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終末と終末感(1)

2019.11.10.13:50

 令和の新天皇パレードが行われるという日にこんなものを書くのは不謹慎だと叱られるかもしれませんが、Robert Jay Lifton の Losing Reality という予約注文をしていた本が先月やっと出て、内容が予想していたのとかなり違っており、食い足りない感じがして拍子抜けしたのですが、これはサブタイトルが On Cults, Cultism, and the Mindset of Political and Religious Zealotry となっていて、併せて訳すと『現実喪失:カルトとカルティズム、政治的及び宗教的熱狂の思考様式』ぐらいになります。

 著者(精神科医であり、全体主義の研究者でもある)は、彼を大統領にしたアメリカのトランプ現象なども、この病的なカルト的熱狂の不幸な産物だとみなしているのですが、当然ながらオウム真理教などはこうしたカルトの典型的なものとして扱われる。他はナチスに、彼がこの方面の研究をするきっかけとなった毛沢東(今では西洋のこの方面の研究者には英雄どころか、稀代のサイコパスとみなされている)を指導者とした中国共産党の「思想改造」という名の洗脳などが取り上げられている。

 しかし、僕がここで書くのはこの本の紹介ではなくて、この本の中に繰り返し出てくる apocalyptic, apocalypticism という言葉をめぐって考えたことです。前者は「黙示録的な、終末論的な」で、後者は「黙示録的世界に対する期待」であり、キリスト教の「(ヨハネ黙示録に基づく)至福一千年説」を指す場合もあると辞書には解説されています。つまりこれは、あのアポカリプス(apocalypse)、ユダヤ・キリスト教の黙示録から派生した言葉なのですが、オウムの麻原などは「ハルマゲドン(英語では Armageddon)が近い!」と言い、実際はサリンを撒いて自作自演のハルマゲドンを起こし、それで「腐敗した古い世界」を“ポア”し、自分が王として君臨する「麻原王国」を作ろうとしたのです。それは麻原とオウムの幹部たちにとっては「至福の千年王国」になるはずだった。それによって僕らは救済(salvation)されるはずだったのです。

 古代ユダヤの昔から、「世界の終わり」は繰り返し語られてきました。それは「目前に迫った」ものとみなされたので、中世ヨーロッパでも、占星術か何かで「世界の終わりの日」が特定され、キリスト教聖職者たちは「悔い改めなさい」と呼びかけて回ったのです。そのときは大洪水で世界が滅びるという話でしたが、具合の悪いことに、その日は稀に見る快晴で、大洪水の影も形もなかったとのこと。しかし、興味深いのはちょうどその頃、コペルニクスが自分の居城で『天体の回転について』というその後有名になる著作の執筆に没頭していたらしいことで、それまでの天動説がそれによってひっくり返り、中世は終わりを迎えることになったのだから、別の意味で「世界が終わる」というのは正しかったわけです。

 この場合、キリスト教の聖職者たちが「悔い改め」を呼びかけたのは、キリスト教では世界の終わりにイエス様が再臨し、よい羊と悪い羊を分けて、よい羊は救済されて、天国に行けることになっていたからです。今は戦略を変えたようですが、キリスト教のカルトの一つ、エホバの証人はかつて、この「世界の終わり」をさかんに喧伝していました。僕も十代の末頃、1970年代の前半ですが、その勧誘に遭ったことがあって、「ものみの塔」という冊子を手にもった二十代のお姉さんに、「まもなく世界が終わります。あなたも早く悔い改めて、よい羊になりなさい!」と切迫した口調で言われて驚いたことがあったからです。お姉さんの説明では、そのときイエス・キリストが再臨して、「よい羊は天国に一緒に連れて行ってもらえる」という話でした。無能な大学受験浪人の、一族のブラック・シープであり、当時すでに「悪い羊」の自覚が十分にあった僕は、「それで、悪い羊の方はどうなるんですか?」とついついよけいなことをきいてしまいました。お姉さんは春風のような明るい嬉しげな口調で、「それは当然見殺しにされます!」と答えました。

 僕に釈然としなかったのは、「悪い羊」が助かりたい一心で「よい羊」に変わったとして、それはたんなる偽装であり、その打算的な反応それ自体が「悪い羊」の証拠なのではあるまいか、ということでした。お姉さんは、しかし、そういうややこしい話は苦手だったらしく、今度「偉い人」を連れてくるから、その人にそういうことは聞くようにと言って去りました。それからしばらくたって、お姉さんは「偉い人」の三十代男性を連れてやってきましたが、僕が「素朴な疑問」に基づいて色々突っ込み過ぎたせいか、すっかり気分を害して、「改心不能の邪悪な羊」の判定を受けたらしく、それきりになってしまったのです。

 当時の日本にも「世界の終わり」が近いと信じている人たちがいたということですが、もっと一般的になったのは、あの『ノストラダムスの大予言』がベストセラーになった頃でした。その本によれば、1999年の7月に、世界は破滅することになっていたのです。それがいかに“普及”しているかを知ったのは、1990年頃、中学生相手の集団塾の校長というのをしていた頃で、僕はそこで英語と国語の授業を担当していましたが、あるとき中三用の国語のテキストに未来社会の話が出てきて、「2000年には、君らはいくつになってるのかな?」と言ったところ、妙なざわめきが教室に起き、ある男子が「センセイ、オレたちはその頃はもうみんな死んでるよ!」と叫んだのです。理由はやはりそのノストラダムスで、僕の前任者の校長(僕と同世代の三十代半ば)がその話をして、核戦争で地獄と化した有様を生々しく、詳細に物語ったというのです。彼は衛生観念の化け物みたいな人間で、チョークの粉を防ぐためにつねにマスクをしており(もちろん手袋をしないとチョークはつかまない)、管理好きの細かい人間で、だから生徒たちは校長が変わったとき、その雰囲気の変わりように驚いたようでしたが、ある日の授業をほとんどその話に費やしたというのです。なぜか楽しげな様子だったという話で、「でも、センセイ、塾の先生がふつうそんな話する?」と他の生徒が言ったので、「しないだろうね」と笑ったのですが、あれには根拠がないことを説明し、だからまだ世界は破滅せず、君らは無事に2000年を迎えられるだろうと言ったのです。

 それから阪神大震災が起き、オウム真理教事件が起きたわけですが、その次は古代マヤ予言とやらで、今度の滅亡年は2012年でした。あれについては塾でも(こちらは高校生ですが)話題になったことがあって、あれはマヤのカレンダーがそこで終わっているというのが根拠だったようですが、次の暦の周期の計算に取りかかる前に、古代マヤ国家が内紛や戦争で滅んでしまっただけの話だろうというのが僕の意見で、だからこれも心配ないと言いました。

 こういうふうに、ごく短期間を取り上げても、「世界の終わり」説は繰り返し出てきているわけです。これは心理学的な問題で、社会の閉塞感とも密接に関連すると思いますが、ここしばらくはあまりそういう話を聞かない。それがむしろ僕には不思議で、僕の見るところ、本物の「世界の終わり」は確実に近づいているように思われるのです。リアルになりすぎたから、逆にそれを口にするのを避けるようになったのか?

(用事があって出かけるので、続きは後日)

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