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久しぶりに見た小出裕章さんの記事

2021.03.10(13:02) 811

 ヤフーのニュースサイトに小出裕章さんに関する記事が出ているのを見ました。例によってヤフコメらしい下卑たコメントが下にいくつも出ていて(まともなのもありますが)、相変わらずだなと思いましたが、これはその元記事です。

反原発のカリスマ・小出裕章氏 京大退職後は松本で反アベ活動

「反原発のカリスマ」などと呼ばれること自体、小出さんはうんざりでしょう。東北大震災に伴うあの悲惨な福島原発事故は、第二の敗戦のようなもので、あれで日本も変わるかなと思ったら、全く変わらなかった。小出さんならずとも失望するので、あの時点で国民投票をやっていれば、8~9割が「原発全廃」に賛成し、流れは変わっていたでしょうが、その決定をしたのは遠く離れたドイツ政府で、自民党政権はほとぼりが冷めるまで待つ作戦で、国民投票も回避し、いつのまにか再稼働容認になったのです。

 事故の二年半後の2013年9月のIOC総会では、浮ついたことをせず震災復興に注力すべきだという声をよそに、安倍首相(当時)は自信たっぷり「アンダーコントロール」と言い、その後小泉進次郎の妻となった滝川クリステルが「お・も・て・な・し」とやって、2020年夏の東京オリンピック招致に成功し、それがコロナ禍で延期され、安倍二番煎じ政権の菅内閣は、今年の夏は何としても開催するつもりだという話ですが、こういうのは目の前の現実にきちんと向き合おうとしなかったバチが当たったのだと僕は思います。無観客で無理に開催したとしても、莫大な損失を出すことになるので、多額の税金を注ぎ込んで、経済効果すらマイナスだったということになる。馬鹿の見本みたいなものです。

 原発の問題点は、事故が起きたら悲惨なことになる、そのときだけでなく、汚染が原因でその後がんを発症したり、半永久的に人が住めなくなる(そこにいた人たちは住居と故郷を失うことになる)ということだけでなく、高レベル放射性廃棄物の処理方法が存在せず、一体それをどうするのかというめどが全く立っていないことです。経済的に全くペイしないのも、廃炉(事故がなくても)の費用や、十年たってもいまだに見通しが立たないあの事故の後始末問題を見ただけでもわかります。今は溜まりに溜まったタンクの汚染水をどうするかという議論ばかりになっていますが、根本にあるのは「事故が起きても起きなくてもどうしようもない」その技術としての救い難さにあります。地震国の日本では地震のないフィンランドのオンカロみたいな核廃棄物の地下貯蔵施設を作ることもできない(それも問題含みなので、『10万年後の安全』というドキュメンタリーが作られたほどですが)。

 小泉元首相は「私も『原発安全神話』に騙された」と言って、脱原発運動家になって、あちこちで講演活動などしているようですが、いくら呼びかけても政権と原子力ムラは鼻もひっかけず、今では原発反対を唱える人は「左翼」のひとことで斬って捨てられる有様です。今のように地球温暖化の問題が大きくなるとなおさらで、原発はなくても電力供給は大丈夫なことが全部の原発が止まったあのとき証明されてしまったのですが、原発維持派はCO2抑制を追い風に利用しようとする。あのとき、「これは地震国の日本には全く不向きだし、技術としても解決不能の問題を抱えているのだから、すっぱりやめて正しい選択をしよう」という決断をして国を挙げて取り組み、予算と人的資源を新技術の開発や、既存の自然エネルギー利用技術の刷新に振り向けていれば、日本人の能力からしてその方面で世界をリードする国になりえたかもしれなかったわけです(原発をもつ国々もそれに習う)。間違いなくそれは経済的にペイするし、日本人の誇りの源泉にもなりえた。それが、そんな面倒な疲れることはやめましょうということで、既存システムの温存に走り、代わりにオリンピックや万博を景気づけに…なんて時代錯誤なことしか考えられなかったわけだから、日本という国は「災い転じて福となす」千載一遇のチャンスを失ってしまったわけです。

 個人の人生においても、やってたことが間違っていたとわかったら、過去のしがらみはどうあれ、それは捨てて、心機一転正しいことをやりましょうとなるはずで、そのとき困難に真摯に対応するか、逃げやごまかしに走るかによってその後の人生は大きく変わってきます。興味深いのは、見通しが立たないような困難な状況でも、過去にとらわれず、これと信じたことに思い切って賭ける人の道はいつのまにか開け、逆に過去のしがらみにとらわれたままごまかしに走る人は、その場は何とかなっても、後でツケが倍になって返ってきて、今度こそどうにもならなくなることが多いということです。日本政府と日本人はあの福島原発事故の後、後者を選択した。だからオリンピックもコロナでパーになるし、「失われた二十年」はそのまま三十年になりましたが、このままだとそれは四十年、五十年になりそうで、経済大国は今や昔、一人当たりGDPでもすでに韓国に抜かれたそうですが、いずれ貧しい国の一つにカウントされるようになってしまうでしょう。「何でも問題を先送りしているとああなりますよ」の見本みたいになるのです(今の日本を覆う無気力さも、あの問題にきちんと向き合わなかったことと何かしら関係するでしょう。「進取の気象」のなさを自ら証明してしまったのです)。

 日本人はよくよく「核」とは悪縁がある。太平洋戦争の終わりに、日本はできたばかりのアメリカ製核爆弾の実験場にされ、広島、長崎と立て続けに原爆を落とされて、歴史上核爆弾を落とされた唯一の国になっているわけですが、あのときも軍と政府はまだ「本土決戦」なんて寝言に固執していて、本当のところ、あの戦争は前年の段階で100%敗北が確定していたのに、それを認めないから空襲で何十万人もの民間人が新たに死に、兵士もろくに補給もないまま次々南方に送られて、半ば以上は餓死させられる(当時まだ十代だった僕の伯父もその一人でしたが)羽目になるという、無駄な犠牲を強いられたのです(元々が山本五十六も言っていたように、勝ち目のない戦争だったのですが)。今の政府あたりにはその無責任で愚かなDNAが脈々と生きているようで、現実をシビアに認識して、必要な手を打つ心構えがない。既得権益層のことばかり思いやって、彼らと古くさいファンタジーを共有して、荒唐無稽な「作戦」を立案して、それで何とかなると思い込もうとする。不都合なことは大本営発表の嘘でごまかして、破滅に向けて突っ走っていたあの頃の集団無責任体制と同じです。彼らは「かんたんには変えられない」と分別くさい顔で言うが、大方の場合、変えようとしないから変わらないのです。政治家、官僚、財界、マスコミもグルになって、もうそれは駄目だということがわかっていても、惰性のように前と同じことを続けようとする。私らは真面目に一生懸命やってるんですと言いますが、それはとどのつまりは内輪の人間関係と利益を守るためなので、今は「上級国民」という言葉まであるそうですが、そちらのことばかりで、かつて戦地に送られる兵士や空襲にさらされる民間人(下級国民)にはその配慮が及ばなかったのと同じです。そこにはほんとの意味での公の観念はない。今は民主主義の世の中なので、国民全体に配慮しているフリだけはしなければならなくなったものの、その基本メンタリティは変わっていないので、それが付け足しめいたものになることは避けられないのです(原発は田舎にしかないので、事故が起きてもどのみち被害が直接自分に及ぶことはない)。

 どう見ても原発は廃止すべきですが、いずれ近いうちに確実に来るとされる大地震の際、また似たような事故が起きてからそれはゆっくり考えましょうということなのでしょうか。福島原発のあの事故はまだしも幸運のおかげであの程度の被害範囲で済んだという話ですが、今度は神様も助けてくれないでしょう。さっきも言ったように、事故が起きようと起きまいとあれは問題ですが、起きれば悲惨で、それはコロナの比ではない。

 最後に、小出さんの三年前の講演のURLを付けておきます。これは収録状態も画面も非常によくて、集中して見られる。後ろの方の議論が曲解されて「小出は北朝鮮の核は容認している」という難癖に悪用されているようですが、それは馬鹿げた論難です。自分とはいくらか政治的見解は違うが、いかにもこの先生らしい物言いだなと、僕は人としてのその誠実さにあらためて印象づけられました。小出さんは若者に期待を寄せているそうなので、一度も講演を聴いたことがないという若い人たちはぜひどうぞ。その上で「脱原発なんて絵空事だ」とうそぶく自称現実主義者たちの言うことが正しいかどうか、あらためて判断すればいいわけです。

小出裕章「3.11から7年 放射能のいま…」2018.1.20


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