書店に並ぶのはまだ少し先ですが、版元のナチュラルスピリットのホームページに近刊予告が出て、アマゾンでも予約が可能になったので、おしらせしておきます。
・エイリアン・アブダクションの深層 ―意識の変容と霊性の進化に向けて―
発売日は5月8日になっていますが、こういう日付は遅めに付けるので、実際の配本はもう少し早くなるかと思います。連休前に出てくれるのが一番いいのですが、今の時期は印刷所も立て込むらしいので、そのあたりは微妙です。何にせよ、お待ちいただいた方に「やっと出ます」とご報告できるのは嬉しいことです。
アマゾンは前とは表示の仕方が変わって、目次が下に出てこないので、内容がわかりにくいかもしれません。表紙(うまくイメージを捉えていて、原著のそれより迫力がある!)の写真のすぐ下の「イメージを見る」の箇所をクリックすれば、目次の画像も一緒に出てくるので、詳しい内容を知りたい方はお手数ですがそちらをご覧ください(尚、表紙の表記に一部不備があって、現段階では前の画像が出ているようですが、実物は修正されています)。
下の「出版社より」のコーナーの説明文は、ランダムにあちこちから抜き出したものらしく、相互につながっているわけでもないし、これではちょっとわかりにくいだろうと思います(「本文より」とあるのに、訳者あとがきからの引用が混入していたりもする)。僕はいくつか、広告文用によさそうなものをピックアップしていたので、本体関係(帯や本の見返し)にはそれを使ってもらえたようですが、ここに入れるのによさそうなものとしてえらんだ文はなぜか入っていない。それを以下に再録しておきます。
これまでのUFOをめぐる議論は主に、それが厳密に物質的な意味でリアルなのかどうか、そしてその存在が伝統的な科学の手法で証明できるのかどうか、という問題に焦点を当てたものだった。同様に、アブダクションに関しても、関心は、人々がエイリアンによって身体的に空中の宇宙船に連れて行かれたのかどうかという点に向けられていた。これらは込み入った問題である。しかし、アブダクティたちと十年近く一緒に研究してきた後、私は、これらはアブダクション現象が提起する最重要の問題ではないという見解に達した。私たちの文化にとって最も重要な真実は、アブダクティたちの体験の途方もない性質とその力、これらの体験が開く他のより深いリアリティの次元への端緒、そしてそれらが私たちの文化と人類の未来にとってどんな意味をもつか、というところにあるのではなかろうか。(最終章冒頭より)
ということで、この本は、アブダクションの物理的証拠を並べ立てて、それが「客観的現実」であることを強調して読者を説得しようとするものでも、テレビのバラエティ番組によくあるような、エイリアンやUFOとの遭遇の異様さをセンセーショナルに(あるいは面白おかしく)伝えようとするようなものでもないということです。著者は、アブダクティまたは体験者と呼ばれる人たちの話に深く耳を傾けて、それがその人たちの生活と内面にどんな影響を及ぼし、自己理解や世界観にどういう変化が生じたか、それを詳しく紹介しようとします。そして、その異様な体験(色々な角度からそれは検討されます)を通じてひき起こされたアブダクティ個人の深い自己変容が、そうした体験とは無縁の一般の人たちにとっても意味のあるものになりうるかどうか、考察しようとするのです。
むろん、「ぶっ飛んだ」話はいたるところに出てきます。問題の性質上、そうならざるを得ない。想像力の豊かな人なら、読んでいるうちに窓の向こうやベランダからETたちがこちらを覗き込んでいるのではないかと心配になってくるかもしれません。客観的・物理的証拠があろうがなかろうが、体験者たちは不定期にエイリアンの訪問を受けたり、彼らに連れられて壁を通り抜け、青いビームに吸い上げられて空を飛んだり、宇宙船の中の台のようなものに乗せられて検査を受けさせられたり、エイリアン妊娠なるものを体験したり、中にはエイリアンの愛人がいると主張する人さえいるのですが、そういうのがリアルそのものの体験として語られるのです。エイリアンにもおなじみのグレイの他、爬虫類型や、金髪型、おでこに大きなでっぱりのあるものや、外見は人間とほとんど変わらないものまで、多くの種類がいるようで、形態のみならず、大きさも様々なようです。
ETたちはほぼ共通して、地球の深刻な生態学的破壊に憂慮を示していて、アブダクティに様々な情報を与える。それがきっかけで環境保護活動家になった人もいるくらいで、ノーテンキな人類よりエイリアンの方が地球の環境破壊を心配しているというのは妙な話ですが、この本を読むかぎり、どうもそれは事実であるようです。
この本には北米、南米、南アフリカの個性豊かなシャーマンが三人登場して、八、九、十章がそれに該当します。それぞれが遭遇体験者で、彼らにとっては宇宙人は自明の存在で、彼らの文化はそれを組み込んだものとして存在してきました。先住民の間には先祖が「星から来た人」だという伝承をもつ部族もいて、そういうのはべつだん珍しい話ではないようです。太古の昔から彼らは地球を訪問していて、文明や時代によっては彼らと「共生」していたときもあったと信じる人たちもいる。知識やテクノロジーも彼らに教わったのかもしれないので、だから漸進的文明発達史観からすると、説明不能な超高度技術が大昔にあったことも、それが正しいなら「ありえない」話ではなくなるでしょう。
それにしても、名門ハーバード大の教授ともあろう者が、一体どうしてそんなトンデモ話を真に受けて十年もその研究に没頭するようなことになったのか? 大方の人はUFOや宇宙人は認めるとしても、この本に書かれているような様々な異常としか思えない出来事は信じがたいと思うでしょう。通常なら病的な幻覚か妄想として片づけられそうな話のオンパレードなのです。著者はそれまで精神医学の本流を歩いていて、ピューリッツア賞を受賞したこともある有名な学者です。気でも狂ったのかと言われても不思議ではないので、げんにハーバード大医学部の同僚の中には、精神病理学の研究対象としてならともかく、そんなものをまとも扱いするのはけしからんと大学に告発状を出す者がいて、マック教授は査問委員会にかけられてしまったのです。彼らにしてみれば、それは「大学の品位を汚す」こと以外の何ものでもなかったのです。
著者がそれを研究するようになった経緯は第一章に詳しく述べられていますが、その人たちの大部分には心理検査の結果、何の異常も発見されなかったし、ふつうに社会の中で元気に働き、活躍している人たちで、職業も年齢も様々ですが、中には五人の子供をもつ主婦までいるのです(全体として女性の比率が高い)。その部分だけ「異常」だというのは道理に合わないので、著者の精神科医としての長年の経験に照らしても、面接していて彼らが病気だという印象は受けなかった。知的レベルが低いとか、科学的思考能力に乏しいということもないので、学者やサイエンス・ライター、医者や看護師などもこの本には登場します。彼らは通常の近代西洋的、合理主義的な「知のパラダイム」からすれば、とんでもないことを言っているのですが、だからといって他に何ら病的な兆候もないのに、それを病気や妄想として片づけてしまっていいのか?
ここで彼は人間として、医者として、学者として、その誠実さを問われたのです。そこで、「私には、明らかに彼らにふさわしくない枠型に適合するようクライエントを強制し続けるより、自分の世界観を修正することの方が論理的で、知的にも誠実であるように思われた」(第一章)ので、先入見を排除し、真剣な研究に乗り出したのです。
読者もそこは同じで、通常の世界観を保持したままではついていけません。そこでは時間や空間の観念も変更を迫られ、まず自分がここにいて、その外部に空間があり、そこに様々のものがある(いる)といった通常の主客相対的な世界理解も疑問にさらされます。アブダクティたちはよく「自分を木っ端みじんにされた」と言いますが、それまでもっていた価値観や考え方のすべてが崩壊させられてしまうような恐怖を(少なくとも最初は)体験するのです。
人間にとって、それは最も恐ろしいことです。なぜかといえば、自分とは通常、その価値観や世界理解だからです。もしもそれが崩壊させられれば、自分もそれと共に崩壊する。アブダクティたちにとって、エイリアン・アブダクション体験とは禅の公案のようなものです。それはそれまでの価値観、世界観をもったままではいくら考えても理解できない。謎は深まるばかりになってしまうのです。そこでどうするか? それらをすべて手放して目の前の現実に向き合うしかなくなる。それは通常の自己の死を意味します。
アブダクション体験者と「共にいる」ときほど、精神科医として大きなエネルギーを要求されることはないと、著者は言います。トラウマや解き得ない難問を抱えたクライエントを相手にするとき、精神科医やセラピストは「全存在をもってそこにいる」ことを要求されます。もしもそれが自分の考えや、精神医学、心理学の教科書には適合しないというので、妄想や錯覚、病気として直ちに斥けてしまうなら、それが自己防衛心理から逃げ腰になった二流の精神科医やセラピストのやることですが、対話も交流も成立しなくなる。
著者は本の扉に「私の先生であった体験者たちに」という言葉を掲げています。これは社交辞令の類ではないので、彼らと共同作業した結果、著者自身が知のパラダイム転換を経験し、人間精神の新たな可能性を発見したのです。袋小路に陥った今の文明からの脱出口になりうる力強い何かを、この人たちはつかんだのだと著者は感じた。思いがけないことに、それは先住民文化や、古代的な叡知とも通底するもので、それに新たな生命を吹き込むようなものでもあったのです。
あれこれ書くとキリがなくなるのでこれくらいにしますが、これで大体のイメージはおわかりになったでしょうか? 断固として自分の個人的信念や世間的な固定観念を守りたいという人には不向きな本なので、オープンな心をもたない人は、途中で挫折するか、腹を立ててしまうかのどちらか、あるいは両方になるでしょう。それなら初めからお読みにならない方がいいのです。
しかし、今の文明世界に暮らしていて、何かおかしい、ここには何か根本的に間違ったところがあるのではないかと感じている人は、この本から得られるものがあるでしょう。また、そもそも自分というのは何なのか、この世界は全体どういう構造になっているのかといったことに関心をもつ人たちにも、興味深く読んでいただけるだろうと思います。別にエイリアンに興味はない人たちも、一個の人生体験の書として読んでいただければ、得られるものはきっとあるだろうと思います。
訳者として、楽屋話はたくさんあるのですが、そういうのは今回は無用にします。予想よりずっと遅れた出版になったのですが、この前もちょっと書いたように、アメリカ政府はまもなく、これまで機密扱いにしてきた国防総省内部のUFO情報を公開すると見られているので、期せずしていいタイミングの訳書出版となりました。この本は題材にもかかわらず、かなり硬派の研究書なので、そう楽には読めず、出版は難しいかなと思いましたが、出せたのはナチュラルスピリットの今井社長の英断のおかげです。売れなくて社に損害を与えるのは避けたいので、できるだけ多くの読者に買っていただければと思います。このボリュームでこの値段はかなりお買い得だと思うのですが、いかがなものでしょう?
・エイリアン・アブダクションの深層 ―意識の変容と霊性の進化に向けて―
発売日は5月8日になっていますが、こういう日付は遅めに付けるので、実際の配本はもう少し早くなるかと思います。連休前に出てくれるのが一番いいのですが、今の時期は印刷所も立て込むらしいので、そのあたりは微妙です。何にせよ、お待ちいただいた方に「やっと出ます」とご報告できるのは嬉しいことです。
アマゾンは前とは表示の仕方が変わって、目次が下に出てこないので、内容がわかりにくいかもしれません。表紙(うまくイメージを捉えていて、原著のそれより迫力がある!)の写真のすぐ下の「イメージを見る」の箇所をクリックすれば、目次の画像も一緒に出てくるので、詳しい内容を知りたい方はお手数ですがそちらをご覧ください(尚、表紙の表記に一部不備があって、現段階では前の画像が出ているようですが、実物は修正されています)。
下の「出版社より」のコーナーの説明文は、ランダムにあちこちから抜き出したものらしく、相互につながっているわけでもないし、これではちょっとわかりにくいだろうと思います(「本文より」とあるのに、訳者あとがきからの引用が混入していたりもする)。僕はいくつか、広告文用によさそうなものをピックアップしていたので、本体関係(帯や本の見返し)にはそれを使ってもらえたようですが、ここに入れるのによさそうなものとしてえらんだ文はなぜか入っていない。それを以下に再録しておきます。
これまでのUFOをめぐる議論は主に、それが厳密に物質的な意味でリアルなのかどうか、そしてその存在が伝統的な科学の手法で証明できるのかどうか、という問題に焦点を当てたものだった。同様に、アブダクションに関しても、関心は、人々がエイリアンによって身体的に空中の宇宙船に連れて行かれたのかどうかという点に向けられていた。これらは込み入った問題である。しかし、アブダクティたちと十年近く一緒に研究してきた後、私は、これらはアブダクション現象が提起する最重要の問題ではないという見解に達した。私たちの文化にとって最も重要な真実は、アブダクティたちの体験の途方もない性質とその力、これらの体験が開く他のより深いリアリティの次元への端緒、そしてそれらが私たちの文化と人類の未来にとってどんな意味をもつか、というところにあるのではなかろうか。(最終章冒頭より)
ということで、この本は、アブダクションの物理的証拠を並べ立てて、それが「客観的現実」であることを強調して読者を説得しようとするものでも、テレビのバラエティ番組によくあるような、エイリアンやUFOとの遭遇の異様さをセンセーショナルに(あるいは面白おかしく)伝えようとするようなものでもないということです。著者は、アブダクティまたは体験者と呼ばれる人たちの話に深く耳を傾けて、それがその人たちの生活と内面にどんな影響を及ぼし、自己理解や世界観にどういう変化が生じたか、それを詳しく紹介しようとします。そして、その異様な体験(色々な角度からそれは検討されます)を通じてひき起こされたアブダクティ個人の深い自己変容が、そうした体験とは無縁の一般の人たちにとっても意味のあるものになりうるかどうか、考察しようとするのです。
むろん、「ぶっ飛んだ」話はいたるところに出てきます。問題の性質上、そうならざるを得ない。想像力の豊かな人なら、読んでいるうちに窓の向こうやベランダからETたちがこちらを覗き込んでいるのではないかと心配になってくるかもしれません。客観的・物理的証拠があろうがなかろうが、体験者たちは不定期にエイリアンの訪問を受けたり、彼らに連れられて壁を通り抜け、青いビームに吸い上げられて空を飛んだり、宇宙船の中の台のようなものに乗せられて検査を受けさせられたり、エイリアン妊娠なるものを体験したり、中にはエイリアンの愛人がいると主張する人さえいるのですが、そういうのがリアルそのものの体験として語られるのです。エイリアンにもおなじみのグレイの他、爬虫類型や、金髪型、おでこに大きなでっぱりのあるものや、外見は人間とほとんど変わらないものまで、多くの種類がいるようで、形態のみならず、大きさも様々なようです。
ETたちはほぼ共通して、地球の深刻な生態学的破壊に憂慮を示していて、アブダクティに様々な情報を与える。それがきっかけで環境保護活動家になった人もいるくらいで、ノーテンキな人類よりエイリアンの方が地球の環境破壊を心配しているというのは妙な話ですが、この本を読むかぎり、どうもそれは事実であるようです。
この本には北米、南米、南アフリカの個性豊かなシャーマンが三人登場して、八、九、十章がそれに該当します。それぞれが遭遇体験者で、彼らにとっては宇宙人は自明の存在で、彼らの文化はそれを組み込んだものとして存在してきました。先住民の間には先祖が「星から来た人」だという伝承をもつ部族もいて、そういうのはべつだん珍しい話ではないようです。太古の昔から彼らは地球を訪問していて、文明や時代によっては彼らと「共生」していたときもあったと信じる人たちもいる。知識やテクノロジーも彼らに教わったのかもしれないので、だから漸進的文明発達史観からすると、説明不能な超高度技術が大昔にあったことも、それが正しいなら「ありえない」話ではなくなるでしょう。
それにしても、名門ハーバード大の教授ともあろう者が、一体どうしてそんなトンデモ話を真に受けて十年もその研究に没頭するようなことになったのか? 大方の人はUFOや宇宙人は認めるとしても、この本に書かれているような様々な異常としか思えない出来事は信じがたいと思うでしょう。通常なら病的な幻覚か妄想として片づけられそうな話のオンパレードなのです。著者はそれまで精神医学の本流を歩いていて、ピューリッツア賞を受賞したこともある有名な学者です。気でも狂ったのかと言われても不思議ではないので、げんにハーバード大医学部の同僚の中には、精神病理学の研究対象としてならともかく、そんなものをまとも扱いするのはけしからんと大学に告発状を出す者がいて、マック教授は査問委員会にかけられてしまったのです。彼らにしてみれば、それは「大学の品位を汚す」こと以外の何ものでもなかったのです。
著者がそれを研究するようになった経緯は第一章に詳しく述べられていますが、その人たちの大部分には心理検査の結果、何の異常も発見されなかったし、ふつうに社会の中で元気に働き、活躍している人たちで、職業も年齢も様々ですが、中には五人の子供をもつ主婦までいるのです(全体として女性の比率が高い)。その部分だけ「異常」だというのは道理に合わないので、著者の精神科医としての長年の経験に照らしても、面接していて彼らが病気だという印象は受けなかった。知的レベルが低いとか、科学的思考能力に乏しいということもないので、学者やサイエンス・ライター、医者や看護師などもこの本には登場します。彼らは通常の近代西洋的、合理主義的な「知のパラダイム」からすれば、とんでもないことを言っているのですが、だからといって他に何ら病的な兆候もないのに、それを病気や妄想として片づけてしまっていいのか?
ここで彼は人間として、医者として、学者として、その誠実さを問われたのです。そこで、「私には、明らかに彼らにふさわしくない枠型に適合するようクライエントを強制し続けるより、自分の世界観を修正することの方が論理的で、知的にも誠実であるように思われた」(第一章)ので、先入見を排除し、真剣な研究に乗り出したのです。
読者もそこは同じで、通常の世界観を保持したままではついていけません。そこでは時間や空間の観念も変更を迫られ、まず自分がここにいて、その外部に空間があり、そこに様々のものがある(いる)といった通常の主客相対的な世界理解も疑問にさらされます。アブダクティたちはよく「自分を木っ端みじんにされた」と言いますが、それまでもっていた価値観や考え方のすべてが崩壊させられてしまうような恐怖を(少なくとも最初は)体験するのです。
人間にとって、それは最も恐ろしいことです。なぜかといえば、自分とは通常、その価値観や世界理解だからです。もしもそれが崩壊させられれば、自分もそれと共に崩壊する。アブダクティたちにとって、エイリアン・アブダクション体験とは禅の公案のようなものです。それはそれまでの価値観、世界観をもったままではいくら考えても理解できない。謎は深まるばかりになってしまうのです。そこでどうするか? それらをすべて手放して目の前の現実に向き合うしかなくなる。それは通常の自己の死を意味します。
アブダクション体験者と「共にいる」ときほど、精神科医として大きなエネルギーを要求されることはないと、著者は言います。トラウマや解き得ない難問を抱えたクライエントを相手にするとき、精神科医やセラピストは「全存在をもってそこにいる」ことを要求されます。もしもそれが自分の考えや、精神医学、心理学の教科書には適合しないというので、妄想や錯覚、病気として直ちに斥けてしまうなら、それが自己防衛心理から逃げ腰になった二流の精神科医やセラピストのやることですが、対話も交流も成立しなくなる。
著者は本の扉に「私の先生であった体験者たちに」という言葉を掲げています。これは社交辞令の類ではないので、彼らと共同作業した結果、著者自身が知のパラダイム転換を経験し、人間精神の新たな可能性を発見したのです。袋小路に陥った今の文明からの脱出口になりうる力強い何かを、この人たちはつかんだのだと著者は感じた。思いがけないことに、それは先住民文化や、古代的な叡知とも通底するもので、それに新たな生命を吹き込むようなものでもあったのです。
あれこれ書くとキリがなくなるのでこれくらいにしますが、これで大体のイメージはおわかりになったでしょうか? 断固として自分の個人的信念や世間的な固定観念を守りたいという人には不向きな本なので、オープンな心をもたない人は、途中で挫折するか、腹を立ててしまうかのどちらか、あるいは両方になるでしょう。それなら初めからお読みにならない方がいいのです。
しかし、今の文明世界に暮らしていて、何かおかしい、ここには何か根本的に間違ったところがあるのではないかと感じている人は、この本から得られるものがあるでしょう。また、そもそも自分というのは何なのか、この世界は全体どういう構造になっているのかといったことに関心をもつ人たちにも、興味深く読んでいただけるだろうと思います。別にエイリアンに興味はない人たちも、一個の人生体験の書として読んでいただければ、得られるものはきっとあるだろうと思います。
訳者として、楽屋話はたくさんあるのですが、そういうのは今回は無用にします。予想よりずっと遅れた出版になったのですが、この前もちょっと書いたように、アメリカ政府はまもなく、これまで機密扱いにしてきた国防総省内部のUFO情報を公開すると見られているので、期せずしていいタイミングの訳書出版となりました。この本は題材にもかかわらず、かなり硬派の研究書なので、そう楽には読めず、出版は難しいかなと思いましたが、出せたのはナチュラルスピリットの今井社長の英断のおかげです。売れなくて社に損害を与えるのは避けたいので、できるだけ多くの読者に買っていただければと思います。このボリュームでこの値段はかなりお買い得だと思うのですが、いかがなものでしょう?
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