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酒井嘉和著『聖中心伝 肥田春充の生涯と強健術 青年編』について

2020.03.22(02:03) 700

 肥田春充という人は、その筋では有名人ながら、一般の人はほとんどご存じないでしょう。以下はウィキペディアの「肥田春充」の項です。

肥田春充

 幼少期は病弱な上痩せ細っていたため、「茅棒」のあだ名がつけられ、2度死の宣告を受ける程の虚弱児であった。数え年18歳にして心身改造に志し、古今東西の健康法、運動法を研究実践し、西洋のウエイトトレーニング等に東洋の丹田鍛錬、氣合等を取り入れた独自の心身鍛錬法、川合式強健術(後の、肥田式強健術)を編み出す。

 1883年(明治16年)生まれなので、大昔の人ですが、この記事にもあるように、病弱だったためだいぶ遅れて山梨県の旧制第一中学に入学、卒業した後、高等予科へと進み、その後は「中央大学法科・明治大学政治科・明治大学商科・早稲田大学文学科の三大学四学科に入学」して、いずれも同時に卒業するという離れ業をやってのける。そしてその直後、軍隊に入る前に、『実験 簡易強健術』(明治44年)という処女作を出し、これが著名人の後押しもあって大ベストセラーとなり、一躍時の人になった。そういう人です。

 たんなる運動家、体育指導者、心身健康術の著者であるにとどまらず、「生涯を通じて多数の政治家、軍人、学者、文人などと親交があり、様々な影響を与えている」とあるように、多彩な面をもつ、一種のスーパーマンでした。

 本書は著者・酒井嘉和氏が15年の歳月をかけて関係文書を渉猟し、存命の縁者にも取材し、自らもその健康法(強健術)を実践しながら、その生涯と強健術(たえず改良が加えられ続けた)についてまとめた、三巻本の最初の巻です。

 不健康そのものの生活を送って、ロクに運動もしない僕のような人間がこういう本についてとやかく言うのは全く的外れで、奇怪に思われる人が多いでしょうが、著者の酒井氏は僕の古い知り合い(昔の塾仲間)で、本にする前の膨大な原稿を見せてもらって、この本も頂戴したので、その意味では縁があるのです。

 本書では引用の明治・大正期の文語文が現代語訳され、叙述も、付随的な細かいところは整理されて、僕が最初読ませてもらったものよりずっと読みやすくなっています。肥田式強健術の考え方は本書で順を追って詳しく解説されていますが、実践面に関しては、イラスト等を交えて現代風に解説した、また別の本が必要でしょう。それは著者の次の仕事になるものと思われます。この本では肥田春充の生い育った環境や「強健術への開眼」と、その後の生涯の軌跡がていねいに辿られ、「肥田春充とその時代」がよくわかるように描かれています。類書は僕が知るかぎり存在しないので、本書は今後肥田春充を研究する人にとって基本文献の一つになるでしょう。

 ひ弱ないじめられっ子がその後、空手の師範やボクシングの世界チャンピオンになるといった話は割とあるものなので、それに照らせば並外れて虚弱な少年・川合春充(のちに養子に行った先が肥田家)の劇的な変貌も不思議ではありませんが、この人は各種の健康法、肉体改造法に、生理学・解剖学や医学の本まで幅広く参照し、自分を実験台にして工夫改良を加えながら、独自の「強健術」を開発したところに大きな特徴があります(どういう順序で彼が「聖中心」という考えに辿り着いたのかをこの伝記は明らかにしようとする)。過剰なまでに義侠心が強かった若い頃は「弱きを助ける」ために暴力も辞さず、その方面の武勇伝もたくさんあった(平たく言えば、めっぽう喧嘩も強くなった)ようですが、その後精神面でも禅匠にその境地を賞讃されるなど、たんなる体育家には収まらない多様な側面があったので、僕個人に一番関心があるのは、先のウィキペディアの記事にも「深夜連続の『人類救済』のための真の宗教、哲学、科学の学的、体験的研究をはじめる(この研究を「宇宙大学」と呼ぶ)」とあった、その思索の中身です。挙句、「人類の将来を憂い、水もほとんど摂取しない49日間の完全断食の果て、死去」ということになるのですが、本書でも最後の巻「晩年編」でそれについてはかなり詳しく触れられますが、当然ながら、伝記本にはおのずと限界があるので、その詳細な全体像まではわからない。

 僕の見るところ、彼が憂えた恐るべき「人類の将来」は、今、僕らの目の前にあるのですが、この本(のちの巻にそういう話は出てくる)を読むと、肥田春充という人は一種の「千里眼」になっていたと見てよさそうなので、これが見えていたのかもしれません。いや、そんなに大げさに言うほど今の世界はひどくないよと笑う人もいそうですが、それはよほどものを知らないか、さもなければ想像力に乏しい鈍感な人なので、別にコロナウイルス騒ぎや株の暴落を見て、僕はこんなことを言っているのではありません。全体からすれば、そんなことはいずれも些事にすぎない。内面・外面の諸般の事情を考慮するなら、人類は「自滅へのカウントダウン」を始めるところまで来てしまった。これで無事で済んだら、むしろその方が不思議なくらいです。

 この『聖中心伝』を読んでいて、僕に何より感銘深かったのは、肥田春充やその周辺の人たちの生への切実さ、というか情熱と真剣さです。当時もむろん腐敗した人間は、とくに政治家や富裕層にはゴマンといたわけですが、思いやり深い細やかな心の持主や、感激家、理想家がそこらじゅうに見つかるという感じで、田中正造や内村鑑三を生み出した時代の息吹がここにはまだそのまま残っているという感じがしたのです。大川周明は肥田春充の友人であり、共に国事を憂えて奔走する姿(それは結局さしたる影響を及ぼすことはなかったので、現代からするとそのドタバタぶりはいくらか滑稽に見える)が後続巻には出てくるはずですが、彼らはいずれも現代人には見られないタイプの理想家であり、国家の現状、社会の矛盾や、虐げられた人々の苦しみをそのままわが悩みとするそのありようは、文字どおり「隔世の感がある」と言えるものです。

 むろん、肥田春充が当時においてもいくらか度の強い理想家であったことはたしかで、大学卒業時の次のような述懐にはそれが自覚されていたことが読み取れます。

こうして、法、政、文、商の各科を修了したけれども、私の手に残る所のものは何もない。みじめにも、私もまた奇異な夢想児ではないか。(心身強健術)

 私の願う所が、苦しむ者なく、虐げられる者なく、正義仁愛が自然に行われる理想郷の実現であった。しかもそれは、献身犠牲の志士の決死的奮闘によって、容易にその目的が達せられるものと考えた。なぜならば世間大部分のものは皆、天使のような善良な人ばかりであって、害毒を流す悪漢は極めて少数であり、これらを除き去って社会を粛正することは、さしたる難事ではないと思ったからである。(聖中心道肥田式強健術) 本書p.272~3


 そうは言っても、理想家肌の彼の性格は終生変わるところがなかった。父や兄が社会奉仕に明け暮れる同じような献身的な理想主義者であり、最後までそれが変化しなかったのと同じです。そしてあの時代には、有名無名のそうした人たちがかなりの数いて、いわゆる社会エリートの中にもそれは少なくなかった。

 空気が今とは全く違うのであり、こう言うと気を悪くする向きもあるでしょうが、現代日本人が「真剣」になることと言えば、それはもっぱら経済方面のことで、それも自分が勝ち組になるか負け組になるかといった類のことです。若者ができるだけ偏差値の高い有名大学に入りたいとしのぎを削るのも、多くはそれが「有利な就職」につながるからであり、「勝ち組に入れる確率」がそれだけ高くなるからなのです。「弱きを助け、強きを挫く」義侠精神ではなく、自己保身から権力に寄りかかって「強きを助け、弱きを挫く」側に回るのが、現代風エリートのやることになってしまったように見えます。それが「ふつう」になったので、誰もそれに目くじら立てることもない。負け組になることは恥ずべきことであり、それは本人のたんなる無能や怠惰の結果なので、自己責任として放置して差し支えない。なるほど、そこには社会システムの「醜いからくり」があるが、その構造を理解し、変えるのではなく、そのからくりをそのまま利用して勝ち組に回るのが有能なエリートというものであり、それは称賛に値するのです。

 これは日本だけの話ではなく、今や「世界的傾向」になっているのではないかと思いますが、これでは「人生意気に感ずる」こともなくなって、損得だけに過剰かつ敏感に反応して、「割に合うか合わないか」のソロバン勘定だけが死活的な重要事になるのです。たんなる「知能の高いサル」にすぎないと言えば、サルに失礼なくらいです。そういうジコチューの行く末として、いずれ皆が損をすることになるのはわかりそうなものですが、サル化した悲しさで、そこまでの知恵は働かないのです。

 話が強健術とは無関係なことに脱線してしまいましたが、「健全な精神は健全な肉体に宿る」という言葉は、古代ローマのある文明批評家が、オリンピックの体操選手の見事な肉体を見て、「健全な精神が健全な肉体に宿るようならねえ」と皮肉を言ったことの誤伝だと言われていますが、肥田春充の場合、ひ弱な肉体の改造に成功したことから、風邪一つひかなくなっただけではなく、臆病な引っ込み思案の性格も治り、万事に前向きになり、頭脳の働きまで明晰さを増したというのは本当だったのだろうと思います(始めて二年間で、別人と思われるほどの顕著な変化があった)。それはたんなる肉体改造だけではなく、心身相関、内臓の健康や血液循環にまで配慮した総合的なものだったので、全体に好ましい変化をもたらしたのでしょう。

 僕も今、中学生か高校生ぐらいだったなら、強い関心をこの強健術に示すでしょう。自分もチビで、見る影もなくやせこけていたからです。中学を卒業したとき、身長が150センチ、体重は30キロ台前半だったと言えば、いかに貧弱であったかが想像できるでしょう。これは極端なおくてだったことも関係するので、あそこの毛がいつまでたっても全くはえてくる気配がないのを僕は真剣に悩みました。男子にはそれはないということを知らず、自分は無毛症なのではないかと気に病んだのです。高校に入って、親元を離れて生活するようになってから、身長は急に伸び始め、高校三年間で18センチ伸びて、高校卒業時は168センチになった。これは当時の平均身長だったので、やっと人並になったのですが、相変わらずやせたままで、体重は50キロになかなか届かなかった。その後、はたちぐらいまで身長は伸び続けて、171センチで止まり、当時の体重は52~54キロぐらいだったと記憶しています(一時素振り用の大きな木刀を買って、毎晩空地で一時間ほど振り回していたので、その頃は銭湯に行くと周りの視線が集まる感じになった)。脂肪が全くつかない体質だったので、運動不足に陥ると筋肉が落ちて、元々の骨格が華奢なので、三十代四十代の頃は48キロまで落ちたことがある。幸い病弱ではなく、大きな病気はほとんどせず、やせている割には体力もあって、十代の末から二十代初めの頃は、組み合って相撲なんか取ると、かなり大柄な相手でも倒せた(だから当時は喧嘩にも相応の自信があった)のですが、肥田式強健術を習っていれば、もっと筋骨たくましくなれただろうにと、それが残念です。

 そのままずっと脂肪がつかなければよかったのですが、今は下腹に余分な脂肪がついて、こういうのは醜いだけで何の役にも立たないものなので閉口しているのですが、若い頃やせていてもこうなるので、今は若くてスリムな人も、油断してはなりません。人にもよるでしょうが、僕の場合、五十を過ぎてから徐々にこうなったのです。

 肥田式強健術の本はいくらか出ているようですが、多くは昔の本のリプリントのようで、今の人が読んでわかりやすいものではない。この本をきっかけにその存在が広く知られるようになって、わかりやすいイラスト入りの、中学生なんかにも読めて実践に使えるような解説本など出れば、その「奥義」を伝えることはむろん困難でしょうが、それ相応の効果は生まれるのではないかと思います。この本には学校体育のありように対する肥田春充の批判も紹介されていますが、僕は読んで全く同感だったので、合理性と科学性に欠け、効果にも乏しく、やって楽しくもないたんなる“苦行”になりがちなあれを改めるきっかけにもなるでしょう(それは当時、学校の教育現場にも一部導入されたことがあるにもかかわらず、定着せず、そのまま忘れ去られたのです)。それを応用した高齢者向けの強健術の本も出れば、高齢社会の今、人々の健康寿命を延ばすことにもなって、大いに社会に貢献することになるでしょう。

 ということで、心身の健康法や、世界的に見ても類のない独自の強健術を編み出したこの非凡な人物に興味を覚えられた方はお買い求め下さいということで、紹介させていただきました。こういう本を出すというのは今の出版事情では超がつく難事で、これはひとえに著者の情熱と、版元の壮神社社長、恩蔵良治氏の心意気によるものでしょう。脱字やワードの転換ミスによる誤字が若干残ったのは残念ですが、それは文脈から容易に判断がつくものなので、読むのに大きな支障になるものではありません(そのあたりについては、著者か出版社がネットで正誤表を閲覧できるようにするなどの措置がいずれ取られるでしょう)。最後に、アマゾンのURLを付けておきます。

聖中心伝 肥田春充の生涯と強健術 青年編

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