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政治家・安倍晋三の強運と凶運

2020.09.04(17:51) 750

 安倍晋三ほど運のよかった政治家も珍しいと僕は思っています。第一次政権はああいうかたちでミソをつけて、ふつうはあれでアウトですが、ネトウヨの熱い支持、とくにあの極右愛国政治団体、日本会議のお眼鏡にかなう政治家は彼しかいなかったために、その巧妙な「草の根」を装った支援運動などもあって、「奇蹟の復活」を遂げた。その前に民主党政権ができて、狙ったようにあの東北大震災と福島第一原発メルトダウン事故が起きて、原発推進は元々自民党政権下で進められてきたものですが、それによる大惨事はよりにもよって自民が下野しているときに起きたのです。おかげで民主党政権は右往左往しましたが、あれよりははるかに深刻さにおいては小さいコロナ問題への対応ですらこの有様なのだから、安倍政権が当事者だったらまともな対応がほとんどできず、酷評されて終わりだったのではないかと思います。しかし、うまい具合にそれが好都合な「敵失」になった。

 アベノミクスについては識者が色々な評価をしていて、たとえば、次のようなものがあります。外国人の書いたものの方が論理的に明快で、かえってわかりやすい。

数字で見ると明らか「アベノミクス」残念な実績

 これは、下に興味深いコメントがいくつも出ているからあえてヤフーのニュースサイトのものを引っ張ってきたのですが、おおむねその通りだろうと思います(注目すべきは、これが「コロナ以前」に焦点を当てていることで、「コロナで悪くなった」という言い訳を通用しなくしていることです)。結論としては、「財政赤字の拡大にだけは貢献した」ということのようですが、見かけ上よくなったように見えたものも、たとえば「リーマンショック後の回復過程」が重なるなど、彼は運がよかったのです。大学生の就職率アップなども同じで、アベノミクスがどうのというより、時期的に団塊世代の大量退職による人手不足に助けられた側面が大いにある。株は、公的資金をつぎ込んだああいう露骨な「官製相場」なら上がるのはあたりまえの話。それは経済実勢の反映ではない。また円安誘導で、輸出大企業には大きな助けになったものの、原料輸入費が高くなって、食品を中心に値上がりが続いた。こういうのは庶民には一番痛いのですが、そういうことにもかかわらず、「インフレ2%目標」が達成できなかったのは、全体にビンボーな人が増えたため消費が鈍化したからです(全体の実質賃金が下がっただけでなく、勤務先がどこかによって、また非正規の増加によって、労働者間の格差がさらに広がることにもなった)。下々の暮らし向きは円高の民主党政権時代の方が楽だったのです。

 しかし、こういう経済金融政策は広い支持を取り付けるためのもので、安倍ネトウヨ政権の真の狙いは憲法改正や、愛国主義的教育や国民統制の強化にあった(だからこそ日本会議は安倍を必死に推し立てようとした)。ひとくちにいえば、翼賛体制をつくって、全体主義的な方向に持ってゆくことだったのですが、これも北朝鮮のミサイル発射や、韓国の病的なまでの「反日」攻勢、尖閣問題のこじれなど、追い風がたくさん吹いた。解釈変更による集団自衛権肯定への転換とか、書くのも面倒なくらいあれこれあったのですが、本丸の憲法改正までは世論の反対があって進めなかった。周辺の国際情勢の変化から、憲法改正に賛成する人は今も増えていますが、あの自民党の改憲草案やアベ案が甚だしく没論理の不出来なもの(日本語としてもひどい、と前に書いたことがありますが)で、支持を得られるようなものでは到底なかったから、支持が広がらなかったのです(そのあたりをよく見ない論評が多いのは僕には不思議に思われるのですが)。

 それで結局、似たような「反知性主義」のトランプに滅法好かれたという他は、「功績」がはっきりせず、「忖度政治」を行き渡らせて行政機構を腐らせ、政治家もイエスマンの取り巻きばかり集めて、社会全体のモラル・ハザードを招いたというだけだったような気がするのですが、とにかく長続きはした。しかし、次の記事は言い得て妙だと思いましたが、「忖度してくれないコロナ」が出現して、他国ではほとんどの政権が「危機を前にしたときの団結心理」で支持率を上げたのに、「あんた、何やってるの?」というピンボケの対応ばかり繰り返し、思いきり支持率を下げる羽目になったのです。

安倍首相「忖度しないコロナ」には無力だった

 数々の難局に対して批判に正面から答えず、国会での答弁拒否や文書改ざんで乗り切ってきた政権だが、ウイルスには無力だったといえる。

 これがすべてを物語っているように僕には思えるので、あたりまえですが、その「手法」はコロナには通用しなかったのです。彼が重用してきた「官邸官僚」たちの独善性、無能さも同時に露わになった。この記事にもあるように、「中央省庁の幹部人事を一元管理する『内閣人事局』を発足させ、人事を官僚主導から政治主導に変え」、それによって「官僚が官邸に抵抗しにくいシステムを築き上げた」のですが、結局はそれがコロナのときに命取りになった。それが寵愛を受ける一部の官邸官僚の壟断を招き、かえって広い意見収集や効果的な対応ができなくなったからです。次の指摘もその通りです。

 仕上げはメディアへの圧力だ。気に入らない報道には抗議するなどのほか、批判的なテレビ局には出演しない。首相の会見でも事前に質問を通告するよう求めるなど、制約が課せられた。やがてメディア側にも、官邸の意向を斟酌(しんしゃく)しなければ仕事がやりにくいという空気が育まれていった。これで忖度政治の完成だ。次第に批判は封じ込められ、政治は民意とはかけ離れたものになっていく。

 その程度の圧力にも抵抗できないメディアのフヌケぶりは批判されてしかるべきですが、これほど露骨なマスコミへの「恫喝対応」を取った政権も珍しいのは確かで、こうしたメディア・コントロールは政権批判の封殺に大きな効果を上げたのです。

 コロナ対応のぶざまさについては上の記事の先を読んでいただければいいのですが、そんな中、支持率は危険水域まで下がり、上げる方策が見つからなくなっていた。完全に「詰んで」しまったのです。持病の潰瘍性大腸炎の悪化は、それによって国民の同情を集めることができるので、恰好の辞める口実になったと言ってもいいでしょう。事実、辞任発表の会見後、「病気で大変なのに、頑張ってたんだな」ということで、この手の話に弱い善良な日本国民は「感動」して、内閣支持率は劇的なまでに急上昇したのです。もしもこれがなければ、アベノミクスの化けの皮もはがれてきたし、中国習近平への媚売り対応などでネトウヨの支持もなくなりかけていた矢先、「結局この政権は今まで何をやってきたんだ!」というのでボロクソ言われることになって、絶不評のうちに退陣、次の総選挙では「弱い野党」という追い風にもかかわらず、大幅に議席を減らす、という流れになっていたでしょう。そこを彼はいわば「持病に救われた」のです。情勢はおかげで一変した。

 その意味でも、安倍晋三という政治家は運がいい。自分の持病まで味方につけることができたのです。しかし、次の記事を読んで、僕はあることを思わざるを得ませんでした。

安倍首相「家庭内別居」状態 夫婦間の会話はほとんどなし

 見た感じ、週刊誌によくあるゴシップ記事のようですが、これは「ファースト・レディ」ならぬ「ワースト・レディ」と呼ばれるあのアッキーとの関係についての記事で、安倍晋三氏にとってこの昭恵夫人は韓流ドラマなどによく出てくる「運命の人」だったそうですが、蓼食う虫も好き好きとはいえ、これは彼がもった「もう一つの運」を象徴しているように思えるのです。

「総理の健康悪化の原因は『激務による疲れとストレス』といわれてきましたが、その原因の何割かは家庭内、特に昭恵夫人の行動にあったことは間違いありません」

 というのは、おそらく本当でしょう。

 昭恵さんはこれまで、大麻解禁論、森友問題、桜を見る会、緊急事態宣言下での九州・大分旅行など実に多くのトラブルを起こしてきた。

「総理が“俺が言っても(昭恵は)聞かない”とこぼした際に、側近の秘書官らが“いい加減にしてください!”と詰め寄ったという話がありました。総理は“昭恵は自分が総理になったつもりで、何をしても許されると思っている”と漏らすこともあった。実際、総理は昭恵さんが外で何をしているのか把握できていなかったのでしょう。

 いかんせん夫婦間に会話がないので、火種に気づけない。いまはトラブルがあった後ですらふたりで話をすることはなく、間に官邸スタッフが入ってコミュニケーションを取るほどです」(前出・別の官邸関係者)


 こういうのが必ずしも根も葉もない噂話だと思えないのは、これまで安倍総理が「妻の行動を把握しておらず、後でその尻拭いのための苦しまぐれ答弁に追い込まれる」様子が再三観察されてきたからです。「運命の人」だから離れがたいのかもしれませんが、これはあんまりな話です。彼女は別に美人というわけではないし、何であんなのに惚れたのか、第三者には理解が困難ですが、安倍晋三の「隠れた凶運」はまさにここにあったと見るべきでしょう。世間一般でも、あそこまでの○○はめったにいない。

 悲劇的だったのは、あの森友事件です。「私や妻が関与していたとなると、総理も国会議員も辞める」と啖呵を切って、少なくとも妻のアッキーが直接「関与」していたのは明々白々だったので、ふつうならあれで辞職していますが、そうはならなかった。これはそれ自体が日本政治の劣化を象徴する出来事ですが、もしもそうなっていれば、安倍夫妻には癒しがたい亀裂が入って離婚することになったはずです。妻が夫の政治生命を奪ったに等しいわけですから。しかし、彼は妻と自分を守るべく頑なに否認を続け、忖度官僚たちに虚偽答弁や公文書偽造指示といった犯罪を働かせ、それを強引に乗り切ってしまった。僕がこれを「悲劇的」と言うのは、近畿財務局の赤木俊夫さんが公僕としての誇りをかけて、それに抗議する遺書を残して自殺したからです。結局、安倍晋三は卑劣極まりない対応を取って逃げ切り、自分の政権と家庭を守ったが、その代償に、別の家庭の幸福を完全に破壊してしまったのです。むろん、善良な赤木さん夫婦には何の落ち度もなかった。

 籠池氏の極右愛国思想と教育勅語教育に入れ込むということ自体、「スピリチュアル右翼」アッキーのオツムの程度を明確に示していますが、そのアッキーの話を聞いて、夫の安倍晋三も最初は「感激」していたというのだから、これはその程度の人間が総理大臣になる国なのかと、僕は当時呆れました。それはともかく、夫の方はあの国有地の破格払い下げが明白な違法であることはよく承知していたはずで、妻の行動をよく把握していれば、事前にストップをかけていたでしょう。しかし、ジャンヌ・ダルク並に「神の声」が聞えると思い込んでいる「善意の人」アッキーは、夫に相談もしないまま、職権乱用以外の何ものでもない行動に突っ走り、夫が強化した韓国並の「情実忖度行政」路線に乗って、それを「実現」してしまったのです(その用地取得が取り消され、籠池夫妻が逮捕されたのは後の話です)。その陰に、何度も違法な文書改竄や削除を指示されて参ってしまった赤木俊夫さんのような誠実な人がいた。公僕としての誇りと倫理観をズタズタにされた赤木さんはほとんど憤死のようなかたちで自死した。総理夫人の常識では考えられない非常識さと独善性、軽さが真面目な公務員の死を、そしてその家族の幸福の破壊をもたらしたのです。

 他にも総理夫人の地位を利用して不公正なことを「善意で」後押しするということをいくつもやったようですが、アッキーの「善意」というのはとどのつまり、彼女の病的な自己愛、コンプレックスや自己肯定感の乏しさを補償するために「人の役に立つ人間」だと思えるようにしたいという利己的な願望の産物でしかないと僕は思いますが、森友事件では、それがとんでもない悲劇をもたらしたのです。何とかに刃物ならぬ、「アッキーに権力」だったのです。

 むろん、彼女にそんな因果関係はまるで見えていないので、赤木さん自殺の報道があった当日も、アッキーは呑気にパーティなどに出かけ、それを気にした様子がゼロなのに周りの人たちは驚かされたそうですが、そこまで行くと薄気味が悪くなる。誰であっても、こういう女房をもちたいとは思わないでしょう。しかし、安倍晋三氏の場合、それをもってしまったのです。そういうのに惚れるとは、凶運以外の何ものでもない。

 赤木さんの奥さんは今訴訟を起こしているので、アッキーは法廷に呼ばれて裁きを受けるべきだと思いますが、次期菅政権はむろん、これを断固阻止しようとするでしょう。それというのも、

「ポスト安倍」への期待を問う世論調査では、首相批判を繰り返す石破茂元幹事長がほかを大きく引き離しトップを走っていた。石破氏は、森友・加計学園の問題や財務省による公文書改ざんの再調査にも言及。菅氏の周辺は「後継候補として重要なのは、そういう問題をほじくり返さない人だ」と語っていた(朝日新聞 9.3 記事より)

 からです。安倍総理が支持率を一気に上げるうまいやり方で身を引き、菅官房長官に後を譲った以上、安倍政権時代の「森友・加計学園の問題や財務省による公文書改ざん」などの「問題をはじくり返さない」のが何より重要なことだからです。自民党ムラの論理からすれば、そんなことをするのは「信義にもとる」ことなのです。社会正義の要請とそれが矛盾しても、彼らはそんなことは気にしない。「些末なことで騒ぎ立てるのは政治の本質を見誤った行為だ」などとしたり顔で講釈して下さる評論家やコメンテーターの先生もたくさん出てくるでしょう。何はともあれ、コロナであり、経済なので、他のことはどうでもよろしいのです。まあ、安倍政権は経済方面の指標やデータでも、インチキはしていたのですが、韓国の文政権などよりはまだ控えめでマシだということで、それも大目に見られるでしょう。

 しかし、愚かな総理夫人の無責任な軽挙妄動が誠実な公務員を殺し、その家庭を破壊したという事実は残る。それは「解釈の問題」ではないからです。安倍夫妻はその十字架を背負って生きていかなければならない。彼らはそれを全然気にしないでいることができるのでしょうか? 自分たち夫婦は権力に守られて無事だった。しかし、その権力によって不正行為を強いられた一介の公務員は、そしてその家族の運命は、悲劇的なものとなったのです。

 法廷の裁きをきちんと受けた方がアッキーその人にとっても為になることではないかと僕は思いますが、こういうのは小学生がオトナの目を盗んで車を運転して人をはねて死なせてしまったようなもので、実質的な責任能力が幼稚なアッキーにはないのだと考える人がかなりいるかもしれません。その場合、オトナの、このケースでいえば「保護者」であり夫でもある安倍晋三の「管理責任」が問われることになるわけです。しかし、「平気で嘘をつく」と言われてきた彼にもそんな責任能力はないのではないか? だとすれば、国家の舵取りをそういう人間に委ねていたということで、今度は国民の責任になる。

 彼ら夫婦の関係が今後どうなるのか、それは僕の関知するところではありませんが、おそろしく安易・無責任なことをやらかし、それが国の最高権力者の妻であったがために法的な何の処罰も受けることなく通ってしまって、その副産物としてこういう悲劇を生んだのです。その軽さと結果の深刻さが全く釣り合わないこういう事例を、僕らはどう理解して納得すればいいのでしょう? よくアッキーには「悪意は全くない」と言われますが、それで六十近くになるまで通ってきたということ自体、考えさせられる問題です。悪の自覚のある悪人の方が社会にとってはよほどマシだと思うのは、たぶん僕だけではないでしょう。
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