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主客二元思考の克服

2020.01.01(01:24) 678

 まずは、新年明けましておめでとうございます。

 この原稿は年をまたいで書いています。正月休みに入る前から、前にちょっとここにも書いたことのあるエイリアン本が、まだ確定ではありませんが、版権が取れれば出してもらえそうな雲行きになったので、それならと、何ヶ月かぶりに訳文をいじり直していて、本文は一通り全部終わったのですが、これは読者がちゃんと読んでくれれば、自己観や世界観に根本的な変化(いわゆるパラダイム・シフト)をひき起こしそうな、深みのあるいい本だなとあらためて思うと同時に、題材からして異様で、一般的な見地からすれば「非常識」そのものなのに、大学教授が気張って書いたものだから扱いや記述が学問的すぎて難しく感じる読者が多いだろうから、売れないだろうな(笑)という感じがして、いくらか複雑な心境になりました。

 ある程度は売れてくれないと引き受けてくれた出版社に迷惑をかけてしまうので、ほんとは笑いごとではない。訳す方としても、僕は元々売れるかどうかではなく、紹介しておくべきだと思った本をえらんで訳しているのですが、経済的な余裕があってやっているわけではないので、労力比では毎回大赤字で、こんなしんどいことはそろそろ限界だなという感じです。こんなことを言うと、「それなら初めから、そんな割に合わないことしければいいじゃないか?」と言われるかもしれません。ご尤もですが、世の中にはしておきたいと思ったことが「割に合わないこと」ばかりという人間も存在するので、口幅ったい言い方をするなら、文化というものはそういう酔狂で自己犠牲(?)を厭わぬ人間が一定数いなければ衰退するのです。

 僕の仕事の場合にはジャンルもいくらか特殊で、この前は生まれ変わりの話だったし、その前は大昔、ヨーロッパ中世のキリスト教異端宗派の話で、しかもそれが半分は「霊界通信」と来ていたから、よけい悪条件が重なったのですが、今度の場合にはエイリアンによる誘拐話(大方の人には荒唐無稽に見える)なのだから、それがますますエスカレートした感じです。どれも見た目は特殊だが、人間理解、世界理解の点で普遍的なテーマを扱っていて、ふつうの人にも「関係ないように見えて実は大いに関係がある」のですが、世間の人はそうは思ってくれないから、千部、二千部売るのも大変になってしまうわけです。

 このブログの読者には、僕が別にオカルトおたくでないのは十分おわかりでしょう。政治談議でも、教育の話でも、いくらか思想的な議論でも、そこにオカルト的な要素は入れていない。学生時代から、僕はよく仲間に「おまえの頭の中は一体どうなっているんだ?」と言われました。哲学でも、政治でも、文学でも、科学や心理学、法学部の学生だからたまにはする法律論議でも、僕はふつうに正統とされる文献を読んでいて、だからそこは問題ないのですが、一軒の建物にたとえるなら、この家には「地下室」があって、そこにはオカルト的なものがあれこれ雑然と置かれていたのです。彼らはそこが不可解だと言った。

 面白いのは、上記三冊の本の著者がすべて精神科医で、近代合理主義教育を受け、いわゆる唯物的科学思想の中で育って、その方面でも優秀で、順調なキャリアを築いてきた人たちだったことです。ところが、彼らは途中で不可解なことを言う患者に遭遇する。それで持ち前の誠実さと研究心からそれを調べてゆくうちに、そのリアリティを否定できなくなって、以前の唯物論的合理主義を放棄して、新たなパラダイムを模索しなければならなくなり、その果てに全く違う世界が見えてきたことを報告することになったのです。

 僕の場合も、家の上部構造と地下室の関係がどうなっているのか、その整理統合にはそれなりに苦労しました。今はちゃんと階段がついて、自由に上と下を行き来できるようになったのですが、それはそうかんたんなことではなかった。

 しかし、なぜオカルトが出てくるのか? occult という言葉は、神秘とか超自然と訳されますが、「隠れて見えないもの」を意味し、元々それはそこに存在していたものです。ところが、文明は特定の思考様式や見方によって自然や世界を切り取るようになって、それに適合しないものは頭から否定したり、抑圧したりするようになる。だからそれは地下に潜らざるを得なくなるのですが、文明が強要するその世界観、人間観はありのままの世界や現実とイコールではなく、一面的なものにならざるを得ないので、多かれ少なかれ無理が生じます。そしてその一面的な世界観に基づく人間の活動は全体性に立脚していないがゆえに偏頗な、破壊的なものになってしまう。内面的にも、人は内部に深刻な分裂と葛藤を抱えた存在となり、それが社会に混乱や対立を生み出すのです。

 深刻な自然破壊の問題でも、利己主義的な弱肉強食的格差社会の問題でも、機能不全に陥った学校教育の問題でも、全部このことが関係する。僕は今の文明はこのままではあと百年ももたず、いずれ悲惨なことになって、人類は破滅の坂道を転げ落ちることになるだろうという暗い見通しをもっていますが、これは対症療法的な対応では防ぐことはできず、根本の考え方、今の人間の感性のありようそのものが変わらないとどうにもならないだろうと考えています。だからこそ、一面的に否定排除してしまったもの、「隠れて見えなくなっているもの」に目を向け直して、それらを取り込んだとき、どういうふうに世界の見え方が変わるか、観念としてではなく、実感を伴うそれとして、体験する必要があるのです。

 これらの本はそうした方向へ「意識を変える」手助けになる。僕はそう思って紹介しているのですが、それでも、今回のET本など、それと何の関係があるのだと思う人がいるかもしれません。ネットには「古代の宇宙人」なんてサイトもあって、この本にも先祖が宇宙からやってきた存在だったという伝承をもつブラジルの少数民族の話がでてくるのですが、興味深いのは、そういうものとは無縁に育った、物質的科学主義の総本山のようなアメリカの一般市民たちが、エイリアンとの遭遇体験を通じて、それまでの世界観、自己観を粉砕されて、一時的に大混乱に陥るが、そこから脱け出たとき、それまでとは全く違う理解を獲得して、それが古代の神秘主義やシャーマニズム、さらには禅の悟りにも似た「覚醒」を体験することが活写されていることです。ひとくちに言えば、彼らはそれを通じて失われていた自然や宇宙とのつながり・一体感と、自己の全体性を回復する。彼らの多くが環境問題に強い関心を示すようになるのも、そのためなのです。

 先の大戦後十年目に生まれた僕自身は、ものすごい山奥に育って、同じ分校に通っている同級生の中には、まだ電気が引かれていない集落の子たちもいました。そして当時は昔の習俗がまだ色濃く残っていて、明治生まれの僕の祖母などは、旧暦(太陰暦)に基づいて一年を送っていたほどです(おばあちゃんっ子だった僕は、その祖母から昔話や不思議な話をたくさん聞かされた)。当然ながら、周囲には豊かな自然があって、子供の頃の僕の感覚では、自然と自分は別のものではなくて、自分は自然の一部だという感覚がはっきりあった(カレンダーに頼らずとも、風の匂いだけで季節の推移を的確につかむことができた)。自然の中で遊んでいると通常の自意識は消え、だからくつろげて楽しかったのですが、こういうのは少数民族の暮らしと同じで、学校という窓口を通して近代文明的なものへの適応を強いられ、無理してそれに適応して、文明的なものの考え方と合理性を身につけたのですが、違和感はずっと残って、後で考えてみると、それがさっきの「地下室」をつくらなければならない理由になったのです。

 その意味で、都会生まれの人より内面の分裂が自覚されやすかったということですが、この分裂それ自体はたぶん皆に共通するもので、それが妙な息苦しさの原因ともなれば、文明の暴走の原因ともなっているのです。従って、根本にあるその分裂に気づいて、これを修復し、全体性を取り戻さないと、文明の軌道を変えることもできない。

 その手助けになりそうなことを僕はしたいのですが、成功しているとは言いがたいので、たぶん成功しないまま死ぬことになるでしょう。何十人か、あるいは何人かでも、「あれは役に立った」と言ってくれる人がいれば、もって瞑(めい)すべしです。

 ところで、さっきネットのニュースサイトを見ていたら、面白い記事がありました。

京大総長が「ゴリラは人間より偉大」と語るワケ

「21世紀に入り、人間は五感により身体で共鳴する感性と、情報を扱う脳が分かれてしまった。もともとその2つは切り離すことができないものとして人間は機能させていたんです。でも今、身体と脳の分離が始まっています」(p.2)

「人間に残された唯一の能力は、見えないものを見る力。データにないものを考える力と言っていい。人間はその力をもっと働かせるようにならないと、データに動かされる存在になってしまう」(P.3)

「人間は環境を客観視したがゆえに、自らの手で環境をいくらでもつくり変えられると思ってしまった。それゆえに地球環境は破壊され、人間自体もその環境に侵されている。もしかすると主客を分けるという考え方は間違っていたんじゃないか。主客合一という考え方に則り、自然との調和を図るべきではないかと考えているんです」(p.5)

「人間がゴリラやチンパンジーと比べて、脳も大きくなって優秀になったと思うかどうか。僕は人間がそんなに優秀になったとは思わない。ゴリラの方が偉大だと思えることはある。人間はゴリラの住処を遠く離れて、南極や北極にも住めるようになった」
「でもそれで人間は幸福になったのかと言われれば、そんなに幸福になっていないですよ。地球の環境をダメにしてしまって、その責任を今取りきれないでいる。人間自体もそういう人為的な環境にどんどん侵されて、汚染され、いろんな薬が必要になり、どんどん精神的にも病んでいるのは、決して進化とは言えないと思いますね」
「それは、人間の身体を狩猟採集時代に置き去りにしたまま、知能部分だけを発達させてしまった結果だと思うんですね」(p.6)


 かなり適当に抜き出しましたが、これはむろん、オカルトとは関係のない議論で、問題とされているのは「AI社会における人間のありうべき姿」です。しかし、問題意識は僕のそれと多くの共通点をもっていて、AIは近現代文明の当然の帰結として生まれてきたものですが、人間の頭の働き方自体がAIに似てきている。情報化、言語化されていないものは存在を無視され、存在しないことにされ、自身のその基準を疑問視することもない(機械にはそんなことはできません)。人間の言葉というのは元々、そこに含みと奥行きがあって、本を読むのでもそれはその人と付き合うのと同じで、いい本なら「行間を読む」ことができなければ本当の理解はできないのですが、それをたんなる「情報」としてしか受け取らず、さらには独り合点でそこに我意を投影して、とやかく言うのが当然の権利のように思い込むに至ったのです。

 AIと違って人間には感情があるから、よけい始末に負えない。また、言葉や文章をたんなる情報として扱うようになるのと同時に、自然や人間を含めて、他者はすべてモノになってしまった。人間関係がうまく行かなくなったのもそのためで、「主客の分離」というのは、必然的に孤立したエゴイズムを生み出します。自分があって、その外側に自分以外のものがあるという見方、観念は、それ自体が自己の絶対視と、自己中心性を生み出すからです。そこには「感情」はあっても「情緒」はない。先日も、除夜の鐘がうるさいという苦情が増えて、それを取りやめるお寺が続出しているというニュースがありましたが、あの鐘の音というのは、虫の声や蛙の声と同じで、脳細胞を透過してゆくような不思議な心地よさをもつものですが、それは自分が周囲の自然と一体化し、それに溶け込むようなくつろいだ感性がもてる場合の話で、意識と言えば硬直した自意識しか知らないような人にとっては、それはたんなる侵害、騒音でしかないのでしょう(そういう人にかぎって、自分が立てる騒音には無神経なものですが、それも同じ自己中心性の産物です)。

 こういうのは控えめに言っても病気ですが、それがそろそろ臨界点に達しているのです。これは近代西洋文明がもたらした必然的な帰結と言えるので、「主客合一という考え方に則り、自然との調和を図るべきではないか」という山極学長の意見に僕は完全に同意します。そもそもの話、「主客合一」的な理解の中にしか、真の自己理解も、世界理解もありえない(デカルト先生のあれは、前にも一度書いたことがあるような気がするのですが、哲学的天才には似合わぬたんなる「推論のミス」でしかありません)。僕がさっき言った「全体性の回復」というのは、それを観念のレベルではなくて、感性のレベル(山極学長の言葉で言えば「身体」レベル)で取り戻すことです。これは考え方の違いというより、それが自然の中に生まれた人間の本来のありようなので、そちらが“正しい”のです。

 うまくゆけば、半年後ぐらいには出せると思うのですが、僕が今出そうとしている「エイリアン本」の結論も、まさにそういうことなのです。これを読まれて興味をお持ちになった方は、出るときにはここでも告知しますので、ぜひお買い求めになって、出版社に損をさせてしまうのではないかという僕の懸念の払拭にご協力ください。

【付記】関係ないことですが、笑えたので一言。保釈中の日産の元会長ゴーン氏が違法にレバノンに出国していて、保釈を取り消されたというニュースがありました。何でも、木箱の中に隠れて監視の目をかいくぐったのだとか。トロイの木馬ならぬ、ゴーンの木箱です。大晦日にこのニュースとは面白いので、除夜の鐘代わりに、ゴーン、と鳴ってくれたわけです。彼のやってることを見ると煩悩それ自体なので、裁判所は罰として、彼を鐘の中に入れて、108回ゴーンと鳴らしてやるといくらかそれが浄化されて、行いが改まるかもしれません。

※ 前に「拍手ボタンもないのでは読む張り合いがない」というメールをいただいたことがあったので、年が改まったところで付けることにしました。よろしくどうぞ。
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祝子川通信 Hourigawa Tsushin


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