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人材の大都市圏への流出、集中について

2020.03.18(14:23) 698

 前回の記事に対して興味深いコメントをいただきました。なるほどそういうことも言えるかと思うと同時に、この「人材の偏り」については僕も同じ「懸念」を抱いているので、別立ての記事にして書いてみたいと思います(コメント全文については、そちらをクリックしてご覧ください)。

首都圏においては、逆で、受験生の合格ライン以上の受験生の高学力化(より正確に言うと、受験生の入学試験における得点能力向上)、入試の倍率の上昇が見られます」とありますが、これはおっしゃるとおりかもしれません。カッコして(より正確に言うと、受験生の入学試験における得点能力向上)とあるのは、入試学力が必ずしも正味の学力と同じではないという含みをもたせたもので、これもよくわかります。

いわゆる駅弁大学と呼ばれる国立大で九大、広島、岡山、熊大と比べて環境(研究、学生教育等に関する大学内の環境)が大分落ちる大学ですら、九州四国中国の非駅弁大学系国立大(岡山、広島、九州、熊本など)よりも、入試においてより高い入試における得点能力を要求されるところもある」というご指摘は尤もです。それより上を見ても、たとえば筑波大は、昔は旧帝大の一つである九大とはかなりの差があったはずですが、今は僕の肌感覚ではほとんど変わらず、学部によっては九大より明らかに難しくなっているものもあります。東京農工大なども、農学系はとくに、昔よりかなり難化しているのではないかと思います。東京海洋大なども入りやすい大学ではなくなった。秋田の国際教養大など、一部個性的な大学の例外はありますが、おしなべて都会にある国公立と地方のそれとの差が広がっているのです。

 首都圏私立も難化している。これは文科省の「定員厳格化」の影響がかなり大きいものの、いわゆるMARCHなど、レベルが前より上がっているのは確かです。上の「岡山、広島、九州、熊本など」の国立受験生が併願したとしても、その合格率がどの程度になるかは疑わしいのです。早慶の場合は、とうに九大受験生の併願対象ではなくなっている。受けてもほとんど受からないからで、今年うちの九大受験生は同志社を受けて無理なく合格しましたが、これは九大受験生でも学力が高かったからですが、併願先は関西ならそのあたり、東京なら明治か立教あたりになるでしょう(法学部志望者ならこれに中大が加わり、理系なら東京理科大が入る)。早慶を併願で受験するのはそれより上の層で、延岡高校あたりでもときどき受験者がいますが、それもめったに受からず、今年も受験者は両方いたそうですが、合格者はいなかったようです(浪人で受かった子はいるかもしれませんが)。

 東京の私立の場合、早慶上智あたりとMARCHの差が縮まった印象がありますが、国立もそうなのかもしれません。昔東大のスベリ止めだった横浜国大はもとより、千葉、埼玉、それから公立の東京都立大(石原知事のとき「首都大東京」なんてヘンテコな名前にしていたのを戻した)あたりが難化し、それ以下もそれにつられるかたちになっているのかもしれません。

「大学進学に関して地方から東京、首都圏に人が流れ込み、首都圏内からはよそへは人がほとんど流れ出さない状態になってるからこうなってると自分は考えております」

 このあたりに関しては、東大も私立の早慶も、東京とその近県の占有率が高止まりしているし、九州地区の田舎の県立高校の生徒などは、九州内か中国・四国あたりの国公立に行くことが多い(うちの塾の生徒の場合は、関西・関東もかなり多いのですが)ので、詳しい事情はどうかわかりませんが、「首都圏内からはよそへは人がほとんど流れ出さない」というのは、国立医学部や京大、東北大等の志望者を除けば、その通りでしょう。結局これは、大都市圏の受験生の学力(むろん、入試学力)が相対的に高くて、地方の受験生が力負けしてしまうから、合格者も結果として少なくなるということなのかもしれません。

 この現象は、単純化して言うと、次のような流れで説明できるかもしれません。まず最初は、高度経済成長で田舎から都会に人が大量に流れ込んだ時代、その次は大学進学率の上昇がそのまま続き、地方の優秀な若者が都会の有名大学に入ってそこで就職し、さらには地方の名門大の卒業生も大企業に入って、東京か関西の大都市圏の会社に就職することが多くなった時代があって、彼らは地方には戻らず、都会にそのまま住み着いて、そこで子育てをするようになった。地方出身の難関大卒業生が都会の大企業に就職して地元には戻らないという現象は、今も続いていますが、こういう「優秀層ほど都会周辺に住み着く」という現象がずっと続いて、「人材の偏り」が大きくなったのです。

 その分、昔はたくさんいたはずの地方の優秀層が大きく減った。これは語弊を恐れずに言えば、ある意味「遺伝レベル」の話ですが、それに加えて、都会では中学受験などする子供も多く、教育環境も違う。最近は都立高校の復活が言われていますが、それも「戦略的対応」が関係していて、私立や国立の中高一貫校に対抗して、教員なども優秀な人材をそうしたかつての名門に重点配置するようになった(これは大阪も同じです)。当然、塾や予備校も多いし、情報の面でもまさって有利になる。

 これは東京にかぎらないので、大阪や京都、名古屋など、九州地区で言うと福岡などは都会で、企業や業種も多く、知的能力や意識の高い親が多い。大都市圏のベッドタウンになっている地区の学校は大学受験に強いところが多いことからもそれがわかります(奈良の有名私立が強いのも、大阪や空港へのアクセスがいい立地と無関係ではないでしょう)。東京一極集中の傾向はその中でもとくに目立つわけですが、何にせよ、こうした変化の中で、そうした地域と、それ以外の地方との学力格差、教育格差も大きくなってしまったわけです。そしてその差が、国立大学の立地による難易度の差にも反映される。これは予備校の難易度ランキングなどを見ても一目瞭然で、とくに九州や四国の地方国立大の落ち込みが激しい。(僕の郷里は和歌山県ですが、中途半端な位置にあるせいかこちらも、とくに紀南はさびれようが半端ではないので、その地区の県立高校の進学実績は見る影もなくなっている。過疎で人口が激減して子供が減っている上に、関西は地方でも九州地区と違って私立が強いので、数少ない優秀層はそちらに流れてしまうからでしょう。)

「この現象は東京、首都圏へ人が地方から吸い上げられていく人材の一極化の一端ではないでしょうか? 私はこの現象にたいして重大な不安、懸念、危惧を覚えています。私はこの状態が大して緩和されずに継続するといつか日本に大きな何らかの歪みが生じると思います」

 僕もこれには同感です。地方は自然が豊かで、子育てにはよく、延岡などは海も川も山もすぐ近くにあって、気候は温暖、人ものんびりして温厚だし、そういう面での環境は申し分なしなのですが、僕は半分冗談めかして、「ここは旭化成がなくなったらほとんど終わりだよ」と言うことがあります。旭化成も工場の無人化などで、雇用吸収率は大きく下がっていますが、そのプレゼンスは依然として大きい。わが零細塾ですら、親が旭化成の大卒社員というケースが多くて、これに市役所など各種公務員、教員を加えると、残りは成功した自営などほんの少しになって、依存度はかなり高いのです。市そのものが旭化成に依存しすぎているのではないかと思いますが、「まち起こし」をするのにも多様な能力の高い人材が必要で、しかし、上に見たような事情で「人材の大都市への流出」が止まらないから、それは一層難しくなる。これは、多くの地方自治体に共通した悩みだろうと思います。仕事を作り出す人がいない。従って満足な雇用もないから、戻りたくても若者は戻れず、「負のスパイラル」の中に入り込んでしまうわけです。

 文化的にも貧弱になるので、箱モノだけ作ってもどうにかなるというものではない。僕は前に、『偉大なる異端』という訳書を出したとき、それを読んだ北九州市に本部のある某団体の会長に、百冊本を買い上げるから、それを無料配布するなどして講演か講座でもやってみたらどうかと言われて、仰せに従うことにして、ある禅寺の本堂を借りて講演もどきをやらせてもらうことになったのですが、商工会議所が出している催しのパンフがあって、それに載せてもらえば人を集めやすいだろうと勧めてくれる人がいて、僕自身は昔から組織嫌いなので、あまりそういうことは好きではないのですが、世話係の人とそこに出向いたことがあります。そのパンフを見たとき、それは「地域の神話・歴史」だの「伝統芸能」だのがほとんどでしたが、どうもその掲載基準ではそうした「地域ネタ」であるかどうかが重視されるようで、その本の場合、中世ヨーロッパのキリスト教異端に関するものだったので、何かいかがわしいカルト宗教の宣伝か何かに使われるのではないかと疑われたようです。僕自身はもっと幅広い話をするつもりで、大体僕と会って話をして、カルトの人間だと思う人がいたとすれば、その方がどうかしていますが、少し話をして、これでは意味がないと思ったので申し入れをその場で撤回しました。「地域ネタ」それ自体はむろん悪くありません。しかし、もっと普遍的な、世界史や宗教、哲学、心理学にわたる話をする人間がいてもいいはずで、それで来場者と直接やりとりできれば、刺激にもなっていいのではないかと思うのですが、そういう考えは全くないのです(補助金を出してくれとか、そういうことを言っているわけでは毛頭ないのに)。これは音楽や美術など、他のジャンルでも同じですが、地方ではそういう多様なものに生で接する機会も少ない。行政が予算を組んで、学校の生徒を文化センターのコンサートや演劇に連れてゆくというようなことは定期的に行われているようですが、それは自発的なものではないので、生徒たちもただ義務的に行ってるだけのことが多いのではないかと思います。

 地方の自治体はいっとき、「まち起こし」の一環として私立大の誘致を盛んに行いました。少子化の進展を見通せば、後で困ったことになるのは予測できただろうに、文科省もかなり安易に認定した。経緯に不透明さが目立って問題になった、先の加計学園の獣医学部(今治市)のときもそうでしたが、無償で広い土地を提供し、建設費用の多くも地方債という借金で肩代わりし、開設後もいろいろなかたちで自治体が支援する。国も毎年多額の補助金を出さねばならない。自治体としては、そうすれば若者も増え、町も活性化すると思ったのでしょうが、大方の場合、これはみじめな失敗に終わり、私大の4割以上が慢性的な定員割れを起こしてお荷物になっていると言われますが、その多くがこうした地方私大です(文科省の定員厳格化はそうした私大にも受験生が流れるようにする意図で行われたのだと思いますが、発想そのものがセコくて、根本的な問題の解決にはならない)。

 中には明確なコンセプトを打ち出して成功したものもある。宮崎県のお隣の大分の立命館アジア太平洋大などはその数少ない例の一つです。海外からの留学生が半数を占めますが、国内の学生も地元限定、九州限定ではなく、全国から集まっている。新設大学はどこも偏差値が低いものですが、ここは短期間に急上昇した。入試倍率も5倍を超え、今では中堅上位の位置取りです。これなら「まち起こし」にも役立つでしょう。

 延岡の場合には、あの獣医学部騒ぎのとき僕も初めて知ったのですが、加計学園系列の九州保健福祉大(理事長は孝太郎氏の姉)というのがあって、こちらはお世辞にも成功例とは言い難い。慢性的な定員割れ(調べたとき、福祉関係の学部は定員充足率が4割に満たなかったので驚いた)を起こしていて、薬学部ですら河合塾の偏差値では37.5しかないのです。その割に薬剤師国家試験の合格率は高いのですが、これは、地元の高校生が、自宅から通えるから学費が少々高くてもトータルでは引き合うという理由でかなり学力があっても行くケースがあるので、そうした地元勢の「頑張り」があるのと、単位認定を厳しくして、受かりそうでないと国試を受けさせないなど、大学側の対応もあるのかなと思います。倍率は高校入試並で、いわゆるFラン認定を受けている学部もある。元々立地の問題があるのにこれでは、外部からの受験生が増えるわけはない。学生用のワンルームなどの家賃も、田舎にしては高すぎるのです。これではどうにもならない。

 こうした失敗は延岡市にかぎらないので、多くの人口減に悩む地方自治体が「他でもやっているからうちでも」程度の動機で大学誘致をやって同じ憂き目を見ることになったのです。やることがワンパターンで拙劣だとの批判は免れない。こういうのも地方に知恵者が減っている証拠の一つだと言えるかもしれません。

 他に方法はないのか? 今はいわゆる「テレワーク」で、会社がどこにあろうと、パソコンと電話さえあればかなりの仕事ができる時代なので、自然豊かな田舎にもっと移住者が増えてもよさそうなものですが、まだそれは一部のフリーの人にかぎられているようです。僕にはそんな才覚はないので無理ですが、地方に会社を作って、全国にサービスやモノを提供するということもそれだけやりやすくなっているはずです。東京なんて、空気の悪い狭苦しいところにい続ける必要はないように思う(あの満員電車通勤もよけいです)ので、そうすれば地方にも能力の高い、個性豊かな活動的な人が増えて、仕事があるから戻る若者も増え、地方が再び元気になるということになる。そうすれば、上の「地域による大学格差」にも変化が出てくるでしょう。

 こういうのは意識的にやらないとできませんが、やろうとしてできないことではないでしょう。農業分野ではすでに企業(それがトヨタだったりする)が進出して成功を収めている例もあり、第一次産業もいい方向に変化する必要がありますが、ハイテクなど最先端分野でも、地方に本拠地を置く元気な会社がたくさん出てくれば、それによる活性化効果は大きい。問題は「地方人の意識」にもあって、地域の古くさい業界団体が改革の芽を摘んでいたりするのかもしれません。何か新しいことをしようとしている人が、それは十分な合理性があって地域のためにもなることなのに、おかしなボスが率いる、補助金に頼ってかろうじて命脈を保っているような会社の集まりに妨害されたりする、などです。よく田舎暮らしに憧れて地方に移住した人が、生活面で低級な「ムラのしきたり」に合わせるよう強要されて参ってしまった、というような記事も見かけますが、この場合も田舎だからというより、そこに残っている人たちに固有の問題があって、こんなことを言うと叱られそうですが、地方人材が低下して、昔ならいたはずの高い理解力と柔軟性のある人が減っていることも関係しているのではないかという気がします。昔なら、「つまらんことをゴチャゴチャ言うな」と意見してくれる人がいたはずで、そういう記事を読んでいると、田舎育ちの僕ですら「そんな馬鹿な…」と思ってしまうような非常識な話が多いからです。それは地方が、というより、今のその地域の住人がヘンになっているだけなのだと理解した方がいい。でなければ、移住した側の人が無自覚に無神経、利己的な対応をして周囲の顰蹙を買い、敵視からそうした態度が生まれたか、そのどちらかでしょう。

 話を戻して、今のような傾向が今後も続けば、地方の優秀な人材は減りっぱなしになって、地域活性化ができる人材もいなくなり、いっそうさびれることになりかねない。昔から田舎は都会に比べて「遅れている」とみなされましたが、地頭で劣るというようなことはとくになかったのが、上に見たようなことが続くと、そうも言えなくなってしまうわけです。今は田舎でも、周囲の豊かな自然の中で子供を遊ばせることは減っていますが、下手したら、意識の高い都会の親の方が「自然との接触が不足している」というので、休みの度に子供を連れ出したりしているかも知れないのです。そうすると、教育や文化的な面では田舎は都会に太刀打ちできず、子供が刺激を受けるのも少ない上に、昔は圧倒的に有利だった自然との接触の面でも大して変わらないということになりかねない。地方の親が大変なのは、大学進学の際、学費だけでなく、生活費の仕送り負担が大きいことですが、ロクな産業もなく、経済力も低下しているとなると、田舎暮らしにはメリットが乏しいということになって、余計に子供をもつ年齢層の人が減る。老人の姿ばかり目立つようになってしまうわけです。

 こういうのは誰が悪かったわけでもない。「低学歴社会」だった昔は、田舎の親は義務教育だけ受けさせればそれでよかったから、経済的なこともそれほど気にしなくてよかったわけです(高度経済成長期、田舎の中卒の子供は「金の卵」と呼ばれた)。それが高校進学率が上がって高校まで義務教育化しても、僕の郷里のような山奥では通える範囲に高校がなかったから、親は高校の寮に入れるか下宿させるしかなく、その分費用がかかりましたが、そこまで田舎でなければ、ふつうに地元に高校はある。親の経済力も増していた時代です。しかし、四年制大学への進学率が5割を超える今(悪いことにゼロ成長時代に入っている)は、国立の学費も昔よりずっと高くなっているし、それに月々の仕送りが加わるのでは大変になったのです。こういう点にも地方衰退の一因はある。

 大都市とその周辺だけ残って、それ以外は「消滅」していいと考える人はまずいないでしょう。ある程度は仕方がない。たとえば、僕は小3まで向かいの山のてっぺんにある分校に通ったのですが、それは僕が大学生の頃廃校になり、本校の小中学も統合が進んで、元の母校は残っていない。高校も統廃合の対象になって消滅した。子供の数自体が激減しているのだから、これは致し方のないことです。大学は東京にあるから、それは大丈夫でしょうが、からだの末端部分から壊死が進行するようなかたちになっているのです。

 これはどこかで歯止めをかけなければならないので、地方のある程度の規模の市や町は残ってもらわないと困る。大都市圏への一極集中は、環境上、そこに住んでいる人たちにとってもあまり嬉しいことではないでしょう。ある程度分散して、この分野ならあそこが強いとか、特徴のある、そして活気のある市や町が日本のあちこちにあった方がいい。頭脳も分散させるのです。首都が大地震などで壊滅すればそれでジ・エンドというような国のあり方は望ましくない。

 大学の話からだいぶ遠いところに来てしまいましたが、コメントされた方が心配しておられるのも、たぶんそういったことでしょう。これは国民全体の問題として、知恵を出し合って考えねばならないことです。国が地方に補助金を出せばいいという問題ではないので、アイディアと実行力がなければ、地方のゾンビ会社と、機能を果たせない古びた経済構造を生き永らえさせるだけに終わって、地方の活性化にはつながらない。それはすでに過去の政府の補助金政策が満足な成果を生み出さなかったことからも、証明済みでしょう。

 宮崎県は昔、「新婚旅行のメッカ」でした。全国から新婚旅行客が集まって、それが定番のようになっていた。これは自然にそうなったのではなく、ちゃんと仕掛け人(岩切さんという方のようですが)がいたからで、そういう知恵者があちこちに出現すれば、地方の未来も明るいかもしれません。うちの塾には今年一人、起業家志望の生徒がいて、横浜国大に推薦で進学したのですが、けっこう今の若者にもただのサラリーマンはいやだとか、会社を作りたいという子はいるのです。彼らがよく勉強してアイディアと行動力を具えて地元に戻り、適切な地域の支援も得られるようだと、明るい展望が開けるかもしれない。そうなるよう願っています。

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