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日本のマスメディアが信用されない理由

2020.08.23(15:06) 747

 これは「日本国民必読」の記事です。クリックしてぜひ全文をお読み下さい。

・ニューヨーク・タイムズの香港拠点が、東京ではなくソウルへ移転した「本当の理由」

 僕がこのブログに引用する記事も、記者クラブ幹事社の大手メディアの記事は少ないと思うのですが、それは端的に「つまらない」からで、この記事によれば、おかしな「制度」が災いして、この国は海外の有力メディアにまでそっぽを向かれる羽目になっているのです。今の韓国に「報道の自由」があるかといえば、それは疑わしく、「国民情緒法」が支配するかの国では、たとえば「親日」記事は激しいバッシングに遭うので出せないようですが、それは韓国の国内事情であって、海外メディアにも取材・質問の自由は認められている。ところが、日本にはかんじんなそれがないのです。

「日本では証券取引所にまで『兜クラブ』という記者クラブがあり、経済ニュースの取材も自由にできない。クラブに入っていないフリーランス記者、外国メディア記者は常に差別されている」とFCCJの記者たちは嘆いていた。「一党独裁の中国の方が、記者クラブがないから、日本よりましだ」(上海に移った仏紙特派員)ということだった。

 というのだから、ほとんどマンガの域に達していると言うべきでしょうが、要するに記者クラブなるものの存在が、それに加入していないジャーナリストの取材をブロックする口実に使われているのです。一方、記者クラブ加入の記者たちは、配布されたペーパーを丸写しして、それを記事にするだけという弊害が生じる。

 ペーパーの意味不明の文言もしばしばそのままになるわけで、個人的なことを一つ書かせてもらうと、昔、もう三十年近くも前ですが、僕は短期間、某大手資格試験予備校で時事小論文の講師をやったことがあります。その国家試験ではこの時事小論文が合否を決すると言われていて、重視されていたので、出そうなテーマをいくつか選び出して資料配布の上、まずレクチャーし、最後に受講者に小論文を書いてもらって添削し、それを返却するというかたちをとったのですが、首尾よくその年の問題を的中させて、感謝状をたくさんもらえたのは幸いでした。それはともかく、そのときテーマに選んだものの一つに、「米のミニマム・アクセス」の問題がありました。ウィキペディアに、「日本はウルグアイ・ラウンドにおいて、コメの例外なき関税化を延期する代償として、コメにおいては他品目よりも厳しい量の輸入枠を受け入れ、1995年(平成7年)からミニマム・アクセス米(MA米)を国家貿易で4%(42.6万トン)を輸入し、毎年0.8%づつMA米の輸入枠を強制的に増やした」と書かれている、あれのことなのですが、僕が講師をしていたのはこれがスタートする前だったので、候補の一つにカウントしたのです。

 ところが、一つ不可解な箇所があって、過去の新聞記事を集めてみても、現代用語の基礎知識の類を見ても、そこが全部同じ表現になっていて、僕には意味不明だったのです。いくら考えてもわからず、そこを解説したものも絶無。それで仕方なく農水省に直接電話をしてどういう意味なのか質問して明確化しようとしました。そしたら、電話相手が何度も変わって、ついに「直接交渉に当たった」という人に行き着いた。その人は官僚らしからぬさばけた人で、僕は好感をもったのですが、「あなた、よくそれがわかりましたね」と笑って言うのです。これまでメディア関係では誰一人そこをきいてくる人はいなかったという。「でも、これは重要なポイントでしょう?」と言うと、「非常に重要です」と答える。そのお役人の説明では、「あれは意味が分からないというのが正解で、玉虫色になるように意図的にああいう表現になった」というのです。その記述も、その官僚の詳しい説明も今は忘れてしまったのですが、なるほどそういうことなのかというわかりやすい説明で、おかげで僕はまともなレクチャーができたのですが、その人が言うには、記者たちは渡されたペーパーを丸写しして記事にしているだけだから、そういうふうになってしまうのだということでした(その後もコピーが続くだけになる)。つまり、文章書きを商売にしているのに、意味を考えることさえしていないのです。こういうのだと、突っ込まれることもないから相手をするのも楽です。

 これは「暗記だけしてその意味を深く考えることはしない」今の日本の学校教育・入試の悪しき副産物の一つ(大手メディアの記者たちは有名大卒です)ではないかと思えるのですが、渡されたペーパーを丸写しして、記者会見ではおざなりの質問をして、ということを繰り返すだけなら、そんなものはジャーナリズムではない。しかし、現実にはそうなっていて、そうなってしまう要因の一つがこの記者クラブ制度なのです。それに入っていれば、ペーパーはもらえるから、それを写して記事にしさえすれば、いわゆる「特オチ」の心配はない。そうすると食っていけるのです。突っ込んだ質問などして相手を嫌がらせると、記者クラブから締め出されたり、質問の機会を与えられなくなってしまう。いやがらせでペーパーももらえなくなってしまうおそれがあるので、ジャーナリズムの本旨からすればまっとうなそういう態度はむしろ避けるべき対応だということになるのです。

 多くの雑誌や週刊誌はこれには加入していない(加入を認められない?)ので、ゲリラ的な取材活動を行なうしかなく、だからかえって遠慮のない突っ込んだ面白い記事が書けるということになるわけで、記者クラブ加入の業界の特権階級である大手新聞、テレビ局の記者などはそれにあぐらをかいてロクな仕事をしないから、つまらない記事しか書けず、読者・視聴者に見限られてしまうということが実際に起きていて、上の記事にもあるように、その閉鎖性ゆえに、海外メディアからも「あの国はダメ」と見限られてしまったのです。

 前々からこの愚かしい制度には批判があるのに、なぜまだ続いているのかと言えば、それは取材対象である政府、官庁、警察、財界等にもメリットがあって、メディア・コントロールがそれだけ容易になるからでしょう。そうした大手メディアの幹部たちは首相と会食してそれを得意げに吹聴したりしているわけで、愚の骨頂と言うべきですが、ご本人たちにその自覚はない。それで現場の記者にはまだ稀に骨のある人がいて、徹底的に取材して「暗部をえぐる」ような記事を書いても、事なかれ主義のお偉方からストップがかかって、そういう記事はボツになってしまう。その結果、世間からも「マスコミならぬマスゴミだ」などと言われるていたらくになって、購読者や視聴者は減るばかりという「負のスパイラル」に入ってしまうのです(新聞の部数激減はたんに紙媒体の不振のせいだけではない、端的に突っ込んだ面白い記事が少ないからです)。

 この記事にも、「『国境なき記者団』が『報道の自由度』ランキングで日本を66位にしている」とありますが、その最大の原因の一つは、この「記者クラブ」制度にあるわけです。それで海外メディアにも次々見捨てられ、いずれ目ぼしいメディアの特派員はいなくなるということになると、まさに「亡国の制度」と言って差し支えない。旧態依然たるマスメディアに旧態依然たる社会システムの有効な批判などできるはずもないので、こういうアホなシステムを必死に守ろうとするのは、「国体護持」のために日本民族を絶滅に追い込みかねなかったかつての日本軍のようなものです。それが本末転倒したことなのは言うまでもないので、大手マスコミは「マスゴミ」の汚名を返上して国民の信頼を取り戻したいのなら、まずまっ先にこの「記者クラブ」なるものを廃止すべきでしょう。

 筆者の浅野健一氏によれば、それはかんたんな話です。

 記者クラブを廃止することは、何も難しいことではない。日本の記者が海外に行けば、所属する媒体がどこであれ、当局に記者証を申請すれば取材できる。このような、海外で普通に行われている形にすればいいだけだ。

 楽チンだし、おかしな特権意識がもてるという以外、「廃止しない理由」は何もないでしょう。まさに「マスゴミの論理」です。
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