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正義の普遍性

2019.07.08.14:19

 この問題について論じるとなると、本一冊分のスペースが必要となりますが、ここは日韓のゴタゴタとからめて論じたいと思います。偏りや、不十分なところがあるのはそのためだとご理解ください。

 正義や悪は相対的な概念であって、絶対的なものなど何も存在しないという価値相対主義者の議論があります。その見地からすれば、今の韓国と日本の「醜い争い」は、双方が好都合な「正義」を主張しているだけで、「どっちもどっち」だということになるわけです。

 この問題に関しては、価値相対主義的な議論はかなりの説得力をもつ。国家間の政治的な対立は大方この類だと言ってよいので、それというのもそれぞれが「国益」に基づいて自分に好都合な「正義」を主張するからです。アメリカ・ファーストを唱えるトランプなど、自国の利益になりさえすればそれが「正義」なのだということで、その「正義」に「普遍性」の“外見”をまとわせることができるかどうかを気にかけたオバマのような中途半端な偽善者と較べるとずっと明快です。

 今の韓国政府の対応が僕の癇に障る最大の理由は、実はそこにあって、たとえば中国政府の場合だと、そのプロパガンダに踊らされる一部の無邪気な国民と違って、政府要人たちは自分たちの主張が「普遍的な正義」にかなうものだとは思っていません。あの目も当てられない「チベット侵略」でもそうですが、あれはまずかったと内心思っているから、あれほどダライ・ラマを警戒するのです。国内の民主化運動家に対する弾圧にしても、それが「普遍的な正義」にかなったことだとは、彼らは思っていない。共産党一党独裁を揺るがすものは全部潰して排除するということで、それらは多分に「戦略」的なものです。

 だからといって彼らがやっていることが許されるとは僕は毛頭思いませんが、彼らは自分の「正義」が相対的なものであることは自覚した上でそれをやっているように見える。韓国の場合はそこが違うので、文在寅の場合、とくにそれが顕著ですが、自分の頭の中にある主観的な価値判断がそのまま「絶対的正義」なのです。それが現実と衝突して様々なトラブルを引き起こすと、その現実を否定してそ知らぬ顔を決め込むか、相手を一方的に非難するかのどちらかになってしまう。

 たとえば、日本とは無関係な彼の国内経済政策にしても、彼が公約に掲げていた「所得主導成長」政策なるものはものの見事に失敗しました。最低賃金を上げて購買力を強化すれば、経済が活性化するというのは経済学理論の一つですが、経営体力の乏しい中小零細企業や自営業者は人件費増大の圧迫に耐えられないから、潰れたり、雇う人間を減らしたりして、雇用が逆に縮小する結果を生んだのです。労働分配率の低下は世界的な現象で、それがよろしくないというのは尤もですが、韓国の場合、「労働貴族」と呼ばれる大手労組があって、賃上げ・待遇改善のストや闘争を繰り返し(それも彼らにとっては「正義」なので)、その賃金や福利厚生のレベルは国際的に見ても高すぎると言われていますが、それは皮肉にも彼が同じように公約に掲げた「優遇政策をやめる」はずの財閥企業の労働者が多く加入する(教職員や公務員も含まれる)労組です。それが韓国の極端な経済格差を生み出す原因の一つになっているとされるのですが、財閥企業頼みの経済構造になっているのをそうかんたんに変えることはできないし、だいいちそうすれば、大手労組員の賃金が下がることにもなる。それでは反発必至で、政権が倒れるから、そちらはほっといて、中小零細だけが割を食う最低時給のみ上げて、事態を一層悪化させる結果となったのです(批判をよそに「大成功」と自画自賛にこれ努めているのは笑えますが、内心まずいことになったと思っているので、公務員を増やすことにしたが、それは「雇用指標だけ改善される粉飾雇用」〔韓国・中央日報〕にすぎず、財政を悪化させるだけで、何の解決にもなっていないのです)。

 こういうのを見ると、韓国という国は李氏朝鮮時代の「両班政治」から何ら変わっていないという気がします。国家の危機と民衆の苦難をよそに、重臣たちは派閥争いに明け暮れ、御大層な大義名分を振りかざして自己集団の利益を追求する。そして「王」は気位だけは高いが、申し分なく無能で無責任なのです。朝鮮日報は文在寅を高宗にたとえるコラムを掲載していましたが、なぜかそれはもう消されているので、「高宗に問うべき三つの罪」と題された同じ朝鮮日報の別の記事を引用しておきます。

 現在徳寿宮には、1905年9月に朝鮮を訪れた米国の高官級使節団に贈った高宗の写真が展示されている。11月に開幕した国立現代美術館の「大韓帝国の美術」展のため、113年ぶりに韓国へ戻ってきた遺物だ。高宗は黄竜袍(ほう)を着て紫の翼善冠をかぶり、皇帝の服装をしている。大韓帝国の皇室写真家だった金圭鎮(キム・ギュジン)が撮影したこの写真は、米国大統領セオドア・ルーズベルトの末娘アリスと共にやって来た実業家エドワード・ハリマンが米国ニューアーク博物館に寄贈したものを、今回借り受けた。高宗は当時、日露戦争の講和を仲介した米国の支援を期待し、21歳のアリス一行を極めて厚くもてなした。盛大な昼食会を開き、皇室の輿(こし)に乗せて案内した。アリス一行が朝鮮を離れる際には、高級なシナノキの箱に収めた写真を贈った。皇帝が治める独立国・大韓帝国を記憶してほしいという趣旨だった。
 だがアリスは冷静だった。「皇帝らしい存在感はほとんどなく、哀れで、鈍感な様子だった」。アリスの評価は、大韓帝国に向けられた外部の見方を率直に示すものだ。高宗が「米国の姫」にすがったその時、ゲームはすでに終わっていた。俄館播遷(露館播遷〈はせん〉=高宗が1896-97年にロシア公使館へ居を移して執政したこと)後に高宗が展開した親ロ政策は、英国・米国など大西洋勢力の警戒心を呼び起こした。この枠組みに乗った日本は、1902年に日英同盟を結び、日露戦争勝利の布石を打った。アリス訪韓の2週間前、ルーズベルト大統領が仲介したポーツマス条約が締結された。日本の韓半島(朝鮮半島)支配を認める条約だった。ルーズベルト大統領は「日本が大韓帝国を取ることを望む」と手紙にしたためるほど、大韓帝国を信用していなかった。高宗は、そんなことも知らずにルーズベルトの娘のスカートをつかんですがり付くほど国際情勢に疎かった。
 高宗は、日清戦争時は米国公使館、日露戦争時はフランス公使館へ避難しようとした。1884年の甲申政変の時は清の軍隊に救出され、1895年の明成皇后(閔妃〈びんひ〉)暗殺事件の後は「俄館播遷」でロシア公使館へと逃亡した。日露戦争直前には、中国の青島かロシアのウラジオストクに亡命するといううわさも流れた。何かあれば外国公使館への避難・亡命説が出回る国家指導者を、どこの国がきちんと認めてくれるだろうか。
 高宗は、国を生かせるチャンスを幾度も逃した。高宗の在位44年間は、韓中日3カ国が生存のため必死に近代化競争を繰り広げていた時代だった。だが、国家改革を急ぐよりも君主の威信を高めることに予算を注ぎこみ、甲申政変や東学革命(甲午農民戦争、1894)といった山場を迎えるたびに外国軍を引き入れた。日露戦争時は中立国宣言で危機をやり過ごそうとした。だが日本軍が進駐して紙切れと化した。自らを守る能力がない大韓帝国の中立国宣言は、世界の笑いものにしかならなかった。
 高宗が国力を結集して憲法と議会、近代的司法システムを整備し、国の存立を賭けて近代文明国へと転換していたなら、あれほど無力に植民地へと転落はしなかっただろう。だが高宗は、国家改造のため互いに手を携えるべき友好勢力の独立協会・万民共同会を弾圧した。下からの改革要求が君主権を侵害すると判断したからだ。皆が力を合わせても手に余る時期に、高宗は徹底して「味方と敵」を分ける陣営政治の先頭に立った。
 高宗が各国へ密使を送り、日本による主権侵害を暴露する秘密外交を展開したのは事実だ。だが、それだけだった。弱肉強食の時代に、無力な国を助けてくれる善意の隣人はいなかった。このところドラマや映画、展示などで見られる、高宗に「改革」「抗日」の色付けをして再評価する熱気は、事実を誤解させる危険性が高い。よその国の公使館に逃げていった道を、近代国家を夢見た「高宗の道」と美化しても、亡国へと導いた罪は軽くならない。日本による35年間の支配を呼んだ第1次の責任は、高宗に問うほかない〔金基哲(キム・ギチョル)論説委員 2019/02/06〕。


 辛辣だが冷静なこういう文章を書ける人がいるというのが、今の韓国にとっての最大の「希望」でしょう。国内的には民衆弾圧を繰り返し(その際も苦しくなると後先のことは考えず安易に外国の軍隊に頼る)、「事大主義」という名の節操のない右顧左眄の中で国際情勢をいっそう不安定化させ(日清、日露戦争が朝鮮がらみなのは周知のとおり)、外部的な信用を完全に失って、日本の植民地になるのを余儀なくされた、というのが真相なのです。困ったことになるとわが身大事ですぐ他国の公使館に逃げ込む(文在寅も、長女一家が「東南アジアに移住」したことが発覚してあちらでは騒ぎになったようですが)ような無責任な王の支配が続いていれば朝鮮民族がハッピーになれたかどうか、それは大いに疑わしいのです。

 それが外国の軍隊を使ったものであれ、当時の相次ぐ民衆弾圧の主体となっていたのは朝鮮の国家権力それ自身なのです。それがその後の日本支配下での「弾圧」よりマシなものであったとは言えないのは、資料を調べてみればすぐわかることでしょう。中国に侵略されて崩壊した「平和な仏教国」チベットとは事情が大きく異なる。ありていに言えば、当時の朝鮮国家は「最低のエスタブリッシュメント」によって運営されており、重税と賄賂が横行する中、庶民は困窮の極致にあったのです。

 ところが、上の朝鮮日報の記事にもあるように、「高宗に『改革』『抗日』の色付けをして再評価」し、「よその国の公使館に逃げていった道を、近代国家を夢見た『高宗の道』と美化」するようなことが平然と行われ、その分、日本は“悪の権化”の色彩をいっそう強くすることになっているのです。それが韓国の反日愛国市民団体の「正義」であり、文在寅の「正義」でもあるわけで、徴用工の場合でも、慰安婦の問題でも、日本の「極悪さ」が際立つようなストーリー作成が行われる。その後も日本は「無反省」(そうでないと困る)なので、過去の賠償や経済協力、謝罪の事実は可能な限り低く見積もられて、この「歴史ファンタジー」をこわすような異論は受け付けられなくなっているのです。

 それは「歴史認識の変化」という言葉で説明がつくようなものではない。「素晴らしい日本民族」のイメージに合わない歴史記述はすべて「自虐史観」だとするネトウヨ史観の上を行く「歴史修正主義」で、彼らは安倍政権の「歴史修正主義」を非難しますが、自分たちのそれがおよそ当を失したものであるという自覚はないのです。日本による朝鮮統治が申し分なく素晴らしい、思いやりに満ちたものであったとか、南京大虐殺は完全な作り話だとかいう珍説は、幸いに今の日本では優勢な「歴史認識」にはなっていませんが、韓国の場合はそうではなくなっているのです。若者は日本に好印象をもつ者が増えつつあると言っても、それは彼らが歴史的なことにはたんに無知・無関心だからで、アテにできる性質のものではない。

 日韓請求権協定でも、慰安婦合意でも、それは両国政府の「妥協の産物」です。それはわかりきった話なので、それぞれが国内的な反対世論を押えて歩み寄り、妥結にこぎつけたもので、だからこそそれには価値があるのです。しかし、文在寅的「正義」からすれば、だから悪いのです。「それでは世論が納得しない」と彼は言いますが、相手国にも世論があって、日本の政治家は当然ながらそれに配慮せざるを得ない。しかし、自分の「正義」からすれば、日本国内の世論は「間違い」なので、そんなものを顧慮する必要はないと彼は思っているのです。そして日本政府がこちらの主張の言いなりにならないと「正義は行われたことにならない」と考える。

「反日」で有名な政府寄りのハンギョレ新聞は、「日本の報復が『韓国政府の責任』というとんでもない主張」と題した社説(7.5)でこう述べています。

 強制徴用被害の賠償は、韓国政府の決定ではなく、韓国最高裁(大法院)の判決だ。経済と無関係な最高裁の判決を理由に経済報復を行うのは常識に反するもので、これが今回の事態の核心だ。日本メディアも、安倍政権が今月21日の参議院選挙で保守層を結集し、改憲を発議できる3分の2以上の議席を確保するため、“韓国バッシング”をしていると批判している。

 そんなことを書いている間抜けな「日本メディア」がどこに存在するのか知りませんが(大体、僕は安倍政権支持ではないので、それとこれとは話が別だと思っている)、「強制徴用被害の賠償は、韓国政府の決定ではなく、韓国最高裁(大法院)の判決だ」とのたまうが、それによって実質的に日韓請求権協定は反古にされ、韓国政府はそれを黙認したので、その関係を無視することが「常識に反する」ことだという反省は全くないのです(慰安婦合意の破棄の方は明確な「政府の決定」)。

 1980年代という比較的遅い時期に始まった韓国の「民主化運動」が文政権という“成果”を生み出し、だから前の政権でやったことは受け入れられなくなったから、不都合な協定や合意の類は一方的に破棄することにしたが、これは「正義」なので、文句を言うなと日本に向かって言うことは、昔の仕返しのつもりなのかもしれませんが、日本を植民地扱いしているのと同じになります。しかも、それは上に見たような客観性もヘチマもないご都合主義的な「修正歴史観」に基づくのです。

「経済報復」はすべきでない(朝日)とか、その規制は結局日本経済のためにもならない(毎日)とか言うメディアは存在します。経済的にはそれはむろんマイナスでしょう。しかし、国家間の信頼が深刻に損なわれたから、「友好国」扱いは見直すという意思表示で、それには意味があると僕は思っています。日本の場合、中国と違ってやり返してこないから、いくら勝手なことを言っても許されるという心理にノーを突きつけることになる。ここまで相手の対応がひどくなれば、それは致し方のないことでしょう。

 そろそろ話を正義の相対性に戻しましょう。僕は「正義はどれも相対的なもので、だから主張される正義はどれも等価値である」という議論には賛成しません。自分の立場しか考えない独りよがりの「正義」と、より公正で客観的・総合的な視点から考えられた「正義」には大きな違いがあって、後者の「正義」がもてるよう、人は努めるべきだと思うからです。

 その「総合的な視点」にもレベルがある。個人レベルから、地域レベル、民族レベル、国家レベル、人類レベル、さらには地球レベル、宇宙レベルといったふうにそれは拡大するのです。その拡大に応じて、下位の視点は相対化される。

 たとえば、英語にanthropocentrismという長い綴りの言葉があります。通例、「人間中心主義」と訳されますが、「自然環境は人間が利用するための存在である、もしくは人間が最も進化した存在であるという」(ウィキペディア)信念です。元々これはどこからやってきたのか? ウィキペディアの記事では、「ユダヤ・キリスト教の創造観」として、

 ユダヤ教、キリスト教の創造観は、旧約聖書の創世記に述べられている。その中で神は人間に対して、「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」と命じている。この「従わせよ」や「支配せよ」は緩やか過ぎる訳語であり、ヘブライ語の原語「kabash」は「鞭打って血を流してでも従わせる」といえるような強い言葉である。このように、「人間は自然を支配することを神から許されている」と信じてきたユダヤ・キリスト教が文明を築く中で、自然破壊が進んできた

 とあって、「神に似せてつくられた」人間は最高であって、自然の他のものは人間の利用に供されるためにのみ存在するという、人類的ジコチューの考え方なのです。それで目下人類は地球史上六回目の「生物大量絶滅」をひき起こし、気候変動、地球温暖化も進んで、自分の生存基盤を掘り崩すだけでなく、ジコチューが個人レベルでも深化して、ごく一部の人間による人類の奴隷化とも呼ぶべき現象が進行しているのですが、地球的、宇宙的レベルから言えば、こうした「人類ファースト」のありようは正しくないと批判されるわけです。

 元は「八百万の神」信仰の日本人も、今は完全にこの考えに毒されていますが、うちの息子は幼児の頃、彼はなぞなぞが好きでしたが、「地球で一番大きな生きものは何か?」と問いかけました。「今はもう恐竜はいないし、鯨だろうね」と答えると、違うという。じゃあ、何なのかときくと、向こうを指さして、「あの山」だと言いました。何で山なのかときくと、「たくさんの生きものを住まわせているから」と彼は満足げに答えました。海は流体でかたちをもたないから、彼は山と答えたのでしょうが、子供の感性からすると、自然はそれ自体が生きて脈動している存在なのです。「なるほどねえ」と笑ったのですが、そういう感性を現代人は失ってしまった。

 そういう見地からすれば、今の勝手放題の人類は「悪」でしょう。あるいは、自分を産んで育ててもらった母親を虐待して恥じるところのない馬鹿息子みたいなものです。生きるためには食わなければならないから、殺生はやむを得ないとはいえ、慎みも感謝の念もまるでないのです。このまま人類が滅びれば、それは「自業自得」と言うほかはない。

 核兵器は「抑止力」として必要だというような議論も、こうした視点からすれば愚の骨頂ということになるでしょう。ITがどうの、AIがどうのと言っているが、人類はいずれ生物としての自分を維持するための生産基盤を駄目にして、困窮する中、戦争になり、核爆弾を打ち合って絶滅するという可能性が大です。

 もう少し次元を下げて、人類的なレベルから「正義」を見ると、ブッシュ・ジュニアが9.11の後、アフガンを攻撃し、次に「まさかのイラク攻撃」に踏み切ったとき、彼はそれらの国を「ならず者国家」と呼んだのですが、「おまえが一番のならず者だろうが…」と僕は呟かずにはいられませんでした。9.11の「主犯」が、元はと言えばアメリカのCIAが「養成」したテロリスト、オサマ・ビンラディンだったというのはブラック・ジョークみたいなものですが、自分の言うことを聞かない他国のまともな政権をテロ支援で潰して軍事政権に変えるなどは第二次大戦後のあの国の得意技で、アメリカにはそれは「正義」だが、自分に向かってきたときだけ「悪」になるのです。アメリカの言う「テロとの戦い」ほどご都合主義的なものもない。オバマもドローンで「テロとの戦い」のためにたくさんの無関係な民間人を殺して名を馳せました(これは軍が勝手にやったことではないので、彼はリストを見ながら殺害対象を指示していた)が、それは「誤爆」や「不運な巻き添え」で、「意図的なものではなかった」から許されるというのがアメリカ政府の「論理」なのです。それもまた悪質なテロなのだという公正な視点は欠落している(にしても、ノーベル平和賞をもらったあの馬鹿は、一体いかなる「平和貢献」をしたのでしょう? 外見的にブッシュよりはマシに見えたからだとしか思えない)。

 こういうのと較べると、文在寅のやっていることなど、彼の没理性的でセンチメンタルな親北政策で、北朝鮮がさらに危険な存在になりかねないということを別にすれば、何でもないということになるかも知れません。従軍慰安婦も、徴用工も、それは日本による植民地化に付随して発生した事案で、こちらに“落ち度”があったのはたしかなのだから、少々の嘘や誇張は我慢すべきだということにもなるだろうからです(こう書くと、被害者の心のことは何も考えていないと批判されるかもしれませんが、文や「挺身協」改め「正義連」の「寄り添う姿勢」など、政治パフォーマンスにすぎないと僕は見ています。彼らが否定する『帝国の慰安婦』の著者にはそれがあると感じましたが)。

 そう考えれば、日本人もいくらか「寛大」になれるかも知れない。韓国と同じ論法で、日本人の方が「おたくの支配層が度外れに無責任・無節操だったから、国際情勢が不安定化して、こちらは二度も戦争に巻き込まれて、しなくてもいい植民地経営にまで乗り出すことになったのだ。それをどうしてくれる」とイチャモンをつけることもできそうですが、そんなことを言ったら戦争必至の事態にまで発展するでしょう。同じレベルに落ちてはいけない。しかし、先の朝鮮日報の記事は「高宗が国力を結集して憲法と議会、近代的司法システムを整備し、国の存立を賭けて近代文明国へと転換していたなら、あれほど無力に植民地へと転落はしなかっただろう」「日本による35年間の支配を呼んだ第1次の責任は、高宗に問うほかない」と、当時の朝鮮国家の為政者の無能・無責任をはっきり認めているのです。何もかも日本のせいにする(彼らが中国やロシアを非難しないのは不思議です)のとは違う醒めた視点がそこにはある。「当時の朝鮮民族は、ごく一部の売国奴は除き、一丸となって日帝と戦った」みたいな根拠不明のファンタジーを土台とされたのでは話し合いの余地はないが、こういう冷静な歴史認識がもてる相手となら、実りのある協議ができ、「またいつ話をひっくり返されるかわからない」という疑心暗鬼にもならなくてすむ。

 国の利害や国民感情の違いはあっても、冷静な歴史認識を土台として、どちらも「正義」と認めるような安定した和解に達することはできる。イデオロギーと感情先行の、「超」がつくほど独善的・主観的な今の韓国・文政権には、そうした態度が根本的に欠けているので、なおさらそれが困難になっているということに、韓国の人たちはどうして気づかないのでしょう? 日本製品の不買運動も起きて、「反日」機運は一段と盛り上がり、文政権の支持率も持ち直しているそうですが、「いたずらに他罰的で、自己幻想に酔って外部が見えない(見たくもない)」そういう一種独特な民族性が朝鮮半島国家の不安定性の背後にはあって、不幸な歴史の素因になってきたということを、彼らはどうして認識しないのでしょう。人には最大限の「思いやり」を要求するが、相手に振り向けるそれは全くないという人間ほど、幼稚で始末に負えないものはありませんが、今回の韓国の一連の対応はそれを示すものです。メンツから今さら譲歩もできないし、文在寅はアメリカが仲裁に乗り出すのを待っているという観測もありますが、何一つまともな対応はせず、それで事態が収拾不能になると外国公使館に逃げ込んだという高宗のDNAを文在寅は受け継いでいるように見える(苦し紛れ、中国に「反日連帯」を呼びかけるという手もありますが、実利的な中国は何の得にもならないので相手にしないでしょう)。北朝鮮に「侵略」される可能性を除けば、今は他国に侵略される恐れは幸いないが、別の「亡国」の危険がそこにはあるかもしれない。呑気に「反日」で盛り上がっている場合ではないかも知れないのです(日本としては、今後も文政権の「非常識」な反応は続くだろうから、それは織り込み済みで冷静な対応を続けることです)。

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