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皮相浅薄で幼稚な「低級パズル脳」学生を今の大学は求めているとでも言うのか?~新大学共通テストのどうしようもなさ

2021.01.17(15:32) 796

 昨晩、11時過ぎ、ネットで新たな共通テストの英語の問題をざっと眺めて、「ここまでひどいのか…」と思わず絶句しました。僕はかねてセンター試験を「眠たいだけの試験」と酷評していたのですが、よくなるどころか、それに輪をかけてひどくしたもののように思われたのです。

 大学側は危機感をもつべきです。大学や学部によっては二次で英語の試験を行わず、この共通テストの成績だけを英語力の測定資料とするところもあるのですが、こんなもの(ここでは筆記の問題を言っているのですが)では高度な読解力など全然測れない。リスニングに関しては、配点が一気に高くなったので、それも僕は一通り全部聴いてみましたが、試験の性質からして深く考えさせるような問題は作れないので、まあこんなものかなという感じでしたが、リーディング問題の次元の低さは半端ではない。fact と opinion を区別させる問題も出ていましたが、「何じゃ、それは?」と呆れる類のもので、今の社会で本当に問題とされているのはこういうレベルのものではないので、人を馬鹿にしているとしか思えない。人畜無害の極致というか、全体に題材がつまらなくて、こんなもの、わざわざ英語で読まされる受験生が気の毒です。

 二次で英語の問題をやる大学は、共通テストと二次の個別試験の比率を1:5とか1:10ぐらいにすることを考えた方がいいでしょう。つまり、できるだけその比重を小さく見積もるのです。でないと「考える力」なんてものはろくすっぽなく、内容のある人文・科学関係の文献などはまるで読めない大学生がほとんどということになりかねない。これは大学教育の危機というべきでしょう。

 よく英会話だけの帰国子女とかバイリンガルの問題が取りざたされますが、彼らにとってはこの新共通テストの問題は有難いものでしょう。日常会話や実際的なやり取りでは不自由しないが、難しい本を読んだり、思想的な突っ込んだ議論などは何もできず、要するに教養と呼べるようなものは何もない人間には、それでも満点が取れそうなこういう浅薄な問題群は理想的な試験に思えるだろうからです。逆に言えば、この試験はそういう「アホリンガル」になることを大学受験生全体に要請しているものなのだと解釈できる。

 このあたりは、今の高校の教育現場も勘違いしているのかもしれませんが、少なくとも一定レベル以上の知力をもつ高校生は、知的刺激を与えるような、内容的に読み応えのある英文に接したとき、学習意欲が刺激されるのです。どうでもいいようなパンフを読まされて、割引の条件がどうなっているかなど、下らないことの判別に頭を使わせられるのにはウンザリする。先にも言ったように、事実と意見を区別するといったことも、こういう低次元の話ではその大切さがわからないので、こういう問題作成にはガイジンも関与しているのでしょうが、日本の高校生を幼稚園児扱いしてこういう下らない問題を作っているとしか思えない。なめとんのか、と賢い高校生なら思うでしょう。

 これに引きずられて二次試験の英語の問題まで幼稚化すると、日本の大学生の知的レベルの低下は覆い難いものになってしまうでしょう。ヤマイダレのチセイの持主だった安倍前総理のもと、ロクでもない「識者」なるものを集めて、大学入試制度や大学の学部の組織改編にまで手をつけ、実用主義一点張りの改悪を行なってきたのですが、この大学入試新テストもその中で生み出されたものです。その弊害がこの問題を見ると歴然としている。

 大体が、TOEIC や TOEFL をむやみと有難がって、それが「真の英語力」の指標だとみなすような風潮も問題なので、しばらく前に息子と話をしたとき、最近つくづくああいう試験には問題があるなと思うようになったと言っていました。たんなるスピード勝負で、緻密な思考とか深く読み込む力などはそれでは問題とされないので、かんじんな部分は伸びず、おかしな悪い癖がそれでついてしまうだけなのではないかというのが彼の意見でした。そういう試験の対策に時間とエネルギーを取られる分、他がなおざりになるから、大学生の知的レベルはかえって低下する。彼自身は、学部時代一年ドイツの大学に留学したので、当然TOEFL は受験して、それはibt の方でしたが、得点率85%のラインは超えていたので、それは日本人留学生の中ではいい方だと思いますが、にもかかわらず、あれではほんとのところはわからないのではないかと考えているということです。

 今回の共通テストは、英語の民間試験の導入が反対で見送りになったという経緯をもちますが、仮に採用したとしても、それで事態がよくなるということはあまりなさそうなので、「何のための英語教育か?」というところをもう一度考え直してみる必要がありそうです。

 二次の英語の入試問題には、よいものがたくさんあります。各種の重要なトピックが取り上げられ、かつ、一般のそれについての平板な思い込みが間違いであることを指摘するような英文も多くて、読んで「へえ、そうなんだ」と問題のより深い理解へと導かれるようなものがいくらもあって、知的刺激にもなれば、教養の増進にも役立つようなものが少なくないからです。僕は塾で英語教材を選定するとき、本番の入試に出ている問題から「これは今の高校生たちに読ませたいな」と思うようなものをピックアップするのですが、大学の先生たちも取り上げる英文の内容には注意を払っているらしく、よいものが多くなっているのです。そのあたり、あの「眠たいセンター」とは全く違うなと。

 今回の共通テストから、発音や文法の問題は完全に姿を消しましたが、これで学校の教育現場が文法教育をなおざりにするようだと、さらに英語力は低下するでしょう。ヤマカンで英文を読み、「何となく」で理解したつもりになって、共通テストの英文などは単純なものばかりですが、歯ごたえのある英文を読むとなると、文構造もそれだけ複雑になるので、どれが文の骨格で、どこが修飾部分かもわからないまま、たちまち大混乱に陥ってしまうということになる。つまり、硬い本などはまるで読めなくなるのです。英作文も、文法を理解していないので、支離滅裂な単語のつづり合わせをして平然としているということになりかねない。今の高校生はイディオムの知識も驚くほど乏しいのですが、従来の文法問題はイディオムがらみのものも少なくなかったので、それが試験に出ないとなるとなおさらその方面の学習もしなくなる。平板な「実用英会話」の練習ばかりして、中身はスッカラカンの若者が主流になって、目も当てられないことになりかねないのです。少なくとも、共通テスト対策中心の中レベル以下の高校はそうなってしまうおそれがかなりある。

 日本人は昔、漢文の訓読を発明しました。漢文を日本式に読む独自の方法をつくり出したのですが、読まされる漢文の内容とも相まって、これが日本人の思考訓練に果たした役割は小さくなかったので、英文の構造を分析して、それを正確に理解しようとする態度は、これと似たところがあります。日本人は元来、いくらか強迫的で、緻密な作業を得意としていました。「芸が細かい」のです。それが日本のものづくりや学問研究において大きな強みになっていたのは確かで、微妙な点もきちんと理解しないと気が済まないのです。そういう美点を失わさせるようなことを「入試改革」の名で今の日本政府はやっていることになる。

 僕は塾教師の他に翻訳もやっているのですが、その仕事に、昔大学受験生のときにやった構文の正確な把握の練習や英文和訳の訓練が役立っていることは言うまでもありません。むろん、その上でこなれた日本語にする作業が加わるのですが、ベースにはそれがあるので、原文の正確な理解が不足していたのではたんなるヤマカン訳になってしまって、誤訳のオンパレードということになってしまうでしょう。単語単位ではなく、文脈から語の意味を明確化するという作業も、大学入試レベルでは要求されるので、そういう緻密な作業をやらされたことが役に立っているのです(ちなみに、僕は私大志望で、当時からそれは記号問題中心でしたが、記述の問題を好んでいたので、大方はそちらの勉強をしていました。そうすれば記号問題などは難なくカバーできると考えていたからです)。

 英語学習の意味は、単なる語学学習の意味を超えて、教養の増進や、深くものを考える思考訓練の意味合いがあって、全般的な知的トレーニングになるはずのもので、センターや、それよりさらにひどくなったこの共通テストなどのような皮相浅薄な題材では、その方面の効果は全く期待できません。高校生ぐらいの頃は、よい本を読むと、世界の見え方が違ってくる感じがして、それは自分の狭い経験や日常世界を超えるまなざしが新たに獲得されるということですが、読書の醍醐味はそういうところにあって、よい英文に接するときもそれは同じなのです。自分の理解のパラダイムがその都度更新される。しかし、後で予備校のサイトのURLをつけておきますから、それで直接問題を見ていただきたいのですが、ここに出ている英文にはそういう要素は全くありません。知的刺激になるようなものは見事なほど一つもない。向こうの小学生が読んでも難なく理解できるようなものばかりで、それが大学生となる若者用の試験問題なのです。頭を使わされる箇所は低級知能パズルみたいな性質のもので、大脳の側頭葉ばかり酷使して、前頭葉の出番はまるでない。馬鹿にしているのか、と言いたくなります。

 これまでも国立難関大はセンターの配点比重を小さくして、二次勝負のシステムを作っていたのですが、こういう下らない試験だと、なおさら二次の比重を高くしないとまともな知力・学力の吟味はできないことになるでしょう。少なくとも英語に関してはそう言えます。「考える力」がどうのこうのと言っておいて、前よりひどくなるとはどういうことなのか? 僕は前からセンター廃止論者で、二次試験だけの昔のシステムに戻した方が受験生の負担も少なくていいと言っていたのですが、今はなおさらそう思います。それでもやめないと言うのなら、英語はリスニングテストだけにしたらどうか? 二次でもリスニングを課している大学はそれも不要にして、やっていないところだけ、手間を省くのにこちらを利用するのです。筆記は、ほんとにこんなレベルのものならやらない方がいいと思います。

 予備校は商売の手前、そんなことは言わないでしょうが、こういうアホみたいな試験問題を解かされる受験生に僕は同情します。さぞや疲れたことでしょう。誰が作っているのか知りませんが、日本の大学生の知的レベルを低下させろという指令がアメリカあたりから出ているのではないかと、「陰謀論」を疑いたくなるほどです。

 ほんと、面白くなくて程度が低いにもほどがある。それが僕の率直な感想です。平均点予想なんか、する気もなくなってしまいました。

2021年度 大学入学共通テスト速報(河合塾)

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