FC2ブログ

ベーシックインカムと働き方革命

2018.06.11.17:51

 ベーシックインカムは、ウィキペディアでは次のように説明されています。

 国民の最低限度の生活を保障するため、国民一人一人に現金を給付するという政策構想。生存権保証のための現金給付政策は、生活保護や失業保険の一部扶助、医療扶助、子育て養育給付などのかたちですでに多くの国で実施されているが、ベーシックインカムでは、これら個別対策的な保証を一元化して、包括的な国民生活の最低限度の収入(ベーシック・インカム)を補償することを目的とする。従来の「選択と集中」を廃止し、「公平無差別な定期給付」に変更するため、年金や雇用保険、生活保護などの個別対策的な社会保障政策は、大幅縮小または全廃することが前提となる。

 こういう制度には「財源をどうするのだ?」という反論が必ず出されますが、それは何とかなるというのがこのシステムの提唱者たちが言っていることで、上の説明にもあるように、「年金や雇用保険、生活保護などの個別対策的な社会保障政策は、大幅縮小または全廃することが前提となる」ので、そちらの経費は消えるか激減するのです。もう一つ、そうした従来の制度には、それを維持するのに多数の人手がかかっており、関係者はたいてい公務員ですが、その人たちの給料も含めると、実は膨大な費用がかかっているのです。シンプルなベーシックインカム制度なら、そこらへんが不要になり、こう言っては何ですが、「無駄な費用」が消える。

 だいぶ前にこのアイディアを知ったとき、僕は「これはコロンブスの卵だな」と思いました。あるいは、ニュートン物理学に対する相対性理論、さらにはそれに対する量子物理学みたいなもので、従来の経済学的発想からは出てこないものですが、よく考えるとこちらの方が理にかなっているのです。

 今はテクノロジーやAIの発達で、「これからなくなる仕事」なんて記事をよく見かけます。それが実現すれば、それらの職種の人たちは失業してしまうわけですが、新たな雇用の受け皿があるわけではない。人々のそういった将来への不安は社会に暗い影を投げかけているのです。

「そうは言っても、それで働かない人が増えれば、税金を払う人も減って、働いている真面目な人たちが、税金で働かない怠惰な人たちを養うことになる。それは社会正義に反するのではないか?」と言う人もいるでしょう。従来の生活保護に対するそれと同じ、反感や蔑視が向けられるのです。

 しかし、そうはならないだろうというのが、ベーシックインカム制度の利点を説く人たちの主張するところで、僕もそれに同意します。むしろ社会全体の生産性が上がり、人々の創造性が発揮され、イノベーションも進むことになる。文化的にも今よりはるかに豊かになるでしょう。それは「こうすれば、こうなって」という思考実験をやってみれば、理解がそんなに困難なことではないのです。

 こう言うと怒る人がいるかもしれませんが、今の資本主義社会における大部分の労働者は「賃金奴隷」です。古代ギリシャ・ローマは奴隷制に基づく社会だったので、自由市民の自由は自由のない奴隷の存在に依存していました。今の格差社会もこれに近いものになっている。一部の金持ちだけがさらに資産を増やし、数が増えるばかりの貧乏人はいよいよ貧しくなるというこのシステムは、自己責任論などで説明できるものではなく、搾取の構造が内蔵されているからこそ、そうなるのです。アメリカの大企業のCEOの桁外れの高給は、彼らの仕事の能力で説明できるものではない。システムの問題なので、マネーゲームで稼ぐ投資ファンドなんかはなおさらです。一方に働きに見合わぬ低賃金の多数の労働者がおり、他方に働きにやはり見合わない、しかし逆ベクトルの高収入をむさぼる資本家や少数のエリートがいる。そして、前者の比率は高まるばかりなので、知らないうちに古代の奴隷制が復活しているのです。

 そして、一時は隆盛を誇った古代ギリシャ・ローマはその奴隷制ゆえに滅びました。歴史家はそんな単純なものではないと言うかもしれませんが、根本原因に一つにそれがあったことはたしかなのです。ある研究者が述べたように、「奴隷経済は、その労働の生産性を極めて低い水準に停滞させる」からであり、また、心理学者ユングが指摘したように、奴隷の数が増えすぎたことから、奴隷特有の無気力が社会に蔓延し、それは物理的なものではないので、どんなに高い城壁を築いても侵入を防ぐことはできず、自由市民もその無気力に汚染されてしまったからです(いわゆる「蛮族の侵入」以前に、ローマ帝国は内側から、「心理的に崩壊していた」というのが彼の見方です)。

 今の文明社会も、このままでは新種の奴隷制ゆえに滅びることになるのは確実だろうと僕は見ていますが、ベーシックインカム制度はこれを変える可能性があるのです。

 どうしてそう言えるのか? 今主張されているベーシックインカムの額は、日本の場合なら一人頭7万か8万ぐらいのようですが、夫婦に子供二人という四人家族の家庭なら、総額で28~32万円になります。それでは足りないかもしれないが、最低限の生活になら足りる。一人者なら足りないが、それでもそれがあるのとないのとでは大違いで、パートやアルバイトで補うだけでも生活は成り立つのです。

 これが「安心の礎」になる。現状だと仕事を失えばとたんにゼロです。その不安から人は賃金奴隷になってしまうので、「いざとなれは仕事をやめても、パートだけで生きていける」となれば、職場がブラックであろうと仕事の内容が社会的意義に乏しいものであろうと、その仕事を失えばとたんにアウトだという恐怖からそれにしがみつかざるを得なかったのが、そんなものにつきあう必要はないと考えることができるようになるのです。仕事への動機づけが、根本から変わってくる。奴隷の「強いられた労働」ではもはやなくなるのです。

 当然ですが、ベーシックインカムによる収入は、消費に回されます。今後は年金生活の高齢者世代がさらに増えますが、老人は消費にあまり貢献しない。今の若者や子育て世代は貧乏か、さもなければ将来不安から貯蓄にいそしみ、消費を差し控えるので、それでは景気がよくなる道理はありません。それも変わってくるのです。

 今の日本では進んでいない「ワークシェアリング」ももっと進むでしょう。ベーシックインカムがあれば、収入を仕事にだけ依存しなくてすむようになるからで、給料は多くなくても足りることになるからです。今国会で成立予定だという「高度プロフェッショナル制度」なるものは、年収1千万以上の専門職が対象で、残業代が出なくなることから、「残業代ゼロ法案」とも呼ばれますが、僕に不可解なのは、それだけの高給をもらっていればそもそも残業代で稼ぐ必要はないでしょう。なのに、好きで残業をする人間がいるのかなと思うので、元々は「激務」だから給料がいいのでしょう。それは労働時間も長いということなので、経営者が「残業代をなくしたい」というのは、あいつらは給料が高いのだから、倍の仕事をさせないと割が合わないという発想に基づくのだとすれば、それは間違いなく「過労死法案」になってしまう。それは非人道的な話です。

 一部の観測によれば、まずこの法案を通して、その後、職種も広げ、年収の下限も下げて、年収400万前後の労働者までこれで働かせようという魂胆だという話です。ある日、「さあ、君もこれで『高度プロフェッショナル』に認定された。明日から頑張ってくれたまえ」と言われ、その言葉の響きに気をよくしていたら、何のことはない、残業代カットの上、労働時間が極限まで増えただけだった、というのでは、「死ぬまで働け」と言われたに等しいことになってしまいます。それでは昔の奴隷よりもっとひどい。

 こういうのも、しかし、ベーシックインカム制度なら解消されるのです。多くの給料はいらない、だからワークシェアリングで働く人も増えて、残業もなくなるのです。

 機械やAIで仕事が代置されることが増えて、ただ失業者が増えただけだったというのでは、モノやサービスの購入者は減るばかりだから、経済そのものが大幅に縮小してしまう。それでは企業は儲からないから、労働者一人当たりの仕事量をさらに増やしてそれを補おうとする。そうなると過労死がさらに増え、仕事を失うのも地獄なら、会社に残っている人にとっても地獄だということになってしまうのです。すでにそういう流れになっていて、今の企業は労働分配率を下げ、内部留保を増やして、株主配当を多くするようになっているのだそうですが、それで得をするのは不労所得の株主だけだということになる。それは社会正義に反するので、それでいいのだと言うのは、投資ファンドの村上世彰や、あの竹中平蔵のような連中ぐらいでしょう。

 ここで話はちょっと逸れますが、最近面白いなと思った記事が二つあったので、それをご紹介してから、話をさらに進めます。次の二つです。

残業手当はすぐになくしたほうがいい カルビー・松本会長

日本以上のブラック労働でも悲壮感はない、中国のある事情

 偶然同じITmediaビジネスというサイトのものですが、どちらも「なるほど」と思わせるもので、上のカルビー会長の「オフィスと工場では働き方が違って当然。前者は成果主義でやるべきで、残業制度がそもそもの間違い」というのは僕も同感です。「無駄な残業が多い」というのも、その通りでしょう。有名なパーキンソンの法則の一つに「役人は際限もなく無用な仕事をつくり出す」というのがありましたが、これは今や役人だけの話ではなく、民間企業でもその傾向があるはずです。ご本人たちはそうは思っていないかもしれないが、妙な具合に官僚組織化して、無駄な書類仕事や安直な企画の類で勝手に多忙になっているのです。それで残業も増えるが、別にそれで会社の利益が増えるわけではない。

 ②の中国労働者の話は、日本も高度経済成長時代は「企業戦士」「猛烈サラリーマン」などの言葉があったので、国に勢いがあって、働けばその分給料も上がるという環境下では、長時間労働も苦にはならない、ということなのでしょう。ゼロ成長下の「斜陽の経済大国」には、しかし、これは当てはまらない。実質賃金は下がる一方で、モチベーションは上がらず、収入を維持するためには残業代で稼ぐしかない、というのでは、ダラダラ仕事をするか、いりもしない業務を作って残業するということになり、民間企業でも生産性はむしろ下がってしまうのです。

 それは学校教育やあの部活の悪影響ではないかと思うのですが、なぜか日本人は一ヵ所に集まって決められた時間一緒に仕事をするというスタイルが好きです。勉強だって勝手にやった方がほんとは能率も上がるのですが、用があってもなくても定時に会社に出勤し、そこに長時間張りついていれば、仕事をしたような気になってしまうのです。僕は三十代のある時期、関東のある塾で、出勤はしなくていいから、教室をうまく回し、トラブルが起きたらそれを処理してくれればそれでいいという条件で働いたことがあります。そうは言っても責任者が不在では緊張感がなくなり、現場の把握もできないから平均4、5時間は出ていましたが、そのおかげで大学院というところに入って二足の草鞋をはくこともできたので、そのときの塾長の対応には今でも感謝しています。その塾でも、しかし、校舎責任者と専任講師は原則として本部に毎日午後1時に顔を出し、昼食会兼ねた幹部会議をやり、そのあと雑務をこなし、3時半ぐらいにそれぞれの校舎に散っていくというかたちになっていたので、塾ですら組織がある程度の規模になるとそういうふうになってゆくのです。仕事が10時に終わるとすれば拘束時間は9時間になって、ふつうの会社と変わらない。その塾は代替わりして今でも健在ですが、「あいつは勝手にやらせておくにかぎる」というので例外を認めるような寛容さは、この業界でも今は少なくなっているでしょう。

 ベーシックインカム制度はこういう日本的な働き方を変える可能性がある。残業代目当てにいらない残業をすることがなくなるのはもちろん、ワークシェアリングが進んで、短時間労働になれば、オフの時間に勉強したりいいアイディアを思いついたりすることも多くなって、それが仕事に活かされるようになるのです。そうすれば生産性は上がる。

 オフの時間帯も、人間は仕事につながる活動をしていると言えるので、長時間労働が悪なのは、それが「強いられた労働」だからです。自分の好きな仕事を長時間自分のペースでやる場合、人間はそんなに疲れるものではありません。僕も翻訳の仕事をやっている場合などは、塾と合わせて一日15時間ぐらいになることは少なくありませんが、完全なオフ日は週に一回ぐらい設けるとして、長期間にわたるわけではないし、別に元気を失ってしまうということはない。それはやり甲斐の感じられることで、ペースも自分のペースで、自由にやれるからです(あれは経済的な見返りが少なすぎるのが最大の難点なのですが)。

 前に電通の高橋まつりさんの過労自殺事件があったとき、僕が気の毒に思ったのは、彼女が「インターネット広告」を担当させられていたことです。あれはパソコンのユーザーには最も疎ましがられているもので、それは広告会社には利益になるのでしょうが、人に嫌われているものであることは間違いないので、そういう社会的意義に乏しい仕事に文字どおり忙殺され、心身ともにボロボロになって死に追いやられたのかと思うとかわいそうです。どう見ても東大出の才媛がやるような仕事ではない。社内でもやりたがる人がいなかったから、新入社員の彼女にそれを押しつけたのでしょう。電通は商売上有利だというので有名人の子女を多く入社させていることでも有名(かの森友問題の元凶、安倍首相夫人アッキーも、森永製菓社長の令嬢だという理由で電通に入社)ですが、そういう縁故入社組には別待遇をしているのだろうから、そういう後ろ盾がない彼女は貧乏くじを引かされたのです。

 彼女のツイッターには、自殺の一ヶ月半ほど前、「生きるために働いているのか、働くために生きているのか分からなくなってからが人生」という投稿があったそうですが、そういう人生は「労働奴隷」のそれに他なりません。それは人から生きる希望そのものを奪ってしまう。前途有為の若者をそうやって平気で潰してしまう社会は、悪以外の何ものでもないでしょう。

 ベーシックインカム制度があれば、そういう職場はさっさと辞めることができて、会社は無理のない範囲の仕事になるよう、そうした仕事にも人員を多く配置するしかなくなるでしょう。下らない仕事でも、それが適正な時間内で収まって、相応の経済的見返りがあるものなら、やる人はいる。それならその仕事をする人に破壊的な影響は及ぼさなくなるので、差し支えないと言えるわけです。

 今は文化・芸術方面は全く振るわなくなっていますが、これもベーシックインカムで変わる。出版業界なども、今は軽薄短小本しか売れなくなっていますが、ゆとりがあれば、じっくり腰を据えて本を読み、ものを考えようという人も増えるので、流れが変わってくるでしょう。あらゆる問題にその場しのぎの対応しかなされないのは、問題を長期的・全体的な視点から考えることを人々がしなくなったからですが、時間的なゆとりも残存エネルギーも乏しければ面倒なことなど考えられなくなるのは当然で、そのあたりも変わるのです。「人生いかに生くべきか?」といった古くて新しい問いも、新たに問い直されるようになって、書物も硬派なものがもっと好まれるようになるでしょう。音楽や美術といった分野も、ゆとりがあれば好きな人は多いので、今よりずっと盛んになる。大体今は、それでは食えないからクリエーター自体が激減しているのです。魅力があるものが減れば、当然客も減る。ベーシックインカム制度があれば、好きなことをやろうという人がもっとずっと増えるので、レベルが上がって、明確なプラスの影響が見込まれるのです。

 テクノロジーの発達で生産性が上がり、コストも下がっているにもかかわらず、人間がいよいよ多忙になり、貧しくなるというのは思えば妙な話なので、要は利益分配がうまく行っていないのです。そこを調整し直した上で、機械ができることは機械に任せ、人間は人間にしかできない仕事や活動ができるようにすればいい。

 生活保護などの福祉システムかうまく機能しないのは、それが上から目線の“施し”になっているからで、多数の書類やら、露骨なまでにプライバシーに踏み込んだ面接やらで受給者にこれでもかというほど屈辱的な思いをさせて、それで積極的な人生を歩めというのは土台無理な話です。前に神奈川県小田原市の職員が、「保護なめんな」「不正受給はクズである」などという文字の入ったジャンパーを長期にわたって職務中に着用していたことが発覚して騒ぎになったことがありましたが、職員には増え続ける生活保護の受給者(厚労省の最新データでは163万9768世帯)を減らせという圧力がかかっていて、ごく僅かな不正受給を目の敵にするようなことになったのでしょう。その結果、受給者の人格への配慮などというものはどこかに消し飛んでしまった。“施し”だという意識があるからそうなってしまうわけで、“施される”側がどんな苦しい心理状態になるかは考えないのです。

 ついでにここで一つ、「カネを稼ぐ」ということと、その仕事の社会的意義というものの関係も考えてみましょう。たとえば、僕は今これを書いていて、これは完全な無給の仕事なのですが、だからそれは無意味だということにはならないでしょう。逆に実に下らないことをして、それがカネにはなるということもあるわけです。「カネを稼ぐ」ということが唯一の社会的価値の指標だとすれば、GDPに含まれないことはすべて無価値だということになってしまう。そしてそういう無価値なことをしてカネを稼がない奴は非国民だというので非難されるとすれば、今の時代、他のことで何とか生計を立てながら、カネにはならないが、大事なことだと思って何かをやっている人は、みんなクズだということになるでしょう。

 それで、皆がそういうことは一切やめて、ただ「カネになる」ことだけやるようになったとしましょう。この社会はどうなると思いますか? それは寒風吹きすさぶ、おそろしく貧しい社会になってしまうでしょう。バブル経済の頃、日本の生保会社がゴッホの『ひまわり』をロンドンのオークションで53億円で落札したというニュースがありましたが、生前ゴッホがどんなに貧乏だったかは有名な話です。絵はほとんど売れず、弟に食わせてもらっていたのです。貧乏ではあっても、ゲージュツカとして世の尊敬を集めていたというわけではむろんない。認定されるかどうかは知りませんが、今で言えば生活保護の対象になってしかるべき窮状だったので、にもかかわらず、彼は絵を描き続けたのです。それを思えば、これはブラックジョークみたいな話です。

 類似の話は枚挙にいとまがないほどたくさんありますが、ゴッホのような人もいてもらわないと困る。何も芸術家にかぎらない、僕は法学部の学生だった頃、生活保護を受けている弁護士の話を聞いたことがあります。その人は無能だから、あるいは仕事をしないから貧乏だったのではなく、カネにならない、しかし骨の折れる刑事事件の弁護ばかり引き受けているから、持ち出しばかり多くなってそうなっているのだという話で、企業の顧問弁護士などすればカネになるが、そういうことはしないから恐ろしく貧乏になったのです。これまた、そういう人もいてくれないと困るので、経済至上主義的な見地を離れて、社会的貢献度で見れば、それは金満弁護士よりずっと高いかもしれないのです。

 今の時代は、社会的な有意味性と、経済的な価値評価が乖離しすぎた時代です。まともなことをやってもカネにはならず、まともでないことをやる方がカネにはなるということが多くなりすぎている(本来ならすぐれた研究者になっていたかも知れない理系の優秀な若者たちが、高給与の金融機関に流れて、わけのわからない「金融商品」なるものを作って、破壊的なリーマン・ショックをひき起こしたことは、まだ記憶に新しいところです)。ベーシックインカム制度は人々を賃金奴隷の境遇から解放して、自発的な人生選択を容易にするので、そうした社会のありようも変わる可能性があります。具体的な検討はその方面の専門家に任せるとして、真面目に考えてみるべき時期に来ているのではないかと言いたいのです。

スポンサーサイト
プロフィール

大野龍一

Author:大野龍一

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR