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社会的弱者を見殺しにする社会

2021.05.17(23:39) 829

 グーグルのニューサイトの「ピックアップ」の一番上に、次のような記事が出ていました。それだけ多くの人にこれは読まれた、ということなのでしょう。

ホームレス女性の死から半年 食料配布の列にいた彼女 報道されない「試食販売」の闇

 あの、夜間泊まるところがなくてバス停のベンチに座り続けていたというホームレスの女性が何者かに殴打されて亡くなったという事件は、コロナ禍の暗い世相を反映したものとしてかなり大きな話題になりました。そこらの不良少年の集団がやったのかと思いきや、何と近所の住民(46歳の男)だったというのも驚きだったので、本人はその自覚がないでしょうが、相手がホームレス女性で最も弱い立場にあるから、報復を恐れずにそういうことができたと言ってよいので、最近はこの手の自己不全感から生じた悪感情を弱者に振り向けて、それをはけ口にするクソがいくらか多すぎるように思われます。男は「邪魔だったので、痛い思いをさせればいなくなると思った」と供述しているそうですが、素手でならまだしも、石とペットボトルを詰めた袋で殴ったのだというのだから殺意を認定して差し支えないので、殺人犯として裁かれるべきです。何であの人はああいう境遇になってしまったのだろうと同情して話を聞きに行くというのならわかるが、そういう人は誰もおらず、「邪魔だ」と言って殺しにくる奴しかいないとは、何というおぞましい社会でしょう。別にその女性は騒いでいたわけでは毛頭なかったのです。

 NHKは埼玉県に住む大林さんの弟に取材して、大林さんの経歴を紹介している。
 大林さんは広島で生まれ育った。広島では市民劇団に所属してミュージカルなどに出演していたことがわかった。若い頃はアナウンサーや声優になる夢を持ち、活発で社交的な性格だったという。番組で放送された当時の彼女が芝居をする声は伸びやかなで張りがあるものだった。
 20代で上京、結婚するが1年で離婚。夫によるDV(ドメスティック・バイオレンス)が原因だったという。
 その後、大林さんは数年おきに転職を繰り返した。
 50代以降はスーパーでの試食販売員をやっていた。1日およそ8000円の給料で不安定な生活を繰り返し、4年前に住んでいたアパートを退去した。
 その後は公園やネットカフェを転々とする路上生活をしながら試食販売員を続けていたと思われる。4年前までは埼玉に住む弟にクリスマスカードや近況を伝えるハガキなどを送っていたことまでは判明しているが、住居を失いホームレスになった頃から便りがぷっつりと途絶えている。


 僕はふだんテレビを全く見ないので、記事で言及されているNHKの番組も知りませんが、ネットに出ていた次の記事は見ていました。

ひとり、都会のバス停で~彼女の死が問いかけるもの

 コロナ禍がこの人から完全に仕事を奪った。「亡くなった時の所持金は、わずか8円だった」とありますが、完全な孤立状態の中で救いの神はどこからもやってこず、代わりに腐れ男の姿を取った死神が彼女を襲ったのです。NHKのこの記事によれば、多くの人がその存在に気づいていて、声をかけようかと思った人も中にはいたが、結局そのまま放置されてしまった由。映画『男はつらいよ』の世界に描かれた東京庶民の人情の世界なら、こういうことはありえなかったでしょう。気の毒な人を見ると居ても立ってもいられなくなって、強引に家に連れて帰ってご飯を食べさせるような人は、かつては都会にも田舎にもいた。そういう人たちは別に重苦しい道徳的義務感からそんなことをしていたのではなくて、そうしないではいられなかったのです。

 僕は前に母親から次のような話を聞いたことがあります。子供時代からの親しい知り合いの一人が、夫も亡くなり、都会に住む息子夫婦の家に引き取られることになった。そのとき、子供夫婦から、「お母さん、ぜったいよけいなことはしないでね」と何度も念を押されたというのです。その人は善良この上なく、泣いている子供や困っている人を見るとほうっておけない性分で、誰彼構わず連れて帰って面倒を見たりする。だからその家では、よその子が一緒に夕食を食べていたり、裕福でもないのに人の面倒を見て、着る物をあげたり、その仕事探しに奔走するなんてことは珍しいことではなかった。息子夫婦が一番恐れていたのは、母親が他人に余計なおせっかいを焼いてトラブルになることで、たとえば、仕事をもつ母親が保育園を見つけられず、困っているなどという話を聞くと、すぐ「私が預かる」なんて言いかねない。しかし、それで何か事故が起きたり、食べさせたものが原因でその子が食中毒などになったりすると、賠償責任を問われる。今は昔とは違うので、他人にそんなことをしてはならないのだと言われて、それができないのがつらいと、母に電話をしてきたそうで、「私は自分にやれる範囲のことをしたいだけやのに、何でしたらあかんと言われるんかいな」と嘆くことしきりだったというのです。

 今は個人ではなく、NPOが色々な活動をしていて、それで救われている人たちはむろんたくさんいるわけですが、社会のベースとして著しく人情味がなくなっていることはたしかで、去年僕は塾の生徒の受験候補の大学の小論文の過去問を見ていて、その課題文に、今はバス停だけでなく、公園などでも、ホームレスの人たちがそこで横になって寝られないように、細長いベンチなども座の部分を狭くして、途中に仕切り板も付けられたりするのだという話が書かれているのを読んで驚きました。行政の側からしてみれば、それは「市民の要望」によるので、ホームレスなどの「危険な不審者」がそこにいついたりすると、子供を安心して遊ばせることもできない、というわけです。大方のホームレスの人は無害なので、要は妙に底意地が悪くなっているだけの話でしょう。仮にホームレスが増えたとすれば、それはそうなってしまう原因が社会にあるということなので、ほんとはそちらに目を向けなければならない。それはしないで、人を差別することだけ強化しているのです。頭が悪いと言って悪ければ、根性が腐っているわけです。

 前にスーパーの駐車場の前で、よちよち歩きの男の子(こういう小さい子を英語では toddler と呼ぶ)が上機嫌で何かウワウワ言いながら近づいてきて、その幼児語は僕には判読不明でしたが、目の前に来たので抱き上げ、それにしてもこの子はどこから来たのだろうと思って周りを見回していると、母親らしき人が「すみません、すみません!」と言いながら小走りに駆けてきて、ひったくるようにしてその子を受け取って足早に去ったことがありました。別に僕は誘拐犯ではなく、その子は何を言いたかったのだろうと、それがわからなかったことだけ残念でしたが、今は見知らぬ人間はみんな危険な不審者なのです。延岡のような田舎ですらそうなっている。

 話を戻して、この大林三佐子さんの場合、去年全国民に一律支給されたはずのあの10万円もホームレスなので受け取れなかったのでしょう。住所をなくしたそういう人たちにも何としても渡すという気は政府にはなかったようです。彼らも元からホームレスではなく、過去には税金もきちんと納めていたはずですが、それは問わないのです。彼女には国民健康保険もなかったはずです。僕もかなり昔ですが、深刻な窮乏に陥ったとき、それが払えなくなって未納が続いたら、健康保険証を取り上げられてしまったことがあります。そうなると病院に行くと10割負担です。それまで長いこと高い保険料(独身で相応の収入があればかなりの額になる)を支払っていて、かつほとんど病院にも行かなかったのですが、そういうことは全く考慮されず、貧窮して体調も崩しているときにかぎって今現在の未払いを理由に医療は受けられなくなってしまうので、役所から脅迫状も届くし、これはかなり恐ろしい国だなと思ったものです(ちなみに、そういうときは住民税なども払えなくなっているわけですが、かなり高い延滞料金がついて、どこに転出しようと、しつこく最後まで追いかけられる羽目になります)。

 こういうことは社会の設定した枠の中からはみ出たことのない人にはわからない。上の記事からわかることは、独立心や責任感が並外れて強い大林さんの場合、誰にも苦境を打ち明けず、ホームレスになってしまったところに、コロナが直撃して万事休すとなってしまったということです。一般に独立心の強い、人に迷惑をかけたくないと思う人ほどやせ我慢を続けて、助けを求めるのが遅れるので、苦境を募らせることになりがちです(この種の人は生活保護を受けようというような考えはもたない)。大林さんはその典型と言えますが、DV男と結婚してしまって心に深い傷を負い、一人で生きるにしても若い頃夢を追い求めたツケで不安定な仕事にしか就けなくなって、年齢と共に歩ける道はどんどん狭くなり、その果てがこういう悲劇になったのです。ホームレスでも女性となれば、ほうってはおけないと思う人が多いはずですが、先にも見たように、実際に行動に出たのは邪魔だと思って追い払おうとする一人のクズ男だけだったのです。

 コロナ禍以後、女性の自殺者がとくに増えているというのも、女性には低賃金の不安定な非正規雇用やサービス業関連の仕事の人が多いからでしょう。独り身でアパート住まいの人ほど困窮の度合いは高くなる。NPOなどと協力すれば、そういう人たちがどれほど出ているか、政府が把握することは可能だと思いますが、そんな努力をしている形跡はない。野党も政府対応を非難しても、自らそういう調査に乗り出すことはしないので、今の政治が駄目なのはこういうところにも出ています。業界団体の要望ではなくて、権力をもたないそういう人たちに目を向けないと有効な援助対策も立てられないと思いますが。

 今のガースー政権、報道各社の世論調査の結果が次々発表され、内閣支持率はいずれも「過去最低」を記録し、不支持との差が拡大しているようですが、ある意味それはわかりきったことで、この前ここで“プロクルステスの寝台”にたとえた「東京五輪開催のためのコロナ対策」という菅政権の本末転倒ぶりが国民のイライラを募らせているわけです(ANNの最新世論調査では五輪の中止または延期を求める声がついに82%に達したとのこと)。もっと早い段階で中止を決断していれば、こういうことにはならずに済み、政治は本来取り組むべき問題にもっとフォーカスできるようになっていたでしょう。

 そういう問題の一つが、コロナによって深刻な困窮に陥っている人たちへの早急な救済対策であるわけです。今の日本社会は互助、共助の精神がかつてないほど薄れている。かつてはあった草の根の“自然な”セーフティネットはもはや存在しないので、政治がもっとそちらに力を入れる必要があるのに、それについては何も手を打とうとしない。政府がそうした対応に乗り出せば、国民の意識も「自分だけ助かればいいというものではない」という方向に変わるのではないかと思いますが、菅政権にかぎらず、強者の利益保護に偏した今の自民党政府にそれを期待するのはどうも無理そうです。

 これを書いていて思い出したのは十代の頃聴いた次の歌です。皆さん、ご清聴下さい(ジェンダーの問題はありますが、そこは細かいことをおっしゃらずに)。

鶴田浩二 傷だらけの人生


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