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そもそも「生産性」とは何か?

2018.08.11.22:08

 アメリカはトランプ、日本は安倍政権下で、あまりにもお粗末なことが頻発するので、天下国家を論じる場合でもそのレベルの低さはかつてないほどのものになってしまっていますが、文明崩壊の前夜というのはこういうものなのだろうと、遅まきながら、僕も最近「悟り」に達しました。そこに、地球温暖化による世界的な異常気象(今年の西日本豪雨や酷暑はその一部)が重なっているわけで、こういうのもかつての文明が滅びたときと同じです。

 騒動になった、「アホの水脈(ここは「すいみゃく」と読む)」こと自民の杉田水脈(ここは「みお」と読んでやって下さい)議員の例の「LGBT【これは「レスビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダーの総称」である由】支援の度が過ぎる。彼らには生産性がない」発言も、その一例です。彼女は安倍のお気に入りの一人だそうですが、安倍チルドレンらしく超低レベルなもので、国会議員一人を養うには年間一億の税金がかかっていると言われますが、おまえの「生産性」はどうなのだ、とツッコミを入れたくなるところです。一億も使って生産性がマイナスの国会議員を飼っているなんて、日本が終わっていることの証拠以外の何ものでもないでしょう。

 それでも、彼女は稲田のともちんに続く「ネトウヨのアイドル」で、今では議論の公正さもクソもなくなったあの櫻井よしこ大先生からも「『貴女が色々言われるのは目立つから。でも、気にしないでこのまま変わらないで頑張って。絶対大丈夫!』と、有り難いお言葉を頂戴し」たそう(ご本人のツイッターより)なので、「このまま変わらないで頑張って」下さるのでしょう。言論の自由がどうのといったレベルのものではなく、たんなる公害にすぎないと、まともな人なら思うでしょうが、彼らは思わないのです。

 あの件では、それを載せた『新潮45』の見識も問題にされていて、あれは元々が保守系だとはいえ、今の誌面ほどかつてはレベルが低くはなかったと、そちらも話題になっています。しかし、今本屋の月刊誌のところに行くと、ネトウヨ御用達の雑誌ばかり(岩波の『世界』なんかはある程度の規模のところに行かないと置いていない)で、新聞と並んで雑誌が売れなくなっている今、その路線だと商売になるという異常な事態になっているようです。この問題に関しては、同じ雑誌編集者の篠田博之氏が興味深い考察を加えています。

杉田水脈LGBT差別発言を掲載した『新潮45』への危惧と提言

 実際、今の中高年男性には無自覚なネトウヨが増えているなというのが、僕自身の印象でもあって、活字離れの度合いが相対的に低い彼らがそういう雑誌を買い支えているのでしょう。「若者の保守化」がよく言われますが、おっさんにも右翼が多いのです。それで議論しようとすると、「あなたとは考えが違いますから」なんて言われてしまう。それはわかっているので、だから話しましょうということなのですが、考えを改める気などはさらさらないようで、「左翼メディアはひどい」とネトウヨ雑誌の主張をリピートするのみです。それは一部は正しいが、全面的に正しいわけではない。そもそも、左翼に「偏向」があるからといって、それは右翼が公正だという証拠には何もならないので、今の右翼メディアの「偏向」ぶりは左翼のそれよりさらに甚だしいのです。しかし、そこを説明しようとすると、激してしまうから、実りのある議論にはならない。彼らにとって、自分の考えに反対されるというのは人格を否定されるに等しい事態のようなので、それはおそろしく幼稚なことですが、今どきの中高年のオッサンというのは概して幼稚なので、若い子を相手にする方が百はマシなのです(この点、女性の方が概して考え方が柔軟で、子供じみてもいない)。

 これはネトウヨ雑誌が増えすぎたこととも関係する。そういうのばかり読んでいると、無意識に感化されて、ベースがそちらになってしまうのです。それでいよいよ右翼雑誌が増えるという悪循環に陥る。篠田氏の指摘にもあるように、メディア自体に主体性がなくなっているのです。今の日本社会はほんとにクソだなと僕は思っていますが、ネトウヨが不都合な歴史事実を「自虐史観」と呼んで片っ端から否定したがるように、「今の日本はクソだ」なんて認識は、「善良な右翼中高年」にとっては不快なのでしょう。クソはクソと率直に認識するのでなければ変えようもないだろうと僕などは思うのですが、テレビの「日本スゴイ!」番組が受けるのと同じ心理で、クソはもっぱら「日本をけなす」左翼だということになっているのです。

 しかし、「アホの水脈」杉田議員の上記の暴言すら肯定する、または大目に見るとなると問題がありすぎるので、察するに、性的マイノリティは異常で、気持ちが悪いというのがベースにある上に、「左翼」が「差別反対を推進」してきたという反感も、そこに重なっているのでしょう。敵愾心が二重に作用しているのです。

 少し脱線させてもらうと、僕は若い頃、「オカマの聖地」新宿に住んでいたことがあるので、その種の人たちをよく見かけました。初めのうちは「何でこのあたりはこんなにオカマが多いのだろう?」と女装男性を見かけるたび不気味に感じましたが、新宿の花園神社は「オカマの神様」だという話を聞いてなるほどと合点が行き、だんだん慣れてきて、気にならなくなりました。考えてみれば、ああいうのは「生まれつき」なので、珍しいというだけで別に道徳的に非難されるような性質のものではないのです(尚、この「オカマ」も今は差別用語に指定されているらしく、こう書いていても自動変換されないので不便です。「左翼の行き過ぎ」というのはこういうヒステリックな言葉狩りによく表われているのではないかと僕は思うのですが)。

 この手のことで一般人が迷惑するのは、男性の場合なら、見ず知らずのオッサンにつきまとわれて、「愛人になってくれ」などと迫られたりすることがたまにあることぐらいでしょう。僕も東京に行ってから二、三度そういうことを経験しました。当時は長髪が流行で、僕も長くしていましたが、小さい子に「女の人」と間違えられることがよくあったほどで、からだつきも華奢だし、色白で、顔つきも男っぽくなかったからでしょうが、そういうのが好みのホモ男というのがいるのです。その種の人間が存在すること自体を知らなかった最初(上京一年目)はほんとにびっくりしたので、僕は別に怪しげなところに出入りしていたからそういうのに出くわす羽目になったのではありません。事件が起きたのは日比谷図書館だったからです。浪人生の僕は閲覧室で勉強していて、トイレに行ったら、ヘンなおっさんがついてきて、小用を足していると、何と隣から手が伸びてきたのです! 僕は驚き呆れて戻りましたが、落ち着くにつれてだんだん腹が立ってきた。それで席を離れて館内を探していたら、通路のソファに座っている男を発見、「ちょっと」と言うと、彼はカン違いして嬉しげについてきたのですが、僕の方は人目につかないところに連れて行って相手を痛い目に遭わせる腹積もりだったのです(でないと警察沙汰になる)。人目につかないところと言うと、建物内ではトイレぐらいしかないので、そこに誘導してから、他に人がいないのを確認した後、覚悟しろよと言ったら、次の瞬間、いきなりトイレのタイル張りの床に土下座して、「助けてくれ!」と言うので二度びっくり、とにかく自分の前に二度と姿を見せるなと言って、それきりになりました。他も似たような展開で、凶暴なその種の人間には遭ったことがないので、大方はおとなしいタイプでしょう。だから深刻な害にはならないものの、昨年、アメリカの有名映画俳優ケビン・スペイシーがセクハラで告発され、被害者が次々名乗り出る事態に発展し、彼は事実上の引退に追い込まれましたが、被害者は男性ばかりで、彼は同じ種類の人間だったのです。職権乱用で行為に及んでいた疑いが濃いのでこの場合は悪質ですが、そうでなければ即座に拒絶されて終わりでしょう。

 話を戻して、同性婚の場合などは、相手が同性というだけの話なので、同じ嗜好をもつ者同士、別に何も問題はないわけです。むしろふつうのカップルより「相思相愛」の度合いが高いほどでしょう。異性婚と法的に差別する根拠はないように思えます。それでは子供が作れないから「生産性がない」と言うのなら、生涯独身の人や、子供のいないふつうの夫婦も同じです。そちらには言わないで、性的マイノリティの人だけ問題視するというのは、やはり「古くさい偏見」がそこに作用しているのです。

 杉田議員のような無教養な人間には言ってもわからないと思いますが、そういうことが異常とは見なされなかった時代も過去にはあったので、プラトンの対話篇を読むと、当時のギリシャでは男色がありふれたことだったのがわかるし、日本でも、文献を読めば昔の戦国武将などにはバイセクシュアルが珍しくなかったことが推測されるのです(レスビアンに関しても、「エーゲ海のレスボス島では古代、女性の同性愛が盛んであったと伝えられたところからいう」とデジタル大辞泉の説明にあります)。彼らはおそらく、杉田議員よりずっと知的でもあれば「生産的」でもあったでしょう。「子づくり」さえすれば「生産的」だと言うのは、「アホの水脈」に連なる者のみなのです。

「そんなこと言って、皆が同性愛者になってしまったらどうするのか?」と言う人もいるかも知れませんが、そんな心配はいらないのです。今の日本の少子化はそういうこととは無関係な現象なので、あたかも「LGBTの社会的認知の進展」が影響を及ぼしているかのように言うのは、杉田議員のようなステレオタイプのアホ右翼だけなのです。

 そもそも「生産的」であるとはどのようなことなのか? これも問題です。真に生産的な人というのは、「受け取るよりも多くを社会に返す」人間のことでしょう。杉田議員などは、高額な議員歳費を受け取って、こういう下らない暴言を吐くしか能がないのだから、その「生産性」が極端なマイナスになっていることは明らかです。慈悲心に富む僕は、だから死ねとまでは言いませんが、この馬鹿は自分の議員歳費が「自分の高い生産性の証し」だとカン違いしている可能性があるのです。僕のこの定義によれば、「働きに見合わぬ不当な高い報酬」を得ている人間は社会のパラサイトまたは吸血ダニで、その逆の「貢献度に見合わぬ低報酬」の人の方が「生産性」はずっと高いのです。この道理、わかりますよね?

 生産性というのはむろん、物質的なことだけではない。重い障害をもつ人であっても、家族や周囲に明るさや癒しをもたらしている人はいくらもいるでしょう。それは大きな価値なので、「オレは自分の働きで食っている」とうぬぼれている、ジコチューで周りの人間を職場でも私生活でもさんざん苦しめている「健常者」のアホより、ずっと生産性は高いと言えるほどです。

 同性婚の人たちが子供を育てないから「生産性」がないというのも本当は間違いなので、無知な杉田議員は知らないのでしょうが、欧米には子育てをしている同性婚カップルはいくらもいるのです。それは養子の場合も、人工授精の場合もあるでしょう。僕が今度出す訳書は生まれ変わり記憶をもつ子供たちの本なのですが、その中には親が女性同士の同性婚カップルというケース(アメリカ)が一例出てきます。読んでいて、これは子供思いのいい親だろうなというのがよくわかってほほえましいのですが、杉田議員には特別、訳者の僕のサイン入りの本を一冊百万円で売ってあげたいので、ぜひとも連絡を寄越してほしいものです。定価との差額は、杉田的見地からすれば「生産性がない」と見なされる人たちを支援する福祉団体に寄付することにします。そうすれば、彼女にとっても少しは罪滅ぼしになり、僕の彼女に対する「生産性」評価も上がるでしょう(ついでに言うと、こういう翻訳なんかも経済的には全くペイしないので、GDPへの貢献度は低く、杉田流に言えば「生産性が低い」のです。このブログに関しては、無料なのでGDP貢献度はゼロ)。

 僕は最近、よくこんなことを考えます。今の世の中は支離滅裂で、何が正しくて、何が正しくないかもわからなくなって、杉田水脈みたいな「道徳的」を装った不道徳な連中がむやみと増殖して世に害毒をまき散らす羽目になっているのですが、人間はいずれ必ず死ぬので、死んであの世に行ったら閻魔大王とたった一人で“面接”することになります。そこで僕ら人間は、自分の人生について申し開きしなければならなくなるのです。そこでは何も隠すことができないし、嘘も、強引な自己正当化も全く通用しない。そのとき公正無比の閻魔様相手にどういうことを言うかを考えておいた方がいいのではないかということです。この世界で言っていたことと同じことをその場で言えるのか? 言える自信がなければ、それは問題だということです。率先して地獄行きを志願するのでないかぎり、少しは気をつけて物を言った方がいいので、そういう人が増えれば、今のこの社会も少しはマシになるのではないでしょうかね。
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