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黒牛を讃える

2021.01.04(19:52) 791

 少々遅くなりましたが、まずは、新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

 今年はコロナ感染急拡大のなか、一人だけ、夫婦だけ、核家族だけの、今どきの若者ふうに言えば「ぼっち正月」を迎えた人が多かったのではないかと思います。ニュースによれば新幹線はガラガラ、空港も閑散としていたそうで、数えて戦後75回目の正月だったわけですが、こういうのは初めてでしょう。

 僕にとっても、いつもとそんなに変わらないとはいえ、今年はとくに静かな正月でした。正月は日頃食べ慣れないものを食べて、体を動かさないので、胃もたれがしたりして困るのですが、今年は出版社に無理を言って、仕事納めギリギリに翻訳の第二校のゲラを送ってもらっていたので、それをあらためてゆっくりチェックすることもできたし(合間合間にやっているので、まだ終わっていないのですが)、まあまあ充実した時間を過ごすことができました。

 正月2日は午前中は箱根駅伝(あの多すぎるCMは何とかしてもらいたい。僕はあれが嫌いなので、いつも消音するのですが、回数が多くなりすぎて煩わしい)、午後は大学ラグビーの準決勝(こういうときぐらいしかNHKは見ないのだから、受信料は恐ろしく高いものにつく)をテレビ観戦して、3日の昼過ぎに、いつもは親子3人で行く初詣に、今年は息子が帰省しなかったので、夫婦2人で出かけました。延岡には、それはお告げによるものだそうですが、僕の郷里の熊野本宮大社の分霊を祀っている神社があって、大きな山を背景にした、凛としたたたずまいの静かないい神社なのですが、いつもそこに行くのです。今年は人出もそこそこで、コロナ対策のためか、あのジャラジャラはついていませんでしたが、いいお参りができた。そこで必ずおみくじを引くのが楽しみの一つなのですが、今年は僕には珍しく「大吉」が出た。

 塾商売は、年末、延岡の体育施設で行われた宮崎県の高校数校の部活の合同練習で初の「学校クラスター」が発生したとかで、今年もお先真っ暗な様相ですが、幸先としては悪くなかったわけです。前に読んで、申し分なく面白いが、翻訳には半端でないエネルギーと集中力を要求されそうだというので見送った本が一つあって、今年も塾はヒマそうだし、版権が空いているようなら、年齢的にもこの本は今がギリギリかなという感じがするので、打診の上、可能ならそれに挑戦してみようかなと思って、あちこちにカラーマーカーの線引きのあるその本をチラチラ読み返しているところだったので、これはそのゴー・サインかなと勝手に解釈した次第です。

 ちなみに、あんまりその手の話はニュースには出ていないようですが、今年は丑(うし)年ですよね。牛はインドでは「聖なる動物」とされていますが、僕が子供の頃は日本中の田舎に黒牛の姿がありました。田んぼを作っているほとんどの農家は農耕用にあれを飼っていたからで、僕の実家にもそれはいたのです。次のニュースを見て、僕はなじみのあるあの大きな黒い生きもののことを懐かしく思い出しました。

「うし年」に伝統の闘牛大会 愛媛 宇和島

 これは闘牛用の黒牛ですが、顔をよく見て下さい。真っ黒な大きな優しい目をしていて、何とも言えず可愛いでしょう? 「ああ、これ、これ」という感じで僕は見たのですが、黒牛というのは顔の幅が豊かにあって、だから全体のバランスがよくて、顔が長すぎるという感じがしないのです。昔の田舎の百姓家は、屋根続きでトイレなんかも外に配置されていたのですが、そのトイレに行くとき、わが家では牛小屋(牛部屋)の前を通ることになって、夜はあたりが真っ暗なので子供にはこわかったのですが、牛が近くにいてくれるというのは大いに心強いことだったので、それは僕にとっては安心材料の一つだったのです。闇の中には邪悪なものが隠れているという感じを小さな子供はもつものですが、牛はその真っ黒な体色にもかかわらず、善良そのもので、守護神のように、いつも僕には感じられたのです。

 二階に、農機具やわらなどを積んだ物置(そこには時代劇に出てくるような昔の雨合羽も掛けられていた)があって、その隣はふつうに人が住む部屋になっていたのですが、小さい頃、雨の日などはよくその物置で遊んでいて、あるとき板張りの床に小さな節穴を発見して、そこから下を覗き込むと、それが牛小屋(かなりの広さがあった)の真上で、ゆっくりと動き回る牛の姿が見えて、神秘的な、何か不思議な感じがして、以来その節穴からよく牛の姿を眺めたものです。いくら見ても、見飽きることがなかった。またあるときは、牛が小屋から顔を出して飼葉桶で食事をしているのをそばにしゃがんでじっと見ていたら、何を思ったのか、彼女(それは牝牛でした)は不意に僕の方を向いて、その大きな舌で顔をべろりと舐めたのです。そのときの感触を僕は今でも憶えているのですが、その舌は途方もなく厚く大きく、髪まで唾液でベトベトになってしまった。顔の前半分が牛の舌にすっかり覆われたという感じで、「うひゃあ」と思いましたが、それは親愛のこもったジェスチャーで、不快なものではなかったのです(そのあと、その髪を見て笑った祖母が風呂場に連れて行って、洗ってくれたのですが)。

 獣医さんが来て「種付け」し(大きな、長い棒のようなステンレス製の器具を使っていた)、子供が生まれるところにも立ち会ったことがある。獣医さんがまた来ていたのかどうかは記憶が定かではありませんが、当然来ていたのでしょう。傍らから母が頑張るようにという励ましの言葉を何度もかけていたのは憶えています。それでやっと生まれたのですが、半透明の薄い膜のようなものがかかったまま、子牛はよろけながらもすぐに立ち上がろうとしたので、牛はエラいものだなと、僕は尊敬に近い感情を覚えたものです。それで母子はしばらく同じ牛小屋で暮らしていましたが、からだがだんだん大きくなって、ツノが少し出始めた頃、可愛い子牛だったので、僕は学校から帰るといつも牛小屋に見に行っていたのですが、誰も予想しなかった驚異のジャンプ力で、柵を飛び越えて脱出し、家の前に半円形に広がった広い田んぼを走り回ってつかまえられなくなってしまった。最初に気づいたのは近所の人で、「あそこにいるのはおたくのコージ(子牛の発音が僕の田舎ではそうなる)ではないか?」という通報があって、見たら果たして子牛の姿だけ消えていたのです。しかし、いくら呼んでも戻ってこない。困り果てた大人たちは一計を案じて、母牛を外に連れ出し、田んぼの真ん中に杭を打ってそこにつないだのです。すると子牛はその姿を見て母牛のところに駆け寄ってきた。そこで動かずにいるところに、ロープを持ってそっと近づき、やっとつかまえることができたのです。それから間もなく、学校から帰るとその子牛の姿が見えないので、どうしていないのかときくと、売られていったのだという話でした。後で考えてみると、元々そのために種付けは行われていたのです。その子は雄だったようです。

 そういうふうに、昔は黒牛は田んぼをもつ家(うちのような兼業農家も含め)には必ず一頭ずついて、「からすき」と僕の田舎では呼ばれていた農機具を背中につけて田んぼを耕すのに使われていたのですが、いつの頃からか姿を完全に消してしまった。牛小屋は耕運機や肥料などを置く物置に変貌した。田んぼには円柱形のわらの塔のようなものが作られ、それは子供の恰好の遊び場にもなっていたのですが、大量の牛の食料のわらはいらなくなったので、それも消えてしまった。それまでは当然のようにしてあった「牛のいる光景」が、畜産農家を除き、日本の田園風景から消えてしまったのです。

 それは時代の変化によるもので、いいとか悪いとかいう問題ではありませんが、牛が田んぼにいる光景は人の心を和ませるものでした。牛は農家にとっては重要な家族の一員で、どの家でも大切にされていましたが、子供にとってもあの大きな黒い生きものは、特別な感情(信頼感と安心感)をかきたてるものだったのです。

 今年はエトがその牛さんです。「何のための権力か」ということを根本的にはき違えた今の政権と、能書きはどうあれ、裏にすべて利権がからむその政策(例のデジタル何とかも同じになるでしょう)に、大方の人と同様、僕はもはや何の期待もしていませんが、和牛は、上のニュース映像を見てもわかるとおり、戦っているときですら澄んだ穏やかな目をしています。その牛のごとく、人気取りと利権調整に多忙な浮薄な政治風景はよそに、足を地につけて一歩一歩前進する一年にできれば、コロナのことがあっても、エトに恥じない充実した一年にできるかもしれません。牛のあの落ち着いた力強さにあやかりたいものです。

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