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学校のいじめ隠蔽事件はなぜ続くのか?

2021.03.07(21:20) 810

 次のような記事を読みました。

「いじめ自殺」否定するなら原因は何? 長崎・海星高生らが学校側に説明求め署名活動

 長崎海星というと高校野球で有名ですが、記事に、

 海星高は校訓として「神愛・人間愛」を掲げている。カトリック・マリア会が経営するミッション・スクールだ。取材に応じてくれた男子生徒によると、授業で「隣人を自分のように愛しなさい」と何度も説かれるという。これらの教育理念と自殺した生徒の尊厳や遺族の気持ちを踏みにじる対応とは、完全にかけ離れている。

 とあるように、いわゆるミッション系の私立中高一貫校の一つです。ついでに高校の偏差値を調べてみると、43 – 61となっていて、学科によって差が大きいようですが、元は男子校で、「2006年(平成18年)よりステラ・マリスコースを開設し正式に共学となった」(ウィキペディア)とあって、偏差値が一番高いのもこの学科になっています。

「私立は公立と較べていじめが少ない」という俗説がありますが、それは嘘で、延岡などでも高校への移行のタイミングで入試を受け直し、私立から公立に移る生徒はけっこういます。「頭がよくて、可愛くて、男子に人気がある」女の子なんかはことに女子生徒の間で執拗かつ陰湿ないじめに遭いやすいようで、それが嫉妬から出たものであることは明白ですが、詳しい話を聞くとかなりたちの悪いものであることが多い。多くの場合、学校も波風が立つのを恐れて見て見ぬふりをする。一般論としても、公立より生徒数が少なくて関係が密になりやすいから、六年間も同じメンバーだとときにそれは耐えがたいものになるのです。全国的な知名度のあるいわゆる名門私立でもいじめは少なくなく、それが事件化するのは氷山の一角であるようです(学校のお勉強がよくできるから人格的にもすぐれているということには、残念ながらならない。世間的に見ても幼稚でジコチューな知的エリートは少なくありません)。

 長崎海星のこの事件で不信を買っているのは学校側の対応のようです。

…昨年11月、スマートフォンで見た1本の記事。自殺の約1週間後、教頭だった武川校長が遺族に「突然死ということにしないか」「転校したことにもできる」と提案し、長崎県学事振興課の当時の担当者も後に「突然死までは許せる」と追認していたことを、共同通信が報じていた。(中略)

 長崎県の「突然死」追認が報道された翌日、教室の中は記事の話題で持ちきりだった。授業が始まる直前まで話し込んでいると、入ってきた教員に「話題に出すな」と強い口調で止められた。一瞬で空気は凍り付いた。3年生は受験を控えた時期で、推薦をもらう生徒もいる。それから学校内で自殺問題に言及するのは、タブーのような雰囲気になってしまった。

「また全てを無かったことにするつもりなのかな」。男子生徒の脳裏に浮かんだある出来事があった。海星高では19年5月にも校内で別の生徒が自殺している。その当日の朝、緊急の全校集会で亡くなった事実だけを知らされた。その後、生徒間では原因についてさまざまなうわさが出回ったが、学校側からの詳しい説明は一度も無かったという。

「臭いものに蓋」の典型ですが、学校側は「いじめが原因で生徒が自殺した」ということになると管理責任が問われるし、ことに私立の場合、悪評が立って志願者が激減するおそれがある、そうなると経営が危うくなり、生徒の学力レベルもそれに応じて低下し、進学実績はさらに下がって、それがまた志願者減の一因として作用するという「負のスパイラル」に落ち込む可能性があると考え、それを恐れたのでしょう。OBたちにも「母校の名前に傷がついた!」と非難されるわけです。それで、「なかったことにするのが一番」ということになった。そう想像されます。

 学校側としては、「自殺した生徒と遺族に申し訳ない」という気持ちはあまり、というかほとんどなくて、「自殺されて迷惑」という感情の方が強いのでしょう。それで自分たちが窮地に立たされてしまったからで、「余計な問題をつくり出してくれたな」という思いです。おまえらそれでも教育者か、と言っても始まらない。学校教育関係者には保身第一の事なかれ主義者がことの他多いのです。僕は長く塾商売をやってきて、そういう例を腐るほど見てきたので、「ありそうなこと」としか感じられないのが悲しいところです。

 これは前にも書いたことかあるのですが、学校の隠蔽体質をよく物語る事例なので、もう一度書いておきましょう。それは僕が三十代半ばに実際経験したことです。そのとき僕は関東にある某塾に勤めていて、そこの中学生対象の集団部門校舎(六つほどあった)の一つの校長というのをやっていました。10月か11月ぐらいだったかと思うのですが、3年生の塾生の保護者たちが五、六人一緒に「相談がある」と言ってやってきて、次のような話をしたのです。その保護者たちの子は全員同じ公立中の生徒でしたが、そこの3年生の間で集団暴行事件が起きた。そこには数人の不良グループがいて、ひそかにいじめやカツアゲをやっていたようでしたが、ある日一人の生徒をトイレに連れて行って、殴る蹴るの暴行を加え、血がトイレ内に飛び散る事件が発生したというのです。当然それは生徒たちに大きなショックを与えて、家庭でも親に話しました。するとその翌日か翌々日に、3年生の保護者全員に学校から呼び出しがかかった。体育館か講堂に呼び集められた親たちに向かって、校長はこの件を絶対に外部に漏らさないようにと言いました。もしこれが外部に漏れれば、と校長は言いました。あの学校は暴力中学だという悪評が立って、推薦入試で落とされるにとどまらず、一般入試でも不利な扱いを受けることは避けられないだろう。つまり、あなた方の子供全員がそれで不利益をこうむることになるのだと。

 これに憤慨したお母さんたちは口々に言いました。そんな馬鹿な話ってあるんでしょうか? そんなひどい暴力事件、警察沙汰にしない方がおかしいので、それを揉み消すなんて校長の保身のためとしか思えない。また、それで大部分の子供たちはその事件とは無関係なのに、同じ中学の生徒だという理由だけで推薦が駄目になったり、一般入試でも不利に働くなんて、ほんとにあることなのでしょうかと。

 話を聞いて僕も驚いたので、それでは暴力事件を起こした生徒たちはお咎めなしで、被害生徒は泣き寝入りということになります。無関係な生徒が推薦や一般入試で落とされたり、不利な扱いを受けるというのは脅しで、かえって事件を曖昧にしてしまう方がおかしな憶測を呼ぶことになってマイナスになる。それで僕は話をまず市の教育委員会に持っていくようアドバイスしました。仮にそれが身内の庇い合いで動かなければ、マスコミに流せばいいので、そのときは経緯をまとめた文を作っておきますので、記者の取材に応じるとき、それも渡して下さい。そういう二段構えで行けば、この問題は解決できると思いますと言うと、「わかりました」とお母さんたちは立ち上がって、彼女たちは行動力があったので、すぐさま教委にかけ合ったところ、意外や市教委は迅速に動いて、校長を職務停止にして、事件は公表され、その中学の生徒たちが推薦入試でゆえなく落とされたり、一般入試で不利な扱いを受けるなどということは全くなかったのです(あたりまえの話ですが)。

 今の学校関係者はそのあたりわかっていないようですが、生徒や保護者が学校に期待するのは是非善悪を明確にするということなのであって、それをしないから信頼が失われるのです。いじめや暴力事件が起きたというそのこと自体より、そちらの方がずっと大きい。

 上の体験談の前には一つ笑える話があって、学校と塾ではいくらか事情は異なりますが、いかに表面的なことはどうでもいいと思われているかを示すものです。子供の進路相談に訪れたある母親から、僕は妙なことを言われたことがあったのです。一通り話が終わってから、「先生、あの噂は本当なのでしょうか? もちろん、私たちはちっともそんなことは気にしてないんですけどね」と、やたら「気にしていない」ということを強調して、僕自身は何も知らない「噂」のことをたずねるのです。聞けば、「今度の○○塾の△△校の校長は元関西の暴力団の幹部だった」という噂が広まっているというのです。僕は驚いて、「それって、僕が元ヤクザだという意味ですか?」ときくと、そうなのだという。根も葉もない話で、それは嘘ですよと笑ったのですが、ひどい話で、ライバル塾が流したデマだとすれば悪質なので、もしそうなら痛い目に遭わせてやらねばならない。それでその出所を調べてみたところ、何のことはない、自塾の馬鹿な学生講師の一人がでっち上げた話だと判明し、僕は彼を呼びつけて、「こんな上品な紳士の一体どこがヤクザなんだ!」とどやしつけたのですが、彼は騒がしい中2の悪ガキどもをおとなしくさせるために、「今度の校長は…」と脅しの材料に使っていたのです。「でも、効果てきめんで、みんな信じましたよ」と得意げに言うので心底呆れたのですが、奇妙だったのは、そんな「噂」が広まっても、やめる生徒は一人も出なかったということです。それは「元暴力団」の僕の報復を恐れたためではなかったはずで、げんに相談に訪れる保護者は多かったのです。僕は管理的な人間ではありませんが、塾内のいじめなどには厳格に対処していたので、今の子供たちは休憩時間に「プロレスごっこ」などと称して弱い者いじめをして、「何してる?」と言うと、「いや、遊んでただけです。なあ」といじめられている子に同意を強要してごまかすなんてことを平気でやるものですが、そういう嘘にはごまかされない。「おまえはオトナをなめてるのか?」とひとこと言えば、そういうのは終わるのです。まともな授業をして、まともに対応していれば、生徒の信頼も親の信頼も得られる。元マフィアだろうとヤクザだろうと、お笑い芸人だろうと、そんなことはどうでもいいのです。僕が高校(県立でした)の時も、嘘かほんとか、先生に高校時代番長だったという人が三人いて、一人は年配の人情味あふれる英語の先生、もう一人は体育教師、もう一人は服装のセンスが抜群で、うちの下宿のおばさんなども熱烈なファンだった三十前後の物静かな美術の先生(一度だけ態度の悪い生徒相手にその片鱗を見せたことがある)でした。このうち体育教師はクソでしたが、他の二人は立派な人で、その英語の先生など、一年のときこの先生に当たったのですが、入試の英語がほぼ零点だった(そのためビリケツ入学だった)僕には特別な憐れみを感じたのか親切そのもので、かえってやりにくかったほどですが、元喧嘩自慢のワルが一体どういうわけでこれほど穏やかで優しい人になったのだろうと、それが不思議でならなかったほどです。

 何を言いたいかと言うと、生徒も保護者も「正しい対応」「誠実な対応」を学校に求めているということなので、大事なのは表面的な体裁ではないということです。仮に暴力事件やいじめ事件が起きても、そしてそれが公になっても、学校側がそれにきちんとした対応を取れば、評判が悪くなるということはないはずです。彼らは真に恐れるべきことが何かを理解していない。

 校則をめぐる問題などでも同じです。時々ニュースになるように、相変わらず理不尽でナンセンスに近い校則は全国で少なくないようで、僕にはそういうのは過剰管理にしか見えませんが、生徒側が改善や廃止を求めても、学校側は話し合いに応じず、生徒総会でも議題から外そうとしたり、アンケートを取ってそれが上位に来ても、それにまともな回答をしようとはしない。それならアンケートなんか取るなということになるのですが、とにかくやることが姑息すぎるのです。

 僕が前にここの「延岡の高校」コーナーに何度も書いた課外の問題なんかもそうで、ああいうのも塾がとやかく言うのは商売上得策ではないが、生徒たちがかわいそうでならなかったから書いたのです。延岡星雲高校はその後朝課外の廃止に踏み切ったし、延岡高校も今は「選択制」を導入しているのですが、あれは朝夕課外がセットになっているので、夕課外はあってもいいが、朝課外はいらないという3年生の圧倒的大多数の声に応えるものにはまだなっていない。それをやると、希望者が少なくなりすぎて朝課外が成立しなくなるのを恐れているからなのでしょうが、なかなか話が前に進まないのです。寝不足でかえって授業全体の学習効果が低下するだけの話なので、合理的・理性的に考えれば、ない方がいいのはすぐわかりそうなものです(九大なんか、九州地区に多い有害無益な朝課外に対する間接的な批判の意図がこめられていると見られますが、近年二度も「睡眠不足の害」についての英文を入試に出題している)。「考える力の育成」を文科省は教育目標の一つに掲げているのですが、教師の側にそれがないのでは悪い冗談みたいなものです(一説によれば、OB会が廃止に反対しているとか。僕の知り合いの延岡高校のOB、OGに反対している人はゼロなので、ほんまかいなと思うのですが、それなら生徒たちが納得するだけの朝課外正当化の根拠を示すべきでしょう。「昔からの伝統だから」というのでは理由にはならない。「オレたちはあれで苦しめられたのだから、後輩も同じ目に遭うべきだ」心理や、強引な自分の過去の美化心理が関与しているのだとすれば、それは社会進歩を阻むメンタリティでしかなく、嘆かわしいことです)。

 悪質ないじめ事件や、いじめ自殺事件などの場合、学校の閉鎖的で不正直な隠蔽体質は致命的なものとして作用する。この長崎海星高校の事件の場合、不可解なのはすでに「第三者委員会の『同級生によるいじめが主要因』と結論付けた報告書」まで出ていることです。つまり、事件はすでに世間に知れ渡っている。なのに、なぜそれを否定し続けるのか?

 こういう場合、学校幹部の保身だけでは説明がつかないようにも思われます。加害生徒たちの親や親戚に理事など学校経営陣のメンバーがいて、それが否定の圧力をかけていることもありそうな話です。つまり、加害生徒たちを守らねばならない何らかの特殊事情があるのではないかということです(彼らはすでに卒業して、大学生になるなり社会人になるなりしているはずですが)。しかし、いじめで被害者を自殺に追い込んだことは刑法上の罪に問われることはなくても、道徳的な責めは負わなければならないでしょう。それはつらいことですが、でなければ人間としての再生もない。それを否定することは本人たちのためにもならないので、宗教の教えを旨とする学校がかかる不道徳な対応を取るというのは解せないことです。それは学校設立の基盤を自ら否定する行為だと言っても大げさではない。

「もし自分がいじめに遭っても助けてもらえないのでは、という恐怖を感じた。一番かわいそうなのはご遺族だけれど、学校側の態度に在校生も傷ついていると理解してほしい」。自身は3月に卒業式を迎えたが、後輩たちに同じ思いを味わわせたくはない。その一心で声を上げようと決めた。

 有志会の発起人となった長崎市の学習塾経営者佐々木大さん(57)は「肩身の狭い思いをしている学校の関係者は他にも多いはずだ」と指摘する。自身も教え子の小学生に「海星は自殺を隠蔽(いんぺい)するのか」と問われた経験があるという。「世間にそう見られるのはこの上ない不名誉だ。署名活動に海星高を糾弾する意図はない。学校が生まれ変わるための契機をつくりたい」と強調した。


 ここには嘘はないだろうと、僕は記事を読んで思いました。「教育機関として正しいことをしてくれ」と有志会は願って署名活動を始めたわけです。学校を潰すのが目的ではなく、それを再生させるのが目的なのです。否認を続けるのでは亡くなった生徒とその遺族だけでなく、加害者側の生徒たち、学校、在学生、卒業生、すべての関係者にマイナスにしかならないのです。正しい対応を取れば、すでに書いたように、むしろ信頼に値する学校だという評判を得る。その逆を行けば、受験生やその保護者達からも見放されてしまうでしょう。Honesty pays in the long run ということわざが英語にありますが、「結局は正直が一番引き合う」という意味です。dishonesty はその逆で、その場はごまかせても、いずれ真実は露呈して信用は半永久的に失われることになる。

 遺憾ながら、今の日本の学校全般に欠けているのはこの美徳です。表面的に体面を取り繕うことしか考えないから、はからずも見て見ぬふりや隠蔽に走ることが多くなり、その結果学校への信頼は損なわれ、教師の社会的地位もこれほど低くなってしまった。世間が見ているのは表面的なことではなく、その実質なのだということに、学校関係者は早く気づくべきでしょう。

 むろん、一部には正直かつ誠実で、生徒思いの、勇気をもって自分が正しいと思うことをきっちりやる先生もいる。それによって救われる生徒や親はいるのです。僕もわが子が学校生活を送る中で、「この先生には本当にお世話になったな」と思うことが二度ありました。それは尊敬に値する先生たちで、子供も親も、そういうことは決して忘れないものです。

 しかし、全体として今の学校というところは、かんじんなところで平気で生徒を裏切ることが多い。「問題なのはわかっているけど、どうにもならないんだよね」と言うのはまだマシな部類だというのでは、あまりに寂しすぎるというものです。長崎海星の先生たちにも良心的な先生はいるでしょう。しかし、内部にそうした不正に正面から物申す人はいなかった(今もいない)のだとすれば、学校の未来は真っ暗でしょう。僕の見るところ、今の学校というところには何か大きな問題があっても、外部から声が上がるのを待つだけという他力本願の頼りない教師が多すぎるように思われます。自分が体を張ることは決してしない(その割に生徒相手に威張り散らしたりする教師は多いようですが)。当然ながら、生徒たちはそれを見ているので、それが彼らの人格形成にどういう影響を及ぼすかを少しは自覚すべきです。

 そのあたり、詳しい事情はこの記事だけではわかりませんが、長崎海星は校長・教頭などの指導部を変え、場合によっては理事なども入れ替える必要があるでしょう。僕が学校の経営者ならそう考えます。そうして「新しく生まれ変わる」必要がある。上の記事にはその署名のURLも付いているので、趣旨に賛同する方はご署名いただきたいのですが、日本の学校の悲しい現実として、ある程度“外圧”を加えないと何事も動き出さないところがあるので、僕はこういう活動を応援したいと思います。でないと自殺した生徒が浮かばれないだけでなく、そのご遺族、在学生たちも気の毒です。通るのはごまかしではなく、正しいことでなければなりません。最終的にはそれが学校を救うことにもなる。有志会が願っているのもそのことでしょう。

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