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熊野への旅

2011.04.08.17:51

 震災と、原発の放射能漏れ騒ぎの渦中、一日から息子を連れて紀州熊野に五泊の旅をしてきました。ずっと前から予定していたことで、観光ではなく、老いた両親に孫の顔を見せるためです(幸いに両親はどちらも元気で、背丈が父親と変わらなくなった孫の顔を久しぶりに見て、ご満悦の様子でした)。

 僕の郷里は有名な熊野本宮大社のある本宮町(合併で今は田辺市に含まれるようになった)にあります。「町」と言っても、商店街があるのはそのごく一部で、広大な面積の中、あちこちに小さな集落が点在するという土地で、中でも僕の生まれ育った三越(ミコシと読む)地区は「オク(奥)」と呼ばれていました。当時は町場ですら信号機が一つもなかったのだから、これは目クソ鼻クソを笑うの類ですが、僕ら分校出身者は本校の子供たちから「オクの子供」として微妙に“田舎者”扱いされていたのです。

 熊野古道が世界遺産に認定された関係で、今はJR紀伊田辺から「発心門行き」のバスが出ていて、今回僕はそれを利用したのですが、終点の手前の「伏拝(そのまま読めばフシオガミですが、地元ではフショガミと発音する)を少し過ぎたところで降ろしてもらい(というのは、バスの運転手さんはそのあたりまで来ると客が数人になるので、言えばどこでもバスを止めてくれるからです)、そこから新大阪で合流していた弟と三人で、実家まで歩いて帰ったのです。

 熊野古道にはその道々に「王子」というのがたくさんあります。バスの終点の「発心門(これもホッシンモンが地元ではホシンボと訛る)王子」の次が「水呑(ミズノミ)王子」で、これは道路を迂回するかたちで「伏拝王子」とつながっているのですが、この「水呑王子」はとうに廃校になったわが母校、「三里小学校・三越分校(別名「水呑分校」)」の敷地内にありました。見に行かなかったので今もあるかどうかわかりませんが、そのそばにある木造の廃屋が、かつての三越分校の校舎なのです。かつては小学三年までそこに通い、それぐらいになれば長距離を歩く体力も十分だろうということで、四年から本校に移ることになっていたのです。

 僕の家はそこから山を下ったところにある、熊野川の支流である三越川をはさんだ向かいの山の斜面にあります。だから通学というより、毎日登山していたようなものですが、道ノ川という、もっとずっと遠くから通っている子供たちもいて、本校まで通うとなるとさらに長距離を歩くことになるので、自然に長距離走が強くなって、中学の駅伝の選手などはたいてい三越分校出身者で占められていました。期せずして心臓と持久力が鍛えられたのです。お勉強の方も、割とよくできる子が多かったので、人数は少ないがなかなかの“名門”だったと言えるだろうと思います(大の勉強嫌いだった僕は、優秀の部類には入りませんでしたが)。

 その背後にはその名も「果無(はてなし)山脈」という、奈良県と和歌山県にまたがる山脈が両手を差し伸べるようなかたちで聳えていて、子供の頃、よく夏や冬にその山頂まで何時間もかけて登ったものです。南紀は僕が今住んでいる宮崎県なんかと同じで暖かいところですが、冬場だと、山頂近くになると腰のあたりまでつかるほどの雪があって、それが楽しみだったのです。「ブナの平」と呼ばれるブナの群生地がそこにはあって、そこでひとしきり遊んでから帰ってきたものです。今もいるかどうかは知りませんが、かつてそのあたりにはツキノワグマがいました。残念なことに、僕は一度も出くわしたことはありませんが、植林もさすがにそのあたりまでは進まなかったので、今でもまだいるのだろうと思います。昔はこの果無山脈からオオカミの遠吠えがよく聞こえたという話で、犬の伝染病が移って絶滅してしまったそうですが、最も遅くまでニホンオオカミが生息していたと言われる場所の一つなのです。

 どんな山奥か、と思われるでしょうが、じっさい山奥なのです。母親と電話で話をしていると、動物たちが田畑を荒らして困る、という話によくなるのですが、それもサル、シカ、イノシシ、タヌキ、アナグマ、イタチ、野ウサギ、キツネと、いそうなものは全部出てきて、最近は、かつては奥山の崖っぷちにしかいなかったカモシカまで近くに住み着くようになって、閉口しているという話です。大胆不敵にも、庭に続く石段をのぼってきて、人間と鉢合わせすることさえあるという。一体、誰のために田畑を作っているかわからないわけで、「それじゃ、野生動物のためにボランティアで食事をつくってあげてるのと同じだね」と笑うのですが、いっそ餌付けをして、「熊野自然動物公園」として、観光の目玉にしたらどうかと思うほどです。

 僕が驚いたのは、ちょうどその季節だからと採るのを楽しみにしていた野生のイタドリやウドが、どこを探しても全く見当たらなかったことです。増えすぎたシカが、芽を食い尽くしてしまうからだという。人間のように残すということを知らないから、食べ尽くして、二度とはえなくなってしまうのです。今の季節なら草もかなり茂っているはずが、どこも芝生状になっているのは、大量のシカがそこらじゅうの木の芽草の芽を片っ端から食べてしまうからです。カモシカ(これはウシ科の動物ですが)が里にまで下りてきたというのも、食性の似たシカに縄張りを奪われ、追い払われてしまったからでしょう。原生林の減少のせいだけではない。野生動物の保護というのは難しいもので、特定の種だけが増えすぎると生態系の破壊につながる。駄洒落になりますが、シカるべき措置を取らないとシカたのないことになっているのです。

 …とまあ、僕の田舎はそんなところなのですが、観光客ではないので、本宮大社は素通りして、先祖のお墓と、実家に隣接する氏神様(このあたりは全部龍神で、龍神にも色々種類があるようですが、ここは白龍さんです)にお参りして、帰ってきました。熊野は「日本三大霊場の一つ」なので、土地が持つ「波動」なるもののおかげか、たんにそれが自分の生まれ育った土地だからなのか知りませんが、“完全充電”されたという感じで、元々どこも悪くはなかったのですが、こんなに違うものかと自分でも驚くほど、体調はよくなりました。

 震災と、いつまで続くとも知れない原発事故の後始末を思うと、いくらか憂鬱になりますが、「おまえはおまえでやるべきことをやれ」と言われたような気がするので、まずは今年予定していたことから順々に片付けていこうと思っています。

【帰りに空港のターミナルで『週刊現代』の四月十六日号を買って読みましたが、今週号もまた読み応えのある内容でした。こういう報道を続けてもらいたいものです。】
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