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ラムザイヤ―論文にまつわる騒ぎについての個人的感想

2021.04.08(12:25) 817

〔折しも韓国の二つの市長選(ソウル、釜山、どちらも原因は与党系前市長の醜悪なセクハラ事件)が終わったところで、大方の予想どおり、与党候補は大敗して、文政権のレームダック化はさらに進むと見られ、日韓関係の未来からしても、次期大統領はもっとマシな人物(「共に民主党」ではない!)に代わってくれればいいがと思いますが、これはその前に書きかけていたものです。〕

 例の従軍慰安婦についてのラムザイヤ―論文は、多くの韓国人の憤激を招き、人格攻撃にまで発展していますが、これは既視感のある光景で、朴裕河教授の『帝国の慰安婦』のときなども全く同じでした。あれはとても全体を読んでの批判とは思えないもので、文脈を無視して言葉の揚げ足取りに終始し、運動の中心的存在、挺対協(現正義連)はナヌムの家の元慰安婦たちをけしかけて、名誉棄損だとして本の出版差し止めと、計2億7千万ウォンの損害賠償を求める訴訟を起こさせたのでした。

『帝国の慰安婦』日本語版を読んで強い感銘を受けていた僕はあのとき、慰安婦への深い思いやりに満ちたこの良心的な本の一体どこが「名誉棄損」なのかと呆れましたが、自分たちの独善的なイデオロギーや被害感情に合わせて作られた虚偽に満ちた主張に反するものは何でも頭ごなし否定しなければ気が済まないのがかの国の反日愛国左翼のいつもの流儀で、これでは日韓関係の改善など望むべくもないだろうと嘆息しました。

 その後、文政権になって、朴槿恵政権時の慰安婦合意の実質的な破棄、政権がトップと多くの判事を入れ替えた韓国大法院の徴用工新判決などで事態が一層悪化したのは周知のとおりですが、文政権下で与党系候補として出馬し、国会議員にまでなった挺対協(現正義連)の代表、尹美香は、自分がなろうとしてなれなかった議員様に尹がなったことをやっかんだ李容洙(今では中心人物のようになっているが、その証言に最も信憑性がない元慰安婦)に「告発」され、それをきっかけとして、この団体の不正会計(尹による私物化)と異様な政治性、さらにはナヌムの家を管理する僧侶団体の悪どい搾取までが暴露され、韓国内でもこの「運動」の動機自体が疑われるようになったのは、ある意味「進歩」と言えました。

 しかし、李氏朝鮮時代の私利私欲にまみれた両班政治さながらの、理念は表看板だけで、たえず党派に分かれて権力闘争に明け暮れるあの国では、反日は「民族統合の象徴」としての皮肉な役割を果たしており、右であれ左であれ、旗色が悪くなると必ず「反日アピール」に訴えようとするところは変わらない。それだと政敵も非難できないからで、日本の大阪生まれの保守派の李明博元大統領など、政権がレームダック化して、大統領退任後の訴追も囁かれるようになったとき、竹島上陸パフォーマンスを敢行して、「国民の支持と共感」を買って、何とかそれを免れようとしたのです(先に反日カードを使いきった文在寅はこれからどうするのか知りませんが)。

 それが有効に機能すると考えられているのは、歴史教育によって国民の“反日洗脳”が行われてきたからで、「日帝支配35年の悪夢」は様々に誇張され、それに先立つ自前の「李氏朝鮮500年の悪夢」は、あれは少なくとも善良な庶民層にとっては「悪夢」以外の何ものでもなかっただろうと思われますが、逆に美化されて、歴史というよりはむしろファンタジーのようなものになっているから、「日帝支配」時代の慰安婦や徴用工問題も、それに合わせた誇張や歪曲はむしろ当然視され、それに史実に合った修正を加えようとする者は、「親日の裏切り者」の烙印を押され、烈しく弾劾される羽目になるのです。

 それは日本人の側からすれば、いくらかひどすぎるように見える。国家間の協定を結んで賠償や謝罪をしても、韓国政府やメディアはそれを自国民に正しく伝えることはせず、後で当然の権利のように一方的に覆して、新たな謝罪と賠償を要求する。しかもそれは一方的な主張に基づくもので、それは過去の文書や歴史的資料に照らして正しくないのではないかと指摘しても、かえって逆ギレされるだけなのです。被害者本人が嘘をついたり、不都合なことに頬かぶりしたりしていることも少なくないようですが、それを指摘することも「被害者の心を踏みにじるものだ」として激しく非難されるのです(そのくせ政府が被害者に渡すべき賠償金をネコババしたり、支援団体と称する連中が私腹を肥やすのに問題を悪用したりしているわけですが)。

 さんざん自国の政治家や官僚の汚職、財界人の不正に悩まされ、国民間でも詐欺や横領が並外れて多い国なのに、どうして「日帝支配」時代にかぎって、自民族の無謬性が信じられるのか、大いに不可解です。罪は挙げて日本側にあったとするその論理は、独善的かつ幼稚なナルシシズムに発するもので、こういうのは典型的なモンスター・クレイマー心理です。

 今は日本でもこの類が増えているという話ですが、彼らには事を荒立てまいといくら謝ってもキリがなく、むしろ嵩にかかってくるだけなので、しまいには正面から対決するしか方法がなくなる。対韓国問題でも、日本側はここに来てスタンスを明確に変えました。それは政府方針が変わったというより、国民が「いい加減にしろ!」と怒り出したからで、ゴールポストを勝手にコロコロ変えるような国はまともに相手にすべきではないという国民的コンセンサスのようなものができたから、政府もそれに歩調を合わせているだけなのです。

 話をハーバード大のラムザイヤ―教授が書いた論文に戻して、それは従軍慰安婦は韓国が主張するような単純な性質のものではないということを指摘した論文のようですが、「初めに感情的反発ありき」で、批判の多くはそれに由来しているようです。名門の誉れ高いハーバードの教授が書いたものだということで、そんなものが認められては大変と、非難はなおさら激しいものとなった。しかし、彼らが中身を読んで「批判」しているのかどうかは大いに疑わしいと、『反日種族主義』の共著者、李宇衍氏が指摘しているのを前にもここでも紹介しました(「作話と事実の間~李容洙さんの場合」参照)が、ネットのデイリー新潮には、公文書研究で有名な有馬哲夫・早大教授のそうした「批判もどき」の具体的な問題点を指摘した一連の記事が出ています。「新潮は右翼だから」と言って読まない人もいるでしょうが、こういうのは右か左かの問題ではなく、公正な議論になっているかどうかで、その記事には説得力があります。

ラムザイヤー教授「慰安婦論文」を批判するハーバード大学教授は文献を読めていないのではないか(前編)

 論文への批判や撤回要求声明を読むと、そのほとんどが同じスタンスと知見を踏まえていることがわかる。つまり、ラムザイヤー論文批判は、数こそ多いが、実は同じスタンスで同じ情報に基づいて書かれているものが多い。

 そして、とくに指摘しておかなければいけないことは、批判者の多くはラムザイヤー論文によって、内容が根底から覆される著書や論文(強制連行説とか性奴隷説に基づいた)を書いた人物だということだ。


 自分の「立場」に基づいてものを言うだけの人間に公正さ、公平さを期待するのはどだい無理な話ですが、批判者の多くはこの類だということで、同じサイトの同教授の他の記事にはそのあたり、具体的にどこがどうおかしいのか説明されているのですが、日本でも「ラムザイヤ―教授は三菱からカネをもらっているから、初めに結論ありの日本びいきの論文を書いたにすぎない」といったプロパガンダを真に受けている人は結構いるでしょう。しかし、実際には批判者たち自身が、自分の立場や自説を否定されるのを恐れて「批判」を装ったこじつけじみた論難を行なっているだけではないかということで、そこは中身を注意深く吟味しなければならないということです。

「ラムザイヤー論文によって、内容が根底から覆される著書や論文(強制連行説とか性奴隷説に基づいた)を書いた人物」には、いち早く非難声明を出したわが国の吉見義明・中大名誉教授なども含まれるでしょうが、韓国ではこういうのも「日本でも良心的な学者たちはラムザイヤ―を批判している」として伝えられるわけです。有馬教授の反批判などは紹介されず、よくてもせいぜい「嫌韓偏向右翼メディアに載った右翼学者のたわごと」だとして片づけられるだけでしょう。僕は前に山口二郎・法大教授が韓国の代表的な左翼新聞、ハンギョレに寄稿した文章の「ダブル・スタンダード」を批判したことがありますが、彼なども自分の「立場」からものを言っているだけで、おそらくご本人も自分のご都合主義的な議論の矛盾には気づいていないのでしょう(そういうことばかりしているから、日本の左翼は一般の支持を失ったのですが)。僕がそこで言ったのは、日本の保守政権を批判するのはいい(僕もいつもやっていますが)、しかし、その同じ批判の刃が日本政府よりもっと悪質な韓国文政権に全く向けられないのはどういうことだ、ということです。知的誠実さをもつまともな学者ならそんなことはしないはずです。

 この有馬教授の一連の記事などは、翻訳、またはポイントを要約して欧米にも広く紹介されるべきでしょう。韓国でも今はハングルだけで漢字が読めない人の方が多いそうだから、当時の日本語文書の恣意的な「誤読」がそのまま流通し、それがラムザイヤー論文の批判に使われるわけで、それでは公平な批判になどなるわけはない。

「ラムザイヤー教授は慰安婦制度への日本政府と日本軍の関与を否定している」という批判についても、有馬教授はそんなことはないとして、次のような引用を示しています。

「1930年代から1940年代初めの慰安所についての日本政府の大量の文書は、政府がこの施設を性病と戦うために設置したということを明らかにしている。もちろん他にも理由はあった。政府はレイプも減らしたかったのだ。(中略)しかしながら、第一義的には日本軍は慰安所を性病と戦うために設置したのである。定義からいっても、慰安所は日本軍の厳格な衛生管理と避妊処置を順守することに同意した売春所なのである。(5頁)」

「日本軍は(公娼と私娼に加えて)さらに売春婦を必要としたのではなかった。売春婦たちは沢山いた。売春婦は世界の至るところで、軍隊のあとについていった。アジアでは日本軍のあとをついていった。このような女性たちではなく、日本軍は健康な売春婦を必要としていた。1918年にシベリア出兵したとき指揮官は多数の兵士が性病のために戦えなくなっているのを発見した。1930年代に日本軍が中国全土に展開したときも、中国の売春婦がかなり高い割合で性病に感染しているのに気が付いた。(同)」

 上記の通り、ラムザイヤー教授は日本政府と日本軍の関与を明確にしている。

 慰安所は、日本軍兵士が性病にかかるのを防ぎ、併せて兵士が戦場で現地女性をレイプするのを防止するために設置されたのである。慰安所以外での兵士の買春は軍令によって禁じられていた。


 これは同サイトの「韓国側が連日猛攻撃、ハーバード大教授『慰安婦論文』で批判されている点を原文で徹底検証」という記事からの引用ですが、要するに論文の内容そのものを平気で歪曲したりもするのです。これは「UCLAのマイケル・チェ教授らの声明」の中に含まれる記述だそうですが、『帝国の慰安婦』を批判するときも挺隊協などは同じ手を使った。よほど頭が悪いのでなければ、故意に歪曲して非難しているということです。

 その後、冒頭引用記事の「後編」も追加されました。

ラムザイヤー教授「慰安婦論文」を批判するハーバード大学教授は文献を読めていないのではないか(後編)

 これは、当時の慰安婦関係の「内務省文書」に関するもので、ラムザイヤ―論文の批判者たちは、これ自体を誤読または曲解して批判につなげているのではないか、ということです。

 こう見てくると、多くの学者の批判や論文撤回要求声明に影響を与えたゴードン教授とエッカート教授の批判は「ためにする議論」だと筆者は見ている。彼らの批判は、学問的な作法に基づいているようには思えない。ラムザイヤー教授があげている根拠を正当な理由もなく無視していると考えられる。

 むしろ、こうした批判を見ていると、彼らの日本語能力や註などの日本語文献の読解能力に疑問を感じた。この点については、彼らに続く欧米の学者たちの批判の多くにもあてはまる。

 このような批判のための批判をしてくる多くの様々な専門の欧米の学者に、前に見たような日本語資料を翻訳しながら反論することはかなりの消耗を強いられることだろう。これはガリレオ・ガリレイに対する異端審問のようだと筆者個人は感じている。(註:段落分けがいくらか多すぎるので、引用の際変えました)


「強制連行説」を広めるのに与って力があったのは、虚言症患者、吉田清治の有名な“作話”で、その後それは虚偽であることが判明し、朝日新聞などはずっとたってからそれに関する記事の撤回と謝罪を余儀なくされたのですが、韓国政府の慰安婦実態調査報告書(1992)はもとより、国連人権委員会の有名なクマラスワミ報告などでも、彼の作話が証拠の一つとしてとして採用されており(ウィキペディア参照。尚、韓国政府はその後もそれを修正していないという)、これに加えて朴裕河教授が指摘した「女子挺身隊=慰安婦」の混同による誤解なども、挺対協が盛んに宣伝した結果、広く流布したままになっているわけです。

 別に「日本軍による強制連行」がなくても、親に売り飛ばされたり、業者(もとより朝鮮人が含まれる)に騙された結果であっても、あるいは業者との社会通念上の「契約」(これに関しても批判者たちは言いがかりじみた論難をぶつけているようですが)は存在し、ふつうより高い給料をもらったとしても、従軍慰安婦が悲劇的な存在であったことには変わりはないと思いますが、それだと「朝鮮人=無辜の被害者」説vs「日本人=野蛮冷酷な加害者」説の単純すぎる図式が崩壊してしまうので、「非道な日本軍の強制」にすべてを帰そうとする心理が韓国では強く、吉見教授のようなイデオロギー色の強すぎる日本の左翼歴史学者なども強引な資料解釈によってそれを支援しようとするのです。

 性の問題は欧米ではきわめてセンシティブな問題で、とくに sex slaves(性奴隷)という言葉は強い感情的反応を惹起します。しかし、慰安婦の英訳 comfort women は sex slaves と同義であるとされ、英語版ウィキペディアのcomfort womenの項では冒頭、次のように定義されています。

Comfort women were women and girls forced into being sex slaves by the Imperial Japanese Army in occupied countries and territories before and during World War II.
(慰安婦とは、第二次世界大戦前・中に、日本帝国軍によって占領国および占領地域において、強制的に性奴隷にされた女性や少女のことである。)


 この記事はずっと読んでいくと日本側の主張もかなり取り入れられたもの(おそらく日本人も編集に途中から参加して、そういう記述も含めるよう要求したのでしょう)だとわかるのですが、書き出しにしてからがこれで、全体として与える印象はかなり韓国寄りです。吉田清治の書いた本の内容が虚偽であったこと、朝日新聞が2014年、吉田証言に基づいて書いた過去の記事を誤報として撤回したこと、「2019年、日本の外務省は『性奴隷』という言葉は事実に反し、使用されるべきでないこと、この点は韓国との慰安婦合意でも確認されていると公式に声明を出した」こと等々、一通り触れられてはいますが、それらは「苦しい弁明」じみていて、最も読まれるであろう最初の段落には、多くの女性が「その意志に反して(against their own will)」売春宿で働くことを強要され、中には日帝の支配下、家からさらわれた(abducted from their homes)若い女性たち(解釈次第では少女)もいたとか、虚偽の約束に騙された、看護の仕事に応募したつもりが、実は違っていて、慰安所に監禁された(つまり、そこで性奴隷の生活を強いられる羽目になった)とか、「日本軍の凶悪さ」がいやでも印象づけられるような書きぶりなのです。これが「悪魔のような日本軍による強制」でなくて何なのか? 今の韓国ではセクハラやレイプが露見して失脚する政治家がやたら多い印象で、前ソウル市長などはフェミニスト、人権派弁護士として知られ、「2000年12月の女性国際戦犯法廷(模擬裁判)では、韓国代表の検事として昭和天皇を10万人以上の韓国人女性を日本軍慰安婦として強制連行・虐待した罪で起訴」(ウィキペディア。一部改変)したほどですが、実は自身が悪質なセクハラの常習者で、発覚後、恥をかくのを恐れて自殺したし、ベトナム戦争時、韓国軍兵士たちが現地の女性たちに日常的に行っていた悪辣なレイプは世界中に知れ渡っていますが、そういうのはひとまず措くとしてもです。

 だから、ラムザイヤ―氏は日本の宮崎生まれだそうですが、白人で、かつハーバード大教授の肩書をもつ人が「慰安婦=性奴隷説」を否定する論文を書いたことのインパクトは大きく、右翼ならずとも、韓国の度重なる約束反故と、そのしつこさに辟易していた日本人の多くはこれを歓迎したのですが、韓国や、欧米でも韓国の主張に沿った見解を示してきた学者先生たちは逆で、一様に憤慨したわけです。

 今後どうなるのかはわかりませんが、一般の人たちのコメントにもよくあるように、きちんとした「学問的議論」で是非は決せられるべきで、書いてもいないことで非難したり、逆に書かれていることで反論できないものは無視したりする、卑劣な自称「批判」に対しては、目につき次第反批判を加える努力を怠るべきではないでしょう。

 これとは全然関係ありませんが、僕も今度出す訳本で、著者とその研究を標的にした低劣な中傷本があるのを知って、呆れたことにそちらの方は大手出版社から訳本まで出ていたので、訳者あとがきにそれに対する反批判を書き含めました。世の中にはろくに読みもせず(読んでも理解できなかったのかもしれませんが)、研究の名に値しない自分のいい加減な「調査」に基づいて愚劣な決めつけを行ない、相手が言ってもいないことを言ったことにして勝手な御託を並べたりする良心の欠落した手合いが存在するのです。彼らの得意技は印象操作なので、いわゆる情報リテラシー(情報を正しく読み取り、選別する能力)を高めて、そういうものに引っかけられないようにすることが肝要でしょう。

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