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こわい話~石井妙子著『女帝 小池百合子』読後感

2020.06.19(23:32) 732

 僕はとくに東京都知事の小池百合子氏には興味がなかったし、例の「カイロ大首席卒業」の話も、たぶん嘘だろうとは思っていたものの、有名人の学歴詐称は珍しくない話なので、格別どうとは思っていませんでした。買ってみようかと思ったのは、ネットで次の書評を読んだときです。

小池百合子の「学歴詐称の暴露本」といわれるベストセラーを読んでみた

 書評というのは、それを読んだ人にその本を読んでみたいと思わせたら成功です。この首藤淳哉さんという方の文章にはそれだけの力がある。それで「そんな単純な話ではないのだな」とわかって、延岡の本屋にもこれは出ていたので買ってみたのですが、読み進むにつれてだんだん背筋が寒くなってきて、下手な怪談よりずっと涼しくなれる本であるのがわかりました。小説でも、書き手によほどの力量がなければこういう人物は造形できないでしょう。しかし、これは実在の人物についての物語なのです。

「芦屋令嬢」も「カイロ大首席卒業」も、元々はご本人が紡ぎ出したフィクションだったようですが、有名人になってしまえば、親の見栄で無理して入ったお嬢様学校の元同級生(本物の元令嬢たち)が、当時からその家庭事情はよく知らなかったようでもあり、彼女は私のお友達だったと有利な証言をしてくれたり、厳正な大学なら相手が誰でも、記録にないものはないと言うが、縁故入学・卒業や、証書の偽造も一定数ある、政治の影響色濃い中東などの大学の場合、有名な卒業生としてカウントしておいた方が得だと思えば、本人の主張に沿うような「公式発表」もしてくれる。そして、彼女の「こわさ」を知る人は、報復を恐れて一様に口をつぐむし、そうでなくても人に恥をかかせるような真実を口にするのは、嫉妬だと言われたり、道徳的に低劣だと非難されたりしかねないので、やはり黙るのです。

 小池百合子が世に出る足掛かりとしたテレビ局も、その後入った政界も、虚栄の世界です。政治がそれでは本当は困るが、現実はそうなっていて、そこにいる人は自分を演じている。実際はどういう人間かなど、どうでもいい。何をやっているかではなく、ニュースになるようなパフォーマンスがそのときそのときどれだけ見せられるかが今は勝負なのです。それしか票には関係しないから。マスコミがどれほど浮薄ないい加減なものかということもこの本を読むとあらためてよくわかるので、記者たちは本人が作った人目を引くための好都合な「お話」をその都度無責任に垂れ流してきた。それは「記事になる」話だったからです。

 今の社会では情報は真実を知るためのツールというより、たんなる消費物です。その都度派手に騒ぎ立てるが、マスコミの人間も、その消費物に群がる一般の人々も病的な健忘症に陥っていて、同じ人間がコロコロ言うことを変えても、行動の前後の矛盾が甚だしくても、少し時間がたてば前のことはもう忘れているから、深く気に留めることもない。そのあたり、読んでいて気が滅入るほどでしたが、小池百合子のような人が遊泳する環境にはぴったりだということになるでしょう。彼女はこうした社会の健忘症に助けられてきたのです。

 この本では実際にそういう言葉も使われていますが、彼女の「ジジ殺し」ぶりも興味深いものです。この種の人は一定数いて、とくに女性に多いと言えますが、そのときどきで、自分に利用価値のある人を本能的かつ的確にかぎ分ける高い能力をもっており、これはという相手を見つけると愛嬌たっぷり近づいて、イチコロに落としてしまう。ジジたちはみんな彼女のファンになってしまうのです。そこに強い利己性を感知して信用できない奴だというまなざしで見る人もいるが、そういうのは無視して差し支えない。彼らは自分を引き立ててくれる有力者ではないからです。そしていったん取り入った相手でも、不要となれば弊履のごとく捨て去る。かつて寵愛し、彼女のために様々な便宜をはかったジジたちは、今度は自分が批判の対象にされているのを見て驚きますが、それをとやかく言ったのでは自分の評価を下げるだけになってしまうから、何も言わない。うまくできているのです。

 彼女の父親は虚言症で大風呂敷の、性格的にも経済的にも破綻した人だったようですが、娘の方は父から受け継いだ資質をもっとうまく活かして、成功者になった。生まれたときから右頬に直径三センチ大のアザがあって、女の子なのにと不憫がられたが、それは彼女の男社会攻略の妨げとはならなかった。化粧でうまく隠して乗り切り、先の東京都知事選では、石原慎太郎の「大年増の厚化粧」という言葉を逆手にとって、私の顔にはアザがあるからと言って同情を買い、石原氏の「心ない言葉」に人々が憤慨するよう仕向けたのです。ご本人はかつて「若さと美貌」を売り物にして、それのない年かさの女性政治家を「オバサン」とくさし、露骨な侮蔑を見せていたのですが、そんな昔のことは誰も覚えていないから、この新戦法は功を奏したのです。

 そういう彼女も時折は大失敗する。肥大しすぎた自己愛と権力欲から調子に乗りすぎてそうなってしまうので、一番近いところではあの希望の党立ち上げのときの「排除いたします」です。あのときは都議選で小池率いる都民ファーストの会が圧勝、自民党の都議は壊滅的に数を減らしており、そのままの勢いで「小池が新党を立ち上げて主だった野党勢力を糾合し、国政に復帰すれば、小池総理も十分ありうる」と言われ、安倍自民は戦々恐々としていたのです。民進党の前原代表は合流を決めたが、彼女は自己陶酔の中、「合流ではなく、こちらに吸収、民進党の全員を入れてやるつもりはない」という趣旨のことを言い、あの「(要は自分が気に入らない者は)排除いたします」発言が出たのです。これが傲慢だというので世論の風向きはがらりと変わって、一気に支持を失った。世論の盛り上がりも、それが下がるのも、表面的でいい加減そのものです。

 その後、都知事としての業績はなきに等しいし、ふつうならそれでおしまい、知事任期の終わりと共に静かに政界から身を引くという展開になりそうですが、今度はあのコロナ禍で再び露出の機会が増え、ロックダウンだのステイホームだの、お得意のカタカナ語を連発して話題をさらい、「小池劇場」の幕が再びみたび開いたのです。そしてギリギリまで待たせておいて、都知事選に再出馬を表明。

 小池百合子はおそらく再選されるのでしょう。こういう本を真面目に読むと、東京のような組織のしっかりした大自治体の首長は置物のようでも務まるかもしれないとしても、こんな誠実さとは無縁の虚無の怪物みたいな人間を知事にするわけにはいかないと大方の人は思うでしょう。しかし、いくらこの本が売れても、全体の有権者数に照らせばごく少数なので、それほど打撃は大きくない。先の「排除いたします」みたいな“わかりやすい”派手なパフォーマンスのミスさえしなければ、自民も二階幹事長あたりをパイプとして取り込み済みだし、余裕の得票数で再選される運びとなるでしょう(山本太郎氏が次点か)。小池氏のテレビカメラの前で見せるのとは全く違った姿に文字どおり「心胆を寒からしめられた」人は都民にも少なくないようですが、そういう人たちはサイレント・マイノリティなので、大勢に影響を及ぼすことはない。

 それにしても、この小池百合子という人物は一体何者なのか? この本にはカイロ大留学時代、彼女と同居していた十歳ほど年上の日本人女性の話が出てきて、その人が語る話(裏付けとなる当時の日記や手紙の物証がちゃんとある)はかなり驚くべきものですが、アラビア語の習得や中東世界の理解に熱心だったようにはまるで見えないし、その後のテレビ局時代も、政界に入ったときも、その後所属先をコロコロ変えて政党を渡り歩いていたときも、蜘蛛の糸にすがって成り上がり、華やかなスポットライトを浴びたいという願望以外、仕事それ自体に対する深い関心などは何もないように見えるのです。

 人間は好きなことでないと情熱は傾けられないものですが、彼女が好きなのは自分、というより、自分がつくり上げた自己イメージだけなので、スポットライトと拍手を浴び、権力を体感し、人々を操る快感そのものが「人生の目的」のようになっているように見えます。

 こんなことを言うと「女性蔑視だ!」と叱られそうですが、たしかに女性にはそういう傾向の強い人がたまにいます。「みんな見て、見て! 私ってこんなに素晴らしいのよ」と事あるごとに宣伝しているようで、見ていて馬鹿馬鹿しくなるし、その強度の利己性と自己欺瞞が露わになることがあって、それに不快を感じる人は多いが、小池百合子という人はその「完成形」のように見えるのです。

 彼女の嘘つきぶりは、関係した人のほとんど皆が口にするようですが、嘘つきでももっと他愛のないものはあります。それが深刻な問題を生み出すこともあるので、だから許されるというわけではありませんが、それほど根の深くない嘘つきというのもいるのです。

 それは今から35年も前、僕が三十ぐらいのときですが、勤めていた個別指導形式の塾でこんなことがありました。ある男子生徒が、自分は全国大会で優勝するほど強い高校のバスケ部のキャプテンだとさかんに吹聴し出したのです。あるときなどは、声が出るゴジラのおもちゃまで「ファンにもらった」と言って塾にもってきて、人気者となるとそうなのかと、大学生講師たちをうらやましがらせたのですが、他にも芸能人の誰それと知り合いだとか、今度テレビの地方局で試合の様子が流れるとか、次々新しい話が出てきて、それまで塾では英語を教わっていたのですが、早稲田のスポーツ推薦が決まって、英語は不要になり、保健体育のテストがあるので、英語ではなくそちらを勉強したいと言っていると、学生講師たちが僕のところに言って来たのです。どうもおかしい。それは僕がその塾に入る前からいた生徒で、塾長からその教室の管理を引き継いだ時、二浪の生徒で、父親は自衛隊の偉いさん(何とか方面の副司令)だという話を聞いた記憶があったからです。しかし、今彼は高3を自称している。してみれば、あれは僕の聞き違いだったのか? 高校名は一致していて、あんまり偏差値の高くない私立高校です。

 それで不審にたえなかった僕はその高校に直接電話をして確かめることにしました。中年女性の声で、「またうちの生徒が何かやらかしましたか?」といきなりきかれたのには驚いたのですが、いや、そうではありませんと言って訊ねると、驚いたことにその高校にはバスケ部は存在しなかったのです。それでその生徒の名前を言って、2年前と現高3の両方で調べていただけますかと言うと、折り返し電話をくれるというので待っていたら、少したって連絡が来た。それはたしかに2年前の卒業生で、部活の方は卓球部、しかも試合では万年補欠要員だったという話でした。

 その翌日か翌々日、彼は「早稲田への推薦が決まった強豪バスケ部キャプテン」として意気揚々とやってきました。英語はもういらないんで、保健のテキストを取り寄せてほしいなんて相変わらず言っている。僕は彼を面談室に呼んで、悪いけど、おまえ、学校に電話して全部聞いたから、嘘はバレてしまったよと言いました。青菜に塩とはまさにこのことで、いきなりしょんぼりしてしまった彼の姿を見て、僕はかわいそうになりました。彼の両親は「東京六大学以下は不可」と言っていたので、それに届きそうもないと思った彼は焦りと不安の中で幻想の世界に逃避してしまったのです。大学生講師たちは面白いようにその嘘に引っかかった。それでどんどんエスカレートしてしまったわけで、後で聞いた話では、何曜の何時頃、どこどこの店に行けば、有名な芸能人の誰それに会えると言われて、真に受けてそこに行ったりした間抜けな学生講師までいたのです。たしかに、ディティール豊かな迫真の演技だったので、僕ですら先に自分が聞いていた話は間違いだったのかと自信がなくなりかけていたほどです。本人が嘘だと自覚してついている嘘は見抜きやすいが、自分が作った架空の世界に入り込んで、その登場人物になりきっている場合、後で考えてみるとほころびはいくつもあっても、それに気づかず、騙されてしまうのです。

 しかし、通常の場合、嘘はいずれバレるので、最大の不利益を被るのは本人です。とにかく呑気に保健のお勉強などやっている場合ではない。おまえが嘘をついたのは悪いが、気持ちはわかるので、両親に一度来てもらって、もう少し下の大学でも許可をもらえるよう一緒に頼んであげるからと言いました(その面談のために、父親はジェット機でわざわざ赴任地から来てくれた)。

 僕はむろん、彼がそんなとんでもない嘘をついていたことなど親には何も話さなかったのですが、この十九かはたちの若者には背筋がぞっとするようなところは何もなくて、根は善良だと感じられたのです。24歳の小池百合子は一時帰国したとき、「カイロ大卒、初の日本人女性」と大嘘をついて、そのニュースを見た同居女性はびっくりしてしまったようですが、カイロに戻ってその女性に口封じめいたことを言うと、その後まもなく本格帰国して、「ふつうの留学生なら10年かかっても不思議はないところを4年で卒業」とか「首席卒業」とか、嘘にさらに尾ひれをつけながら、それを世に出るためのスプリングボードにしたのです。悪びれたふうも、罪悪感もなく。同じ嘘つきでもモノが違う。彼女には嘘を指摘されても平然とそれを否定したり、言ったことでも言わなかったと澄まして答えるような“強さ”があるのです。「小池百合子の世界」では、それが事実か嘘かなどはどうでもいい。自分に好都合なものこそが真実なのです。

 それだけでなく、自分に敵対した者への恨みは忘れず、策を講じて復讐するとなると、その恐ろしさは倍加する。ふつうの人だとどう対抗すればいいかわからなくなってしまうでしょう。僕にもこういう人を相手にしたときどうすればいいのかはわかりません。そこがこわいわけで、打つ手なしに思えるのです。

 僕は若い頃から悪の問題に大きな関心を寄せてきました。悪と虚偽は通常ペアになっていて、悪魔の特性にもそれは挙げられます。彼は虚偽のプリンスであり、その語り手なのです。むろん、大悪魔ともなると、ケチな嘘はつかない。悪魔の虚偽の体系の特徴は、全体が壮大な空虚であることです。悪魔はしばしば自分が見込んだ相手に取引を持ちかけます。悪魔が約束してくれるのは富や名声、権力で、その見返りは魂です。魂は善性と正直さの座とされています。人はそれらを得ようとする過程で虚偽と不正を働くので、自然に魂はないがしろにされる。富と権力が確立したとき代償に魂を支払うのではなく、それまでのプロセス自体に魂の喪失が含まれているのです。

 しかし、その魂とは何なのか? あなたも僕も、実はそれを知らないかもしれない。小池百合子のような人が一時は「日本初の女性総理候補」と呼ばれ、今も一部にその声があるのは、この社会が虚偽に浸されていて、それが彼女の成功の豊かな培地となってきたからです。さっき悪魔の体系は「全体が壮大な空虚」だと書きましたが、今僕らの目の前にある社会はその「壮大な空虚」ではないのか? 僕らはその中に生きて、その空虚を呼吸している。とやかく言いながらそれで別に病気にもならないところを見ると、僕らも自分の魂と疎遠になっていることは確かで、なかば以上、それはすでに悪魔の手の中にあるかもしれないのです。僕らは魂以外のものを自分と取り違えているから平気な顔をしていられる。その完成形が実は小池百合子のような人なのではないかと考えると、彼女は僕らのたんなる未来形にすぎないことになるでしょう。本当に背筋が寒くなるのは、それに気づいたときかもしれません。その点からすれば、学歴詐称など些末な問題でしかなくなるのです。

【付記】有名なイスラーム学者、中田考氏の次のような記事が出ています。

「小池百合子学歴詐称の真偽」と「アラブ文化の真実」【イスラーム法学者・中田考】

 これの2ページ目によれば、小池氏は初めから非アラブとして「客人」扱いされていたのであり、「客人」としての卒業を認められていたのだろうということです。「客人」には通常の厳しい要件は適用されないから、履修がどうでも、試験など受けなくても、卒業を認められることがある。それは通常のものとは全然性質の違う「特別な卒業」で、そういう意味では卒業証書もホンモノだろうということです。何だか力が抜けますが、そういうのも「アラブ式もてなし」の一つだということです。せっかく留学してくれた客人を手ぶらで帰すわけにはいかないという…。この本に出てくる同居女性はそういう「客人卒業」というのもあることを知らなかったから驚いた、ということなのかもしれません。欧米式、日本式の「卒業」の観念からすればそれは明らかな「不正」に見えますが、「いい加減な」アラブではそういうのもありなのだということです。むろん、小池氏はそのあたりのことには完全に頬かむりして、「留学生には過酷な課程を猛然たる勉強で乗り切り、首席卒業した」という“自己神話”を創造したわけです。
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