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入試戦線終わる

2020.03.15(21:00) 697

 株価は2万円を割る程度ではすまず、一時は1万7千円を切って、さながら「大恐慌前夜」の様相を呈していますが、そういうのは置いといて、先週金曜の夜、うちの塾では高3の「お別れ会」のようなものをやりました(何でも、LINEに塾の3年用のグループができていたそうで、一人に言っとくと流してくれるので、今は便利です)。全員ではないが、延岡高校の9人が集まってくれて、途中で「何か食べようか」ということで、近くのファミレスまで行ったところ、金曜夜なのにやはりかなり空いていて、10人分の席を確保するのに何の苦労もなかった。そのとき僕は何も考えなかったのですが、後で話を聞いた親御さんの中には「危険極まりない行為」だと思った人もいるかもしれません。宮崎でも感染者はすでに出ていて、延岡にもあの新型コロナウイルスは“上陸”しているはずだからです。

 今年は大学の入学式がとりやめというところも多いようです。とくに規模の大きい都市部の大学ほどそうでしょう。コロナのせいで、卒業式も3年単独だったし、何だかちょっとかわいそうです。進学先が決まった生徒たちの中には呑気にカラオケ(最も感染の危険性が高いとされる)なんかに行ってる子もいるようですが…。

 今年のわが塾の入試結果については、前期が駄目で後期にずれ込んだ生徒が二人(厳密にはもう一人前期落ちがいたが、学費の問題を除けばこちらの方がいいかな、という私立の押えがあったので、後期は受験しなかった)いて、二人ともそちらは大丈夫でしょうが、一人は行く気がないので、浪人確定です。この前ここに書いたように、今年はセンター最後の入試で、浪人を回避しようという動きが変則的なパターンを生み出して、国立大学・学部の倍率にいつもはないようなムラができ、それが低い方にではなく、高い方に当たった生徒が多かったので心配したのですが、3倍台の生徒はほぼ合格して、浪人が決まったのは5倍を超える倍率に当たってしまった生徒です。今年、その大学のその学部は阪大から流れた層がかなりいたと見られるので、そこにこの倍率ではなおさら厳しかった。伸びしろは十分ある生徒なので、理数を強化すれば、来年はよいしらせをもらえるでしょう(ちなみに、塾生のセンター英語は、久しぶりに8割以上が半数を超えた)。

 今年は延岡高校の他に、日向高校の生徒が二人いて、MARCH狙いの子が届かず浪人になったので、浪人は計2人。推薦組(3人いた)もカウントして、現役進学率を出してみると、84.6%で、不本意進学は少ないと思われるので、僕が心配したほど悪い結果にはなりませんでした。今年は該当者が1人しかいなかったものの、塾の「旧帝大不敗神話」も守られた。夏前ぐらいまでは、「今年は3人ぐらいはいけるかな」と思っていたのですが、「センター最後の年」であるにもかかわらず、全体に今年の生徒は呑気で(キャラは面白かったのですが)、その後の伸びが今イチだったことと、センターの数学難化の影響を受けて、そうなってしまったのは塾教師としてはいくらか残念です。

 延岡高校全体を見ると、今年は広島大の合格者がとくに多かったのが特徴です。これは今年特有の「安全志向」とセンター平均点低下が関係していて、九大から流れた層がかなりいたはずです。昨日、週刊朝日の特集号を見たら、10人になっている。全部現役かどうかは知りませんが、たぶんほとんどがそうでしょう。その記事によれば、九大も7人になっている。生徒たちから聞いた話では、推薦かAOで受かっていた子が2人いて、前期一般入試の合格者は4人だったそうなので、残り1人は浪人なのでしょう。受験者はその3倍ぐらいいたらしいので、合格率はよいとは言いかねますが、人数的にはここ二、三年の不振を振り払って、元に戻ったと言えそうです。今年は、旧帝大では他に北大が一人いるという話。尚、国立医学部では地元宮崎大の地域枠の合格者が2人。

 その週刊朝日の記事では、京大、阪大、東北大に1人ずつ合格者がいましたが、現役組は残念だったという話を聞いているので、たぶん浪人なのでしょう(訂正:阪大は外国語学部に現役合格者が一人いました。失礼しました)。僕の記憶では、2013、14、15年あたりは輝かしい戦績を残していたので、それと較べると見劣りしますが、公立高校の場合、年度によって生徒の学力にかなりのムラがあって、たまたま何人かとび抜けた生徒がいると、それに引っ張られて上位層のレベルも上がるという現象が起きるので、そういうことも関係するのかなと思います。

 今は少子化で、国立大のハードルも下がっているので、地方の下位国立の場合、むろん医・獣医・歯・薬学系等を除けばの話ですが、科目数が多いのを我慢しさえすれば、センターの平均点(大体6割)以下でも入れるところはかなりあって、その意味では楽になっています。前に元塾生が就職の報告に来てくれて、研究室の先生が「学生の学力低下」をよく嘆いていたという話を聞いたことがありますが、それは熊本大学だったので、そのレベルでも今はそうなのかと少し驚いたので、それなら後は推して知るべしです。東大や京大ですら、上は前と変わらないが、下は大いに変わると言われているほどなので、全体に昔ほどではなくなっているのです。

 そうは言っても、「受かってあたりまえ」の高校入試と違って、大学入試では原則「落ちるのが多数派」なので、1・2年生は甘いことは考えない方がよいでしょう。センター(来年からは新テストですが)でトータル5割台前半も怪しいようだと、国公立で受験できるところはまずない。うちの塾で過去最低は43%で、この時は僕の「想定の範囲内」でしたが、学校の担任が県立大をそれでも受験するように言ったというので、「君の先生は小学校の算数もできない人なのかね?」と笑いました。その意味は、過去の合格最低点から逆算して、二次が小論文だけで200点の配点なのに対し、その生徒が合格するのに必要な点数は230点だったからです。どうやって満点以上を取るのか? その生徒の場合は押えにほとんど奇蹟的に(僕は本人が持ってきた本番の英語と国語の試験のチェックをしながら、その出来栄えに驚き、神に感謝を捧げたほどです)合格していたので、それでも無事に済んだのですが、でなければエラいことになっていたのです。

 延岡高校の場合には、前に学校が「国公立現役進学率が70%になった」と自慢しているという話を聞きましたが、その年はとくに推薦入学の生徒が多かったからで、たいていは6割強かなと思います。上に見たような事情で国立の敷居が下がっているとしても、これは明らかにいい方なので、最大の課題は難関大一般受験(医学部含め)の合格率が低すぎるので、これを何とかすることです。旧帝大レベルだと、それにも大学によってかなり差がありますが、センター(新テストはセンターよりは難化すると見られていますが)で8割以上を確保しておけば、後は二次勝負に持ち込める。二次の配点が高いから、その出来次第になるわけですが、こちらが弱いから成功率が低くなってしまうのでしょう。

 こういうのは、過去問を早めに見ておくことはもちろんとして、塾でも学校でもいいが、その答案の添削をしてもらって、それにどういうまずい点があるのかを指摘してもらうのが効果的かもしれません。それで、その都度修正を重ねていけば、本番の得点力はずっと上がるはずです。難関大を受けるほどの子なら自己修正能力も高いはずなので、これが一番の早道でしょう。

 あまり言う人がいませんが、模試の採点と本番の採点ではかなり違っているはずで、英語の場合だと、全体的な視点を重視する。僕はよく、「自分で読んでも意味が分からないような支離滅裂な訳文を絶対に書くな(その代わり、意味が合っていれば訳し方の幅はかなり広く認める)」とか、英作文だと、冠詞が抜けたり、綴りミスが一つ二つあったというだけならまだしも、文法的に成立しない構文を平気で作ったり、前後の文がつながらない不自然な英文を書き並べたりすると致命的で、「command(使いこなす能力)なし」と判断されてほとんど点はもらえないだろうから、そういうのだけはやめてくれと言うのですが、アルバイトを使った模試の採点だとそういうのでも部分点が結構来たりしているようなので、そこらへんの急所を押さえた指導が、たぶん不足しているのでしょう。自分で過去問だけやっても、そこに必要な修正が加わらないと、意味はあまりないわけです。元々の学力差というより、そういう視点のあるなしが大きく影響しているのではないか。そんな気がするのです。

 あとは地方の県立高校の場合、学校が忙しすぎて、それとうまく付き合わないと、自分の勉強にまで手が回らないということもあるでしょう。とくに宮崎県みたいに、朝夕課外で学校授業の拘束時間がブラック企業並の長さになっているところはそうです。逆に言うと、それでも難関大に現役合格する生徒がいるということの方が凄いかもしれない。

 来年からの新テストがどういうものになるか、数国の記述と、英語の民間試験は見送りになりましたが、英語の場合、従来の発音・アクセント、文法の単独問題は消えて、長文のみになり、併せてリスニングの配点が等価になるというので、大きく変わるのはたしかです(リスニングの高すぎる配点については、それは適切な対応と思われますが、小さくして評価すると発表している大学が多い)。僕が懸念しているのは、それで学校がそれでなくとも不満足な文法の授業をさらに減らし、生徒もそれを後追いすることになると、長文読解にしても、英作文にしても、はたまたスピーキングにしても、ちゃんとした文法理解の土台あってのものなので、英語の学力低下に拍車がかかってしまうのではないかということです。それを阻止するために塾で文法を教え直すにしても、毎日課外があって、宿題もどっさりということになると、生徒のキャパシティを超えてしまいそうだし、二次用の英語長文対策などはどのみちこちらでやらなければならないので、時間の関係でそんなにたくさんはできないということになる。英作などは今でも、センターが終わってから本格的な添削に取りかかって何とか間に合わせる感じになっているのに、週2回の受講を義務付けることにでもしないと、責任はもちかねるという状況になりそうです。

 いったいどうしたものか…。様子を見ながら、そのあたりは対応を考えるしかありません。3年生がどっと抜けて、今はたいそうヒマになっていて、コロナの影響か、新入塾の問い合わせもないし、商売上がったりなのですが、これは今のうちにそこらへんの構想を練っておけということなのかもしれません。

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祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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コメント
文章中の、地方国立は学生が学力低下傾向にあるという記述を目にいたしました。
私もこれが確かに起きてると思います、但し首都圏を除いて。
首都圏においては、逆で、受験生の合格ライン以上の受験生の高学力化(より正確に言うと、受験生の入学試験における得点能力向上)、入試の倍率の上昇が見られます。いわゆる駅弁大学と呼ばれる国立大で九大、広島、岡山、熊大と比べて環境(研究、学生教育等に関する大学内の環境)が大分落ちる大学ですら、九州四国中国の非駅弁大学系国立大(岡山、広島、九州、熊本など)よりも、入試においてより高い入試における得点能力を要求されるところもあります。入試に関する得点能力の大小は、必ずしも受験生の学力の高低を意味しないものの、二者はかなり相関傾向があります。
大学進学に関して地方から東京、首都圏に人が流れ込み、首都圏内からはよそへは人がほとんど流れ出さない状態になってるからこうなってると自分は考えております。
首都圏の国立、地方の国立大学それぞれに関するこの現象は現在進行形で起きている人の東京一極化、首都圏一極化の一端ではないでしょうか?この現象は東京、首都圏へ人が地方から吸い上げられていく人材の一極化の一端ではないしょうか?私はこの現象にたいして重大な不安、懸念、危惧を覚えています。私はこの状態が大して緩和されずに継続するといつか日本に大きな何らかの歪みが生じると思います。この現象、この人材の首都圏への流入を緩和するための何らかの変化が今の日本社会に必要とされてるのではないでしょう?
【2020/03/16 22:58】 | #- | [edit]
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