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引きこもりの予防について

2020.11.18(11:39) 778

 毎回政治の話で皆さん食傷気味でしょうから、今回は違うことを。

 ニュースサイトで次のような記事を見かけました。

「あの家は変な人が住んでいる」近所から噂される引きこもり息子との地獄のような毎日

 僕がこれを読んで驚いたことの一つは、臼井美伸さんの文章のうまさです。技術的にはもちろんですが、何とも言えない柔らかさとふくらみがあって、見事だなと感心する。人柄も関係するのでしょう。それでこの人の名前で検索すると、この続きも出てきました。

ゴミが散乱して荒れ果てた部屋で過ごした1年2カ月…大人の引きこもりが直面する社会復帰の難しさ

 他に、アエラ・ドットのこういう記事もある。

引きこもり33歳息子と10年ぶりに対面の母親、「こんな顔してたっけ…」と胸が詰まる

 臼井さんの著書の方はこちらです。

「大人の引きこもり」見えない息子と暮らした母親たち

 上のアエラの記事にもあるように、

 40歳から64歳までの「大人の引きこもり」は、国内に61万3千人いると推定されている(2019年3月、内閣府発表)。39歳以下の引きこもりも合わせると、全国で115万人の引きこもりがいることになる。引きこもりが長期化し、80代の親が50代の子を養う「8050問題」も深刻化している

 というのだから、これは社会的な大問題です。引きこもる人には内気、コミュニケーション下手など共通点もありそうですが、上の記事にもあるとおり、引きこもりになる経緯は皆それぞれ違っていて、一括りにして論じるのは難しいものでしょう。

 そして誰でも、長期間引きこもっていればおかしくなるにきまっているので、異常だから引きこもったというより、長く引きこもっていたから異常になったのだと見るべきでしょう。「親が悪い」と決めつけるのも間違いで、悪い親ではなく、良すぎるからそうなってしまったというところもありそうです。

 こんなことを言うのは、僕の親戚にも大学中退後ずっと引きこもってしまった男性の例(上の「8050問題」の典型)があり、その両親を僕はよく知っているからです。世の中にこんなに常識円満で善良な夫婦がいるのかと思うほど、揃って人柄がいい。これは見かけの話ではなくて、詳しく書くと特定されてしまうので書けませんが、僕は高校生の頃、その新婚家庭にお邪魔して、一週間近くもその家に泊まり込み、後で自分の親から大目玉を食ったことがあるのです。お盆休みに、その地域の川には鮎がたくさんいるからとりに来ないかと言われ、嬉々として出かけて、連日そこのご主人と鮎とりに行き、水のきれいな渓流で、姿のいい鮎が大量にとれたのですが、それでご主人の夏休みを全部潰してしまった。僕がよく知っていたのはその奥さんの方で、ご主人とは初見だったのですが、そんな感じはまるでしなかった。一日か二日で帰ってくるだろうと思っていたら、全然その気配がなく、新婚夫婦の貴重な夏休みを非常識な高校生の息子が全部潰してしまったというので、呆れ果てた僕の母が後で詫びの電話を入れていたのを憶えているのですが、歓待を受けていた僕はまるでそのことには気づかず、「また明日も行けば」と言われるまま、長居してしまったのです。奥さんの方はせっせと鮎鮨など作ってもてなしてくれた。その夫婦にやがて一男一女が生まれ、男の子の方がひきこもりになってしまったのです。

 そのうちその話は親戚の間でもタブーみたいになってしまったのですが、まだ初期の頃、僕は電話で母親の方と話して、何でそうなってしまったのか、どうして家を出られなくなってしまったのか、あれこれ話を聞いたのですが、親が信用のある人たちだったので、仕事を世話してくれる人もいたが、「途中で辞めたら紹介してくれた人に迷惑をかけてしまう」などと本人が気にして動けなくなっているという話で、人に迷惑をかけ通しの僕などは、そういう律儀すぎるのがよくないので、もっといい加減に考えればよいのだと言ったのですが、おまえみたいに平気で無茶をやる人間と違って、性格的にそれができないのだという話で、当時僕は関東にいたので、手助けになるようなことは何もできず、それが十年、二十年と長引いて、そのままになってしまったのです。

 このケースなどは「親がよすぎた」ためだとしか僕には思えない。おとなしい子で、元々引っ込み思案ではあったが、父親が理財に明るい人で、経済的なゆとりもあったことから、働かない息子がいてもその方面では困ることがなかった。母親にいくらか心配症の傾向があったと言っても、母親が心配性なのはむしろふつうなので、父親も権威主義的なところはなく、寛容な人だった。要するに、親がよすぎたのと、後は子供自身の性格です。

 上の臼井さんの文章に出てくるお母さんたちを見ても、どこといって異常なところは感じられない。皆さん、人がよさそうです。いわゆる「毒親」というタイプでは全くない。それだけにいっそう気の毒だという感じが読んでいてしてくるのですが、「親が悪い」からではなく、むしろ「よすぎる」ことが一つの原因になっていると言えるかもしれません。

 引きこもりを離れた一般的問題としても、今の日本の家庭は母性と父性のバランスが悪くなっているのではないかという気がします。僕は長く塾の教師をしていて、ここ二十年近くはもっぱら高校生を相手にしているのですが、共感や優しさはいくらか過剰で、つまり母性は足りているが、父性に乏しい家庭が増えているという気はするのです。むろん、中には「うちの父親は全く話が通じず、一方的に自分の考えを言うだけなので、相談する気にもなれない」と嘆く子もいます。しかし、それは父性の特徴ではないので、たとえばセンター試験で失敗して落ち込んでいるときに、親も一緒にオロオロしてしまうなんてことが珍しくないので、そういうときに「落ち込んでいる場合か。かんじんな二次はこれからだ。現実的にものを考えてできる対応を考え、それを成功させることに集中しろ」と喝を入れて後押ししてくれる人が不在になっている感じがするのです(塾に来ていれば、代わりにこちらがそれをやらざるを得ない)。会社では部課長級の役職についているのに、母親と一緒に狼狽したり、「何でこんなことになったんだ!」と喚き散らすだけになったりする。そういうのは何の役にも立たない。要するに、父性に欠けた父親が増えているのです。

 僕はかねて「父親番犬論」というのを唱えています。子供が小さいときは犬はよい遊び相手です。子供が成長するにつれて、その遊び相手としての比重は低下し、だんだん相手にされなって、犬小屋で寝てるだけ、ということが多くなる。母親と子供は親密な関係を築き、父親はいるのかいないのかわからない感じになるが、番犬がそこにいて何か非常事態が起きたときは登場して家族を守ってくれるという安心感があるので、その存在感には小さくないものがあるのです。母子は決断の後押しがほしいときは番犬の方を見る。そうすると一声、ワンと吠えて、その期待に応えるのです。家に賊が侵入したときは、ふだん昼寝ばかりしている犬とは思えない果敢な行動力を発揮する。それで、やっぱりあれはいてくれないと困るものだということが認識されるのです。座敷犬みたいにいつも家の中をウロウロし、母子の親密な関係に嫉妬して、そこに入り込もうとしてうとましがられているのに、肝心なときはまっ先に逃げ出すとか、キャンキャン騒ぎ立ててパニック状態をかえって煽り立てるだけというのでは、明らかにいない方がマシです。

 今の時代だと、母親にむしろ父性的な性格が強く、父親が母性的ということもあるかもしれません。それはどっちでもいいので、要はこのバランスが取れているかどうかです。両方が母性的というのではまずい。引きこもりになる原因の一つに「コミュニケーション下手」という要素があるようですが、人間関係には共感と対立の両面があって、共感だけでも対立だけでもコミュニケーションはうまくいきません。共感だけではしんどくて疲れてしまうだろうし、対立だけでは誰からも相手にされなくなるからです。僕らは無意識にそれをうまくミックスして人間関係を維持しているのです。母性と父性のバランスが取れている家庭だと、子供はそれを内面化しやすいので、むろんそれは子供の性格にもよりますが、イエスもノーもどちらも言える人間に成長する可能性がそれだけ高くなる。母性過多だと、共感だけになって、ノーを言うことに対する無意識的な抵抗が強くなりすぎ、うまく自己主張できなくなるので、世間や人付き合いを恐れるようになって、引きこもりにもなりやすいのではないでしょうか。

 逆に親から十分な共感と慰めが与えられず、孤立感、被害感が強いと、敵対的な人間関係しか作れないことになって、ノーの連発になる。こちらもまともな人間関係が作れないことになって、ひきこもりだけでなく、モンスター・クレイマーになったり、社会憎悪のおかしな犯罪をひき起こす原因にもなる。だから、バランスが大事なのです。

 家父長制的な遺風がまだ強く残っていた時代には、権力的な父親が多く、子供はそれに反抗することを通じて自己形成していくことが多かったのですが、今の家庭ではむしろお母さんの方が強いのがふつうです。その方が家庭は平和なので、それは「進歩」と言ってもよいように思われますが、それで上に述べた母性と父性のバランスが崩れてしまって、後者が弱くなりすぎてしまったことも、コミュニケーション下手の人が増え、引きこもりが増えた背景の一つとしてあると言えるかもしれません。僕の説く「父親番犬論」は、母親優位のこの時代にも適合するものなので、なかなかいいものだと自負しているのですが、いかがなものでしょう?

 日本人の場合、概してノーを言うのが下手で、とくに目上の人にはそれは失礼に当たるということにされています。まだ三十代半ばの頃、僕は学習塾の雇われ管理者の傍ら、近場の私大の大学院でカウンセリングをかじっていたことがあります。僕が所属していた研究室の老教授は元国立大の教授で、どこでだったか、その弟子筋の他大の教授や助教授三人と、その先生と僕の五人で話をしていて、老教授がおかしなことを言ったので、僕は何気なく、「先生、それは違いますよ」と言ったことがあります。すると、場にサッと緊張が走って、そのことの方に驚いたので、老教授の方はふだんどおりの調子で、「そうかな。何で?」ときいたので僕は理由を説明し、「なるほど」ということでご納得いただけたのですが、何でカウンセリングだの教育学だのをやっている人たちがこういう雰囲気を醸し出すのだろうと、それが不思議でした。一般世間でなら、なおさらということになるでしょう。しかし、子供がオトナの自分より正しいこともあるし、偉いさんが愚かなことを言うこともあるので、そういうのは身分の上下で決まることではないのです。

 その後、副業で専門学校の非常勤講師(講座名は社会学だったが、心理学的な話が多かった)をしていたとき、僕が驚いたのは仲間内の人間関係で悩んでいる若者が今は非常に多いらしいということでした。そこでも周りの言うことにノーを言うことにはかなりの緊張が伴うということらしく、友達づきあいですら今の若い子はそんなに気をつかっているのかと驚いたので、互いに言いたいことを言えるからこそ友達なのだという常識はもはや成立し難くなっているのです。大体、それでは深い突っ込んだ話などもできなくなるでしょう。

 前に、今は院生になっている息子にこれをきくと、たしかにその傾向はあるということでした。彼には専攻はそれぞれ違うが、とくに仲のいい友達が二人いて、その間では激論になることも珍しくないが、他の学生相手に同じようにやると「あれは言い過ぎではないか?」みたいなことを後で周りから言われることがあるので、本人は控えめにしたつもりでもそうなることが多いので、そのあたり調整がなかなか難しいという話でした。うっかり言い負かしたりすると、相手の自尊心に対する配慮が乏しすぎるということになるのです。議論は論破したり論破されたりしてこそ実りのある発展につながるので、それは人格とは関係がないと彼は考えているようですが、そうは理解されていないのです。恥をかかせたとかかかされたとか、そういうレベルの話になってしまう。

 これはコミュニケーション全般が「共感と同意」に偏りすぎているということで、安倍政権下で流行語になった「忖度」が過剰になっているわけです。それでは人と話をしても不自由なだけでなく、何も面白くないわけで、僕自身、正直な子供と話をしている方が意外性や新鮮さがあって、オトナ相手よりずっと面白いと感じることが多いのですが、これは先の議論で言えば父性的な要素が欠落しているからで、菅政権の学術会議問題など見ると、見た目の強権性とは裏腹に、悪い意味で非常に女性的になっていて、自由度が乏しく、異論や批判に対する耐性が異常に低くなっているということを示しているのです。菅氏の場合、潜在的な反対勢力がそこにいるということだけでも強いストレスになってしまうのでしょう。それは自信のなさの裏返しでもありますが。

 高度経済成長期以後に現われたこの引きこもり現象は、それが許容できる家庭が増えたからで、それは経済的に豊かになったことも関係しますが、母性と父性のバランスが悪くなって、バランスの取れたコミュニケーション能力が身につかずに育つ人が増えたこと、また、今も見たとおり、全般に腫れ物に触るような表面的な人間関係が増えて、とくにそれが煩わしいものになったことも関係するでしょう。それはたいていの人にとって苦痛で、引きこもりにはなれない家計を支える人たちは、代わりにうつになるのです。

 その意味でこの問題は、一般社会と完全に地続きです。何とも言えない風通しの悪さが今の日本社会にはあって、菅政権などはその象徴みたいな政権ですが、引きこもり予防策としては、子育てプロセスでの母性と父性のバランスを見直し、後者の力を強化することが必要なのではないかと思います。そうすると社会全体の人間関係、コミュニケーションのあり方も変わり、息苦しさも和らぐでしょう。

 これはむろん「家父長制的な強い父親の復権」を推奨するものではありません。そんなものは犬にでも食われろ、です。大体、これは河合隼雄氏もどこかに書いていたような気がするのですが、昔の父親は制度を後ろ盾にしていたから強そうに見えただけで、個人レベルでは弱い人が多かったのです。上にはヘイコラ、下には威張り散らすような人間に強い人はいない。抑圧的な権威主義は父性とは似て非なるもので、真の父性の持主は人の意見や考えも尊重し、対等な立場で対話をして、相手を納得させることができる人です。決断に悩むとき相談すると、話をよく聞いた上でイエス・ノーをはっきり言って、必要な支援を与えてくれる人、それが子供には父性の role model(お手本)になるのです。

 心配性の母親はどうしても保護的になり、そのおかげで子供は無事に育つと言えるのですが、行き過ぎると子供の冒険心や積極性を妨げてしまうことになります。不安げな母親の顔を見ると、子供もこれはやっぱりやめた方がいいのかもしれないと思う。けれども、父親の方を見ると、悪ガキみたいな顔つきで、片目で合図をして、「いいからやっちまいな」というシグナルを送っている。それだと子供は挑戦に踏み出せるのです。この場合、成功したときはいいが、失敗すると、「あんたがテキトーなことを言って唆したせいで、あの子は傷つき、泣くことになった!」と父親は母親から激しく責められる羽目になるでしょう。しかし、父親はそのリスクをとらねばならない。その場合、父親はむろん現実を冷静に認識して、勝算ありと踏んだからゴー・サインを出すので、場合によってはわが子可愛さから母親がただ舞い上がっているだけで成功の見込みがほとんどないのを見て、その無謀さを指摘し、止めることもあるでしょう。いずれにせよ、それが必要なときは明確なイエス・ノーの態度を表明しなければならないのです。

 子供は成長のプロセスでその両方を内面化する。それで押したり引いたりの両方ができる人間になれば、コミュニケーションのバランスも取りやすくなって、無理のない人間関係がもてるようになり、世渡りのサーフィンもうまくなると考えられるのです。何かで失敗しても、また体勢を立て直すことができる。この学習がうまく行かないと引きこもりにもなりやすい。そう言えるのではないでしょうか。

 こういう話はげんに引きこもりになってしまっている家庭の助けにはなりませんが、防止の役にはいくらか立つはずです。この問題では母親が責められることが多いようですが、父親が無関心だったり、逆に優しすぎて、介入や決断が求められるところでそれを回避してしまったことが問題の遠因として作用した、という面もあるのではないでしょうか。父性的なロール・モデルの取り込みがうまく行かなかったのです。

 むろん、僕は「だからあんたたちが悪いのだ」というような非難の意味でこう書いているのではありません。そういう親御さんたちは僕の親戚の例のように善良この上ない人たちなので、非難は筋違いです。また、「父性の喪失」は今の社会全体の問題でもあります。

 これは子供のいじめや不登校の問題などについても言えることですが、介入が必要なときはきっちり介入しなければなりません。親や周囲のオトナが本気でコミットすると、そのこと自体が子供を元気づけることになって、状況も変わり、問題が解決に向かうという事例は、僕自身すでに何度も見てきたことです。

 日本社会というのは、既成のレールに乗っている分にはいいが、いったんそこから外れると恐ろしい孤立を強いられるということがあります。これはずっと前に書いたことですが、関東にいた頃、塾の卒業生が高校入学早々、不登校になってしまったという事例がありました。まさかわが子が不登校になってしまうなどと夢にも思わなかった母親は狼狽し、学校も出身中学もあまり頼りになりそうもないということで相談に訪れたのですが、そのお母さんは社交的なタイプで友達も多かったのに、わが子の不登校の話を出すと、「まるで悪い病気でも移るみたいに」皆散ってしまって、自分のこれまでの人間関係は何だったんだろうと思うような孤独感を感じさせられたという話でした。しかし、話はこれだけでは済まなかった。そこを退学して翌年私立の女子高を再受験したいというのが本人の希望だったのですが、調べてみると、これが極度に困難であることがわかったのです。塾もある程度の規模になると私立にはかなりのコネがあるので、塾長に打診を頼んだのですが、後で本部から電話が来て「どうも難しいね」と言うのです。点数に下駄をはかせる以上の難事だと。なぜか? 再受験の生徒は「わけあり」だというのでどの学校も嫌っている。少子化の今はそのあたり変わったでしょうが、当時は第二次ベビーブームの子供たちが受験期に差しかかった頃で、入学希望者は多く、毎年専願基準も上げるなど、どこも強気だったのです。僕も知っている私立に電話をしてみましたが、「再受験はむろん可能です。ただ、再受験で合格した生徒は一人もいません」などと平気で言うのです。それなら初めから、その旨告知しろと言いたくなりますが、頭から「やっかいな生徒、不登校などの面倒そうな生徒はお断り」なのです。こういうのは不登校になった家庭には傷口に塩をすり込まれるような対応です。その子は何も問題のある子ではなく、学力的にもほんとはもっと上の高校に行けたが、学校の先生に勧められるままそこにしたのです。そしたら思った以上にガラが悪かったので、一週間ほどで体が言うことを聞いてくれなくなった。塾長に何か使える裏技はありますかと聞くと、学校の関係者、とくに発言力のある理事あたりに知り合いがいれば、その子を再受験を理由に落とさないようプッシュしてもらうことはできる。それが一番確実だろうという話でした。よし、その線で行こうということになって、お母さんに再び来てもらい、塾でもそれを探しますが、お母さんの方でも知り合いに候補の学校いずれかの理事がいないか当たって下さいという話をしました。二、三日後、お母さんから電話があって、「親戚に一人いました!」という話です。学校のレベルもぴったりです(こういう場合は、なぜかこの種のことがよく起きる)。それで僕は、お子さんを連れて両親一緒に一度その理事に直接会って、事情を話し、再受験を理由に落とすことがないよう頼んでくださいと言いました。成績は十分なのに再受験だからというので不合格にすること自体が不正なことなので、それをやめさせるだけなのだから何ら恥じる必要はない。それでその理事の人も約束してくれて、受験勉強は再び塾に戻ってやり直し、全く心配のない学力で受験して合格したのですが、そういうことを何も知らずに再受験したら落とされていて、それでは自信をすっかり失って、人生が暗転してしまうことになりかねないわけです(大検、今の高卒資格認定試験というものがあるということも話してはいたのですが)。それが引きこもりに発展してしまう可能性もあった。全くひどい社会で、高校はどのツラ下げて教育機関と称しているのかと腹が立ちましたが、既成ルートをいったん外れると、この社会はたいそう冷たいことが多いのです。一番助けが必要な時にそれを提供してくれない。その子は見通しが立ったということで安心してすぐに元気になりましたが、親が本気でコミットした段階で、事はいい方向に動き出したと言えるのです(ふつうの不登校でも同じですが、こういうことは初動が大事で、動き出すのも早い方がいい)。

 引きこもりも予防が一番いいことで、次善はひきこもりの初期段階での対応、それが長引くと上の記事のように大変なことになってしまって、それでもまだ助けてくれる団体や組織があることは救いですが、本人はもとより、家族も塗炭の苦しみを舐める羽目になるのです。

 専門家たちにはどう言われるか知りませんが、遠因として子供の成長過程での母性と父性のバランスが崩れて、後者が弱くなりすぎているのが原因の一つとしてあるのではないかというのが、僕の考えです。お父さんたち、上の「父親番犬論」も参考に、ここぞというときは明確なプレゼンスを示すのを忘れないでください。時代錯誤の暴君も駄目なら、口やかましいだけの「もう一人の母親」や座敷犬みたいになるのもよろしくないのです。

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祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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