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グルと権力に関する一考察

2018.09.19.17:02

 これは前回の記事の続きとしてお読みください。短くまとめときます。

 あの英文記事の翻訳を載せた翌日、たまたまでしょうが、こういうAFP電の記事がネットのニュースサイトに出ました。

・ダライ・ラマ、仏教指導者による性的虐待「90年代から知っていた」

 これは主に、前回紹介した「ソギャル・リンポチェ問題」を念頭に置いたもので、不祥事の中でもあれが一番痛かったのだろうと思いますが、善良なダライ・ラマはおかげで苦しい立場に置かれているのです。

 15日のここの記事に関して、このブログには「鍵付きコメント」という機能があるらしく、それは一般公開はされず、ブログの書き手にだけ読めるようになっていて、それでよくコメントを下さる方から、「師と弟子の関係、絶対服従という関係は、人間の中のとんでもないものを産むのだなあと」あらためて感じたというコメントを戴いたのですが、そのとおりで、オウムの暴走も、それなしではありえなかったものです。

 政治の分野では、英国アクトン卿の有名な、「絶対権力は絶対的に腐敗する(absolute power corrupts absolutely)」という言葉がありますが、今の安倍政権なども似たようなもので、今の自民党はカルトとさして違いはありません。小選挙区制の導入で、政権執行部が大きな権力をもちすぎるようになったのがまずかったなどとも言われていますが、それだけではなく、カルトの信者よろしく、ボスへの忠勤競争に励む多数の政治家や官僚がいるからこそ、その病的な体質は強化されるのです。これに左翼憎しで凝り固まった文化人やネトウヨが加わり、健康な批判精神はどこへやら、いつのまにかカルト国家のような様相を呈してしまった。そのうち名称も新たに治安維持法が復活して、今はネットデータの利用で「反乱分子」の特定も容易になっているから、以前にも増して「効率的」な「非国民」の逮捕、圧殺が行われるようになるかもしれません。

 僕は健康な民主社会の建設・維持には、誰にも、何にもよりかからない、自分の背骨で立つ個人が一定数以上いることが不可欠だと考えていますが、今の時代を見ていると、個人は弱くなるばかりです。矛盾しているなと思うのは、自己啓発セミナーの類でも、宗教でも同じですが、人々は「完全な自由」の幻想を抱いて、グルだの指導者だのに頼ろうとすることです。その結果どうなるかといえば、幹部になったとしても、グルまたは指導者の権威・権力を笠に着て、自分の暗い権力願望を満たすことにしかならないのですが、その自覚のない人が多すぎる。麻原やソギャル・リンポチェの場合、彼らの「悟り」なるものは「馬鹿悟り」にすぎず、その結果彼らの自我膨張はとめどがなくなって、信者たちはその圧政に苦しむことになったのですが、「悟っていない凡庸な人間には悟った人間のことはわからない」という陳腐な屁理屈で、冷静な認識・判断能力を自ら放棄することになってしまったのです。

 暴行、虐待、破廉恥行為の類にまで「グルの窺い知れぬ、深い隠された意図」を見るというのは、病気以外の何ものでもないと部外者は思い、またそれは正しいのですが、そう言う世間の人も、他の面では似たり寄ったりだったりするので、わが国は「特別な神の国」だというような妄想が今は結構力をもつようになっています。ジャパン・アズ・ナンバーワンと呼ばれたのは「過去の栄光」で、それも実はつまらない表面的な話だったりしたのですが、自己内部の不安と心細さが募る中、国家や民族に自己同一化して、無理にでもそれを偉大なものに仕立て上げ、自己肯定感を得ようとする人たちも少なくないのです。方向が違うだけで、それはカルト心理と類似性をもつ。そこに排他的な独善性が伴うのも同じです。

 人は群れる動物で、よくいえばそれは社会的動物だということになるのですが、何らかの集団に帰属することによって安心を得たがるという習性は、ときに非常に危険なものになります。「和して同ぜず」とはなかなかいかないもので、そこでは一切の批判が和を害するネガティブなものとして忌避されるということになりがちです。

 この点で、僕が「マンガみたいだな」と笑ったのは、いつぞや自民の吉田博美参院幹事長が、石破茂氏が総裁選ポスターに「正直、公正、石破茂」と大書したことに、「個人攻撃のようなことはやめてもらいたい」と注文をつけた、という話です。何でそれが「(安倍首相への)個人攻撃」になるのか? それは「もり・かけ問題」への当てこすりだと思ったからです。自民党の中には「野党と同じでけしからん!」という意見が強くあるとのことで、「もり・かけ問題」に示された首相の「不正直、不公正」(まともな判断力をもつ者なら、誰でもそう思います)をあげつらうがごときは、同じ自民党としては断じて許しがたいということなのです。マンガ以外の何ものでもないが、そういうことをいい年したオッサンが言っていて、マスコミもそれを怪しむことなく、そのまま報じるのです。カルトが教祖批判を禁じるのとそれは同じなので、完全に病的な組織です。

 石破氏もこれを無視できない。自民党というカルトの幹部の一人としては、そうならざるを得ないので、「何をわけのわからんことを言ってるのだ!」とは言えない。恐ろしいことになってるなと僕は思いますが、今の大方の日本人は思わないのでしょう。それが何よりこわい。今この国を支配しているのは、日本会議だの、神道政治連盟だの、読売、産経だのの多数の「翼賛機関」を背後にもつ、自民党という名の閉鎖的な復古的愛国主義的カルト政党なのです。それが創価学会という巨大宗教団体を背後にもつ公明党と連立を組んでいる。それが「憲法改正」を目論むということに僕は恐怖を覚えますが、皆さん覚えないのです。

 いわゆる「スピリチュアル」な人たちは麻原のオウムや、ソギャル・リンポチェのリグパのようなカルトに取り込まれ、「ポリティカル」な人たちは安倍自民のようなカルト政党に取り込まれる。むろん、宗教団体、政治団体のすべてが自閉的なカルトではなく、なかにはまともな風通しのいい団体もあるでしょうが、それは自立した個人としての自覚を失わない、自由な精神と必要な寛容さをもち、自身の権力欲に高度に自覚的である人たちがその中心にいる団体だけでしょう。僕に言いうることは、メンバーに「絶対服従」を誓わせるような組織や団体には決して近づくな、ということです。それはあなたを確実に不幸にするだけでなく、この社会に深刻な害毒をもたらす。それは現実を見れば誰にでもわかることでしょう。

 最後に、その「寛容さ」について一言申し添えておけば、安倍は例の杉田水脈議員について、「『まだ若いですから、そういったことをしっかり注意しながら仕事していってもらいたい』などと述べ、擁護する姿勢を示した」(ハフィントンポスト)そうですが、それは「寛容」などというものではない。安倍の顕著な特性として、自分を崇拝するネトウヨ議員にはつねに大甘で、批判的な人間にはつねに感情的な排斥的姿勢を示すことが挙げられます。それは未熟な宗教カルトの教祖と同じなので、「馴れ合い」をそれと混同してはならない。前に「安倍と麻原は同い年であるだけでなく、性格的にもよく似ている」と書きましたが、そう思って見ていれば、なるほどと腑に落ちることがこれからもいくらもあるでしょう。

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