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原爆についての記事二本

2020.08.09(16:41) 744

 周知の歴史的事実ですが、1945年8月6日、アメリカは広島に原爆を投下しました。そしてその三日後の9日、つまり75年前の今日ですが、長崎に二発目の原爆を落としました。

 その前の7月26日に、日本政府はいわゆるポツダム宣言により無条件降伏を勧告されており、政府内では戦争継続はもはや困難という見方が広がっていたために、それとなく国民に状況を知らせる意図もあって、新聞にそれをそのまま掲載させることにしたそうですが、軍部が明確な態度表明をすべきだと主張したため、政府はやむなく「黙殺」すると発表し、それはignoreと翻訳されたので、アメリカはこれをreject(拒否)と受け取って、当時のアメリカ大統領トルーマンに原爆投下を決意させるにいたったのだと伝えられています。

 そして、長崎への原爆投下から5日後の8月14日、いわゆる御前会議で「天皇の聖断」が下され、日本政府はポツダム宣言を受諾することになり、翌日あの「玉音放送」で国民は日本の降伏を知らされることになったのです。久しい以前に「勝ち目ゼロ」なのはわかっており、その前年1944年から「玉砕」が続いていたので、無用な大量死を日本国民は軍部によって強いられていたわけですが、原爆を落とされるまで軍部の頑なな「現実認識の拒絶」は続いたことになります。44年末からは空襲が激化して、民間人の死者も大量に出ていた。ことに45年3月10日の夜間に行われた東京大空襲では、一夜にして10万人以上の死者が出たことで有名です。広島・長崎の原爆による死者数はいまだに正確なところは不明ですが、累計で50万人を超えるとされ、ウィキペディアには「当時の広島市の人口35万人(推定)のうち9万 - 16万6千人が被爆から2 - 4か月以内に死亡」、「当時の長崎市の人口24万人(推定)のうち約7万4千人が死亡」したとされています。ちなみに、太平洋戦争での軍人・軍属の死者数は230万とされており、そのうち半数以上が直接の戦闘による死ではなく、餓死だったとされています。古来、「兵站(へいたん)の確保」は戦争の基本中の基本でしたが、そんなものはどこかに消し飛んで、戦略もクソもなくなっていたのです(僕の伯父の一人も45年になってから南方に送られ、その死因は餓死だったと子供のとき聞かされました)。妄執に取りつかれ、自己コントロール能力を完全に失ったお粗末な国の戦争実態がよく出た話です。「一億玉砕」スローガンに端的に表われているように、国民が絶滅しても、「国体」は守らなければならないものと決め込んでいたのです。カルト宗教の“最狂”のものと言ってよい。

 さて、記事は次の二本です。

長崎に原爆が投下された1945年8月9日は、こんな日だった。写真や記録を振り返る【終戦から75年】

米国は第3の原爆投下を計画していた

 どちらも読む者を戦慄させるに十分な記事で、とくに上のハフポストの記事に添えられた写真は原爆のすさまじさをどんな説明よりも雄弁に物語っていますが、これらはいずれも75年前の「現実」だったのです。下のナショジオの記事によれば、次の候補地は東京だったそうなので、愚劣の百乗みたいな軍部の「本土決戦論」がなおも強硬に主張され、昭和天皇が沈黙を続けていれば、それはおそらく現実のものとなっていたのでしょう。

 日本ではお盆は祖先や死者たちの霊たちが戻ってくるときです。そして8月15日、お盆が明けると彼らは再び冥府に帰る。1945年のお盆、霊たちの嘆きはこの上なく大きなものだった。日本の天皇は元々シャーマンで、霊たちと交流できる存在でした。「迷信」とわらわれるのを承知で言えば、だから昭和天皇は、この世界に戻ってきた彼らの痛切な嘆きと訴えをじかに感じ取り、激しいプレッシャーを押し返して、「聖断」を下すことができたのだとも解釈できるでしょう。その決断が8月14日に下され、玉音放送が翌日、お盆の最終日に行なわれたことは、たんなる偶然ではなかったのかもしれません。

 あれから75年たち、幸い戦争で原爆が投下されることはなかった。しかし、現在、核兵器保有国は9か国(アメリカ、ロシア、中国、フランス、イギリス、インド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮)にのぼり、総計で13,400発、さらにコンピューターとミサイル技術の発達により、ボタン一つで目標地点を爆撃することが可能になったのです(個々の爆弾の威力もヒロシマ・ナガサキ原爆の比ではない)。原発という、事故や通常兵器による攻撃でたやすく大惨事をひき起こしうる発電施設の数は世界で443基とされる。いずれも第二次世界大戦がはじまった当時は地球上に存在しなかったものです。この違いは決定的なので、全面戦争になれば人類のみならず、世界はジ・エンドで、残されたものは放射能で汚染された大地と海だけになる。

 これはたんなる現実認識にすぎませんが、あらためて恐ろしい世界になってるなと思います。人間は慣れる生きものなので、さほどの緊張感なく僕らは生きていられるわけですが、事実上使えない兵器(使ったら終わり)で武装して、それが「平和につながる」などと言うのは自然の摂理を完全に逸脱した論理で、それ自体が正気の沙汰ではありません。なのに自分は正気だと思えるというのは、宇宙中を探してもヒトという生物以外には存在しないでしょう。精神に異常をきたす人が増えている根本の原因は、そのあたりにあるのかもしれません。
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祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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