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入試でカンニングをするのが無意味なもう一つの理由

2011.03.07(12:12) 60

 「早撃ちガンマンみたいな奴だな…」

 例のカンニング事件の続報によれば、犯人の予備校生は携帯電話を「股間にはさんで」、左手一本で「高速手打ち入力」をやっていたそうで、そのための訓練(?)も重ねていたとのこと。試験会場で周囲に気づかれずに、ホントにそんなことができるのか?…というので、警察では「再現実験」までやる予定だそうです。

 だんだん馬鹿々々しくなってきたので、この件についてはこれで終わりにしたいと思うのですが(茂木健一郎氏からの反論も、彼の発言で検索しても、量が多すぎて、僕のここの記事は全く出てこないようなので、望み薄です)、「国立は学費が安いので母を安心させたいと思い」云々ということについてだけ、一言しておきたいと思います。

 前年に、彼は父親を亡くしたそうですが、 寮に入って浪人すれば、地方でも予備校の経費と合わせて計二百万近くはかかるでしょう。これはそれ自体、貧しい家庭には無理なことです。今もそれはあるようですが、昔から新聞奨学生制度というのが各新聞社にはあって、僕も浪人してそれをやっていたことがあるので、親に負担をかけたくないのなら、そういうことだってできるわけです。あれは3Kの最たるものなので、かなり大変ですけどね(それでも昔より新聞の休刊日が増えている―かつては一年365日、新聞に触れずにすむ日が一日もなかったので、一番時間が空くのが、元日の朝刊から翌二日の夕刊の間でした―し、週休制も導入されているから、いくらか緩和はされていると思いますが、最近は新聞の部数そのものが落ち込んでいるので、配達時間がその分長くなっているかも知れません)。

 打ち続く不況で、今は優秀でも高校を出るとすぐ就職して家計を助けねばならない若者も少なくないと聞いています。そういう子たちと較べると、彼は格段に恵まれているわけです。それと、今は国立の学費が昔と較べてずっと高くなっているので、ことに文系の場合、私立と国立でそう大きな開きはありません。初年度納入金で(差額が)30万、二年次以降年間30~40万ぐらいでしょうか。それなら奨学金で十分補える範囲でしょう。

 飢餓にさらされて泥棒や強盗をするのならともかく、学費が安い国立に入りたいからカンニングに頼ろうとした(他の私大は「予行演習」だった由)という理屈はもともと成り立ちませんが(大体それなら実力で入れるもっと易しい国立大を受験すればいいわけです)、「親孝行」のためにやったと言いたげな、その理屈が僕には気に食わないので、そういう言い訳をすること自体が「終わっている」証拠です。そもそも、どこの世界に「母親を楽にさせてあげたいからカンニングをやりました」と言われて喜ぶ親がいるかと思うので、お母さんには気の毒ですが、心が育っていなかったと言うしかありません。せめてもの慰めは、若いうちに頭をぶつけて、そういう幼児的で安易な自己中心性が挫折させられたということです。立ち直るチャンスは与えられるだろうから、それを活かしてもらいたいと思います。

 ついでに一つ、この受験生は山形出身だったそうですが、山形といえば僕が思い出すのは、フランス文学者で、ボードレールやヴィリエ・ド・リラダンの翻訳で名高い斎藤磯雄氏です。氏のボードレール詩集の訳なんかは、漢文の素養に欠ける僕には手に負えませんでしたが、本文より「註解」の分量の方が多い『火箭・赤裸の心』(立風書房)は愛読したもので、ひどい貧乏をしたときも売らずにいまだに所持しているし、筑摩叢書のリラダン『残酷物語』は何度繰り返し読んだかわからないほどです。何たる達意の名文かと息を呑んだもので、学問的にもすぐれているようですが、とにかく文章が格調高くて、滅法うまい。ユーモラスな表現も見事なのです。ボードレールもリラダンも、時代にとことん逆らった「反ブルジョア・物質文明」ということでは共通しているので、若いときにこういうのを読みすぎたのがわが人生のそもそもの間違いだったのではないかと思うほどですが、こんな翻訳を読むと、畏れ多くて翻訳なんかには手が出せなくなってしまうほどで、僕が翻訳なんかしたのは、「堕落」したために他なりません。お手本が立派すぎるのです(「堕落」の度合いが進みすぎて、「精神世界本」の類ではなく、一度幻想文学の翻訳でもやってみたいと思うようになっているので、それを依頼してくれる出版社がどこかありませんかね?)。

 その斎藤磯雄氏は、「無試験で入れた」時代の法政大学文学部フランス文学科の出身です。同級生に、落語の研究家として名高い安藤鶴夫がいた。

 人数比にすれば、当時の大学生は僅かで、それに旧制中学を出ているから、元が優秀だったと言えるのかも知れませんが、受験勉強なんかお構いなしに好きなことをやって、それで大学者になったわけです。当時の学問の世界は旧帝大の卒業者が牛耳っていただろうから、こういうのは全くご本人の実力です。

 実力と言えば、ギリシャ哲学の泰斗、田中身美知太郎なんかも、かなり変わった経歴(少年時代、無政府主義の政治運動に従事していたこともある)の持主で、京大の卒業生ですが、本科ではなくて、選科の出身です。『善の研究』で有名な西田幾多郎も、東大選科の出身。この「選科」というのは聴講生のような存在で、日陰者的な扱いを大学内では受けていたようですが、とにかく正規の卒業生ではなかったわけです。この二人を抜きにして、日本の哲学史は語れないほど大きな存在ですが、本流からは外れたルートを辿って大成したのです。こういうのは面白い現象だなと、僕は思います。

 これらの人たちは、要するに、試験のための勉強ではなくて、好きな勉強を一途にやり通した人たちです。そうして実力でのちに名を成した。ご本人たちにしてみれば、それもたんなる結果に過ぎなかったでしょうが、人間には何が本当に大切かをよく示す実例のように、僕には思われるのです。

 これを読んでくれている人には、クリシュナムルティ読者もいるかと思いますが、彼の場合はもっとひどい。神智学協会というところで、家庭教師をつけて懇切な指導を受けていたにもかかわらず(従順にお勉強には励んでいたという話ですが)、いつまでたっても大学には合格せず、三歳年下の弟が先に合格するに及んで、周囲も彼の大学進学を諦めざるを得なかったのです。いかにもクリシュナムルティらしいところは、弟の合格をわが事のように喜び、それに嫉妬するとか、いじけるといったことは全くなかったらしいことです。彼の背後につねに存在したらしいあの“力”や“知性”は、大学入試の類には何ら「協力」しなかったようなので、そこが面白い。

 要するに、何が言いたいのか? 学校の試験や入試ごときでいい点数を取って、いい大学に入れても、そんなのは別に大したことではない、ということです。「二十世紀最大の知性」と謳われたフランスの詩人・批評家、ポール・ヴァレリーは、自身お世辞にも優等生だったとは言えず、大学入学検定試験バカロレアに「最低の成績」で通り、あまりぱっとしないモンペリエ大学の法学部に進んだ人ですが、後年「卒業証書という奴は、少しばかり長持ちのしすぎるシロモノだ」と皮肉を言っています。頭脳明晰をもって知られる彼のような人でも、教科書勉強とその試験は苦痛であり、苦手だったので、そういうので深い何がわかるものでもないのです。学力尺度としてすら一面的過ぎるそうした試験の成績で○○大卒という肩書きが確定し、一生それに支配されるというのは馬鹿みたいなものです。仕事と学校の勉強とは別だというだけではない、知性や学問的能力の測定尺度としてさえ、それは信頼に値するものではない、ということです(一流大出の三流学者、三流役人が珍しくないのは、周知のとおりです)。

 そういうことも考え合わせると、なおさら入試でカンニングをするなんてことの愚劣さがわかろうというものです。
 大学の入試監督をする人たちは、今後、試験開始の前にこう言ったらどうでしょう。

 「これからやる試験は、君たちの人格はもとより、学問的素質・能力ですら的確に把握できるものではない。選考が必要な関係から、一面的であるのは承知で余儀なくこのような試験をするのであって、そこは心得違いをしないように。合格すれば頭がいいと自惚れるのも馬鹿だし、落ちれば自分は駄目だと卑下するのもひとしく愚かなことである。世の中は広く、人生は長い。これは一つの特定化されたチャレンジにずぎず、また通過点の一つでしかないということをよく心得て、正々堂々とスポーツの試合のようなつもりで臨んでいただきたい。僅かな点差で合否が分かれるというのがそもそもおかしな話で、不合理だが、事の性質上やむを得ない。どこの大学に合格、入学するというのも縁のようなものなので、そういうものだと考えてもらえれば、大学としては嬉しいと思う。こういうことで不正を行えば、たとえ露見しなくても、それは自らの人生を汚すものなので、得られるものは何もないということを忘れずにいてもらいたいのです」と。

 もう一つ、ついでに付け加えると、斎藤磯雄と田中美知太郎には、今で言う「ニート」の時代がありました。斎藤氏は大学卒業後も実に二十年近く職業をもたず、実家からの仕送りだけで好きな研究に没頭し、田中氏の方は、その実力が学生時代から認められていたことから、岩波書店から『テアイテトス』の翻訳を依頼され、毎月支援を受けていたにもかかわらず、数年(四、五年?)間、約束を果たさず、恩師の朝永三十郎から、何度も苦言の手紙を受け取っていたりしたのです。田中氏は父親を早く亡くしていて、母子家庭でした。生活はだからその岩波からの支援に頼っていたと思われる(しばらくして法政の講師になった)のですが、納得の行く仕事ができるまで、平然と約束を先延ばししたのです。世間の目というものは当然あっただろうから、どちらも「豪の者」と言う他はない。批評家の小林秀雄なんかも、彼も父親を早くに亡くしていましたが、若い頃ひどく貧乏で、学生時代は文芸雑誌の埋草原稿で生計を立て、二進も三進も行かなくなると、めったに行かない大学に出かけて、恩師の辰野隆に向かって、「辰野、金貸せ!」なんてやっていて、辰野教授はこれに対して、「仮にもわしはおまえの先生だぞ…」などとブツブツ言いながら、財布を出してお金を渡していたという話は有名です(卒業後は放浪して、志賀直哉の世話になっていたこともある)。

 有名大学に入れないと、卒業時に就職しそびれると、身分が安定してお金がたっぷりないと自分の人生は終わりだ、と考えるような若者は、たまにはそういう先達のことを考えてみたらどうですか。リラダン(“超”がつくほど貧乏だった)は、「生活なんて召使に任せておけ」とうそぶいていたそうですが、「人はパンのみにて生くるにあらず」なのです。「生活の苦労なんて、誰でもやっている」というのは小林秀雄の言葉ですが、それだけに終わらないものを、若いときにつかんでおくことは大切なことではないでしょうか。
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