知見)になるだけでなく、生徒を慢性睡眠不足にして学力が伸びるはずもなく、寝不足の頭では授業にも集中できない。宿題に関しても、先に見た通りで、教師は自分の指導科目のことしか考えておらず、生徒にどれほど過大な負担がかかっているか、把握していないのです。

 それでも昔と大きく違うのは、今は生徒側に選択権が与えられていることで、僕が保護者なら、それはよかった、不受講にマルをつけて出せ、とわが子に言うだろうし、自分が生徒なら、嬉々としてそちらに印をつけて出すだろうと思います。朝課外で平常授業の続きをやる先生もいるから出ないと授業がわからなくなるということなら、それは学校が実質的に受講を強制しているのと同じで、率直に言えば犯罪的です。それを学校が黙認しているというのなら、校長の責任は免れない。

 もう一つ、不受講の選択をためらう理由として、そうすると学校の意向に反することになって、推薦入試で推薦状を書いてもらえなかったり、内申書で不利な扱いを受けるのではないかという心配でしょう。今は国公立でも推薦が増え、延岡高校でも推薦による進学は外部が思っているよりずっと多くなっている(進学実績のそういう内訳は発表していないから多くの人はそれがいかに多いかを知らない)ので、不受講なんか選択すると学校の心証を害して不利な扱いを受けるのではないかと、よけいな心配をするのです。仮にそんなことがあったとすれば、それは不法なことなので、学校側もその辺は理解しているからそれは杞憂だろうと思いますが、一般の生徒や保護者はそういう余計な忖度までするのです(ちなみに、「敵性塾」視されているはずのうちの塾の生徒にも推薦で国公立を受験した生徒はこれまでたくさんいますが、けしからん塾に通っているからという理由で不利益な扱いを受けた者は一人もおらず、その大部分が合格しています。だから課外を受けなくても不当な扱いは受けないはずなので、もしもそういう例があったらメールでお知らせください。県教委に見解を問い質します。ついでに言うと、延岡高校の先生の子供が塾に来ていたこともあって、延岡高校ではそれは稀なことですが、こちらは一般受験で国立医学部に一発合格しました)。

 生徒や保護者も勇気をもってもっと主体的に行動すればいいのではないかと僕は思いますが、この前も塾の3年生男子相手にそういう話をしていると、「めんどくさいんですよ」と彼らは言いました。たとえば、夕課外を受けたいから受講にマルをつけているだけだというのなら、いらない朝課外はサボって、夕課外だけ出るということはできるはずで、課外はあくまで課外なのだから、費用を全部払った上で、必要なものだけ出るのは本来何ら問題はないはずです。それは塾で週二回分の月謝を払って、一回だけ出るというのと同じで、仮に全員そうしてくれれば、僕は週一回の授業で二回分の月謝がとれるというので大喜びするでしょう。ところが学校だと、それは課外であるにもかかわらず、担任に呼び出されて「説諭」されるとか、面倒なことになるのが目に見えているので、それがウザいと彼らは言うのです。統制の好きな日本の学校ではそれは大いにありそうなことですが、生徒を課外と大量の宿題で深刻な慢性睡眠不足に追い込んで、そういう重要な問題には無関心なくせに、どうでもいいところだけヤケに細かいというのは何なのでしょう? 僕には理解不能です。

 企業の労働組合の力が弱くなって労働者の待遇がどんどん悪化してブラック企業が増えたのと同じで、今は学校でも生徒たちの団結力は乏しく、学校が理不尽なことをすると生徒たちが怒って全員で授業ボイコットをするなんてこともできなくなっているのでしょう。課外の場合も、それは僕と同世代か少し上の延岡高校OBの塾生の父親から以前聞いた話ですが、当時課外は強制でしたが、クラス全員でボイコットしてしまい、その年は「課外不成立」になったという話で、「あんなもの、潰そうと思えばかんたんに潰せるんですよ」と言っていました。

 こういうのは僕の世代の人間には感覚的によくわかるので、僕がいた高校(課外なんかはなかった学校ですが)でも、職務熱心な風紀係(今で言う生活指導係)の教師二人が、文化祭当日、生徒が出払っている隙をついて「3年の不良下宿生」の部屋を無断捜索し、大騒ぎになるという事件が起きたことがありました。彼らは勝手に生徒の部屋(当時は鍵なんてものはかかっていなかった)に侵入し、タバコ、酒、シンナー、エロ本等の「不適切な物品」を押収し、動かぬ証拠を突きつけて不良どもを恐れ入らせ、停学または退学処分を下す計画だったのです。盛り上がった文化祭の後、上機嫌で帰ると、下宿のおばさんが飛び出してきて、「私は必死に止めたんだけど、先生たちが勝手に…」と言うので驚いたのですが、何と僕もその標的に含まれていたのです。僕は下宿のおばさんからは絶大な信用を得ていたので、それはおばさんにとっても不可解なことでしたが、2年の頃、問題教師二人をやり込めたり、3年になってからは自分で時間割を作って勝手登校していて、それを真似る連中が続出したりしていたので、そういうことが風紀係の先生たちからすれば「許しがたい非行」と思われたのでしょう。あいにくなことに、僕の部屋からはその種の「不適切物品」は何も発見できず、空振りに終わったのですが、なかにはタバコの類のみならず、大事なカノジョの写真まで没収された生徒もいたのです。

 果たして、翌日学校に行くと、すぐに大騒ぎになった。生徒会の実権はすでに2年に移っていましたが、違法なひどい人権蹂躙だとただちに緊急生徒集会が招集され、全会一致で授業ボイコットが決議され、学校全体が丸1ヶ月、完全な授業不能状態に陥ってしまったのです。不良どもにはもっけの幸いでしたが、学校にとっては悪夢以外の何ものでもなく、二人の風紀係教師は生徒に停学を言い渡すどころか、自分が謝罪を余儀なくされる羽目になったのです(事はそれだけでは済まなかったのですが)。

 脱線したので話を戻して、これは今の生徒たちが大学受験の大きな圧力にさらされていることとも関係するかもしれません。昔と違って、今は一定レベル以上の普通科高校の場合、ほぼ全員が四年制大学進学希望です(先の課外ボイコットのお父さんは高卒だったし、僕も高3の途中まで大学進学は考えていなかった)。それも「一浪と書いて“ひとなみ”と読む」という川柳があった呑気な昔と違って、現役合格しなければと思っている。その大きなプレッシャーの中で高校生活を送り、課外と宿題に追われ、ハードな部活もやっているという状況では、それに対応するのが精いっぱいで、学校相手にあれこれやり合うなんて余分なエネルギーはないのです。逆説的ですが、だからおかしなことがあっても、それに対処する余裕がない。三年間何とか辛抱して、大学入学にこぎつければいいと考えるのです。

 ある保護者から聞いた話では、OB会が朝課外の廃止に反対しているのだそうで、僕が知っている延岡高校のOBにはそんなことを言っている人は一人もいないので、それは学校側が言い訳にそんなことを言っているだけなのではないかという気もしますが、「自分はあれに耐えた。おかげでこんにちの自分がいる」なんてことを言いたがる人は、ブラック部活のOBをはじめ、世間には結構いるものです。これに対しては、そういうのは自分の過去の美化心理から言ってるだけの話で、「あんなものはない方がいい」と思っているOB、OGの方がずっと多いのだと言っておけば足りるでしょう(そういう強制がなければ勉強しなかったなんてのは自分の主体性のなさを宣伝しているようなもので、自慢にも何にもならないことです)。

 だから一番いいのは、学校がさっさと朝課外を廃止することですが、九州地区の公立高校の朝課外はテレビの『マツコ会議』でも取り上げられて、「今でもそんなおかしなことをやっている学校があるのか!」と全国の視聴者に驚きを与え、科学的合理性も全くない(九大は近年、二度にわたって英語入試に「睡眠不足の害」についての英文を出題している)ことだし、他県(たとえば大分)などでは廃止に舵を切ったのですが、宮崎県ではそれがなかなか進まないのです。その頑固さと決断力のなさは五輪の中止が決められない今の菅政権並で、モゴモゴと意味不明のことばかり言っているところも同じです。

 課外で学力が伸びたという証拠もない。健康を犠牲にしてでも学力さえつけばいいとは僕は思いませんが、僕が塾で見てきたことからすれば、学力面でも明らかにマイナスが目立つのです。慢性睡眠不足では頭は働かない。暗記はまだしも、とくに考える、理解する能力は落ち込むので、学習効果が乏しくなるのです。ふつうかそれ以下の生徒の場合、課外や宿題で手いっぱいで、自分で弱いところを復習して補う余裕もなく先に進んでしまうから、いつまでたっても穴だらけで、基礎がちゃんと身につかないまま終わってしまう。達成感もないから、モチベーションも上がらない。一方、よくできる生徒には、退屈な授業や宿題が多すぎる。自分で勝手にやった方が能率が上がって、読書の時間などもとれていいということになるのです。今のセンター改め共通テストの英語の問題などは死ぬほど退屈ですが、二次になると全く問題の性質が違うので、そちらは知的好奇心の強い、考えることが好きな生徒向きで、教科書以外にあれこれ考えたり、本や雑誌を読んでいる生徒に有利なのですが、平板な詰め込み暗記教育を中心としている学校の教育ではそちらには満足に対処できない。だから勝手に勉強させた方がいいので、こういう度の過ぎた管理は、上にも下にも、生徒から無駄に時間とエネルギーを奪うマイナスの側面の方が大きくなるのです。

 教育現場に身を置いていて、どうしてそれがわからないのでしょう? ついでに言うと、最近の大学入試は、少子化の影響もあって、年々楽になっている印象です。東大や京大でも、上の層は変わらなくても下はかなり下がっていると言われますが、それはあくまで東大や京大にしてみれば、という話でしょう。学力低下が目立つのは地方の中堅国立以下の大学で、昔は駅弁でも国立ならどこでもかなりの学力がないと入れないと思われていましたが、今は相当低くても入れるようになっているのです。難しくなったのは医学部ぐらいのもので、体調不良になってダウンを繰り返すような騒ぎをしなくても、ふつうに勉強して基礎固めをしさえすれば、かなりのレベルの大学に入れるのです。だから、その意味でも過剰な課外や宿題で生徒を疲労困憊させるようなことは愚策だということになるので、逆に言えば、そのせいで受かるものまで受からなくなったり、本来入れるところよりレベルを下げた受験を余儀なくされるようになったりするわけで、本末転倒しているのです。

 以上、後は毎日の一宮記者にお任せしたいと思います。連載で掘り下げた記事を書いてくれることを期待しています。


【追記】次はプレジデント・オンライン 6/3 の記事です。これは今の学校関係者たちにも、生徒たちにもぜひ読んでもらいたい記事です。参考になることがたくさんあるはず。

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