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忙しすぎる子供たち~延岡式高校教育を憂う

2011.05.18(18:26) 83

 Cram school(詰め込み学校)と英訳される塾の教師がこんなことまで言わねばならないというのは世も末だなと思わざるを得ないのですが、前回予告の教育問題です。

 僕は前にこの問題について一度書きました。確認してみると、それはちょうど一年ほど前で、2010年6月5日付の「教育という名の児童虐待:延岡の県立普通科高校の場合」がそれです。当時はこのブログを始めて間もない頃で、当該高校の生徒たちや親の間で改革運動でも起きてくれないかなと期待して、わざわざこのために「拍手ボタン」なるものを復活させ(その後用済みと見て削除)、最後にメールアドレスも載せ、ブログ筆者の名前も匿名から本名に改めました。最後のは、そうすれば訳書の関係で全く無名というわけでもないので、それだけ人目に触れる機会も多くなるだろうと思ったからですが、あいにくなことに全然そうはならなかった。自分の名前で検索しても、このブログは影もかたちも見えなかったのです。おかしいなと思って、一度出てくるまでやってみようとクリックを重ねたら、二十八ページ目でやっと出てきた! 本人ですらふつうそんな面倒なことはしないので、他の人がこれでは気づくはずもないなと、ガッカリしました。

 知人によれば、それはタグだの何だのを全然つけていないからだという話でしたが、僕はデジタル機器音痴でそうした方法を知らない上に、小細工が嫌いなので、そのままほっときました。いずれ口コミでこれは地元の多くの人たちが知るところとなり、「子供たちを救え!」という一大ムーブメントに発展するであろうと楽観していたのです。

 ムーブメントどころか、そよ風も起きなかった。「大野さんねえ」と、地元のある人が憐れむような目つきで僕に忠告してくれました。「延岡って土地は、とにかく人が動かないので有名なんですよ。改革とか変革とかいうことは、ここは無縁なんです。そういう土地柄なんですから」と。僕みたいなお行儀の悪い関西人には、とてもそれは理解できないだろうと言うのです。

 たしかにそういう妙なところはあるのかも知れない。これよりだいぶ前に、延岡高校の理数科の一人のクレイジーな英語教師(今は転勤しましたが)が寝る時間もロクになくなりそうな無茶苦茶な量の冬休みの宿題を出したことがあって、その指示の仕方も頭がおかしいのではないかとしか思えないようなものだったので、塾の生徒たちの父母に集まってもらい、対応を協議しました。その際、僕は「抗議文」を作ったのですが、そのとき親の中にPTAの副会長だかと知り合いだという人がいたので、それならPTAの方からこの話を通してもらいましょう、その方が話が早い。それがどれほど理不尽なものであるかは、この文書に具体的に示されているので見てもらえばわかるはずですから、ということになったのですが、少したって、そのPTAの役員からその人に、「これ、やっぱりあなたの方から言ってくれないかしら…」と突き返されてきた、というのです。今どきのPTAというのは学校のたんなる「翼賛機関」にすぎないという話は聞いたことがあったものの、「何ですか、それは?」という感じで、力が脱けました。これにはオマケがあって、冬休み明けの新学期の始業式で、当時の校長は定年間際の硬直しきった権威主義者だったのですが、「地球温暖化が騒がれているが、最近は人間の頭の温暖化も進んでいて、宿題が多すぎるなどというたわけたことを電話で言って寄越す、たるみきった親までいる!」と挨拶したというのです。その宿題の中味を確認したわけでないのは明らかで、クソジジイめ、それならおまえ自身がその宿題をやってみろ!と罵倒する元気のある生徒はいなかったのかと僕は生徒たちに聞きましたが、そんなの、いるはずもなかったのです。親たちからそれに対する抗議があったという話も聞きませんでした。「こりゃ駄目だわ…」と皆さん弱々しく苦笑して、それで終わりだったのです。

 こんなの、僕が高校生の頃なら、親が出てくる以前に、生徒が団結して授業ボイコットに出て、それでいっぺんにカタがついてしまいます。僕自身、生徒をナメた腹の立つ教師と大喧嘩になったことが高校時代二、三度ありましたが、クラスメートたちの暗黙の強い支持にも支えられて“全勝”を誇ったので(機会があればそれを詳しく書くでしょう)、そんなに難しいこととは思えないのですが、生徒たちに聞くと、今の学校というところはおよそそんな雰囲気ではなさそうなのです。
 だから、紳士的に学校に“善処”を求めるしかないわけで、それをここでやろうとしているのです(一年前の記事と重複するところが多くありますが、お読みになっていない人の方が多いと思うので、それは厭わないことにします)。

 前回書いたように、連休中、僕はある人からこのブログにコメントをもらいました。コメント機能を停止してあるのにコメントが届くというのもヘンなら、それが途中から「文字化け」していて読めなくなっているというのも不思議でしたが、「相変わらず」の学校の状態をあらためて印象づけられたので、プライバシーに触れたり、人物特定の材料になりそうな前の部分はカットして、途中から、文字化けして読めなくなっている箇所の直前までを、まずはそのまま引用させていただくことにします。
 大体、どの記事をごらんになってのものかもよくわからないのですが、内容からして上記の2010年6/5の記事に対するものだろうと思われます。先日5/1の田中優氏のビデオを紹介した記事にもいくらか関連する部分があるので、そちらかも知れませんが…。
 ハンドルネームは「だめ親」さんで、タイトルは「納得!」となっています。この春県立延岡高校のメディカルサイエンス科というところにわが子が入学した、というお父さんです(文章のレベルからしても「だめ親」どころではなさそうですが…)

【…(前略)…4月から延高に通っているのですが、先日のPTA総会での親や先生方の盛り上がりに家内がかなり戸惑ったみたいで、私は出席できなかったのですが、家内に話を聞くとやはり少し異常な雰囲気を感じます。宿題の量やペナルティーの科し方など、?????に大野様が書いてあるのが現状のようです。また、今年から理数科からメディカルサイエンス科に名称変更になった事で、余計に先生方が変な張り切り方をしているのでは?と感じてしまいます。家庭での宅習を親にも協力してくれとおっしゃるならば、宿題を出さないかあるいは個人個人に適した課題を添削付で行なうかしてもらいたいと思います。今もGWの英語の宿題で中1~中3までのドリルが出ているみたいです。はっきり言って時間の無駄に感じます。学校では高1の宅習時間は3時間を目標にしているみたいで、実践出来たらシールがもらえるそうです。(笑)そこまで管理しないと先生方が不安になるのでしょうか(以降、文字化け)】

 これは、僕が日頃延岡高校に感じている違和感と同じです。「GWの英語の宿題で中1~中3までのドリルが出ている」とありますが、塾の新一年生たちにそれを見せてもらったところ、これが二冊に分かれた小ぶりの版型の市販ドリルで、数えてみたら計百ページありました。ある生徒いわく、「手が疲れた!」そうです。頭は疲れなかったみたいなので、よくできる子たちにとっては「はっきり言って時間の無駄」ということになるでしょう。一年生の場合は他に数学と国語の宿題が出ていて、そちらも「たくさん」なので、「宿題に多忙なゴールデンウイーク」となって、そのすぐ後に中間テストに突入、「延岡式詰め込み教育」の洗礼を早々と受けることになったのです(これらの学校では入学前からすでに宿題が出ているので、そういうのも僕には解せないのですが…)。星雲高校の場合はというと、こちらは輪をかけて宿題の量が多かったそうで、前にも書いた「高校版蟹工船」生活が、かくてスタートするのです。

 それもこれも、このお父さんの表現を拝借すれば、先生たちが「変な張り切り方」をするからで、同じことを感じている親御さんたちは実際はかなり多くて、それが「少数派」だとは僕にはとうてい思えないのですが、そのあたりの“空気”が、学校にはなかなかお汲み取りいただけないわけです。

 僕は「念のために」と思って、連休明けの6日、県の教育委員会に電話で問い合わせをしてみました。ひょっとしたら元凶は県教委で、それが「机上の空論」で現場無視の不合理かつ無茶な方針やら政策やらを決定し、そこから高校側にあれこれ指示や命令を出して、こういうおかしなことになっているのかも知れないと思ったからです。もしそうなら、学校だけを批判するのは片手落ちだということになります。

 「担当者に代わります」ということで応対してくれた職員は、いかにも好青年という感じの、声からしてまだ三十代かなという印象の男性でした。それで、手短に名乗った後、かねて不審に思っていることがあるのですが、こういうのは県教委の指示なのですか、とたずねると、彼は誠実に対応してくれましたが、そのような事実はないとのことでした。そういったことは、各高校に任されている。但し、僕が例に挙げた延岡市の二つの県立高校――延岡高校と延岡星雲高校――だけでなく、宮崎県の公立普通科高校は、「あくまで私の見聞に基づくものですが」と断って、ほとんどが朝課外と、三年生の場合は、高校総体後6月からの夕課外授業というものを行っている、それは歴史的な経緯としては、「PTAの要望」に基づくものだったと理解される、ということです。そして、全体に九州地区は、それ(=課外授業)が多いのではないかと。

 「無意味に量だけ多い宿題(と僕には思える)」についても質問したのですが、そちらは全くその学校の先生方の判断による、ということでした。

 つまり、どちらも県教委からの指示や強制はなく、あくまでも各校が「自主的に」やっていることらしいので、それなら事は面倒にならずにすむ、と意を強くした次第です。

 僕のこのブログの読者は、この前も書いたように、大部分が県外の人たちなので、マイナーな地域問題には興味がないという人もおられるでしょうが、かねて報告されている今の大学生のヘンな生態からしても、今は全国的に同種の度の過ぎた管理教育の弊害が見られるのではないかと疑われるので、そういう視点から参考になることもあるかも知れないので、よそ事とせず、お読みいただいてよく考えて下さるといいと思うのです。

 今は十八歳人口の実に五割超が四年制の大学に進学するという時代です。短大・専門学校も含めると、四人に三人は進学する計算になる。不況が長引く中、地方の親たちは学費だけでなく、月々の生活費の仕送りもしなければならないのだから大変だなと思うのですが、学校側は、普通科高校(ここは商業・工業・農業等以外の高校の意味)だと生徒は基本的に全員四年制大学進学を目標に入学してくると考えて、厳しく受験指導をしなければならないと、焦って無理な詰め込みに走るのかなと思われるのです。

 昔だと、一部のカリカリした進学校は除き、「大学受験する奴は勝手に勉強しろ。個別の相談・指導には応じる」というのが多くの学校の基本スタンスで、生徒の方は学校の授業なんか入試には役立たない(今のセンターみたいな試験はなかったので)というのを知っていたので、勝手にやっていたし、先生たちも、そんなことに責任をもたねばならないとは思っていなかったので、比較的のんびりしていたのではないかと思うのですが、全体に今はそこが様変わりしているのです。

 大学受験そのものは、少子化に比例して大学の入学定員が減ったわけではないので、全体に易化しています。地方の私立の多くと、都会の無名私立は定員割れを起こしているので、大学をえらびさえしなければかなり前から「全入」状態です。国立でも、地方の知名度の低いところは高校入試並の低倍率のところがいくらもあって、医学部と一部の例外は除き、明らかに易化傾向にあるのです。

 それで大学側は学生の確保と偏差値維持のために、私立だけでなく国公立も推薦だのAO入試枠だのをつくり、その分一般入試の定員枠を減らすなどして防戦に必死なのですが、今度は推薦で入った学生の出来が悪すぎるという問題が出てきて、文科省は推薦入試にも学力テストを含めるように指示を出したりしていますが、全体に大学生の学力レベルが下がり続けているというのは、あちこちで指摘されているとおり、否めない事実のようです(やっていることからして今の大人の「学力低下」の方もひどいものだと思わざるを得ませんが、話がややこしくなるので、ここではその話はしないことにします)。

 しかし、巷間言われる「大学生の学力低下」の原因は、必ずしも少子化で入試の競争率が低下したことや、カリキュラムの変更にあるのではない、と僕は考えています。逆説的ですが、それは教科書勉強以外、何もやらなくなったことにあるのではないでしょうか。たとえば、この前もここにちょっと書きましたが、今回の福島の原発事故のようなことが起こると、昔なら生徒間でかなりの議論になったでしょう。先生に「この件について一度皆で話し合ってみたいので、時間を下さい」と言って、授業時間を横取りしてしまう、なんてこともありそうに思われるのです。そのあたりどうなのかなと思って、しばらく前、塾の生徒たちに聞いてみたら、それは生徒同士でもほとんど話題にならないし、先生たちがそれに触れることもない、というのです。何事もなかったかのように、小テストと型どおりの授業が粛々と続く。三年生の場合なら、教室の黒板の隅に「センター試験まであと○○日」なんて書かれていて、連休課題なるプリント集(それも五教科別々に出ていて、全部合わせると大変な量になるので、何だってそんなにたくさん宿題が出るのだと、僕はいつも呆れるのですが)の表紙には、「努力は必ず報われる!」とか「後悔先に立たず!」とかいった訓示調の、ときとしてかなり長たらしい叱咤激励文が書かれていたりするのです。むろん、生徒たちがそれを見て発奮するというようなことはなく、シラけた目つきでそれを見て、「あ~あ」と言うだけなのですが。

 延岡市のこれらの県立高校では、先にも触れたように朝課外授業というのがあって、授業は朝の7時半から始まり、三年生は部活引退後、これにさらに夕課外というのが加わり、授業の終了は夕方6時になります。実に十時間以上、毎日学校の机の前に縛りつけられるのです(課外は正規外なので、参加するかどうかタテマエ上は自由なはずですが、実質的に強制で、朝は7時25分までに入らないと、校門で待ち構える先生たちから厳しい叱責を受ける羽目になるのです)。一・二年は部活(これもどれかに入るよう奨励されている)で、学校にいられるのは夜7時半ぐらいまでらしいので、そのあたりまでやって帰宅し、それから風呂・食事をすませて、宿題に取りかかり、寝るのはたいてい零時を過ぎ、就眠時間は1時か2時という生徒が珍しくありません。真面目な子はむしろそれがふつうでしょう。朝は学校の開始時間から逆算して、6時には起きる必要があると思うので、多くても6時間、短いと4時間、平均でも5時間ぐらいでしょう(あまり注意されないことですが、弁当を作らねばならないお母さんたちも、早起きを強いられるので大変なのです)。なかには宿題は学校の休み時間にテキトーに片付けてしまうか、あるいは叱責をものともせず無視するので、家に帰ったら寝るだけ、たっぷり8時間寝てます、という豪の者もごく稀に男子にはいますが、これだと「家庭学習」はゼロなので、「家庭学習は最低でも三時間が望ましい」という学校の指針には反します。しかし、ほんとに部活もやって三時間も家庭学習をやるということになると、食事と入浴以外何もしなくても、深夜1時前に寝るということはまず不可能になってしまうでしょう。学校推奨の生活パターンでは、睡眠時間は5時間以下になるのです。育ち盛りの子供にとって、これが健康上どれほど有害であるか、お医者さんたちならおわかりかと思います。

 部活というのは、むろん、休日も行われます。これも体育系のそれは全体にかなりハードで、連休中などは連日練習試合が組み込まれていることが多く、それでは大量の宿題はこなせないので、提出期限が近づくと、それらの生徒たちはほとんど徹夜状態になります。そういう生徒でなくても、宿題はそうかんたんには終わらない量なので、大方の生徒は似たようなことになって、何かといえばキレてすぐ怒鳴り散らす教師(一度精神科医の診察を受けた方がよさそうな人もいる)の授業だけ何とか聴いているふりをして、甘い先生の授業で“仮眠をとる”ということになってしまうのです。

 今は公立はタテマエ上、土曜は休みになっていますが、これらの高校では「土曜講座」というのがあって、少なくとも隔週でそれは行われます。それから、模試が入ると、土日が潰されます。これは今から五年ほど前の話ですが、10月か11月に、三年生は一ヶ月間、休みが一日もないということがありました。模試で潰されたのです。平日の授業を潰してやればいいものを、何でそんなかわいそうなことをするのだと呆れましたが、最近では少なくとも二回は休みがあるように“改善”されたようです。要は、模試の回数を減らしたのです。

 以上で大体おわかりかと思いますが、生徒たちは三年間、学校のお勉強と部活以外ロクに何もするヒマがなくて終わるのです(長いはずの夏休みなんかも、課外授業で僅か三分の一に削られ、しかも「遊ばないように」という“教育的配慮”からその間も大量の宿題が与えられる)。それだから、僕は塾で要望があれば小論文の指導もしているのですが、「自分の経験も踏まえて書け」というような問題が出ると、部活と学校の勉強で、こういう体験をしました、というようなことしか書けない。あまりに型にはまりすぎた面白みのないそれを読まされて、「他に何か話題はないの?」と苦笑させられるのですが、考えてみればそれも無理はないのです。小論文では時事的な問題や、重要な社会問題などが出題されることが多いのですが、あまりにも物を知らなさすぎるので、課題文の読み取り自体が満足にできない。大学入試の英語長文などでも、今はタイムリーな、内容的にも面白いものが多く出題されるのですが、理解の土台となる一般常識に乏しいので、それが語学力のあるなしとはまた別に、読解の大きな妨げになるのです。むろん、塾の授業ではそうした背景についてもできるかぎり説明するのですが、大きな社会問題になっていることさえ知らず、読書もほとんどゼロなので、かなり有名な話でも、「初めて聞きました」なんてことになるのです。その社会的な視野の狭さ、教養の乏しさと幼稚さは年を追って強まるようで、僕は危機感すら覚えているのですが、それも、こういう生活を強いられていたのでは無理もないと同情せざるを得ないのです。

 だから、子供たちの慢性的な睡眠不足の大きな原因になっているあの朝課外だけでもせめてやめてほしい、宿題も、授業のやり方と質を吟味して、もっと減らしてやってもらいたい――僕はずっとそう言い続けているのです。僕には子供たちの健康が心配で、大体、生徒を疲労困憊させるようなことばかりして、学習効率なんて上がるわけはないのだから、どういう意図でこんなことをしているのだろうと、理解に苦しむのです(ちなみに、僕の塾では詰め込みはやりません。効果がないことをよく知っているからです。重要なのは理解と、知識相互の有機的関連を教えることであって、そこに気をつけて学習すれば、ずっとよく頭に入るのです。暗記は必要に応じ、各自勝手にやってくれればいい)。

 それでも、これらの高校が抜群の大学合格実績をあげているというのなら、僕がいくら反対しても、世の教育ママパパたちは耳を貸さないだろうと思います。長期的に見れば、こういうやり方は明らかにマイナスだと思いますが、今の親たちの多くは、何でもいい、とにかくいい大学に入れさえすればいい、とそのことしか眼中にないようだからです。

 けれども、残念ながら、そのような事実もないのです。延岡高校なんかは「今年の卒業生は国公立への進学者が五割を超えた」と自慢しているそうですが、延岡には元々有力な私立高校が存在しないので、人口13万の市内の公立中学の上位層は大部分がここに入学します。理数科(先のお父さんの文にもあったように、今年からメディカルサイエンス科に改称された)は、各中学のトップ層が集まり、「カリカリ勉強させられるのはイヤだな」という生徒と、文系の子は、成績がよくても普通科に行くことが多いでしょう。要するに、元々優秀な子が集まるわけです。僕は自分の塾を、知人に生徒を集めてもらって、中高一貫の私立尚学館の高1生四人と、延岡高校理数科の同じく高1四人から始めました。以来、ここの理数科は塾の“お得意さん”の一つなので、よく知っているのですが、年度によってかなりのバラつきはあるものの、上位層は本当に優秀なのです。普通科でも、よくできる子は熊大レベルなら、あっさり合格する(九大あたりの合格者もいるはずです)。

 しかし、高校の指導がいいから合格しているのではないのです。おかしな指導にも“かかわらず”必死に時間を遣り繰りして“自分の勉強”に必要な時間を捻出しているおかげで合格していると見られる(げんに学校の宿題はうまく手抜きして、自分の勉強時間を確保しろ、と僕は生徒たちに口をすっぱくして言っています)ので、朝課外と無駄な宿題さえ削ってくれれば、もっと効果的な勉強が各自できて、もっと伸びる子たちなのにと、僕はいつも残念に思っているのです。

 露骨な言い方をするなら、本来なら東大に受かるはずの子が阪大になり、京大が九大になり、九大が熊大になり、熊大のはずが宮崎大になったということなら、それは成功とは言えないでしょう。げんに延岡高校の生徒は、昔はともかく、今は東大・京大にはめったに受かりません。これは生徒の元々の能力から見てヘンに思われるので、私立の早慶に受かるのが平均で二、三人、ときにゼロの年があるというのもおかしいのですが、こういう指導をしていたのでは、それも無理はないと思えるのです(余談ですが、この前、中学生相手の延岡高校の進学説明会のパンフを入手して、進学先一覧のところを見ていたら、早慶と並ぶ某有名私大のある年の合格者が五人となっていて、僕はそこに行った子を一人知っていたので、おかしいな、あの年は彼一人だったはずなのにと思い、少しして帰省していた本人と偶然会ったので、聞いてみました。そしたらやっぱり一人だけだという。彼は「僕はセンター利用と一般入試の両方に合格したので、二人にカウントされているみたいなんですよ」と言い、二人と記載されているんじゃありませんかと言いましたが、後で見直すとやはり五人になっている。二人でもそれはインチキですが、五人とは恐れ入るので、こういう“ミスプリ”は塾や予備校なら公取委の警告対象になるでしょう。在校生の文まで、学校に都合がいいように勝手に内容を改竄して掲載し、塾生のそれがたまたま含まれていたので、これは確かな話なのですが、「全くよくやるよ」と皮肉の一つも言いたくなるのです)。

 この点、私立の尚学館の方が、先生による当たり外れはあるとはいえ、指導は概してずっと穏当です。宿題もそう無理のない量だし、模試は平日の授業を潰して行われるので、日曜休みが奪われることもない。むろん、朝課外もない。教材も「なるほど」というのを使っていることが多いし、ここの入試は今はほとんど「全入」状態なので、生徒の学力にはかなり極端なバラツキがあるのですが、上のクラスの生徒だと、塾では質問に答えながら、それをフォローしていれば足りるという感じです。宿題を出す場合でも、遠慮しなくてすむのが有難い(少人数だが、進学実績の質は延岡高校よりいいということも付け加えておくべきでしょう。週刊誌などの高校別合格者一覧には、経営母体との関係から「延岡学園」の中に入っています。そのうちの有名大学のほとんどがこの尚学館の生徒なのです。ここのトップ層と、延岡高校のトップ層は、あくまで僕の感触ですが、能力的にはほとんど同じです。しかし、受かる大学には差が出ている印象があるのです)。

 だから、進学実績という点からだけ見ても、それは成功しているとは言いがたいので、教育パパママたちは、そのあたりを見ているのだろうかと、僕には不思議に思われるのです。朝夕課外に、効果の疑わしいお仕着せの大量の宿題、これに「生活の記録」だか何だか、毎日どの科目を何時から何時までやりました、なんてのをいちいち細かく書いて提出させ、それにコメントを付して、返却するという念の入れようです。それこそ「時間の無駄」としか言いようがない。高校生相手に、何でそんなことまでしなければ気がすまないのか、僕にはさっぱりわからないのです(先生たちにとっても大変な手間でしょう)。こういうの、今は日本全国で流行っているのですか? だとしたら、それは正気の沙汰ではありません。幼稚園児みたいな大学生が増えても不思議はないのです。

 もう少し具体的に、英語の指導を例にとって話してみましょう。先生方の名誉のために言っておけば、個々には能力のあるよい先生もいるのですが、たとえば延岡高校だと、「統一規格」とも評すべき“伝統”の文法プリントがあって、その名も「ベーシック・グラマー」と称する、元は誰が作ったのか知りませんが、時代遅れであると共に、パターンが全く同じで、無用にくどく類似問題が連続する、生徒が飽き飽きしてしまう独自プリントがあって、これを使った単調な授業が一年半にわたってえんえんと続き、その間はひたすらそれで、模試の過去問以外、生徒が長い英文を読む機会はほとんどないのです(生徒に購入させた通常のリーダー教科書はほとんど使われていない)。

 これのどこが悪いのかと言うと、死ぬほど退屈なシロモノ(脳は単調な機械的反復作業を好まず、それが続くと学習能率は著しく低下する、というのは脳生理学ではよく知られた事実です)であることは別としても、よくできる生徒にとってはくどくて時間が食われるだけだし、そうでない生徒も、量が多すぎるので、機械的な手作業になってしまって、考えながら問題を解くことをしなくなるという悪癖がつくのです。塾ではこれを“矯正”しなければならず、それがまた一苦労なのです。

 こんなことをするのなら、まず基本を教えるためのよくまとまった文法・構文のコンパクトな問題集をきちんと説明しながら一冊やり、次に入試用の文法・語法・イディオムが無駄なく身につく問題集(ただ網羅的なだけの量が多すぎるのは不可!)を一冊やらせて応用力をつけさせれば、それで終わりです。やり方は色々ありえますが、今は毎日英語の授業があるのだから、前者の基本文法の問題集は、そんなに宿題を多く出さなくても、半年程度あれば終わるでしょう。その段階で、基本的な長文読解と英作文を平行して始めて、読む方と書く方の両方でその“応用的復習”を行うのです。そしたら三年になると同時に、後者の実戦用の文法問題集と、入試前提のより高度な英文解釈演習に入れるのです。

 こうすれば、文法関係のテキストは二冊ですむ。それをきちんと身につけさせればいいので、僕はよく「正確な30の知識はうろ覚えの100の知識にまさる」と生徒たちに言うのですが、次から次へと洪水のようにプリントをやらせるだけで、生徒はそれを機械的にこなすのに追われて満足に復習もできないから、ザルで水を汲むのと同じで、並の生徒はいつまでたっても理解が定着しないまま終わるのです。この場合、よい歴史教師が“流れ”を呑み込ませるのと、そこに生きた人間の姿を浮かび上がらせるのにすぐれているのと同じで、教師は、文法全体の観点に立ち、個々の単元に他の単元とも共通する“法則”が働いていることを指摘したり、他の単元に出てくる重要な関連事項にもその都度言及したりして、知識を有機的な結びつきのもと“立体的に”理解するすべを教えなければなりません。でなければ応用も利かず、専門用語だらけで何を言いたいのかはよくわからない無味乾燥な英文法の解説書を棒読みされているのと変わらないことになってしまうのです(今はそのあたりだいぶ改善されましたが、どうして従来タイプの英文法解説書がわかりにくいのかといえば、それはあちらの国文法のテキストをそのまま翻訳したにすぎないようなシロモノだったからです。僕は前に原書の英文法解説書を買って、「なるほど、元はこれか」と思ったものです。従来の文法用語ばかり多い学校のグラマー教科書も、ロクな工夫もなくそれを土台にしているのでわかりにくいのです。日本人にとっても、日本語文法の解説書は退屈で、かなり理解が困難なものなので、それが外国語ならなおさらだということになるでしょう)。

 大体、今の入試問題は長文が大部分を占め、センター試験(あんなものでほんとの学力はわからないと僕は思っていますが)ですら、文法は発音・アクセント含めても、全体の四分の一の配点にすぎないのです。なのに、三年間の授業と宿題の三分の二を文法の、重箱の隅を突っつくような問題演習(そのベーシック何とかが終わっても、似たような、やたらと量だけ多くてフォーカスの絞れていない、文法問題演習がまた始まるのです!)にしつこく費やしているというのは、誰が見ても賢明な指導方法だとは言えないでしょう。

 星雲高校に関しては、もっとひどくて(週末課題と称して、こちらは長文の宿題が出ますが、その奇怪な扱いについては「教育という名の児童虐待」に書きました)、ひたすら物量作戦に走るのみで、「高校版蟹工船」としか評しようがなく、罵倒の言葉しか出てきそうもないので、書くのはやめておきます(時々宿題プリントの余白に「よく考えながらやるように」という注意が書かれていたりするので、学校側はそれが機械的な作業になりがちなのに気づき始めているのでしょうが、それが何であろうと量が多すぎれば、生徒には「考えてやる」時間的・精神的ゆとりなんかもてるはずがないのです。生徒の消化能力も考えた上で、そういうことは言ってくれないと困ります)。

 それがいかに効果の上がらないものであるかは、その大学進学実績にもよく表われているので、この際だからそちらにも触れておきましょう。この学校(=星雲高校)はいっとき国公立の合格者数を学科テストぬきの推薦入試で稼いでいたという話ですが、最近はその戦略もあまり奏効しなくなってきたらしく、そのあたり情報公開されていないので正確な数値はつかめないものの、一般入試で国公立(難易は問わず)か中堅以上の私大のいずれか、または両方に現役合格した生徒の実数は、一割を切っているのではないかと思われるのです(とくに難しい大学への合格者が、ではありませんよ。いわゆる“フツーの大学”への合格率がです)。

 平成22年度卒業生のものとして学校ホームページに出ている「進路状況」が今春のものらしいので、それを見てみると、国公立37名、私立大学134名となっています。卒業生数は238名だとのこと。それならそんなに悪くないではないかと言われるかも知れませんが、この合格者数は過年度生(既卒)も含んだ数値である上に、複数合格(たとえば、二、三人の優秀な生徒が国立と私立複数に合格するのはふつうなので、それは数倍にカウントされる)や、国公立の推薦(「二年連続!」と自慢している九大の合格者1名も、今年のそれは一般入試の合格者ではありません)、私立の指定校推薦組、そうした全部を含んだ「のべ」人数なのです。

 卒業生数と並べて置くから、見た目の“錯覚”が生じる。国公立の場合、推薦と浪人の合格者を除けば、それ(=一般入試の国公立現役合格者)は多く見積もってもその半分以下になると僕は見ています(15人もいるのかなと思うくらいですが…)。私立も、指定校と、難しめの国立の浪人含めた合格者の併願合格者数を差し引くとする。そうすると、中堅以上の大学の大半は消えて、その進学実数は片手の指で数えられる程度になる。先にも述べたように、今や地方の無名私立はほとんどが定員割れを起こしている状況です。並んでいる大学の多くはそのようなところなので、他はそれです。そうすると、上に述べたように、それら二つを合計してもせいぜい一割(24人以下)というパーセンテージになってしまうのです。

 これに対して、専修学校は98人、就職が10人となっています。他は今は軒並み易しくなってしまった短大が32名(これも四年制大学との重複組が何人かはいると想像されますが)、職能大学校などの準大学が3名。この四つで計143人です。重複も勘案した残り約100人のうち、別に大して勉強しなくても受かりそうな大学への進学者が70~80名ほどいるとすれば、計算は合うのです。

 参考までに、それ以前の国公立合格者(むろん浪人と推薦組を含む)を遡ると(左端が今年の数値で、右へと年度を遡ります)、37←50←38←61となっており、専修学校と就職を合わせた人数の推移は、108←46←47←64となっています。今年は国公立の合格者が一番少なく、一方、専修学校+就職の方は倍増したのがわかります。このうち就職組は、今年の10人がとくに多かったわけではなく、それは10←4←17←9と推移しています。要するに、専修学校進学者だけが激増したので、それは「大学進学断念」組が急増したことを意味します(就職も覚束ない低偏差値大学に行くよりは、専門学校で技術力を身につけた方がいいと考える生徒が増えたとも、解釈は可能ですが)。

 しかし、星雲高校の先生たちは「わが校は進学校である!」として、生徒に絶えず檄を飛ばし、締めつけを強化しているのです。にもかかわらずこれでは、「蟹工船」的な指導は裏目に出ているだけで、全く奏効していないと言わねばならないでしょう。塾や予備校なら、こういうところは一年もたず、確実に潰れます。生徒を苦しめるだけ苦しめて、成果はほとんど上がっていないということになるのですから。ちなみに、延岡星雲高校の偏差値は50前後あります。かなり優秀な子も入学していて、おくての子供には高校段階でグンと伸びる子がいくらもいるし、俗に言う底辺校とは違うので、それでこれとは、あまりにひどすぎるのではありませんか。ほっといて、勉強したい子には自由なやり方をさせてあげた方がずっとマシな結果になるのではないかと思われるのです(僕のこの推定と分析が間違っているなら、星雲高校は連絡を下さい。そしたら、正確な内訳をここに掲載して、訂正とお詫びを載せるでしょう。重要なそうした内訳データが公表されておらず、今年の星雲の卒業生も塾にいなかったので、十分な情報が得られず、やむなく推測するしかなかったのです。尚、星雲高校は別に荒れた学校でも何でもないのに、不登校や中退が多すぎるのですが、これも行き過ぎた「蟹工船」教育の産物と僕は見ています)。

 要するに、延岡のこれら二つの県立高校は、その超がつくほどの管理と勉強の押しつけに見合っただけの成果は、上がっていないということなのです(十の骨折りをさせて、一の成果は上がったと自慢することはできません)。

 僕は大事なのは大学受験の成果だけではないと思っています。人間的な成長が一番大事なことで、それはきれいごとではないのですが、こんなやり方をしていたのでは、そちらか阻害されることは言うまでもないことで、一体何が目当てでこのような「指導」をしているのかと、それを問うているのです(オリンピック出場選手を養成するのではないのだから、部活ももっと緩いものにしたらどうかと思うので、昔は硬式野球部などを除き、そのあたりも全体にもっとのんびりしていました)。

 だから、朝課外の廃止と宿題の大幅減量を、と言うのですが、何でそうしないのかと僕が歯がゆく思うのは、これは積極的に何かしろというのとは違って、その気になればすぐにでもできることだからです。そしたら先生たちも拘束時間が減って、もう少し学科能力や授業方法、教材などを工夫するゆとりももてるでしょう。つまり、教え方のレベルアップができる。生徒でも、教師でも、それは同じですが、人間はオーバーワークになると手抜きをするか、健康を害したりうつ状態に落ち込むか、するしかなくなるのです(昔、人手不足の多忙な看護現場で、“燃え尽き症候群”というのが問題になったことがありますが、真面目な先生なら、何年もこの種の学校に勤務していれば、大半がバーンアウトするか、うつになってしまうでしょう。僕は心理学の知識もある程度はもっているので、生徒たちのかなりがその兆候を示しているのはわかっています。これは強調しておくだけの価値があることだと思いますが、勉強でも、自分のコンディションと相談しながら自主的にやるのと、罰で脅されながら強制されて休みなくやらされるのとでは、疲労の蓄積の度合いは全く違うのです)。

 毎日早起きして弁当を作らねばならないお母さんたちも助かります。今は働く母親が増えているので、毎朝30分、40分でも多く眠ることができれば、からだはずいぶん楽になるはずです。意味のあることで早起きするのならわかりますが、子供の慢性疲労の原因になるばかりで、必然性の感じられないことのために連日そういうことを強いられるのは、おかしいのではありませんか。

 僕が塾の生徒たちを見ていていつも思うのは、彼らは疲れているということです(尚学館の子たちはそのようには見えません)。疲れていれば集中力は乏しくなり、理解力もガタ落ちします。それで勉強の能率が上がるはずはない。自明のことです。

 今年のセンター試験の当日、新聞に同じ九州の福岡県立明善高校の「おひるねタイム」の記事が出ていました。屈指の名門校であるようですが、ここでは毎日昼休み15分の仮眠時間が設けられていて、生徒たちはそのとき、皆机の上に突っ伏して眠るのです。それで疲れが取れ、勉強の能率が上がって、大学の進学実績も向上した、という話ですが、たしかに学校のホームページを見てみると、その実績は堂々たるものです。元々優秀な生徒が多いのでしょうが、これはそういう取り組みも関係していると思われるので、そういうのも参考にしたらどうかと思うのです。宮崎県が全体に有名大学への進学実績において他県に見劣りするのは、生徒たちの能力の問題ではなく、精神論ばかり振りかざし、ロクなノウハウもないまま、やみくもに時間と量にばかり頼った押しつけ勉強と過剰管理に走る学校が多いからではないかと思うのですが、いかがなものでしょう。

 最後に提言として、全生徒とその父母対象に、アンケートを取ることを勧めたいと思います。この課外の問題と宿題については必ず含め、あとは自由記述で無記名のアンケートを取るのです。僕がここでこういうことを書いているだけなら、それは変人の一塾教師が偏ったことを言っているだけだということで片付けられてしまいかねません。

 これは、PTAや生徒会にはかるということだけではよろしくありません。なぜかと言うと、先にも述べたように、今のPTAは学校の「翼賛機関」化しているようだし、生徒会も御用組合と同じで、昔みたいな「生徒の代弁機関」には全然なっていないようだからです。それは学校の先生お気に入りの、「よい子の集まり」にすぎないのです。かつてなら、「こいつは学校相手に正面から喧嘩ができる奴か?」という基準で、生徒会の会長などはえらばれました。少なくとも僕の知る限りではそうです。今はそのあたりが全然違います。中には「推薦入試で有利になるから」といったセコい理由でそれに立候補する生徒もいるくらいなのです。そういう生徒が教師に批判的なことを言ったりするはずはない。

 だからPTA役員や生徒会の役員をしている生徒に話を聞いてみたって、何も出てこないのです。無記名のそうした全体を対象にしたアンケートなら、ホンネがわかる。

 実はこういうことは、以前から塾や予備校ではやっていたことなのです。げんに僕自身も、もう二十年余り昔のことですが、関東の中学生対象の集団塾で校長というのをやっていたとき、生徒全員に各教師の指導についての意見・要望を書かせたことがあります(生徒数は130人ぐらいだったと思いますが)。その際僕が生徒たちに言ったのは、「あの先生は顔が気に入らないとか、足が短いとか、そういう人格的な侮辱のようなことを書くのは許さないが、あとは何でも好きに書いていい。それで君たちが不利益を受けることがないのは保証する」ということでした。そしたら感心にも、そういうおかしなことは誰も書かず、彼らはなかなか公平で、「なるほどなあ」と思わせる意見がたくさんあって、大いに参考になったのです。

 僕自身に対する「要望」には、「英語を関西弁で発音するのはやめてほしい(!?)」とか、「こんな下らん問題は入試にも出ないからやらなくていいと言って飛ばすのは乱暴すぎると思うので、考えてほしい(こちらは真面目な生徒)」というのがあって、思わず笑ってしまったのですが、「何を言ってるのかわからない」とか「宿題の意図が不明(授業で解説をちゃんとやってほしい)」とか、「気分で怒るな!」とか、集中砲火を浴びた講師には、別室に呼んで、これは尤もだなと思われるのを見せ、「こういうのを読まされるのはつらいだろうが、ここはやっぱり考えて対応を改めないとまずいね」というような話をしました。塾の場合、少なくとも同業者がひしめく激戦区では、そういうことを無視しては商売が立ち行かないので、教師もそれなりに工夫努力するのです。生徒たちも、言えばきちんと考えて対応してくれると思うから、真面目に書く。それで教師はだんだん進歩上達する。全然変わらないようだと、やめてもらう他はないのです。

 むろん、なかには無視して差し支えないようなとんでもないものもあるでしょうが(大学の学生なんかには、そうした試みをすると、ずいぶんと一方的で勝手な、無神経な教師への中傷を書いて寄越す奴がいると聞きます)、同じような苦情がたくさんあるなら、それはやはり考えないといけないことなのです。

 学校の先生方にはプライドが高い人が多いので、そういうことはしたくないでしょうが、生徒の様子から敏感に察して軌道修正が柔軟にできる人はそういないので、おやりになれば、「なるほど」と思われる意見が少なくないのがわかるでしょう。それは別に「迎合」でも何でもないので、よりよいコミュニケーションと、より効果的な指導をするためには有益なのです。

 まずそこから始めて、多数意見を集約し、少数意見でも重要なものは考慮して、改めるべきは改める、ということをしてゆけば、先生たちは真剣に自分たちの声を受け止め、対応してくれているということがわかって、生徒や父母の先生方への信頼と尊敬も回復されるのではないでしょうか。僕の見るところ、今は面従腹背になっている印象が強いのです。

 それで朝課外は廃止し、宿題も大幅に減らすことになって、生徒たちの自主的な勉強に委ねる部分が大幅拡大したとしましょう。すると生徒たちがさっぱり勉強しなくなって(こういう無理強いをしていた場合だと、一時的な反動としてのそれは必ずあると思います)、進学実績もガタ落ちになった、ということになれば、「伝統をこわすからだ!」とその改革を断行した先生たちは非難の矢面に立たされることになるでしょう。

 実はそれがこわくてできないのではないかと思うのですが(従来どおりのことをしていれば、それがいかに不合理でも、自分の責任ではないと言い逃れできるからです)、僕はそのようなことにはならないと思います。むしろ、学校は自分たち生徒を信頼し、自主性を尊重してくれている。だから頑張って、それに応えよう、ということになることの方が多いだろうと考えられるのです。

 そうなったら、僕も塾の教師として、もっとうまく生徒たちの支援ができる。今は一部のとくに優秀な子たちのクラスでしか、宿題といえるようなものは出せない状況になっているからです。ふつうの生徒相手にそれをやったのでは、学校の宿題だけでもパンク寸前なのに、もたなくなってしまう。かといって、こういう宿題と授業だけでは伸びるはずがないなとも思うので、三年生になれば間に合わないと見て独自のやり方をさせてもらいますが、生徒たちはしんどいだろうなと、心が痛むのです。

 これでも一応プロなので、学校がよけいなこと(失礼!)さえしてくれなければ、いくらでもやりようはある。そしたら、生徒たちも親たちもハッピーになるのです(僕は狭量な人間ではないつもりなので、家庭の事情で塾には通えないという生徒で、効果的な家庭学習の方法や英語の教材を教えてほしいという子がいれば、いつでも時間を取ってそれを教えてあげるつもりです。今だって、塾が学校を敵に回すのは得策ではないのは承知で、子供たちがかわいそうだと思うからこそ、これを書いているのです)。

 繰り返しますが、これはたんなる僕の思い込みで、僕と、たまたま塾に来ている生徒やその親たち(念のために言っておきますが、その中にはモンスター・ペアレントみたいなおかしな親は一人もいません)に疑問をもっている人が多いだけで、大多数はそうではなかった、という可能性もないとは言い切れません。ですが、それもアンケートを取って広く意見を聞いてみればわかることでしょう。税金で運営されている公立高校の教師が自らを省みることなく「文句があるなら、学校をやめろ!」などと言うことは本来許されないので、これはぜひやってもらいたいことだと思うのです。

 長々書きましたが、申し上げたいことは以上です。こういうのは書く方も骨が折れて、かなり疲れたので、どうかちゃんと活かしていただきたいと思います。

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祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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