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「関係性」というヘンな日本語、誰が作った?

2019.11.11.16:37

 昨夜、珍しくNHK午後7時のニュースを見ました。そのニュースのメインはむろん「即位祝賀パレード」で、僕自身は皇室にはニュートラルな立場ですが、沿道の熱狂ぶりを見ながら、象徴天皇制というのはなかなかいいアイディアだなとあらためて思いました。政治的な欲にまみれた独裁者が国民に崇拝を要求するというのは、北朝鮮の例を見てもわかるように、たんなるグロテスクでしかありませんが、政治的には中立で、時の権力におもねることもなく(これは法律的に地位と生活が保障されていることが大きい)、「日本国民統合の象徴」として凛然としたたたずまいを示す人がいてくれるというのは、国民にとって精神衛生上もかなり大きなプラスの意味をもつように思われたからです。幸いにして、先代・今上天皇皇后両陛下とも、心映えすぐれたその地位にふさわしいお人柄で、軽薄のそしりを受けるような心配はない。問題は、「象徴」たるに相応しい各種制限を生活上受けることで、下々の者はさぞや窮屈なことだろうと、その点に同情するのです。

 それはともかく、そのニュースで、「何?」と思われることが一つあって、それは次のNHKのニュースサイトに出ているシーンです。

御厨貴さん「国民と両陛下の関係性縮まった」

 僕はかねてこの「関係性」という言葉を好みません。昔はこんなヘンな言葉は使わなかったので、僕はふつうの人よりは本をたくさん読んでいると思いますが、見たことがなかった。ところが最近、やたらこれが多いので、どこの馬鹿(失礼!)がこんなおかしな言葉を使い始めたのだろうと不思議に思っていました。日本語のセンスのない、高級ぶってやたら「的」だの「性」だのを付けたがる若手の社会学者あたりが使い始めて、それが広がってしまったのだろうと思っていたのですが、何のことはない、こんなじさまが使っていたのです!

「お二人の自然体の姿に国民が共感して、スマートフォンなどで撮影する様子をみて、国民と両陛下の関係性が縮まってきたと強く感じた」

 確かに、ニュースの映像でもそう言っていました。「関係性が縮まってきた」なんて、およそ日本語ではありませんが、「関係がより親密になって、距離が縮まってきた」という意味なのでしょう。それならそう言えよ。何にせよ、いい齢した東大の名誉教授がこんないい加減な言葉の使い方をしているのだから、端正な日本語が失われるのは当然です。

 ついでに、どういうふうにこれが乱用されているかというと、今日のニュースサイトに出ている記事ですが、「勝間和代さん、パートナーの増原裕子さんと関係解消を報告『好きな人が他にできたと…涙が出てきて止まりません』」という見出しのそれ(スポーツ報知)があって、何でも「同性愛婚」が破綻したそうなのですが、勝間氏のその「悲しいおしらせ」を載せたブログにも「時間がたてば関係性は良好な状態に戻ると期待をしていましたが」といった表現が出ているのです。悲しみに追い討ちをかけるようで相済まないが、何で「関係」ではなく、わざわざ「関係性」にしなければならないのか、さっぱりわからない。

 僕が想像するに、これは英語のrelation と relationship の違いを無理に作ろうとして、二流の翻訳家が「関係」と「関係性」に訳し分けたのがきっかけかもしれません。まともな英和辞典ならどちらにも「関係」という訳語が当てられているはずで、またそれでいいのですが、悪疫のようにそれが広がって「関係性が悪化した」なんて珍妙な日本語があちこちに氾濫するようになったのです。

 昔は福田恆存(英文学者・批評家)や、高橋義孝(独文学者)のような日本語にうるさい御意見番がいて、彼らがいてくれればこういう「洒落たつもりで無意味かつ下品な」日本語には鉄槌を下してくれたでしょうが、今はそういう人が誰もいないのです。

 僕が「関係性」という言葉を容認するとすれば、それは「関係の性質」と後ろの「性質」を強調したいときだけで、「その複雑な関係性を描き出す」(これは息子が書いた文章に出てきた表現)ぐらいならそう違和感はないが、これだって本当は「関係」で足りるわけです。「関係」は「関わり方(関係の性質)」の意味を含むからです。

 こういうのはひところはやったらしい、「私的(ワタシテキ)には~」なんかと似たような不細工さで、必然性のないところにやたらと「性」とか「的」とかを付けるべきではないのです。かえって意味が不明確になり、何を書いているのか、読んでいるのか、わからなくなってしまう。御厨貴・東大名誉教授の「国民と両陛下の関係性が縮まった」なんて、頭が悪いとしか思えない。雰囲気で言葉を使って、ロジックが成立していないのが自覚できていないのです。

 これは前にも書いたことがあるかどうか、僕は学生時代、刑法の教授が書いた教科書を読んでいて、「占有とは支配意志の客観化した状態である」というくだりを読んで、何じゃ、それはと笑ったことがあります。それで、こういう日本語も満足に使えないセンセの本を読むのは時間の無駄だと考えて、古本屋にそれを叩き売り、もっと頭のいい人が書いた本を買うことにしたのですが、この「支配意志の客観化」教授は学界では結構な有名人で、その後母校の総長にもなったのだから、アホだとは思われていなかったのです。

「意志(意思)」というのはもとより「主観的」なものです。それが「客観化」するというのはどういうことなのか? 何か普通人には理解不能な高度な概念のように見えるかもしれませんが、何のことはない、「第三者から見て、その人が支配の意志をもって占有していると認められる状態」のことなのです。それなら素直にそう書けよと言いたくなるので、かんたんなことを西洋語(この先生の場合はドイツ語)のど直訳調の抽象表現でもって高尚ぶりたがるのは二流学者の特徴です。

 だから、そういうのを真似てもまともな思考展開ができなくなるだけで、一向賢くはならないので、やめた方がいいのです。「関係」の何が気に食わなくてわざわざそれに「性」を付けるのか? 御厨教授のような、「関係性が縮まった」がまともな日本語だと思うような言語センスのない人が増えたからだとしか僕には思えないのですが。

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