FC2ブログ

日本と韓国の「社会的公平度」の違い

2019.09.16.00:57

 ハンギョレ日本語版に珍しく「まともな」記事が出ていました。たしかハンギョレは、チョ・グク氏の法相任命に反対する声に対して、「感情論」だと非難していたはずです。文政権の御用新聞としては当然の反応ながら、ダブル・スタンダードだと批判されていて、おそらく韓国内でも非難の声が大きかったのでしょう。それでこれではまずいと方向転換したのか、それとも同じハンギョレでも、若手記者には反発があって、それでこんな記事を書いたのか、そのあたりはよくわかりませんが、これは熟読に値する気合の入った記事です。

若者たちがチョ・グクをめぐる議論に憤慨した理由とは

 この記事が焦点を当てているのは、次の点です。

 多くの疑惑の中で、何よりも若者たちが挫折感を覚えたのは、チョ長官の娘をめぐる「入試特恵」の論議だった。チョ長官一家が社会的地位と“コネ”を利用して、娘の高校と大学時代に“スペック”(進学や就職などで重視される能力や経歴、保有している資格のこと)を身につけ、これを大学進学と医学専門大学院入学に活用したというのが論争の主な内容だった。このようなスペックを身につけられる環境が整っていない若者たちの怒りと挫折、剥奪感が特に大きかった。

 僕はこの問題を、「昔の両班政治と同じ」韓国社会の前近代性を示すものだと前に書きました。チョ・グク氏の不正というのは、「違法」かどうかではない、両班=特権階級がその地位・身分を利用して不正に蓄財したり、わが子を特別扱いさせてきたりしてきたことで、それが「合法的にできる」社会システムそれ自体が問題なのです。李氏朝鮮時代の悪弊がそのまま続いている。「積弊清算」を表看板にする文在寅がその「旧悪」の甘い汁を吸っていた男を法相にするというのはブラックジョーク以外の何ものでもありませんが、その皮肉をいっそう強烈なものにしているのは、この法相候補者は表向き、そうした不正な社会システムを批判して「改革」を叫び、人気を博していたことで、表向き言ってることと、自分が私生活でやってることが違い過ぎる、並外れた偽善者であったことです。

 しかも、ハンギョレ自身がその一部だったのですが、同じ左翼の「両班仲間」がこれを必死に擁護した。同じ穴のムジナだから当然と言えば当然ですが、そのことも韓国の若者たちを絶望的な気分にさせたのです。

「陣営の論理」にはまった86世代の単線的思考が、対立の溝をさらに深めているという指摘もある。ザ・モアのユン・テゴン政治分析室長は「入試問題をめぐり、チョ・グク個人の道徳性の問題と共に、進歩エリートらの二面性など複合的な争点があるのに、86世代は陣営の論理にこだわり、『どうしてチョ・グクを守るべきか』という質問に『自由韓国党が悪いから』と答える」とし、「申し訳ないと謝罪するのではなく、居直ってむしろ若者を戒め、声を荒げる彼らの態度が、若者の怒りを誘った」と指摘した。

 記事の最後はそう締めくくられていますが、「陣営の論理」も両班政治時代の「同族意識」の遺物なら、「進歩的エリートの二面性」もそうなので、彼らはかつて、同じ伝で朝鮮国家の崩壊を先導したのです。昔と何も変わっていない。空理空論をもてあそぶ彼らはむやみと気位だけは高く、その間、庶民はひどい貧しさの中に放置されたのです(そのためロクなインフラもなく、近代的な産業も育っていなかったので、日本占領時代にその整備が進められたというのは必ずしもネトウヨ史観の捏造ではなく、事実そうだったのです)。

 日本でも今は格差が拡大して、「階級化」が進行しつつあると言われますが、就職などでは権力者や有名人の場合、「親のコネ」は大いにモノを言うものの、少なくとも大学入試レベルでそれがまかり通っているということはない。そういう事例が発覚すれば、それはその権力者、有名人の命取りになるからです。就職の場合も、一部でコネはあるとしても、それがないと有名企業には就職できないという事実はない。「学歴フィルター」という言葉があるように、どこの大学の学生かで差別されることはあるが、どの大学に入れるかは本人の努力と学力次第なので、家柄は関係ないのです。

 ただ、こういうことはある。特定の高校による「寡占化」が進んでいる東大にとくにそれが顕著ですが、高校別ランキングでトップ10に入っているのはすべて中高一貫の私立(国立の筑駒含む)だということで、彼らは中学受験をした子たちで、中学受験にはカネも手間もかかるから、それは「意識の高い」富裕層の子供が大部分で、かなり早い段階から「庶民の世界」からは切り離された環境で教育を受けることになり、それが独善的な「階級」意識の強化につながりかねないということです。

 それで、東大では出身校がどこかも重視される。たとえば、サークルなどの自己紹介では、出身高校も名乗ることになっていて、「○○高校」と言うと、それが大量に合格者を出している有名校の場合、おーっという声が上がったりする。合格者10人程度の「マイナー」な高校の場合、それでも地方などではそれは大変な名門校なのですが、「肩身が狭い」のです。今どきの若者らしい軽薄さだと言ってしまえばそれまでですが、笑い話のようなそういう話を、僕は実際に聞いたことがあります。

 そうして育ったおかしな「階級意識」がこの先日本社会にとっての大きなマイナス要因になるのではないかと僕はいくらか懸念していますが、それでも入試自体は公正に行われているので、どこかの山奥や離島の高校出身者でも、実力さえあれば入れるのです。

 推薦入試が、韓国の上のような事件ではしばしば問題になり、韓国ではそれは「随時募集」と呼ばれているそうですが、僕に意外だったのは、ペーパーテスト一本の日本のいわゆる一般入試より、そちらの推薦入試で入る生徒の方がずっと多いという話です(2017年の韓国の新聞の別のある記事では、「ソウル大は来年度の新入生の78.5%を随時募集で選ぶ」とあるほど)。そしてこれが前近代的な韓国の情実社会では、「金の箸とスプーン(富裕層)」の子供の入学に有利に働いているとされ、今回もそれが問題になったのです。

 日本でも推薦枠は拡大しつつあります。国立大協会は全体で推薦入学者の割合を30%にまで上げる方針だと言うし、私立では一般入試による入学者より推薦組の方が多くなっている大学はいくらもある。代表格の早慶ですら、一般入試組はすでに5割台にまで下がっているので、早稲田は何年か前、「推薦入学者を段階的に6割にまで引き上げる」と総長が発表して騒ぎになったほどです(きれいごとはともかく、少子化が進む今、昔のような一般入試中心の募集だと定員枠が大きすぎて偏差値が暴落してしまうので、推薦を増やしてその分一般枠を削ることで、それを防ごうとしているのでしょう)。

 日本の場合、これが親の社会的地位や権力・財力による不公平な入試差別につながることはあまりないだろうと思いますが、選考基準が不明確なことはたしかで、実際なぜこの子は受かってこの子は落ちたのか、推薦入試では疑問に思うことは少なくないのです。よく「美人は受かりやすい」と言われ、前に塾のある生徒が、その高校からではまず受からないと言われている国立難関大にAO推薦で合格した生徒について、「あの先輩の場合はぜったい顔ですよ!」というのを聞いて笑ったことがあるのですが、逆に看護など教員に女性が多い学科では、面接のおばさん教員がその美貌に嫉妬して落とす、なんてこともありうるわけです。面接官が三人で、両側のオジサン教員がうっとりしているのを見るとなおさら腹が立つ。それであんな生徒は駄目ですと、よけいに難癖つけるわけです。

 これは半ば冗談なので、そんなことはない、もっと厳正にやっていますと大学は言うでしょうが、とにかくその基準はかなり曖昧で、学力も関係なさそうなことが多いので、参考の一つにされる内申書も、昔のような相対評価ではなく絶対評価なので、先生に気に入られる生徒で、提出物などちゃんと出してさえいれば、定期試験はたいてい範囲の暗記試験なので、高得点を取ることは難しくなく、かなりかんたんに5が取れるのです。だから評定平均4.8なんてのはザラにいるので、逆に4以下の生徒を探す方が難しいほどです。大学に提出する志望理由書の類も、本人が書いていると思ったら大間違いだったりするので、僕もそれを代作したことが何度もあります。添削を頼まれて、あまりに下手だと、君が売りにできるのは何なのと、あらためて聞き取りをやって、話に少し潤色して、それらしい「生徒文体」でまるごと書き換えてしまうのです。それがどの程度奏功したかは知りませんが、成功率は高い(しかし、その推薦に小論文試験があると、見比べられるから、バレてしまうでしょう)。面接も、型にはめるだけの学校の「指導」に盲従したのでは駄目だから、こういうふうに対応すればうまく行くだろうと教えることがある。

 一番かたいのは私立の指定校推薦です。これは校内選考さえ通れば、ほぼ100%合格するからです。生徒の側からすれば、これは最もおいしいシステムなので、一般入試ではほぼ絶対に受からない大学に進学できる。推薦入試というのはそもそも、東大・京大の厳格な条件のそれを除けば、国立であれ私立であれ、実力では無理な大学に入る最も強力な手段なのですが、指定校の場合にはこれに「確実性」が加わるのです。

 稀には、この子は一般受験でも十分通るだろうなという生徒もいますが、それは例外なので、ふつうは一般入試では無理そうな大学に入るために推薦を受けるのです。塾教師としては、生徒を大学に合格させるのが目的なので、実力より下の大学に推薦で入りたいというのには反対するが、そうでなければ積極的に支援する。自分の子供にだけは、「受験は一般入試のガチンコ勝負一本で行け」と初めから言っていましたが、これは僕の個人的な好みで、よそ様の子供はいいが、通過儀礼の一つとして、わが子にだけは正面突破してもらいたかったのです。チョ・グク氏とは、そのあたり考えが反対だったわけです。

 推薦といっても、AO入試などにはかなりハードルが高いものもあるわけですが、全体として見ればそれは「楽な方法」で、悪く言えば「ズル」なわけです。しかし、韓国のように、そこに親のコネがからんでくることは、絶対にないとは言えないが、可能性としては非常に低い。その意味では「平等で公平」なシステム運用が行われていると言えます(ちなみに、僕は無考えな推薦枠の拡大には反対です。従来のペーパーテストは「知識偏重」だと言うが、それはそれしかやっていないガリ勉受験生にあてはまるだけで、推薦組が彼らより「知識」以外の面を豊かにもっているかどうかは甚だ疑問だからです)。

 韓国では、しかし、それが「社会制度的な不正」の温床になっていて、「リベラルで民主的」を自任するおっさん世代が、自らそれをわが子のために悪用していることに若者たちは怒っているわけです。そういう連中に「社会改革」なんてできるわけがないと。

 それは正しいと僕には思われますが、日本はずっとマシだとは言えないところもある。それは次のような箇所です。

 専門家らは、チョ長官をめぐる議論で若者たち感じた“失望感”が大きいと分析する。イ・テククァン慶煕大学教授(グローバルコミュニケーション学部)は、「ソウル大学生はソウル大学生同士では平等でなければならず、高麗大学生は高麗大学生同士では平等でなければならないが、ソウル大学や高麗大学の学生たちと地方大学の学生たちが平等である必要はないと考える世の中を作ったのは86世代」だとし、「重要なのは、そのような86世代に、特権を捨てて現場に入り、民衆と共に歩むという精神がもはやないということが暴露された点だ。86世代は、選挙工学的な計算を立てているだけで、過去の大義は振り返らない」と指摘した。政治コンサルタントのパク・ソンミン氏は「どの時代でも50代は社会の最上層を構成し、既得権を持つことになるが、86世代は既得権に加え、20代から互いに築いてきた人的ネットワークで強力かつ緻密に結ばれている。しかも、政治にも長けた世代」だとし、「若者たちは進歩か保守かではなく、エリート層の既得権争いと見ているが、50代は互いに相手がより大きな悪だと主張している。若い世代を無視し、啓蒙しようとする行動が、若年層の怒りを増幅させた」と分析した。

 この何度も出てくる「86世代」というのは、記事の途中に説明が入っているように、「80年代に大学生で、民主化宣言まで学生運動に参加していた現在の50代」のことですが、文政権はメンバーがそれで構成されているわけです。僕は彼らのイデオロギー的偏向ぶりからして、「日本で言えば左翼過激派の革マルか中核派みたいなもの」だと言っているのですが、それが民主化の流れの中、ここ何十年かの韓国社会では重んじられ、そのまま社会に食い込んだ。そして既得権への貪欲さでは保守派と何ら違いはなく、「うまい汁を吸う」ことを何ら恥としなくなったのです。

 それはともかく、ここで興味深いのは、「ソウル大学生はソウル大学生同士では平等でなければならず、高麗大学生は高麗大学生同士では平等でなければならないが、ソウル大学や高麗大学の学生たちと地方大学の学生たちが平等である必要はないと考える世の中を作ったのは86世代」「重要なのは、そのような86世代に、特権を捨てて現場に入り、民衆と共に歩むという精神がもはやないということが暴露された点だ。86世代は、選挙工学的な計算を立てているだけで、過去の大義は振り返らない」といった記述です。要するに、彼らは出身大学による「特権階級意識」をもち、新たな「両班階級」を作ったのです。

 日本でも、ネットのいわゆる「学歴板」などには、「東大と慶応だけが一流、他は三流」なんて得意げに書き込みをしている低能がたまにいますが、先にも見たように、子供の頃からお受験で庶民から隔絶されたいわゆる「ハイスペック」の私立に入り、そのある意味特殊な環境から有名難関大に進学し、卒業後もその人脈を維持して「階級」を形成するようになると、彼らはその仲間内の利益しか考えないようになる可能性はあります。彼らは「弱きを助け、強きを挫く」のではなく、「強きを助け、弱きを挫く」悪い意味でのエリート層になるのです。それでは韓国の「両班社会」ぶりを嗤えなくなる。

 今となっては笑い話ですが、僕が大学生の頃はまだ「組織の歯車」という言葉が生きていて、大企業に就職が決まった奴が、「自分は内部から改革する」なんて、こちらが何も言ってないのに言い訳したりするなんてことがありましたが、それは「体制の軍門に降る」ことを恥ずべきことだとするような心理がまだどこかにあったからでしょう。学生運動の後の世代で、左翼的な政治革命幻想は消えていましたが、「この腐敗した社会」を変えねばならないという誇大妄想的な自負心は心の中に残っていることが多かったのです。しかし、韓国の「86世代」と同じで、当時の仲間は皆出世して、既得権益層になってしまった。その前の左翼学生運動世代にしてからがそうだったのです。そしてその子供の世代には、おそらくそうしたどこか屈折した心情や違和感自体がない。そうではないかと思うのです。

 韓国のような前近代的なひどいコネ社会でない点はマシだが、社会正義や変革への意欲が乏しい点では似たようなものだということで、若い世代にそれがなおさら顕著だとすれば、大学生が抗議のろうそくデモをしている韓国の方がまだ健全だということになりかねない。彼らのそれが日本社会よりずっとひどい社会の後進性に対する抗議だという点は割引する必要があるでしょうが、意識が極度に内向きになって、椅子取りゲームで自分が座る席を血眼になって探し、いい席がとれた者を羨ましがるだけというのでは、今後の日本は尻すぼみになるだけではないかと懸念されるのです。

 要するに、お粗末な文政権の韓国よりはまだマシだが、日本も未来を楽観できそうな状態にはないということです。そうなってしまったのも、親世代の偽善(これまた韓国ほどには露骨でないかもしれませんが)のせいなので、若い世代は自分の利己心に“正直”になっているだけなのだと、言えば言えるかもしれません。何にせよ、若者、とくにエリートと見なされる若者が、特別扱いを要求するつまらないプライドのみあって、高い志はなく、社会に後ろ向きに適応しようとするだけの国になったのでは、明るい未来はない。いや、自分はそうでないとこれに反論してくるような若者がたくさんいてくれれば、嬉しいのですが。

スポンサーサイト



comment

Secret

プロフィール

大野龍一

Author:大野龍一

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR