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凛と蓮~子供の名付け方

2019.12.02(17:25) 674

 今回は“平和な”お題です。

ことしの子どもの名前1位 男の子は「蓮」 女の子は「凛」

 ことし生まれた子どもの名前で最も多かったのは、男の子が植物の「はす」を表す「蓮」(れん)、女の子は、りりしくきりっとした様子を表す「凛」(りん)だったという調査がまとまりました。

 という話なのですが、しばらく前に塾の生徒たちが「リン君が」とか「リンさんは」とか、学校の友達の話を楽しげにしているのを聞いていて、「一体、君らの学年にはリンって名前の子が何人いるわけ?」と不思議に思って訊いたことがあります。どうも四、五人いたようで、文字は全部「凛」だという。それで、うちの塾にも前にそういう名前の女の子が一人いて、可愛くて頭がよくて、読書家で、歌までプロ並にうまいというので男の子のファンがたくさんいたらしい(ストレートで国立の医学部に行ったので、そろそろ医師になった頃です)という話をしたのですが、そのうち二代目の凛さんが入塾して、この子がそのうちの一人なのかと可笑しかったのですが、上のニュースによれば、それはさらに増えて、リンリンと日本中にその名が鈴虫の声のように鳴り響くことになるわけです。

 男の子の「蓮」というのはどういう理由によるのか知りませんが、レンというのはリン同様、音の響きがいいので、なるほどという気がしないでもありません。蓮(ハス)というと、僕などは仏教を連想しますが、親御さんが将来悟りを開くのをわが子に期待してそう名付けたというわけでは、たぶんないのでしょうね。「名は体を表す」という言葉があるくらいなので、将来悟りを開いて人々を救済する子供がたくさん出てくれればいいのですが(但し、オウムみたいなカルトを作らないように)。

 名前というのはあれこれ悲喜劇を生む原因になることもあります。昔、政治家の田中角栄が「今太閤」と呼ばれ、総理大臣になった(1972年)頃(その前の幹事長時代だったという説もありますが)、ある田中さんちに男の子が生まれ、両親は勇躍、その子に「角栄」と名付けました。ところが具合の悪いことに、その後ロッキード事件が起き(1976年)、それから裁判になって、1983年に第一審判決が下り、懲役4年、追徴金5億円の実刑判決を受けるなど、彼の運命は暗転しました。あれは田中を邪魔に思ったアメリカが仕掛けた陰謀だったという説もあるぐらいで、今は角栄評価は回復しているようですが、マスコミ報道が連日続く中、少年・角栄君の運命も暗転して、「おい、ロッキード!」とか「やーい、ピーナッツ!【】」などとからかわれて、学校でいじめられるようになったのです。それで両親は家裁に改名を申請(戸籍名は勝手に変えられないので)、「角栄という名が与える精神的苦痛には忍び難いものがある」として、それが認められたのです。

【註】今の若い子にはわからないと思うので一応説明しておくと、これはロッキード事件で「賄賂を受領する際の領収書に金銭を意味する隠語として書かれていたもの」で、「100万円を1ピーナツと数えていた」(ウィキペディア)ところから、当時面白がって使われた言葉です。

 だから、いくら人気があってもうかつに政治家の名前など拝借してはいけないので、たとえば小泉さんちに男の子が生まれて、「進次郎」と名付けたとして、今はいいが、彼が将来首相になって、政治スキャンダルの主人公になるおそれなしとは言えないので、それがその子の小中学時代に重なったりすると、たいへん困ったことになるわけです。

 別に有名人とは無関係でも、名前が災いをもたらすことはある。たとえば、僕の名前は「龍一」で、子供のときから「リュウ」と呼ばれていました。その後この名前は漫画の主人公の名前に使われるなど、結構ポピュラーになりましたが、昔は、ことに田舎では珍しい部類だったので、「名前が生意気だ」という理由で、“迫害”の対象になることさえあったのです。

 今でもまだ憶えているのですが、中学に入学したての頃、休み時間に三年生のワルたちが数人、教室に「リュウって奴はどいつだ!」とドカドカ乱入してきたことがありました。名前が生意気なので、ヤキを入れてやる必要があると、彼らは考えたのです。そんな無茶苦茶な、と今の時代なら思うでしょうが、当時は思わなかったので、名前が無駄にエラそうだというのは鉄拳制裁に十分値したのです。怯えたクラスメートたちは、そっと僕の方を指さしました。彼らは机の前に座っている僕の周りを取り囲みましたが、そこにいたのはおそろしくチビで、色の青白い、やせこけたいかにもおとなしそうな一人の少年でした。じっさい、早生まれでオクテの僕は、身長はつねに前から一、二番目で、体重は、たぶん学年で一番軽かったのです。「リュウ」というエラそうな名前と、目の前にいるこの貧弱なチビとの落差は何なんだ! 彼らはあっけにとられたようにしばらく僕を見ていましたが、拍子抜けしたらしく、何もせずに帰ってゆきました。強度の赤面恐怖症の、授業のとき当てられて立って教科書を読むだけで、天井がグルグル回って倒れそうになる頼りない少年には、これは荷の重い名前だったのです(子供の頃の僕はガンジーも顔負けの非暴力主義者で、人を傷つけることを極度に恐れていたので、年下の子ですらいじめたことはありませんでした)。

 家族の間でも不評で、名前を付けたのは妙見様(古くからある北斗星信仰の一つ)を信仰している祖母でしたが、彼女はわが両親に「御大層な名前を付けるから、名前負けしてこんなアカンタレになってしまったのだ!」とつねに非難されていました。祖母はトランス状態に入った妙見様の巫女さんから、家に白龍を祀れ、というお告げを受け、この白龍さんというのがやたら気難しい神様で、注文が多く、気に入る祠が作れるまで苦労したらしいのですが、やっと納得してそこに入ってもらえて、まもなく初孫の僕が生まれたので、「これは白龍さんの申し子に違いない!」と思って、そう名付けたのです。しかし、全然そんなふうには見えなかった。孫を溺愛する祖母は固くそう信じていましたが、「これのどこが…」というふうに傍目には思われたのです。

 そのときは笑いごとではなかったのですが、今思えば滑稽なのは、その中一の頃、生徒会の役員選挙があって、各クラスで会長、書記、会計の三役の候補をそれぞれ選出してそれに臨むのですが、クラス内の投票の結果、僕は会計の候補としてそれに出なければならなくなりました。クラスの係も会計にされていたので、のちに経済観念ゼロであることが判明した少年が何で会計だったのかといえば、リーダーシップとか雄弁とか、そういうのはまるでないが、「馬鹿正直なので、あいつは絶対ズルはしない」と周囲に思い込まれていたからです。しかし、そうなると講堂兼体育館の壇上で、全校生徒を前に演説をしなければならないのです! これが当時の僕にとってどんなに恐ろしいことであったか、神のみぞ知るで、気が弱くてイヤだと言うこともできず、その日が近づくにつれてほとんど生きた心地がしなくなりました。応援演説というのもあって、それは他の子がやってくれることになっていたのですが、かんじんの候補者がほとんど死にかけているのです(当時は本物の選挙に似せて、手作りのポスター作りまで行われ、学校の廊下の壁がそれで埋まっていた)。それで立候補者演説会当日の朝になって、母親が様子がおかしいのに気づいて、おまえは原稿ぐらいは作っているのだろうなときくので、そんなものは何もないと答えると、何という情けない馬鹿だと、その場で「これを読めばいい」と原稿を書き飛ばして、僕に渡しました。僕はそれをもって行って、自分の番が来たとき、幽霊のような足取りで壇上のマイクの前に向かいましたが、そのとき初めて母が書いた原稿を見たのです。

 天井がグルグル回る中、僕は文字どおり蚊の鳴くような声でそれを機械的に読み始めましたが、恐ろしい事態が出来(しゅったい)しました。その原稿の中に読めない漢字があったのです! それは「因襲」という言葉で、どういう文脈でそんなのが出てきたのか、前後は全く記憶していませんが、とにかくそう書かれていたので、「いん…」と言ったきり、そこで立ち往生してしまって、後の記憶が全くないのです。ムニャムニャとごまかして先に進む知恵もない。たぶん、見かねた誰かが走ってきて、固まった僕をそこから連れ去ってくれたのだと思いますが、そのときですら極度の緊張で何も憶えていませんでした。僕は完全な泡沫候補で、二年生の活発な、お勉強もスポーツもよくできる女子生徒が最有力候補で、当選が確実視されていました。だからテキトーにやっとけばよかったので、そんなに緊張する必要は何もなかったのですが、子供にはそんなこともわからず、とんだ恥の上塗りをしてしまったのです。

 僕は顔面蒼白のまま帰宅すると、あんな難しい漢字、中一の子供に読めるわけがない、どうしてあんな言葉を入れたのか(後で考えても、会長候補なら「因襲の打破」を口にしても不自然ではないが、会計係との関連は不明です)、と母に抗議しましたが、アホなおまえが準備もなくオロオロしているから仕方なく書いてやったのに、文句を言うとは何事かと逆襲されてしまいました。ところが、その翌日か、何日後だったのか忘れましたが、投・開票が行われると、奇怪なことに、その最有力候補を押さえて、泡沫の一年坊主の僕が当選してしまったのです。理由は、そのあまりにも弱々しく頼りない姿が、二、三年の女子たちの母性本能を刺激して、同情票が集まってしまったためでした。それ以外の理由は考えられないので、一難去ってまた一難、人前に出るのを極度に恐れる子供が、生徒会にまで関与しなければならなくなったのです。

 その後、名前がエラそうなだけでなく、見た目も生意気そうだというので、上級生に目をつけられるようになったのは高校生になってからで、そのときは、初め寮に入っていたおかげで先輩とのつながりができて、その先輩たちが「あいつは見かけほど悪い奴じゃない」ととりなしてくれたおかげで難を免れたのですが、これが「信一」とか「良夫」だったなら、初めからそんなリスクは負わなくて済んだような気がするので、やはり虎とか竜とか、その手の名前は、喧嘩自慢の不良がウヨウヨいるところでは彼らを悪く刺激してしまうことになるので、よろしくないわけです。僕の従兄の一人は、息子に「竜次」と名付けようとして、いや、こういう名前を付けると不良化してヤクザになってしまうかもしれないと思い直して、もっと「穏やかな」名前にしたといつぞや笑いながら話していました。僕もヤクザにはならずに済みましたが、長じるにつれだんだん性格が悪くなって、「文句あるか!」みたいに居直るようになってしまい、ガンジー的な美徳も失われてしまいました。

 凛や蓮なら、そんな心配はなさそうですが、ダラーッとしていたのでは凛烈の風とは違いすぎて皮肉を言われるかもしれず、蓮も、ぼんやりしていると、おまえはハスの葉の上で昼寝しているカエルか、と言われてしまうかもしれません。「正直(まさなお)」と名付けたものの、それが汚職役人になって、偽証罪で逮捕されてしまった、なんてのも洒落にはなりませんが。

 これは昔、母から聞いた話ですが、「ホラ吹きさん」と呼ばれている人がいて、いくら何でも人をそんなふうに呼ぶのは失礼ではないかと周囲の人に言うと、いや、名前がそうなのだから仕方がないと言われてしまったそうで、その人は姓が「洞(ほら)」、名前が「吹三郎」だったというのです。たしかに、縮めると「ホラ吹き」になってしまう。ブラックジョークのつもりでそう名付けたのか、何にせよ無責任な親がいたものだと、呆れたそうです。

 前にわが子に「悪魔」と名付けた親がいるというので、それがニュースになって「ひどい親だ!」と非難される(今のようなネット社会なら、それはすさまじいものになっていたでしょう)ということがありましたが、大方の親はわが子にはよい名前を付けようと、それなりに苦心するものです。由緒のある家では昔は男の子なら父親から一字を、女の子なら母親から一字を取る、なんてことも行われた(安倍晋三は、晋太郎の息子だから晋三なのです)。

 中には「夢のお告げ」で名前が決まることもある。うちの子供の場合には、妊娠中に母親が夢で、草原かお花畑で三、四歳の可愛い女の子が遊んでいるのを見つけ、すっかり魅せられたので、近づいて名前をきくと〇〇と名乗ったというので、いくらか迷信深い彼女は「あの子がうちの子として生まれてくるのだ!」と確信し、音(オン)だけ聞くと禅語のような、少々謎めいた名前でしたが、本人がそう言ったのだから、名前はそれにしなければならないと主張しました。

 あまりにも自信たっぷりなので、僕もそうなのかもしれないと思い、二人とも生まれてくるのは女の子なのだろうと思い込みました。それでどういう漢字を当てるかを僕は考え始めましたが、途中で医者がエコーを見せながら、「ほら、オチンチンが見えるでしょ。男の子です」と言ったというので、「君の夢のお告げもあんまり当てにならないね」ということになったのですが、いや、あの子に違いない、今度は男の子になって生まれてくるのだと譲らず、幸いその名前は「凛」などと同じく男女共用で使えそうなので、そのままにして、字画の吉凶を占う本も買って吉になるよう計算しながら、漢字の組み合わせを考えたのです(律儀にもその子は、出産予定日かっきりに生まれた)。

 親子二代で変わった由来の名前をもつことになってしまったわけですが、あまり一般的でない名前の場合、由来を聞くと、本人が知らない場合もありますが、それなりにそこにはストーリーがあって面白いので、僕は時々それを失礼にならない程度にたずねることがあります。いわゆるキラキラネームの場合は、たんなる親の自己満足のように見えますが、名前はいわばその子の看板なので、子供が一生それとつきあって行くことを前提に考えなければならない。それは親たるものの務めの一つかもしれません。

 冒頭の記事の、多い名前の一覧を見てもそうですが、最近は読みがわからないものが多くなっていて、僕も生徒に入塾の際、カタカナで名前の読みも書いてもらうようになりました。たとえば、「大翔」なんてのがあったとしたら、僕はそのままダイショウと読んでしまって、「関取みたいな名前だね」と言ってしまいかねないからです。〔ヒロト、ハルト、ヤマト、ダイト、タイガ〕という読みがついていますが、そのどれも僕の頭には思い浮かばない。昔は健太とか由美子、敦とか聡美とか、無理なく読めるものが多かったのが、いつのまにそうなってしまったのかわかりませんが、逆にそういう名前の方が今は新鮮で個性的に感じられるかも知れないので、逆張りもいいかもしれない。

 但し、これも「古すぎる」とよろしくないので、最後にもう一つ笑い話をしておくと、僕の田舎に、二学年下ぐらいに名前に「松」が付く子供がいました。有名な幕末の侠客、清水次郎長の子分の「森の石松」みたいに、後ろが「松」だったのです。これはその子のおばあちゃんが命名したそうで、両親は「いくら何でも古すぎるのではないか…」と懸念を表明しました。何を言うか、とおばあちゃんは反論しました。ズボンの太さでも、スカートの丈でも、革靴の先でも、流行は循環する。今は古いと思えるかもしれないが、そのうちまた流行るようになって、いずれは最先端を行くファッショナブルな名前だとうらやましがられるようになる。自信たっぷりそう言うので、そういうものかと思ってそうしたら、全然リバイバルすることはなくて(江戸か明治で途絶えた名前なのだから、それは当然と思われますが)、その子は名前のことでからかわれるようになりました。僕の記憶の中ではそれは内気でたいへんおとなしい子だったのですが、中二の頃、それでいつものようにからかわれていて、屈辱に耐えかねたその子は相手を突き飛ばしました。彼はその頃、からだが急に大きくなっていたようですが、そしたら予期せず相手が吹っ飛んだのです。「ひょっとしたら自分は強いのかも…」と彼は思ったようで、以後、それまでの鬱憤もあってとんでもない乱暴者に変身してしまったという話で、ガラの悪い高校に入ると、そこでも暴れ回り、最後には地元のヤクザと喧嘩をして、相手を病院送りにしてしまい、退学処分を受ける羽目になった。田舎というのはテキトーというか、寛大なところがあるので、それでも農協に雇ってもらえたのですが、僕が思うに、おばあちゃんがそういう名前をつけていなければ、たぶんそういう展開にはならなかったことでしょう。

 名前を軽視するなかれ、という教訓です。

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