FC2ブログ

タイトル画像

団塊の世代+高齢化率ワースト県出身の菅総理はこの問題をどう考えているのか?

2020.10.19(21:11) 766

※ 10/20、註を追加しました。

「余裕こいて、何を下らんことばかりやってるんだろ…」

 国が問題山積の中、菅政権についてそう感じている有権者は多いでしょう。学術会議新会員の任命拒否事件といい、中曽根元総理の葬儀に関して国立大や最高裁に「半旗掲揚」の要請(言うことを聞かなかったらこの先どんな不利益があるかしれないぞと脅しているようなもの)をひそかにしていたことといい、どちらも政治の本筋からすれば「余計なこと」としか思えないもので、それで「陰湿な権力乱用のやり口だ」と反感を買って支持率を下げているのだから、世話はないのです。

 政治家が実務より思想統制の類に熱心になるというのは、思えば奇怪なことで、そうしないと尊敬してもらえないとでも思っているのでしょうか? そもそもの話、学術会議は提言はしてもそれには政府への強制力はないのだから、その中に反対派の学者がいても差し支えはないはずだし、死者を悼むのは個人の内面の問題なので、大学だの裁判所だのが半旗を掲げて追悼の意を示さないと気に食わないというのは、一種の病気です。「そんなこと、ほっとけ」と大方の人は思うでしょう。大体、中曽根氏(十分すぎる長寿を保って大往生した)の葬儀に国費で9600万も支出するという根拠は何なのか、今は葬儀の簡略化が進み、世間では家族葬が主流になりつつあるのに、時代がかった自民党政治家たちが自己満足のためにそういうことをしているだけなのです。故人の意思とは無関係な政治イベントにすぎない。大時代な復古主義の日本会議あたりだと考えそうなことですが、今の政権はそういう特殊なイデオロギー団体の傀儡になり下がっているのでしょうか?

 こういう愚かしい政権に「改革」なんて果たしてできるのか? 「脱ハンコ」については、そんなこと大急ぎでやらねばらないほどのことか、優先順序を間違えているという批判が出ていますが、例の携帯料金値下げについても、問題を理解せず「40%」という数字にだけこだわって頭ごなしのおかしな無理強いをやりかねず、この前(10/9)ここに引用した法林岳之氏も言っていたように、逆らえないから関係各社は見かけだけそう見えそうな妙なことをやって、実質的には下がっていなかったり、サービスが低下したりといった問題が後から出てくる可能性大です。とにかく菅義偉という政治家は、自分に反対する者には我慢がならないようで、こういう人間が権力を持つとその独善性がさらに募って、とめどがなくなり、「改悪」事例を山のように残して去るだけになりかねない。人の上に立つ器なのかどうか疑わしいのです。

 この政権になって、国民間の分裂・対立は安倍政権時代以上に強まっています。しなくてもいい無意味なことを次々やって、国内に不和を作り出すからです。国をまとめるどころではない。自分の色に染めて、そちらで「統一」したいということなのかもしれませんが、そんなこと成功するわけはないし、また、成功されては困るのです。この手の人間の一番困るところは、いくら指摘されても聞き入れないことで、「実務政治家らしく堅実にやるだろう」と有権者が期待したこととはまるで反対になっているのです。

 今の日本の深刻な問題はコロナの他にも色々あって、その中の最大のものの一つは高齢化に伴う問題です。定義上、65歳以上の高齢者人口の割合が全人口の21%以上を占めるようになった社会を「超高齢社会」と呼びますが、現在の日本はその比率が28.7%となっており、毎年「新記録」を更新しています。これは歴史上人類が経験したことのない事態ですが、少子化と重なっているから、当然人口も減っている。次はNHK のニュースサイトの記事です。

 ことし1月1日現在の日本人の人口は1億2427万人余りで、11年連続で減少しました。減少数もおよそ50万人と、6年連続で過去最多を更新しました。
 ことし1月1日現在の住民基本台帳を基に総務省がまとめた日本人の人口は1億2427万1318人で、平成21年をピークに11年連続で減少しました。
 減少数は50万5046人で、昭和43年の調査開始以降最も多くなり、6年続けて最多を更新しました。(2020年8月5日「日本の人口1億2427万人余 11年連続で減少」より)


 要するに、生まれてくる子供より、死者の方がはるかに多くなっているということですが、「2025年問題」というのが囁かれていて、これは最も人口ボリュームの多い、1947~1949年生まれのいわゆる「団塊の世代」(その三年間だけで806万人!)が揃って75歳以上の後期高齢者になる年だと言われています。今の段階ですでに医療費、介護費などは天文学的な数字に達していて、健康保険料、介護保険料の負担は驚くほど上がっていますが、これがさらに暴騰すると見られているのです。

 菅総理はこの世代のど真ん中に当たっており、かつ彼の郷里の秋田県は高齢化率全国ワーストで、37.9%に達しており、2045年には50%を超えると見られています。おかしな思想統制に憂き身をやつすヒマがあったら、当事者の一人としてこちらの問題に真剣に取り組めと言いたくなるところで、彼発案のあの問題の多い「ふるさと納税」制度などは、税収の落ち込みが激しいそうした地方自治体のためにやったのだと言われそうですが、そういうのは根本的な解決にはならないわけです。

 僕も当年65歳で、高齢者入りを果たしたのですが、介護保険料の通知書を見て、その金額に驚きました。65歳を境に通常の税負担は減るが、「おまえも当事者だろ」ということでこちらが一気に高くなるのです。貧乏人からもそんなに取る気かと呆れたのですが、調べてみると、近年猛烈な勢いで上がっているのです。生活保護や住民税非課税の世帯は低く抑えられているが、それ以外は一気に高くなって、かつ、貧乏人ほど所得に対する比率の高い「逆累進性」がそこには見られるのです。具体的に言うと、こうです。これは僕が住んでいる延岡市の例ですが、

 前年度の所得金額(必要経費を差し引いたもの)が120万円未満で、88,500円
        同上             が120万以上160万未満で、95,580円
        同上             が160万以上200万未満で、102,660円


 というふうにだんだん上がっていくのですが、一番上が、

 前年度の合計所得金額が800万以上で、152,200円

 となっているのです。年間所得が800万以上もあれば、15万程度、痛くもかゆくもないでしょうが、年収が120万未満で9万近いということなら、90万でも同額なのだから、その負担額はほぼ年収の1割になるのです。年収800万の人の場合、それに対応する金額は0.2%にすぎない。これで「逆累進的」という意味がおわかりいただけるでしょう。むろん、これは「介護保険料」であって、「国民健康保険料」は別途徴収されるので、それはむろんのこと、それよりも高いので、その収入レベルでも合わせて22万程度にはなる。年収90万でそれなら、4分の1それでもっていかれて、68万で1年間暮らしなさいということになる。毎月5万6千円で生活しろということで、「その代わり、老人なので市民税・県民税の方はお安くしときましたから」と恩着せがましく言われても、喜ぶ人がどこの世界にいるのかということになります。生活保護世帯の場合には、健康保険料免除、医療費タダで、介護保険料は2万1240円ということになっていて、毎月の支給額は地方のそれでも10万は超え、ほとんど引かれるものがないのだから、そちらの方が倍近い“金持ち”だということになるわけです(但し、窓口でのあの屈辱を忍ばねばならない)。

 こんな馬鹿げた話、世界のどこにあるのかと思ったら、日本にあるのです。年金というのは丸々もらえると思っている人は甘いので、こういうふうに介護料が今は新たに加わっているのです。非国民の僕の場合、「あんなものはただの余分な税金で、前はある程度ゆとりがあるから払っていたが、今はビンボーだから払わない。国に面倒を見てもらう気はさらさらないから、ゴチャゴチャ言うな」と言って、途中から払うのをやめて、社会保険事務所から派遣されたパートの督促員に「口座を差し押さえますよ!」とよく脅迫されていたのですが、あの期間短縮のおかげでもらえる部類に入った(それも当局は厚生年金の方を全く把握していなくて、後からわかったものがいくつもあったのだからお粗末の極み)ものの、雀の涙です。それでも、多少は助けになるかと思っていたら、何のことない、それで介護保険料と健康保険料を賄いなさいという意味だったらしく、残るものは雀の涙から蚊の涙に縮小したのです。もらえる実質で言うと、自分が払った分を取り返すには90近くまで生きないと無理でしょう。全く働かなくなって他に収入がなくなれば(それでは年金に頼れない、あっても国民年金だけという人は生きていけないわけですが)非課税になって、介護保険料も一気に下がるので、もう少し早く回収できるでしょうが、全くもって馬鹿馬鹿しい感じです。

 この介護保険制度というのは、調べてみると2000年4月に導入されたもので、それまで介護サービスは全額国庫負担だったのが、政府は保険にして国民に負担させることにしたのです。それで国庫負担分を25%に削ったので、費用暴騰のほとんどの部分を国民におっかぶせるのに成功した。どんどんそちらを上げていけばいいと、実際にそうしているので、実態は新たな税金に他ならず、保険を装った姑息な増税手段にすぎなかったのです。

 元々がそういうものなのですが、これは40歳から徴収されるようになっていて、それは健康保険料に混ぜられています。しかし、65歳を境にどんと上がる仕掛けになっているので、まだの人は覚悟しておいた方がいいのです。上に見たとおり、今後は団塊の世代の後期高齢者入りに伴って費用は暴騰し、健康保険料ともども、上がる一方でしょう。老人が増え、受給額が増大してきつくなる一方の年金保険料の方はすでに限界近くに達しているので、国民年金で見ると、2007年に月額14,000円を超えたあたりから上がり幅はゆるやかになっています。今は16,540円ですが、この金額自体が異常で、1970年=450円→1975年=1,100円→1980年=3,370円→1989年=8,000円と驚くべき勢いで上昇したのですが、今はデフレなのに、あのバブル経済時代の倍以上になっているわけです。手取り10万程度のアルバイト青年(非正規率が高くなっているのは周知のとおり)にそんなもの払えと言う方が無理(他にも払わねばならないものがたくさんある)なので、国民年金にしても、厚生年金(あれは企業と折半だから天引きされている額の倍支払ったことになるわけですが)にしても、今の80代以上の老人が支払った保険料の累計額と、今の現役世代が払うそれとでは、金額が違いすぎることになって、むろんそれは物価の変動では説明不能です。世代間不平等が甚だしすぎると若い世代が怒っても、それは無理からぬことなのです。百歳超えが8万人に達したというニュースをしばらく前にやっていましたが、今後もそんなに長生き老人が増え続けたのでは困ると、大方の人はホンネでは思っているでしょう【註】。敬老が成り立たない国になっているのです。

【註】ついでに付言すると、国民年金制度(自営・フリーランス対象)が始まったのは1961年で、今80~90歳の人は21~31歳で、当時は35歳を境に150/100と金額が分かれていて、それ未満なので納付月額は100円でした。100倍すれば15,000、10,000円ですが、国民年金対象者ではありませんが、生活実態を見るために援用すると、当時の大卒初任給(公務員)が12,900円、高卒初任給(公務員)は8,300円でした。その頃、ラーメンは50円で、喫茶店のコーヒー代が60円、週刊誌が40円 新聞購読料390円、映画館が200円だったとのこと。給与で見てもその上げ幅は20倍に届かず、物価は10倍前後ですが、国民年金保険料だけは100倍を超える上昇を見たのです。そして当時は収入が増えて生活が楽になる高度経済成長期に当たっていた。ちなみに、大学生のアルバイトの時給など、彼らに話を聞くと僕が学生だった1970年代後半とほとんど同じです。そのあたり、40年前とあまり変わらないということですが、その間、国民年金保険料は3,370円から16,540円へと5倍に暴騰したのです。公務員・民間企業サラリーマンの厚生年金保険料も、元がそれほど安くなかったので上げ幅こそ国民年金よりは低いが、金額は大きいので、今は18.3%で、月給30万の人で月額27,000円(自己負担分)に達する。他に健康保険料、国税、住民税と、諸々かかってくるので、“酷税感”は免れないことになっているのです。

 こうなったのも、国がその場しのぎの弥縫策しか講じなかったからで、先を見越して手を打つことは何もしてこなかったのです。政治家も役人も、誰一人責任は取らない。年金制度など、いずれ破綻するということは1980年頃にはすでに指摘されていましたが、政治や行政は保険料を上げ続けることと厚生年金と国民年金を合体させること以外、何もしなかったのです(上に見たとおり、実質はすでに保険料負担の大きすぎる世代間不公平によって破綻している)。で、介護費用については先に見たように、保険という名の増税を考えつき、かつ逆累進性の高い「貧乏人いじめ税」にしたわけです。

 これを一体どうするのかというのは、一人養うのに年間一億もかかっている(それに見合った仕事をしているとは到底思えない)カネ食い虫の国会議員の先生方にはぜひとも考えてもらわねばならないことです。今は大学受験でもお勉強さえできれば医学部に、みたいな風潮がありますが、医師の高い給料も高い保険料負担にあえぐ庶民の犠牲の上に成り立っているので、あんまり威張れた話ではないでしょう。そして健康保険制度が崩壊すれば、その高給も失われる運命なのです。

 健康保険制度にしても、介護保険制度にしても、「助け合い」の名目で導入されたものです。どちらも税金は半分(介護保険の場合は自治体が25%程度負担する)入っていますが、それも国民が別のかたちで支払ったものです。政治家先生や役人が恵んでくれたものではない。とにかく総費用の半額が保険金によって賄われるわけですが、その保険料がこんなに高くなったのでは制度が立ち行かなくなる。早い話、若い人には「こんなものなくて、10割全額病気になったとき病院の窓口で支払った方がよっぽど安くつく」と思っている人が多いでしょう。大病をしたり、大きな手術を受けたりしないかぎりは明白にそうです。昔はサラリーマンは1割負担だったのが、小泉政権のとき3割負担に変わったので、なおさらです。そもそもの話、風邪を引いたり、胃腸をこわしたり、少し頭痛がするといったとき、大方の人は薬局で薬を買って済ませる。むろん、それは10割負担で、保険に入っているのに、それは使わず、別に自腹で薬代を払っているのです。病院に行くと、老人で溢れていて(中には社交場と勘違いしている老人までいる)、長く待たされる上に、病院が点数を稼ぐための意味不明のいらない検査まであれこれ受けさせられる。そんなものにつきあっているヒマはないからです。保険料が月数千円なら助け合いだからということですませられるが、大した収入でもないのにそれだけで毎月2万も持っていかれるというのでは、生活を圧迫されているのだから、助け合いというより犠牲を強いられていると感じてしまうでしょう。

 それであなたが20年間、医者にはほとんどかからないまま、ずっとそれを払い続けて、失職し、うつになって家賃も支払えない窮状に立ち至ったとしましょう。そのときは元サラリーマンも国保に切り替わっているわけですが、当然その保険料も支払えない。そうすると、保険証は取り上げられ、医者にかかれば全額自己負担になるのです。前にたくさん払って協力してきたはずで、独身だったし、まあまあの給料だったからそれはかなり高かったんですけど、なんて言い訳は通用しない。そんな過去の納付記録なんてない。今現在支払っていないことだけが問題なので、一番困ったときに助けが得られなくなるのです。あるとき救急車で運ばれたら、それだけで10何万の請求書が来た。今まで徴収されたあの何百万もの保険料は何だったのか? そういうことになるのです。全く、素晴らしく優しい制度です。

 話を少し戻して、こんなに保険料が高くなってしまったのは、老人の急激な増加と長寿化、医師の過剰診療が原因です。これでは支える側が疲弊して、かえって若い世代にも病人が増えるという皮肉な結果になりかねない。思えばもっと平均寿命が短かった昔は、認知症の老人も少なく、周囲に惜しまれつついい頃合いで死ねた人が多かったと言えるわけです。今はメンテナンスが徹底しているおかげで、なかなか死ねなくなり、そのうち認知症になって正体不明に陥っても、さらに5年、10年と生き続けねばならなくなった。本人にとってもそれは全然幸福なことではないわけです。現役世代はそれを見てきて、自分はそんなに長生きしたくないと思う人が増えた。だから、ある生保会社がアンケートを取ったら希望寿命の平均が78歳だった、というようなことになるのです。それぐらいまでなら何とか健康寿命が保てそうだと、多くの人が思っているからでしょう。それ以上はいらないと。

 今は一定の年齢になるとやたら何とか検査の無料受診票なんてものが送られてきます。それはむろん、本人はタダでも、病院がボランティアでやっているわけではなくて、受診すれば費用は保険料から支払われるわけです。余計なお世話だと思っている僕はそんなものは受診しませんが、本格的に具合が悪くなって、病院に運び込まれたら、手遅れの癌だったという方がむしろ好ましいので、痛みを軽減するためにモルヒネでも打ってもらって、そのままあの世に行くというのがむしろ望ましく思われるのです。それだと早く死ねる。前にも書きましたが、僕にとって死は何ら恐ろしいものではありません。自分らしく機能できなくなって、それでもまだ生き続けることの方が恐ろしい。認知症になって人格交代が起き、「まだ死にたくない」なんて言い始めたら最悪です。

 そこらへん、ただ長生きすればいいというものではないので、高齢者医療も考え方を見直すべきでしょう。老人になるとその最大の課題は「いかにうまく死ぬか」ということになるので、積極的に医療殺人をやられては困るが、その思いを反映したものに切り替えられるべきです。死ぬのがただ恐ろしいという人には、宗教哲学などの「死の準備講座」のようなものでも開けばいい。それは医療よりある意味ずっと高級だし、安上がりです。

 一つ、僕が面白いと思っているのは、あの悪名高い経済学者兼政商の竹中平蔵氏が菅政権のブレーンとして返り咲いて、「月7万のベーシックインカム」を言い出したことです。僕は元からこの制度の支持者で、それだと労働力世代の賃金奴隷感が減って、それにプラスして短時間のバイトでも生活を成り立たせられるので、思い切ったチャレンジが可能になり、それで成功すればそこからこれまでにはなかった仕事なども生まれて、社会の望ましい変化や活性化に役立つのではないかと思うからですが、竹中氏の場合はこれまでのことからしても何か裏があるのだろうと勘繰る人が多いようです。

 これはむろん、生活保護や年金など諸々の制度の廃止を含意していて、制度がシンプルになるから、関連するよけいな行政コストも不要になる。世代間不公平の問題もなくなる。マイナンバーカードで収入・財産の把捉を容易にして、そこに税金をかけるということのようですが、悪用されなければそれはいい考えです。社会保障財源もそこからまとめて出すというふうにすれば、残りは自分で好きに使える。母子家庭などは除き、子供は月7万もいらないから、金額は減らすとして、成人は一人全員7万支給される。夫婦だと月14万になるから、そんなに悪くないでしょう。他に収入のない人にもひっくるめた税金が実は月7万かかるということになれば詐欺ですが。それで人が怠惰になって働かなくなるということは、これまでの社会実験からないということが確かめられている。人間心理からしてそれはむしろ当然で、人は活動したがる生きものなのです。持続可能な社会の観点からも、もっと建設的、文化的な活動が増えることが期待できる。

 おそらくこれも最も反対しそうなのは「既得権益層」で、老人の場合、国民年金の受給者は満額でも月7万もないから文句はないでしょうが、元サラリーマンなどの厚生年金の受給者はこれでは「損する」わけです。それで、団塊の世代を中心に大反対が起きそうですが、今は親となっている自分の子供世代の窮状をよく理解する人は、また違った考えをもつかもしれません(ちなみに言うと、今は大学進学でも世代的に資産形成しやすかった祖父母からの援助が大きいというケースは少なくない。塾をやっているとそういうこともよくわかるので、どういう祖父母をもっているかということも、今の子供の教育環境にはかなり影響しているのです)。

 何にせよ、今のままでは健康保険(介護保険も含めて)制度も年金制度も立ち行かないので、それに代わる別の制度が必要になっていて、このベーシックインカムはその代わりになる有力候補の一つではないかということです。菅政権はこの現状に対して何をするか、あるいは何もしないか、注目されるところです。

 尚、次の記事をご参考に。これは問題点をうまく要約したいい記事だと思います。

竹中平蔵氏の「月7万円」ベーシックインカム論が炎上…導入は本当に不可能なのか?


スポンサーサイト





祝子川通信 Hourigawa Tsushin


<<コメントへの返信 | ホームへ | なんじゃ、そりゃ?>>
コメント
以前その人の誕生日から性格を知ることができるというサイトをご紹介させて頂いた者ですが、次のサイトも当たっていると言われることが多いのでよかったらご覧になってください。
https://sorairo-net.com/community/tanzyoubi/
https://seasons-net.jp/
【2020/10/21 12:42】 | 農工大中退 #8mb387tg | [edit]
ほんとにこちらは辛口ですね(笑)。
【2020/10/21 13:15】 | 大野龍一 #- | [edit]
医大生です。

本文に記載があった医師の過剰診療に関して、誤解されそうだなと思ったのでこの場をお借りして2点弁解させて頂きます。

まず医師の過剰診療というワードは、

1.病院にやってきた患者に対して、医師が診療報酬を増やすために不必要な検査を追加している

2.1つ1つの検査は妥当だが、「患者を生かす」ことだけを追い求め過ぎていて、結果的に患者本人も不幸になってしまっている

以上2つの解釈があると思います。

まず1つ目の解釈は、ほぼないですね。
今まで日本全国の病院を約50箇所ほど見学させて頂きましたが、無駄な検査項目はできるだけ除くようベテラン医師から指導されます。

そもそも余計な検査を追加したとしても、保険料が振り込まれる前に1つ1つの検査項目について保険協会の方で再度チェックが入りますので、
「どうして肺炎疑いの患者さんにカテーテル検査なんてやったんですか?」
という感じで聞かれた時に、合理的に説明できない検査項目については保険として通りません。

つまりその分は病院側の持ち出しになっちゃうということです。


恐らくは2つめの解釈の方を主に意図して書かれたのだと思いますが、これは正直疑問に感じている医師の方も多い印象です。

ただ医師というのは、あくまで事前に決められた範囲内で自由に動き回る駒に過ぎないので、患者に対してどこまで治療介入していくのか、それを決める裁量権は個々の医師にはあまりありません。

例えよかれと思ってでも、"患者の延命を第1とする"以外のエンドポイントを決めて治療したら、患者が亡くなってから現れた親族に訴えられた、なんてこともあり得ます。

そんな訴訟リスクを下手に犯すくらいなら、
「とりあえず延命治療しとこっか」
となるのが大半の医師や病院側の考えかと思います。

ただこのコラムでも言及されていたように、社会医療費にも限りがありますし、また患者側のQOLを考慮しても、
「とりあえず延命で」
という風潮はテコ入れされた方がよいかと思います。

そうした風潮を変えるには医師だけでなく、社会全体での議論が必要かと思いますが、恐らくはそういった考えで厚労省から"人生会議"というポスターが昨年作成されました。
(突然倒れて意識がなくなった場合などに、意識が戻る見込みがなく呼吸器に繋がれてないと死んでしまうような状態になっても生き永らえることを望むのか、それともそういう場合はもう呼吸器を外した方がよいのかなどの意思を、万が一の事が起きる前に家族で話し合っておいてね、という趣旨のポスター)

ただそうした背景まで思慮が及ばなかった方々から、「不謹慎だ!」といった批判が続出して、わずか1日で撤回してしまったのは残念でした。
【2020/10/22 02:53】 | 宮崎 太郎 #- | [edit]
コメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://koledewa.blog57.fc2.com/tb.php/766-93edc0b4
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)