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まず朝課外だけ廃止してみたら?

2020.06.21(08:33) 733

 もうこのコーナーに書くことはあまりないなと思っているのですが、しばらく前生徒に約束したので、一つだけ書いておきます。

 新型コロナによる学校休業、変則(間引き)通学の後、いきなり元通りになって、課外も同時に復活したものだから、生徒たちは肉体的にもヘトヘト状態で、かなり苦しくなっているようですが、彼らの意見を聞いてみると、「朝課外をやめてほしい」という点では一致しているようです。

 去年の段階で3年生に聞くと、朝課外は受けたくないが、夕課外は受けておきたいと言う生徒が多数派だったので、課外の受講・不受講だけではなく、朝課外と夕課外(3年)も分けて、「朝課外は受けずに夕課外のみ受講」が選択できるようになればいいだろうと前に書きましたが、現3年生もそう思っている生徒が多いようです。朝課外は今は「メニュー選択制」になって、自習や受験サプリ視聴なども選択できるようになっている(延高2年の話)そうですが、いずれにせよ眠いのには変わりがないので、やめた方がいい。それが原因で寝不足になると、その状態のままずっと授業を受ける羽目になって、学習能率も上がらない。それで成績が伸びるわけはないので、誰のため、何のためにそんなことやっているのかわからないのです。

 それで、3年の場合は上記のような選択肢も必要だと言ったのですが、あらためて考えてみると、そうすると朝課外は選択せず、夕課外のみ選択するという生徒が圧倒的になって、朝課外受講者は各クラス僅か数人ずつとなり、先生たちに課外費が払えない事態に陥るので、それはできないということなのかもしれません。たしかにその可能性は高いので、それでそういう選択肢が作れないということになっているのかもしれない。

 それなら朝課外を廃止してしまえば問題は解決する。無理に残して、朝課外と夕課外を分けて…なんて考えるとそういうややこしい問題になってしまうが、朝課外の方を廃止すれば葛藤は消え、悩まなくて済むのです。延岡高校の場合、日向から電車で通っている生徒がかなりいますが、そうすると毎回300円余分にかかる特急料金も節約できる(うちの塾に来ていた日向の生徒たちは全員、「あの課外にそんな価値があるとは思えない」と言っていました)。

 朝課外だけで、夕課外はない1・2年の場合はどうか? これも、寝不足の原因になっていることは間違いないので、ない方がいい。

 ということで、やはり朝課外は廃止するのがいいだろうというのが僕の結論です。今年はコロナによる長期一斉休校などで授業時間がかなり減ってしまったので、高校のみならず、小中学校でも学校の先生たちはどうしたものか悩んでいるでしょう。九月入学・進級のアイディアが出ていましたが、それはあれこれ支障が多いというので、反対が多くて潰れてしまったようなので、夏休みを削ったとしても、トータルの授業時間数がどうしても足りなくなる。地方の公立学校などではオンライン授業の体制は整っていないので、そちらで代替することもできなかったということで、悩みを抱えている学校が多いでしょう。人間は機械ではないので、その分宿題を増やして対処しようとしても、生徒を疲れさせるだけで、かえって勉強嫌いを増やすことにもなりかねない。

 課外をやっている高校の場合、「こういうこともあるからこそ、課外は有用なのだ!」と言うかもしれません。それを問題演習の時間にあてて、平常授業のペースを上げたりしやすくなるからです。それは調整弁として役立つとして、コロナ禍を課外必要論に利用する。実際にそんなことを言っている学校があるかどうかは知りませんが…。

 しかし、そんな話を課外の議論に持ちこむのはどのみち筋違いなので、「九州地区特有の時代遅れの制度」として、廃止に持っていくのが賢いやり方でしょう。今回のコロナ騒ぎでは、塾も年度の切り替え時にちょうどあれが当たったものだから、外出自粛で新規入塾が激減しただけでなく、在塾生の授業も休講を余儀なくされたりして、大きな打撃を受けたところが大半だったろうと思いますが、やっと学校が再開したと思ったら、冒頭述べたように生徒が疲れ切っているというのでは新たな塾通いどころではない。時期も半端になるし、今年はもうこのままで行こうと僕自身は肚(はら)を決めたのですが、ホリエモンではないが、今の学校というところ自体、何のために存在しているのかよくわからないところがあって、そういう主体性のある子供は多くないと言われるかもしれませんが、パソコン一台あれば今はどんな教科でもそう無理なく自分で勉強できてしまう。これは受験サプリのようなネット予備校だけを指しているのではなく、高校の場合だと、N高なんてオンラインの通信制高校もできているのです(今年、初の東大合格者が出た由)。仮にそういうネット予備校、ネット高校を利用しなくても、英語などは全くの独学でマスターすることが可能です。受験用の参考書や問題集は必要不可欠な分だけ買って、それは一通りきちんとやっておいた方がいいが、英文の記事は幅広い分野のそれがほとんど無尽蔵にあるし、Youtube を見ると、字幕付きのよいドキュメンタリーなども見つかる。その気になれば英語でチャットもできるし、海外の人とメールでやりとりもできる。そういうのの使い方を教えてあげれば、学校の授業そのものがいらなくなるだろうという気がするのです。むしろこちらこそ「アクティブ・ラーニング」になる。洋書を取り寄せるのでも、今はアマゾンや紀伊國屋のネットウェブを利用すれば、田舎にいてもすぐ届きます。僕はしばらく前に、絶版になっている本を海外の古書店のウェブサイトから取り寄せてみたのですが、少し時間はかかったものの、ちゃんと届いた。ほんとに便利になっているので、一昔なら、日本の書店に在庫があれば別として、そうでなければ50日ぐらいかかって、かつ値段が割高だったのです。今はスピーディな上に、値段が安い。そして、ネットの無料コンテンツが充実しているのです。大学入試の二次の入試長文にはウェブサイトの英文もよく出ているので、自分が面白いと思って辞書を引きながら読んだものが本番にそのまま出るということだってありうるのです。そういう苦労は無駄にならない。僕はたまに生徒に読ませたいと思ったものがあるとコピーすることがあるのですが、学校の退屈なリーダーのテキストよりそういうのは内容的にもずっと面白いでしょう。

 学校がないと困るのは、友達を作りにくいとか、部活をしないと運動不足になるとか、勉強以外の面だけではないかという気がするのです。少なくとも高校レベルではそう言える。社会科なんかは昔から独習派が多かったし、とくに苦手な科目だけネット予備校の講座を使うなどすればいいのです。要するに、学校授業自体がいらなくなりつつある。

 つまり、課外がどうのというより、学校授業の本体そのものの存在意義が疑われるような時代になっているということです。自分の時間管理、生活管理さえきちんとできれば、勉強は学校抜きでやれる。その方がゆとりももてるし、むしろ効率的でしょう。コロナ休校のとき、それに気づいた生徒もいるかもしれません。同じ理屈で塾もいらないんじゃないかって? そうです。概して学校よりは塾の方が授業は面白いのではないかと思いますが、それも塾によりけりだし、自分で調べながらやる力があれば、通常の学校も塾もなしで大学受験に対応できるくらいの学力はつけることができる。高校を中退するとか、初めから行かなかった場合でも、高卒資格認定試験は年に2回あって、毎年計1万人近くが合格しているようですが、それと大学入試のレベルにはかなりの差があるとしても、難関大合格者はかなりいるのです。昔はこれは「大検」と言って、大学時代の僕のクラスメートにも一人いました。今はそういうタイプはいないでしょうが、彼は高校時代、左翼過激派で、学生運動をやりすぎて退学処分を食らったのです。それでしばらく飯場暮らしの労働者になっていたが、一念発起して勉強し直し、人よりだいぶ遅れて大学に入った。真面目な男に見え、僕はあるとき飲み会で酔った彼にからまれ、アウトロー呼ばわりされて閉口した(親しげな口調だったとはいえ、なんで元過激派にそんなこと言われなければならないのか?)ことがあるのですが、その後司法試験に合格して、最初検事になったが、のちに弁護士に転じた。十年ほど前、思い立って昔の知り合いがどうしているかネットで調べていたとき、彼がネトウヨたちから激しく攻撃されているのを発見して苦笑したのですが、法学関係の雑誌にも寄稿したりして、その筋ではかなり有名な人権派弁護士になっていたのです。むろんネットの悪口も、イカれた連中が誹謗中傷しているだけで、彼は立派な仕事をしていたのです。

 小泉元首相ではないが、「人生色々」で、大学には毛色の違うのが色々いた方が面白いのです。今でも変わったルートの学生はいるようで、僕の息子は一年ドイツ留学したのをきっかけに寮に移ったのですが、そのとき同室になった法学部の先輩がかなり年長で、これが元パチプロだったという話を聞いて笑ったことがあります。何ら崩れた感じはなくて「真面目でしっかりしたよい人」だという話でしたが、色々な意味でストレートで入るよりむしろそっちの方が難しそうです。彼も「そう思う」と言っていました。

 こういう話を聞くと、少し広やかな気分になりませんか? 「なった」というので、そのまま高校をやめて、自分で好きにやるつもりがダラダラするだけになって、入試にも受からず、そのまま引きこもりになってしまったというので、後で責任を取れと言われても困りますが、本気でやりさえすればそれは十分可能なのです(自分がそれで成功したとか、身近にそういう例があるとかいう人がいたら教えて下さい)。

 とにかく、学校の「必要不可欠度」は減っている。いわんや課外をや、ということで、かつてないほど今はそうなのです。そこらへんの時代認識が全くできないまま、朝課外一つ廃止できない学校というのは一体何なのだろうと、僕には不思議でならないのです。
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