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生命の悠久の旅

2020.06.16(16:30) 730

 おととい日曜の、とても6月半ばとは思えない猛烈な蒸し暑さには参りました。僕は寒いのは苦手ですが、暑さは割と平気なので、自室は「生涯クーラーなし」を貫こうと思っているものの、地球温暖化で「クーラーか、死か」という選択をそのうち迫られそうです。

 以上は無関係な前置きで、地球上の生命の起源について、東北大の研究者が新説を発表したそうです。河北新報オンラインの記事。

生命の起源は隕石衝突にあり? 東北大院、アミノ酸生成の仕組み解明

 地方新聞の記事などは短期間で消えてしまうことがあるので、念のため全文をコピペしておくと、

 生命誕生前の太古の地球で、隕石(いんせき)や小惑星の海洋への衝突がきっかけとなり、生命の材料分子となるアミノ酸が生成されたことが東北大大学院理学研究科の古川善博准教授(地球化学)らのグループの研究で明らかになった。生命の起源解明の手掛かりになる可能性がある。8日、英科学誌に発表した。
 隕石に含まれる鉄などの鉱物と、当時の大気中の主成分だった二酸化炭素や窒素が反応してアミノ酸が生じる仕組みを、模擬実験で解明した。古川准教授は「地球に普遍的に存在した大気成分から、生命を構成する分子が生成された可能性がある」と話している。
 研究グループは実験で、鉄などの鉱物と水、二酸化炭素や窒素を入れた金属容器に、秒速約1キロで金属を衝突させて化学反応を調べた。グリシン、アラニンの2種類のアミノ酸の生成を確認できたという。
 約46億年前に誕生した地球には無機物しかなかったと考えられており、生命の起源につながるアミノ酸など有機物の生成過程は詳しく分かっていなかった。宇宙空間から飛来した隕石などに、有機物が含まれていたとの学説もある。
 古川准教授らのグループは同じ研究論文で、約40億年前の火星の状態にも言及。地球と同様に二酸化炭素や窒素を含む大気で覆われ、海も存在し、隕石が衝突した時期もあったと考えられるため、「アミノ酸が生成していた可能性を示している」と指摘した。


 この記事には生命の誕生がいつだったかは書かれていませんが、一般には、「地球が誕生したのが約46億年前、生命の誕生は約 38億年前」とされています。その生命の素材となるものがアミノ酸なので、その生成のきっかけが「隕石や小惑星の海洋への衝突」だったのではないかという仮説です。その際生じた化学反応がアミノ酸を生み出したわけです。

 火星に生命が生まれていた可能性の指摘も興味深い。そこで先に生命が誕生、進化し、荒唐無稽と科学者たちには笑われそうですが、高度な進化を遂げた「火星人」が住めなくなる前にそこを脱出していて、今地球を訪れているエイリアンにはその子孫も含まれているかもしれないと想像してみると面白いでしょう(公式にはUFOもエイリアンも存在しないことになっていますが、エイリアン関係の研究書の訳本を出す準備をしている僕自身は、むろんそんな公式見解には同意していないわけです)。

 この生命誕生のミステリーについては、他に「パンスペルミア説」というのがあります。これにも様々な説があるのですが、一般的なのは、隕石とか彗星に「生命の胚芽」となるものが付着するとか、中に含まれるとかしていて、それが地球に飛来して生命進化が始まった、というものです。ウィキペディアでその項目を見ると、中には次のような説まであるという。

 1981年にはフランシス・クリックとレスリー・オーゲルが、高度に進化した宇宙生物が生命の種子を地球に送り込んだ、とする仮説を提唱した。「地球が誕生する以前の知的生命体が、意図的に『種まき』をした」とする説は「意図的パンスペルミア」と呼ばれている。これは、一般的なセンスではまるでサイエンス・フィクションのようにも聞こえる説ではあるが、クリックはこの説の生物学的な根拠を提示した。現在の地球上の生物ではモリブデンが必須微量元素と重要な役割を果たしているが、クロムとニッケルは重要な役割を果たしていない。しかし、地球の組成はクロムとニッケルが多く、モリブデンはわずかしか存在しない。これは、モリブデンが豊富な星で生命が誕生した名残だと考えることができる、としたのである。もうひとつの論拠として、地球上の生物の遺伝暗号がおどろくほどに共通したしくみになっているのは、そもそも「たったひとつの種」がまかれて、その種から地球上の全ての生物に変化していったのだ、と考えられる、としたのである。

 こういうのは「状況証拠」だけで犯人を特定しようとする警察みたいな感じで、論拠としてはちょっと弱いな、という感じですが、可能性としてはあり得ないことではない。何にしても、それから38億年もかけて生命はここまで進化したのです。その途中には何度も生物の大部分が死滅する危機が訪れた。一番新しいのは6600万年前のそれで、最近ではその原因は小惑星の衝突と、連鎖反応的に起きた一連の出来事によるということで大方の意見の一致を見ているようですが、恐竜たちはそれで絶滅し、そのとき地球上に存在していた生物の約75%が姿を消したとされているのです。

 あのまま「恐竜の天下」が続いていたら、現在の人類はありえなかったわけで、その頃恐竜たちにおびえながら暮らしていたネズミみたいな哺乳類(原猿類)が人類の先祖だと言われていますが、恐竜がいなくなったおかげで、彼らは勢力を拡大し、多様な進化を遂げることができるようになったのです。ここにも何度も書いているように、今はそれ以来の生物大量絶滅の時代です。今回のは人為的な要素が強いから、僕らはそれに対して全面的な責任があるのですが、このままそれが進んで人類も絶滅したとすれば、ポスト人類はどんな生物になるのでしょう? ゴキブリあたりは丈夫で、3億年も前からいると言われているので、彼らは今回も生き延びそうです。それで、人類絶滅後に特殊な進化を遂げて、ゴキブリ型知的生物が誕生することになる可能性も十分ある。彼らは何百万年後には高度な文明を発達させ、今の人類が恐竜を懐かしがるのと同じで「ヒト博物館」なんかを作って、「あんまり賢くなくて、自業自得で絶滅したけど、昔はこういう変わった生物が地球を支配している時代もあったのだ」とその新型ゴキブリのオトナは子供たちに教えるのです。子供たちの間では、「ヘンだけどカッコいい!」ということでヒトが大人気になるかも知れない。人間の子供に恐竜ファンが多いのと同じです。

 そんな、ゴキブリ型知的生物なんて、あるはずがないでしょうと笑う(女性の場合は強い嫌悪感を示す)人が多いでしょうが、それは想像力の貧困というものです。僕は今回エイリアン関係本を訳すにあたって、その方面の情報もあらためていくらか仕込んだのですが、エイリアンには、あのおなじみの目の大きなグレイや金髪のヒューマノイドだけでなく、爬虫類型とか、ゴキブリやカマキリみたいな昆虫型もいるらしいのです。それらは「知的生物」であるわけでしょう? はるか昔、文明以前の人類の前に、水陸両性の半魚人みたいな宇宙人が現われて、それが天文学や各種の技術・知識を教えた、なんて伝説をもつ民族までいる。「知的」と言えば哺乳類にかぎると決め込んで、イルカは知能が高いから、ポスト人類はイルカになるだろうなんてのは単純すぎるのです。大体、人類が絶滅する頃には、海も深刻に汚染されていて、デリケートなイルカたちの方が先に死滅してしまっている可能性の方が高い。その点、ゴキブリあたりだと…と僕は想像するのです。ゴキブリの美人とかイケメンとかはどういう基準になるのかわかりませんが、彼らの世界ではたぶんそういうのもちゃんとあるのです。それでゴキブリ型知的生物版『愛の不時着』が何百万年後には製作されて大人気を博すかもしれない。彼らの場合、パラグライダーなんか使わなくても飛べるので、別の凝った設定がまた必要になってくるとは思いますが…。

 話を少し戻して、いわゆる「真核生物」が出現したのが15億年前、多細胞生物の誕生が9~10億年前だったと言われています。哺乳類は2億2000万年前、霊長類は1億~7000万年ほど前。定義にもよりますが、ヒトに近い動物は600~500万年前に出現した。それから猿人、原人、旧人類(ネアンデルタール人はこれに分類される)と続いて、直接の祖先と言える新人類、ホモ・サピエンスが誕生したのが25~20万年前。学校の教科書などに出てくる世界最古のシュメール文明とか、エーゲ文明が生まれたのが紀元前3000年頃、今から5000年ほど前とされていて、こう見てくると、ものすごい時間がかかっているわけです。

 この最後の「文明発祥」については、その後の文明発達のスピードからして、それ以前に「何もなかった」とする期間が長すぎてむしろ不自然なので、プラトンの対話篇にも出てくるアトランティス伝説のようなものがあるし、実はそれ以前に人類は高度な文明に達したことが何度かあって、それが何らかの理由で破局的な崩壊を迎え、またゼロから始めるなんてことをやっていたのではないかとする説もあります。いわゆる「超古代文明」が実はあったのではないかという見方です。

 それはあっても不思議ではない(アトランティスの場合、あれは大きな島国家で、海中深く沈んだから証拠も見つけられないのだとされる)と僕も思うので、エジプトのピラミッドなんかにしても、大型トラックも重機も何もない時代に、人海戦術だけで、あんなもの作れるはずがない。子供の頃、隣が庄屋だった母方の先祖の屋敷があったところで、そこの入口の石段横の石垣の角石に大きな石が使われていて、そこに使われている石は全部、かなりの距離がある下の河原から運んだもので、昔の人には怪力が多かったから、その大きな石も一人で持ち上げたのだという話でした。山男の大人たちが集まって、こんな頑丈な石垣、組み上げるだけでも大変で、今ならとうてい作れないなという話をしているのを小学生のとき聞いたことがあるのですが、ピラミッドの石となると、そんなものの比ではないわけです。オカルト学説には、重力を操作して巨大な石を浮き上がらせる今は失われた特殊な高度技術があったのだという説がありますが、そうとでも解釈しないと、説明ができない。しかし、仮にそうだったとして、その高度技術はどこから来たのか? プラトンのアトランティス話も元はエジプトの神官が語ったものとして紹介されているので、先行する高度文明からそれは伝えられたものだったかもしれないわけです。

 こういうことをあれこれ想像するのは楽しい。ゴキブリに取って代わられるなんてのは少しも楽しくないと叱られるかもしれませんが、僕は「人類至上主義者」ではなく、そういう誤った思い込みが今見るような深刻な自然破壊をもたらして、人類存続の危機も招いたと考えているので、そんなことにはこだわらないのです。人類絶滅も悲劇ではない。最近は人の言うことなど何も聞かず、仲良くしようと思えばほいほいおだてるしか手がない「超」がつくほどジコチューの「自己愛人間」が激増しており、しかし、そういう人間のふるまいは(ご本人にはまるでその自覚がないが)申し分なく身勝手なので、まともな感覚をもつ人たちがそれに悩まされてうつ状態になるなんてことが多くなっていますが、こういうのは「人類至上主義」からさらに「自分至上主義」へと退化し、自分のこと以外は何も考えられないお粗末な手合いが増えているからで、38億年もの歳月をかけて出来上がったのがそういうグロテスクきわまりない生物だったというのは、自然に対してまことに相済まないことです。そういう人ばかりになれば、他者や自然との自然な心の通じ合いなんてものはこの世界から跡形もなくなってしまうでしょう。そうなると「人類絶滅」も理にかなっていると思わないではいられないのです。

 僕ら個人の人生は、悠久の進化の歴史からすれば、0.000000000000…1秒ぐらいのものにすぎません。この前、盤珪さんの話をご紹介しましたが、あれの公開しなかった第一部に、僕はこういうことを書きました。

 意識が遍在するように、生命(力)も遍在する。それがあなたや僕という有機体に浸透して、それに生命力を付与しているのです。肉体という生物機械が完全に壊れると、生命はそれを離れる。離れるだけで、それはなくなりはしないのです。
 主導権は自然もしくは宇宙の側にあって、僕の側にはない。僕が生命を所有しているのではなくて、生命の方が僕を一時的に所有しているのです。なのに、僕が「生きる主体」だと言えるのか? 僕は生命現象、自然現象の一部で、生きているのは生命であり、自然なのです。今生きている僕はその個別・具体的な表現の一つに過ぎない。


 ここで言う「生命」とは、生物学でいう「生命」、アミノ酸を基盤とするそれのことではないので、それを素材として生命現象を生み出す見えざる“ある力”のことです。これだけでは何を言わんとしているのか十分おわかりいただけないかもしれませんが、それが本質的な存在で、本気になって「自分とは何か?」をずっと辿って行けば、通常の自己は否定されて、そこに行き着くはずだ、というのが僕の立論です。意識や知性もその“ある力”に由来するので、それは個人の所有物ではない。教育や社会のおかしな条件づけのせいでそこをカン違いしてしまうから、何もかもが狂ってしまうのだというのが僕の基本的な考えです。

「日の下に新しきものなし」で、これは別に新奇な考えでも何でもないのですが、古代の人たちが洞察し、感じ取っていたそれを、現代人はすっかり忘れてしまった。これが個性の否定や全体主義につながるとすれば、それは完全な誤解によるので、そのあたりも心配だから、そうではないということをその後かなり詳しく説明しておいたのですが、ジコチューな人というのは例外なく浅薄で、機械的な反応パターンに落ち込んでいるので、かえって本来の豊かな個性を失ってしまうのです。当然、言葉の真の意味での自由なんてものももたない。そして自分も含めた、すべてのものを破壊するモンスターになってしまうのです。

 まだ間に合うかどうかは知りませんが、ここらへんでいい加減そのことに気づいて、いわゆる「意識のシフト」を起こさないと、種としてのヒトの存続自体が困難なものになってしまうでしょう。滅びた「超古代文明」が本当にあったのかどうかは知りませんが、今はグローバル文明の時代で、事実上単一の文明が地球全体を覆っています。だからローカルだったかつての文明の滅亡と違って、それは全的なものになってしまうわけです。

 少なくとも知能の観点からすれば、今の時点では、ヒトが地球上で最も進化した生物であることはたしかでしょう。38億年にわたって続いてきた生物進化の「汗と涙の結晶」として、今僕らはここにいるのです。しかし、それがやっていることは何なのか? 今、大量繁殖してアフリカやインドの農地を襲っているサバクトビバッタは、これも温暖化の影響の一つとして起きやすくなっているそうですが、深刻な問題として世界的なニュースになっています。あれは数が少ないときは「孤独相」と呼ばれ、おとなしく“節度”を弁えていて、行動半径も狭いが、異常繁殖すると「群生相」というのに変わって“凶暴化”し、筋肉が増え、体色も茶色っぽい緑からどぎつい黄色と黒に変わって、大集団を形成し、1日に100キロ以上も移動して、そこらじゅうの作物を食いつくしてしまうのだと言われています。

 これ、今の人類と似ていませんか? バイオマス(生物量)として巨大化したヒトという種は、どこかで性格的に狂ってきて、節度も配慮もヘチマもない凶悪な存在と化したのです。自然を徹底的に痛めつけた後は、利己性丸出しで同種族まで平気で食い物にするようになった。お上品ぶっても駄目で、実態はそうなのです。してみれば、僕ら人間にはバッタ並の知能しかないということになる。「万物の霊長」と己惚れるのはおこがましい。

 不安は悪いもののように言われていますが、それは間違いなので、神経症的なそれは別として、不安になるべきときに不安を感じないのはただの馬鹿です。古代ギリシャの哲人ソクラテスには「ダイモン(悪魔ではなくて神霊の意味)の声」が聞えたと言われていますが、それは彼に積極的に何かをしろと言うことは決してなかった。それはつねに「禁止」のかたちで彼に示されたのです。その真意を探ろうと、彼は一昼夜街路に突っ立ったままということも珍しくなかった。ときにはもっと長いこともあったようですが、周りの人はそれを知っていたので、ほうっておいた。これは、現代風に言えば、健康な不安の働きと言えるので、心の深い声が彼を立ち止まらせ、「何がいけないのか?」考えるよう仕向けたのです。

 最近は新型コロナのせいで、通常の活動ができず、僕らも立ち止まらざるを得なかったのですが、それがきっかけで自分の生き方を見直すようになったと言う人は結構いるようで、それは明らかにプラスの効用です。38億年の生物進化の歴史がなければ、僕らは今ここにいなかった。そこにいかなる意味があるのかとあらためて思いを致すのも無駄ではないかもしれません。絶滅してゴキブリ型知的生物に取って代わられる前に、地球生物進化のトップランナーとして、僕らヒトにはもっと他に考えるべきこと、為すべきことがあるのではないでしょうか?
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