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セクト主義が招くモラル・ハザード

2020.05.16(16:49) 721

 ここでもすでに二回書きましたが、韓国の尹美香(挺対協・元代表)をめぐる問題は、韓国では「第二のチョ・グク問題」と化しつつあるようです。尹本人はもとより、政権与党側はこれを「親日派の謀略」に仕立てて乗り切ろうとしているようで、別にイデオロギーとは関係のない個人的疑惑満載のチョ・グクのときと同じで、それが通用してしまうというところがあの国の恐ろしいところですが、日本も「だからあの国は駄目なんだ」と言えないところがある。

 今揉めているあの「検察官定年延長法案」もその一つです。流れからして、あれが黒川検事長の不正な定年延長を事後正当化し、検事総長就任へとつなげようとする政権側の思惑とつながっているのは明白で、それを「関係ない」と言うのは言いも言ったりで、それなら公務員法改正とは別に、後で「疑惑」が生じなくなった段階で提出・審議すればすむことです。ところが、それはしない。そうすると「疑惑」を認めたことになって具合が悪いと安倍政権は思うからです。元々が不正な動機で始めたことだったから、引っ込みがつかなくなってしまった。安倍政権のいつものパターンです。

 黒川検事総長はおそらくないでしょう。“安倍政権の守護神”と呼ばれた彼が検事総長に就任すれば、国民は「検察は政権の飼い犬」と見るようになって、検察に対する信用は失われる。それはこれまでの個々の検察不祥事とは別物で、権力を揺るがすような事件は全部不起訴に持ち込まれて、逆に権力を脅かすような人や団体が検察のターゲットにされるのではないかという前提で検察の活動を見るようになるだろうからです。要するに、良識ある国民は検察組織全体を不信の目で見るようになる。黒川氏はそういう犠牲を払ってでも個人的な栄達を取ろうとはしないでしょう。仮にそうすれば、彼は検察の威信を破壊した戦犯として長く語り継がれることになる。

 ここであの森友事件を振り返ってみましょう。発端はお馬鹿なスピリチュアル右翼の総理夫人アッキーが、籠池夫妻の時代錯誤の極右的教育理念(子供に教育勅語を暗唱させるなど)に感動して(当初はネトウヨの安倍自身、アッキーから話を聞いて籠池夫妻の「教育理念と教育への情熱に感激」していた)、小学校の用地獲得に協力し、国有地を破格の値引きで取得させようとはかったことにありました。これはそれ自体立派な犯罪ですが、事が発覚して国会で追及されると、夫の安倍首相は、「私や妻が関係していたとなれば、総理も国会議員も辞める」と啖呵を切り、妻はモロに「関係していた」ので、まずいことになり、それで財務官僚の佐川宣寿が近畿財務局に指示して、公文書を改竄させた。そして、またそれがバレて追及されると、佐川はその改竄指示を否定した。こうして犯罪がいくつも積み重なっていったのですが、大阪地検特捜部は結局これを不起訴にした。表向き「証拠不十分」だったから、ということなのでしょうが、国民の大半は釈然としない思いを抱いたのです。

 一方、これで「安倍政権を守った」と政権に評価された「パワハラ官僚」財務省理財局長・佐川宣寿は、国税庁長官に出世した。安倍首相によれば、それは「適材適所の人事」で、何ら問題はなかったというのですが、国民は誰も問題がなかったとは思わず、姑息な情実人事だとしか解釈しなかった。しかし、激しい批判に耐えかねて、彼は結局辞任することになった。ご本人が記者会見で理由として挙げたのは、①国会審議の混乱を招いた、②行政文書の管理状況に関してさまざまな指摘を受けた、③国有地売却に関する決裁文書の国会提出時の担当局長だったことですが、要は体のいい「トカゲの尻尾切り」だったのです。辞めずに頑張れば、批判は収まらず、追及の手は麻生副総理、安倍首相夫妻へと遡及することになる。そこで、「佐川辞任」で国民の怒りのガス抜きをはかることにして、政権はそれに成功したのです。佐川氏はその後うつ気味になっているそうですが、「忠犬・佐川」の“名誉”は守られたのです。

 今は文書改竄強要を苦に病んで自殺した近畿理財局職員、赤木俊夫さんの奥さんが遺書を全面公開して、民事訴訟に踏み切り、その赤木さんの遺書は「新たな証拠」と見ていいことから、検察の捜査もやり直すべきだという世論が強くなっているので、佐川氏のうつは深刻化しているだろうと想像されますが、もしもまともな法治国家なら、アッキーの証人喚問も当然行われるでしょう。赤木さん自殺の翌日、パーティに出て、「私もあの森友の件で有名になって、おかげでUZU(アッキー経営の居酒屋)が繁盛してます」なんてノーテンキなことを言って周りを唖然とさせたという度の過ぎた馬鹿なのだから、ぜひとも法廷に引っ張り出すべきですが、夫の安倍総理がこれを阻止しようとすれば、黒川検事総長しかないと、そこまで考えているのかもしれません。

 こういうの、ほんとは全部おかしいわけです。中学生でもそれはわかる。韓国式に「すべては安倍追い落としのための左翼の謀略にすぎない」と言ったとすれば、言う方がおかしいと思われてしまうでしょう。しかし、森友や加計獣医学部事件の時などは、「小さな事件を針小棒大視して安倍政権を潰そうとするもの」なんて言う連中がまだたくさんいたのです。今回のドサクサ紛れ「検察官定年延長法案」に関してはあまりそういう声が出なくなったのは、消費税値上げ(あれも森友問題で安倍が財務省に借りを作ったから、なんて言われていますが)、コロナ対応失敗と続いて、この政権がかつてないほど不人気となり、ネトウヨにまで見放される結果となったからです。それまで金魚のフンみたいに後を追っていた自民党議員たちも「安倍首相では次の選挙は戦えない」なんて言い出した。「セクト主義」が崩壊したからではなく、たんにボスの求心力が落ちたからにすぎない。

 韓国の場合、あの前法相のチョ・グクも、今回問題になっている挺対協=正義連前理事長、新国会議員・尹美香も、反日愛国左翼イデオロギーを振りかざすだけの利己的な嘘つきです。「正義」の仮面の下で、相手を陥れるためには手段を選ばぬ汚い攻撃をしてきた人間であることも共通している。しかし、左右に分かれて相争うあの国では、身内のボロを認めると敵を利することになると、それを無理強い正当化して、「敵の謀略」という便利な言葉で一括りにして、疑惑には直接答えず、相手の落ち度を無理にでも探して攻撃に打って出るというのがいつものパターンです。そうしたセクト主義が長く続いてきたから、不正な情実政治は続き、政権が敵側に移ると、前政権の不正が暴かれ、しかもそれはしばしば度の過ぎたものになって、ついでの冤罪もおかまいなしということになってしまう。国家としての政治の連続性もないということになるから、前政権がした国家間合意も平気で破棄し、むしろそれは「積弊清算」として積極的なプラスの意味付けがなされる始末です。とくに今の文政権ほどそれが甚だしいものはないので、北朝鮮に対する甘さと、日本に対する態度の苛烈さは、通常の理性では理解不能のレベルにまで達しているのです。

 韓国の場合、大統領の権限が強く、それが政権の不正・腐敗の温床になっているとよく言われますが、議院内閣制の日本の場合、そこまで総理大臣の権限は強くない。しかし、安倍政権は数々の禁じ手を使って、任命権を乱用し、韓国大統領に近い強権を握ろうとしてきた。官僚の忖度による不正が増えたのも、人事権の乱用にあると言われています。小選挙区制のおかげで、政権執行者の党に対する支配力も強くなっているから、あれやこれや、誰も安倍には逆らえないというシステムが出来上がったのです。機関の独立性を尊ぶしきたりもこの政権は破壊した。今回の次期検事総長をめぐる対応もその一つです。

 プラトンの「哲人政治」は一種の独裁ですが、問題は公平無私で神のごとき見通しをもつ人間など、この世界には存在しないことです。ましてや「ヤンキー政治家」と呼ばれる甘やかされたお坊ちゃんの安倍のような男が絶大な権力をもつと、それは必然的に情実政治に落ち込み、そこには不公平、不正が必ず生まれる。そうすると、今度はそれを糊塗するためにさらなる不正を働かなければならなくなり、とめどなく腐敗は進むことになるのです。

 前から言っていますが、日本の政治はだんだん韓国政治に似てきた。セクト主義も露わになって、今の日本と韓国では右と左で、そこは正反対ですが、反対や批判を、それには直接答えることなく、「敵の謀略」論でしのいで、ごまかそうとするところも似てきたのです。文政権は自分に不都合な記事や社説を載せる保守派のメディアを「意図的にフェイクニュースを流す」と論難していますが、安倍政権も、朝日や東京は「フェイク・メディア」扱いして、ネトウヨがそれを煽ってきたのです。こういうの、韓国とそっくりではありませんか? 彼らはみんな韓国嫌いですが、その嫌いな韓国の最悪の側面を真似なくてもよさそうなものです。

 右翼がこれなら、左翼も似たようなもので、前にここでもハンギョレに「何じゃ、それは?」と言いたくなるような一面的な迎合記事をよく載せる山口二郎氏(法政大教授)について書いたことがありますが、安倍政権の批判はしてもいいが、同じ基準をなぜ文政権には適用しないのか、そのセクト的なダブル・スタンダードに、僕などはイライラしてしまうのです。左翼文化人のこういうところが、日本で左翼が国民の信頼を失うに至った最大の原因なのです。それはネトウヨが内輪の不正には目をつぶって、敵だけ口汚く罵るのと同列です。イデオロギー的に敵か味方かをまず判別し、しかるのちに敵と認定した相手にだけ批判の矛先を向ける。山口氏あたりは今の韓国の挺対協、尹美香の卑劣・お粗末な行状などは決して批判しないでしょう。それは「嫌韓右翼を利することになる」からなのです。

 イデオロギー的に右であろうと左であろうと、セクト主義に落ち込まず、批判すべきことはきちんと批判する。そういうふうにしないと、社会の健全性は保てないと僕は思うのですが、派閥根性丸出しで、「ああ、この人は政治的な立場からしてこう言うのだろうな」と思って読んだら果たしてその通りだった、なんてことが多すぎるので、セクトに分かれて、それぞれのセクトが気に入るようなものだけ、そのセクトのメンバーは読み、内輪でおかしな具合に「団結」して、敵を非難し合う。それでは何も変わらないし、それぞれのセクトは自己満足の中で腐敗を続けるのみです。そこには本当の意味での「公」の観念はない。そういう国家や社会に明るい未来はないでしょう。世界が置かれた今の厳しい状況に鑑みるに、「日韓幼稚競争」に励んでいる場合ではないと思うのですが。
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