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どうしてこれが「前代未聞の暴挙」なのか?

2020.10.04(14:41) 758

 前回の続きですが、この問題に対する世間の関心の低さには驚かされます。ヤフーのニュースサイトのコメント(いわゆるヤフコメ)は程度が低いので有名ですが、そこにはネトウヨの熱い「菅支持」コメントが並んでいて、年間10億円の税金を使っている学術会議のメンバーを決めるのに「選挙で選ばれた」政権が口を挟むのは当然だとか、国家に有害なサヨク学者に血税で援助するのがそもそも間違ったことなのだといったコメントが山のように寄せられているのです。あたかも時の政権の恣意が国民の総意であるかのようです。

 しかし、会員でも国家公務員(国立大教員)には手当は支給されないし、その手当というのも僅かなものでしょう。10億円は運営費含めた全体の費用です。次の記事をご覧ください。「サヨクの朝日記者が書いたものではないか!」とネトウヨたちは憤慨しそうですが。

学術会議の会員任命拒否の「とんでもなさ」~学術界と社会の健全な関係作りをぶち壊す菅政権

 僕はこれに全面的に同意しますが、「なるほど、そのあたり突っ込む人もいるのだな」と思ったのは、自民党衆院議員・長島昭久氏の次のようなツイートです。とくにその後半部分。

 日本学術会議問題は、政府から明快な説明責任が果たされるべきであることは勿論、首相直轄の内閣府組織として年間10億円の税金が投じられる日本学術会議の実態や、そのOBが所属する日本学士院へ年間6億円も支出されその2/3を財源に終身年金が給付されていること等も国民が知る良い機会にして貰いたい。

 イミダスによれば、「1879年に創設され、福沢諭吉が初代会長(現在は院長)を務めた東京学士会院を前身とする日本学士院は、日本の教育・学術の発展を目的として文部科学省に設置されている栄誉機関で、海外のアカデミー(学士院)との交流や、論文集「日本学士院紀要」の発行、研究費の補助活動などを行う。会員は、顕著な功績を挙げた学者のうち推薦と選挙を経て選ばれた上限150人。会員は、法的には国家公務員特別職となり、功績顕彰として年額250万円の終身年金が支払われる」とあります。

 こういう特別な年金が付与されるものには、他にも「文化功労者」があります。ウィキペディアの説明を見ると、

 文部科学大臣が候補者の選考を文化審議会に諮問し、その選考した者のうちから文部科学大臣がこれを決定する(文化功労者法第2条)。文化功労者には、終身、政令で定める額の年金(年額350万円・平成21年度予算計約8億円)が支給される(同法第3条)。

 とあって、どちらも科学や文化に顕著な貢献をした人たちに付与されるものです。「通常の年金に加え、それでは、『法の下の平等』に反する不当な優遇ではないか?」と批判する人たちもいるでしょうが、僕が想像するに、貧しい芸術家(サラリーマンではないので、払っていたとしてももらえるのは僅かな国民年金でしかない)などの場合には、そのおかげで不安なく仕事に専念できるようになったという人もいるだろうし、学者なら、それを自分の研究費の足しに使ったりしている人もいるでしょう。それなら有意義に使われているわけで、とやかく言うほどのことかな、という気がするのです。

 だからそれほど深刻な問題とは思えない。日本の国会議員の桁外れの優遇ぶり(一人当たり総額で年間約1億円かかる。ぜいたくな議員年金もあるわけです)と較べると全く大したことがないので、他の予算の使い道にしても、莫大な金額が得体の知れないところに流れ込んでいるわけです。だから、菅義偉流に言えば、「そのような批判は当たらない」ということになるでしょう。木を見て森を見ない議論に落ち込まないようにしないと困る。

 中にはこういう反批判もありました。「政治的な言動で外されたというが、任命された会員には『反安保法制』の学者や文化人も入っている」と。これでは全く反論になっていないので、それならなおさらなぜあの6人の学者を任命しなかったのか、その理由を明示する必要があるわけです。「ボクちゃん、あいつらはとにかく嫌いなのよ」では、総理の主観で決まることになる。上の「論座」の記事にもあるように、そうした主観で「公的な機関が、法律および組織で決めたルールに則り、時間と人手をかけて決めた候補を、何の説明もなく拒否」できるというのでは、近代国家とは言えない。「朕は国家なり」の専制君主制に退行してしまったようなものです。安倍流「忖度政治」で民主主義の形骸化が進んでいましたが、菅政権は「アベ政治の承継」でそれをより露骨なものにしようとしているわけです。

 僕が最も深刻だと思うのは、そうした批判を「左翼メディアが騒いでいるだけ」として問題の矮小化を図る議論が大手を振ってまかり通っていることです。こういうことに右も左も関係ない。生物界の生態系と同じで、社会には多様性が必要です。右も左も、中道も必要なのです。そうした中での活発な議論が社会の健全性を担保する。学問でいえば、一般世間の人に「わけがわからない」と思えるような研究をする学者も必要なので、そのおかげで後で社会が大きな利益を受けるといったこともありうるのです。

 文人や学者、芸術家が権力に対するアンチとして大きな役割を果たしてきたのも歴史的事実です。宗教も、多くは時の政治権力に対するアンチとして登場した。だからイエス・キリストは磔にされたのだし、仏教なども初期には迫害を経験したのです。中国でも儒教の創始者孔子は、どの国の君主にもその政治思想が容れられることなく、弟子を連れて流浪の生涯を送った(だから迫害するのが当然だと言わないように)。むろん、権力の茶坊主のような学者や文化人はつねに存在した。しかし、その大部分は政治権力の崩壊とともに消え、跡形もない。中には悪名だけ残した者もいますが。

 昔、といってもそれほど昔ではない昔、総理の吉田茂が東大総長・南原繁を「曲学阿世の徒」と激しく非難したことがあります。それは次のような話です。

吉田首相、南原東大総長の全面講和論を「曲学阿世」論と非難

 この最後の、

 吉田首相の官僚的態度は、幹事長佐藤栄作の官僚的態度によって倍化されていた。 佐藤は、南原総長の声明にたいし「党は政治的観点から現実的な問題として講和問題をとりあげているのであって、 これは南原氏などにとやかくいわれるところではない」と反論し、 「もとより学問の自由は尊重するが、この問題はすでに政治の問題になっているので、 ゾウゲの塔にある南原氏が政治的表現をするのは日本にとってむしろ有害である」と強調した。 彼は、「政治の問題になっている」からこそ国民が政治にたいして発言するのだという民主主義の原理を知らなかった。

 という箇所が面白いので、吉田シンパからするとまた違う表現になるでしょうが、もっと面白いのは、吉田茂が政治家として「学問の自由」は認めた上で、正面から南原とやり合ったところです。むろん、彼の発言を封じたり、東大総長をクビにしたりするなど、おかしなことはしなかった。幹事長の佐藤も、あくまで言論で南原を批判したのです。菅の場合には、理由も何も言わず、「気に入らないから」というだけで学術会議の会員に任命しなかったわけで、やり口が全く違う。

 この記事でもう一つ興味深いのは、

 南原総長は、五月六日、吉田首相に反論し、曲学阿世の徒などという「極印は、満州事変以来、美濃部博士をはじめわれわれ学者にたいし、軍部とその一派によって押しつけられてきたもの」であり、「学問の冒涜、学者にたいする権力的弾圧以外のものではない」と逆襲して吉田首相の「官僚的態度」を非難し、「全面講和は国民の何人もが欲するところであって、それを理由づけ、国民の覚悟を論ずるは、 ことに私には政治学者としての責務である」と強調し、「複雑変移する国際情勢のなかにおいて、現実を理想に近接融合せしめるために、英知と努力をかたむけることにこそ、政治と政治家の任務がある」にもかかわらず、「それをはじめから曲学阿世の徒の空論として、全面講和や永世中立論を封じ去ろうとするところに、日本の民主政治の危機の問題がある」と声明した。

 というところで、これは高校の歴史教科書にも出ている話ですが、憲法学者・美濃部達吉は、その「天皇機関説」によって軍部と、今のネトウヨと同じレベルの、軍部につながる国会議員の激しい非難を受け、著書は発禁、自身は「不敬罪」に問われ、それは不起訴になったものの、貴族院議員を辞任することを余儀なくされました(翌年、右翼から銃撃を受ける)。この「天皇機関説」は、明治憲法下における天皇の地位理解としてしごくまっとうなもので、何ら異とするに足りなかったものですが、宗教がかった右翼(今の日本会議なんか、モロにこれです)には「冒瀆」と見えたのです。こうした中、日本は軍部(陸軍)主導の自滅戦争体制へとなだれ込んでいくことになる。これは1934~5年のことですが、有名な瀧川事件もほぼ同じ時期、1933年に起きています。美濃部は1934年まで東京帝大教授でしたが、瀧川幸辰(刑法学)は京都帝大教授だった。

 1933年4月、内務省は瀧川の著書『刑法講義』および『刑法読本』に対し、その中の内乱罪や姦通罪に関する見解などを理由として出版法第19条により発売禁止処分を下した。翌5月には齋藤内閣の鳩山一郎文相が小西重直京大総長に瀧川の罷免を要求した。京大法学部教授会および小西総長は文相の要求を拒絶したが、同月25日に文官高等分限委員会に休職に付する件を諮問し、その決定に基づいて翌26日、文部省は文官分限令により瀧川の休職処分を強行した(ウィキペディア)

 という流れになるのです。そこまで政治が劣化して、勝手に本を発禁処分にしたり、学者の社会的地位を奪うなんてことになるとロクなことにはならないという見本のようなものです。今回の菅政権の日本学術会議会員の任命拒否が似たような流れになって行かないかどうか、僕らは警戒して見守る必要があるでしょう。ヤフコメのコメントを見ていると、ファナティックなネトウヨが、それは実際の数としては人口の数パーセントにすぎないでしょうが、やたら菅支持の大声を張り上げているようで、どうもよくない兆候です。

 もう一度言いますが、こういう問題は右も左も関係がない。日本学術会議の体質に問題があるという話も、それは別の議論でしょう。時の政権が独立性を尊重すべき学術団体の会員選考にまで嘴をはさんできたというそのこと自体が問題なのです。理由を明示しないという姑息さも、なおさらタチが悪い印象を与える。これで菅内閣の支持率が影響を受けないとなると、今の日本社会の病理は相当深いということになるでしょう。

【追記】書いてアップしてからすぐ、ニュースサイトを見ると、アエラ(これまたネトウヨが頭ごなし嫌う)の良い記事が出ていました。こちらもぜひご覧ください。

「杉田官房副長官、和泉補佐官に政権批判した学者を外せと言われた」学術会議問題を前川喜平氏語る

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祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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