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芸術家としての自然

2020.09.26(16:28) 755

 ネットのニュースサイトで次の画像を見つけたとき、目が釘付けになってしまいました。どんなヴィジュアル・アーティストでもこれほどの“作品”を作ることは困難でしょう。記事は温暖化がチョウに及ぼす影響についてのものですが、写真のチョウの美しさの方に気をとられてしまう。

・チョウと温暖化、羽に隠された生存の鍵

 下の部分は顔のように見えますが、全体に配色が絶妙で、いくら見ても見飽きないところがある。「造化の不思議」という言葉がありますが、たんなる偶然でこんなものができるとは思えない。これからは紅葉のシーズンですが、あれなんかも見事なもので、人間の美意識にぴったり合うというより、むしろ人間の美感が自然を通じて形成されるのです。プラトン流に言えば、美のイデアが自然を通じて表現され、それに接することによって魂が天上の光景を想起するとでも言えばいいのか。ガーダムはこの世のはかない美はあの世の美の摸像に他ならないと言っていますが、これもプラトンが言っていることとほぼ同じです。

 僕は若い頃、よく絵を見に行きました。都会の良いところは自然が少ない代わり、美術館や美術展が多いことで、最初に見に行ったのはどこかのデパートで開かれた「泰西名画展」で、それはかなり大規模なものでしたが、そこで初めて見たレンブラントの自画像は今も記憶に鮮明に残っている。当時僕は十八歳で、新聞配達をしながら浪人している、いわゆる「実存的な」大きな不安を抱えた若者だったのですが、その自画像に惹きつけられ、その奥行きの深さに驚いて、写真では伝えられないものが絵画にはあるということを実感したのです。ああいう名画展のよくないところは、たくさん絵がありすぎて、それがかえって鑑賞を阻害することになってしまうことですが、それは仕方がない。

 こういうこともありました。それは大学生の頃の話で、元バイト先の社長が大酒飲みで、土曜の晩、酒をごちそうになって、その人はまだ三十代の独身でしたが、すぐ上を高速が走る、世にも稀なオンボロアパートに住んでいて、二人で終電がなくなるまで飲んでいたので、そのアパートに泊めてもらった。朝になってあらためてそこの汚さには驚いたのですが、何で社長なのにそんなひどいところに住んでいるのかといえば、社員(学生アルバイトも準社員として好待遇を受けていた)をよく安くておいしい、行きつけの店に連れて行っていたのですが、全額自分のツケで支払っていて、その飲み屋のツケだけで毎月30万を超えていた(40年以上前の話です)。会社の交際費で落とすというようなセコいことをその人は嫌ったのです。それで、自分の住むところなんか寝に帰るだけだからどうでもいいということで、上の高速をトラックが通るたびに揺れる、今にも倒れそうな木造アパートに住んでいたのです。

 このNさんという社長は北海道の田舎の出身で、高校卒業後、医者になって地元に戻り、貧しい地域医療を何とかしたいと国立医学部を目指して働きながら浪人していたが、夢が果たせず、その後職を転々としていたが、たまたまこの会社にいたところ、大赤字の同族企業で誰が社長になっても務まらず、あんたがやってくれないかと言われて、労働組合の設立という変わった条件をつけてそれを引き受け、八面六臂の活躍で僅か四年ほどで立て直して黒字に転換させたという人でした。つねに現場にいて陣頭指揮を執っている人で、この会社はこの人がいなければもたないだろうなと、僕のような学生アルバイトでも二、三週間もいれば気づくというほど有能な人でしたが、見た目はチビでやせていて、服装に構わずいつもランニング一枚でいるので、最初はシャチョーという声が飛び交うのを、変わった姓の人だなと思ったくらいですが、姓ではなく役職だったのです。いつもタバコのピース(ニコチン量がとくに多い!)を口に横っちょにくわえていて、大酒飲みと来ては、早死にを約束されたようなものでしたが、僕が今まで会った中で三本指に入る能力的にも人格的にもすぐれた人でした。しかし、その後、僕がやめてから二、三年後のことでしたが、社員重視でオーナーたちの言うことを聞かず、邪魔になるという理由で、社長を解任され、ヒラの取締役に降格させられることになる。倒産寸前のときは頼み込んでおいて現金なものですが、その傀儡社長は大卒ながら、僕も知っている無能な事務屋でした。

 しかし、それは別の物語なので、詳細は省くとして、翌日の日曜、その人も絵が好きだったので、日本橋に絵でも見に行くか、ということになりました。そこは人形町で、日本橋までは歩いて行ける。二人ともかなりの距離を歩くのは平気だったので、最初はその社長お気に入りの山種美術館(今は広尾に移転しているようですが、山種証券が作ったもので、当時は日本橋の兜町にあった)に行って、昔の日本人画家の絵を見て、その後、流行の現代美術家の個展があるということで、そちらの会場に向かいました。山種美術館の方は閑古鳥が鳴いていたのに、こちらは大盛況なのにびっくりしたのですが、そのとき不思議だったのは、色彩は派手だが恐ろしく薄っぺらな印象を受けたことで、見ているときはそれほど強い感銘を受けなかった山種美術館で見た絵画群のよさがあらためて意識にのぼってきたことです。それは個人の好みで説明できるようなものではない歴然とした差異で、後でコーヒーを飲みながらそれを話すと、社長もそれには全く同感だったようです。ついでに山種美術館のサイトを見つけたので、貼り付けておきます。地味だが、いい美術館の一つです。

山種美術館

 具象画であれ、抽象画であれ、すぐれた画家の感性を育てるのもまた自然でしょう。その自然は、しかし、驚くべき勢いで破壊されつつある。美しい昆虫や鳥(熱帯雨林に最も多い)なども、それによって消えるか、上の記事にもあるような好ましくない変化を遂げることになるのです。日本の場合でいえば、昔は人々の目を楽しませてくれた美しい紅葉も、度の過ぎた人工林政策のためにすでに激減している(それは豊かな生態系も同時に失われたことを意味します)。前に弟と故郷の熊野古道に指定されているところを歩いていたとき、周りはいたるところスギかヒノキの森で、子供の頃とは風景が全く違うのに僕は驚いたのですが、「こんなところ、歩いてみたって何の面白みもない。四季の彩りはゼロで、緑の砂漠みたいなもんだよ」と弟が言うのに同感したものでした。木は売れず放置されているだけなので、昔のままなら貴重な観光資源になった原生林をただ破壊して、山崩れと花粉症患者を増やしただけなのです。何度でも言いますが、補助金をばらまいてむやみな植林を奨励し続けた政治家と農水省は少しは反省しろ。これも立派な自然破壊なのです。

 自然が消えれば、その中の美しいものも消える。この前話題になったバッタの大量発生にしても、あれは温暖化も関係しているようですが、群生相になると体色も黒っぽくなり、体型も変わって全体に悪魔的になるのです。自然が健康ならそこに反映される美も鮮やかな透明度の高いものになるが、それが病むと美しいものはどんどん消えていく。海の美しいサンゴ礁の映像はいつも僕らの目を楽しませてくれますが、温暖化や汚染で、あと二、三十年で全滅する運命です。周囲の自然からそうして美しいものが消えて行ったとき、人間の美感や美意識はどのようなものになるのか、そもそも人はそれで正気を保てるのか、冒頭の美しいチョウの画像を見ながら、あらためてそんなことを考えました。
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祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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