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至福の夏休み

2018.07.20.15:14

(去年の今頃も似たような記事を書いたような気がしますが、調べてみると一部重複しているものの同じではないので、許されるものと判断してアップしておきます。)

 最近は公立の中学校などでも夏休みは削られる傾向にあるようですが、子供にとって夏休みぐらい嬉しい、ワクワクするものはないでしょう。僕が小中学生の頃は、終業式は7月の24日で、翌日から8月末までが夏休みでした。38日間、夏休みがあったわけですが、これ以前に“夏休みに向けての肩慣らし期間”が設けられていて、中学でも、期末テストが終わると学校はおひるまで・給食なしの「半ドン」になっていたのです。つまり、午後は全部遊べる。昔の学校にはクーラーなんてものはなかったので、お勉強は比較的涼しい午前中に済ませて、後は川や海で遊ばせるにかぎる、ということだったのでしょう(当時、中学の部活はいい加減だった上に、入っていない子供の方が多かった)。先生も暑い中、授業をするのはまっぴらだったのかもしれませんが、「オトナのはからい」を感じさせる対応です(高校に入学した1970年からは終業式が20日に繰り上がって、さらに休みは増えた)。

 僕は今でも夏になるとからだの全細胞が活性化するような気がする(但し、薄くなった頭のてっぺんの毛が夏になると再びフサフサになるというようなことはない)のですが、これは子供時代のあの夏休みの幸福な思い出のためで、その影響は生涯続くのです。

 年配の人には同じような記憶をもつ人が多いようです。それで話をしていると、結局あの頃が一番幸せだったのではないかという結論(少し情けない?)に達したりするのですが、貧乏な田舎に生まれ育った人などはことにそうでしょう。当時はクワガタも川の魚もウジャウジャいたので、遊ぶのにお金はほとんどいらなかった。自然がタダで遊ばせてくれたのです。僕の田舎にはミヤマワガタ(方言では「ゲンジ」と呼ばれていた)が多くて、ノコギリワガタ(こちらは「ホリ」、煩わしいので以下方言の呼称は省略)は少数で、後者が珍重された(関東では逆だと、学生時代、公園でクワガタ探しをしている子供たちに聞いたことがあります)。惚れ惚れする大きなヒラクワガタの雄姿も忘れがたいが、そこらの雑木には必ずいたのがコクワガタで、あれには色々なのがいて、図鑑を見ても載っていないのがかなりあった。ツノのギザギザとか、体型が微妙に違うのがいくらもいたのです(ちなみに、カブトムシは見向きもされなかった。たくさんいすぎたのと、匂いがきつかったからです)。僕は周囲の自然を探険し尽していたので、誰も知らないクワガタの居場所なども知っていて、小学生の頃、町場の友達にクワガタをとってきてほしいとよく頼まれましたが、そういうときにかぎって特大のミヤマクワガタが見つかったりして、しかし、約束だから自分がもっているのより大きいそれをあげざるを得ない。うーん、と思いながら、泣く泣くそれをあげたものです。

 梅雨明け直後はヤマモモのシーズンで、これも暑い中、山の雑木林をのぼってよく採りに行ったものです。木によって、場所によって、ものすごく甘いのがあったりして、それを見つけるのが楽しみだったのですが、籠を腰に下げて木に登り、ヤマモモの木は折れやすいので相応の注意が必要ですが、幹に片手をかけて枝の先の実をとろうとからだをスイングしたところ、目の前の枝の上にマムシがいて、焦ったこともあります。マムシはそこらじゅうにいて、別に珍しくはなかったのですが、木の上にまでいるとは予想していなくて、あれにかまれたら大変なのは誰でも知っているから、伸びきった体勢からどうやってマムシのいる枝を揺らさず元に戻るか、緊張の中で必死に考えたものです。当時の田舎の子供はスポーツは下手でもそのあたりはサル並だったので、めったに木から落ちることはなかったが、たまには枝が折れて転落することもあった。不思議とそれで骨折したという話は聞いたことがありませんでしたが。

 夏本番となれば、むろん、川遊びです。海に近い子供たちは海に行ったでしょうが、山奥の子供だと渓谷に行くのです。僕の家は山の中腹にあって、そこから幅1メートルもない急坂の山道を猛烈な勢いで川まで駆け下りる。水泳パンツに、手には魚とりの道具一式です。それで夢中になって遊んでいるうちに昼食を食べに帰るのも忘れて大目玉を食ったり、昼食を食べに戻ったまではいいが、おなかがもつので、今度は帰りが夜の8時になって、再び親をカンカンに怒らせてしまったりする。数人でウナギとりのツケバリなんかを仕掛けたりするときはなおさらそうで、河原は白っぽい石が多いのでそんなに暗くはないのですが、目を上げて山の方を見ると真っ暗(都会みたいに街灯なんて洒落たものはない)で、これは親にまた怒られるなと皆怯えつつ、家に帰るのです。それでも懲りなくて、また同じことになってしまう。親の方としては、川には大きな淵もあるので、そこで溺れたのではないかとか、草の茂った道でマムシにかまれるなどしたのではないかと心配するので、怒るのは当たり前なのですが、子供の方はそんなことは忘れているのです。度重なると晩ご飯抜きの懲罰を受けることもあったのですが、しばらくたつとそれも忘れてしまう。

 ついでに、このツケバリというのは、夕方仕掛けて、翌朝早く起こしに行くのですが、それは明るくなるとかかったウナギが暴れて、逃げられてしまうことがあるからです。僕はふだん寝起きの悪い子供で、学校があるときはギリギリになるまで起きないが、このツケバリを仕掛けたときはワクワクして、途中何度も目を覚まし、4時前に一番先に起き出して、順繰りに仲間(学年が上や下の子がメンバーになることもあった)を起こして回るのです。他の家族を起こさないように、庭から小声で声をかけて、全員そろって川に行く。大方の場合、一人30本ぐらいずつ仕掛けていて、ここはA君、あそこはB君というふうに、好みの場所を平等に分け合って均等な割合で仕掛けていく。4人ぐらいでやることが多かったのですが、こうこうと月が照るような天気のいい晩はまるで駄目で、全滅ということも珍しくなかった。その代わり、空が曇り、蒸し暑くて、にわか雨が降るような晩は最高で、一人5、6匹ずつとれて、意気揚々と帰るということもあって、たいていは一匹一匹餌にするハゼを玉網ですくって、準備に手間ひまかかるのですが、大漁を夢見つつ、せっせとハゼとりに精を出すのです。たまに、大雨で増水して、仕掛けが全部流されてしまうこともありましたが、降り始めたのが割と遅くて、まだ残っているというので、大雨の中、皆で川に急行したことがあります。それで上流から下流へと、仕掛けを起こしていくうちに、天候がそれだからその日は大漁で、皆喜色満面でしたが、見る見る増水して、帰る頃になると、さっき渡れた川がもう渡れなくなってしまっているということがありました。急流だから、無理に渡ろうとすれば流されて溺れてしまうのは確実です。こうなったら仕方がないということで、山の斜面を伝って戻ることにして、薄着で雑木が茂ったところをかき分けて進むものだから、からだじゅう切り傷だらけになりましたが、大変な苦労をしてやっと家に帰り着くと、鬼の形相の親たちがそこに待ち構えていて、こんな大水の中、川に行く馬鹿がいるかとこっぴどく叱られる羽目になり、大きなウナギがたくさんとれたと自慢することもできず、皆しょんぼりしてしまうのです(それでも僕は後で唯一の味方である祖母には自慢しましたが)。

 これにかぎらず、昔の子供たちは親に隠れて危険なことをあれこれやらかしていて、ひやりとすることが何度もあったのですが、そういうことはむろん、親には絶対話さない。ゴムチューブを付けた竹の柄のモリを当時の子供は作って、それで魚を追いかけ回したりもよくしたものですが、気がついたら渦を巻いている深い淵に入り込んでしまっていて、出られなくなって難儀するなんてこともありました。僕が記憶している最大の恐怖体験は、夏場の渇水期だったと思いますが、水が切れた細い谷を上っていて、高さ四、五メートルの枯れ滝に遭遇しました。上の方にかたちのいい岩松(学名はイワヒバの由)がはえていて、池に置くのにちょうどいいと、それをとろうとして壁面をのぼり出したまではよかったが、二、三メートルのぼったところで、次につかまるところが見つからなくなってしまった。下を見下ろすと、とがった大きな岩がゴロゴロしていて、飛び降りることは不可能だし、身動きがとれなくなったのです。そのときは僕一人で、そこは集落の裏手になるので、大声を出しても誰にも聞こえない。「進退谷(きわ)まる」とはまさにこのことで、大変なことになってしまったと思いましたが、しばらくしてふと右手上方を見ると、そこにつかまれそうな草の切り株が一つ見つかった。それで思い切ってそれに手を伸ばして、それから無我夢中で何とか上までのぼりきったのですが、これで安心となったときは膝がガクガクしてしばらく動けませんでした。「恩寵」という言葉を見ると、僕が真っ先に思い出すのはあの謎の切り株のことで、最初見たときはなかったものが突然出現したように思われたのです。あれがなければ、わが人生はそこで終わっていた。

 夏休みの楽しい思い出というのは、そういうのも全部ひっくるめてです。大人たちは「河原乞食」と呼んでいましたが、河原の石を組んで壁を作り、上に木の枝や草をかぶせて屋根を作って、そこに泊まるなんてことも、子供たちはよくやったものです(テントなんて上等なものはなかった)。飯盒でごはんの炊き方を教わって、おかずはそれでないと気分が出ないというので、自分たちがとった川魚や川エビを焼いて食べることにする。畑で取れたスイカやトマトは川に浸けて冷やし、懐中電灯や蚊取り線香も必携です。夜具はめいめい夏蒲団の軽いのを持ち込む。夜中に突然大雨が降って来てあわてて逃げ帰るなんて失敗もありましたが、ああいうのも何とも言えず楽しかったものです。

 夏休みには「夏の友」という宿題があって、あれはおそらく全国共通だったのではないかと思うのですが、一日一ページか二ページやれば全部夏休み中に終わるようになっていたはずが、たいていの子供は文字どおりの三日坊主で、たまの登校日には、「あれやった?」「やってない」というような会話が交わされ、「やってない」派が多数なのに心強い思いがしたものです。しかし、8月も25日ぐらいになると、思い出したくなくても思い出してしまうので、一日僅か一ページもできない子供に、丸残りの「夏の友」を何とかするすべはもはやなく、心には暗雲が垂れ込めて、「またあの面白くない学校か…」という思いとも相まって、屠殺場へ引き立てられる日を間近に控えた家畜みたいな気分になってしまったものです。他に夏休みの研究みたいな宿題もあって、朝顔の観察日記なんかが推奨されていたような気がしますが、もとよりそんなことも何もやっていないのです。母親にはアリとキリギリスの教訓話を聞かされる。キリギリス生活のツケを払う日が間もなくやってくるのです。

 今の賢い子供たちの場合は全然違うでしょうが、昔の田舎の、あまりサルと変わらない子供の夏休みはそういうものだったのです。夏休みが永遠に続けばいいと子供の頃、僕はよく思いましたが、そうはいかず、中卒で就職する子供たちにはそのすぐ後に厳しい現実が待ち受けていた。しかし、そんな彼らにも、子供時代の夏休みの思い出は、かけがえのないものになったでしょう。

 僕は時々こんなふうに考えることがあります。人間の生きる力の強弱は、過去の幸福な思い出と、未来への希望の合計に比例するのではないかと。だから中学生ぐらいまでの子供をもつ親御さんたちは、お勉強の心配をするより、子供にエネルギーを与えるそういう楽しい思い出が残るかどうかを心配した方がいいのです。勉強は取り返せても、そちらは取り返せないのだから。近場にそういう遊び場のない家庭では、事情が許すかぎり自然のあるところに連れて行って、子供がそこで存分に遊べるようにしてあげるとよいでしょう。昔は子供たちは勝手に遊べたが、今は親の方が機会を作ってあげないとなかなかそれができないようだからです。

 今は中学ではほぼ全員が部活に入って、嘆かわしいことに「部活漬け」になってしまうので、最大のチャンスは小学校かも知れません。そうすると、それがどんなに楽しいかを知って、自然が友となる。うちの息子などは、高3の夏休みになっても、さすがにそのときは日曜だけに限定しましたが、一緒に鮎とりに行ったものです。かなりの遠出なので、そのために昼食用のおにぎりを作り、車を出さねばならない母親(僕は大型自動2輪の免許しかもっていない)は、「受験生で他にこんなことしている子がいるのかしら?」と呆れ顔でしたが、父子は「気分転換が必要だ」と主張して、強行していたのです。彼にとって小さい頃からの川遊びは最高に楽しいことの一つだったようで、だからそれは最良の気分転換になりえたのです。いくつになってもそういう記憶は残るので、自分がいつか結婚して子供をもったとき、自分が父親に子供時代教わったことを“伝承”してくれれば、自然との良き関係は途切れることなく続き、その子にもまた「楽しい夏休み」の記憶が残るでしょう。

 最後に一つ付け加えておくと、そういう時はゴミを平気でまき散らしてくるなんて品性下劣なことだけはやめましょうね。そういうアホにはいずれ天罰が下るのです。
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