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学力テストの地域間格差について思ったこと

2018.08.02.13:39

 小6と中3を対象とした平成30年度の「全国学力・学習状況調査(通称「学力テスト」)」の結果が7月31日公表されたそうですが、「例年、調査結果は8月末に公開していたところ、教育現場が夏期休業を利用して結果分析や学習改善を計画できるよう、2018年度から7月末の公開に前倒しした。各都道府県は今後、調査結果をもとに授業の見直しを図る見込み」(リセマム)なのだそうです。文科省の老婆心、というか余計なお世話のおかげで、平均点が低かった自治体の関係職員や学校の先生たちは、夏休みもおちおち休めなくなるわけです。

 こういう試験は元々、教育現場にはかなりの負担になっているでしょう。実施の手間だけではなく、「全国平均を下回るのは恥だ!」ということで、いわゆる過去問をやらせたりして、その「対策」に時間が取られているだろうからです。

 今どきの学校はすぐそういうことをする。高校などでも、今は業者模試を受ける際、事前に過去問をやらせて「対策」することがあたりまえになっているようです。実力テストは実力で受けるからこそ実力テストなので、何でそんな余計なことしているのかなと、昔人間の僕などは思いますが、学校の先生たちは思わないのです。中には、自分が担当する教科の問題を事前にこっそり見ていて、「問題演習」にかこつけて、授業でそれとほとんど同じ問題を解かせたりするのまでいる。当然、平均点は上がります。そうやって自分の教科指導能力を学校の同僚や管理者に向けてアピールしたいのでしょうが、仮に本番の入試でそれをやったら明白な不正行為です。まともな生徒も「よけいなことしやがって」と腹を立てる。

 およそ日本人ぐらい横並び競争が好きな民族もいないので、「世間並」が学テの場合、「全国平均」になる。それを下回っては大変と各学校、自治体は必死になるのです。

 しかし、実際問題としていい県はどこで、駄目な県はどこなのかと、こういうニュースを見るとつい気にかかってしまうものです。それでニュースを検索していると、次のような記事に出くわしました。

学力テスト 過去2度最下位の和歌山  小学校国語Aで10位

 おお、これは! わが郷里の和歌山県は不名誉な最下位争いを演じていたのです。

 和歌山県内の公立小中学校の平均正答率は、小学校では過去2回(平成26、28年度)全国最下位だった小学校の国語Aで10位となるなど改善がみられた。中学校では数学A以外全てで全国平均を下回った。

 よくなったと言っても劇的な〈改善〉でないのはこうした文面からもわかりますが、よくよく考えてみれば、僕がかねて「和歌山の恥!」と呼んでいるあのセコい経済屋(あんな奴、学者のうちには入りません)のマック竹中こと、竹中平蔵や、今の自民党のドンの一人で、亡国の安倍3選の立役者、「本来は表に出てはいけない男」と言われている二階俊博などは和歌山県の出身で、自慢になるような有名人はあまり思い浮かばないのです。他に思いついたのは例の「毒入りカレー事件」の林眞須美と、この前の不審死の「紀州のドンファン(本家のドンファンに失礼です)」のドケチで色情狂のじさまぐらい。“ネガティブな有名人”揃いで、気が滅入るのです。

 僕が今住んでいる宮崎県はどうかと思って検索すると、次のような毎日新聞の記事が出てきました。

 文部科学省が28日に公表した全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)の結果で、県内の小、中学校いずれも基礎知識を問うA問題で全国平均を上回った一方、応用力をみるB問題は全てで平均を下回った。

 要するに、「応用力はまるでなし」というご託宣が下されているのです。こちらも有名人と言うと、あの存在自体が「公然わいせつ罪」に該当しそうな元宮崎県知事でお笑い芸人の東国原ぐらいしか思いつかないので、元気が出ないのですが、その中でも延岡市となると、これは毎日の別の記事ですが、

 学力テストで全国平均を下回る宮崎県の中で、延岡市はさらに県平均よりも低い深刻な状況が報告され、教育委員からは教員のサポート人員の増加などを求める意見が相次いだ。

 となっているのです。市長も出席する会議で「県平均よりもさらに低い深刻な状況」が話し合われたというと悲壮感が漂いますが、宮崎県は元々、大学入試センター試験でも全国四十七都道府県中最下位になる(2011年度)など、〈その後〉がよろしくないのです(ちなみに和歌山県はこの年7位に入っているから、学テの頃よりはマシになっているように見えますが、受験者が少ないので、下位層が受けていないおかげでしょう。関西にはもともと、九州地区のような「国公立崇拝」はないので、それも関係するのだと思いますが)。

 話を学テに戻して、こうした試験の地域間格差については、二つの要因があるでしょう。一つは教員の指導能力、もう一つは子供自身の資質です。今はそんなことはないでしょうが、昔の僻地の中学などでは、体育の教師が数学を教えていたりして、当然「無免許」でそれをやっていたのです。僕も中3のとき、そういう先生(大変な酒好きで、論理的思考力があるようには見えなかった)に教わりましたが、事前にお勉強好きで数学が一番よくできる女子生徒をこっそり職員室に呼んで教わったりしていたもので、自分がろくすっぽわかっていないことを教えるのだから、生徒がわかるようになる道理はないのです。それでも通用したのは、生徒たちが勉学意欲に乏しく、親の方もそんなことには無関心だったからです。当然、模試などになると悲惨な結果になるのですが、英語もこれに劣らずひどかったので、中1時点で大部分の生徒が落ちこぼれてしまったほどでした(言うまでもなく僕もその一人で、おかげで高校入試では英語がほぼ零点だったのです)。

 生徒側の資質としては、例外はいくらかあるとしても、大都市圏の方が田舎より概して成績がよいようですが、これには次のような事情が関係していそうです。人口が分散していた昔は田舎にも優秀な子供がいた。その大部分が都会に出てしまって、そこに住みつき、その子供や孫の世代が大都市住民になって、都市部に優秀層が偏在するという現象が生じたのです。学力は半分は遺伝です。だからそうなっても不思議はないのです。

 僕は延岡で英語塾をやっていますが、あるときこういうことに気づきました。成績優秀な子供たちには親が旭化成勤務が多いなと。旭化成は言わずと知れた全国的知名度をもつ有名企業で、だから親も当然「全国区」の高学歴エリートが多い。他は医者の子供、学校の優秀な先生の子供などです。トンビがタカを生む場合もあれば、タカがトンビを生む場合も当然あるわけですが、家庭環境の影響もさることながら、遺伝の影響は歴然としてあるのです。

 遺伝学者の話によれば、遺伝の影響は一般に思われているのとは反対に、後になるほど強く出てくるそうです。だから、学テが行われる小中学段階ではまだ大きな差は出ていないと言えるかもしれません。今は高校も学力でかなりきれいに輪切りされているので、入学段階では同じ学校の生徒たちにはそれほど大きな学力差はないと言えるかと思いますが、高校3年間でかなり極端な開きが出てくる。それはどれだけ勉強を真面目にやるかとは必ずしもイコールではないので、やはり最近よく言われるところの「地頭」の違いが関係するのです。ひとくちに言えば、それは遺伝です。

 だから学力の地域間格差には、遺伝の地域間格差も含まれると言えば、「けしからん差別発言だ!」と怒り出す人もいるでしょうが、事実としてそれはあるように思われるのです。都市部の方が教育環境、とくに受験教育環境が整っているということもある。僕はこちらで高校の指導の仕方を見ていて、モチベーションが上がらない、ああいう下手なやり方をしていたのでは生徒の学力は伸びないだろうなとよく思うのですが、難関大に進学した元塾生たちも、「あんなヘンテコなことをしていなければ、もっとうちの高校の難関大合格者は増えるはず」と口を揃えて言います。半分は学校の指導のせいだというわけで、遺伝的要因にプラスして、そういう教育環境上のハンデも今の田舎にはあるのです。だからなおさら差がつくということになってしまう。

 報道によれば、「読書時間」も学テの成績には大いに関係するという話です。これはある意味わかりきったことで、スマホやゲームの類でだらだら時間を潰している子供が優秀になるわけはない。集中力がなく、基本的な文章さえ読めなければ、小学校で出てくる算数の文章題なども解けないでしょう。英語の場合でも、内容的にかなり複雑な、抽象度も高い長文が出る大学受験レベルになると、国語力が必須になるので、それがないと絶望的なことになってしまうのです(眠たいセンターの英文程度なら何とかなるでしょうが)。

 そこらへんは対応次第で何とかなるが、遺伝となると「仕方がない」という話になってしまうので、誰もそれには触れないのです。そういう要因がかなりの程度あるとすれば、それは国の中枢機能や大企業の首都圏への集中を緩和して、地方に分散させるという手しかない。そうすれば、大人の優秀層の分散が進んで、遺伝の法則により、子供たちの学力の地域間格差も解消の方向に向かうようになるのです。それは人材が増えたということで、地方の活性化にもつながるでしょう。どうやってそれを進めるかは難題ですが。

 ここで一つ、ミもフタもない遺伝話を緩和する話をすると、親が勉強好きな場合には、子供も勉強好きになって、成績がよくなる傾向があるということです(子供に「勉強しろ!」と言うのではなく、自分が勉強している親です)。僕の見るところ、それは環境だけでなく、遺伝子レベルにまで影響を及ぼしているように思われるので、遺伝それ自体が固定的なものではないかもしれないのです。「考える親」の元では「考える子供」が育つ。そういうことは確実に言えそうです。逆に言えば、親がいくら高学歴でも、それが過去の栄光にすがるしか能のない親の場合には、前向きの、賢い子供は育たないのです。

 もう十年以上も前の話ですが、こちらでこういう奇妙なニュースがありました。宮崎県には椎葉村というところがあって、それはかなりの山奥ですが、そこのダム湖で、体長が60センチにも達する謎の魚が捕獲されたのです。何匹もそういうのがとれたというので、一体これは何なのだと地元の人たちは首を傾げ、専門家に依頼して調べてもらうと、実はそれはヤマメだったということが判明した。ヤマメは通常そんなに大きくなりません。しかし、あれは元々サクラマスの陸封型で、サケのように、かつては川と海を行き来していた。その椎葉ダムの巨大ヤマメは、おそらく上流のものが大水で流されてきたものだったのでしょう。彼らはそれで広いダム湖を泳ぎ回っているうちに、遺伝子に刻まれたかつての遠い昔の記憶がよみがえり、そこを海と勘違いして、休眠状態になっていた遺伝子のスイッチが入ったのです。それで巨大なサクラマスに変身した。

 そういうことだったのだろうと僕は思うのですが、人間の脳は大部分が使われないままになっているというのは有名な話です。それは原始時代は使われていたが、その後文明が進んで休眠状態になったものから、まだ人類が使っていない未知の部分まである。あっても使われていないそれらは、スイッチが入ると機能し始めるのです。

 いわゆる天才と呼ばれる人たちの場合、元々の素質の問題だけでなく、あれこれ研究や修練を積んでゆくうちに、ふつうの人が使わない脳の領域を使わざるを得なくなり、それが活性化したケースとみなすこともできるでしょう。彼らはふつうの人とは似ていないが、それはヤマメとサクラマスの違いみたいなもので、眠れる遺伝子へのアクセスのあるなしが結果として大きな差異をつくり出したのです。

 僕は時々塾で生徒たちにこの話をして、君らは今は体長15センチ前後のヤマメだが、心がけ次第では60~70センチのサクラマスに変身することもありうるのだと言います。「ほんまかいな」という顔を彼らはしますが、それはありうることなのです。それは東大に入れるかどうかというレベルのつまらない話ではなく、もっとスケールの大きい話なのです。大研究者、大企業家、大政治家、大芸術家になることもありうる。

 僕は別に気休めでこういう話をしているわけではないので、実際、成績の如何にかかわらず「将来の大物」を予感させる子供はいるのです。そういうことを含めて考えるなら、別に小中学時代の学力テストの結果に一喜一憂する必要はないわけで、それは高校になればまた大きく変わるし、大学に入ってから、さらには社会に出てからも変わるでしょう。

 それは先ほどの「遺伝の影響はむしろ後で出てくる」という話に基づけば、やっぱり遺伝のせいだということになってしまいますが、今の「ヤマメ→サクラマス」の話に従えば、別の解釈も成り立つのです。

 日本の場合、国民レベルで言うと、アメリカなどと較べて学力の凸凹がずっと少ないが、全体に小粒で、大物が少ないという弱点があります。これはモチベーションの低さも関係することなので、チマチマつまらない小中生の学力テスト(それは子供にとって解くのが面白い問題ではない)の結果にこだわるより、もっと遠くを見据えた対応が必要だろうと思うのですが、いかがなものでしょう。今のわが国が置かれた危機的な状況を見ると、小ぶりなヤマメの粒が揃うかどうかより、サクラマス級の“大化け”人材がどれだけ出てくるかの方がずっと重要だと思うのですが。

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